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2007年11月 アーカイブ

2007年11月01日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅15

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 鉄道で巡る心の旅も、締めくくりは起点の街パリです。異国において周遊して最初の街に戻るコースは、とくにその街への親しみが湧くものです。パリは初めて訪れる人には、不思議な懐かさを感じさせ、再び訪れると、なぜか安堵の溜息を漏らさせる街。同行の皆さんも、パリの街並みを見て、ホッ! としたようです。美しい歴史ある街の景観は、いつ訪れても変わらない。鉄道駅やメトロ、バス停やホテルなど、人々の集ういたるところで漂う、甘い香水の香り。私も初めて訪れて以来、この香りを嗅ぐ度に、パリに来たんだなあ、という実感に包まれます。

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 作曲家・黛敏郎さんの、パリを唄う詩の一節に、
「どんなにみすぼらしい恰好にも、誰も妙な顔をしない、そして、どんなに金をかけた盛装にだって、誰も振り向いてはくれない。パリは自由そのものである」
という、語りがあります。パリは古き伝統ある街並みに、斬新さが、どこよりも風景に馴染み、そして溶け込んでいく街。パリの人々は、誰もが自由に、自分を表現して生きています。私自身、人目を気にする性質なので、パリは最高に気ままに動ける街です。

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 パリ市内観光は、こんな自由なパリを肌で感じてもらおうと、案内役の私の一存で、リヨン駅近くのホテルから、セーヌ河に沿って、ノートルダム寺院、サンジェルマンデプレ、ルーブル美術館、そしてシャンゼリーゼ、エトワール凱旋門まで、約10㎞の道程を歩きながらの散策でした。快晴の空に、突然の激しい雨が降る、気まぐれな天候の中でしたが、ゆったりと充実したパリ巡りでした。
 ヨーロッパの旅の終わりに語ってくれた、みなさんの鉄道旅の感想ですが、パリから始まり、ベルギー、ドイツ、スイス、イタリア、そして、フランス・パリまで、5カ国を周遊し、移動距離は約5,500㎞。これは札幌から鹿児島を往復するぐらいの距離です。タリス、ドイツICE、スイス・チザルピーノ、イタリア・ユーロスター、フランスTGVなどの豪華高速列車や、ローカル列車を乗り継ぎ、言葉の壁を越えて、気軽に各地の人々と触れ合えたこと。鉄道ならではの心に残る旅ができ、たいへん感動した様子です。ヨーロッパ鉄道・心の旅は、今回で終了です。私もまたヨーロッパへ、新たな心のふれあいを求めて出発します。それでは次回をお楽しみに!

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次回のヨーロッパの旅へつづく

投稿者:にわあつし
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2007年11月04日

『風林火山』第44回「信玄暗殺」

開いた口が塞がらない茶番劇とは今回の物語です。
宇佐美定満が平蔵を使って今川への使者に立ち、出家した頼重の遺児・寅王丸に信玄の殺害をうながす。平蔵が駿河に出る前に妻のヒサが「無事ですまないし、それでは平蔵が寅王丸を殺すことになる」と図星をつく。この図星にしたいがためにこの可能性の低い暗殺劇をしかけたのでしょうか。だったら定満が従える軒猿でも使ったほうが確率は高いでしょうに。
本来の寿桂尼だってこんなアホなことは考えないでしょうに。寿桂尼は出家して長笈を名乗る寅王丸に「父はそなたが継ぐと思って自害した。姉は殺されたも同じじゃ」などといって寅王丸をそそのかすくせに、援助は全然しない。武芸の心得もない寅王丸が信玄を暗殺できると思ったのでしょうか。しかも寅王丸は家族のいる平蔵を退かせ、単独で実行しようとする無計画さ。
御琴姫に近づいて話をするといったって、偽名も使わず長笈を使うものだから信玄は最初から知っているし、肝心の平蔵は寅王丸を連れ出したにもかかわらず、太吉と源助に見つかり、挙げ句、ヒサの図星に気づき「寅王丸を助けてくれ!」と勘助に言い出す始末。だったら最初からこんな計画にのらなけれないいのに。で、肝心の寅王丸はもちろん失敗。せめてここで成敗されていればまだましだったのですが、なぜか信玄は不動明王の前に寅王丸を連れていきます。ここでいきなり義信がしゃしゃり出て、寅王丸は「すべてをさらけ出す」などアホなことを言い出す。いや、いっそのことすっぽんぽんになればいいものを、不気味に義信に近づき、義信の短刀を奪って襲いかかり、それをかばった萩乃が死亡。それでもなお、まだ成敗せず、信玄は「寺に閉じ込めておけ」と言ってるし、太吉は平蔵に家族がいるからと逃がし、勘助はぶん殴るだけ。あ~、こんなくだらん暗殺の企てに1話を使ってしまうとは。まだ勘助とリツのラブコメにしたほうが……。だから子どもはどうするんだよ勘助!

史跡紀行では山梨県甲府市の甲斐善光寺と東光寺を紹介していました。東光寺は行けなかったのですが、甲斐善光寺は昨年8月に取材していますので写真とスタンプをUPできます。お寺でも御朱印以外に参拝記念スタンプがあります。宝物館もあるし、門前には茶店もあってなかなかの賑わいをみせています。甲斐善光寺へはJR身延線の善光寺駅が最寄ですが、ここは無人駅なのでスタンプはありません。その代わり中央本線酒折駅は甲斐善光寺を印影にしています。善光寺駅から徒歩10分、酒折駅からでも徒歩15分ぐらいでしょうか。東京方面から向かう場合、甲府で身延線に乗り換えるより、酒折駅のほうが便利でしょう。

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投稿者:管理人
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2007年11月06日

