« 2007年01月 | メイン | 2007年03月 »

2007年02月 アーカイブ

2007年02月01日

スタンプ物語22・田端駅

tabatastamp1.jpg tabatastamp2.jpg

スタンプは「駅舎と新幹線」です。描かれている駅舎は改築前の北口ですが、現在、田端駅は駅舎の改築が進み、2008年秋に完成の予定です。駅舎が完成した際にスタンプの絵柄も変わるのでしょうか? 気になるところではあります。山手線は田端で再び京浜東北線と合流しますが、この京浜東北線と並行して東北・山形・秋田・上越・長野新幹線が走っています。新幹線の高架の下に田端車両基地と機関区があり、はやて・こまち・やまびこ・つばさ・とき・あさまなど各新幹線の車両が見られ、機関区にはEF81・EF66の電気機関車やその他の車両があるので、レイルファンには見逃せない場所です。
スタンプは鉄道中心の紹介となっていますが、付近には名所・旧跡もたくさんあります。田端は元々閑静な農村でしたが、上野に東京美術学校(現・東京芸術大学)ができると、小杉放庵(洋画)や板谷波山(陶芸)など若いアーティストたちが住むようになり、大正3年(1914)に小説家の芥川龍之介が転居してきたのを皮切りに、室生犀星・荻原朔太郎・菊池寛なども集まるようになり、文士村が形成されました。北口から徒歩1分のところに「田端文士村記念館」があり、各文士たちの旧居跡を記した散策マップが手に入りますので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。開館は10~17時、月曜と祝日の翌日が休館です。
この文士村エリアには赤紙仁王で知られる東覚寺があります。寛永18年(1641)に彫像された二体の金剛力士像があり、寺で分けられる2枚の赤紙(有料)を自分の治癒したい部分にそれぞれ貼るとご利益があるとされ、治った場合は草鞋を奉納します。他にも上野戦争のときに彰義隊が隠れたという洞窟がある田端八幡神社や、相模小田原藩大久保家と伊勢亀山藩石川家の菩提寺である大久寺、正岡子規の墓がある大竜寺など、由緒ある寺社も点在。画面だけで語り尽くせないのが田端なのです。
田端にはみどりの窓口(8~20時)に開業百周年のスタンプ(右)も設置されています(2007年1月現在)。明治29年(1896)開業で、百周年が平成8年ですから、すでに110周年を昨年迎えていますが、ただでさえ押す機会の少ない記念スタンプを、ファンのために残してくれているのは嬉しいことですね。

投稿者:管理人
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月02日

スタンプ物語23・西日暮里駅

西日暮里は山手線内で最も新しくできた駅で、営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線の乗り換え駅として昭和46年(1971)4月20日に開設されました。そのため次の日暮里駅までは500mしかなく、隣駅のホームまで確認できます。

nishinipporistamp1.jpg nishinipporistamp2.jpg

スタンプに描かれているのは、安藤広重『江戸名所百景』のひとつ「日暮里諏訪の台」です。駅から西南に100mほど行くと諏訪神社があり、この付近の台地が「諏訪の台」と呼ばれていました。室町後期に名将太田道灌が江戸城を築いた際、当地に出張りの砦を築いたので「道灌山」とも呼ばれています。諏訪の台には谷中七福神の寺院があり、諏訪神社の西にある青雲寺は花見寺と言われ四季折々の花が咲く名所でした。『名所百景』では桜の下で眼下の街並みを望む風景が描かれています。また南にある浄光寺は雪見寺と言われ、古くから家光の鷹狩りの御膳所にもなっていました。
西日暮里にはもうひとつシャチハタ形式のスタンプ(右)も保管されており、改札係員に申し出れば押すこともできます(2007年1月現在)。こちらのスタンプに描かれている「富士見坂」は西日暮里と日暮里の中間にあり、数多くある富士見坂の中では、都内で唯一富士山が見える坂となっています。 澄んだ晴れの日がチャンスだそうですが、江戸期に比べ望める機会が減ってしまったのも、時代の移り変わりを感じさせます。

投稿者:管理人
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月03日

スタンプ物語24・日暮里駅

nipporistamp1.jpg nipporistamp2.jpg

日暮里駅のスタンプは、国鉄時代の昭和55年(1980)に設置された「わたしの旅スタンプ」(右)と同じ「谷中七福神」です。現在のスタンプは七福神が描かれていますが、国鉄時代のものは日暮里駅最寄の「毘沙門天」が祀ってある天王寺が描かれています。ここで国鉄時代のスタンプを紹介したのは、日暮里駅には2007年1月現在、「わたしの旅スタンプ」も保管されており、北口係員に申し出れば押すことができるからです。管理人も2~3年前にメモ帳に押した記憶があるのですが、そのメモ帳が出てこなかったので、国鉄時代に押したものをUPしました。日付が昭和61年(1986)2月となっていますから20年前になります。スタンプは取替えなどあったとは思いますが、いまだに国鉄時代のデザインのものがあるというのが貴重です。
話がそれましたが本題に入ります。日暮里は昨日の西日暮里同様、諏訪の台にある「谷中七福神」の寺院で知られます。享保年間(1716~35)頃からは、暮れていく日のことを忘れるほど美しい「日暮らしの里」と呼ばれるようになり、現在の「日暮里」となりました。谷中七福神は東覚寺(福禄寿)・青雲寺(恵比寿)・修性院(布袋尊)・天王寺(毘沙門天)・長安寺(寿老人)・護国院(大黒天)・生池院弁天堂(弁財天)です。実際の七福神めぐりでは、弁天堂は上野、東覚寺は田端などきわめて広範囲になり、弁天堂から北上あるいは田端から南下が効率よい七福神めぐりとなります。七福神の描かれた色紙は1500円。それに各寺院で200円払うと御朱印を押してもらえます。まあ、広範囲とはいえ、実際に七福神を全部歩いて回っても2~3時間程度です。

