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2007年05月 アーカイブ

2007年05月01日

好文旦

みなさん、こんにちは、ざつはちと申します。僕は鉄道にも歴史にも全然詳しくなく(本当はドラマの「風林火山」や「特急田中3号」でも見てから出直したほうがいいのかもしれませんw)、写真も下手なのでちょっと浮いてしまいそうですが、控え目ながらも露出?させて頂くことにしました。どうぞよろしくお願いします。

 最近はずっと旅らしい旅をしなくなっていて、出掛けるにしても近場ばかりになっています。文章として書けることが非常に少ないのですが、しばらく考えてみて、とりあえずのテーマを「自分の身近で、地方色や郷土色のあるものを下手でも写真に撮ってみる」ということにしたいと思います。

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 毎年春の時期になると、高知出身の友人からごちそうになる果物があります。その名は文旦(ぶんたん)。画像アップしたのは 「今年は見栄えが悪いヤツでごめんよ」と過日、彼女から直接渡された分の一つです。

 まあ確かにそうかもしれないけど、味のほうはどうしてどうして、もうほっぺたモゲモゲ、泣きたいくらいのウマさですよ、これが。そうですね、簡単に言って(書いて)しまえば、グレープフルーツから苦味を除いて、すっきりと上品な甘さを加えたような感じでしょうか。
 果肉の粒?がしっかりしているので、ものぐさ系の僕でも皮をむくのが億劫でないのがポイント高いですし……。もう世界で一番好きな果物と断言しちゃいたかったりします。

 将来の僕の夢の一つが、この文旦のオーナー(一本でもいいから栽培樹を所有する)になることだったりするんですよね、うはうっは。

投稿者:ざつはち
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2007年05月02日

会員からの著書新刊1

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『「地圖」が語る日本の歴史』(暁印書館)
~大東亜戦争終結前後の測量・地図史秘話~  菊地 正浩著
ISBN978-4-87015-160-4 定価1890円(税込)

『地圖』に込められた、敗戦日本復興への想い。敗戦時の混乱の中にあって祖国日本の復興を念願し、生命を賭して貴重な地図原版と組織を護り抜いた、若き大本営情報参謀の実録。東京大空襲で奇跡的に助かり、父君はルソン島で戦死した著者が文字通り参謀の足跡を辿るとともに、秘蔵の史・資料を駆使して万感の思いで綴った、大東亜戦争終結前後の歴史的『地圖』秘話(元国土地理院長 金窪敏知)
   
我が国の近代地図史については、歩測による測量と天体観測により、日本の地図を作った「百万歩の男、伊能忠敬」抜きにしては語れない。
しかし、明治維新後は欧米の技術を導入して、日本の地図は勿論、大東亜共栄圏構想に基づき、支那・満州・朝鮮・東南アジア等々の外邦図を沢山作った、大日本帝国参謀本部陸地測量部を抜きにしては語れない。所謂、近代地図史の幕開けである。
 この陸地測量部の組織と測量・地図技術と地図原版(銅版)を、敗戦時の混乱の中にあって、祖国日本の復興を念願し生命を賭して護り抜いた若き大本営情報参謀がいた。
 この男の終戦時正式な肩書きは「大本営陸軍参謀、情報第二部、陸地測量部担当少佐、渡辺 正」である。
 陸地測量部を解体、内務省地理調査所への看板架け替えという離れ業によって、戦後GHQ(連合国軍総司令部)の接収から救ったのである。
 その時歴史を動かしたこれら一連の出来事がなければ、我が国の測量・地図技術は20年遅れたであろうと言われている。当然、現国土地理院も異なった歴史を辿ったことであろう。
 この陸地測量部から地理調査所を経て、国土地理院誕生までの数奇な運命を、戦後60年余秘匿されてきた史・資料を公開して、取材と現地調査により万感の想いで綴った実録である。
 第一は、昭和20年8月9日から10日にかけて開かれた御前会議において、天皇陛下のご聖断により戦争終結となる。この時から陸地測量部の組織存続と、明治以来営々と築いてきた測量・地図技術を、我が国復興のため遺そうと奔走した秘話である。
 それは、8月15日正午の玉音放送を挟み、わずか2週間の8月31日には陸地測量部を解体、9月1日に内務省地理調査所へと看板を架け替えてしまうというドラマである。
 第二は、9月23日から27日までの秘話である。
 GHQのマッカ-サ-司令官は、8月31日に厚木飛行場に到着して横浜入りするや直ちに指令を出した。「地図は全ての基本だ、それを確保せよ!」「松本地区に参謀本部の資産が色々とある。その中でも陸地測量部を点検・接収する」という内容であった。
 そして「視察団に随行する将校を一人だけ出すように」と要求があつた。この時渡辺参謀に白羽の矢が立ったのである。
 9月23日、日比谷のGHQ本部を出発した。フォ-ドの黒いセダンを先頭に、ジ-プ4台、計5台の車列であった。
 一行は9月27日に帰京するが、この間の出来事こそ日本の地図史で、その時歴史は動いたの一瞬に遭遇する。まさに渡辺参謀の苦渋と緊張の5日間の実録である。
 この時、地形図の原版(銅版)が救われたからこそ、戦後すかさず地理調査所(現国土地理院)が地形図等を発行し、我が国の復興に役立てたのである。
 筆者は旅ジャ-ナリストとして、戦後60余年経った昨年、同じ季節、同じ時間にあわせて、出来るだけ同じ行程を辿り、当時の渡辺参謀の心境を追体験した。
 以下、地図の統制時代の秘話を含め、主な目次を紹介する。続きを読むへ。

著者菊地正浩(きくち・まさひろ)会員のプロフィールはこちら
出版社 暁印書館 http://akatsuki.site-up.com
〒112-0002東京都文京区小石川1-13-2
TEL03-3814-0853 FAX03-3814-0854
ご注文は最寄の書店でお取り寄せください。