ふるさと心の旅

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 ふるさと心の旅、今回は私の故郷静岡県由比町にある景勝地、薩埵(さった)峠を紹介します。
「トンネルを抜けると突然、窓越しにはまばゆいばかりの青い海が広がり、そしてその向こうには、覆い被さるように堂々とそびえる富士山が…… 」
 東名高速道路なら、静岡から上り線薩埵トンネルを出たとき、JRなら東海道本線興津駅から上り薩埵トンネルを出たときに、お天気次第で前方に写る光景です。峠はトンネルの出口付近の頭上、薩埵山を通る旧東海道の峠をいいます。
 薩埵山はその昔、南北朝時代の『太平記』では足利尊氏とその弟直義とが戦い、戦国時代は武田信玄・今川氏真・北条氏康らが、三ツ巴の争いを繰り広げた戦いの山です。東海道の難所薩埵峠は、鎌倉時代の『海道記』に、北国の道中にも此の名ある、親不知子不知の話に名高く、「ここを通る時は、親も子を返り見る暇なく、子も親を頼りにすることができない」と語られる峠です。険しい峠ゆえに、見渡す景色は美しく、山部赤人の『万葉集』で「田児の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける」と当時、興津から原までを広く、「田子の浦」と言っていた頃、赤人が険しい薩埵峠越えで、開けた眺望に感激して、この詩を読んだと言われています。残念ながら、『東海道中膝栗毛』に登場する弥次さん喜多さんは、ここ倉沢の海岸で獲れた、鮑やサザエに舌包みをうっている間に大雨になり、美しい景色も見ずに急ぎ足で、興津の宿に下ったようです。安藤広重の五十三次の由井の風景は、この薩埵峠から見た駿河湾と富士を描いていますね。

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 峠の下は海岸線すれすれに、国道1号線、東海道本線など、日本の大動脈が通っています。当時、ルート選定で、山岳地帯は工事難と多額の経費がかかるため、海岸線に決定しました。鉄道に至っては明治21年(1888)1月から由比海岸の工事が始まり、翌22年7月東海道本線東京~神戸間全線開通。ちなみに東京~大阪間の旅行費用は、明治初年の頃は、かご賃や宿賃その他で、11円36銭(約14万2000円)、鉄道開通時の明治22年は、わずか3円33銭(4万2000円)で、所要20時間余りだったそうです。当時、酒1升は約12銭でした(鉄道料金は、酒1升1500円として換算。ただし、当時の価値観は定かではありません)。
 現在は新幹線に多くの客が移り、ローカル色が濃くなった東海道本線ですが、以前は峠の下、山下海岸を壮大な富士山をバックに、国鉄の花形列車が走る姿は、絵の世界そのものでした。

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 今でもこの海岸は、鉄道写真のベストロケーション。富士山が見える晴れた日には、数少ないブルートレインなどの撮影に、多くの鉄道ファンが線路脇で、カメラを構えています。薩埵峠へはJR由比駅下車。駅前の旧国道を西へ200mほど進み、山側に折れると、寺尾・倉沢の集落のなか、旧東海道を約3キロ半、ゆっくり1時間のハイキングコースです。自動車でも小型車なら、倉沢の西端からの急坂と、狭い道に注意すれば、峠の近くの駐車場まで行けます。峠までの道は整備されていますが、周りの景色は昔のままです。由比名産のビワとミカンの実る道を、広重の世界へ歩きませんか?
※インターネットの由比ライブカメラで薩埵峠をいつでも見れますよ。

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投稿者:にわあつし
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2007年11月11日

『風林火山』第45回「謀略!桶狭間」

前回に引き続きあぼ~んなシナリオの謀略にとうとうアゴが落ちました
 前回で成敗されればよかった寅王丸は、幽閉先の寺から逃亡して討ち取られますが、二度も襲い掛かった危険人物への警備ってそんな手薄なのですか。戦国の世に平和ボケも甚だしい。
 で、今川だって寅王丸が信玄暗殺に失敗したのに、何も警戒しないのでしょうか。謀略というぐらいだから、勘助忍者説にちなみ、桶狭間で義元の居場所を信長に教えるかと思えば、ただ義元に進言し、義元を怒らせて逆の行動をとらせただけ。寿桂尼だって勘助の二度目の訪問前に普通気づくでしょうに。で、川中島で予算かけるためなのか、桶狭間の戦いを入れると川中島がボケてしまうのを恐れたのか、戦いのシーンや義元が討ち取られるシーンはまったく出てこない。たしか桶狭間は野営していたはず。なのに屋敷にいて晴れたところをいきなり鉄砲で襲われるとは本当に警備怠慢なドラマですな。
 肝心の信長も出てきません。この脚本家、これまでの信長・秀吉・家康のワンパターンから脱却したいのか。その心意気は認めますが、オリジナルでかえってくだらなくなるのだったら、こんな1話「義元が討たれました」で終わらせなさいっちゅうの。この脚本家を調べてみたら僕と同年代の若さで、妙に『三国志』のエピソードにこだわるのはそのせいかもしれません。各歴史家の先生方が怒るのも無理ないでしょう。あり得ないことですが、もし僕がシナリオを書くとしたら監修者なり時代考証家などに意見をうかがいます。なんかこの脚本家、独断でくだらないシナリオをつくってしまったような気がします。周囲の意見をきかないのは今川義元でなく、あなたでしょうに。

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 史跡紀行では愛知県名古屋市・豊明市・豊川市を紹介。桶狭間古戦場は名古屋市緑区と豊明市の2つの説があり、どちらで義元が討たれたのか結論は出ていません。大体は中京競馬場前に近い桶狭間古戦場のほうが紹介されるようですが。高徳院にあった桶狭間古戦場資料館は2004年に閉館されてしまい、市で受け継ごうとしないやる気のなさには呆れます。今回の桶狭間古戦場は豊明(写真左)と名古屋(写真右)の両方行きましたので写真はUPできますが、スタンプがありません。JR牛久保駅は下車したのですが、大聖寺はいけませんでした。牛久保駅には勘助のスタンプができたようです。

