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2008年04月 アーカイブ

2008年04月01日

皇居東御苑散策と花だより2

shinamansaku.jpg ●大番所前に咲く見事なシナマンサク  シナマンサクはマンサク科の落葉低木で、山地に自生し3m位となる。早春、黄色い線形の四弁花を開き、楕円形の蒴果(さくか)を結ぶ。茶花(ちゃばな)として栽培、花季が早いのに珍重される。葉は止血剤となる。成長したシナマンサクの見事な開花姿である。
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●本丸にある三椏(みつまた)
 本丸正門に進んでくると視界がパッと開ける。かって、本丸、大奥、天守閣のあったところで、現在は芝生でボランティアの清掃奉仕によって手入れも行き届いている。その入口の傍らに三椏が咲いている。中国原産で漢名を黄瑞香といい、繊維植物として日本暖地に栽培された。ジンチョウゲ科の落葉低木で、2~3m位に成長し枝は三つに分かれる。樹皮は和紙の原料となり、我が国の紙幣に使われている。皇居にも紙幣の原料、三椏が見事な花をつけていたのである。


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●天守閣の代用として使われた「富士見櫓」
「櫓」とは、倉庫や防御の役割をもった建物で、かつて江戸城には19櫓が建っていた。今では、伏見櫓、桜田二重櫓、富士見櫓の3つが残っている。中でも富士見櫓は唯一の三重櫓である。明暦の大火(1657年)で焼失した天守閣の代用としても使われ、将軍が両国の花火や品川の海を眺めた。もちろんその名のとおり富士山も眺められたのである。明治に入ってから我が国の測量を行うにあたり、一等三角点の第一点とし、以降測量に必要な三角点標石を全国に設置していった。

パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年04月02日

皇居東御苑散策と花だより3

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●松之大廊下跡碑と寒桜
 元禄14年(1701)、浅野内匠頭長矩と吉良上野介義央の刃傷事件があったところ。後に赤穂浪士が討入りし『忠臣蔵』として有名になった。廊下に沿った襖間に、松と千鳥が描かれていたのが名前の由来。江戸城の中でも2番目に長い畳敷の立派な廊下であったという。今は松林に変わり見事な寒桜が咲く名所の一つである。

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●石室(いしむろ)
 抜け穴とか金蔵とか諸説がある。ここは、大奥の御納戸脇であった場所柄からすると、非常時の際に大奥用の調度品などを納めたところらしい。伊豆半島産の安山岩を運んで来て作った。

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●天守台
最初の天守閣は慶長12年(1607)、二代将軍秀忠のとき完成した。その後、大修築をして寛永15年(1638)、三代将軍家光のとき、国内で最大の天守閣として完成した。19年後、明暦の大火で飛び火により全焼してしまい、以降再建されなかった。天守台に上ると四方の眺めがすばらしく訪れる人が絶えない。

パート4につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年04月03日

皇居東御苑散策と花だより4

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●桃華楽堂
 昭和41年(1966)、香淳皇后の還暦を記念して建てられた音楽堂である。八角形の建物、屋根はテッセンの花弁を模っている。八つある壁面は、各面とも大きく羽ばたく鳥を中央に、それぞれ日、月、星、松竹梅、楽の音などをイメ-ジした図柄が、陶片で描かれている。香淳皇后のお印「桃」にちなんで命名された。

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●北桔橋門(きたはねばしもん)
皇居東御苑内の一般公開はここまでである。乾門、西桔梗御門、蓮池御門を渡って宮殿の方へは行けない。だから北桔橋御門を通り、桔橋を渡り竹橋御門のほうへ出てみる。桔橋とは、跳ね橋、撥ね橋、刎橋のことであり、城門などで普段不必要な時は綱で吊り上げておき、必要に応じて下ろす橋である。ここから眺める平川濠は美しい。

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●竹橋御門と紅梅、ハクモクレン
 旧江戸城内曲輪15門の一つで、天正18年(1590)、徳川家康が江戸入国の頃、「竹を編みて渡されしよりの名なり」と、その由来が伝えられているが、他にも諸説がある。いづれも定かではない。御門を通る道は、桜田門外の変により一時閉鎖されたが、明治3年(1870)、再開通して今の通称、代官町通りへと変遷する。現在のア-チ型竹橋は、大正15年(1926)、帝都復興事業で架設され、平成5年3月改修、白、黒、桜のみかげ石の橋となった。

パート5につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年04月04日

皇居東御苑散策と花だより5

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●平川橋、平川御門と見事な紅白の梅
 平川濠と大手濠を挟んで平川橋が架かっている。橋を渡ると三の丸を守っている平川御門である。平川御門から反対側を見ると、その先は御三卿の一家である一ツ橋殿の屋敷があったところで、日本橋川のほうには一ツ橋が架かっている。平川御門の中に入ると、見事な紅白の梅がたくさん咲き誇っている。石垣と梅がマッチしていてなかなか見応えがある。

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 散策も終了に近づくと、皇居正門石橋旧飾電燈に出会う。今ではめったに見られない代物である。やがて大手御門に到着し東御苑を一周したことになる。入った時とは反対に門内から永代通りを望む景色は高層ビルの建ち並ぶ超近代的な江戸である。この景色を見たならば、徳川家康はさぞ驚くことであろう。

