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2008年02月 アーカイブ

2008年02月01日

ヨーロツパ心に残る町3

オーバーホーヘン〔スイス〕

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朝日が眩しく車窓を照らすなか、バーゼル行きのIC特急は、トゥーン駅の長いホームに停車した。平日の朝8時頃なら、通勤客などで混雑する時間帯なのに、ここトゥーンの駅は、乗降客もまばらで、ホームは閑散としている。列車のドアを開け、ステッブを降りると、さわやかな初夏の冷気が身体全体を包み込み、しごくリフレッシュな気分だ。心地よい空気の中をトゥーン駅前のバスターミナルに向かう。
 めざすオーバーホーヘンは、トゥーンからトロリーバスで約15分ほどの、トゥーン湖畔にある小さな町。バス車内の自動券売機でチケットを購入。2.2スイスフラン(約220円)である。バスは右手に美しいトゥーン湖を見ながら走ってゆく。スイス・ベルナーオーバーラントのこの湖岸には、4つの円筒の塔を持つ城がある古都トゥーン、ユングフラウ登山の玄関の町インターラーケンや、ゴールデンパス・ラインの中間の町シュピーツなどが、日本でもよく知られている。

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 まるで童話の絵本の中から抜け出たような美しい町が点在しており、オーバーホーヘンもそのなかの一つだ。町のシンボルは、湖岸に張り出して建つ12世紀構築のオーバーホーヘン城。尖った屋根の水塔があるこの城は、幾度か戦争で領主が変わり、要塞にもなった。現在は歴史博物館になっており、ゴシック、ルネッサンス、バロックなど、時代の流れを室内装飾に見ることができる。庭園もたくさんの花々で飾られ、とてもメルヘンチックである。
 城のすぐ横には、トゥーン湖の連絡船乗り場があり、トゥーンやインターラーケンから、船で訪れることもできる。バスはこの連絡船乗り場から、民家のあいだの坂道を登り、国道沿いに停車する。オーバーホーヘンは、小高い丘と湖に挟まれた小さな町。町の人々は、子どもから大人までみな笑顔で迎えてくれ、とても親しみ深い。

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 湖畔に出ると、オーバーホーヘン城の向こうには、ベルナーオーバーラントの名峰アイガーやユングフラウの山々が顔を揃え、目の前はピラミッドのような独立峰ニーセン(2362m)が、湖を覆い被さるように、雄大な姿を見せている。湖畔沿いのベンチに、しばし腰掛けて、青く澄んだ湖に戯れる水鳥たちを眺めながら、ぼーっと時を過ごす。ここからのロケーションは、城と白いアルプスと青い湖それに赤や黄色の花々が色を加え、鮮やかな絵画の世界を創っている。私はスイスを旅するときは必ず立ち寄り、無心の時を過ごすことにしている。とても気のなごむ癒しの町だ。

パート4につづく
投稿者:にわあつし
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2008年02月03日

『篤姫』第5回「日本一の男」

 うーん、不思議。苦戦すると予想していた『篤姫』が回を重ねるごとに視聴率があがっております。不倫や離婚騒動が当たり前の世の中だから、憧れているのでしょうか。ああいう生き方を。
 今回の物語はほとんど創作で、あだち充『タッチ』幕末版のようなラブコメノリでしたね。自由恋愛がほとんど許されない当時に当てはめたからこそよかったのかも。しかし、歴史ブログランキングで上位を争う桐野先生の『膏肓記』では、縁談相手となる島津忠教の次男右近では年齢が合わないと書かれています。たしかに於一より右近のほうが6歳年下では……。
 それにしても今回は古臭い青春ドラマでしたね。篤姫が桜島を望んで「私にとって日本一の男に嫁ぎたい」と肝付尚五郎に語り、それに奮起した尚五郎は熱血して剣術に励む。おおっ青臭い。そして於一の家を訪ね、尚五郎はついに父忠剛に「妻に欲しい」といいました。さらに、
「大切なのは日本一の男になれるかではなく、なってみせるという決意」
と熱弁。忠剛もこれに感激し、「縁談を断る」と申します。しかし、斉彬のところに登城すると、斉彬は養女にくれといいます。哀れ尚五郎……幼馴染とは結ばれず、この失恋をバネに立派な家老へと成長してゆくのでありました……では、ベタすぎます。

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 史跡紀行では今回登場したジョン万次郎の故郷・高知県土佐清水市を紹介していました。しまった! こう来たか。『天璋院篤姫と幕末を旅する』(一水社)ではノーマークの場所でした。土佐清水というと土佐くろしお鉄道の沿線からはずれたところで、中村駅からバスで行かなくてはならない場所なので、そう簡単に取材にも行けませんが。ということで5回目にしてとうとう写真もスタンプもナシになってしまいました。すいません。

投稿者:管理人
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2008年02月09日

雪の帯広へ

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 1月24日は羽田から帯広空港への便は雪で欠航。翌日私は帯広行のため、 余裕をみて羽田→札幌新千歳空港→南千歳駅からJR特急で帯広に向かった。北海道の鉄道の旅も、ウトウトできていいものです。

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 高架線上の帯広駅はすっかり装いを新たに、まるで「全国共通新幹線駅」の様相で、かつての北海道らしい重厚さがなくなりましたが、とても明るい雰囲気です。

