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2007年04月 アーカイブ

2007年04月01日

『風林火山』第13回「招かれざる男」

取材に出かけておりましてすっかり更新が遅れましたが、ビデオを見たのは明け方4時過ぎになっていました。
前回に引き続き猛将・原美濃守虎胤との対決です。しかし、勘助、実力では勝てないと悟り、策を弄して船上での対決を望みます。まさか『甲陽軍鑑』にも記された塚原卜伝の無手勝流をパクって、小島に置き去りにするのかと思えば違いました。しかも脚の不自由なはずの勘助が義経並みの八艘跳びならぬ大ジャンプをしているかと思えば、船底に穴をあけて原美濃守に戦わずして勝ってしまう。
その頃、晴信に二人目の男子・次郎(信親)が生まれますが、疱瘡にかかって失明。ちょうどその頃、勘助が三条夫人に出会いますが第一印象悪し。しかも「武田家に災いをもたらす」と晴信に語ります。まあ、歴史の史実として三条夫人の嫡子義信が自害したので、勘助の推した諏訪御料人(由布姫)の子四郎勝頼が武田家を継いで、結果的に武田氏は滅亡するわけですが、こんな40年先の結果を暗示するなんて三条夫人は予言者か細木数子ですか。第一、義信自害は勘助亡きあとの話ですし、そのあとの遺言で頭領代理なんて変な地位を与えて、家臣団の統率をとれなくしたのは晴信さん、あなたですよ。ここまでのちの歴史の結果を結びつけてしまうとちょっと気味悪いです。
一方、上野に逃れていた真田幸隆ですが、ここで「信長の野望嵐世記」で高評価されている長野業政登場。なんかイメージと違うな……。この年代では業政は50歳過ぎているわけですから。この長野業政が関東管領上杉家の支援でいよいよ佐久に侵攻するわけです。長野業政と勘助の軍略合戦が見られるとおもしろいのですが期待できそうもありません。諏訪頼重のほうは勝手に佐久に侵出しているし。またまた慌しい展開になってきました。
史跡紀行では、甲斐五山の法泉寺・能成寺・東光寺・長禅寺・円光院を紹介していました。実は先週の予告通り前日3月31日に下部温泉へ取材に行ったのですが、残念ながら甲府での滞在は1時間もなく、駅前の「甲州ほうとう小作」でほうとうを食したにとどまりました。写真はカレーほうとうです。ほうとうは作るのも、食べるのも時間がかかるので1時間くらいはみておきましょう。

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なお、今週末の4月6~8日が2007年度の「信玄公祭り」です。7日(土)には内野聖陽・市川亀治郎氏のトークショーも行われるそうですから、大河ファンは要チェックです。「青春18」もまだ使えますのでチャンス! 詳しくはhttp://www.yamanashi-kankou.jp/shingen/schedule.htmlへ。

投稿者:管理人
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2007年04月02日

「路線バスの旅を考える会」から新刊案内

旅ジャーナリスト会議事務局の小川金治氏および会員紙『トルヌス』編集長・多賀泰彦氏が別に主宰する「路線バスの旅を考える会」からこのたび新刊が発売されました。

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『路線バスで旅に出る!』(三推社・講談社刊)
3月27日発売。A4版 116P(4色98P・1色16P)1905円(税別) 購入
制作編集:「路線バスの旅を考える会」

日本の美しい風景を走る路線バス40路線を紹介。

花の咲き乱れる高原へ
荒波の押し寄せる岬へ
ローカル線の終着駅から更にその先の日本へ
路線バスは日本再発見の旅に誘う
日本列島の隅々を走る路線バスは
新幹線や高速道路が交通の動脈ならば
公共交通の毛細血管といえる
車内ではその土地の方言が飛び交う
路線バスは土地の人々の生活を運ぶ足であり
人に最も優しい乗り物である
変化に富んだ日本に出会う旅
路線バスで旅に出よう

            旅の誘いより

特集「路線バスで行く世界遺産」6路線を紹介。
「路線バスで海辺の旅に出る」
「路線バスで高原・里の旅に出る」の3部構成。
1色ページは「バスものしり辞典」で路線バスを楽しむ知識やお得なキップを紹介。間貞麿氏の「路線バスで日本縦断」はバス旅の新たな魅力を提案しています。

投稿者:路線バスの旅を考える会
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2007年04月03日

お江戸サクラだより3

この季節雨が多く、すでにお江戸のサクラは青葉が見えはじめていますが、撮影した写真がありますので、もう少しサクラだよりにお付き合いください。

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昨年の写真になりますが、文京区のサクラの名所・播磨坂です。道路の両脇にサクラ並木が続き、サクラのトンネルを抜けるようです。

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こちらも昨年の写真ですが板橋区の加賀公園です。旧加賀藩前田家下屋敷の築山の公園はサクラの本数は少ないのですが、すぐ脇に石神井川のサクラ並木が続き夜桜で賑わいます。三脚がなかったので近くの台に固定して撮りました。

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3月30日に撮影した江戸川公園です。地元の出店はフランクフルトやジュースが100円となんて良心的。ちょうど週末ということもあり、すべて夜桜の場所は予約済みでした。でも、夜は結構冷えますよ。風邪引かないように。

投稿者:管理人
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2007年04月04日

お江戸サクラだより4

土砂降りで残りのサクラも涙のように散ってしまった印象。さて、本日は読者からの初投稿です。

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北区の音無橋の架かる音無親水公園です。昨日の加賀公園から石神井川のサクラ並木が続きます。この付近は石神井川の旧流路にあたるのですが、親水公園として改修されました。

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江戸時代からサクラの名所で知られる飛鳥山です。都電荒川線が山を迂回するように併用軌道を走ります。もうツツジも色づいていますね。

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最後は豊島区駒込の六義園のシダレザクラです。右のスタンプは管理人が提供しました。こちらもシダレザクラが描かれています。以下は読者の上田さんからの投稿です。

「青空のもと、桜を撮る」
私にとってこれがなかなか難しい。自然条件と当方の物理(?)条件がなかなか一致しないのである。桜の花の状態がよいときに晴れなかったり、晴れていても仕事で時間が取れなかったりと……曇りの日の桜は何となく元気がなさそうに感じて今ひとつ。桜を主役で撮るときは、人が少ない早朝がいいことがやっと分かった。来年は朝5時起きで撮ってみようと思う。

どうもありがとうございました。

投稿者:上田
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2007年04月05日

危うし! クッピーラムネ

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カクダイ製菓のクッピーラムネは、全国の駄菓子屋でも見られるラムネの王様といえるでしょう。ナゴヤ国にはグリーン豆やエビピーナッツでおなじみの春日井製菓もラムネを出しているのですが、こちらは袋菓子で、子どもにもっとも馴染みのあるのがクッピーラムネです。なんせ僕の時代は10円、兄の時代は5円という安さで、現在でも市販のものは20円か30円(箱型)です。
製造が昭和25年(1950)というからなんというロングセラーでしょう。可愛らしいウサギとリスのイラストも昔からのトレードマークになっています。ナゴヤ国は駄菓子の製造会社が多いことで知られますが、この由来はこちらを見ていただくとよく分かります。
http://www.aichima.net/nazo/01_dagashi/index.html