投稿者:菊地正浩
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2007年05月03日

2009年度の大河ドラマは『天地人』の直江兼続

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4月26日、NHKは再来年の2009年度の大河ドラマを、上杉景勝の家臣・直江兼続(1560~1619)を主人公とした火坂雅志氏の小説『天地人』(上下巻・日本放送出版協会刊)とすることを発表しました。脚本はNHK朝の連続テレビ小説『どんど晴れ』でも知られる小松江里子。主演などは現時点では発表されていません。
直江山城守兼続は樋口兼豊の長男として生まれ、早くして謙信の養子景勝の近侍として仕えました。その後、景勝の側近である直江信綱が毛利秀広に殺害されると、景勝の命で直江景綱の娘・お船の婿として結婚し、直江家の名跡を継ぎます。上杉景勝の重臣として仕えましたが、天下人豊臣秀吉にもいたく気に入られ、慶長3年(1598)に景勝が会津120万石に加増されて移封されると、兼続には出羽米沢に30万石という破格の所領をもらっています。秀吉死後、関ヶ原の戦いが起こると、徳川家康は難題をふっかけます。このとき兼続が書いた直江状(後世の創作ともいわれる)が家康を激怒させ、上杉景勝の討伐に向かうことになります。その隙に石田三成が上方で挙兵し、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こったのです。関ヶ原の戦いは引き返す家康を景勝が追撃しなかったため、結局勝機を逃してしまいましたが、このとき直江兼続の米沢30万石がそのまま上杉家の領土として残り、米沢藩として幕末まで存続することになります。
さて、この兼続で活性化が期待できるのはやはり新潟・山形になるでしょう。兼続の生誕地は旧与板町(現南魚沼市)の与板城で、麓の資料館には兼続の像もあります。最寄は上越線の六日町駅になるのですが、北越急行の分岐点でありながら、いつも新幹線接続の越後湯沢から特急に乗ってしまうため素通りしてしまうんですね。
そして山形県といえば忘れてならないのが、当会員の観光カリスマ工藤順一氏です。そして6月3日(日)の旅ジャーナリスト会議総会は15時30分から「アルカディア市ヶ谷」で行われ、セミナーの講師が工藤氏なのです。15時30分から17時30分が総会・セミナーで、17時30分から19時30分が懇親会になりますので、皆様ふるってご参加ください。
なお、工藤氏のホームページはhttp://samidare.jp/kudou/です。
そしてマドンナ田村氏の司会にもご注目ください。

投稿者:管理人
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2007年05月04日

羊山公園芝桜の丘

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GW中なので混雑は覚悟のうえですが、どうしても写真が撮りたくて朝5時台の電車に乗り、埼玉県秩父市の羊山公園芝桜の丘へ行ってきました。

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普段は入園自由なのですが、シバザクラの開花期(4月上旬~5月上旬)は8~17時で、入園300円が必要となります。混雑を避けて開園時間に合わせていったのですが、それでも人だかりで、出店もすでに営業していました。

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秩父路では秩父鉄道でも花めぐりスタンプラリーを実施していますが、秩父エリアにある11カ所の文化施設にスタンプが設置されており、指定のスタンプ張にスタンプを7個集めると、秩父駅に併設する「じばさんセンター1階秩父観光総合案内所」で、すてきな記念品(右)がもらえます。スタンプも押せて記念品ももらえるとはいいですね。

投稿者:管理人
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2007年05月05日

はなまるうどんVSどんどん庵

讃岐うどんのセルフサービス「はなまるうどん」が猛威をふるっています。新宿などの一等地でも、かけうどんの小は税込105円という安さで、しかも天かすと鰹節はトッピングし放題なのですから、究極のデブレスパイラルとでもいうべきでしょうか。管理人も新宿に寄ったついでにおやつ代わりにかけうどんの小をよく食します。最初にかけうどんを注文し、ここに天ぷらなどを自分で乗せてゆくシステムですが、実はこのシステムはナゴヤ国にかなり前から定着していました。今回紹介します「どんどん庵」は、東海地方の人しか知らないと思いますが、セルフうどんのチェーン店です(写真はちくわ天のトッピング)

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株式会社サガミチェーンの子会社として1997年に設立されたようですが、実はそれ以前の1980年代からセルフうどんの店としてナゴヤ国に存在していました。元々は100円うどんがウリで、生麺のうどんをとって自分で1分ほど湯がき、お好みの天ぷらやおにぎりなどをとって最後に甘口・辛口のつゆを自分で入れて清算する方式のうどん屋です。
たしか管理人が中学生くらいまでは100円だったのですが、その後、150円・200円と値段が徐々に上がってしまいました。あと誰が伝えていたわけではないのですが、辛口と甘口のつゆを2:1でブレンドするのがうまいということで、なぜかそれが10歳下の従兄弟まで知っていたとは驚きでした。たぶん皆がそうしていたので自然に覚えたのでしょう。なんと言ってもこのつゆがうどんにマッチしているのです。セルフには生そばの麺もありますが、そばには合いません(好みもありますが)。友人に至ってはつゆをおかわりするという、今思えば顰蹙ものの行為ですが、それほどまでにつゆが美味かったのです。残念なことにこの2種類あったつゆも現在は1種類だけとなってしまいました。
無料のトッピングは、100円時代はネギと天かす。150円になってから鰹節が加わりましたが、近年は天ぷらの売れ行きが悪いのか天かすのトッピングはみられません。はなまるうどんは細かい刻みのネギがあらかじめかかっていますが、どんどん庵はネギが載せ放題ということで、ネギ好きにはたまらないかもしれません。
昔は素うどんに無料トッピングの天かすやかつおぶしなど山盛り入れたものですが、さすがに大人になってくると、天ぷらやおにぎりなどをたくさん加えるので、結構な値段になり、決して安いとはいえないのですが、帰省した時などはどうしても食べたくなり、友人を誘って出かけたものです。
残念ながらこの「どんどん庵」も一番よく利用した店が潰れてしまい、代わりに「はなまるうどん」が国道沿いに進出しています。いくら東海地方に勢力をもつ「どんどん庵」でも、やはり値段の安さには勝てず、合理主義のナゴヤ人はみなこちらになびいていってしまうのです。たぶんスガキヤの関東進出が失敗したように、この「どんどん庵」も東海地方にしか定着しないグルメなのかもしれません。なんたってつゆが濃いので、薄味の讃岐うどんのように大衆受けしないからです。
東京では105円のはなまるしか食べない管理人も、帰省の折には600~700円分の「どんどん庵」のうどんを食べに行く。『一杯のかけそば』ではないのですが、至福の時を体感するものなのです。