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『天璋院篤姫と幕末を旅する』(一水社)より抜粋(作成:久芳勝也)

●むすび
 我が国を代表するシンボル的な公園は、皇居の宮殿を中心にして、皇居東御苑、北の丸公園、12の濠によって皇居を取り巻いている外周地区がある。総面積115ヘクタ-ルといわれ、このうち濠の水面部は37ヘクタ-ルといわれる。濠とは、敵の進入を防ぐため、城の周囲を堀って、水をたたえたところである。今回は春の花便りとして東御苑を紹介したが、北の丸公園や12の濠に架かる橋と御門、即ち、内堀と外堀一周も見どころがたくさんあって興味が尽きない。また、昔の江戸城から考えると浅草見附や四谷見附、喰い違い道路など歴史の証人はいくらでもある。次の機会に譲ることとしたい。 

おしまい
投稿者:菊地正浩
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2008年04月05日

春の横浜港 飛鳥Ⅱ出航

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 花より、風よりも、憧れに似た春の風物。横浜港の大型客船の入港、出航は見ていて気持ちが明るくなります。
 空、港の建物、見学見送りの人々、飛鳥Ⅱの重低音の「ボーーーーーッ!」
「この船に乗ってどこかに行きたい」ではなく、見ているだけで満足してしまいます。豪華客船を見るだけで満足なんて。
「もっと、おじさんよ 大志を抱け!」

投稿者:伊藤建介
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2008年04月06日

『篤姫』第14回「父の願い」

更新が1日遅れとなりましたが、ようやく追いつきました。第13回と2回分を一気に観て書きましたので合わせてお読みください。
 今回の将軍宣下で家祥がついに家定となりました。家定という人物がほとんどクローズアップされてこなかったので、なかなか興味深いです。家定の生母本寿院登場。この本寿院は12代将軍家慶の側室で、出自は幕臣・跡部正賢。家定の乳母であった歌橋も登場。家定は母を描くといってアヒルを描いているし、宮崎あおいのアフラックのCMを意識しているのでしょうか。あれ、NHKは広告はいけないのでは? それにしても家定公、ずいぶんと絵画が上手なようで。実際には前回にも煎り豆が出てきましたが、菓子づくりが得意だったようです。ムリに荷が重い将軍職を継がなければ、この人ももう少し長生きできたのではないでしょうか。
 江戸では水戸斉昭と井伊直弼の攘夷と開国での対立が出てきましたね。でも、あの両者の対立の原因となったとされる近江牛の話は出てこないのでしょうか。斉昭が近江牛を欲しがり、直弼が殺生が嫌いと断るあの話。「食い物の恨みは怖い」といいますから。
 あと江戸藩邸には島津虎寿丸がいましたね。斉彬の5男で篤姫が見とれていましたね。この虎寿丸、安政元年(1854)に7歳で亡くなってしまうそうで、これで斉彬の男子はすべて早世で、忠教(のちの久光)の子茂久(のちの忠義)が養子となりますが。
 今回は先に実父忠剛が亡くなります。遺言では死を秘匿したようですが、斉彬に知らされて篤姫は号泣します。江戸入りしたため葬儀にも行けないというのは悲しいことですな。

 史跡紀行では井伊直弼の故郷・滋賀県彦根市の彦根城などを紹介していました。彦根城にはまだ行ったことがなく、JR彦根駅も現在のスタンプが出てこないので、今回も写真・スタンプは割愛します。

 あといつものことですが、リンクしている桐野先生の『膏肓記』も、ぜひお読みください。


投稿者:管理人
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2008年04月07日

千鳥ケ淵の桜は天下一品

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 3月29日(土)、早くも皇居周辺の桜が満開となった。内濠である千鳥ケ淵は「千鳥」の形をしていることから名付けられたという。昔は半蔵濠と一体であったが、明治33年(1900)に道路建設によって埋め立てられ、二つに分けられた。天下一品(筆者の主観)の桜は、靖国神社前の田安門(門内は武道館で北の丸公園)から始まる。千鳥ケ淵を挟んで見事な枝振りの桜が満開となった景観は、濠の水、白鳥や鴨、堤塘(土手)に咲く花々、花見のボ-ト、それら一体のコントラストがすばらしい。花見客は千鳥ケ淵戦没者墓苑のある公園側からも繰り出してくる。早朝より夜桜見物まで終日賑わう、その数12万人。今年も皇居周辺は春爛漫となった。

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写真左から半蔵門付近・桜田門・最高裁判所前

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投稿者:菊地正浩
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2008年04月08日

軽トラ冬姿! 春でも元気

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 平地の雪も消えた、信州・野沢温泉のローカル・スパー前の軽トラ。
 荷台になにやら、硬めのフード。もうお気づきでしょう。そう、雪よけですね。
 豪雪の野沢あたりでは、良く見る軽トラの冬姿。
 雪国の人たちはがんばっていますね。有機肥料満載で、4WD君は田んぼの中でも、動き回っています。「日本の農村の元気は軽トラから」です。