子どもの舌を支配し続けたカクダイのクッピーラムネはついにお土産バージョンも登場。ナゴヤ限定であのリスとウサギさんが「クッピーラムネは名古屋生まれ」「名古屋のことはまかしてちょ~」とセリフまで入っています。おみやげバージョンはラムネの粒も大きく、フルーツ味ということでカラフルなラムネが入っています。他にも10円ラムネが100個入った箱入りバージョン(1050円)もあって侮れません。そんなカクダイ製菓のクッピーラムネはおいしくて大好きですが、このラムネ界に強敵が現れたのです。
奈良県生駒市にあるイコマ製菓本舗のレインボーラムネです。こちらは小さな工場で生産しているだけなのですが、1㎏が500円(ネット通販は750円)で、朝開店と同時に長蛇の列で、一人2袋までと限られています。品切れ次第終了となり、午前中にはすぐに閉店になってしまう人気ぶり。こちらは球型のラムネですが、中は空洞でなくしっかりラムネがつまっていて、関西では有名になっています。僕も一度おすそ分けをもらったのですが、止まらなくなる美味さでした。たぶん毎日食べれるのであれば、確実に肥満する恐ろしさもあります。クチコミで広がったためか注文が殺到し、ついに生産が追いつかなくなって現在は販売中止になっています。たしかにいくら美味しくてもお客のニーズに応えられないのであればお菓子の頂点に立てないのですが、イコマ製菓本舗というのはそういうことには無頓着なのか、とくに生産や販売を拡大することなく、淡々と毎日生産している様子。だとしたら通販はさすがにまずかったか。このレインボーラムネが全国に出回らない限り、カクダイ製菓のクッピーラムネの地位も安泰ではあるのですが……。

投稿者:管理人
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2007年04月06日

増上寺徳川家霊廟公開は4月8日まで

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本日は港区芝にある徳川家の菩提寺・増上寺の御忌大会に行ってきました。御忌(ぎょき)とは、浄土宗の祖法然上人の忌日法要のことをいい、2007年は4月2~7日に行われます。この期間中にさまざまな催し物が行われるわけですが、なかでも一番の目玉は徳川家の霊廟公開です。

tokugawakebosyo.jpg zojojistamp1.jpg zojojistamp2.jpg

当寺の霊廟に埋葬されているのは、2代秀忠・6代家宣・7代家継・9代家重・12代家慶・14代家茂の6人の将軍。2代秀忠と6代家宣は夫妻で合祀されているほか、静寛院和宮(家茂夫人)の墓、さらに綱吉生母の桂昌院はじめ5人の側室および6代家宣の父・甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女ら計38名が葬られた合祀塔もあります。
公開期間中(本年度は4月2~8日)は、門の入り口で墓の案内資料が配布され、墓参りに訪れる人があとを絶ちません。霊廟公開は4月8日(日)までですので、ぜひこの機会に訪れてみてはいかがでしょうか。ちなみにスタンプも3つありました。あと残りひとつが見たい方はこちらへ。

投稿者:管理人
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2007年04月07日

お江戸サクラだより5

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昨日に引き続き増上寺のサクラを紹介します。連日の土砂降りでもうサクラも散ってしまったものと思っていましたが、境内のサクラはまだまだきれいでした。もちろん神聖な場所なので宴会などはできませんが、御忌大会の行事に花を添える形です。

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徳川家墓所からの東京タワーです。さすがにこちらは葉桜気味でした。もう少し早く行ったほうがよかったのかもしれませんが、この季節は天候が悪く、青空もなかなか出てくれません。この日も午後からは曇空になってしまいました。写真右は境内にある千躰子育地蔵尊です。かわいい地蔵様にカラフルな風車が添えられ、サクラ吹雪とともに風車がいっせいに回ると、きれいなことはたしかですが、なにか世の儚さを感じてしまいます。

投稿者:管理人
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2007年04月08日

『風林火山』第14回「孫子の旗」

今週はビデオを撮り損ね、14日(土)の再放送でようやく観ることができました。
真田幸隆が関東管領の助太刀を得て、佐久侵攻で長野業政と勘助の戦いを見られると思いきや、諏訪頼重が晴信との盟約を破って勝手に迎え撃ち、和睦するという拍子抜けの展開。真田の出番っていったい……。勘助は諏訪攻めのため、諏訪一族の高遠頼継と結ぼうと画策。教来石景政(馬場信房)と高遠に出かけることになります。その前に勘助が晴信と一緒に今度は湯村温泉に入っている。ここで孫子の目をとく勘助に対し、晴信が「ばーか」の一言。うう、くだらない。
とくに今回は話が飛びすぎる印象の回でした。信玄堤の工事をはじめるときに、なぜかここで春日源五郎が登場するし、三条夫人は「お前様の中に左様に非道な物が有ったとは」などどアホなことを言い出すし……。そして諏訪湖の御神渡りで勘助と由布姫が初めて出会い、勘助の第一印象が「あの娘の命は絶たねばならない」とは唐突すぎ。で、最後にあの有名な孫子の「風林火山」の旗が武田氏の軍旗となる。うーん、すごいまとまり悪いです。
最後の史跡紀行では甲州市塩山の菅田天神社と雲峰寺を紹介。風林火山の旗がらみだったのですが、こちらも物語の舞台とは関係なく、強引さがぬぐえません。信玄堤の場面があったので、山梨県甲斐市の信玄堤か諏訪湖の御神渡りを紹介すればよかったのですが、御神渡りは季節が違うので紹介しなかったのでしょうか? それとも今年は暖冬で見られなかったからなのでしょうか?