投稿者:管理人
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2007年11月12日

東伊豆町(稲取)の風力発電1

富士箱根伊豆国立公園内の観光地、東伊豆町で、クリーンな新エネルギー導入か、自然環境、植生、生態系の維持、騒音・低周波公害から守れるか。行政と事業者VS風車問題を考える住民の会が、是か非かで揺れている。

観光地におけるウインドファーム(風車牧場)の是非を問う
 10月16日(火)、旅ジャーナリスト会議有志メンバーは実情を調査するため稲取に行き、現地視察と取材を行った。結果、筆者は観光立国を宣言した我が国が、貴重な観光資源を失うことになりかねない、即ち、自然景観・植生・生態系等の連鎖的崩壊かつ、観光に携わる地域住民の人的被害を勘案すれば、東伊豆町でのウインドファーム(風車牧場)は似合わないと思う。以下、いくつかの問題を提起して考察しその是非を問いたい。

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地形図でウィンドファーム建設予定地を見る。○印は浅間山、天目山、三筋山、大峰山(国土地理院発行:5万分の1) 

○東伊豆町とは
 静岡県賀茂郡東伊豆町、伊豆半島の東岸、相模湾に臨む町。北は伊東市に接し、昭和34年(1959)5月3日、稲取町と城東(きとう)村が合併、現在人口1万4745人。眼前に大島が望める漁業の町で、伊豆半島最大の漁港といわれた稲取港をはじめ、大川、北川(ほっかわ)、白田(しらだ)の各港があって、半島随一の漁獲量を誇る。後背地は天城山へと連なる山岳地帯で、ミカン、山菜、ワサビ等の名産地として知られる。
 もともと豊かな資源に恵まれた土地であったが、大川、北川、熱川、片瀬、白田、稲取の各地に温泉が湧出、昭和36年(1961)には伊豆急行が開通し、レジャーブームに乗って新興温泉町へと変貌していった。明治19年(1886)大日本帝国陸地測量部発行の地形図、昭和22年(1947)内務省地理調査所発行の地形図、いずれを見てもこの地域での温泉地図記号の表記されている所は、片瀬のみ1カ所である。国土地理院発行の最新の地形図を見ると十数カ所におよび、いかに戦後になって温泉観光地へと変貌してきたかが判る。海岸線一帯は磯釣、船釣、山岳地帯は狩猟やミカン、オレンジ、イチゴ、山菜、ワサビ、熱川バナナ園、ワニ園、ゴルフ場と観光資源も揃い別荘地も点在している。
 江戸時代には伊豆の各地で採石が行われ、稲取などからも江戸、大坂城修復用の石が運ばれた。白田では江戸中期から硫黄を採掘、公害訴訟も起こった。隣接には河津桜で有名な河津温泉郷から天城路へと続き、東伊豆町はこれらの玄関口ともなっている。

misujiyama1.jpg三筋山

○東伊豆町における風力発電計画とは
 既設の浅間(せんげん)山(516m)3基、19年度完成をめざし建設中の通称天目山(箒木〈ほうき〉山1023mの手前天目地区約5~600m)10基、風況調査を実施し補助金採択がされた三筋(みすじ)山(821m)と大峰(おおみね)山(491m)に25基。計画通り完成すれば合計38基、高さ100mの巨大風車が伊豆半島の観光地に出現することになる。我が国の国立公園内観光地に、これほどのウインドファーム(風車牧場)は他に類例を見ない。当然のことながら色々な影響が考えられよう。この建設の是非をめぐって行政・事業者側と風車問題を考える住民の会が対立し揺れているのである。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年11月13日

東伊豆町(稲取)の風力発電2

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○建設地域の環境と現況
 富士箱根国立公園内の観光地で、箱根仙石原をはるかに凌ぐ大草原には、県文化財指定の細野湿原が拡がる。背後には天城高原をひかえ、眼前には伊豆七島の眺望が広がる一大パノラマの絶景地である。標高821mの三筋山はパラグライダーの聖地とも言われる。細野湿原には兎や鼠などが棲息している。この湿原をめぐり動植物の生態系が維持されており、例えば我が国の保護鳥、オオタカが各地から飛来して兎や鼠を獲りながら、ある程度の集団に集結すると台湾へと飛び立って行く基地にもなっているという。
 三筋山から下方へはスコリア層(岩滓〈がんさい〉といって玄武岩質の黒っぽい色をした軽石)があって、雨水を浸透させ長い時間をかけて地表に湧出させるという熊口水源を有し、麓の住民は永年にわたりこの良水を利用生活している。また、水源を守るために植林などをして手厚く保護してきた。こうした微妙な自然のバランス上に細野湿原はあり、永年、人・動物・植生に好影響を与えてきたのである。実際にこの水を飲むとまろやかで美味しいし、コーヒーを沸かすと一味も二味も違った。また、東伊豆町だけではなく、分水嶺である三筋山の尾根、反対側は河津町であり、河津温泉郷や天城の観光地でも他人事とは言えない地域なのである。

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画像提供:EyesPic

○巨大風車建設により考えられる影響
 自然環境破壊、とくにこの地域の観光資源に大きな影響を与えることは必然であろう。尾根が削られ、森林が伐採されて6m幅の道路が新設されるし、スコリア層の熊口水源や樹木の伐採、草原の破壊などは動植物に与える影響は大きいと考えられる。分水嶺である三筋山に巨大風車を林立させれば、単に自然景観を壊すのみならず自然のバランスを崩し、水源・湿原を枯れさせて洪水の危険すら予想される。当然兎や鼠も棲息できまい。ということはオオタカも集結して台湾へと飛び立って行けなくなる。植生、生態系の維持ができなくなると予想されるのである。また、着工中の天目山にいたっては、天城高原万二郎岳の山続きでシヲヌタの池・モリアオガエルの生息地として有名な場所の近くでもある。人体への影響も当然発生する。人家や別荘地も近くて予想される騒音のほか低周波の被害が考えられる。
 これまでにも、全国各地で建設された風車による人体への被害は、公害訴訟として争われているところもある。単なる騒音だけでなく、頭痛や耳鳴り不眠などの健康被害が報告されている。水源が汚染されたり、枯渇したりするようなことになれば、日常生活にも影響が出るし、自然環境・景観の破壊は地元のみならず、伊豆半島全体の観光に影響をおよぼさないとは言い切れまい。巨大建造物である風車は耐用年数が17年とも試算されている。17年が長いか短いか、20年後くらいには巨大なゴミとして誰が、何時、何処の負担で撤去するのか、放置されていることはないであろうか、いまだ明確にはなっていないようである。そして一度破壊された自然環境と景観は、撤去したとしても復元できないことは明白である。

パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年11月14日

東伊豆町(稲取)の風力発電3

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○まとめ
 伊豆半島に限らず観光地への風力発電、とくに多数林立するウインドファーム(風車牧場)建設は慎重であって欲しい。すでに南伊豆町にも1基設置されているが、景勝地石廊崎にも計画されているという。南アルプスの眺望できる長野県伊那市では、市長の勇断により反対を表明された。このたびの伊豆半島ではどうしたのであろうか。町長自らが建設を推進しているという。地元の人が反対するのは当然のこととして、静岡県観光協会、東伊豆町、北川、熱川、片瀬、稲取温泉観光協会、自然保護や野鳥関係などはどのように考えているのであろうか。また、行政・事業者・地元住民は勿論、経済産業省(資源エネルギー庁)、観光の国土交通省、自然保護や騒音の環境省、公害問題の厚生労働省などや産業界など各界有識者、学識経験者によるシンポジウムを開催して、目に見える是非論の展開をするべきではなかろうか。そのうえでの建設推進・反対論と言えるのではないだろうか。
 旅ジャーナリストからすれば観光資源を護り、観光振興を図る立場にある。ましてや我が国は観光立国を宣言して、2010年には外国人観光客1000万人招致を国策としている。このため観光庁の新設まで検討しているという。今や流れは、持てる自然観光資源をいかに護っていくか、各地では世界遺産登録をめざしている時代である。クリーンな新エネルギー推進という錦の御旗を掲げ、観光振興に反し伊豆の宝を未来に残すことができなくなる恐れがあるので、筆者としては反対の立場をとらざるを得ないであろう。独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(通称NEDO)は新エネルギー導入促進事業2007により、いろいろな導入の手伝いをしている。もとより筆者とてなんでも反対するわけではない。地球温暖化対策に基く新エネルギー風力発電の意味するところは充分承知している。その上でなおかつ国立公園伊豆半島でよいのですか、と是非を問いたいのである。オオタカよこれからも東伊豆に集結し、台湾に飛び続けろ。こう願うのは筆者だけであろうか。
おしまい

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波崎ウィンドファーム(株) 平成16年3月竣工 12基 高さ:64.5m プロペラ直径62m ドイツ製
茨城県神栖9基・波崎20基・千葉県銚子29基。犬吠埼を中心に、利根川をはさんで約60基のウィンドファームは日本一の規模を誇る。
写真左は波崎、写真中央は銚子港、写真右は九十九里屏風ヶ浦の景勝地

コラム  風力発電について
 1990年代から地球温暖化問題に伴って各国で風力発電の導入が盛んになった。ドイツ、スペイン、アメリカ、インド、デンマークなどを中心に6000万kwを超えている。いまや世界の風力発電設備は原発60基分にも相当するといわれている。クリーンエネルギーに対する意識とヨーロッパという地理的条件にもより、導入が盛んであったが自然環境保護や騒音などの人的公害を重視して、現在の設置基準は厳しく制限されたものとなっている。日本でも、1990年代後半から急速に増え、2006年6月現在での設備要領は120万kwを超え、ジャンボジェット機の翼幅と同程度の直径60mを超える巨大風車が、1000基以上も回っていることになる。風車にも種類があるが、大型発電用には水平軸のプロペラ型である。このような風車を風の強い場所に集中的に設置することからウインドファーム(風車牧場)と呼ばれる。導入以来全国各地でいろいろ問題も発生していることは事実である。我が国は山岳丘陵地が多く、陸上での風車設置の適地が限られているので、今後は3万㎞を超えるといわれる長い海岸線の沿岸を利用して、洋上風力発電を展開することが予想されている(日本国際地図学会シンポジウムより)。

投稿者:菊地正浩
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2007年11月15日

中仙道武州蕨(わらび)宿「宿場まつり」1

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24年前蕨宿中仙道の活性化を目的に始まった「宿場まつり」は、年々盛大になり今年は約10万人の人出で賑わった。同時に中仙道六十九次宿場の「宿場会議」も開催され、記念として荒川では往時を偲び木造船による「戸田の渡し」を復活、訪れた観光客の人気を得た。

○はじめに
 蕨市とは、埼玉県南部に位置し荒川左岸の沖積低地。市名の由来は平安時代の初め、第51代平城(へいぜい)天皇の孫で六歌仙の一人、伊勢物語の主人公と言われた在原業平(ありわらのなりひら)が武蔵野に来たとき、日も暮れて道に迷った際、立ち上る白い煙に人家を見つけて泊めてもらった。寒さ凌ぎに一晩中稲藁の火で暖をとってくれたと言う。未だ里の名がないところから、これからは「藁火の里」とせよと名付けたと言う。
時代を経て室町時代の中頃、渋川義鏡が関東に下向し城主となったが、藁火城では城に火の字がつくのは良くないと考えた。そこで先祖の地、上毛渋川郷蕨山の地名と、この附近一帯に生える「さわらび」から「蕨城」と名付けたとされる。
わらび、ぜんまい、左巻きと言って春の山菜として知られる。平地ではあるが小高く日当りの良いところに群生し、古代からわらび粉等にしても食して来た。古くはアイヌ民族の長が帯びている短刀の柄に、わらびの紋様がほどこされており、この短刀を「わらび手刀」と称している。