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2007年05月06日

『風林火山』第18回「生か死か」

すいません、GW明けは蜂の巣をつつくような慌しさで、すっかり更新が遅れました。7日のアクセス数がものすごいありましたが、本当に申し訳ないです。
はい、今回の『風林火山』へ行きます。前半のすばらしさから変わってなんだか妙なストーリーになってきました。晴信が諏訪の由布姫を側室におきたいのは、由布姫が類稀な美貌の持ち主だったからで、ドラマでは父信虎も側室に所望しているように、まあこの親にしてこの子ありでしょう。その助平心にもいちいち理屈をつける晴信。家臣たちが反対するなか、勘助だけは稚児(わこ)は生まれれば諏訪の名跡を継げると賛成。由布姫を説得しますが、なかなか首をタテに振りません。
このあとの展開がすごく不自然。家臣の甘利が由布姫に自害をすすめ、勘助が駆けつけますが、由布姫は「彼は私に討たれにきた」と云ってるし、なアホな……。おまけに今度は三条夫人が来るが、イヤミを云って泣きながら去ってゆく。由布姫はまた「身を切られにまいった。私だけ無傷でいられない」と、晴信の側室になることを決意する。すごい変な展開です。以前の映画の三条夫人は大変嫉妬深く、しかも京都の公家の出なので、諏訪程度の姫など屁とも思っていないのが実像なのに、池脇千鶴にそれを演じる器量がないのかどうかわかりませんが……。あと内野勘助も軍師特有の非情さに欠けすぎています。諏訪の遺児寅王丸は、史実では消息不明になっていますが、あえてドラマに脚色するなら、寅王丸は晴信の叔父にあたるとはいえ、父の仇であることに変わりはないのですから、あとあと憂いを残すことは明らか。で、タイミングよく妹の禰々さんが亡くなってしまうのですから、勘助が入れ知恵をして寅王丸を殺害し、「諏訪の名代は晴信と由布姫様の子が継ぐ」としたほうが、おさまりがいいのです。
どうもそのあたりがNHK特有の愛だのなんだのと道徳っぽくするから、妙に人間臭い勘助になってしまい、非情な軍師像が描けなくなってしまうのです。軍師とは『三国志』の諸葛亮孔明のように人の感情に左右されてはならないものなのです。
史跡紀行ではなぜ今頃?の信玄堤を紹介していました。僕も昨年の夏、撮影に行ったのですが、JR中央本線竜王駅から徒歩20分はかかったでしょうか? あまりの炎天下の中だったので、もう少しで熱中症にかかるところでした。

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2007年05月07日

知られざる国の鉄道事情

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『将軍様の鉄道』(新潮社)国分隼人著 1995円

この著者、さすがに実名はまずいのでしょう。日豊本線の隣同士駅で鉄道マニアならつけたがるペンネームですね。
DVDもついており、蒸気機関車・車窓・都市交通に分けられた北朝鮮の鉄道を観ることができます。社会主義国では鉄道が軍事機密にされていることが多いのですが、よくもまあ、ここまで撮影できたものだと感心させられます。
普通の旅行客ではあそこまで撮影させてもらえないでしょう。産業スパイさながらです。
北朝鮮の鉄道はまさに日本の昭和30年代を思わせる光景。日本統治時代の蒸気機関車が走っていたり、腕木信号機は健在であったりで、列車速度も日本の鉄道に比べると、ずいぶんと遅いです。
都市交通も『地下鉄に乗って』に出てくるような旧式の地下鉄車両で、路面電車やトロリーバスも都市を走っています。クルマの通行量も日本の10分の1程度で、トロリーバスの架線が切れ急停車する迷シーンも収録されています。
もし北朝鮮に自由に旅行できるなら日本のレイルファンがある意味殺到しそうです。将軍様も外貨獲得のためにぜひ。

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2007年05月08日

スタンプ物語35・信濃町駅

更新が遅れてしまった空白の4日間(5月7~10日)。さて、どう埋め草をするかということで、まずは8日から埋めてみました。4月21日以来のスタンプ物語、本日は信濃町駅です。

shinanomachistamp.jpg

ところで四ツ谷のあと何故、すぐに続かなかったは分かります? ここでクイズです。

①スタンプ物語は実は結構調べるのが面倒なので管理人が怠慢した?
②ウケが悪いので自粛した
③信濃町駅のスタンプが出てこなかった

はい、分かります? 答えはです。スタンプ帖に押した記憶はあっても、そのスタンプ帖が出てこず、すぐにデータ化していないとこうなります。押印日は2006年11月18日、約半年前でこれですから、データ整理は記憶のあるうちにやっておかねばなりません。

戯言はさておき本題に入ります。スタンプの印影は当駅から徒歩5分の聖徳記念絵画館。大正15年(1926)に竣工された花崗岩の建物で、明治神宮外苑入口の青山通りからイチョウの並木が絵画館を中心に植えられており、遠近法が用いられて絵画館が遠方にあるように見えます。館内には明治天皇の業績を描いた絵画が展示。入館500円。9~17時。無休です。でも見学もいいですが、神宮球場の野球観戦の帰り道で観られるライトアップされた姿も目を引きますよ。

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2007年05月09日

スタンプ物語36・千駄ヶ谷駅

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遅れてきた埋め草第2弾は千駄ヶ谷駅です。お江戸シリーズのスタンプは徒歩5分の新宿御苑。 江戸時代は内藤家の江戸屋敷があった場所で、明治5年(1872)に農業振興のため内藤新宿試験場となり、明治39年(1906)に現在の名に改められます。もっともこの頃は宮内庁が管理しており、一般には開放されていませんでした。国民公園となるのは戦後の昭和24年(1949)からです。
広さ58.3ha、周囲3.5kmという広大な庭園で、東京地下鉄丸の内線新宿御苑駅のほうにも新宿門があります。見どころは皇族関係者が休みをとった旧洋館御休所や約2300種の熱帯・亜熱帯植物を栽培する温室ですが、残念ながら温室のほうは2007年5月より2011年まで建て替えのため、長期休館となっています。旧温室はもう見れないわけで、こういうチャンスを逃してしまうのは本当に残念なことです。
そして千駄ヶ谷には改札内に旧国鉄のわたしの旅スタンプ台があり、わたしの旅スタンプに類似したスタンプ(右)もあります。しかし、消耗が激しくいくら頑張って押してみても、印影がきれいに出ないのが難点。こちらはわたしの旅スタンプ「国立競技場と御苑の駅」と同じで、レジャー・スポーツが特色の駅の名残りです(ただし元は赤の六角形)。
さて、中央線はこのあと代々木新宿と続きますが、こちらは山手線のところで紹介していますので、駅名をクリックしてご覧ください。したがって大久保駅へと続きます。

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2007年05月10日

スタンプ物語37・大久保駅

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代々木・新宿は山手線で紹介しましたので、千駄ヶ谷の次は大久保になります。

大久保のスタンプは「新宿高層ビル街と富士山」。新宿西口から副都心にかけては都庁をはじめとする高層ビル群が美しく見え、天気がよい日には富士山も見えます。しかし、とくにそれ以外は言及できなかったのは、東300mのところには新大久保駅があり、その間に新大久保のスタンプで紹介した「皆中神社」があるからです。特色がどうしても新大久保と同じになってしまうのは仕方のないことでしょう。
JRには奥羽本線と山陽本線には同名の「大久保駅」があるため、乗車券等には中央線を表す「(中)大久保」と表示されるようです。