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ということで今回は塩山駅のスタンプを紹介します。左のスタンプは国鉄時代の「わたしの旅スタンプ」のものですが、消耗が激しく廃棄寸前のところまで来ています。右は八王子支社の小型印で状態もいいです。塩山駅や山梨県内の中央線の駅には、現在風林火山のスタンプラリーの印も置いてあります。ぜひこの期間中に集めてみてはいかがでしょうか。

投稿者:管理人
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2007年04月09日

新幹線を運転する2

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温暖化現象が進んでいるせいなのか、今年は、我が家の近く薩埵(さった)峠から望む冷ややかな日にくっきりと輝く富士山の姿の見える日が、少ないですね。峠近くに咲く桜も、天候のせいか夜明けの行灯のようにいつの間にか咲いて散っていくようです。

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さて新幹線を運転するバート2!季節は春。新幹線の沿線も、桜、菜の花、そしてれんげ草が咲き、運転台からの景色も180度花のパノラマでとても見晴らしが良く。と言いたいところですが、しかしこの季節、美しい花畑に群がる虫たちも多く、高速で走る新幹線電車の前はたちまち虫の雨かカーテンか。プチプチプチと、前面ガラスに当たってきます。運転士は、ウオツシヤー水を出してワイパーでガラスを洗い視界を確保しながら運転をして行きます。

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タイトルフォトは30年ほど前の富士山をバックに走る0系新幹線。0系が走る当時は、防音壁もなく、れんげ草が一面に咲きほこり、スカッとした風景でした。横から見る0系のフォルムはノスタルジックで懐かしいですね。700系のアヒル顔や500系の鋭いウエッジ顔と比べ優わな顔つきで、さしずめ仏顔と言うところかな??ところで、0系のこの先頭部分の中に結構広い空間があるのです。正式には運転室機器室と言うのですが、4畳半ぐらいの広さがあり、椅子も用意されています。業務で移動する職員がよく利用する部屋で、国鉄に入社仕立ての頃、私は、旅や帰省で新幹線利用の時、運転士に頼みよくこの通称ボンネツト室に乗せてもらいました。薄暗く外の景色も見えませんが、業務扱いで乗車させてもらっていたのでかなりの旅費の節約になった思い出があります。700系など新規車両にはこの室はないようです。
今、運転はすべて1人乗務で、東京~新大阪、最短2時間半、生理現象もままならず、乗務前から体調管理をするようです。国鉄時代は、ひかりは運転士2人乗務で、交代をしながら東京~新大阪を運転をしていました。トイレはもちろんのこと、食事交代もできたし、眠気覚ましのためか、社内販売のかわいいレディたちが必ずコーヒーなどのドリンクサービスに運転台を訪れてくれるなど、現在の新幹線運転士勤務と比べると夢のようでありました。これから0系運転当時にタイムスリップをして、当時の東京~新大阪間の運転旅日記を綴っていきます。パート3につづく。

投稿者:にわあつし
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2007年04月10日

多摩の桜も見事に咲きました

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先月27日にはまだ咲いていなかった町田市、上小山田地区の一本桜、先週見てきました。ちょうど満開でした! 毎年ころあいを見て訪れていますが、今年も見事に咲いております。私はどちらかというと並木のように沢山植わっているよりも、広々とした景色の中に一本ドカッと鎮座ましている様な桜が好きです。相変わらず小鳥の鳴き声と農村の仕事風景の中で暫し癒されておりました。

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今回は前回見過ごした鶴見川源流の湧水池も周って来ました。鶴見川といえば、昔からドブ川だのハゼ食べたらヤバいだの、六価クロム、PCBが出ただのと、下流域では良いことが無い河川で有名ですが、さすが町田市の奥。源流域では湧き水の泉も飲めるほどです。付近では今でも蛍が舞う事も有るそうです。東京の周辺の河川では何処も下流域は未だに水質が良くないようですが、上流域の鮮烈さをできるだけ維持できる管理を行って欲しいものです。今回は天気が余り良くなかったので写真がいまいち綺麗に写っておりませんでしたが、現地は宅地造成が迫るなかでもなかなか自然が残っている場所です。散策も楽しめると思います。お近くの方はぜひ足を延ばしてみてください。
因みに今回の体重!4月になってやっと111㎏。ゾロ目です。目指せ二桁!どうなるかのぅー

投稿者:よっちゃん
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2007年04月11日

対応の悪さが目立った樽見鉄道

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4月7日、取材で岐阜県の樽見鉄道へ行ってきた。目的は終点樽見から徒歩15分の淡墨桜。継体天皇のお手植えと伝わり、樹齢1500年といわれるサクラの古木である。散り際に独特の淡い墨色になることから、この名で呼ばれ、三春の滝桜(福島県三春町)、実相寺の神代桜(山梨県北杜市)とともに日本三大桜で国の天然記念物にも指定されている。また、作家の宇野千代が保護を訴え、活動したことでも有名だ。
樽見鉄道は昭和59年(1984)に国鉄樽見線から第3セクターの樽見鉄道に転換。当時は美濃神海(現・神海)までしか開通していなかったが、昭和63年(1988)に樽見まで延伸。毎年約10万の見物客を集めるという1本の淡墨桜への輸送手段としても大いに活躍する。例年この淡墨桜の開花期に合わせて、臨時列車を多数運行する桜ダイヤを組んでいたが、昨年は貨物輸送の打ち切りや客車の引退などもあり、この桜ダイヤを組んでおらず、不景気で存続の岐路に立たされていることは聞いていた。

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ところが本年度は桜ダイヤが復活したので、16年ぶりに再訪することになったのだ。しかし、噂は前々から聞いていたが、大垣駅から目的の列車に乗ろうとして閉口した。せっかくのかき入れ時というのにレールバス1両の運行。職員は「もういっぱいだから次の列車に乗ってくれ」という。30分待ちでなんとか次の列車に乗れたものの、こちらも1両で超満員。またまた積み残しが出て、乗れなかった人は次の列車まで1時間近く待たされることになった。桜シーズンの積み残しは都電荒川線でも見られた光景だが、次の電車まで5分待ちですむのとはわけが違う。
結局、僕の乗った列車は本社のある本巣で1両増結して急場をしのいだが、なぜ起点の大垣で最初から2両編成で運行しないのか、車内の乗客からも不満の声が相次いでいた。16年前に訪れたときはまだ開業フィーバーの最中だったかもしれないが、お花見列車「うすずみファンタジア号」の客車が3両編成で運転され、楽々座れたばかりか、お花見弁当も販売されていた。しかも車内は宴会ができるようテーブル付に改装されており、樽見までの汽車旅を大いに楽しんだ。だが、その後、地元の友人ですら「超満員で疲れるからもう行きたくない」との声が聞かれた。
もちろん車両の老朽化などの事情もあって、昔どおりにいかないのは百も承知である。しかし、せっかく観光の目玉となっている淡墨桜への輸送手段で、しかも土休日ともあれば1両で対応できないことくらいは、例年の輸送実績で分かっていたはずだ。たとえ乗客が座れないにしても、1両と2両では車内の混雑度や不快感は全然違う。駅から15分歩くのに対し、観光バスやマイカーでは近くの駐車場まで行けてしまうので、淡墨桜のリピーターがこちらに流れてしまう可能性は高いのだ。シーズン中は列車の時間に合わせて駅から淡墨公園までのシャトルバスをもうけ、100円程度の運賃をとるだけでも結構な実入りがありそうな気がするのだが……。
先日、会員のK氏も第3セクターの某鉄道の取材に出かけた際、あまりの食事のまずさに閉口したと云っていた。客が来るからという便乗商売に甘んじていないだろうか。クレームの類はまず書けない旅行ガイドブックに対し、ネット上でのクチコミは恐ろしいほど伝達も早い。もちろん単なる荒らし目的の悪口もあるだろうが、大半は当たっていることが多い。結局、それを嫌味ととるか、改善手段のアドバイスととるかは各施設次第になるのだが……。
不況にあえぐ第3セクターもただ「助けてくれ、乗ってくれ」の他力本願ではなく、本当に観光客を増やすための方策が正しいのか。もう一度見直すべき時期に来ていると思う。