投稿者:伊藤建介
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2008年02月10日

『篤姫』第6回「女の道」

 薩摩藩主斉彬が養女にと申し出たことで、ぽか~んとしている於一。なぜ気に入られたのか分からない様子です。肝心の尚五郎のほうは婚約を反古にされ嘆き悲しみ、西郷吉之助の祝言にも泥酔。しかし、於一が迷っていると同時に養育係の菊本(佐々木すみ江)の様子もおかしくなっています。
 於一が養女に選ばれた理由を尋ねに行く際に菊本は「女の道は一本道。道を引き返すは恥」と説きます。しかし、小説の中の話ですが、菊本の自害の理由はわけが分かりません。ドラマも原作に忠実に再現しているのですが、「本家の養女となる於一を身分の低い自分が育てた事実を消し去る」というのが、理解し難いのです。そんな華やかな舞台に立とうとするところで、自害すれば於一が悲しむばかりか、ノイローゼになってしまいます。どうもこのあたりは作者の史観で描いているため言及する気になれません。
 斉彬が於一を養女に選んだ理由のひとつで「母に似ている」といいますが、斉彬の母は周子(1792~1824)は弥姫(いよひめ)といい、鳥取藩主・池田治道の娘です。嫁入り道具に史書を大量に持ち込んだ話は史実のようです。しかし、斉興の寵愛は側室の由羅に移り、弥姫も早世したため、のちにお由羅騒動の悲劇を生むのです。
 あとジョン万次郎が国防のため、沿岸に砲台を築き、的確なビジョンを語っていました。これはなかなかかっこいいです。万次郎は世界一栄えている町をイギリスのロンドン、清の北京、日本の江戸と語っていますが、当時の江戸は人口も100万ほどいたのに、日本で絶滅したカワウソと共存できたすばらしき平和と環境保全のモデル都市だったのです。

『篤姫』をもっと詳しく知りたい方はコチラ

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 史跡紀行ではまた鹿児島市に戻り、西郷・大久保の生まれ育った鍛冶屋町と高見橋の大久保利通像や城山麓の西郷隆盛像を紹介していました。西郷隆盛像は第2回で紹介した小松帯刀像からほど近いところにありますが、身長5.257mもあってとにかく巨大です。大久保利通の像は鍛冶屋町に近い甲突川の高見橋の近くにあります。ともに像のスタンプもありますのでUPしますが、西郷のスタンプは鹿児島県立博物館、大久保のスタンプはJR鹿児島中央駅の鹿児島市観光案内所にあります。銅像のある場所にスタンプがあるわけではないので、押したい方は注意してください。

さて、今週は他の会員からの投稿が殺到しており、トップにUPされる時間は短いのですが、ぜひとも愛読よろしくお願いします。明日からは菊地正浩会員のルポを6日連続でUPしますので、お楽しみに。 

投稿者:管理人
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2008年02月11日

水上バスで東京散歩1

~隅田川から東京ベイエリアへ~

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江戸の昔、武蔵の国から下総の国へと渡ったことから名付けられた両国橋。忠臣蔵の赤穂浪士たちが、深川の吉良邸から芝高輪の泉岳寺へ行くのに渡った永代橋。下町の歴史と文化が薫る隅田川を水上バスで潜り、お台場海浜公園を巡るゆらり旅である。

●はじめに
 昔は「綺麗な川」を意味するアイヌ語のアラペツとか、あばれ川とか呼ばれていたが、この荒川も現在の隅田川の位置を流れていた。たび重なる洪水により大規模な治水工事が行われ、昭和5年(1930)に荒川放水路が完成し、これまでの荒川本川を「隅田川」と呼び、荒川放水路を「荒川」と呼ぶようになった。戦後、隅田川の流域では市街化が進み、路面舗装、建築物の乱立によって遊水や保水能力も低下、大雨時には水が急激に流入するようになった。また、近年は地下水の汲み上げで地盤も沈下、隅田川より低い土地が沿川に広がっており、海面上昇とも相俟って水害の危険性が心配されている。

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●浅草~お台場海浜公園クル-ジング
 (財)東京都公園協会の東京水辺ライン、両国・お台場クル-ズでフィ-ルド学習が楽しめる。地球温暖化による海面上昇を実感したり、ひと味違った超近代的に変貌している東京を眺められる。昨年12月、「聞いて、見て、分かる、面白い」というタイトルでテクニカルツア-が行われた。低地を水から守る、橋梁の想い、洪水、高潮、地盤沈下、防潮堤や水門の整備等々を学習するものである。テキスト代込みで大人1500円であるが、満員という人気であった。それだけ関心が高いということであろう。今回の水上バスは両国国技館前を出発し、お台場海浜公園で折り返し、両国へ戻ってからはさらに浅草の桜橋まで行って帰る。この間約2時間30分、大人2000円というゆらり旅である。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月12日

水上バスで東京散歩2

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●両国橋を潜り次々と由緒ある橋を潜る
 両国国技館前の発着場をゆったりと出発するとすぐに両国橋を潜る。近年は観光客を乗せた屋形船や東京湾での釣り船が人気を呼んできたが、満潮時になると海面上昇の影響で橋を潜れなくなってきた。船底に水を注入し船を沈めるという対策を取っている。また、川の両岸に造った遊歩道にも水が上がってくるようになった。水上バスは近代的なデザインで船型も低く快適な乗り心地である。

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 続いて、新大橋(上段左)、清洲橋(上段中央)、隅田川大橋(上段右)と潜り、永代橋(下段2点)にやってくる。赤穂浪士たちが渡った時は木の橋であり水面はかなり下であったはずである。今は鉄骨とコンクリ-トでしかも船上のデッキで飛び跳ねると手が届きそうである。やがて越中島に到着する。観光客だけでなく日常の足として利用している人もいる。

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 次に比較的新しい中央大橋(左)を潜ると佃大橋(右)に来る。橋の無かった昔は佃煮を買い求める人が渡し舟を利用していたが、現在は車で簡単に来られるようになった。船上から見る佃島は昔の面影がまだ少し残っているようである。

