関東大震災の証拠が残る諸磯(もろいそ)隆起海岸
by 菊地 正浩

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神奈川県三浦市三崎町諸磯は、1928年(昭和3年)9月1日、国指定天然記念物に指定された。穿孔(せんこう)貝(がい)の生息跡が昔の海岸線で、大地震の度に隆起してきたことが判る。

現在の波打ち際、一番下が1923年(大正12年)9月1日関東大震災で隆起した層。

二番目が1703年(元禄16年)12月31日(旧暦11月23日)、房総半島南方沖震源の元禄大地震。

三番目が818年(弘仁9年)の弘仁大地震。

最古のものは416年(允恭天皇5年)に発生した遠飛鳥宮付近で起きた地震によるものと地震学会が発表している。

 

諸磯隆起海岸

 

  • 三浦半島の地層は三浦層、相模層、葉山層であるが、三浦層は三崎層や逗子層などからなる。諸磯は三崎層が多く分布、約1200万年前頃に水深2~3000mの深海に堆積した地層のことで、隣りの海外(かいと)町(ちょう)には神奈川県指定天然記念物のスランプ構造がある。

隆起や褶曲具合の歴史が良く判る。

 

海外町のスランプ構造

 

  • 関東地方に大地震が起こる度に三浦三崎は隆起する。対岸の房総半島南端も同様に隆起する。しかし、三浦半島後背地の丹沢、松田では沈降する。

国土地理院発行の地形図では諸磯の一等水準原点は、昭和37年が29.7mであったが、現在30.1mになっている。参考までに隣りの城ケ島では、28.7mが29.8mと隆起している。なお、三浦市油壺には国土地理院の験潮所が設置されており、26.7mである。

この験潮所のデータは日本水準原点標庫(東京赤坂の憲政記念館・東京都指定有形文化財)に送られ、日本の水準点が決められている。当初は24.5mであったが、関東大震災後24.4140m、先の東日本大震災後に24.39mに修正された。

 

油壷の験潮所と水準原点

 

日本水準原点標庫

日本水準原点標高は沈下の度に修正されているが、三浦三崎は隆起修正されている。

近い将来予測される東海、関東直下型大地震ではまたまた諸磯隆起海岸は新しい層を見せるのか?