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投稿者:管理人
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2007年04月12日

新幹線スタンプラリー実施中

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本年4月から来年3月まで、JR東日本では同社発足20周年記念キャンペーンとして、「新幹線スタンプラリー」を実施中です。これは、東北、上越、秋田、山形、長野の各新幹線の各駅と首都圏地区の各駅のスタンプを1個ずつ・計6個スタンプを全部集めると、ファン垂涎の鉄道グッズがもれなく当たるというもので、賞品の魅力も相まって人気を集めそうな企画です(スタンプ用紙は現在JR各駅で配布中です)。
賞品は3カ月ごとに変更されるのですが、4~6月はアクリルケース入りのミニチュア駅長制帽、7~9月はFASTECH360の形を模したUSBフラッシュメモリ、10~12月は「はやて」(E2系1000番代)のスリッパ、来年1~3月は新幹線の側面が印刷されたオリジナル懐中時計となっており、レイルファンならずとも欲しくなる魅力的なアイテムが揃っています。また、3エリア達成の場合には抽選で20,000名(応募者多数の場合)に、こちらもファン好みの鉄道グッズが用意(6エリア達成の場合と同様3カ月ごとに賞品が変わります)されているので、時間的に余裕のない人にはこちらがおすすめ。首都圏在住の方であれば、大宮(首都圏エリア)、小山(東北新幹線エリア)、熊谷(上越新幹線エリア)の3駅を廻れば達成できるので、週末に小旅行を兼ねて“押し鉄”の旅を楽しんでみるのもいいかもしれません。
一方、6エリアをめざす場合最大の難関となるのは、土日きっぷ(18,000円で北東北を除くJR東日本の全線が乗り放題となるきっぷ)が使えない秋田新幹線区間ですが、筆者もスタンプ蒐集をライフワークとされている管理人氏とともに、ぜひチャレンジしてみたいものです。ところで、本企画の応募要項には同一人物による重複応募を禁じてはいるものの、仮に架空名義で応募したとしても、(同一人物による応募か否かを)チェックすることはなかなか困難であるかと思われます。一人で何十枚も押しまくり友人の名義を借りるなどして大量に賞品をゲットし、ネットオークションなどで売りさばくような不逞の輩が出て来ないことを祈らずにはいられません。

投稿者:小関秀彦
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2007年04月13日

名古屋駅のきしめん

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ナゴヤ国のグルメでもメジャーなのがきしめんです。ただ、あまりにもB級すぎて名物とはいい難いのも事実。一般的なうどんよりずっと平らな麺で、茹でる時間を節約するため考案されたといわれますが、江戸期からあったようでその語源などにも諸説あります。
ナゴヤ国の食堂ではうどん屋と書かれていてもきしめんはまず置いてあり、濃いツユがご飯にあうので、ご飯とセットになったきしめん定食なんてものもみられます。また、駅の立ち食いスタンドにはそばやうどんもありますが、やはりメインはきしめん。油揚げにカツオ節がぶちまかれ、ヒラヒラと揺れるカツオ節は子ども頃は生きているのでは思うほど不気味にみえました。さて、きしめんのうまいところというと、とくに店舗で言及できるところはなく、クチコミで広まっているのが名古屋駅のきしめんです。管理人も鉄道で帰省するととくに腹も減っていないとも、ついおやつ代わりに食してしまうのです。管理人のおすすめは名古屋駅のホームでも昔ながらのスタンドが残っている名代きしめん。各ホームの最端にきしめんスタンドがあり、昔はすべてこのスタンドだったのですが、JR化後、別の店にとってかわられ、現在は一箇所だけになっています。ただ、別のサイトでは新幹線ホームのきしめんスタンドをすすめるところもあります。
名古屋駅のきしめんスタンドは7時~21時30分の営業。写真のスタンダードのきしめんで340円。手ごろな値段で味わえるのもいいです。でも本当のきしめんはネギの代わりにポパイのホウレン草が入っています。これは熱田神宮にある宮きしめんがありますが、これについてはまた別の機会に紹介したいと思います。

投稿者:管理人
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2007年04月14日

新幹線を運転する3

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0系アーカイブ、これから東京~新大阪間ひかり号の運転をしていくのですが、その前に、新幹線電車運転士になる道筋を教えます。私が現役の運転士だった当時の国鉄時代は、初めに、国鉄新幹線総局の登用試験を受け運転部門に入社。最初に整備掛という、雑役の仕事からスタートしました。次に、電車掛・電車の修理部門で働き電車の構造など覚え、2年9カ月で憧れの新幹線運転士の登用受験資格がつきます。そして年に1度、東京運転所管内で10数人程の運転士募集に応募、受験をしたのでした。整備掛から電車掛へ、そして運転士とすべてに学科、適性試験がありました。特に運転士登用試験は4次までの適性試験がありかなりの倍率だったのを覚えています。

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そして運転士試験合格後、半年間学校、半年間見習いの後、一人立ちになる3駅区間の実馳試験にクリアーして、正式に運転士となりました。写真は0系教本、ATC信号表示地点表、運転日誌です。当時の運転士職場は、元SLの機関士など、運転にかけては根っからのプロの運転士が揃っていて、新幹線開業に伴い転換してきたポッポ屋ばかりでした。

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さて今の新幹線運転士登用の道。JR登用試験で入社後、駅勤務、その後車掌を3年程経験後、1年に一度10数名程の新幹線運転士募集に応募し、採用されると、晴れて運転士になるのです。しかし、ずーっと運転士をしているわけではなく、再び駅に降りて、営業の仕事をするという、何でもしなければならない環流システムなのです。また、運転士登用の試験は適性検査のみだそうです。今、JRはオールラウンド勤務の時代。0系の時代は、運転士は運転する電車と運転だけの道を一筋に、プロ仕事士の駆け抜けていった時代でした。写真は、これから運転する0系電車の運転グッズです。制帽、時計、業務で使用する腕章、制服の袖に付けるワツペン、乗務日誌・JR用、新幹線運転免許証―JRになってから個人貸与、そして手前の銀色に光る棒が、電車を動かす鍵!ブレーキ弁ハンドルです。自動車でいえばキーを回す、つまり、このハンドルを運転位置におくことにより、人間でいえば動脈に値する、103線・直流母線に電気が流れ電車は出発準備OKとなるのです。さあ、東京駅から出発しよう。
パート4につづく。