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パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月13日

水上バスで東京散歩3

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●霊岸島の水位観測所跡
 越中島、佃島の対岸に昔は「霊岸島」といい、東京湾の水位観測所があった。現在は逆三角形のモニュメントがある。明治6年(1873)に我が国の陸地の高さを測量するために設置されたものである。明治6年6月から12年12月まで東京湾の潮位を測り、その平均海面を0mとして決めたのである。この0mを基準として明治24年(1891)5月、東京都千代田区永田町1-1憲政記念館構内に日本水準原点を設置、ここを標高24・5000mと決め、我が国の陸地の高さを決める原点にした。大正12年(1923)の関東大震災後は三浦半島油壺験潮場に移転、同時に内陸部の不動と思われる地点からの、直接(一等)水準測量の平均値を検討した結果86㎜の修正が行われ、24・4140mと定められた。この日本水準原点を中心として全国の主な国道や主要地方道に沿って、一等水準点が約2km間隔、2万2000カ所に設置されている。このように霊岸島水位観測所跡は、我が国の陸地の高さを決めた草分け的な場所なのである。

●勝鬨橋~浜離宮恩賜庭園
 水上バスは次の発着場、明石町・聖路加ガ-デン前に到着する。眼前には高層の聖路加病院やマンションが建ち並び、再開発により超近代的な都市に変貌した東京の姿がある。よく見ると、もうすぐ東京湾に出ようとするこの辺りにも遊歩道、公園、トイレなども整備されている。子どもを連れた人の散歩、ジョギング姿などが水辺利用の楽しさを映し出しているが、満潮時には水が上がるのであろうか、遊歩道にはくっきりと水の跡が見てとれる。

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 発着場を出発してすぐに勝鬨橋を潜る。ここも船上のデッキで飛び跳ねると手の届くような高さになってしまったし、交通量も多くなったので船のために橋を開けなくなってしまった。だから低い船しか通行できなくなったのである。

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 移転が決まっている築地魚市場(写真左)を横目に見ながら、浜離宮恩賜庭園発着場へと来る。浜離宮恩賜庭園は防潮堤で護られているので、水門(写真中央)を潜らなければならない。水上バス一隻がギリギリ通行できる水門で、この日現在の「水深4.1m」(写真右)と電光掲示板に表示が出ている。水上バスはしきりに警笛を鳴らし、ゆっくりとした速度で水門を通り発着場に向う。水門の中では他の水上バスが出るために待機している。入るも出るも一隻ずつしか通れない水門なのである。浜離宮恩賜庭園ではそんな船の光景を眺めたり、散策を楽しむ人たちが手を振ったりしている。

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パート4につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月14日

水上バスで東京散歩4

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●レインボ-ブリッジ
 お台場海浜公園までのクル-ジングで最後に潜るのがレインボ-ブリッジである。船上のデッキから上を見上げると違った風景が見られる。もちろんほとんどの船は潜れるが、クイ-ンエリザベス号やタイタニック号は潜れない高さになっている。なんでも羽田空港発着の飛行機に支障のないように高さ制限されたのだそうである。そういえばしきりに飛行機の飛ぶ姿が見られる。

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●お台場海浜公園発着場
 1時間が過ぎて東京湾に出てきた。竹芝桟橋に停泊している船や行き交う大型船、通って来た後の超近代的に変貌した東京の景色を眺めしばしくつろぐ。幕末にペリ-が来航し開国を迫られたとき、幕府が砲台を造った跡のお台場を傍に見る。そしてゆっくりと発着場に向かう。

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 正面にはフジテレビの本社ビルが迫ってくる。発着場にはすでにたくさんの人が折り返し出発する水上バスの到着を待っている。外国人観光客の姿も多く国際色豊かで、東京湾のクル-ジングを楽しむのであろう。到着すると乗客全員が下船、水上バスは点検と清掃のためしばらく停泊し乗客を待つのである。

パート5につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月15日

水上バスで東京散歩5

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●再び両国をめざし東京湾から隅田川へ
 来た航路を戻り、逆の方向から眺める景色も違った趣がある。林立する高層ビルやマンションに混じって遠く東京タワ-の姿も見え隠れする。来た時には目にしなかった物も見えて楽しい。夜のクル-ジングは夜景もすばらしくカップルに人気があるという。

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 両国に戻ってからは蔵前橋(上段左)、厩橋(上段中央)、駒形橋(上段右)、吾妻橋(下段左)、言問橋(下段右)と潜る。沿岸には隅田川公園があり桜並木が1kmにわたり植えられ、春には花見客で賑わう。浅草では屋形船や釣り船が沿岸に横づけされており、観光シ-ズンを待ちかねているようだ。水上バスはまもなく終点桜橋に到着、休む間もなく両国へと折り返して戻った。

●変貌する隅田川沿岸都市
 下町の文化と歴史が薫る隅田川沿岸であるが、ますます近代化の波が押し寄せている。平成23年度(2011)には業平橋、押上地区に、デジタル放送用アンテナを付け、450mの高さに展望台を備えた、約610mの新タワ-が完成する。国内外から世代を超えて多くの人々が訪れる国際観光都市に変貌することであろう。カナダ・トロントにある553mのCNタワ-をはるかに凌ぐ世界一の新タワ-と共に、超近代化した下町文化の薫る隅田川沿岸地域、まちがいなく東京の賑わいが隅田川に架かる多くの橋々を渡り東へ展開していくであろう。かつて江戸時代に両国橋を渡り、武蔵の国から下総の国へと人・物・金の流れを創ったようにである。