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 昭和34年(1959)4月1日、蕨町が単独で市制施行した。我が国で面積がもっとも小さく、現在の人口約7万人は人口密度日本一としても知られている。毎年1月に全国で行われる成人式は成年式として蕨が始めた発祥地であり、現在でも成年式としている。また、地図上では長野県伊那市と同緯度の、北緯35度49分であることは知る人ぞ知るである。地勢は平坦で江戸時代には中仙道第二の宿場町となり、本陣2、脇本陣1、旅籠23が整えられ、旅人で賑わう一方、物資の集散地として栄えた。江戸後期の文政8年(1825)塚越村の高橋新五郎が高橋機という織機を考案、木綿織物の生産を広め、昭和35年(1960)錦織物の双子縞が開発されてから。昭和初期まで織物の町として発展した。現在でも8月の七夕まつりは「機まつり」と称しており、近郊からも見物客で賑わう。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年11月16日

中仙道武州蕨(わらび)宿「宿場まつり」2

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●盛大になる宿場まつり
 11月3日文化の日、往時の名残が見られる旧中仙道では恒例となった「中仙道武州蕨宿宿場まつり」が盛大に行われた。地元や近郊の見物客約10万人とも言われる人々でごった返した。年々趣向を凝らしてきたが、今年は第21回中仙道宿場会議蕨宿大会も同時開催され、132年ぶりに木造船「戸田の渡し」も復活し好評を博した。
「戸田の渡し」とは、江戸時代荒川には防衛上橋は架けられず、人も馬も木造船を利用し渡っていた。明治8年(1875)5月になって戸田橋ができてから、戸田の渡しはなくなった。今回、中仙道宿場会議の蕨宿開催を記念して、木曾街道六十九次に描かれている蕨宿の錦絵「戸田の渡し」を再現したのである。その他本陣跡と歴史民俗資料館を中心とした各会場では、色々なイベントが花を添えた。蕨南町太鼓の会、須賀町鼓笛隊、南小学校・第二中学校吹奏楽部、ミス宿場小町、織姫道中パレ-ド、サンバパレ-ド、子どもたちによる中仙道六十九次パレ-ド等々盛りだくさんのイベント、アトラクション満載の1日を楽しんだ。

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●おわりに
 来年は25回記念になり、地元の実行委員会を中心に色々なアイデアで盛り上げてくれるであろう。かくいう筆者も蕨ロ-タリ-クラブという奉仕団体の一員として安心・安全まちづくり防犯パトロ-ルのミニパトカ-と警察の白バイにも協力してもらい、子どもたちに乗ってもらい、ポラロイドカメラで記念撮影、その場で写真をプレゼントして大変喜ばれた。一方姉妹提携の群馬県片品村からは産地の農産物などを持ち込み即売、その他の団体でも様々なバザ-やフリ-マ-ケットで好評だった。
 だが、課題も感じられる。旧中仙道という狭い道路で歩行者天国を実施しての行事であるが、まつりとなると相も変らぬたこ焼き、焼きそばなど定番の屋台が所狭しと出店し興を副いでいる。往時を偲ぶ折角の「中仙道蕨宿宿場まつり」が、どこのまつりにでもある屋台がはびこっては先行きが思いやられる。今のうちに対策を立てこれぞ「宿場まつり」だといわれるようなものにしないと、リピ-タ-が減少し衰退していかないであろうか。このような危惧を抱くのは筆者一人であろうか?

おしまい
投稿者:菊地正浩
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2007年11月18日

『風林火山』第46回「関東出兵」

『風林火山』も最終回までカウントダウンが近づいてきました。テレビこそタイムリーで観たものの、来年の大河ドラマ『篤姫』関連本はかきいれ時で、まったくUPしている時間がとれませんでした。師走も近づきますます慌しくなる時期で、各先生方の大河ドラマ批評も出足が遅れている模様です。
今回はようやく四郎が元服し、勝頼となります。勘助は海津築城にとりかかり、勝頼を城に入れようとしますが、高坂昌信は「城を打って出ててはいけない」といいます。で、高坂は34歳になるにに独身(?)のようで、勘助はリツをすすめるようなふくみをもたせますが、どうなるのでしょうか。
で、景虎改め政虎の関東出兵。関東管領の威光もあったのか、あっという間に10万の軍勢に膨れ上がり、おごりが生じます。今回は忍城主の成田長泰とのエピソードに時間を割いていました。長泰の妻伊勢は政虎の母虎御前に似ていることで人質としますが、これは謙信が恋をしたという上野国平井城主の千葉釆女の娘・伊勢姫から引っぱっています。で、小田原を包囲しますが城は落ちず、政虎は城の前で一人酒をかっ食らう始末。で、鎌倉の鶴岡八幡宮で関東管領に就任したのすが、その帰り居並ぶ諸将は皆拝礼をしていますが、長泰だけは下馬もせず馬上から謙信を見ています。これに怒った政虎は長泰を打ち付けます。なぜ長泰が下馬しなかったかというと、これもエピソードがあるようで、藤原家の流れをくむ成田家は、源氏の八幡太郎義家に対しても馬上から挨拶をした名門だったそうです。この故事を知らない政虎は多くの武将の前で顔を打って恥をかかせたため、関東の諸将の離反を招いたとか。政虎の気性の激しさを物語るエピソードで知られています。

史跡紀行は群馬県前橋市の厩橋城跡を紹介していました。しかし、これとて物語の関連性が薄いです。成田長泰とのエピソードや伊勢姫の話を出すのであれば埼玉県行田市の忍城か群馬県藤岡市の平井城を取り上げるべきでしょう。ということで今回は菊地会員に取材してもらった忍城と行田駅のスタンプをUPします。