投稿者:管理人
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月04日

『風林火山』第5回「駿河大乱」

いよいよ今川家の内乱である花倉の乱です。勘助が乱に関わっていたのは完全な創作ですが、まさか兄貞久と刃を交え、兄が自害し介錯するという壮絶なシーンとなるとは……思ってもいませんでした。ちなみに貞久というのは、静岡県富士宮市の『吉野家系図』によると勘助祖父の名で、兄は先妻の菊一郎(のち貞継)と石松・藤七の三人がいたといい、愛知県豊橋市賀茂の伝承系図では、上に清七・清助の二人の兄がいたといいます。
勘助の策略で武田氏を討つというのは、梅岳承芳(今川義元)の軍師となる太原雪斎の策で、武田氏が福島越前守に加担しなかったため、肩透かしをくらった格好となりました。この流れをみると、これまで凡庸に描かれすぎた今川義元の実像もみえていいですね。本当は聡明な武将なのに、信長関係ではいつも貴族かぶれで、デブで短足の扱いでしたから。ちなみにこの乱で勘助と刃を交えた福島越前守の嫡男彦十郎はのちに北条氏の重臣となり、氏綱に気に入られて北条姓までもらう北条綱成です。『地黄八幡』の旗で無類の強さを見せたといいますが、このあたりもドラマにからんでくるとますます盛り上がりそうですね。
ここでようやく原作小説で最初に出てくるかませ犬・青木大膳が登場します。さすがに文庫1冊分の原作だけでは、1年分のドラマは辛いため、創作を交え引っ張っているわけですね。まあ、もっとも今回は顔見せ。この先、大膳と勘助がどうやって絡むのか楽しみですが……。
史跡紀行では静岡県藤枝市の花倉城や遍照寺などが紹介されていました。花倉城はJR藤枝駅からバスで行き、さらにバス停から徒歩1時間かかる大変不便な場所です。『風林火山』の小説では関連がなかったため、こちらはまだ取材しておりません。JR藤枝駅もJRになってからはまだ下車していません。よってスタンプも写真もナシです。すいません。

投稿者:管理人
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月05日

ガンバレ銚子電鉄

tyoshidentetsu.jpg nuresenbei.jpg

 本州最東端の銚子市内を走る銚子電気鉄道は、総延長わずか6.4kmのミニ鉄道です。大正生まれの古豪・デキ3形電気機関車を始め、現在数少なくなった吊掛車が走る鉄道として、レイルファンの人気は高く、気軽に“レトロムード”を楽しめることから、江ノ電、箱根登山鉄道、小湊鉄道などとともに旅行雑誌に取り上げられることが多く旅行業界での知名度も高い鉄道です。また、(電車牽引による)トロッコ列車の運転や、鉄道事業の赤字を副業のぬれ煎餅(当地の名物)販売でカバーするなど、同鉄道の取り組みは全国の鉄道事業者の注目を集めています。
 その銚子電鉄が俄に苦境に立たされています。前社長の不祥事により借金が膨らみ、車輌検査・線路整備などの資金にも事欠くなど、存続の危機を迎えています。しかしながら、今年に入って有志が立ち上がり“サポーターズクラブ”を結成。安全対策工事に係る費用を集めるため、サポート基金の募集を行い注目を集めております。さらに、 この問題を新聞報道で知ったプロ野球・千葉ロッテマリーンズの守護神(リリーフエース)小林雅英選手も協力を申し出、名誉サポーターとして支援に乗り出したことで、一般紙のみならずスポーツ新聞でも脚光を浴びています。
 筆者も先週末、応援を兼ねて行ってきました。

komawaritegata.jpg inubostamp.jpg

 起点の銚子駅で全線が乗り降り自由の「弧廻手形」(620円)を入手。銚子と終点の外川の運賃が310円なので、単純往復だけではモトが取れないものの、その昭和的風情に浸りつつ途中下車を楽しみたい方には断然お得な切符です。さらに、同きっぷには「ぬれ煎餅」交換券、地球の丸く見える丘展望館割引券、銚子ポートタワー展望室割引券も付いており、観光客にも至れり尽くせりなのです。同鉄道の運行間隔は概ね30分間隔を保っており、時間の許す限り途中下車を楽しむことにしました。
 最初に乗車したデハ1001形は、営団(現東京メトロ)丸の内線方南町支線で活躍していた車輌(機器は同日比谷線の3000系のものに換装)で、96年に銚電入り。車齢が高いにも関わらず同線初の高性能車(昭和30年前後まで製造された吊掛車に対して使われる呼称)です。塗り替えられているので、外観上原車の面影はあまり残っておりませんが、室内には痕跡もそれなりに残っており、そんなところもなかなか楽しい車輌です。車内は立ち客(主に一般観光客)も出るほどの盛況振りで、銚子電鉄の人気を改めて実感しました。最初の駅・仲ノ町には車庫があるため、さっそく下車。入場券(硬券)を求め留置車を撮影。ここには鉄ちゃんもチラホラ。次に来た車輌は伊予鉄出身のデハ801形。モーター音、震動、古い車輌独特の臭いなどを堪能しつつ、観音駅で再度下車。ここは飯沼観音の最寄り駅であるとともに、同社直営の鯛焼店があることでも知られており、モダンな駅舎は同鉄道では異彩を放つ存在です。次の本銚子は本調子にかけて縁起の良さを売りにした記念切符も発売してます。笠上黒生は唯一の交換駅で、昔懐かしいタブレット交換が見られます。また、駅舎も昭和レトロそのもので、駅舎内は昭和20年代頃から時間が止まったかのよう。西海鹿島(にしあかじま)は難読駅名。君ヶ浜は壁のみのユニーク過ぎる駅舎で知られています。犬吠はスペイン風の駅舎で、同鉄道のグッズ売店、ぬれ煎餅店、電車レストランなどがあるほか、犬吠埼や地球の丸く見える丘展望館の最寄り駅にもなっています。筆者は終点外川から引き返し犬吠で下車。展望館、犬吠埼など一通り観光した後、犬吠埼温泉の京成ホテルへ。湯上がりに肌がトロリとする良質な塩泉で、露天風呂には源泉がふんだんに注がれています。黄昏時、紫に染まっていく海を見ながらの入浴は絶品でした。
 帰りもデハ801に乗車。乗客は終点まで誰もおらず、うなり声にも似た吊掛モーター音を心ゆくまで堪能でき、今回の小旅行の有終を飾りました。
 地域住民、レイルファン、観光客に愛され親しまれ続けている銚子電鉄。いつまでも元気に走り続けてほしいものだと改めて思いました。