パート6につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月16日

水上バスで東京散歩6

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●災害は忘れた頃やってくる
 東京深川の木場に州﨑神社がある。この神社の境内に波除碑・津波警告の碑があることは今の人にあまり知られていない。5代将軍綱吉の生母桂昌院の守り神として建立され、弥生(3月)の潮時には海岸で蛤がとれた絶景地だったという。
 寛政3年(1791)9月4日、深川の州﨑一帯に襲来した高潮によって附近の家屋がことごとく流され、多数の死者、行方不明者が出た。火事と喧嘩は江戸の華と言われ、明暦の振袖火事(1657年)に代表されるごとく、大火は定期的に発生、その対策には色々と手がうたれていた。しかし、海からの高潮、津波対策は手薄であった。
 幕府はこの災害を重視して、州﨑弁天社から西のあたり一帯の東西285間(約518m)、南北30余間(約54m)、総坪数5467余坪(18000㎡)を買い上げ空地とし、これより海側に人が住むことを禁じた。そして空地の東北地点(州﨑神社)と西南地点(平久橋の袂)に波除碑を建てた。寛政6年(1794)に完成した石碑は、砂岩で脆く関東大震災と東京大空襲での損傷が著しいが現存している。現在この附近は開発され何事もなかったかのようにビルやマンションも建っている。しかし、地球温暖化による東京湾の海面上昇が進み、満潮時の台風による高潮、大地震による津波の襲来による被害で、折角の波除碑による教訓が生かされなかったというようなことにならないよう祈りたい。

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●おわりに
 今回のクル-ジングでも明らかなように、隅田川、東京湾沿岸、旧江戸下町が変貌し熱くなろうとしている。ちなみに、東京23区の総面積は621.4k㎡(平成16年)であるが、干潮面以下の低地124.3k㎡(20%)、満潮面以下の低地31.5k㎡(5.1%)、満潮面以上ではあるが高潮危険地254.6k㎡(41%)、合計410.4k㎡(66%)であり、実にこの大半が東京湾岸、隅田川東部地区だということを忘れてはならない。昭和22年(1947)のカスリン台風、昭和24年(1949)のキティ台風、昭和33年(1958)の狩野川台風による浸水被害を忘れてはいけない。2010年には外国人観光客1千万人誘致をめざす。今秋には観光庁も新設される。世界の観光地日本、その玄関口の東京、隅田川、東京湾岸、下町が賑やかになっていく。災害は忘れた頃やってくるという、万全を期した防災対策と普段の備え、関心を怠ってはならない。

おしまい
投稿者:菊地正浩
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2008年02月17日

『篤姫』第7回「父の涙」

 会員一部の方は伊豆へ研修に行かれたようですが、当日本の校了と重なってしまい、行けなかったばかりか、朝帰りでドラマをタイムリーで観れなかったため、こちらの更新も2日遅れになってしまいました。『篤姫』の視聴率も第5回をピークに下がりはじめているのが気になります。
 今回は於一と尚五郎のラブストーリー最終回でした。まったりと流れていた時代も一気に2年も進みましたね。しかし、菊本の自害は解せないと思っているのは、僕ばかりでなく桐野先生も申しております。やはり普通に歴史を知る人ならそう思うのも無理ありませんね。しかも菊本が亡霊になって枕元に出て、「姫様を見守る」と云っているし、『うしろの百太郎』ですかあなたは。
 あとは嫁入り物語のような話でしたな。娘を送り出す父親の心情という感じで、於一に逢うと涙が出てしまうため、つい避けてしまう忠剛。「友の証」として御守を交換する於一と尚五郎。その一方では黒船の来航が刻一刻と迫っています。しかし、あの黒船はおもちゃの模型みたいでチャチですな。

 史跡紀行では鹿児島県指宿市を紹介。しかし、指宿の砂蒸し温泉はじめ、山川港や異国船番所跡、知林ヶ島、今和泉郷など、市内各所を一度に紹介した感じでまとまりがありません。第一、同じ指宿市内でも今和泉と指宿、山川では結構離れています。ということで今回はJR薩摩今和泉駅と指宿駅のスタンプをUPします。薩摩今和泉駅はJR化後に無人化されたのですが、大河ドラマの舞台ということで篤姫観光ガイド案内所として観光ボランティアガイドが常備されるようになりました。有人駅時代に「わたしの旅スタンプ」の類似スタンプが設置されていたので、ぜひ記念スタンプも復活してほしいです。なお、指宿市内の駅では二月田・指宿・山川などにスタンプがあります。

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投稿者:管理人
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2008年02月18日

凍結した糠平湖

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 北海道・十勝平野から40㎞ほど北の山中に、糠平湖がある。
 上士幌町からの国道横に、かつての国鉄士幌線の路線跡橋梁が見所になっている。第三音更川橋梁を見た。私はかつてこの路線を十勝清水駅へ向かったわけだが、鉄道への感傷はあまり生じない。「糠平国道」の表示に、悪路を走行した昔を思い出す。
 この朝、まだマイナス20度もの冷気を吸うので、咳こむし、吐き気までしてきた。湖面の結氷は厚さ50㎝とか。さらなる自分の軟弱を体験した。

投稿者:伊藤建介
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2008年02月19日

信州木島平村のてんぷら

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 信州木島平村の珍しい天ぷら。
 私には馴染みのない食材ですが。左上からヤーコン、ヨモギ、干し柿、シメジそれに、あわてて食べてしまい姿を消したリンゴの天ぷら。ソバのツキダシに、写真をとる前にほとんど食べつくした野沢菜。ソバは地元産の10割。天ぷらは、すべて珍しくて新鮮です。エビ天のないスガスガしさを感じました。
 村のそば打ち研究会が開いている、そば処『樽滝』にて。