投稿者:伊藤建介
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2008年04月09日

ヨーロッパ心に残る町8-1

ローテンブルグ〔ドイツ〕[1]

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 城壁に囲まれた町ローテンブルグは、中世のたたずまいの中に現在の生活が、何の違和感もなく溶け込んでいる。
「始めに高いところから町を眺めようか!」
 町が眺望できる市庁舎の塔に登る。一人やっと通れる木造の狭い階段と梯子を登り、塔上に出ると、真っ青な快晴の空の下は、とんがり屋根の家が連なりメルヘンチックな世界が広がる。町を囲む全長3.4キロの城壁の外は、鮮やかな緑の田園地帯が地平線いっぱいに広がり、目を爽やかにさせてくれる。

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幾重もある石畳の通りは、個性顔の看板を出した商店が並び観光客の目を誘う。
「ねえ、ちょっと!あの古い燭台ステキね?」
「どのシュネーパルがオススメ?」
買物客の会話が、通りを賑わしている。
[シュネーパルはローテンブルグ名物のパン菓子]

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「オーイ馬車がきたよー!シャッター・チャンスだ?」
連続する美しい町の光景に、観光客も目を休ませる暇もない、美しいローテンブルグのひとときである。

ローテンブルグ[2]につづく
投稿者:にわあつし
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2008年04月10日

ヨーロッパ心に残る町8-2

ローテンブルグ〔ドイツ〕[2]

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 ローテンブルグは町のすべてが観光名所である。
「観光と買物と、よく歩きもうくたくた。疲れたな! 景色の良いところでちょっとひと休み! お腹も空いたし、何か食べようかな?」
プレーンラインで少休止だ。
「おばさんたちみたいに、ベンチで青空サンドも楽しいね?」

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「オーイ! こちらの青空レストランも美味しいよ……隣においでよ」
 陽気なアメリカ人ご夫妻のお誘いで、昼下がりのひとときは青空レストラン。名物ソーセージとポテトそして、フランケンワインの美味しさに、酔いしれる贅沢なランチタイムであった。鉄道でローテンブルグまでは、フランクフルト中央駅からヴェルツブルグまでICE特急で約1時間。ヴェルツブルグでアンスバッハ方面支線に乗り、スタインナッハ駅乗り換えで終点ローテンブルグタウバー駅下車。71㎞約1時間。駅前から歩き、緩やかな坂道を登りきること15分ほどで、左奥に町を囲む城壁の入口であるタウバー門が見えて来る。門を潜ればそこはもう中世の世界だ。

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パート9につづく
投稿者:にわあつし
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2008年04月11日

名古屋の「ひつまぶし」

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 突然、名古屋へ。町の景色よりも名古屋食が楽しみです。
 私は肝機能も血糖値もC。「ウナギをちょっとだけ」と、いいつつボリューム たっぷりのひつまぶしを注文。ウナギは関西風に焼くので、表面はカリカリ。 脂身の少ない高知四万十川産の天然ものを2段重。なんと豪勢なことか。天然ものです。『名古屋ひつまぶし備長』の店名は、料理内容そのもの。甘辛く濃い目の味です。

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<食べ方>
最初はこれをそのまま茶碗に一杯取り、そのまま食べる。
次はおかわりのように2杯目を取り、薬味(わさび・のり・みつば)をのせて食べる。
3杯目は2杯目ものに、お茶漬けのようにお茶orだし汁をかけ、さっぱりと食べる。
最後は1-3のうち最も気に入った食べ方で食べる。

投稿者:伊藤建介
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2008年04月12日

春到来、残雪のリンゴ畑

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 やっと信州・木島平村にも春が到来。でも梅も桜も咲きません。
 畑の雪が減って樹木もやっと姿を現しました。葉も実もないリンゴの木はただの枯木のようですが、これでも養分たっぷり。この畑の主は、とても気のいい方で、リンゴが実ると、私に「好きなだけ採っていいよ」と声をかけてくださいます。大きなフジリンゴを2個、握って満足しています。
 5月の連休ごろに、白いリンゴの花と、菜の花、梅、桜、桃が一斉に咲き、幸せな土地の表情になります。

投稿者:伊藤建介
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2008年04月13日

『篤姫』第15回「姫、出陣」

 先週のドラマはビデオをとり忘れてしまい、19日の再放送でようやく観ました。ずっとこの日だけ歯抜けになっていて申し訳ありません。
 篤姫と実の姉弟のようにしていた斉彬の嫡男・虎寿丸が亡くなってしまいましたね。なかなかいい味を出していた子役だっただけにもう少しドラマで引っ張って欲しかった気がします。その心労からか斉彬まで斃れて床についてしまいます。
 江戸でも薩摩でも再びお由羅の呪詛によるものという騒動が再燃。お由羅を成敗しようとし、一触即発の危機に瀕します。これを解決するのが、薩摩の黄門様こと篤姫様ということで、隠居した斉興とお由羅のいる高輪の屋敷へ赴き、ずけずけと「呪詛の噂がたっております」とストレートな問い質し。あり得ない、絶対あり得ない。なぜあり得ないということは桐野先生の『膏肓記』にゆずりますが、どうも大河ドラマというのは主人公を無理矢理絡ませてしまうのがお約束のようです。
 結局、このあと斉彬も快方に向かうのですが、どうもお由羅の個性が活かしきれていない気が……。今回はそれほど特筆すべきこともないのでここまでにいたします。
 