投稿者:にわあつし
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2007年04月15日

『風林火山』第15回「諏訪攻め」

先日、第14回「孫子の旗」もUPしましたのであわせてお読みください。
武田氏と諏訪氏が政略結婚で同盟を結んでいたのに、諏訪氏が盟約を破ったというのは、晴信が父信虎追放後に、諏訪氏が小笠原・村上・木曽と連合し、甲斐に侵攻した瀬沢の戦いがモデルになっているものと思われます。もっともこの戦いは『甲陽軍鑑』以外に記述がなく、一部の史家に否定されていますが……。いずれにせよドラマでも先に盟約を破ったのは諏訪であり、なのに三条夫人が義理の妹の嫁ぎ先を攻めるのはおかしいと非難するのは明らかに変な話です。
ひとつ感心した点は原作の小説で諏訪氏の居城は高島城になっているのに対し、ドラマでは史実の上原城が拠点となっていることです。教来石景政は諏訪の家臣矢崎家に間者として入り、諏訪の西方衆を籠絡させ、いよいよ諏訪攻めになります。しかし、肝心の高遠頼継のほうは諏訪攻めに参加せず、戦の駆け引きが巧みに描かれています。でも、兵力差がいかんともしがたいのに、わざわざ諏訪が討って出る理由がわかりません。実際の上原城へ行けば分かりますが、標高978mの金毘羅山の山頂にあり、居館は麓にありました。いざ戦いになれば籠城できるようになっており、なかなか要害堅固です。しかもわざわざ戦わずして拠城を捨てて桑原城へ移るでしょうか? 妹の嫁ぎ先を攻めるのは道徳に反するというNHKの変な指導でもあるのでしょうか、このへんの描き方は妙に不自然さがぬぐえません。史実では上原城を攻められて落城、桑原城に拠って最後の抵抗を試みたのですから。それにしても勘助を「醜い悪鬼」とののしる由布姫の柴本幸は違和感が未だにとれません。見慣れてくるとよいのですが……。
史跡紀行では伊那市高遠町を紹介。今は場所しか断定できない高遠城跡の勘助郭や諏訪御料人(由布姫)の墓がある建福寺が登場しました。それにしても撮影した時期は冬場だったようですが、本来の高遠の目玉は春のサクラ。映像を他の業者に借りるなりして季節的にも春の高遠を紹介してほしかったです。僕も本制作で高遠を取材したのが秋でしたので、春のサクラは高遠町観光協会から借りました。なお、代表の森田芳夫氏は伊那市ふるさと大使でもあり、この取材でも大変お世話になっています。

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投稿者:管理人
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2007年04月16日

小湊鉄道沿線は花だらけ

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今年の春は会の年刊誌『旅行主義』4号の編集に追われて、近辺の満開のサクラの風情をろくに楽しめなかったが、4月10日に取材で乗りに行った房総半島の内陸を走る小湊鉄道の沿線で、散りかかる風情を楽しむことができた。でも八重や枝垂れなど、満開のサクラもあちこちで見た。
 写真は高滝駅を裏手から撮ったものだが、菜の花、ヤシオツツジ、ボケ、レンギョウなどが一斉に咲いて、一瞬ここは地上の天国かと錯覚するほど見事な花園だった。
 小湊鉄道の沿線はすべてが田舎っぽく、自然にしっくりと溶け込んだ人の暮らしが、なぜかとても懐かしい。沿線にはちょうど満開を迎え菜の花が、田んぼの水とよく映えている。
 車窓から見ていてもじかに風と光には触れられない。地図を見て道路と線路が着かず離れずに走る区間を発見、思い切って線路沿いに高滝・里見駅間ひと駅を歩いてみた。畑を耕す私より若い「おじいさん」とたあいない話を交わしたり、竹林からぬっと走り出てきた電車を撮ったりして、房総のわき道で私は期待以上の至福のときを過ごした。

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 終点の上総中野のひとつ前の駅が、紅葉で有名な「養老渓谷」。その前の駅から乗ってきた菜の花を手にした男の子の小学生がここで降りた。車中で写真を撮ろうとしたら、男の子は泰然としていたのに、隣りに座っていた高学年の姉のほうが「イヤー」といって腰を浮かした。
 駅前には養老温泉の旅館の名をつけたバンや、大型の車がずらりと並んで待っている。さすが!と思いきや、お客さんはすべて自分んちの小学生、かわいいわが子たちだった。紅葉の時期でないと、客待ちの車はないよと、駅前のラーメン屋の元気なおばあさんが教えてくれた。

 菜の花いっぱい、春たけなわの田園を走る電車を狙い、あちこちで私が乗った車両めがけてカメラを向けていた人を見かけた。しかし、まだこの沿線には鉄道写真マニアのエアポケットというべきスポットが山のようにある、と見た。そして、どの車両にも若い美人の車掌が勤務、検札に回ってくるたびに車内にはとてもやわらかい空気が流れ出し、そのたびに私は車窓風景色から一瞬目をそらした。

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養老渓谷駅発17時01分下りのプラットホームで待っていたのは、私と一匹の猫だけだった。

投稿者:森田芳夫
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2007年04月17日

高遠城址公園で満開のサクラを見てきました

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4月13日(金)、伊那市へ招かれ、高遠城址公園へ行き天下一品と謳われている満開のサクラを見てきた。
 首都圏などから招かれた「ふるさと大使」10人余を乗せたバスが午後3時に伊那市役所を出発、予想していた交通渋滞も無く、30分後にはもう入園できた。
 この日は曇天で、しかも夕方にかかっていたので、青空や雪山との色のコントラストには乏しかったが、真下から仰ぐ淡いピンクの色はなんとも形容しがたい美しさ、園内には明治8年(1875)に植えられた老木もあるが、四季にわたってサクラを手入れする3人の桜守のお陰で、若木に劣らない、大振りで見事な花をつけている。
 高遠のサクラは「花が咲く」というより、まるで果実のように「花がたわわに生(な)る」というほうが当たっている。それほどに1,500本のコヒガンザクラが丁寧にケアされているのだ。満開のときに遠くから見る公園は文字通り町並みの「花冠」に見え、「地上の楽園」とはこういうものかと思わせ、木の下に立って花を仰げば、酒が無くても気分はもはや酩酊状態だ。
 昨年3月末、高遠町は長谷村とともに伊那市と合併したが、それまで高遠町長だった伊東義人氏が一行の案内を務め、要所要所で歴史、サクラの養生、アルプスの展望、秋の紅葉祭りなどの説明があり、一層興味深く「お花見」ができた。
 この季節に入園する来客数予想は約35万人、例年よりほぼ一週間早い開花であるが、今はインターネットで開花時期を調べて全国から来るので、集中度は以前より高いという。この時期だけの入園料500円はすべてサクラの保全のために使われ、翌年に備える。これこそシビック・トラストの一種であるというべきであろう。

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 公園北側の出口に高遠美術館があリ(公園への入場券で入館できる)、その近くに伊東前町長が「園内で色も形も一番美しいサクラ」とする巨木が花を一杯に付けて枝をひろげていた。当日は枝が揺れるほど強い風が吹き渡っていたが、花はしっかりと付いて離れるようなことはかった。そして予想された通り、その週末が最高の人出で賑わったと聞いた。