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2007年11月25日

『風林火山』第47回「決戦前夜」

 ここんところ、投稿が多いせいもあってもしタイムリーに観ていても、UPするのが21時以降、でもって日付の変わる24時には月曜の原稿をUP。だから日曜の原稿がトップに来る時間は極めて短いのですが、テレビを観たあとすぐにダウンしてしまったため、先に月曜分をUPしてから遅れてUPになってしまいました。
 忍城主の成田長泰が政虎を見限って、人質を残したまま城に戻ってしまい、政虎は人質の伊勢姫に諭される始末。情けないですね。一方、信玄は越後国境に近い野尻湖近くの割ヶ嶽城を攻略。これで政虎も越後に引き上げます。
 で、今回の手柄は河原伝兵衛ということで、『甲陽軍鑑』に出てくる甲州碁石金を三すくい信玄からもらうエピソードが出てきます。結局、これをやりたいがために勘助の従者という架空の設定にしたのでしょう。いきなり万馬券をとったような伝兵衛はそのまま葉月と結ばれています。
 一方、リツの父原美濃守虎胤はこの戦いで負傷し行方不明に、でも史実では永禄7年(1564)まで生きているのだから、とりあえず生きているとしたいですね。で、勘助はリツの婿に高坂弾正を勧め、「リツはわしの城、城取りの奥義が知りたければ娶れ」などとおかしなことを云っています。そういえばリツさん、勘助のもとにきてからもう6年くらいになるのですかね。で、結局、山本家は弾正とリツの間に生まれた男子が継ぐのか、これもおかしな話ですね。
 のちに政虎(謙信)の養子となる卯松(景勝)登場。これは再来年の『天地人』の伏線でしょうか。慈愛をもった政虎が穏やかになるのはともかく、川中島の戦いに出陣する際の衣装やめてもらえんかね。甲冑の外に見える紫色、あれではアニメのコスプレ衣装で気持ち悪いっすよ。

 史跡紀行では第30回で取り上げるべき新潟県柏崎市の琵琶島城を紹介していました。第30回の時点では中越地震があったので自粛もやむを得ないでしょう。柏崎といえばもうひとつブルボンのお菓子本社が置かれるところです。こちらはBourbon Corporation、当社はBourbon Creationで、社名は似ていますが何の関連もありません。いや本当は提携したいのですが。ということで今回は柏崎駅のスタンプをUPします。

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(管理人よりお詫び)菊地会員より超大作をいただきましたが、先週前半は仕事に追われUPできませんでした。長文にわたるため、明日から6回に分けてUPしてゆきます。

2007年11月26日

観光地トイレの向上について1

毎年11月10日はトイレの日である。(いいトイレ)トイレのない人は世界で26億人いるという。今年インドで開催されたワールド・トイレ大会では45カ国が参加、国際社会のテーマとして2015年までに、トイレのない人半減の13億人を目標とした。我が国では11月9日、第23回全国トイレシンポジウムが開催されたが、そのなかから観光地トイレの整備について考察してみる。

●はじめに
 平成18年12月13日、観光立国推進基本法(昭和38年の観光基本法を前面改正)が与野党一致で成立、今年1月1日より施行された。その目的や基本理念はさておき、我が国は平成19年6月29日の閣議決定を受けて観光立国を宣言した。策定された観光立国推進基本計画における基本的な目標は平成22年(2010)までに、
一、外国人旅行客を733万人から1000万人(現在世界一位はフランスの7600万人で日本は32位)。
二、日本人の海外への旅行者1753万人を2000万人。
三、国内における観光旅行消費額24.4兆円を30兆円。
四、日本人国内旅行宿泊数年間2.77泊を4泊。
五、我が国における国際会議開催168件(平成17年)を252件(平成23年)
 とした。この動きを受けて国土交通省、環境省、総務省等国の機関に加え各地方自治体が中心となって、観光振興策に乗り出した。また、新たに観光庁を創設することも検討されている。
 日本トイレ協会ではこれまでに、公共・公衆トイレ、学校トイレ、災害時トイレ等とともに、早くから観光地トイレ、山岳トイレの向上をテーマに取り組んできた。今回、観光立国宣言で観光振興の盛り上がり機運を受け、あらためて観光地トイレの向上について、シンポジウムで活発な議論が交わされた。そこで、このテーマについて旅ジャーナリストの立場から、その内容の一部を紹介するとともに、私見を混ぜ提言し関係者の忌憚のないご意見を拝聴したいと思う。

●これからの観光地トイレ
 観光地のイメージはトイレの良し悪しによって左右されると言っても過言ではない。観光地における適切なトイレの整備と管理は観光地としての必然的な課題といえ、単に排泄という問題に限らず、今や地球温暖化や節水対策、衛生問題などへの配慮が必要で、かつユニバーサルデザインやバリアフリー、メンテナンスへの配慮について欠くことは許されない状況になっている。これまでの観光地は「観光資源として何があるか」が叫ばれてきたが、これからは「観光地として何ができるか」ということの、情報提供が必要であり、観光コースとしての活動の中で最も重要な補完施設がトイレであることは論を待たない。安心・安全な観光拠点の整備を図る第一歩としても、最近の好事例を紹介しながら考察してみたい。

パート2につづく
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2007年11月27日

観光地トイレの向上について2

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●都市型観光地トイレの起爆剤となるか--情報の町秋葉原に有料トイレ「オアシス@akiba」誕生(全国より350件応募の中から区内在勤女性が命名)
 東京都千代田区は皇居を中心として、東京駅、有楽町周辺から日比谷公園、国会議事堂、靖国神社、神保町古書街、近年著しく変貌した秋葉原などを抱える典型的な都市型観光地といえる。千代田区内には30カ所にのぼる公衆トイレがあるが、メンテナンスやランニングコスト、それにもまして破壊などによる汚れ、破損が絶えず「暗い・臭い・汚い・怖い・壊れている」の5Kそのものである。千代田区まちづくり推進部では、首都東京の顔としてのイメージアップを図るため抜本的な見直しをして、平成15年に調査を開始「公衆トイレに関する検討協議会」を設置、提言を受けてモデル有料トイレの設置に踏み切った。平成18年12月16日オープン。美しいユニバーサルデザインの先端を行くトイレ、もちろん障害者、子供、乳児、オストメイト、着替え、化粧と万全な設備を整えている。また、無料のインターネット検索ができるパソコンを設置、文字通り情報の発信地秋葉原の駅前に相応しい憩いの場である。スタッフが常駐し安心・安全・綺麗を売物に公衆トイレのイメージを一新、隣りには喫煙スペースも備えている。利用料一人一回100円(小学生以下・身障者無料)、7時~22時とし年中無休。この約1年間の利用者数は7万5000人、1日当たり約200人だが、最近の利用者数は倍増している。筆者の取材時もテレビ取材の時で放映後の反響もあって増えているらしい。