 史跡紀行は東京都目黒区の目黒不動尊(泰叡山瀧泉寺)を紹介していました。西郷隆盛が斉彬の快方を祈願したところだそうで、これも上記桐野先生のブログが詳しいです。あと地理的な関係ではかわい先生のブログ『豊泉堂雑記』もどうぞ。なんか今回は後追いとなってしまったこともあって、先生方のブログリンクに走ってしまいましたが、目黒不動尊もすぐ近くのくせに御恥ずかしながら行ったことがないのです。罪滅ぼしに目黒駅のスタンプをUPします。あと懐かしい「スタンプ物語9・目黒駅」でもUPしましたが、前回のものと見比べてみてください。印影に失敗したところは持参の朱肉で押し直しもしているのです。

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投稿者:管理人
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2008年04月14日

アマゾな

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 いきなりだけんど、上に写るは球形のも、さざれのも、「アマゾナイト」っちゅう一応パワーストーンなん。青緑な色味がなかなかイケてると思わん~?

 んで画像をアップしたのはねっ、ねっ、下に見える我の著作が、「アマゾン」でもネットショッピングできるようになったもんで、その記念に名前が似てるから登場させただけのこと~~~、汗汗。あははは、なにか......?

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 ってわけで引き続き、ざつはち推薦(公認?)、ミサキノバルの詩集「乙」、詩集「乙」にみなさまの清き1票を~じゃなくて、温か~~~き購買意欲を1冊に注いで?頂きますよう(日本語おかしい?)、どう~~~かよろしゅうに~~~、願願願~~~♪♪。

投稿者:ざつはち
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2008年04月15日

日本橋、桜の花の魅惑

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 4月3日、東京・日本橋も桜が満開で、橋には桜が咲いています。
 美しいのですが、橋の上には首都高が架かり、景色はメチャクチャで台無しです。
 およそ都会の美しさを解しない、役所の方々が、ソソレイケ主義で東京オリンピック前に通したもので、ついでに地名まで変えてしまいました。

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 この日本橋から徒歩7分で東京駅八重洲口です。ここもゴチャゴチャで美しい街ではありませんが、桜が飾ってくれています。
 家康の顧問だったオランダ人ヤンヨーステンの屋敷がこのあたりにあり、「八重洲」の地名になったものだそうですが、友人はこの話を信じてくれません…。

投稿者:伊藤建介
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2008年04月16日

5月3・4日は両国にぎわい祭り1

「両国にぎわい祭り」5月3日(土)・4日(日)11~16時

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墨田区では地元両国をはじめ各町会、商店会のほか、江戸東京博物館、日本相撲協会その他多くの団体と協力して、一昨年より「にぎわい祭り」を開催してきた。ネ-ミングよろしく回を重ねるにつれ、「にぎわい」を増してきた。実行委員会では、今年も大いに盛り上げようと準備をしている。ここにパンフレットを掲載して祭りの概要を紹介したい。

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●食・遊・学が楽しめる
 JR両国駅を降りると、もうそこが会場である。歩行者天国となる国技館通りのメイン会場と、両国国技館、江戸東京博物館、回向院の各会場では、「食・遊・学」というテ-マで盛りだくさんのイベントが企画されている。両国をおなかいっぱい召し上がれ! というキャッチフレ-ズのとおり、メイン会場では各相撲部屋が自慢のちゃんこ料理を競演する。「一杯500円で売り切れ御免」であり、毎年お目当てのちゃんこを味わおうと行列ができる。お相撲さんの作る多量のちゃんこも、あっという間に売り切れてしまう人気である。
 食もいいがさすがは相撲の町だけのことはある。各会場にも大相撲に関係する行事がいっぱい、普段見ることのできない稽古風景、やぐら太鼓、相撲甚句等々、家族連れやカップルでも一日中楽しめる。

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 食・遊のあとは学といこう。江戸東京博物館(写真左)では江戸時代や明治・大正・昭和の戦前時代にタイムスリップした気分を味わえる。至近のところには東京都復興記念館があって、関東大震災と東京大空襲の犠牲者を安置している慰霊堂(写真右)があり、資料の保存、展示をしている。さらに、「両国ぶらり散歩ツア-」に参加して歴史散策するのも良い。明日以降、筆者のおすすめポイントを2~3紹介しよう。

パート2につづく

投稿者:菊地正浩
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2008年04月17日

5月3・4日は両国にぎわい祭り2

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●回向院
 明暦3年(1657)、振袖火事といわれる江戸の大火が発生した。下町一帯は勿論、江戸城天守閣まで類焼するという凄まじさで、死者10万8千人といわれている。この状況を視察した将軍家綱の叔父が、将軍に進言して本所に50間四方の土地を与え回向院を建立した。犠牲者のほとんどが身元不明の武士、町民であったが、回向院では石碑を建て、身分や宗派の差別なく弔った。初代の住職には、徳川家菩提寺である芝の増上寺から幕府の命を受けて就いた。後に寺の境内で、慰霊の勧進相撲が興行されたが、これが我が国の大相撲発祥となったのである。因みに、旧両国国技館は回向院の隣地にあった。