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高遠美術館の休憩室からは公園のサクラと、晴れていれば中央アルプスが望める。

投稿者:森田芳夫
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2007年04月18日

稲葉会員が静岡新聞に紹介されました

2007年4月16日の静岡新聞「古道を歩く」の下田街道⑨梨本宿で稲葉修三郎会員のことが紹介されました。以下、新聞の中身をOCRで読み取りましたので、ぜひご覧ください。

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 百二十万人弱の人でにぎわった今年の河津桜まつり。既に花影は失せ、葉桜となったカワヅザクラの大木の下に昨年十月、石碑を置いた。「峠を越えて 瀬を渡り 伴に歩んだ 五十年」と刻む。河津町梨本地区の中心、川合野で民宿を営む稲葉修三郎さん(82)が妻美代子さん(77)と重ねた金婚の祝い。稲葉さんは父親が早逝し大家族を支えた。職替えは十六にも及ぶ。
 下田街道の宿は湯ケ島(伊豆市)とこの梨本の二カ所。梨本を飛ばす強行軍もあったが、下田を出て小鍋峠を越えても天城の山並みがそびえ、人家が消えた中で急峻な谷や川を渡らなければならない。梨本に宿を取ることが多かった。
 稲葉さんが「南総里見八犬伝」などで知られる文人、滝沢馬琴の随筆「燕石雑志(伊豆の海)」を紹介してくれた。一八〇〇年代初め、馬琴は逗留先の伊豆下田から天城越えで江戸に帰る途次、まだ日は高かったけれど天城山六里を越えがたいと思い、梨本村に宿泊する。「馬琴は小鍋坂、大鍋坂の水音もいと遠し湯が島の道、と口ずさんだ」と稲葉さん。下田屋という旅人宿だったが、既に廃業。本陣や脇本陣も様変わりしていて宿駅の面影はない。
 梨本宿へば河津町小鍋から大鍋を経て入り、大鍋川と河津川を渡る。合流部であり、橋下を清流が若をはむようにして勢いよく下っていく。馬琴が記した水音は二百年後の今も鮮烈だ。
 橋を渡り坂道を少し上ったところの小さな三差路に道標があった。倒れたのだろうか、二つに折れたものをセメントで接合している。
「右下田 左はま道」「右三嶋 左下田道」とそれぞれの面に刻んだ文字が何とか読み取れる。下田街道と海岸へ向かう浜道の分岐点を示す。建立したのは君沢郡小海村(沼津市)の増田七兵衛。七兵衛が立てた道標は小鍋峠の入り口、下田市北の沢にもあった。
 車一台の通行がやっとの急坂がいかにも旧道らしい。いったん国道414号に出て、稲葉さんの民宿「てっぽう」の看板を目印に旧道の下り坂に入る。脇の水路で蛍の餌となるカワニナを確認しうれしくなった。上は国道で車が行き交うが、河津川や支流の瀬音がかき消してくれる。道沿いではツバキの花や夏ミカンの実が彩りを加え、脇道を行く楽しさが増す。
 旧道はループ橋の直下に出る。この間には伊勢新九郎(北条早雲)の軍勢に滅ぼされた深根城(下田市)主関戸吉信のものとされる墓があり、大日如来像や供養塔などをまとめた場所も。延焼を食い止めたケヤキは火伏さんと呼ばれている。
 幕末、通商条約締結談判のため初代米国総領事ハリスや通訳ヒュースケンが下田から江戸に向かい、梨本の天城山慈眼院(坪井弘司住職)に泊まった。慈眼院は国道沿いになってしまったが、当時は七兵衛建立の道標近くに山門があり、深山幽谷の地とされた。先々代の諦堂住職はハリスをしのんでユニークな位牌をつくっていた。戒名は「愛日院殿誠心圓融大居士」。石に米国、左に日本の国旗を配し、末永い日米友好を願った。
 河津町観光協会長でもある弘司住職(51)は温泉施設を建設中。これまでのユースホステルと一体化して観光面での活用を意気込む。今月二十一日がプレオープン。古刹も時代の変化に立ち向かっている。(文・鈴木寛一郎 写真・塚原勝二)

〈メモ〉
梨本宿を巡るコースは伊豆の踊子文学碑の温泉場、湯ケ野(河津町)が起終点の踊子歩道に一部含まれる。踊子歩道は大鍋の橋を渡らないで発電所跡、つり橋を経て民宿「てっぼう」前に出る。七滝口まで同じ道。湯ケ野-七滝口約50分。伊豆急河津駅からバスで湯ケ野まで13分。下田街道はコースではないが、七滝・修善寺方面行きバス西湯ケ野下車。問い合わせは河津町観光協会〈電0558(32)0290〉、中伊豆東海バス〈電0558(72)1841〉へ。

投稿者:にわあつし
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2007年04月19日

おすすめ新刊1

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『安全・快適エアラインはこれだ』(藤石金彌著/朝日新聞社) 756円

航空ジャーナリストで知られる藤石氏の著作。飛行機は時間短縮にはもってこいですが、いつも大事故やハイジャックなどのリスクにさらされているわけです。安全かつ快適に空旅を楽しむには。「航空会社安全ランキング」と比較しながら、順位の変遷やトラブル率、お値打ち度など多角的「空の安全」について考えます。乗客にもできるベスト・エアライン選びのコツを紹介。しっかり読んだうえで航空機に乗りたいものです。いま流行の空弁とともに空旅を楽しみましょう。朝日新書で222Pと読み応えも抜群。

投稿者:管理人
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2007年04月20日

止まらない鉄道車輌ステンレス化の流れ

 京浜急行に初のステンレスカーとなる新1000系5次車が登場し、レイルファンの間で話題となっています。京急はこれまで首都圏のJR・大手私鉄の中では唯一ステンレスカーや無塗装アルミカーを導入していなかったのですが、ついに、ここにもステンレス化の波が押し寄せてきたのです。
 1958年に登場した東急5200系を嚆矢とする我が国のステンレスカーは、長らく一部の会社でのみ導入されてきました。70年代までは東急、南海(高野線系統の通勤車)、京王帝都(井の頭線)、京成、近鉄(1形式のみ)と数えるほどでしたが、、80年代以降徐々に勢力を拡大。転換点となったのは1985年。ステンレスカー導入に消極的であった国鉄が205系(山手線)が登場させて以来、国鉄/JRの車輌も急速にステンレス化の波が押し寄せ、今では新たに登場する車輌の大部分がステンレスカーです。