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2007年05月11日

新幹線を運転する5

untendai2.jpg 運転台風景のイメージ

0系アーカイブ。その前に、この文章は単なる新幹線の説明ではなく、運転士から見た体験談を描いています。これから先新大阪まで、運転士になったつもりでこのアーカイブを読んでいただくと、おもしろいですよ。さあ、一緒に出発しましょう。
ひかり5号博多行き。16両編成の長さは、1両25メートルX16。400メートルは実に長く感じ、有楽町の駅にさしかかって運転席小窓越しに後ろを覗いても、まだ最後部は東京駅を離れていない。電車は銀座数寄屋橋日劇を横に眺めながら在来線と並行して進む。古き良き時代を物語った日劇も今は近代的ビルに変わり跡形もないが、当時東京を発着の時には、運転旅の疲れを癒やす東京のシンボルでもあった。田町付近までは在来線と並行して走る。時折横に肩を並べる湘南電車の、窓越しの手を振る子供達に警笛で合図を送る。真横に並ぶと、湘南電車の運転士もかなり意識顔でこちらに目を向けているようだ。

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やがて左手に、東京運転所車両基地の長い車庫横を通過(今は品川駅と超高層ビルの街に変貌している)、八つ山のトンネルをくぐり抜けると、S字に大きくカーブをしながら高架線を進んでいく。
「制限90!!」
田村氏が歓呼する。多摩川付近までは、住宅密集地の上を走るためカーブが多く、速度規制が続き、ノッチを小刻みに動かしながら進む。新横浜駅手前で、ATC信号が初めて210Kを表示する。信号歓呼とともにノツチを最大の10まで刻む。ひかり号は相模平野を210K最高速で走り続ける。このあたりは切り通し沿いに線路が続き、上に住宅や線路を跨ぐ橋が多い。

untendai1.jpg運転台風景のイメージ

「先月の交番でね、夜9時頃かな? このあたりで(マグロ)の確認に当たってしまってね! 大変だったよ」
助手席の田村氏に話しかけた。
「三島への回送で、運転台も一人だったし、暗がりの線路を30k以下の速度でゆっくり前方を探しながら走り、それらしきものを発見した時は、冷や汗ものだったね」
私は夢中で話こんでいく。人身事故を業界用語で(マグロ)と言っている。跡処理がまぐろに酷似しているところがあるからだ。人身事故に遭遇して、200Kの速度から最大ブレーキをかけても、停止するまでには約2KMは進む。事故地点の検認は、時間の都合上後続の列車が行う(現在は上り下り関係なく、近くの列車が行うようです)。
「遭遇する人は2度3度続くみたいだし、神社で清めてもらうようだよ」
田村氏が答える。マグロの話題の続くなか、ひかり号は小田原も定時で通過。トンネルをいくつか過ぎると熱海駅。熱海駅はカーブしたホームで待避線もない為、110Kに速度を落とす(現在は180Kで通過)と熱海駅を通過、新丹那トンネルをくぐり抜けると三島で田村氏とハンドル交代だ。
次は豊橋まで彼が運転だ。春雨のなかをひかりは西へ。パート6につづく!

投稿者:にわあつし
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2007年05月12日

ゴホンの紙風船

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いろいろと僕が旅先で集めたり、もらったりした資料の上で放ったらかしにされていたのが、画像の紙風船です。

 昔(今も?)、富山の薬行商の方々が訪問販売をする時に、向かった家の子供にあげたりした(している?)そうですね。

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 小さい空気穴から、ふう~っと息をかけ入れると、立方体に近い状態に膨らみます。

 なにせ富山旅をしたのが10年近く前のことで、名所の廣貫堂資料館で手に入れたのか、それとも民俗民芸村内の売薬資料館でだったのか、はっきりと思い出せずにすみません。

 それにしても、薬に関連する紙風船なら、癒しグッズにでもなってくれりゃいいものを、古びた表面についていた埃を吸って、咳やくしゃみをさせられたのでは、しょうがないですなあ。

投稿者:ざつはち
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2007年05月13日

『風林火山』第19回「呪いの笛」

月曜早々バタバタしており、にわあつしさんの投稿を先にUPさせていただきましたが、14日23時過ぎにようやくこちらを書くに至ります。
NHKというのはどうしてああも道徳的なつくりにするのでしょうか? 池脇千鶴が演じる三条夫人の気持ち悪いほどいい子ぶりぶり。勘助だけが異常なほど由布姫の護衛に徹し、警戒心がまったくの的外れで無礼者扱い。あのかっこいい内野勘助が浮かばれません。その三条夫人が側室に対して嫉妬もせず(あなたは京都三条家の由緒ある家柄でしょうか、田舎大名で助平亭主を誉めてどうする?)、しかも笛まで渡している。しかも「笛が不得手」というオヤジギャグならぬオバサンギャグ。やめてくれ~。以前ドラマか映画で見た『風林火山』で、三条夫人が由布姫に菓子を渡し、うすら笑いをして「毒なぞ入っておらんぞえ」といったほうがずっと味があります。
で、夜に由布姫は笛を吹き、三条夫人はひとり寂しく床で寝付けず。まあ、睦事で寝付けないのなら分かりますが、それをNHKでやるのは無理なんでしょうが。で、「呪いの笛」って意味わかんね~。三条家が「笛と装束の家」という史実から結びつけたようですが……。
史跡紀行では僕が第3回で取り上げました愛知県豊橋市賀茂町をようやく紹介していました。僕が1年以上前からお世話になりました本願寺も取り上げていただき、ようやく苦労が報われました。で、せっかく『風林火山をゆく』(英知出版)で大々的に取り上げたというのに、版元が倒産してしまうし……。あと、STATION STAMP情報によりますと、勘助が青年時代を過ごした牛久保城最寄りのJR飯田線牛久保駅にも勘助スタンプができたようです。僕が行ったときはまだありませんでしたが……。

投稿者:管理人
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2007年05月14日

新幹線を運転する6

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雨が少し強く降ってきたようだ。三島からは田村氏がハンドルを持ち、私は検査担当業務となる。ひかり号は運転士2人で東京~三島~豊橋~米原~新大阪を4区間に分けて、交代で2区間づつを運転します。また、こだま号は運転士は1人なので、東京~新大阪の場合は、東京~名古屋を運転して名古屋で1時間半余り休憩。再びこだま号を運転して新大阪に下る勤務。上りのこだまは静岡で休憩をとり東京まで上ります。
下り、上りのどちらかが片道こだま運転で大阪泊まりの場合は、片道は必ずひかり運転の勤務になっていました(現在はすべて一人乗務で、検査担当の業務は電車車内の空調や自動ドアその他サービス機器のなど故障応急処置は車掌が行い、動力関係など主回路の故障の場合は、100系からは、運転台パネルで故障車両ユニットをカツトして、他の車両から電源を移すなど、運転台で、運転士1人で管理できるように、電車の性能も向上し、ますますコンピュータ化されています。やがて運転士も運転する仕事から、運転管理させられる立場の運転士になるのかも?)。

