『篤姫』第36回「薩摩か徳川か」

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 いよいよ島津久光が幕政改革を上奏するため、1000の兵とともに上洛し、ますは京都に止まります。このとき先行した西郷は下関で止まるよう命じられていたのに、大坂へ向かってしまい再び島流しの憂き目にあいます。西郷という重しがなくなってしまったため、有馬新七をはじめとする尊攘派志士は寺田屋で要人殺害を画策。大久保の説得にも応じず、ついに寺田屋騒動が起こってしまいます。内部粛清を行ったことで久光の朝廷に対する株は急上昇。この久光の処置に対し、小松帯刀は昇進を辞退し、江戸へ向かうのもやめようと考えますが、有馬が身を犠牲にしたという遺書があり、小松は江戸下向を決意します。まぁ、体育会系の尊攘派志士にそこまで思惑があったかどうか分かりませんが、なるほど視点を変えればこういう見方もできますね。このあたりの資料も桐野先生のブログ『膏肓記』に詳しく書かれているのでぜひご覧ください。このときに殺害された田中河内介という人物は、歴史家が調べようとすると祟りをなすという怪談でも話題になりました。たしか子どものとき読んだ怪談の本でしたからトラウマになりかねなかったですよ。
 一方、大奥では薩摩が乗り込んでくるということで、本寿院からは嫌味をいわれるわ、息子のような家茂にも疑われるわで、天璋院様ついに薩摩での思い出の品々を焼却するこという行動に出ます。白薩摩に薩摩切子、今から考えると国宝級の品々だけに「嗚呼なんて勿体ないことを」と思ったのは僕だけでしょうか。天璋院様乱心の報に家茂が止めますが、「私は徳川の人間」と決意をされる篤姫様でございました。
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 史跡紀行では寺田屋事変のあった京都市伏見区の寺田屋はじめ、両替商跡、大黒寺などを紹介していました。さて、寺田屋事変というとこの第一次と龍馬が窮地を逃れた第二次と二度も歴史の舞台に登場するのですが、今回は平成版寺田屋騒動が起こっています。詳しくはリンク先のJ-CASTニュースを見ていただければわかりますが、寺田屋はこれまで柱に弾痕や刀傷跡が残り、龍馬の妻となるおりょうが裸のまま駆け上がった階段なども残っていると案内で流れていたのですが、鳥羽伏見の戦いで焼失して再建されたという説が浮上してきたのです。しかし、この再建設はすでに浮上していたもので、このタイミングでニュースになるのは、明らかにドラマに合わせたものではないかと思われてしまうほどです。一部マスコミではすでに近年の偽装事件にひっかけて観光偽装などと騒がれていますが、再来年の大河ドラマ『龍馬伝』でも舞台になるところだけに、調査結果を明らかにし、白黒はっきりつけておいてほしいものです。もうひとつ付け加えるならば、2003年に寺田屋を訪れたときは記念スタンプがなかったので、スタンプも設置して!
投稿者:管理人
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