« 2009年01月 | メイン | 2009年03月 »

2009年02月 アーカイブ

2009年02月01日

『天地人』第5回「信長は鬼か」

 今回は創作部分の信長と兼続が岐阜で会見する話でしたが、ここで秀吉と三成にも顔合わせの意味があったんですね。ただしストーリーは拍子抜けでしたが。
 信長の南蛮趣味を集めた部屋につれて行かれ、そこで信長とサシでワインを飲む兼続。洛中洛外図を贈った理由や、仏を討つのは間違いなどどぬかす兼続。あれー、たしか謙信ってその前に越中で一向宗を撫で斬りにしていたのでは? まぁ最後は本願寺と講和したのは事実ですが。
 で、信長は「あやつを殺せ」と指示を出し、初音と三成の機転によって救われます。そういえば初音が真田幸村の妹から姉に設定が替わった理由は橋場先生の日次記で知りました。そもそも幸村の血縁とするところにムリがあります。娘まで歩き巫女(くの一)に仕立てる父昌幸って非情ですね。ところがその帰路も描かれず、長島一向一揆鎮圧もすっ飛ばしていきなり天正3年(1575)の長篠の戦いのダイジェスト。さらに1年過ぎて天正4年(1576)に入ります。
 それにしても桐野先生の『膏肓記』に書かれているようにものすごい「義」のインフレ。そもそも「義」とは自分の都合のよい解釈(大いなる私情)にしかとれなくなるのは僕だけでしょうか。
 あと、お船の婿選びが決まりそうで、お船は兼続に心を寄せているのに、相変わらず鈍い兼続。それよりお船って景勝の初恋の相手ではなかったのでしょうか。もうこの頃には兼続が景勝との仲をとりもつための余計なおせっかいもないし、どうもこのストーリー矛盾が多いですな。

 史跡紀行では信長の居城・岐阜城のあった岐阜市を紹介。はい、ここは地元なので何度も行きました。ただし写真は少ないですがね。岐阜城は標高339mの金華山山頂にありますが、中学の頃、自力で登ってバテバテになりました。やっぱロープウェーは楽チンですね。岐阜公園へは昔は名鉄の路面電車が走っていましたが、今はもうありません。僕が行った頃は岐阜城にスタンプが26個もあって驚いたものですが、路面電車も駅弁もなくなり、観光産業が衰退した現在はスタンプも4個しかなく寂しい限りです。今回はJR岐阜駅のスタンプと岐阜城の写真およびスタンプをUPします。

gifuekistamp.jpg gifujo.jpg gifujostamp2.jpg

『天地人 直江兼続』(メディアボーイ)をまだ購入していない方は、ぜひこちらからご覧になって購入してくださいまし。

投稿者:管理人
【人気blogランキングへ】

2009年02月03日

手漉き和紙の里(2)~烏山和紙(栃木県特産無形文化財)

karasuyamawashidako.jpg bunkazaishitei.jpg

 栃木県那須烏山(なすからすやま)市は旧下野国東端にあり、東側の八溝(やみぞ)山地から西側は喜連川(きつれがわ)丘陵が広がる。町名は烏が金の幣束(へいそく)(裂いた麻や畳んで切った紙を細長い木に挟んで垂らしたもので、尊敬語では御幣といって親祭用具の一つ)を落とした土地に、那須資重(すけしげ)の築城によることからの由来。那須一族の支配する烏山城3万石の城下町として栄えた。中央部を那珂川が流れ、左岸の開けた段丘に市街が広がり、武家屋敷跡も残る。大正11年(1922)に烏山線が開通し東北本線と接続したが、それまでは奥州街道の要衝としての宿場町でもあった。昭和29年(1954)、境、七合(ななごう)、向田(むかだ)の3村と合併、2005平成の大合併で南那須町と合併して那須烏山市となる。古来、山と清流のあるところに和紙は生まれるとされており、蛇姫様の城下町烏山に和紙が伝承されてきたのも、那須、八溝連峰と那珂川という清流に恵まれたからである。

paperlight1.jpg paperlight2.jpg

 下野国の和紙が登場するのは、奈良朝の天平宝字4年(760)のことで、「写経料紙を産出す」とあります。日本への紙漉き技術が伝播されてまだ間もない時代、後鳥羽上皇の建保年間(1213~18)に、那須十郎が越前(現・福井県)から紙漉き職人を招き、那須奉書を漉かせた。江戸時代には檀紙、十文字紙、程村(ほどむら)紙などの良紙を生む。

hodomurashi.jpg

 とくに烏山和紙を代表する程村紙は、世に厚紙の至宝とまで言われ、昭和45年に烏山町重要文化財に選択された。これを祈念して、烏山和紙会館が開設され伝統文化の保存に努めている。厚紙和紙の手漉き技術は、国の選択無形文化財になっている。強靭な厚紙和紙は450年の伝統日本一野外劇「山あげ祭り」の山に使われている。