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降りしきる雨と電車の高速度に、ほとんど水を拭きとる効果のないワイパーの動く視界のなか富士川を渡る。右手に望む富士山も影形なく隠れている。天気がよく富士山が美しさを表している時、この沿線は、新幹線を撮影する人々を多く見る。田子の浦や富士川は新幹線撮影スポットなのです。蒲原、由比などいくつかのトンネルとみかん畑の間を通りやがて静岡を通過。
「静岡マル!」
お互いに歓呼し乗務日誌に記録する。マルは定刻通り通過の事。15秒以内の誤差は定時とする。これが、天皇陛下のお乗りになるお召し列車の場合は1秒の誤差も許されない。必ず定められた時間に通過・停車駅の定位置で時計の針の12の位置に秒針をぴったり合わせるように運転をしなければならない。これは指名された運転士の職業技になっている。もちろん、停車・発車時の気づかない静かな乗り心地のよさも、まさに電車と一体となり操作していく熟練技なのです。

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ひかり5号は、青々とした牧の原の茶畑台地の香りの中を超満席のお客を乗せて走り抜け、波打つ浜名湖を通過。やがて豊橋の駅に近づいてきた。
「サア!交代しよう。ところで、新大阪に着いたら、久々にお好み焼きでも食べに行こうか!」
田村氏に声をかける。
「そうしよう、大阪に着く頃は雨も上がっているだろうし」
昼飯雑談で盛り上がるうちに、豊橋を定時通過。次は停車駅の名古屋だ。パート7につづく!

投稿者:にわあつし
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2007年05月15日

まだまだ序の口・八丁味噌アイス

はい、MOOKの最終仕上げで泣きが入っている管理人です。著者校・編集部の赤字・監修者の赤字・編集の小野澤氏の赤字をひとつのゲラにまとめると真っ赤っ赤。初校戻しはデザイナーさん泣かせでもあります。ってこんなときにブログ書いてる場合でないけど、これ以上歯抜けが増えてしまうと、もう埋めるのも嫌になりそうなので、とりあえずショートなネタで(だめだこりゃ)

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写真にUPしましたのは、八丁味噌の本場、ナゴヤ国岡崎が誇る八丁味噌アイス250円です。なんたってナゴヤ国は赤味噌文化。上京したナゴヤ人は東京の白味噌になじめず、わざわざ本場の八丁味噌を実家から送ってもらう人もいるほどで、大豆100%の味噌はあの屈強の三河武士をも育て上げました。反対に尾張兵は日本最弱といわれるほど弱々しかったのです。豊かな濃尾平野で育って軟弱だったいう説もありますが、それよりも兵農分離を進めた初期の段階でしたから、まあ明治維新で富国強兵初期の未経験農民兵のようなものだったのでしょう。その代わり弱いことを知っているため、鉄砲や長槍など戦闘に有利な武器を開発したのも信長ならではでしょう。
話がそれましたが、ナゴヤ国の属国といわれる三河岡崎は徳川家康のお膝元です。八丁味噌製造元のカクキューは工場見学もできるのですが、僕が行ったときは時間外。仕方なく購入したのがこの八丁味噌アイスです。徳川家の葵門まで入っていて由緒正さを感じさせます。なんせアイスに八丁味噌ですから、この組み合わせはある意味、未知の世界なわけでチャレンジに至ったわけです。
しかし、まだ寒い季節だったのか、アイスはカチンカチンで無理に木のさじでとろうとすれば折れるのは確実。20分ほどねかせたでしょうか。さあひと口賞味……。

キャラメルの味でした……!

しかし、これはある意味、まっとうなアイスだったのかもしれません。後日知った情報によると名古屋市北区にある「茶っきり娘」には、本格的な八丁味噌アイスがあり、本当に牛乳と赤味噌が混じった味がするそうです。いえ食していないので想像もつきませんが……。しかも、手羽先アイスなるものまであり、味はないのですがアイスに鳥皮のかけらが????? やはりナゴヤはワンダーランド。この写真程度のアイスはしょせんこどもだましなのです。

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2007年05月16日

ナゴヤの三冠駅弁

ネタも涙も枯れている管理人です。

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ナゴヤ国の陸の玄関といえば名古屋駅。東海道新幹線・東海道本線のほか、中央本線・関西本線が分岐するターミナルです。駅弁も1業者独占でなく、3社も入る激戦区。中身もウナギ・味噌カツ・名古屋コーチンなどとバラエティに富んでいます。
そのなかでも名物の三大グルメをひとつの駅弁で楽しめてしまうのが、松浦商店の「名古屋TOP3弁当」880円です。エビフライと味噌カツに名古屋コーチンの入ったチキンライスとまさに三冠そろった欲張り弁当。デザートにオレンジゼリーが入っているのも、オマケ好きのナゴヤ国の嗜好でしょう。いかにも若者向けといった中身ですね。同じ中身で新幹線用にワールドグルメ『NAGOYA TOP3』というのがあり、なんとこちらのパッケージには世界地図が……。愛知万博用につくったのでしょうか?
あれもこれも美味なるナゴヤ国のグルメを食したいけど、太ってしまうので困るという方におすすめです。

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2007年05月17日

洋菓子の芸術品シャチボン

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「尾張ナゴヤ国は城でもつ」といわれるように、日本一大きい名古屋城の天守に輝く金鯱はナゴヤ国の象徴でもあります。この金鯱の反り具合がエビに似ていることから、エビフライを2本、丼に差したシャチ丼などもありますが、シャチを模った創意工夫のグルメがナゴヤ国には多数見られます。
今回紹介するのは名古屋駅の「ボンボヤージュ」で販売していたシャチボン346円です。中身はシュークリームみたいなものですが、見事シャチを模った傑作のナゴヤスイーツといえるでしょう。僕も東京に帰る際にたまたま見つけて注文し撮影しました。向きを変えて2つ並べてみると、まさに名古屋城の対になっているシャチです。
ところがこの「ボンボヤージュ」は、他の情報によると2004年10月で閉店してしまったそうで、現在は名古屋駅中央地下街「ファッションワン」内の「「黐木(もちのき)」で販売しているそうです。1日50個限定だそうですので、購入はお早めに。姉妹品に赤味噌をスポンジケーキに練り込み、生クリームをはさんで巻き上げたロールケーキ「ボンミッソ」もあります。

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2007年05月18日

日本一低い駅はどこ?