銚子電鉄サポーターズのアドレス http://love.ap.teacup.com/cdksientai/

投稿者:小関秀彦(資料提供/塩見会員)
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月06日

「銚子電鉄」紀行へのコメント

昨日の小関さん投稿の「ガンバレ銚子電鉄」に旅ジャーナリスト会議代表およびブルーガイドパックで旅行出版界の頂点に君臨しましたカリスマ編集者森田芳夫氏から、大変長い長いコメントをいただきました。この貴重な投稿をコメント欄に埋もれさすわけにはいきません。ということで本日のブログは小関さんの投稿に寄せられた森田氏のコメントです。このアドバイスによって小関さんの文章はますます磨きがかかり、上達してゆくことでしょう(by 管理人)

わざわざ出かけたというだけあって、小関さんのリポートはとても温かい視点で書かれていて、暮れなずむ紫色の海を見ながら温泉入浴を楽しんだという終わりに近いくだりまで読み進んで、なぜかかジーンと来てしまいました。
 銚子電鉄の苦境は朝日新聞の千葉版に詳しく、他県に住んでいる人より県民である我々は頻度数多く情報を得ていると思います。でもなかなか出かけていかれないのはなぜだったろうかと、これを読みながら思わず自問自答をしてしまいました。

 今から35年ほど前、銚子電鉄を目指して外川まで編集仲間と乗りに行った事がありました。外川で泊ったところははっきり覚えていませんが、君ヶ浜の岩だらけの磯ににわか造りの見せもの小屋があり、電車の窓から暗がりの中にぼーっと明かりがついていていたこと、そしてそれがいかにも怪しげに見えたことが印象に残っています。今は何もないと思いますが――。あの頃はそんな違法の興行が平気で行われていたのでしょうね。
 翌日は私の嫌いな釣りをし、銚子の町へ戻って、利根川べりに近い市場へ行こうという友人を振り切って駅前のちっぽけな店で干物を買って帰りました。なにやら心貧しい旅だったようです。でもあの頃は、編集室を離れられるだけで、心豊かになったような感じていたのだと思われます。

さて、小関さんのリポートにない物ねだりをするとすれば、それは誰か駅員さんをつかまえて、支援に対する感想、過去の苦しかった思い出、これからのことなど、生の声、つまりインタヴューを聞かせてほしかったとも思いました。

いずれにせよ出かけていく行動力に敬服しました。次のブログが楽しみです。

投稿者:森田芳夫
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月07日

よっちゃんの体重ブログ第1弾

初めまして!初投稿させていただきます。ネット上では「日本秘湯に入る会」でのハンドルネームでもある「よっちゃん」と名乗らせてくださいまし。よろしくたのんます。

 突然ですが、私デブデブでゴザイマス。メタボリック対策が叫ばれる今日この頃、昨年からウェイトコントロールに励んでおります。が、食べるほうはなかなか抑えにくいので(駄目ジャン!)、とりあえず体力増強を目指し、私事ではございますが本年の目標として最低でも月に一回は山に登る事を決めました。今年は山登り、ハイキングに行く機会が多いと思いますので面白そうなところがあれば紹介したいと思います。

 もう2月になってしまいましたが、今年の登山第一号「高尾山」に先月登ってまいりました。東京に住んでいる方なら誰でも一度は足を運んだ山です。え、知らない? では以下を読んで行ってみて頂戴ね、

 新宿から京王電鉄の終点、高尾山口駅まで50分ほど。私の住まいがある府中からはわずか30分弱で着いてしまう実に気軽な山です。頂上の標高はなんとも中途半端な599.3m。ハイキング感覚で駅から全て歩いても1時間半ほどで頂上迄着いちゃいます。ヒール履きの彼女と来ても大丈夫。8合目まで日本一の勾配を誇るケーブルカーが運んでくれます。因みにリフトも併設されていて、下りに使うとスリル満点ですぞ。頂上まで舗装路のコースもあるので靴を選ばずに歩けます。

yakuoin-tengusekizo.jpg

 途中、山中にでんと構える社が関東の三大本山の一角を占める名刹「高尾山薬王院有喜寺」です。開山は奈良時代といわれています。本社前には右側に鼻の高い大天狗、そして左側には烏の嘴を持ったカラス天狗の像が立っています。高尾山の守り神に手を合わせていく人も見かけられます。薬王院を抜けると程なく頂上へ、なだらかな山なのでワイドな見晴らしは望めませんが新宿新都心から横浜方面までは一望できます。空気が澄んでいれば筑波山や房総半島まで見渡せます。

fuyusobapanfu.jpg hiyahitororosoba.jpg

 しかし、今の時期は緑も少なく参拝客も疎らです。何とか冬にも来て頂こうと考えたのでしょうか、毎年1月半ばから3月末まで、京王電鉄と高尾山の飲食店が共同で「高尾山の冬そばキャンペーン」を企画しています。駅で配布しているパンフ(写真左)には、名物とろろ蕎麦の美味そうな写真がズラリ、もちろん割引券も付いています。このイベントも今年で5周年、今月17日には臨時急行列車「高尾山冬そば号」まで運行する気合の入れようです。都営新宿線大島駅から高尾山口まで、天狗プレートを付けた急行列車が一気に走ります。予約無しで誰でも乗車できるので鉄チャンの方は是非お見逃しなく!高尾線内で乗車記念のオリジナルパスケースも配布されるようですぞ! 因みに私のお奨めはケーブルカー清滝駅正面、「高橋家」の冷たいとろろ蕎麦(写真右)、ざる蕎麦タイプではなく、温かい蕎麦用の器に冷たいツユがたっぷり注がれています。麺がのびないので喉越しも最高です。

 こんな感じで、京王線で楽々到着。ケーブルで登って頂上までハイキング、リフトで下って各店でとろろ蕎麦三昧、と言うのが冬の高尾山の楽しみ方ですねっ!ケーブルカー又はリフト乗車券とセットでお得な高尾山往復割引乗車券も京王線各駅で販売しています。 ツー訳で是非一度足を運んでみては如何でしょうか? あれれ? コレでは痩せません、残念!! (古っ!)、 次回はもう少し本格的なコースの紹介ですぅー。1月末の体重112.5Kg