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 境内には、海難供養碑(ロシアへ漂流した大黒屋の船、船型の碑)、江戸文化の担い手達の墓碑(浄瑠璃の竹本義太夫等の他、三味線の皮となる猫や犬の供養)、猫の報恩伝説(魚屋利兵衛と商家のとら猫)、義賊・ねずみ小僧次郎吉の墓(写真左)相撲力塚(10代から76年間の相撲塚)(写真右)などが見られる。祭りの当日には本堂で、大本山増上寺雅楽会による雅楽の演奏が行われたり、江戸太神楽、投扇興などのほか法話も聞ける。普段では見聞できない行事なので、毎年大勢の人が訪れ本堂はいっぱいで入り切れなくなってしまう。

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●吉良邸跡(回向院の裏手)
 墨田区両国3丁目、旧本所松坂町に、なまこ壁に囲まれた吉良邸跡がある。赤穂浪士47士が討入りしたところで、『忠臣蔵』として有名になった場所である。見事に仇討ちをして、その首を洗ったとされる井戸(写真下左)が残っている。吉良上野介追慕碑(写真下中央)吉良家の忠臣20士の碑(写真下右)もあり、今も訪れ供養する人は絶えない。現在、都の指定旧跡となっている。

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パート3につづく

投稿者:菊地正浩
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2008年04月18日

5月3・4日は両国にぎわい祭り3

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●両国花火資料館(回向院の並び両国橋方面)
 両国隅田川といえば、夏の風物詩「花火」であろう。享保18年(1733)、両国川開きとして始められた花火が、納涼花火大会の発祥である。大輪の華の歴史を今に伝える資料館には、花火の現物や打ち上げの筒、江戸情緒、火の芸術、花火師の心意気などを感じることができる。

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その他、相撲部屋の声が聞こえる両国界隈ぶらり散歩マップ(JR東日本、駅からマップ)を参考にしてはいかが。

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問い合わせ●両国にぎわい祭り実行委員会事務局(江戸東京博物館内)03-3626-9974

http://ryogoku.weblogs.jp/sanpo/files/nigiwai_200805.pdf

おしまい

投稿者:菊地正浩
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2008年04月19日

梅之

 2月25日、ざつはちを乗せた船は水陸両用ってこって~~~w、行ってきたんは東京~世田谷の羽根木公園なり~~~♪
 写真はそこでの1枚~~~♪

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 やっぱ我的にゃ~、桜よか梅のがラブリ~~~なんだよね~~~♪。モヤシみたいなメシベ(オシベ)とかも~~~w。樹の下で酒盛りするんは寒くてやだけど~~~、汗汗。
 ちい~と時期が早かったか~、咲いてるは~白いのがほとんどだったり~~~、軽泣。上のヤツは「鹿児島紅」っちゅう数少なかった色つきの花を無理やりパチリ~~~♪。

 そういや~、よう知らんが~、昔の格言? 「桜切る○カ、梅切らぬバ○」とかってある~~~?

 んなら~今日の我は、まさに「梅撮る○○(別にこう書かなくてもいいんだけど~w)」って感じやん~~~、汗汗。

投稿者:ざつはち
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2008年04月20日

『篤姫』第16回「波乱の花見」

 タイトルと内容があっていないぞ~。もう東京では花見の季節は終わり、せめてもう1~2週間前に放映されたほうがよかったのではないでしょうか。
 今回は水戸斉昭が島津斉彬の薩摩藩邸を訪れるという史実から篤姫と斉昭を絡ませたようです。斉昭に会う前に編纂した『大日本史』を読み、斉昭に対し攘夷のことを問い質す篤姫。あり得ない話ですが、そのまま斉昭は怒るどころから笑って、「大奥を束ねるのは篤姫」と御台になることを承認します。だからどこが波乱なんでしょう? それにしても今回は裏で斉彬の正室英姫が篤姫に『大日本史』をすすめていたのは意外でした。冷え切った夫婦間を暖める美談。離婚が当たり前になっているご時世だからこそ視聴率を集めるのかもしれませんな。
 家定公のお菓子クッキングでは煎餅を焼いていました。ここまでやるなら毎回、いろいろなお菓子を出してほしいものです。今回は煎餅の焼き具合で御台を迎えるかどうか決める家定。斉昭を嫌いながらも「煎餅が香ばしい」という本寿院。これで篤姫の輿入れは決まりましたと。
 もっともっと詳しく知りたい方はこちらのブログをどうそ。

 史跡紀行では小石川後楽園と丸紅本社に敷地内にある一橋邸跡を紹介していました。今回初登場した徳川15代将軍慶喜は、小石川の上屋敷で生まれています。小石川後楽園はJR水道橋駅のスタンプでも紹介されていますが、僕は恥ずかしながら後楽園自体はまだ一度も行ったことがないのです。サクラの季節などは絶景なのでしょうね。ということで今回は森村彩さんが撮影したサクラの後楽園をお楽しみください。あと懐かしい「スタンプ物語31・水道橋駅」にも関連記事が載っています。