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昔こんなクイズがあったのご存知ですか?

Q「日本一高い駅は?」
A「東京駅と上野駅。なぜならすべての列車が始発で下り列車になるからです」

とろろが鉄道オタクいえ、鉄道博士なる管理人の友人脇谷君がこう突っ込みを入れました。

「東京も上野も山手線・京浜東北線は上り・下りがあるからその答えは間違っている」

ご名答でした。ではJRで一番高い駅というとレイルファンの方ならご存知と思いますが、小海線の野辺山駅で標高1345.67mです。鉄道ターミナルでいうと富山県立山町の室堂駅で2450m、索道を含めると駒ヶ岳ロープウェイの千畳敷駅が日本最高地点(2611.5m)となります。
それでは反対に日本一低い駅はというと、JR海峡線の吉岡海底駅(-149.5m)です。しかし、この駅はもともと見学用の駅なので、一般の駅とは言い難く、北海道新幹線の工事に伴い2006年8月をもって休止しています。それでは旅客駅でいうと、昔スタンプでは総武線の馬喰町が-30.58mで一番低い駅を名乗っていたのですが、のちに-27.14mに修正され、京葉線東京駅-29.19mにその座を譲ったのです。ですからJRで一番低い駅は東京駅なのです。

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それにしても京葉線の乗り換えは大変。こんなところにも駅弁屋が入っているかと思うと感心させられます。しかし、下には下が。都営地下鉄大江戸線はなんと-42mもあるのです。いつの間にか潜らされていたんですね。

では地上駅で一番低いのは愛知県弥富町にある関西本線弥富駅で-0.93mです。ただし、これも鉄道アナリストの川島令三先生が隣接の近鉄弥富駅のほうが低いのではと指摘しています。

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2007年05月19日

ルビは大切です

本日は久々に読者からの投稿です。

高橋留美子のマンガで、アニメにもなった『うる星やつら』はご存知だと思いますが、ラムちゃんのセリフの中に、

「あれ、牛車(ぎっしゃ)っていうっちゃ!」というのがありました。
ところがアニメ版では、
「あれ、牛車(ぎゅうしゃ)っていうっちゃ!」となっています。

もちろん、この場合、「ぎっしゃ」でも「ぎゅうしゃ」でも、間違ってはおりません。ただ、「ぎっしゃ」と読んだほうが雅(みやび)ではあります。
おそらく、アテレコ台本にはルビがふってなかったのでしょう。

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また、『うる星やつら』には、汁夫(つゆお)さん、麺子(めんこ)さんというエキストラのカップルが登場し、互いの名を呼び合い、いいムードになりかけたところを、いつも諸星あたるの暴走によって、ぶち壊しにされるのです。これもアニメ版では、
「汁夫(しるお)さん」
「麺子(めんこ)さん」
と変えられていましたね。「めん」と「つゆ」この切っても切れない言葉が、“ルビなし”ということで事故っちゃってます。

投稿者:読者
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2007年05月20日

『風林火山』第20回「軍師誕生」

新潟に取材に行っていたため更新がすっかり遅れてしまいました。
だが、さすがに会員の協力が得られないと、このブログの運営維持が難しくなっていることも事実です。個人でそこまで責任は負えません。

物語は晴信に叛旗をひるがえした大井貞隆の長窪城(長野県長和町)攻めからはじまります。勘助は長窪城にいる相木・芦田の両名を調略し、大井貞隆は相木に騙され、城はあっけなく陥落。長窪にいた平蔵とヒサ親子は抵抗し、勘助が殺そうとするが、教来石景政がこれを止めて逃がしてしまいます。同じく望月城も甘利によって落とされ、勘助は晴れて軍師になります。
それはともかく、またも三条夫人と由布姫の気持ちの悪いやりとり。三条夫人は「悪しき心を信じようとしない」という天使のように描いており、孕んだお腹をさすって由布姫に「子を産みなされ」という。と思えば由布姫は「太郎(義信)さまにもしものことがあれば家督は……」などとまたも予言めいたことを云っています。第一、この時点で妊娠中の三条夫人の腹の子が男か女か分からないし、由布姫だって男子を産むとは限りません。ダメ、絶対におかしい。しかも由布姫は勘助に「そなたなら子を預けてよい」などとおかしなことを云い出す始末。勘助と由布姫が共謀して武田を滅ぼすために勝頼を産もうとでもいうのでしょうか? この設定は淀君と石田三成あるいは大野治長の間にできた豊臣秀頼と同じ設定で、これは『功名が辻』でやっているので二番煎じですよ。

そしていよいよライバル村上義清登場。なかなかインパクトのある登場シーンだっただけに、この役者さんをうまく生かしてほしいですね。北条氏康と今川義元は……関係ないとはいえ、物語から完全に消えています。

で、またまた不自然な設定。今度は三条夫人と由布姫が、諏訪頼重の自害した東光寺へ行き、由布姫が意味ありげな甘酒を三条夫人にすすめるところで物語はつづく。

史跡紀行では、村上義清の故郷である長野県坂城町を紹介。葛尾城や釈迦堂などを取り上げていました。坂城町はしなの鉄道坂城駅下車。JR時代にスタンプを押した記憶があるのですが、今回は坂城に取材に行っていないため、写真もスタンプもありません。あしからず。

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2007年05月21日

サヨウナラ日本一長い駅名

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本日、5月21日、日本一長い駅名で知られた「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」が「松江イングリッシュガーデン前」に改称し、6年あまりで日本一の座を明け渡すことになりました。長い駅名というと観光客誘致の町おこし・村おこしもあって何度も記録が塗り替えられました。1990年11月18日、茨城県の鹿島臨海鉄道で開業した「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前」は22文字で日本一を名乗りましたが、2年後の1992年4月1日には、熊本県の南阿蘇鉄道で「南阿蘇水の生まれる里白水高原」が開業。かな表記では22文字で同じでしたが、正式表記が一文字多いため、こちらが日本一となりました。もっとも車内放送などでは「白水高原」と省略していたのも知られています。
ところが2001年4月2日に島根県松江市でルイス・C.ティファニー庭園美術館の開館に伴い、一畑電鉄古江駅を「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」に改称しました。かな表記23文字で日本一の座を手に入れたのです。この美術館、元は名古屋市瑞穂区の「ザ・ステージ」内に「ルイス・C.ティファニー美術館」として開館していましたが、松江市の熱心な誘致で移転したのです。
だが、その後の美術館の建設や報道についてひと悶着あったようで、入館者数の減少に歯止めがかからず、2007年3月31日をもって肝心の美術館が閉館に至ってしまいました。このあたりの事情は美術館側が出した「美術館の閉館及びその原因について」に記されており、松江市と美術館を運営する会社(グレコ・コーポレーションと堀内不動産)との信頼関係は回復されそうにありません。
結局、日本一の座は再び「南阿蘇水の生まれる里白水高原」となりました。現在、堀内不動産が松江市に対し、約47億円の損害賠償請求を求める民事訴訟が進行していますが、せっかくの美術館の貴重な展示物が公開されないのは残念です。いっそのこと再びナゴヤに戻り、こちらの沿線で「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」を開業しないかな。ナゴヤ人は日本一が大好きなのだから……。