投稿者:よっちゃん
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月08日

スタンプ物語25・鶯谷駅

3日続けて会員の投稿があり、アクセスもランキングもグッと上昇しましたが、本日は管理人の埋め草投稿です。山手線一周もゴールに近づいてきましたので、もうしばらくお付き合いください。

uguisudanistamp1.jpg uguisudanistamp2.jpg

鶯谷のスタンプといえば駅名の通り「寛永寺とウグイス」です。このあたりは江戸期は寛永寺の寺領でした。寛永寺は寛永2年(1625)に天海の発願で建立。京都を守護する比叡山に対し、「東の比叡山」という意味から「東叡山」ともいわれました。承応3年(1654)に皇子が入山して以来、代々皇族が門主をつとめ、「輪王寺宮」と尊称されています。鶯谷の地名はこの輪王寺宮が「江戸のウグイスはなまっておる」と云って、京都からたくさんのウグイスを取り寄せて放ったのが由来です。現在では都市化が著しくウグイスの鳴き声などほとんど聞くことができませんが、朝の時間帯は駅ホームからウグイスの鳴き声を流しています。絶大な宗教的権威を誇った寛永寺でしたが、慶応4年(1868)の戊辰戦争では、彰義隊と官軍の戦場となり、根本中堂はじめ主要な堂宇は焼失。旧境内の敷地は現在の上野公園になっています。
鶯谷には2007年2月現在、旧スタンプ(右)も保管されており、南口改札係員に申し出れば押すことができます。こちらは寛永寺と駅南口から徒歩7分のところにある狂歌「おそれ入谷の鬼子母神」で知られる真源寺の朝顔市が描かれています。当寺は「下谷七福神」の福禄寿を祀っていることでも知られ、七福神も描かれています。他は元三島神社(寿老神)・英信寺(大黒天)・法昌寺(毘沙門天)・ 弁天院(弁才天) ・正宝院(恵比寿) ・寿永寺(布袋尊)です。こちらも日暮里の谷中七福神同様、色紙(2種類あり)を購入して、有料の御朱印を求めます。こちらの巡拝も徒歩1時間ほどですので、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

投稿者:管理人
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月09日

「鶯谷駅」へのコメント

昨日の「スタンプ物語25・鶯谷駅」に旅ジャーナリスト会議代表森田芳夫氏から、貴重なコメントをいただきました。この投稿はコメント欄に埋もれさすわけにはいきませんので、本日のブログは管理人の投稿に寄せられた森田氏のコメントです。

小出さんの鶯谷駅のスタンプと解説を拝見しました。
 多岐にわたる解説に興味ををそそられ楽しく読みました。そしてあの駅スタンプが「おそれ入谷の鬼子母神」の朝顔市がデザインされていることを初めて知りましたが、この鬼子母神の「鬼」の字は、正しくは「左上の斜めチョン」が抜けているのが正しいことをご存知でしょうか。

iriyakisibojin1.jpg iriyakisibojin2.jpg
 
 上の写真をご覧ください。鬼の字が変でしょう?
 これは拝借した現場写真ですが、日本の著名な鬼子母神はほとんどこの文字を使っていることに驚きます。

 市川市中山のある名刹「中山法華経寺」、都内雑司が谷にある「鬼子母神」もこの文字を当てています。
しかし辞書にはもちろん、PCにもこの字体がないのが何やら不気味です。

「鬼から『角(つの)』を消したからこうなった」と私に教えてくれたのは、妹の亭主である国立大学の名誉教授です。もつべきは物知りの親戚です。台東区教育委員会の案内板には下記のように書かれています。

「入谷鬼子母神(きしもじん)は、日蓮上人の尊像とともにここ眞源寺に祀られている。眞源寺は、万治二年(1659)日融上人により創建された。
 鬼子母神は、鬼神般闍迦(はんしか)の妻で、インド仏教上の女神のひとりである。性質凶暴で、子どもを奪い取っては食べてしまう悪神であった。釈迦は鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させ、改心させたという。以後、「小児の神」として児女を守る善神となり、安産・子育の守護神として信仰されるようになった。
 入谷鬼子母神では、子育の善神になったという由来からツノのない「鬼」の字を使っている。
 また、七月上旬、境内及び門前の道路沿いは「朝顔市」で賑わう。入谷名物となったのは明治に入ってからで、十数軒の植木屋が朝顔を造り鑑賞させたのがはじまりといわれている。当時この地は、入谷田圃といわれ、朝顔や蓮の栽培に適していた。
 大正初期、市街化により朝顔市は途絶えたが、昭和二十五年復活。以後、下町情緒豊かな初夏の行事として親しまれている」

 これは漢字というより、仏教界が勝手に記号化して、人々に読むことを強要しているデザインなんでしょうかね――。不思議なことがあるもんです。     

投稿者:森田芳夫
人気blogランキングへ

以下は管理人の追伸です。コメント欄に写真がUPできなかったのでこちらに載せました。

zousigayakisibojinannai.jpg

以前に行った雑司ヶ谷鬼子母神もたしかに鬼の左上部分がありませんね。さすがはカリスマ編集者です。案内板のほうも「鬼」の字があとで訂正されています(分かります?)。しかし、これって作字なので編集者泣かせではありますね。ひとつ勉強になりました。

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月10日

おもしろバス停1

本日はまたまた新しい会員からの写真投稿。旅ジャーナリスト会議事務局および写真家の小川金治氏です。「路線バスの旅を考える会」の代表でもある氏は、月の大半を全国の路線バスの取材に費やしていますが、今回のバス停はというと……。

katuma.jpg

「勝馬」は「かつま」と読みます。競馬専門紙にも同じ『勝馬(かちうま)』がありますが、馬券でゲンをかつぎたい人は、ぜひ一度訪れたいですね。では何処にあるのでしょう。答えは下の写真です。

shikanoshima.jpg

はい、分かりますか? 答えは福岡市東区の志賀島です。日本史を勉強された人ならご存知かと思いますが、天明4年(1784)に「漢委奴國王」の金印が出土した島です。後漢の光武帝が冊封の印として奴国に賜ったものといわれます。光武帝というとまだ三国時代の始まる前ですね。金印は現在、福岡市博物館に所蔵されています。