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投稿者:管理人
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2008年04月21日

ヨーロッパ心に残る町9-1

パリの街角で[1]

paris1.jpg 「おお! この青く澄み切ったパリの空、なんとすばらしいだろう! この私の燃える思いを、この一輪の花に込めて、誰かに捧げたい!」
paris2.jpg「ちょっとマダーム、ボンジュール! 私の熱い気持ちをあなたに捧げます、受け取ってね、いいでしょ、ジュテーム!」
paris3.jpg 「ねぇ、私にも花を頂戴よ」

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夕暮れのモンマルトルの丘からのパリの街は、夕日がまばゆく輝いていました。

パリの街角で[2]につづく
投稿者:にわあつし
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2008年04月22日

ヨーロッパ心に残る町9-2

パリの街角で[2]
 パリは、町の美しさもさることながら、誰もが自由に自分を表現して活きずく町です。そしてパリは、恋人たちの熱いふれあいが、街角に大変馴染むロケーションです。

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世界遺産の背景になるノートルダム寺院の前の1シーン。

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 鉄道駅は出会いや別れが時を刻む舞台です。
「今度はいつ逢えるかな……? 気をつけてね……!」
「別れたくない…離れたくない…!」
 気持ちが伝わって来るようです……パリ・リヨン駅で

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日没のエッフェル塔はまたロマンチックな景色です。

パリの街角で[3]につづく
投稿者:にわあつし
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2008年04月23日

重要文化財「日本銀行本店(旧館本館)」1

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 明治中期の西洋式建物で、赤坂離宮(現在の迎賓館・紀州徳川家跡、明治42年〈1909〉片山東熊の設計で竣工)とともに、我が国の二大傑作と言われる。明治29年(1896)、5年半の歳月をかけて完成。設計者は東京駅や旧両国国技館も手掛けた辰野金吾で、ベルギ-中央銀行を見本にルネッサンス様式を取り入れたネオバロック建築。関東大震災、東京大空襲にもめげず、110余年経過した今でも日本橋のシンボルとして、昔の面影と美しさを保っている。とくに大正12年(1923)9月1日の関東大震災では、独特の耐震建築で倒壊しなかったものの、翌2日になって、堅牢な石造りをもってしても周辺の延焼の火の手により、3階の明り取りの窓から炎が侵入してしまった。行員による必死の消火活動で、3階は全焼したが1、2階は一部だけにとどまった。震災時こそだから中央銀行の使命を果たそうと、翌3日定刻より少し遅れたものの開店、震災に伴う混乱回避のため、金融などの緊急対策を打ち出していった。その後、東京大空襲にもめげず歴史の証人として美しい姿を保ち続けている。

matsukatamasayashi.jpg 松方正義(1835~1924)

●日本銀行の創立
 明治維新は徳川幕府260年余にわたる封建制度を解体した。富国強兵、殖産振興を目標としつつ、新政府が着手したのは貨幣制度の改革で、明治4年(1871)5月には、早くも新貨条例を公布した。問題山積のなか、財政上の必要から太政官札以下数種の不換政府紙幣を発行した。結果、自ら貨幣制度の基礎を危うくし、ついに明治10年(1877)2月、西南戦争勃発を機に矛盾が露呈した。戦費調達のため、27百万円の不換政府紙幣、15百万円の不換国立銀行紙幣を乱発したため、銀紙の値開きが著しくなった。米価は2倍、貿易収支赤字、正貨流出、金利高騰、投機熱などインフレ-ションの展開となってしまった。このインフレ-ション対策には不換紙幣の整理が必至であつた。明治14年(1881)10月、松方正義の大蔵卿就任により着手され、明治15年(1882)6月、不換紙幣整理方策の中核として、日本銀行が創立された。

パート2につづく

投稿者:菊地正浩
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2008年04月24日

重要文化財「日本銀行本店(旧館本館)」2

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●創業と初代総裁
 日本銀行条例が制定され、同年10月10日に営業を開始した。場所は東京日本橋区北新堀町21番地、旧北海道開拓使出張所の建物を店舗とした。隅田川の永代橋、そこに注ぐ日本橋川の豊海橋のところ(写真左)に位置していた。初代総裁は吉原重俊(鹿児島藩士の子で松方の郷党の後輩)で、38歳という壮年で就任、43歳の若き現職のまま病に倒れ、惜しまれて逝去した。明治16年(1883)4月28日の開業式当日、周辺道路両側は数千の提灯が掲げられ、永代橋にも電燈がとりつけられた。
 会場内は幔幕、提灯、万国旗、草花などで飾られ、陸海軍による吹奏、まるで鹿鳴館を思わせるようであった。式典や晩餐会には松方大蔵卿、吉原総裁をはじめ、皇族、大臣、参議、外国公使など内外名士による参列者数千、夜の12時まで繰り広げられた。夜空を飾る幾百幾千の提灯やランプと電燈、隅田川での仕掛花火は日本橋っ子の度肝を抜いたといわれる。現在この地には、記念碑(写真右)が建てられて当時を偲んでひそかにたたずんでいる。(参考文献『日本銀行八十年史』)