投稿者:伊藤建介
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2008年02月20日

ヨーロツパ心に残る町4

ベネチア 〔イタリア〕

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 ベネチアを訪れるときは鉄道がよい。映画『旅情』冒頭のシーンでは、「ベニスの夏の日」のメロディとともに、ヒロイン、キャサリン・ヘップバーンが、鉄橋を渡る列車の中で、まるで子どものようにはしゃぎながら映写機を回し、初めて旅するベネチアの街に期待と喜びを表現。ラストシーンではせつない汽笛とともに、サンタルチア駅を離れる列車の窓から身体を出して、やるせぬ別れの気持ちを演じるシーンなどが登場し、ベネチアと鉄道は、旅人にとって最高のロケーションになるからだ。
 列車は陸側のメストレ駅を出ると、海を渡る長い大鉄橋に入る。鉄橋を渡る列車のリズミカルな音とともに、やがて海の向こうに、赤茶けた屋根の揃った美しいベネチアの町並みが現れ、列車は近づいて行く。心ときめかせながら、これから訪れる水の都への憧れにワクワクしながら行くのも、鉄道旅ならではの感動である。できるなら、列車の窓から思い切り顔を外に出して、潮風に迎えられながら眺めて行きたい(ユーロスターやシサルパンなどの特急列車は窓は開かない)。

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 やがて終着駅であるサンタルチア駅に到着。列車を降りた乗客たちは、それぞれに旅の荷物を持ちながら、ドドッと駅舎に流れて行く。駅舎を突き抜けて玄関前に出ると、運河と活気溢れるヴィポレット「水上バス」乗り場の雑踏が突然目の前に拡がり、海の中にある異色の街に来たことの強烈な印象を与えてくれる。
 鉄道旅では、荷物の移動などの都合上、宿は駅の近くに決めることが多い。昨年泊まった宿は、サンタルチア駅から徒歩3分の4つ星ホテル「ベリー二」だ。世界的観光地だけに、ホテル料金は他の都市と比べ割高だが、ベネチア市内ではサンマルコ広場などメインストリート付近に比べ、駅付近は安いようだ。宿のつくりも廊下こそ、この町のように迷路みたいであったが、メゾネットタイプの部屋にベネチアンスタイルという年代物の内装は、大変趣があり落ち着かせてくれた。
 ベネチアは街のすべてが写真の被写体になり、シャッターボタンから指を外す暇がないほどだ。入り組んだ個性ある歴史的また芸術的建築が海を埋め、その細い路地の運河を、波を軒先にチャプチャプと当てながら、観光客を乗せたゴンドラが行き交う。時折、狭い運河の交差点で、建物の間に吊り下げられた信号機に従って、向きを変えている運搬船やゴンドラのゴンドリエーレの交わす大きな声が、活気ある運河の路地裏に響く。
 潮の香漂う哀愁の街ベネチアの観光は、旅人に無限のテーマを与えてくれる。ガイドブックを見ながら、地図を頼りに歴史的建築物を訪れるもよし。ゴンドラに乗り運河めぐりを楽しむもよし。サンマルコ広場のハトと戯れ、楽団の演奏に酔いしれるもよし。また映画『旅情』のヒロインになりかわり、ロケ地めぐりもおもしろい。

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 私はいつも、迷路のような町並みを、道に迷いながらただ歩き、細い路地裏で頭上の洗濯物を眺め人々の暮らしぶりを感じたり、数えられぬほどあるショップを覗いたりして人々と接する、ぶらり散策が楽しい。ベネチアは何度訪れても新鮮な気持ちで迎えてくれ、まるでイタリアの磁石のように引き寄せられる、飽きない街である。

パート5につづく
投稿者:にわあつし
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2008年02月21日

雪国信州の普通の雪

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 信州の木島平では今年はじめての大雪。これが普通の積雪で、それでも平地で1.5mは積もり、2時ごろ、雪が解けたころにクルマを掘り出した。
 今年は粉雪で積雪が少なくて、地元では「助かる!」という。

投稿者:伊藤建介
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2008年02月22日

東京の夜景のスタート

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 新宿の京王プラザホテル「樹林」で夕方打ち合わせ中でしたが、 にわかに外の樹がピカピカ。電気使用量の少ないLEDでしょうが、こんな混雑した街中まで電飾は不要です。たしかに「きれい」ですが、「きれい」よりも発電の原料はなにかを思うと、辛いわけです。
 世界共通貨幣にいずれ「酸素」が浮上すると思うからです。

投稿者:伊藤建介
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2008年02月23日

『ローカル線の旅』を使って

旅じゃBLOGを初めて早1年が過ぎました。ここんところ珍しく会員からの投稿が殺到したため2月9日から毎日連続して2週間も続きました。とりあえず27日までは埋まっていますが、この日だけ空いていましたので、本当に久々に埋め草記事を書きます。このまま記録が伸ばせるのでしょうか、それとも27日で途切れてしまうのでしょうか。半年以上も書いていない森田代表にそろそろ登場してほしいものです。

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先日、以前に制作した『懐かしい風景に出会うローカル線の旅』(人文社)の本を持参して、第2章の「房総路をゆく」ということで小湊鉄道(森田芳夫取材)、いすみ鉄道(上田取材)、銚子電鉄(小関取材)の3つのローカル線を旅してきました。