お勉強ついでにぜひ明日の馬券を当てたいですね。参考になりませんが管理人が予想していますこちらもごらんください。

写真投稿者:小川金治
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月11日

『風林火山』第6回「仕官への道」

花倉の乱のあと、武田家臣・前島昌勝が福島一族を匿い成敗されたのは史実にもあります。この功で勘助は梅岳承芳から還俗した今川義元に仕官しようとするが、その容姿が禍して適いません。しかも今川が武田と同盟したことで、武田への復讐もできなくなり、裏目裏目に出る勘助。一方、信玄(晴信)は義元の母・寿桂尼の仲立ちで三条夫人と婚姻が成立します。京都の公家との交流をもとうとするのは守護大名ならではですね。ところで信玄の婚姻はこれが初めてでなく、史実では13歳のとき上杉朝興の娘を娶り、翌年身籠ったまま亡くなっています。これが勘助の思い人ミツとオーバーラップさせているのかもしれません。
勘助が仕官先を悩んでいるときに、またも青木大膳登場。北条家臣にもかかわらず乱どりをしたため駆逐され、今川への仕官を勘助に頼んできます。しかし、さすがずる賢い勘助、庵原忠胤の家臣と青木を戦わせる隙に馬を奪って相模国(神奈川県)へと逃亡。この勘助との絡ませ方がいいですね~。勘助は北条氏康の武術指南・松田七郎左衛門を通じて仕官を試みるが、そこで北条を頼って落ち延びてきた因縁の福島彦十郎と鉢合わせ。果たして北条への仕官なるかというところで次回へ。
史跡紀行では神奈川県小田原市の小田原城と箱根町の早雲寺を紹介していました。小田原城は16年前に行ったきりで、まだそのときはカミヤキでの撮影でした。もう一回撮影に行こうと思っていても、なかなか行けない現状。義経の取材で石橋山などは行っていますが。

hojosoun.jpg odawarastamp.jpg

ところでJR小田原駅前には、戦国大名北条氏の祖である北条早雲像が建っています。角に松明をつけた牛が脇に3頭いますが、これは早雲が明応4年(1495)に小田原城を攻略した際に、「火牛の計」を用いて勝利をおさめた由来からですが、この「火牛の計」というのは、『史記』にみられる斉国の田単の用いた奇計からの創作。同じく寿永2年(1183)の木曽義仲の倶利伽羅峠の戦いでもネタが使われています。田単の「火牛の計」は牛の尻尾に火をつけたのであり、角に火をつけたら牛は前に進まず後ずさりしてかえって味方を混乱に陥れかねません。それにしても3代目というのが地味なのか、北条氏康の銅像はありませんね。まあ今川義元の銅像もありませんが。ちなみに信玄像はJR甲府駅前、勝頼像はJR甲斐大和駅前に建っています。そういえば勘助の銅像も今のところ見ませんね。
あとおまけですがJR小田原駅には国鉄時代のスタンプ(右)も残っています(2007年1月現在)。消耗が激しいのでいつまであるか分かりませんが、改札窓口で申し出てください。

投稿者:管理人
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月12日

スタンプ物語26・上野駅

uenostamp1.jpg uenostamp2.jpg

「上野山下ステーション」というのは、明治16年(1883)に日本鉄道の駅として開業した当初の風景です。山下というのは西側にある上野の山のこと。正確にいえば山でなく台地なのですが、標高20mほどの高さのある上野恩賜公園は、パンダで有名な上野動物園をはじめ東京国立博物館・国立科学博物館・国立西洋美術館・東京都美術館・東京文化会館などの文化施設が点在。桜の名所としても知られ、春は花見の人出で賑わいます。
 上野といえば長らく「北の玄関口」として知られ、新幹線開業前は東北・上信越・北陸方面への列車が発着する駅でした。東北・上越新幹線開業後もその地位は揺らぎませんでしたが、91年に新幹線が東京駅まで延伸すると、その運行形態はガラリと一変。その後も山形・長野新幹線などの開業により、当駅始発の優等列車が激減したため、地上ホームも整理され、東北地方から集団就職で「金の卵」ともてはやされた若者を乗せて到着した18番線も1999年にその使命を終えました。石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』で唄われた「上野発の夜行列車」も激減しましたが、「北斗星」「あけぼの」「北陸」「能登」などが健在です。故郷が違っても故郷へ帰る旅情をかきたてられるのが上野駅なのです。
上野駅には中央改札内みどりの窓口にの新幹線とパンダと不忍池が描かれている逆三角形のスタンプのほか、「パンダの親子」「西郷隆盛と駅舎および寛永寺五重塔」が描かれた3つが設置されています(2007年1月現在)。こちらも見逃さないようにしましょう。

投稿者:管理人
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月13日

最後の活躍を続ける名鉄パノラマカー

 先日、所用で名古屋に赴く機会があり、久々に名鉄の乗り歩きを楽しんできました。我が国の民鉄では第3位の営業距離を誇る名鉄は、車輌の形式数がとても多いことでも知られており(吊掛車も残存していた20年前頃に比べるとかなり整理されてきたとはいえ)、バラエティに富んだ車輌群はレイルファンを魅了してやみません。

meitetsufree.jpg panoramacar.jpg

 今回の旅行では2日間名鉄全線が乗り放題となる「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」(3,800円)を利用して、空港特急ミュースカイ(今回初乗車)、10年ぶりとなる瀬戸線乗車、駅内での車輌撮影など丸2日間、名鉄電車と沿線名所をじっくり堪能してきましたが、なかでも特に一番印象深かったのは不朽の名車「パノラマカー」(7000形)でした。特別料金なしで見晴らし抜群の前面展望席に自由に乗れるのは全国はもとより世界でも例がなく、今なお人気の高い車輌です。これまで幾度となく乗っているのですが、何度乗っても飽きないすばらしい電車です。
 1961年にデビューしたパノラマカーの最大の特徴は運転台を2階に上げ、1階部は客席とした構造で、その斬新さはレイルファンのみならず、一般客にも強烈なインパクトを与えました。さらに、横方向に連続した大型の側窓からも、“パノラマカー”の名に恥じぬ眺望が楽しめます。登場翌年には栄えあるブルーリボン賞(鉄道友の会会員による選定)を受賞、その後長らく名鉄のシンボル的存在として君臨してきました(小田急ロマンスカーの初の前面展望車輌3100形はこの翌年の登場)。また、ダークグリーン系の塗色が主流だった名鉄の中で、現在に至るまで標準色となるスカーレット(赤)を初採用したほか、ミュージックフォン(音楽警笛)の搭載など、様々な意味において名鉄電車の礎となっています。運行開始当初は、優等列車中心の運用であったものの、徐々に普通列車やローカル線区への進出も開始。名鉄内でのオールラウンドプレイヤーの地位を確立していくことになります。
 長らく若さの衰えなかったパノラマカーも、車齢が40年を超えた頃から廃車が始まり徐々に数を減らしています。名鉄では2010年までの全廃を決定しており、乗車機会も今後急速に少なくなりそうです。