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 ステンレスカーは、車体の一部に塩化ビニールのテープを貼付するだけで済むため、定期的に塗り直しが必要となる鋼製車とは異なりメンテナンス作業の省力化を図ることができます。各社がこぞって導入を進めているのも理解できなくはありません(もし、私が鉄道会社の経営者であったとしても同じようにステンレス化によるコストダウンを進めることと思います)。しかしステンレスカーは帯の部分(のステッカー)でしか外観上の個性を表現できないため、どうしても似たようなイメージとなりがちです。実際、ステンレスに赤系のラインが入る東武と東急の通勤車を一般の地元以外の方が見分けるのは難しいのではないでしょうか。
 私感ですが、車輌撮影も模型製作も車輌に個性やバラエティ感があればこそ楽しいのであり、没個性となればなるほど、趣味的な興味は減殺されるような気がします(余談ですが、新幹線は東北新幹線が開業するまで長らく0系一形式のみでしたが、その頃はレイルファンの間でも趣味の対象としてほとんど認知されていませんでした。路線数が増え形式数が増加してきた90年代に入り、ようやく鉄道雑誌でも新幹線の特集を組むようになりました)。
 大手では阪急、京阪が今なおステンレスカー未導入ですが、もはやこれも時間の問題なのかもしれません。

投稿者:小関秀彦
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2007年04月21日

スタンプ物語34・四ツ谷駅

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久々のスタンプ物語になります。中央線の快速停車駅・四ツ谷は、JR駅名では大きい「ツ」を用いますが、しばしば小さい「ッ」と混同することもあり、住居表示では「四谷」となります。西は赤坂口、東は麹町口・四ッ谷口とありますが、スタンプは四ッ谷口の改札外にあります。
印影はなんとも欲張りで3つのスポットが描かれています。一つ目の迎賓館は駅から徒歩7分のところにあり、明治42年(1909)に東宮御所として建てられた洋風建築物。外国からの賓客に対し、宿泊その他の接遇を行うために設けられた国の施設です。毎年夏季に抽選による参観も行われていたのですが、2006年1月から2008年3月までは改修工事中参観は実施していません。
二つ目の聖イグナチオ教会は駅から徒歩5分。上智大学の構内にあるカトリック・イエズス会の教会です。大規模な聖堂で、儀式などがあっても一般に開放されているようです。
三つ目の四谷見附橋は、四ツ谷駅ホーム中ほどからみえる赤煉瓦の壁と薄緑色の力強い鋼鉄製のアーチが上の橋を支えており、この上が新宿通りになっています。大正2年(1913)に竣工したこの橋は、老朽化と新宿通りの交通量増加に伴い、1987年から架替工事が開始され、1991年に新しい橋となりました。古い橋は長池公園(八王子市別所2丁目)の池上に移設されています。幅員はかつての2倍となり、橋の親柱に付いている橋灯などに往時をしのぶことができます。

投稿者:管理人
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2007年04月22日

『風林火山』第16回「運命の出会い」

信玄に降伏した諏訪頼重はそのまま甲府へ送られ、東光寺で自害を命じられます。小説では能の舞台で謀殺されるのですが、それも生かして頼重と彌々が手を取り合うシーンになっています。それにしても薄幸の役を演じると、桜井幸子さんの表情が映えますね。しかし、頼重が自害に際して新参者の勘助に遺児寅王丸のことを託すのはどうみても変です。頼重の弟で大祝を継いだ頼高もこのあと自害させられていますが、史実ではまだ15歳の少年。このへんもドラマで描いてほしかった気がします。
さて、頼重自害後、桑原城にいた諏訪の残党討伐となり、平蔵が捕えられます。これも小説では高島城なのですが、小説と史実を織り交ぜたつくりになっています。由布姫は結局、「生き地獄だからこそ見たい、死ぬのはいや」と自害をためらっている間に、勘助が登場。最初は殺すつもりでいた勘助ですが、かつての思い人ミツとオーバーラップして殺せません。でも、最後のシーンで「お逃げくだされ」はないでしょ。逃げたって行き着くあてもなければ山賊の餌食か餓死ですよ。
史跡紀行では長野県諏訪市の頼重院(らいじゅういん)と、由布姫と勘助が出会った桑原城を紹介していました。やっとドラマに合わせた舞台紹介といってよいでしょう。両者とも取材で訪れた場所なのでスタンプはありませんが写真をUPしておきます。

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写真左はテレビにも出てきた頼重の墓と、頼重の怨念で7つに割れてしまったという大岩です。隣接して新田次郎の歌碑も建っており、「陽炎や頼重の無念ゆらゆらと」と記されています。写真右は悪天候で申し訳ないのですが、桑原城二の丸跡から望む諏訪湖です。標高981mの尾根や斜面などを利用して造られた山城で途中には首塚なども残っています。

投稿者:管理人
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2007年04月23日

新幹線を運転する4

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写真は今から30余年さかのぼり昭和50年春、0系電車全盛の頃の東京駅。昭和39年新幹線開業、45年大阪万博、そしてひかりは西へ博多開業の年でした。このひかりのステッカーは、行き先表示が電車にまだ設置されてなかった頃、よくホームでお客が、ひかり号とこだま号を乗り間違えることが多く、これを防ぐために、ひかり号だけにこの表示ステッカーを貼ったのです。さてこれから乗務するのは東京10時発ひかり5号博多行き、車両編成H59(Hはひかり、こだまはKで区別していた)16両編成。勤務は33仕業、通称とんぼ仕業。つまり、日帰り(とんぼ帰り)で東京~新大阪を運転する勤務です。
この当時の東京運転所運転士の受持つ電車は、基本的に東京から午後下りの新大阪方面電車と新大阪から午前中の上りの東京行き電車を運転、東京の運転士は下りは新大阪までの運転でした。新大阪まで運転する勤務の多くは1泊2日仕業で、大阪に行くと必ず泊まる1日1回片道だけの運転で、これに比べとんぼ帰りの勤務は、月に1、2度ですが結構ハードな勤務でした(現在JR仕業では列車のスピード化による時間短縮に伴って、とんぼ仕業をしてその日再び下り、1泊して上るという勤務が定例化されているようです)。

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品川の東京運転所車両基地にて。後列左2番目が筆者

ひかりの乗務は運転士2人、今日の相方は運転士科同期生の田村氏。同じ釜の飯を食った仲、お互い気心もよくわかり、ハードなとんぼの仕事でも気が楽です。発車15分前、運転準備に取りかかります。最初に、ひかり5号の列車番号を車両に設定登録し、運転台カウンターの各機器のスイッチ類を点検します。そして、車両の清掃など準備終了の標識のランプが赤から白に変わったことを確認すると、ブレーキ弁ハンドルを運転台カウンターの左側にある円筒形の切り口に差し込み、ブレーキの圧力を確認。そしてブレーキ位置におくと発車準備OKです。