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 小湊鉄道といすみ鉄道を乗り継ぐには「房総横断記念乗車券」1600円がおトクです。普通にきっぷを買えば小湊鉄道1370円、いすみ鉄道620円ですから390円もおトクで、さらに一方通行になりますが、途中下車も可能です。
 ただし、小湊鉄道養老渓谷~上総中野間は5往復しかなく注意が必要です。始発は養老渓谷行なので、どこかで途中下車ということで選んだのが、関東の駅百選の上総鶴舞駅です。駅舎は当時のままですが、すでに無人駅。近くにいろいろ名所がありますが、残念ながら本書には周辺地図がないため、散策は光明寺だけにしました。次の列車まで1時間20分の待ちは非常に寒かったです。小湊鉄道はやはりシーズンオフということもあって、途中から車内は貸切状態になってしまいました。

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小湊鉄道と存続が決まったいすみ鉄道を接続する上総中野駅です。しかし、接続といっても互いのレールには車止めがあり、房総横断列車運転の実現には至っていません。

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最後は銚子電鉄です。1両の電車ですが結構賑わっていました。昔は1日フリーきっぷの弧廻手形620円のサービスについていた観音駅の鯛焼き。餡がたっぷり入っていておいしかったです。こちらもすぐに品切れました。なお、弧廻手形には現在、犬吠駅でぬれ煎餅1枚サービスの引換え券がついています。

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2008年02月24日

『篤姫』第8回「お姫様教育」

 旅じゃBLOGも菊地会員に助けられる形で、現在のところとりあえず3月2日までは連続して更新できます。新たに投稿される会員はUPが3月3日以降になることご了承ください。まあ1週間が過ぎるのは早いものですから、昨年は6月18日までモチベーションが保てたことが不思議なくらいです。結局、どこまで続けられるかは会員の皆様次第なんですが、関心のない方も多いようで……。
 
 本題に入ります。於一は斉彬不在のまま鶴丸城に入ったようですが、周囲の嘲りぶりがむごいようで、さすがの於一も翻弄されている様子です。またまた桐野先生の『膏肓記』を参考にさせていただきますが、大奥は江戸城だけのものと思っていたら、大名家や上級公家にもあったようです。「大奥=江戸城」の固定観念にとらわれないよう。
 時代背景的には嘉永6年(1853)のペリー来航ですが、篤姫がメインとはいえ、ペリーの久里浜上陸のエキストラがないのは不満。ちょうどこの時期にようやく大久保の謹慎がとけ、於一は小松家の姫お近を呼び寄せます。このときお近は於一のところへの届け物があればと、於一の母や肝付尚五郎のところにも寄っています。すばらしい性格ですな。ところでこのお近は、のちの小松帯脇となる肝付尚五郎の妻になるのですが、ドラマでは7歳年上の姉さん女房です。お近は史実では千賀といい、生年は不詳なのですが、兄の清猷が尚五郎より8歳年上なので、まあ7歳年上でも問題はないのですが、結婚するのが清猷が亡くなった安政2年(1855)なので、当時では27歳という珍しく晩婚になってしまいます。実際はもう少し尚五郎の年齢に近い気もしますが……。
 で、お近が持ってきた母の手紙となぜか渡される菊本が自害前に書いたという手紙。まあ、この手紙の内容からでも菊本の自害はムリがありますが、とにかく菊本の手紙を読んで変身する於一が不気味。一方、京都の近衛家から於一の養育係にもらい受けた幾島(松坂慶子)が鶴丸城に入り、さらなる教育が施される模様です。

 史跡紀行ではペリー来航の神奈川県横須賀市を紹介。ここはライターの古賀氏に取材してもらった箇所で、ペリー上陸記念碑や燈明堂、渡し舟などが出てきました。今回はペリー公園内の上陸記念碑とペリー像およびもうひとつのJR久里浜駅スタンプをUPします。この取材は慌しく月曜に出かけたため、ペリー記念館のスタンプは押せませんでした。残念。

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投稿者:管理人
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2008年02月25日

三浦半島油壺湾1

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浸食谷の沈水による狭い湾内は油を流したように波穏やかである。ヨットハーバーとして有名だが、国土交通省国土地理院の験潮場が設置され、毎日水位測定が行われている。日本水準原点に送るデータや、地球温暖化による海面上昇、地震予知等に資する重要なところなのである。

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●京浜急行とバスを乗り継ぐゆったり旅
 旅ジャーナリスト会議の会員である、(有)ブルボンクリエイション小出文彦氏が企画・制作し、会員の多くが執筆と写真協力した、『新・全国フリーきっぷガイド‘07~‘08』(人文社発行)の中から、京浜急行電鉄(鈴木龍生記)のガイドを参考にしよう。京急品川駅で「三浦半島1DAYきっぷ」(1900円)を購入、特快で三崎口駅まで約1時間余のゆったり旅である。乗車して走り出すとすぐに気がつく。なぜか車内がゆったりしており、騒音も振動も感じない。
 鈴木氏によれば、「明治32年(1899)日本で3番目、関東では最初の電車として、生まれた時から標準軌1435mのレールで走り続けており、軌間で考えると新幹線などは孫みたいなもの」と評している。そのとおりの実感でスピードこそ違うが、新幹線のぞみの気分といってもよい。1DAYフリーきっぷの特典をあらためて見てみると、京急バスは金沢文庫以南で全線乗り放題のほか、優待割引となる施設が色々とある。三浦半島のチラシを見ながら、あれこれ計画を練るのも旅の楽しさである。

