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スタンプ物語15・新大久保駅

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新大久保駅のすぐ西側に皆中(かいちゅう)稲荷神社があります。この付近は徳川幕府の将軍警護を目的とした鉄砲組百人隊の屋敷があったところで、現在も「百人町」の地名が残っています。創祀は天文2年(1533)と古く、鉄砲組与力がこの稲荷神社にお参りをしたところ、射撃が百発百中となり、「皆中(みなあたる)の稲荷」と呼ばれるようになったといわれています。その後、射撃だけではなく「当たる」ものに御利益があるということで、現在は「ギャンブルの神様」として親しまれているそうで、馬券や宝くじを当てたい方は一度参拝するとよいかもしれません。この皆中稲荷神社で隔年の9月下旬に行われるのが、スタンプにも描かれている「鉄砲組百人隊」による出陣行列です。
昭和36年(1961)に江戸幕府鉄砲組百人隊保存会によって復活。甲冑に身をまとった鉄砲隊百人組が法螺貝の音とともに皆中稲荷神社から百人町を行進し、数箇所で実際に火薬を使った火縄銃の試射が行われます。現在は新宿区の無形民俗文化財に登録されており、すさまじい轟音はまさに迫力満点。本年度はこの儀式が行われる年ですので、ぜひお忘れなきように。
ところでこの鉄砲組百人隊屋敷は、時代考証家・名和弓雄氏の説によると、万が一、将軍が江戸城を追われた際に地下坑道で甲州へ抜ける退避路が設けられており、将軍警護のための要塞の役割を果たしたといわれます。皆中稲荷神社の拝殿にも抜け穴があり、江戸城の半蔵門から通じているといわれ、半蔵門といえば伊賀衆の頭領・服部半蔵に由来しています。鉄砲組百人隊というのは忍者で知られる伊賀・甲賀衆や、鉄砲の扱いに慣れていた雑賀衆および焔硝・弾丸の製造保管・配給を行った玉ぐすり方の青山組などで構成されていました。また、8代将軍吉宗が創設した幕府お抱えの忍び「お庭番衆」にも、吉宗の故郷・紀州から伴ってきた忍びのほかに、伊賀・甲賀衆がいたとされます。
江戸城は慶応4年(1868)に戊辰戦争で無血開城されたので、鉄砲組百人隊の出番はありませんでしたが、定期的に軍事演習があったことは確かで、その伝統は今も受け継がれています。
なお、新大久保駅周辺はコリアンタウンと呼ばれ、韓国料理の店がたくさん並んでおり、韓流ブームでも賑わいをみせています。また、中央線大久保駅とは、大久保通りで200mほどしか離れておらず、そのまま大久保まで歩いても5分とかかりません。スタンプコレクターの方はこちらにも立ち寄るといいでしょう。

投稿者:管理人
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2007年01月23日 01:22に投稿されたエントリーのページです。

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