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2007年05月22日

大内宿と高遠そば

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先日、新潟の咲花温泉取材の帰路に福島県下郷町の大内宿へ寄りました。ここは国重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、隠れ里といった雰囲気を醸し出していますが、近年は観光地として整備されているため、テーマパーク化している感は否めません。それにしても資料館が一軒あるだけであとは蕎麦屋とみやげ物屋だけとは……それでも月曜というのに大層な盛況ぶりです。
名物は長ネギが一本まるごと箸代わりに出てくる高遠そばです。奥会津地方なのになぜ信州の高遠の名がというと、初代会津藩主保科正之が最初、信州高遠の城主で蕎麦の食べ方が会津にもたらされたのだといいます。
大盛を注文したらとんでもない量のそばが出てきました。ところがネギで蕎麦をすくおうとしてもうまくとれない。重みですぐ落ちてしまうのです。みんなうまく食べてるなと思いきや、箸とネギを使ってうまく食べていたようです。めんどくさいので箸で食べましたが。でもなかなか蕎麦が減りませんでしたが……。

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2007年05月23日

新幹線を運転する7

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ひかり5号は春雨のなか、濃尾平野をひた走る。周りから眺めると、真っ直ぐに見える線路も、運転台からは、ジェットコースターのように急ではないが、段差が繰り返しつづき、前方の線路がなくなっているかのように感じられるような、激しい登り下りがつづく区間もある。電車の上を延びている架線も、50M間隔で立つている支柱ごとにジグザグに架けられ、電車のパンタグラフの集電のスリ板に平均して当たるように設けられている。

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春の雨の日は湿度が高く、運転台の前面ガラスも曇りがち。お互いに声をかけあうと、カバンから洗面用具のタオルと固形石鹸を取り出し、ガラス内側に石鹸を塗りつけ拭いていく。生活の知恵だが、結構曇り止めに効果がある。ガラス拭きをしながら会話がはずむ。
蒲郡付近にさしかかったとき、田村氏に声をかける。
「坂野坂トンネルに幽霊が出る話を聞いたことがあるか!」
彼も振り向き、驚きの顔で、
「あるよ、ある。運転所で噂を聞いた」
はしやぎ顔で答えてきた。
「こういう湿気の多い雨の日に出るらしいね。今日は会えるかも!」
「その幽霊は男かな女かな?」
「白いマントを着た女らしいよ」
「坂野坂の雪女ってところかな!」
互いに、少々ふざけ気味の会話に花を咲かせているうちに、坂の坂トンネルが近づいてきた。トンネルは、愛知県幸田町坂野坂峠の下を通る延長2198Mの長大トンネルだ。ひかり号は坂野坂トンネルの表示を見るや否や、トンネルに突入していく。速度は190K。入ると同時に気圧が変化し、耳をつんざく音、そしてトンネル内の風圧の音に変わってくる。真っ暗の中、前照燈の光がトンネルの舞台を照らし出してゆく。雨で濡れた前面ガラスも、風圧が水滴を跳ね返し、レールの線だけが前方に輝く。互いに顔を見合わせながら、幽霊の出番を冷ややかな目で待つ。トンネルは上り勾配から下り勾配にさしかかる直前であった。フワッー!突然前方が白い霧の幕に覆われた。
「おーい、前が全然見えないぞ!」
田村氏が叫んだ。とたんに、ヒュー!という、空気が吸いこまれるような強い音とともに、二つの目が迫ってきた。

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「出たぁ~!」
私も驚き叫んだ。その瞬間、霧の幕がとれ、上り電車がすれ違っていった。
「あれが坂野坂の幽霊か!」
驚きの顔で息を弾ませているうちに、電車はトンネルの外に出た。何とも気色の悪い一瞬であった。
明日のパート8につづく!

投稿者:にわあつし
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2007年05月24日

新幹線を運転する8

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前回紹介しました坂野坂トンネルは、湿気と気圧の変化でトンネルで起こる現象が起きやすいことで有名な話題のトンネルなのです。幽霊騒動をあとに、ひかり号は矢作川を渡り、やがて名古屋市街地に入って行く。

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第26番町橋を過ぎ160Kに速度を落とすATC信号が出た。停車駅に近づくと、段階的に210-160-(110)-70-30と速度を落とす指示の出る箇所があり、運転士は頭に入れて速度を調整していく。左手、ナゴヤ球場を横に信号70を表示、そして、名古屋駅ホームが前方に近づいてきた。ホームは溢れんばかりの人でいっぱいだ。信号30をホーム直前で受けると、30K以下ギリギリの速度で、整列した待ち客の集中する視線を受けながら、下り勾配の雨の名古屋駅ホームを停止位置に向かって進む。ホームの号車番号を数えながら進み、やがて2号車後部口、50M手前だ。ブレーキ弁ハンドルをおもむろに掛け、ブレーキの効き具合を確かめる、まずい!? 予想以上に後ろから押され気味だ!再びブレーキを増す。
「行き過ぎだーー!」
田村氏が声をあげる。電車は、増しブレーキとともに約2M行き過ぎて停車した。すぐさま、連絡電話で後部車掌に連絡。
「バックします、ドアは開けないでください」
連絡と同時に、逆転ハンドルを後転にし、停止位置までバックした。幸い、お客の混乱もなかったため、無事、名古屋駅停車となった。

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雨で滑りやすいレールと満席客の車両状態が予想以上の停車ミスを起こしてしまったのだ。
名古屋駅は、私にとっての一番気を遣う駅なのです。

パート9につづく!

投稿者:にわあつし
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2007年05月25日

新緑の季節は空気が美味いです!