投稿者:小関秀彦
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月14日

恋人岬へ

本日何の日? St. Valentine's Dayでしたね。最近は義理人情もない時代なので、管理人などまったく無縁の世界。Give me a chocolate! 愛をくれ!なんて夢も浪漫もない話をしていてもしょうがないので、今回は連載をお休みして、こんなお話を。

koibitomisakiteikiken.jpg koibitomisakikippu.jpg

昔、おみやげでもらいました静岡県伊豆市土肥町にあります恋人岬の定期券と片道切符です。実はこの恋人岬の創造者は当会員の伊本俊二氏です。昨年12月10日のセミナー「町おこし、地域づくりの新しい知恵~恋人岬はこうして出来た」で同氏が講演をしてくれましたが、この恋人岬ができたのは昭和58年(1983)。当時、観光の目玉がなかった土肥町の観光の集客策として伊本氏が古い伝承をもとに考案。その後、愛の鐘などがつくられました。愛の鐘を3回鳴らすと恋愛が成就するといわれており、いろいろとロマンティックなおみやげが売られています。本日はたいそう賑わいをみせたことでしょう。人間、夢も希望も失い、歩みを止めると急速に老けていきますので、「青春18きっぷ」ではないけれど、いつまでも青春の心をもっていたいものですね。
ちなみにUPした定期券の期限は切れていますが、裏面にはしっかり期間の延長手続きができ、再発行もできる旨が書いてあります。いやフォローも見事!

他に管理人のコレクションから出てきたものも紹介します。

kofukuyuki.jpg koijiyuki.jpg

は昭和62年(1987)2月1日限りで廃止された国鉄広尾線の愛国から幸福行きのきっぷと、幸福駅の入場券です。幸福駅はもともと無人駅ですが、駅前にみやげ物があり入場券などが発売されています。広尾線廃止後も幸福駅は残されており、今もなお縁起きっぷが売られています。この「愛の国から幸福へ」は昭和48年(1973)NHKの紀行番組『新日本紀行』が火付け役となり、いわゆる縁起ものの走りとなった駅です。存続が決まった帯広のばんえい競馬とセットで仕掛けるのも手かと思いますが。

はのと鉄道(旧国鉄能登線)の松波から恋路ゆきのきっぷです。こちらも昭和50年(1975)にブームになり、たくさんのカップルを招聘してきましたが、2005年4月1日の能登線廃止に伴い廃駅となりました。恋路海岸と幸せの鐘などは残っているわけですが、駅の行方が気になります。きっぷなどは幸福駅同様、観光商品として残されていると思いますが……。

投稿者:管理人
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月15日

博多慕情 小料理「由美」

nakasu.jpg

 先日、博多に行って来ました。
冬の志賀島、春の陽気の能古島で、気温の差に戸惑いました。
博多は、学生時代を過ごした第二の古里です。中州の夜景を眺めていると過ぎ去りし日々が蘇り、ある店を思い出しました。中州から天神まで、金曜日の夜は多くの人々で賑わっています。懐かしい屋台も観光客で満席でした。国体道路から小路に少し入った所にある店は、小料理「由美」。見覚えのあるのれんを潜りドアを明けると、懐かしい顔のママが客席に座って、ラジオから流れるシャンソンに耳を傾けていました。突然現れた僕の姿に、戸惑いと驚きの表情でいました。
 
 「ママ、お久しぶりです。」
 「アラー、小川君じゃなかねー。」
 「すっかりご無沙汰をしてしまって。30年振りです。」
 
 僕は学生時代、西日本新聞社社会部でアルバイト(坊や)をしていました。夕方の5時から11時までで、朝刊の原稿を電話で受けたりするのが仕事でした。その直ぐ側にある社会部御用達の店が「由美」でした。
 事件があると「由美」に電話をします。社会部の記者が必ず捕まりました。僕も良く通い、青春の悩みや失恋の相談をしていました。満州育ちで気丈なママは、変な客には「あんたの来るとこじゃなかよ、帰りんしゃい。」と追い返す。
当時、清川にアパートを借りて住んでいました。西日本新聞社には歩いて通える距離で、下駄履きで歩いていました。ある夜、「由美」のカウンターで飲んでいたら、突然入って来たオカマに股間を握られました。驚いた僕は、咄嗟に肘でその腕を打ちました。当時博多には、筑豊の炭坑夫上がりのガッチリとした体型のオカマがいたのです。絣の着物を着て、頭には赤いリボン、赤い鼻緒の下駄で夜の春吉界隈を彷徨っていました。
 「あんたの来るとこじゃなかー、帰りんしゃい。」とママの一声。
オカマは捨て台詞を吐いて出て行きました。それからです。酔ってアパートへの帰路、後ろから下駄の音が付いて来ます。背中に寒い物を感じ、走って逃げました。真夜中の春吉に、下駄のカタカタと云う二重奏が響き渡りました。

yumino.jpg

 穏やかな博多の母の顔を見ながら、焼酎のお湯割飲み干しました。口の中に苦い物が残ったようでした。
           
本当に怖かった。

投稿者:小川金治
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月16日

スタンプ物語27・御徒町駅

okachimachistamp.jpg

スタンプの「湯島天神」は御徒町北口から西へ徒歩8分のところにあります。ご存知学問の神様である菅原道真公をまつる天満宮で、受験シーズンには神頼みの受験生で賑わいます。創建は雄略天皇2年(458年)と古く、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社でしたが、正平10年(1355)に菅原道真を勧請して合祀。徳川家康が江戸に入ってからは徳川家の崇敬も受けました。現在の社殿は老朽化に伴い1995年に再建されたばかりです。以前の社殿は明治18年(1885)改築のものだったので、これまた撮りそびれました。昔行ったような記憶もあるのですが……。あと湯島天満宮は梅の名所としても知られ、毎年2月上旬~3月上旬は梅まつりが行われ、本年度も3月8日まで開催しています。野点や白梅太鼓、期間限定の記念品販売ほか、宝物殿が3月4日まで特別割引で拝観できます。