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●三崎口駅から京急バスで油壺へ
 終点三崎口駅前からは各方面へのバス路線が多くある。電車から降りた観光客の多くは、城ヶ島や三崎港へのバス停に並ぶ。やはり城ヶ島の景色と日帰り温泉、そしてお目当ては三崎魚市場のマグロなのであろう。それに比べ油壺へのバス停は心なしか寂しい。バスは約20分間隔で運行されており、結構便利である。フリーきっぷを見せるだけで何処でも乗降できるのも便利である。バスは三崎口駅前を出発すると、15分位で終点の油壺に到着する。暖冬なのであろうか1月だというのに、菜の花や梅の花が咲き、畑では農作業をする姿も見られる。沿道には所々マグロの料理が食べられるお店の看板が目について途中下車したくなる。
 終点油壺のバス停(写真右)は、何と立派な公衆トイレの建物の真ん前である。観光地トイレの充実は筆者の取り組んでいるテーマの一つであり、このような光景を見ると心なしか嬉しいものである。しかし、折り返しバスの発車場所前には、昔の駄菓子やのような古いおみやげ屋が2軒並んでおり、それぞれにおばあさんがいるだけである。店を覘いても、どうも売れそうにないみやげ物で、なんとも侘しい光景である。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月26日

三浦半島油壺湾2

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●国土交通省国土地理院油壺験潮場
 バス停から約100mほどのところに験潮場入口という標識が立っている。足元の危険な階段状の狭い道を下りて行くと、ほどなく一等水準点(写真右)に突き当たる。ここは、全国に設置されている基準水準点83点の一つで№.26である。昭和5年(1930)に設置され、標石上面が東京湾平均海水面からの高さ(標高)を表わしている。その高さは16m6905となっている。

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 さらに下っていくと海となり、そこに験潮場が設置されている。北緯35度9分37秒、東経139度36分56秒に位置し、明治27年(1894)7月から観測が開始された。験潮場は2棟あって奥にあるレンガ造りのほうが最初の験潮場(写真左)、手前が新しい験潮場(写真右)である。古い験潮場には「建設省国土地理院油壺験潮場」という古びた木の看板が掲げられている。
 現在は手前の新しい建物が使われており、館内には海面の上がり下がりを自動的に、精密に記録する験潮儀が設置されている。この記録は高さの基準を決めたり、土地の変動や地震予知のために非常に大切な資料になる。我が国は明治政府が国土の測量を始めたとき、東京湾の霊岸島験潮場のデータを使用していたが、関東大震災後は油壺験潮場のデータを基準としている。
 毎日水位観測を行い、東京都千代田区永田町1―1憲政記念館構内にある、日本水準原点の基準値に使用されている。当初は25mであったが、関東大震災による地盤沈下と潮位の変化により86㎜修正されて、24m4140となり現在に至っている。この基準により全国の標高が定められ、富士山は現在の3776mとされているのである。また、毎日のデータは海岸昇降検知センターにも送られ、気象庁や海上保安庁、全国の自治体による験潮データと併せまとめられている。最近の地球温暖化による海面上昇や地震予知などに不可欠な資料となっているのだ。

rockhopper-penguin.jpg ●京急油壺マリンパーク  験潮場からさらに100mほど足を延ばすと小網崎の先端にマリンパークがある。1DAYフリーきっぷを提示すると、入園料大人1700円が1000円になる。ここは昔、三浦氏の本拠、新井城があったが、三浦道寸(義同〈よしあつ〉)のとき、永正15年(1518)北條早雲によって滅ぼされた。この城跡に油壺マリンパークという海のレジャーランドがある。360度ぐるりとドーナツ型の大回遊水槽には、全長3mのサメ「シロワニ」が遊泳していたり、色々な魚の餌付けが見られる。大海洋劇場ファンタジアムでは、イルカ、アシカショーやキタイワトビペンギンなどが身近に見られる。しかし、油壺の特徴的な物といえば、「海洋深層水」であろう。このマリンパークでは海洋深層水を利用した世界初の展示施設「海洋深層水館D・S wonder」が見どころである。

パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月27日

三浦半島油壺湾3

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●21世紀の水「海洋深層水」
 近年、様々な分野から「海洋深層水」が注目されている。これは、大陸棚より沖合いで光合成に必要な太陽光が届かない、水深200m以上のところにある海水である。極海の海域で冷えて比重が重くなった海水・ブルームが、海底に沈みこみ長い年月をかけて、一度も大気に触れず何世紀もかけて地球を回っていると言われる。低音で細菌がなく生物に必要なミネラル等を豊富に含んでいる。飲料水、食料品、医療、健康、水産業、エネルギー等々多方面での利用が期待されている。油壺の取水設備では、三浦沖約5㎞、水深330mから取水した海洋深層水は原水、ミネラル水、塩水、淡水、ミネラル塩水の5種類に分けられる。このような施設は試行も含めて全国に約30カ所あるが、ここは相模湾で陸地より至近の海底から取水できるという利点がある。

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海洋深層水露天風呂効用書と名物マグロ丼1200円

●海洋深層水の利用例
 京急油壺マリンパークに隣接して、海洋深層水の取水施設がある。その隣りのホテル京急油壺観潮荘では、海洋深層水の露天風呂があり、日帰り入浴もできる。1DAYフリーきっぷを提示すると、入浴料1000円が2割引となる。この露天風呂の特徴は、海風を吸入する「空気浴」、太陽の光を浴びる「日光浴」と海洋深層水による「海水浴」を同時に行える。この温浴はタランソラピー(海洋療法)としても優れているといわれ、アトピー性皮膚炎などに効用があるとされる。色々な入浴方法が楽しめるが、実際にちょっと舐めてみると正しく塩味である。その他、海洋深層水を利用した飲料水や健康食品、日本酒、焼酎、水産加工品、お菓子類等々お土産品も豊富である。21世紀健康志向の高まるなか、海洋深層水の利用が注目されるであろう。海に囲まれた島国の日本だからこその研究開発であり、大いに期待したいと思う。