毎度ですー。すっかりご無沙汰しておりました。GWにも色々温泉めぐりに行ってまいりましたがその辺は次回ということで・・・初夏のような良い天気が続きますね。新緑が眩しい季節、久しぶりに山に行ってまいりました。2月に高尾山を紹介しましたが、今回は陣馬~高尾山縦走です。

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 陣馬山は標高857m。頂上は大変見晴らしがよく都心方面、富士山、丹沢などほぼ360度の展望が期待できます。昔の登山ルートは、和田峠まで狭い林道(陣馬街道)を車に注意しながら歩く他無く魅力の無いルートでしたが、近年2合目付近から林道と別れた杉林の中を行く静かな新登山道ができました。しかし直線的に道筋があるので少々勾配がキツメです。頂上に着く頃には大汗をかいてしまいます。山頂付近は草原になっており視界が広がります。30年前と変わり無い、馬の像が迎えてくれます。

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 山頂まで、和田峠からなら20分ほどで着くので付近は車で来るファミリーがお弁当広げて大変賑わっています。私は高尾駅からバスで陣馬高原下終点へ、そこから70分かけ汗だくで登って来ただけに気軽に高原気分を楽しんでいるファミリーがごったがえしているとちょっと複雑な気分になりますわ・・・や、山は下から登れえぇー! しかし高尾山より遠い陣馬山頂がこんなに賑わっているとは思いませんでした。考えてみたら私も30年ぶりの来訪です。昔は和田峠付近は超狭い砂利道でした。現在は全線舗装。藤野側から来れば道幅も広く気軽に来られるようになったのでした。ただし東京側は道が狭いので注意しましょう。
 
 戦国時代に北条氏と武田氏が対陣したことから陣張山と言われ、甲斐武田氏の狼煙台があったとのことです。陣を張ったことから陣場山だったのですが、ローカルネタですが、昭和の中ごろ京王帝都が馬の像を建てて陣馬山の名前で高尾山と共に売り出したのは有名な話であります。そう言えば昭和の頃は、京王線では休日の特急京王八王子行きに「陣馬」のヘッドマークをつけて走っておりました。いつのころからか「陣馬」「高尾」号は消えてしまいましたね。ちょっと残念です……最近まで陣馬高原下行きは京王八王子からバスが出ていたのですが、現在は高尾駅北口から多摩バスが運行しております。

 今回は寝坊してしまい遅くの出発でした。朝飯もカロリーメイトだけでしたので陣馬頂上で早くもハンガーノックに襲われます。富士見茶屋で山菜うどんをすすります。キノコ出汁が効いてまいうーです。一休みして高尾山をめざしたのは13時過ぎでした。これはかなり遅いほうです。800mクラスの低山ですが、影信山、城山、高尾山経由で高尾山口駅までは18キロ以上あります。縦走コースの所要時間は5時間半ほどです。日が長い時期ですがのんびりしていられません。いつもよりペースをあげて歩きます。 つづく。

投稿者:よっちゃん
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2007年05月26日

陣馬~高尾山縦走2

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さてさて、陣場山を後にしてからは緩やかに尾根を下っていきます。休日でも午後2時過ぎでは人影もまばらです。登山者に混じってマラソンマンの格好をした人たちがジョギングしています。このルートはアスリートたちの練習所と化しています。野山を駆け抜けるのは爽快だと思うのですが尻に泥の付いている人も居るのでたまにスリップするのでしょう。巻き添えを食わないよう注意して歩きます。陣場山から明王峠、底沢峠を経て室所山へ立ち寄ります。巻き道があるので立ち寄る人は余り居ないようです。展望は余り良くない山でした。一服していると八王子城跡から来た人と出会いました。この先、底沢峠で別れて美女谷鉱泉に下りていくそうです。周辺はマイナールートもたくさんあるので飽きが来ないのが良いですね。

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 室所山から景信山へは鬱蒼とした針葉樹から抜け出て、鳥の道コースと呼ばれる広葉樹が広がる明るい道になります。カッコウや鶯に混じって聞きなれない鳴き声もたくさん耳にします。鳥の鳴き声を聞きつつ歩いていると時折すばらしく良い香りがしてきます。目、耳、鼻に素敵な刺激を浴びながら2時間ほどで景信山へ着きました。景信山は727M、陣馬~高尾間の中間地点です。すでに15時ですが日が長いせいか案外人が残っています。一服していると又すばらしい香りが漂ってきます。辺りを見回し源を探ると、頭上には大きな葉が特徴の朴の木(写真左)が有りました。よく見ると大きな花(写真中央)が咲いています。直径20センチはあります。朴の木の花、初めて見ました!! まるでジャスミンのような香りを出しています。そういえば何処となく葉の形も似ていますね。つぼみ(写真右)もたくさんあるので、この時期一服するなら朴の木下がオススメです! 

 すばらしい景色と香りを楽しんで体力を充電しました。まだまだ中間地点、後半の小仏峠、城山、高尾山へと向かいます。28日につづく。

投稿者:よっちゃん
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2007年05月27日

『風林火山』第21回「消えた姫」

すいません、日曜は管理人担当の連載ですので、吉野会員の3回連続投稿を途切れさせてしまいました。でも、28日零時過ぎてから書いていますので、吉野会員のほうを先にUPしているんですがね。

はい、前回の続き。由布姫が諏訪の甘酒を三条夫人にすすめ、ぶりぶりぶりっこの本性を剥がそうとしますが、三条夫人はあっさり飲もうとし、それを侍女の萩野が飲んでしまう。以前の『風林火山』と立場が逆転しています。まあなんという性格の悪いヒロインでしょう。これには勘助も家臣から総スカン喰らっています。
このあと由布姫は甲斐から故郷の諏訪へ戻され、さらに小坂観音院へ移されます。ここでかつての『風林火山』でも有名な衝撃シーン。由布姫が輿から逃亡し、身代わりとなった侍女が自害するというストーリー。そのまま勘助ボロボロになって追いかけて、サザエさんみたく裸足でかけて霜焼けになって動けなくなっている由布姫が発見されます。
このあたりは僕がよく愛読しています橋場先生の日次記(ひなみき)にも詳しいのですが、原作は勝頼を産んだあとのシーンなのに、順番が入れ替わっている! しかも勘助は由布姫と駆け落ちしようと言い出す始末。ところが由布姫の心はすでに晴信に奪われてしまっているわけです。でもこの比喩の描写は橋場先生のブログのほうが傑作なので、今後はこちらと併せて読むとより楽しめますよ。
だからそんなに勘助と由布姫のラブを描きたいのなら、いっそのこと『史記』の呂不韋と始皇帝や、春申君と幽王のように自分が仕込んで、「天下人の稚児」としなされ。いや軍師というのはそのぐらいの非情さがないとつとまりません。

史跡紀行では小笠原長時の本拠である長野県松本市が紹介されました。長時の居城であった林城は松本市街の東の山城で、現在の国宝松本城は元は深志城といい、信玄が信濃攻略の拠点とした城です。勘助も縄張りをしたと伝えられていますが、現在の城は天正年間に家康から秀吉に鞍替えした石川数正の頃に原型がつくられたものです。まあそれはともかく、松本城は訪問していますのでスタンプとともにUPできます。

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