御徒町の地名は江戸期に江戸城や将軍を警護する下級武士、つまり騎乗が許可されない御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来しています。現在はこの地名は残っていませんが、御徒町といえばJR御徒町からJR上野駅に向かう山手線線路の西側にあるアメヤ横丁(通称:アメ横)が有名で、とくに年末の正月用生鮮食品の買出しは風物詩といえるほどの賑わいをみせます。管理人も晦日にわざわざ参加してきました。

投稿者:管理人
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月17日

スイスのパノラマカーに乗りました

小関さんのレポートで、名鉄のパノラマカーが2010年でお仕舞いになると知り、本当に残念です。
 パノラマカーはスイスでは人気上昇中。その証拠に、ゴールデンパス(カードのことではありません。観光列車路線の愛称です)の先頭車両のパノラマカー(MOB社)の運転席下の展望座席が10年前私が乗ったときは4席だったのに、HPで見ると今は8席に増えています。

swiss-panoramacar1.jpg

 1997年7月31日、私は念願のこのシートに座り、ツヴァイジンメンからレマン湖畔のモントルーまで1時間45分を過ごし、夏のスイスの田園風景を手に取るよう眺めることができました。このシートは日本のエージェントを通して2カ月ほど前に座席予約をしたため、取れたと思われます。
 この4席は偶然私の家内を含む日本人4人で占められてしまったのです。関西から来たと思われる赤ん坊を連れた若い夫婦でしたが、特に話をすることなく過ごしました。この人たちもかなり早く予約を入れたのでしょう。

swiss-panoramacar2.jpg

 この先頭車両は写真で見るとおりサロンカーですが、先端の展望シートは右奥、ボードで遮られてた先にあります。左奥にある座席の入り口から次々金髪の乗客が覗きにきては「Ohoo!」と言っては引っ込んでいきました。
 沿線はスイスでも牧場が比較的多い地域で、特に峻険な山岳景観があるわけではなく、いわばロマンチック、それだけに退屈ともいえます。当時の記録に「喉が渇いたので後ろのサロン席へ行き、日本人の新婚カップルと思われる若い二人にしばしパノラマ席を譲る」と書いてありました。
 名鉄も4年後にまったく新しいパノラマカーを導入してほしいと思います。
 でも一番ほしいのは中央線、大糸線、飯田線、高山線ですね。それが最も手っ取り早い乗客増戦略でしょう。

投稿者:森田芳夫
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月18日

『風林火山』第7回「晴信初陣」

北条氏康との接触はあっけなく終わってしまいましたね。関東一円に勢力を拡大した3代目北条氏康が臆病だったというエピソードは、少年時代に鉄砲の音に驚き、それを恥じて自害しようとしたという話があります。意外なことですが初めて知りました。しかし、またも仕官がかないません。不思議なのは今川も北条も仕官を全面拒否するわけでなく、「間者として放つ」と云っているところです。これで勘助はドラマ上では武田・今川・北条の三重スパイになっていますから。まさか今度は上杉にも仕官を求めるのでしょうか?
武蔵・上野を経由して信濃に入り、真田郷で懐かしい葛笠村の平蔵に出会います。ここで真田幸隆登場。妻の忍芽というのは架空の人物ですが、いかにも真田忍びのくノ一といった雰囲気の名ですね。幸隆の正室は河原隆正の娘で、信綱・昌輝・昌幸の三人の子を産んでいます。まだまだ先の話になりますが。のちに真田幸隆は信玄に領地を追われ、勘助の推挙で信玄に仕えたといいますから、今回の対面はこの伏線でしょう。
一方、信玄(晴信)はいよいよ佐久海の口城攻めで初陣となります。正室三条夫人が間に入ってももはや修復できない信虎・信玄の親子関係、今回のストーリーは『巧名が辻』に比べてもいい展開になっています。ただ、関西に無縁なので向こうの視聴率が心配……。
史跡紀行では真田の郷を紹介していました。以前は真田町だったのですが、2006年3月に上田市に編入されました。真田郷は真田発祥の地として知られゆかりの史跡が点在していますが、上田市ということで強引に上田城までひっぱりました。上田城は子の昌幸の代からなのですが。
上田城は二度ほど行ったことがあるのですが、デジタルで撮影しておらず、真田郷はまだ未踏の地。ということで今回は写真がないので、上田駅のスタンプを紹介します。

uedaekistamp1.jpg uedaekistamp2.jpg uedaekistamp3.jpg

上田駅といっても、JR(長野新幹線)・しなの鉄道(旧信越本線)・上田電鉄(旧上田交通)の3つの会社にそれぞれ駅改札がありますので、同じ上田城のデザインでも3カ所にスタンプがあり、しなの鉄道と上田電鉄の駅は改札係員に申し出れば押すことができます(しなの鉄道・上田電鉄は2種類あり)。このように鉄道会社が複数ある駅は、会社ごとにスタンプがつくられている場合もありますので、ひとつ押しただけで満足せず、面倒でもそれぞれの駅係員に尋ねてみたほうがよいのです。

投稿者:管理人
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月19日

スイス鉄道の雄・RhB(レイティッシュ鉄道)