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●本店移転
 明治29年(1896)3月22日、3代目川田総裁のとき、日本橋区本町常盤橋前に移転した。移転地には、金融経済の中心地として日本橋が選ばれ、なかでも江戸時代の金座跡地に決定した。金座とは、金貨の鋳造、鑑定、発行所で、江戸のほか駿府、佐渡、京都の4カ所にあった。各金座は江戸中期までに廃止または縮小されていたが、江戸座も明治2年(1869)、造幣局の設置で廃止された。ちなみに、日本橋を渡ると銀座で、銀貨の鋳造、発行所があった。現在は銀座という地名だけが残っているが、この金座、銀座辺りは金融、経済の中心地であり、両替商が軒を連ね貨幣に縁の深い土地である。三越の前身、越後屋呉服店、三井住友銀行の前身、三井両替店などは代表的といえる。

tokiwabashikarakkyuhonkan.jpg 常盤橋から見る旧本館

●重要文化財 旧本館
「にほん銀行」か、「にっぽん銀行」か、結論はどちらも正しい。しかし、日本銀行の人たちは皆、「にっぽん銀行」と言う。定かではないが、初代総裁吉原重俊が薩摩出身で、威勢がよく、「にっぽん銀行」と呼んでいたということらしい。いずれにしろ江戸時代の流行語に「いよ! にっぽんいち」という掛け声がある。芝居や歌舞伎でも聞かれるし、現在ではスポ-ツの応援で、「にっぽんチャチャチャ」などという声援が聞かれる。あらためて、堂々たる旧本館の建物を見てみよう。さすが、「にっぽんいち」だけのことはある。建築様式については冒頭記述したとおりである。

パート3につづく

投稿者:菊地正浩
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2008年04月25日

重要文化財「日本銀行本店(旧館本館)」3

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写真左から中庭へと入る西口通用門・中庭内部・中庭から見た館内

umanomizunomiba.jpg ●中庭

 正門を中に入る。当時は馬車の時代であった。その名残が今も残っている。馬の水飲み場であり、馬を繋いでいた場所である。我が国中央銀行としての歴史とともに歩んできた、中庭にある馬の水飲み場で貴重な遺跡である。

kaheimuseum1.jpg kaheimuseum3.jpg kaheimuseumstamp.jpg

●貨幣博物館
 貨幣の誕生は、永らく和同開珎とされてきた。平成20年(2008)は、和銅元年(708)から1300年になる。しかし、平成10年(1998)に、奈良、飛鳥池遺構の発掘調査で「富本銭」が、和同開珎より古い7世紀後半に鋳造されていたことが判り、貨幣史は大きく変わった。古代から現代に至るまでの貨幣史について、日本銀行金融研究所では、昭和57年(1982)、日本銀行創立100周年記念事業として、旧本館前に貨幣博物館をオ-プンした。古来、貨幣類や江戸時代の貨幣、藩札、利札、日本を中心に東アジアの貨幣、在日米軍軍票等々、およそお金に纏わる大コレクションが公開されている。貨幣誕生とその変遷について、最新の研究成果を踏まえ、多彩な資料に触れられ飽きることがない。
●入館無料/9時30分~16時30分/月曜日、祝日(ただし土・日曜と重なる場合は開館)休

http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/index.htm

●おわりに
 3月末で第30代日本銀行総裁が任期切れとなり、しばし空席となった。日本銀行創立以来、前代見門の出来事である。昨今のねじれ国会の影響によるものであるが、ようやく白川総裁が就任することとなった。日本銀行の歴史で後世の語り草となるであろう。そんなことには関係なく今日も旧本館は凛として建っている。日本銀行総裁の話題でマスコミが賑わった機会を捉え、重要文化財の旧本館とその歴史の一端を紹介したものである。

おしまい

投稿者:菊地正浩
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2008年04月26日

人生何が起こるかわからない

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『人生何が起こるかわからない』(山手出版社)髙木康充著
A5判上製 309P 1575円

2008年4月12日発行。伊藤建介会員が主宰する山手出版社からの発行で、編集・制作も伊藤氏が携わっています。岐阜県の東濃地方最大の建設会社東海建設株式会社を創業した元代表取締役社長の髙木康充氏の力作です。ストレートに力強く生きた髙木氏の波乱の人生をつづった一代記ですが、そのなかにはサラリーマンから転身して裸一貫で建設会社を創業し、地域最大の企業へと発展させた経営者としてのノウハウも書かれています。まさにビジネス成功の秘訣や人生の手本となるべき一冊です。

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著者:髙木康充(たかぎ・やすみつ)プロフィール
昭和16年(1941)8月17日、岐阜県可児郡伏見村(現・御嵩町伏見)にて出生。昭和35年(1960)オリエンタル中村百貨店入社。大井建設株式会社を経て、昭和47年(1972)東海建設株式会社創業。31年間の社長在任後、平成18年(2006)7月、名誉会長となり、現在は青少年問題、高齢者福祉問題の無料ソシアルアドバイザーとして地域に奉仕を続ける。中高等学校などの教育講演や、かにかも放送のパーソナリティーなどに出演多数。