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「チーン」と鳴るベルとともに速度計の速度表示上のランプが、0KMから70KMに移動。ATC信号出発OKの指示が出て、線路のポイントが本線につながりいよいよ発車です。懐中時計の発車時間を確認、ホームの発車ベルの音がブザーに変わり、ドアが閉まり、運転台パネルの戸じめ表示灯のランプが点灯すると、「戸じめ点灯、信号70、時刻よし」指先と目で声を出しながら、それぞれの表示を確認。そして、右足元にあるペダルを踏むと、警笛の音とともに発車です。ブレーキ弁ハンドルを緩解すると、カウンター中央の逆転レバーを前進位置に倒し、右側の通称ノツチと呼ぶ主幹制御器主ハンドルを1段下げる。車に例えればアクセルと同じで、1から10まで刻まれ、数字が多くなる程にモーターに電流が多く流れ速度を増していきます。今日はゴールデンウィーク前日、混雑したホームの人混みからしてこのひかり5号は超満席状態で、1ノツチではかなり重苦しいようです。続けてノツチを下げていくと、1両4個ある185KWのモーターが16両分64個一斉に動きだし、後部から力を増して来る感覚が身体に伝わって来ました。本線に入るリズミカルなポイントの渡り音を後に、春の時雨のなか東京駅を離れていきます。ひかりは西へ。
パート5につづく!

投稿者:にわあつし
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2007年04月24日

ナゴヤの熱田さん

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ナゴヤ国が誇るお宮が三種の神器のひとつ草薙の剣が祭神の熱田神宮です。草薙の剣は平家滅亡の際に壇ノ浦で沈んだともいわれていますが、熱田に祀られている御神体は誰も見たことがなく、ベールに包まれています。創建は不明ですが、12代景行天皇(71~130)のときには、すでに存在していたらしく、子の日本武尊(やまとたける)が東国平定の際に当地の娘と結婚し、日本武尊の死後に所持していた草薙の剣を祀るようになり、伊勢神宮に次ぐ権威のある神社として栄えました。

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鎌倉幕府を開いた源頼朝の母は、この熱田大宮司藤原季範の娘・由良御前でした。頼朝は当地に生まれたといわれており、神宮近くの誓願寺の山門には頼朝生誕地の碑が人知れず建っており、境内には産湯の井戸も復元されています(頼朝生誕地説は瑞穂区の龍泉寺にもあり)。ナゴヤといえば信長・秀吉・家康と三英傑ばかり取り上げられますが、頼朝もナゴヤ国出身だったのです。そして父義朝の三男として生まれますが、母が由緒正しい出自の正室であったため、嫡男として京都で育てられ、13歳で従五位下右兵衛権佐に任じられています。しかし、平治の乱で源氏は敗北し、頼朝も捕らわれの身となり、伊豆に流されます。そして20年後、平家打倒の旗を挙げ、平家を滅ぼし武家社会を築くのです。ちなみに頼朝の弟義経も鞍馬から出て奥州藤原氏のもとへ行く際に熱田神宮に寄り、元服を行ったともいわれます。

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時は下って永禄3年(1560)、「海道一の弓取り」と云われた今川義元が上洛をめざして尾張に侵攻します。このとき信長は電光石火の奇襲によって、寡兵ながらも桶狭間で義元を討ち取り、覇道を歩むことになるのですが、この戦いの前に信長が戦勝祈願に寄ったのが熱田神宮です。このとき信長が「すべて表だったら我が軍の勝ち」と言って、ひと握りの永楽銭を投げ、落ちたものを確認するとすべて表でしたが、実は両面を貼り付けて必ず表が出るようにしていたという逸話があります。そして戦勝祝に寄進した信長塀も境内に残っているのです。

ということで今回は熱田神宮の歴史について触れましたが、次回は熱田神宮のグルメなどについて紹介します。

投稿者:管理人
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2007年04月25日

宮きしめんときよめ餅

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4月13日のきしめんでも少し紹介しましたが、熱田神宮の名物といえば、境内にあるきしめん専門店の宮きしめんです。写真のスタンダードのきしめんで550円。前回紹介した名古屋駅のきしめんに比べればやや高めですが、ネギの代わりのホウレン草が入っていて、やはり熱田神宮に参拝に来たらこれを食べずにはいられません。女性用というかおやつ用というか小盛宮きしめん450円もあるようです。割高になりますが他に山菜や玉子とじ、特上天ぷらなどが入ったきしめんもあり、つけ麺のざるきしめんもあります。

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お土産には有名なきよめ餅があります。小判型の求肥に小倉餡が入ったお餅で、やわらかい口当たりと上品な甘さが自慢です。昔、名古屋から関ヶ原までの東海道本線と中津川までの中央本線の各駅を早口でいうCM(もっとも途中はじゅげむじゅげむとごまかしていたが)がありましたが、熱田神宮の参拝記念に買うから意義のあるお土産で、同種と混同しないように「きよめ」の焼印が押してあります。南神池に面したお休み処「清め茶屋」で販売しており、お茶なども飲めるのですが、肝心のコイが泳ぐ南神池はいつの間にか捨て亀のミシシッピアカミミガメに占拠されていました。昔、夜店で売っていたひよこが大きくなって白色レグホンになると、熱田神宮に捨てるため、境内で飼われている小型のチャボが餌をとられてしまい、駆除に乗り出した話がありましたが、ミシシッピアカミミガメは放置状態で、日本古来のイシガメ・クサガメはここでも少なくなっています。

熱田神宮は毎年正月3が日の参拝者ランキングでもいつも上位に顔を出しており、2007年度も約235万人で第5位でした(トップは明治神宮の約311万人)。ご利益は家内安全・業務繁栄・諸願成就・身体健康・無病息災 ・開運招福・縁結び・安産 ・交通安全 ・厄災消除 ・学業成就・合格祈願・商売繁盛とまさに何でもありというのがナゴヤ国らしさを象徴しています。そして巫女さんの多さも日本一! 熱田神宮には約350名の巫女さんがいるそうです。

投稿者:管理人
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2007年04月26日

富山村ギャラリー1

現在、旅ジャーナリスト会議編のMOOK編集作業に追われている身で、このブログを書くというのは正直きつすぎる状況です。会員の方、Help me!
3月8日のブログ以来になりますが、本土で一番人口の少ない(約200人)村だった愛知県富山村したときの写真をUPします。訪問したのは2005年8月16日で、富山村は同年11月27日に豊根村に編入されています。

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浜松市に位置する秘境駅・大嵐駅から天竜川に架かる鷹巣橋を渡ると、対岸が愛知県富山村です。当日はあいにくの空模様でした。

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橋を渡ると村の看板があります。本当は飯田線の列車時刻に合わせて、大嵐駅から漆島の集落まで無料(ただし合併後は有料)の村民バスが接続していたのですが、村役場のある集落まで歩いてみることにしたのです。途中に小さな集落もありましたが、天竜川に沿って歩くこと15分、ようやく富山村の市街にたどり着きました。山の斜面にも家が建ち、まさに隠れ里といった印象です。平地がないため、この村には水田はなく、山の斜面を利用して茶が栽培されています。(つづく)

投稿者:管理人
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