 森田先生のゴールデンパス旅行記を受け、スイスの私鉄RhB・レイティッシュ鉄道をご紹介します。RhBは私鉄王国スイスの中にあって最も規模が大きく、沿線にはダヴォス、サンモリッツなど国際的保養都市を有し、さらに「氷河急行」(FO・BVZと共同運行)「ベルニナ急行」などの人気の列車を有することから、レイルファンのみならず観光客にも人気の高い鉄道です。日本の旅行会社もこの2列車をツアーに組み込むことが多く、筆者が4年前にRhBを乗り歩いた際にも日本人ツアー客と乗り合わせることが多かったことが思い起こされます(さすがにローカル列車は地元民が多かったのですが)。
 RhBはスイス東部のグラウビュンデン州に主要4路線を有し、総延長は約415km。軌間は1000mmで、スイス国鉄(軌間1435mm)と比べると車輌もやや小振りな印象です。車輌は電気機関車が牽引も客車列車が主流(一部電車もあり)で、普通列車は終着駅での機関車の交換作業を省略するため、制御客車と呼ばれる車輌を連結しプッシュプル方式で運行しています。
 さて、「氷河急行」はサンモリッツ・ダヴォス・クールとマッターホルンの表玄関ツェルマットを約8時間かけて結ぶ列車で、その名の通り(最近は地球温暖化の影響からか後退はしているものの)車内から雪を戴いた山並みや青みがかった氷河の風景が楽しめることで知られています。また、牧草地の黄緑の斜面が延々と広がる様子もいかにもスイスという趣きです。さらに、スイス鉄道屈指の撮影ポイントであるランドヴァッサー橋の絶景も楽しめます。乗車するなら絶対に1等のパノラマ客車がお勧めなのですが、ハイシーズン(6~9月頃)は予約は困難を極めます(2等車でも、もちろん風景は十二分に楽しめますが)。また、この列車の食堂車で絶景を肴に味わうワイン(勾配対策のため底面が斜めになった特注ワイングラスが使われています)は最高の一語に尽きます。
 もう一つの人気列車「ベルニナ急行」は、クール・ラントクワルト・サンモリッツとティラノ(イタリア)を約2時間半~4時間で結ぶ列車で、こちらも氷河急行に負けず劣らずすばらしい風景が楽しめる列車です。車窓からは4000m級の山並みや氷河などに加え、青白く光るビアンコ湖など息を飲むほどの美しい風景が連続します。また、最大高低差が1800mを超えることから植生の変化が目まぐるしく、沿線の建物も(特にイタリア語圏に入ると)大きく変化していく様子が見て取れまったく退屈しません。
 一方、クールからアローサを結ぶアローサ線も他の路線と比べれば若干地味なイメージも無きにしもの感はありますが、それを補って余りある派な塗装の車輌が彩りを添えています。レイルファン的にはクール出発直後の併用軌道区間(路面電車のように道路上を走行する区間)が大きな見所ですが、沿線のシャレー風の駅舎や、鬱蒼とした森林もスイス気分を盛り上げます。
 ところで(異論もあるかもしれませんが)、RhBの東の幹線エンガディン線の沿線風景はどこか日本に似ているような気がします。畑地、小川、田舎道、小集落、木製の古い橋など日本的箱庭風景が続き、強い郷愁を感じたことがありました。
 RhBの沿線にはどこも整備されたハイキングコースが数多くあり、山歩きがお好きな方にもぜひ訪れることをお勧めします。

レイティッシュ鉄道の公式ホームページ http://www.rhb.ch/

投稿者:小関秀彦
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年02月20日

スタンプ物語28・秋葉原駅

会員の投稿がちらほら見られるようになり、埋め草連載もかなり飛び飛びになってきました。さすがに毎日書くのはしんどいのでありがたいことです。なお、まとめて連続で読みたい方は旅じゃBLOGの「スタンプ物語」のカテゴリーからお入りください。もちろん各投稿者の文章も個別で見られます。

akihabarastamp1.jpg akihabarastamp2.jpg

今回の秋葉原はスタンプの内容が変わった珍しい例です。ご存知の通り、長い間親しまれてきた交通博物館は、老朽化とバリアフリー対策などもあって2006年5月14日をもって惜しまれつつ閉館となりました。の旧スタンプは2005年に交通博物館へ行った際に博物館のスタンプとともに押した記憶があるのですが、そのメモ帳がとうとう出てきませんでした。真剣に掃除でもすれば出てくるかもしれませんが、とうとう本日がきてしまったのです。よってまだ古いスタンプが掲載されているスタンプ台からその画像を起こしました。ご了承ください。
秋葉原の交通博物館は昭和11年(1936)4月25日に万世橋駅跡を利用して開館。その後、70年にわたってたくさんのレイルファンが訪れました。日曜だけオープンする資料室には、貴重な本がたくさんあり、僕も卒論や本の編集のときにお世話になった記憶があります。研究者と思われる人がたくさんいて、異様な雰囲気でしたが、コピーサービスがないのが非常に残念でした。あとゲームで人気になった運転シミュレーション「電車でGO」のはしりでもありますし、鉄道だけでなく交通全般の展示物があるのが魅力でした。本年10月14日には埼玉県さいたま市に鉄道博物館が開館予定ですが、交通全般でなく鉄道に限定されてしまうのが残念でなりません。鉄道以外の展示物は公開予定がなく、専門博物館からの依頼があれば貸し出すことも検討しているとのことですが、公開される可能性は極めて低く、このまま宝の持ち腐れになってしまうのではないかと心配です。
前置きが長くなりましたが、秋葉原のスタンプは昨年の「万世橋とITの街」に生まれ変わりました。と同時に2005年のつくばエクスプレスとヨドバシAkibaなどの開業に伴い駅自体も大変貌を遂げ、駅ビルに入っていたアキハバラデパートも昨年末をもって閉館されました。駅周辺には電気街が広がり、パソコン部品などがヨドバシカメラなどもよりも安く買えるので管理人もしばし訪れます。まあ、『電車男』の流行もあったのちは元祖オタクたちも遠のく傾向にありますが、それでもメイド喫茶やいわゆるアキバ系アイドルなどで賑わっています。
この秋葉原、明治2年(1869)暮れに、明治天皇の勅命で現在のJR秋葉原駅構内の地に神社を勧請。江戸時代に火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていた神仏混淆の秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々が「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火災時に緩衝地となるよう空き地とされていた社域を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことに由来しています。その後、明治21年に日本鉄道延長に伴い移転し、秋葉神社となりました。
駅名は正式には「あきはばら」なのですが、神社は「あきば」、さらに下町訛りや略称なども「あきば」と呼ばれることから、現在でも「あきばはら」と混同している人が多いようです。

投稿者:管理人
人気blogランキングへ

※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。(文字量は400~800Wが目安ですが基本的に自由です。たくさん書いていただいた場合は、複数日に分けることもできますので。おもしろ・びっくり写真などに簡単なネームだけでも全然OKです)。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします。(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)