本の注文は山手出版社までどうぞ。
神奈川県横浜市保土ヶ谷区新桜ヶ丘2-18-16
電話045-355-5380

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2008年04月27日

『篤姫』第17回「予期せぬ縁組」

 安政2年(1855)の出来事として尚五郎が江戸へ上洛。西郷は篤姫婚礼の仕度品の調整でてんわやんわといったところでしょうか。篤姫と尚五郎の久々の対面も上洛して3カ月後で、この間に琉球にいた小松清猷が急死。尚五郎は急遽、故郷に帰って清猷の妹千賀と縁組して、小松家を継ぐことになります。しかし、清猷は29歳まで妻帯していなかったんですね。千賀も当時では珍しく晩婚ですし。
 尚五郎が故郷に帰る途中の10月2日に安政大地震が発生。死者は4000人とも1万人ともいわれますが、水戸藩では斉昭腹心の戸田忠太夫、藤田東湖が亡くなるという悲劇に見舞われます。もっとすごいのはこの年は11月4日、東海地方でM8.4、11月5日に南海地方でM8.4と三大地震が起こったほか、伊賀や飛越地方にも大規模な地震が発生しており、この地震の総死者数は1万をゆうに超えたでしょう。いや地震は本当に怖いです。阪神淡路大震災で都市機能が停止したように、東京も直下型地震がきたら壊滅しかねませんから……。
 あと話から脱線しますが、今回も何気なく家定クッキングのカステラ登場。斉彬に試食させていましたが、どうせならちゃんと焼き方からきちんとやってほしかったですね。

 史跡紀行では薩摩藩邸の芝屋敷と渋谷屋敷を紹介していました。桐野先生「さつま人国誌」によれば薩摩藩は江戸の桜田・芝・高輪・田町・白金・渋谷の6カ所に屋敷があったそうです。渋谷屋敷は嘉永5年(1852)に購入したのですが、芝・高輪が海岸に近いこともあって、異国との戦いに備えた避難用だったそうです。篤姫は芝屋敷にいたのですが、地震で倒壊したため渋谷屋敷に移ってきたのです。薩摩藩渋谷別邸跡は渋谷区郷土博物館の向かいにありますが、この郷土博物館にはスタンプがありません。なので今回は田町駅と渋谷駅のスタンプをUPします。渋谷のスタンプの金王八幡宮は源義朝の家臣渋谷金王丸を祀る神社で、渋谷の地名の由来にもなっています。このあたりには渋谷城が築かれたこともあって、義朝の側室であった常盤御前(義経の母)が植えたと伝わる常盤松がありました。渋谷別邸の碑はその常盤松を偲んで薩摩藩士によって建てられたのです。

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投稿者:管理人
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2008年04月28日

4月11日の新潟県十二峠の残雪

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日本一の豪雪地帯の十二峠付近の様子です。気温が低く、谷に霧が湧いています。
ここは新潟県南魚沼郡塩沢町の西、清津峡の入り口で、中里村になりますが、あまりなじみではありませんね。しかし、私はこの景色が好きで、深呼吸してしまいます。
地元ではやっと雪に解放されて、外に出て背のびしていました。
今は東北で桜の話題ですが、まだま残雪に覆われた地域もありますし、京都では八重の桜が満開です。テレビやラジオ、新聞のニュースだけでは、日本の今の風景がが伝わりにくいようです。

投稿者:伊藤建介
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2008年04月29日

『東京庭園ガイド』

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『東京庭園ガイド』(メイツ出版刊)
定価1,575円 東京名園鑑賞会 著  2008年4月30日発売

購入

旅ジャーナリスト会議4名が参加(小川金治・久芳勝也・塩見有紀子・多賀泰彦)

東京の庭園を楽しんで歩こう!
巨大なビルの谷間に点在する日本庭園。
ローズガーデンなどがある西洋庭園。
芸術家の屋敷だった個性あふれる庭園。
いずれも手入れが行き届いた魅力あふれる庭園である。
そんな庭園をぜひ一人で、二人で、家族で散策してほしい。
きっと、心に安らぎのひとときを与えてくれるだろう。

江戸・明治・大正・昭和の名残をたっぷり楽しめる、東京の日本庭園、西洋庭園を厳選し、名園の由来や、ゆかりの人物、エピソードを案内。写真と絵地図のコースガイドでわかりやすく紹介する。データ:2007年12月現在。

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2008年04月30日

京都御所、春の公開

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京都御所の春の公開(4月9~13日)で、内部を見てきました。初めての見学です。
御所は一言でいって「贅を尽くして侘び寂びを表現した美の殿堂」ですね。
正殿の紫宸殿と右近の橘、清涼殿の御簾、純日本庭園で回遊式の御池庭。
まさに源氏物語の中心部の生活ぶりも伺えました。いま、光源氏の洛中マップをつくっているので、興味しんしんでした。
かつて、庶民からの上納で地位を保った王家の存在を、国の姿を、改めて感じ入ったわけです。

投稿者:伊藤建介
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