●今後の展開
 千代田区の分析では概ね好評を得ているとしながらも、意見として「利用料100円の価値はある」「とても綺麗」「着替える時に便利」「支払にスイカが使えて便利」などといった肯定的な意見が多い一方、「公衆トイレが何故有料なのだ」「用を足すのに100円は高すぎる」「税金の無駄」「喫煙コーナーはいらない」等の否定的な意見もある。しかし、着実に常連が増えてきており、定着しつつあると考えている。ただ男女別利用者の問題、即ち男8割、女2割をどう考えるか、やはり女性はトイレはタダが良いと思っているのであろうか、今後の推移を見守りたい。

●有料トイレへのアレルギー
 我が国ではトイレは「タダ」という意識が定着している。もつとも江戸時代から戦後しばらくの間、農作物の肥やしにするため便所の汲み取りは、金を払い引き取っていた時代があったほどである。チップ制は当り前のヨーロッパとは異なる。千代田区内にしても公共施設、JRや地下鉄、オフィスビル、大手デパートや商業施設等トイレはタダで利用でき、しかも綺麗で快適なトイレがほとんどである。果して都市型観光地、この千代田区に限らず東京をはじめ札幌、仙台、名古屋、京都、大阪、福岡などに波及できるか? トイレはタダという我が国で果たして定着するだろうか? 今後の動向が注目される。

パート3につづく
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2007年11月28日

観光地トイレの向上について3

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●他地区のトイレ状況
 都市型観光地で外国人観光客の多い典型的な例を紹介しよう。「浅草」である。ご承知のように仲見世から浅草寺にいたるまでのトイレ事情は、外国人ならずとも観光客泣かせと言わざるを得ない。案内板やパンフレットにトイレの位置は表示されている。でも、あればいいというものではない。設備といえば到底外国人観光客の満足のいくものではない。
 旅ジャーナリスト会議のメンバーで通訳ガイドをしているSさんの話では、仲見世を観光中トイレに入っても、あわてて飛び出してくる。そして近くのホテルへ駆け込み用を足すのだそうである。日本トイレ協会でも観光地トイレの調査を行った際、筆者も実際に浅草を調査してみたが、これでは当然だと思った。観光立国宣言、外国人観光客1000万人誘致どころではない。ほかに「上野」なども同じような状況と言える。

●国立公園での有料チップ制の現状
 我が国の国立公園は29か所208万6790ha、国土面積の5.52%ある。最近は世界自然遺産登録をめざすところが増加している。世界自然遺産というのは観光振興の観点はない。むしろ尚一層の保護の徹底が必要とされる。しかし、この趣旨が理解されずに我が国では観光振興の道具にされているという。そして世界遺産ブームとなり多くの観光客が大量かつ、季節によっては大変な混雑でピーク時対策に追われている。これは本来避けるべき事態なのである。このような意見は当然のことながら環境省や国土交通省にもある。
 一方、観光立国宣言により観光振興、観光客誘致を推進する国土交通省の観光関係部局や経済産業省などとは意見を異にする。また、国定公園56カ所、都道府県立自然公園309カ所ともなると、地方自治体の管轄となる。今年は自然公園法制定50周年、国立公園法制定から76年目を迎えており、富士山をはじめとする山岳、国立公園でのトイレ対策は喫緊の課題と言えよう。

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上高地の有料トイレ

●上高地、尾瀬にみる有料チップ制の成功例
 山岳トイレ補助金(山岳環境等浄化、安全対策緊急事業費補助)により、環境保全型トイレを整備した山小屋においては、トイレのチップ制導入や有料化を実施している。公衆トイレについては、チップ制導入箇所は少なく、成功例は上高地と尾瀬であり、それ以外は概ね赤字となっている。上高地はバスの駐車場側(マイカーは乗り入れ禁止)にある公衆トイレで、スタッフが協力金を徴収している。協力依頼金は一人一回100円。この一カ所の協力金で公園内の各所のトイレ管理、メンテナンスに充当しているのである。
 しかし、マイカー乗り入れ禁止により70万人の観光客が35万人と半減、収入も半減した。尾瀬でも60万人から33万人に半減しているという。さらにチップは硬貨であるため、集金する銀行員が背負って下山するなどの問題も抱えている。多くの観光客は「トイレはタダ」という観念を持ちつつも、上高地や尾瀬のようなところでは環境保護意識の高まりからか、チップ制は定着しているものと思われる。いずれにしろ受益者負担と行政サービスの配分について多くの課題を抱えているのである。

パート4につづく
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2007年11月29日

観光地トイレの向上について4

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秩父鉄道三峰口駅前の無料トイレ

●その他の観光地トイレ
 都市よりもローカルになればなるほどトイレを探すことが大変になる。自然観光地になればなるほどトイレの整備が進んでいないし、ピーク時対策、男女比対策も進んでいない。もちろん、和式のトイレが多く、車椅子用のトイレもない。施設管理者は利用者がどのようにトイレを使っているか把握しているのだろうか? 手の力だけで便器に乗り移れない人もいるのである。ひと昔前と格段に身長、体重も増え体格が良くなったことも考慮しているのであろうか。サービス産業としての宿泊施設で寝床とトイレは完璧でなくてはならない。だから今までの既成概念を取り除き、物事の基準を自分に置かず、関係者の意識の統一化を図ることが重要である。
 観光振興策について聞かれることがある。筆者は必ず「トイレ」のことを提案する。そのくらい満足な観光地は少ないと言える。行政も観光協会や観光関係の方々も、皆一様に頷くがそれから先一歩も進んだためしがないといっても過言でない。観光客誘致策として不可欠な一つにトイレ問題が重要ことは判るが、対策は進まないのは何故か、筆者はトイレは行政のやることと思っているところが多いことを指摘しておきたい。トイレはタダ、しかも鉄道や行政がやってくれるものと勘違いしている観光地の人たちが多い。観光振興策の一環としてトイレ問題に地域ぐるみで取り組んでいるところもある。いくつかの好事例を紹介してみたい。