●おわりに
 旅ジャーナリスト会議では、旅と地球温暖化というテーマに取り組んでいる。海面上昇による色々な出来事も報告されているが、今回、水位観測をしている油壺験潮場を訪ねたところ、思わぬ副産物を得た。海洋深層水である。これからも、海面上昇について注目していくとともに、海洋深層水の行く末にも関心を高めて行きたいと思う。

おしまい
投稿者:菊地正浩
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2008年02月28日

河津桜と早春の爪木崎1

春を待ちかねていた多くの人が河津桜を観賞して、ひと足早く春を肌で感じようと訪れる。旅ジャーナリスト会議でも2月17日(日)~18日(月)に、森田代表他6名の会員が河津桜と爪木崎の水仙と秘湯を訪ねる研修旅行を実施した。

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●河津町(かわづちょう)
 緑と清流と温泉、面積101k㎡、人口9千人足らずの町が、年に一度町をあげて取り組む河津まつり。伊豆半島の東海岸に位置し、大部分が天城山系の山林である。町の中央を天城峠を発源とする河津川が流れ、わずかに下流部分のみが平地である。河津川の流域は上流に河津七滝や大滝、七滝温泉、中流には湯ヶ島、下流には峰、河津浜、今井浜温泉があって河津温泉郷を形成している。河口付近には砂浜が広がり海水浴で賑わう。山、渓谷、温泉、海と観光資源にはこと欠かない河津町。年に一度、まつり実行委員会のもと、役場、観光協会、商工会賛助店、河津桜まつり賛助会員や町民あげての熱い1カ月におよぶイベントが繰り広げられる。

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●河津桜
特徴は開花時期が早く、2月上旬から3月上旬まで約1カ月にわたって咲くことである。花が大きくピンク色で、緋寒桜と早咲きの大島桜が自然交配したものと考えられているが、昭和50年(1975)4月、河津町の木として指定された。伊豆急河津駅より1.3㎞上流には、河津桜の原木が凛として咲き誇っている。原木の地は民家の庭先で駐車場も無いため、近くの河津町役場が駐車場やトイレも提供して、ボランティアが活躍している。

●河津桜原木物語(原木前の看板から引用)
「昭和30年頃の2月のある日、この家の主であった飯田勝美氏が河津川沿いで(豊泉橋上流の田中地区側)、冬の枯れ雑草の中で芽吹いていた1m位に育った桜の若木を偶然見つけて庭先に植えた事が始まりでした。約10年後の昭和41年1月下旬、やっと花が咲き始めました。同年4月、主の勝美氏は花が咲くのを見届けて永眠しました。その後きれいに咲く桜を見て譲って欲しいという話もありましたが、思い出の桜のため手放さなかったそうです。当時、この家の屋号からこの桜は「小峰桜」と呼ばれ親しまれていました。その後の調査で新種の桜とわかり昭和49年には河津で生れた桜であることから「河津桜」と命名され昭和50年4月に河津の木に指定されました」(飯田ひでさん談)
原木の大きさ 木高約10m 樹幅約10m 幹間約115㎝

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 原木を観賞しての帰り道、ふと商店の店先に置いてある鉢植えが何ともいえない不思議なものであった。仏手柑(ぶしゅかん)という種類の柑だそうである。

●町をあげてのイベント
 花見は昼間も楽しいが夜桜もまた格別の感がある。まつりの期間中は河津駅前会場と峰温泉、それに約10㎞も離れた河津七滝ループ橋下まで、あちらこちらで夜桜ライトアップが楽しめる。足湯のサービス処、甘酒や火鉢で暖をとるサービス、伊豆踊り子と記念撮影、スタンプウォーク等々盛りだくさんである。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月29日

河津桜と早春の爪木崎2

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●爪木崎
 河津温泉郷も魅力ではあるが、雑踏と喧騒を逃れて少々足を延ばし爪木崎を訪れた。今年は寒い日が多かったせいか、水仙まつりとアロエまつりが終ったというのに、まだまだ見てくれと言わんばかりに咲いている。

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 池の段とよばれる草原一帯に、冬は水仙。アロエ、夏にはハマユウが咲き誇る。

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 海岸は海食崖で爪木島、田浦島の岩礁が見事な姿をしている。六角柱状節理を伴う安山岩が、海食で露出する俵磯海岸は県の天然記念物となっている。須崎遊歩道での散策、先端に行けば爪木崎灯台に出て、伊豆七島の眺望がすばらしい。海水浴や磯遊びも楽しめ、須崎御用邸がこの地にあるのも納得できる。

●秘湯の宿「風」
 伊豆急下田駅から爪木崎行バスで約15分、下田・爪木崎公園、須崎御用邸に隣接し海水浴、森林浴、加えて温泉と豊富な海の幸が味わえる。館内にはペリー開国当時を思い起こさせる、西欧アンティークや骨董が飾られたりして、和洋とりまぜての癒しの空間となっている。

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 この「風」こそ、日本の秘湯を守る会の宿であり、屋上にある露天風呂からの眺望は、寝姿山に沈む夕日、伊豆七島と海から昇る眩いばかりの日の出、まさに秘湯の名に相応しい露天風呂である。この「風」は、江戸情緒を楽しむ宿、江戸の遊びを楽しむ宿として知られる、浅草の助六の宿「貞千代」が経営しており、永年の経験と地元の豊富な食材を使っての料理と地酒がなおいっそう心に残る。

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パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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