京都東山観光マップ
 大規模な観光地のトイレ対策として、観光トイレマップを作成して提供している。この取り組みの趣旨に賛同する会員から協力金を集め、観光リーフレットなどのほか、地域で統一されたトイレ利用可能を示す表示を行う点や、民間協力による事例である。
千葉県銚子市トイレマップ
「どなたでもご自由に」をキャッチフレーズとして、トイレの所在地リストと場所を表示した地図を置いて配布している。ホテル、スタンド、お寺、ラーメン、寿司、市場、観光施設等々で参加54カ所にのぼる。
福島県会津若松市
 アネッサクラブ(商店街の姉さま)。地元商店街が一体となって取り組んでいる「4つのどうぞ」①お茶をどうぞ、②お荷物をどうぞ、③椅子をどうぞ、④トイレをどうぞ、である。トイレについては個人商店も含め既存施設の活用を図りサービスしている。
宮城県気仙沼市
 1995年第14回全国トイレシンポジウム開催市。早くから行政と地域住民一体となった取り組み。市役所職員、商店主、会社員、主婦などのボランティアにより公衆トイレの清掃、メンテナンスを行っている。
群馬県
 ぐんまビジタートイレ認証制度(認証マーク)。①清潔、②安心・安全、③誰でもみつけやすい、④誰でも使いやすい、⑤まちにあったものを。県内約600カ所の公衆・公共トイレを調査し、平成18年度末で約100カ所を認定した。
富山県
 富山県快適トイレ推進プラン。「いつでも、どこでも、だれでも、安心して、快適に」利用できる。「環境に配慮した」トイレの推進。富山県トイレマップの作成。「環日本海トイレフォーラム」の活動。「トイレガイドマップ」の作成。
新潟県
 観光客へのトイレをどうぞというメッセージ。「まちなか、みちなか、どこでもトイレ事業」
熊本県
 「商店街がUD事業でトイレの提供」中心市街地6商店街がトイレを無料で提供。(私たちはお手伝いします)トイレが使えますシールを店頭に掲示。

パート5につづく
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2007年11月30日

観光地トイレの向上について5

●長野県伊那市に注目
 平成18年3月、伊那市、高遠町、長谷村が合併して新しい伊那市が誕生した。同時に中央アルプスの山腹を貫いて権兵衛トンネルが開通した。これによりJR中央線、飯田線、中央高速道、長野自動車道、甲州街道、三州街道、中山道を利用した広域観光エリアが形成された。中央アルプス、南アルプスに抱かれた、伊那路が新しい観光地として脚光を浴びようとしている。さらに飯田市、伊那市、富士見町、大鹿村は南アルプスの世界自然遺産登録をめざし、すでに協議会も設置して推進を図っている。
 恵まれた自然環境を生かしながら、産業と観光振興を図る取り組みが行われているが、観光資源としては充分過ぎるくらい持っていると言っても過言でない。あとは観光立国の一翼を担うアイデア、仕かけ、取り組みなどが期待される。その一環として筆者は昨年「観光地トイレの整備と充実」に関する提案を行った。関係者も関心を持って前向きに検討している。幸い地元には立派なモデルケースがある。
「かんてんぱぱガーデン」のトイレである。南アルプスの景観を眺めてのヘルシーで美味しいかんてん料理も良いが、このガーデンのトイレはユニバーサルデザイン、メンテナンス、数ともに申し分ないと思う。きっとリピーターも多いことであろう。春には高遠城址公園の桜が有名で、多くの観光客で賑わうがトイレ対策もさぞ苦労していることであろう。今後、伊那市が南アルプスの世界自然遺産登録をめざす上からも、総合的な観光地トイレの向上にどう取り組んでいくか注目していきたい。

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長野県伊那市、中央構造線分杭峠の磁場ゼロ地、浄化槽式有料エコトイレ

●観光地トイレの今後と対策
 前述のごとく観光地といっても東京のような都市型や上高地・尾瀬といった国立公園型では大きく異なる。なかでも、国立公園や自然遺産地域での維持管理やコスト負担のあり方が大きな課題となっている。このため有料チップ制や指定管理者精度の導入等が模索されている。また、地球温暖化やCO2削減は、トイレの分野においても処理レベルの維持を図りつつ、省エネ化や節水化が進められている。
 世界では今や6㍑便器は当たり前の時代であるが、日本では依然として10~13㍑便器を使用している。1回に流す水の量が世界に比べて倍であり、いくら水の豊富な日本だといっても、世界からは無駄遣いと言われている。「受益者負担の原則」がある一方、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」第五条には、「清潔の保持は市町村固有の業務」が定められている。今こそ、誰がどのようにして負担すべきなのかが問われている。

●観光地トイレの印象は観光地全体の印象に影響する
 いわゆる「暗い、臭い、汚い、怖い、壊れている」の5Kが印象の悪いトイレであり、かつ外国人観光客ならずとも、近年は洋式、水洗、乙姫と広さが求められている。観光地トイレに関するアンケート調査によっても、①清潔、②メンテナンスが良い、③ユニバーサルデザイン対応済。であり、悪いトイレは①不潔・臭気、②便器の数が少ない、ピーク時対策がとられてない、③メンテナンスが悪い(トイレットペーパーが無いなど)である。印象の良いトイレにするためには設置者の悩みもある。①メンテナンス②落書き、いたずら、破壊、③利用者マナー、④維持費の財源、などがあげられる。

パート6につづく
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