karasuyamawashikaikan.jpg

烏山和紙会館 那須烏山市中央2-6-8
●JR烏山線烏山駅から徒歩10分。入館無料。9時~17時30分。火曜休。TEL0287-82-2100 

karasuyamawashi1.jpg karasuyamawashi2.jpg

投稿者:菊地正浩
【人気blogランキングへ】

2009年02月05日

450年の伝統 日本一の野外劇・山あげ祭り

yamaagepamphlet.jpg karasuyamapamphlet.jpg

 山あげ祭り(国の重要無形民俗文化財指定)とは、全国でも類似を見ない絢爛豪華な野外歌舞伎です。今から450年前の永禄3年(1560)、下野国烏山に疫病が大流行した。烏山城主那須資胤(すけたね)が災厄を納めるため、八雲神社にお祀りし奉納余興に相撲や神楽などを行った。やがて「山あげ」という常磐津所作の野外歌舞伎を行うようになったのが始まりです。
 ちなみに全国の名立たる祭りをいくつか列挙してみましょう。飛騨の高山祭り、京都の葵祭り、諏訪の御柱、博多どんたく、秋田の竿灯祭、青森のねぶた、仙台の七夕祭り、富山の風の盆、長崎・唐津のおくんち、秩父の夜祭り、如何でしょうまだまだ沢山ありますが、どれも見たり聞いたりする有名な祭りです。先般の旅じゃで和紙のことを紹介しましたが、開国を迫った欧米人が日本人の暮らしを本国への報告書の中で、「木と竹と紙の生活」という表現で紹介しています。そうです、生活と神事、祭りは古来より日本独特の文化、しかも木と竹と紙の文化です。
 ここに紹介する「山あげ祭り」も大きな大きな凧を作るように竹を裂いて組み、烏山和紙を貼り山、水、花、木、里等々を描いたものを立ち上げるのです。しかも六町内が毎年順番に当番となり、前年より少しでも山を高くつくり上げようと競うのです。山が高ければ高いほど神様が降りやすいというものです。竹と和紙を使い描いた大きな山は、所作狂言(おどり)の野外舞台背景で、若衆の一糸乱れぬ息の合った行動で道路上に立上げられるのです。その山を背景に常磐津の三味線、笛、太鼓、歌にのって、選ばれた踊り娘達が美しい舞を披露、狂言芝居をも演じるという、日本一の野外劇であります。
 演じられる奉納余興には「将門」「吉野山」「蛇姫様」等で各々50分ほども演じます。年に一度町を「あげ」ての祭りは、全国各地から多くの観光客を呼び、最近では外国人観光客の姿も多くなりました。はからずも外国人が「木と竹と紙の生活」と日本を紹介しましたが、全国各地の祭りも木と竹と紙を抜きにしては語れません。とくに烏山和紙を生んだ烏山の山あげ祭りは代表的なものと言えましょう。

yamaagematsurieizo.jpg

miniature.jpg chonaimikoshi.jpg

 祭りは毎年7月の第3金、土、日の3日間ですが、普段は那須烏山市山あげ会館へ行くと、映像やミニチュアで見ることができ、三町の立派な神輿も展示されています。今年も7月に向け、町中が熱くなっていくことでしょう。

yamaagekaikan.jpg yamaagekaikanticket.jpg

山あげ会館 栃木県那須烏山市金井2-5-26
●JR烏山線烏山駅から徒歩5分。入館500円。9~16時。火曜休。TEL0287-84-1977

投稿者:菊地正浩
【人気blogランキングへ】

2009年02月07日

フランツでトゥナイト

やっぱ新作ってこって、最近はフランツ フェルディナンドのアルバム「トゥナイト」、ヘビロテばいね~~~♪。

tonight.jpg

前の2作に比べると、ちい~~~と迫力足らんかも~とか思いつつ~、ロックなグル~ブにいろんな実験結果?をしっかり載せているとこはさすギャ~~~って感じ~~~♪♪。
 全然知らなかったんだけど~、3曲目の「ノー ユー ガールズ」って結構ベタなサウンドで気に入ってたのにい~~~!寝る前にもかけたりしてたのにい~~~!カチカチ鳴ってるのがパーカッションじゃなくて人骨叩いてる音だってぇ~~~!昨日の夜怖~な夢を見たんはそのせいなんかいなあ~~~???

投稿者:ざつはち
【人気blogランキングへ】

2009年02月08日

『天地人』第6回「いざ、出陣」

 明らかな創作ですが、拍子抜けするような内容でした。あの「愛」の前立てのせいか、どうも妻夫木兼続は慈悲深いというか、軟弱というか、トホホな人物に描かれてしまっています。
 17歳で初陣した兼続ですが、敵の武将にも母がいることを知ると、斬れなくなってしまい、おまけに味方を負傷させてしまいます。「すいませんでした」と誤り続ける兼続に、景勝は「二度と謝るな!」と一喝。その後も戦いにおいて敵兵一人討ち取れない軟弱さ。あとで兼続が見逃した敵将が討死しているのをみて、涙を流しています。
 で、もって越中を平定して能登に侵出した上杉軍。七尾城攻囲で長陣となり、兼続は直江景綱に会って励まされます。しかし、景綱は病のため春日山に帰り、娘のお船と長尾景孝の婚儀が決まります。兼続に思いを寄せているお船は何かうかない顔。一方の兼続は景虎の配下が犬に景勝の幼名「喜平次」とつけてからかっているのを見て、激怒して刀を抜いてしまう兼続。
 この軽はずみな行動で謹慎処分となり、帰国させられます。しょせん、足手まといにしかならなかった軟弱兼続。またも謝る兼続に、景勝も「たわけものめー」と激怒。
 どうも5回目あたりから気分が萎える内容になりつつありますが、その一方で『天地人』は高視聴率をマークしています。なんでもやおいの傾向があって、それはそれで腐女子の方々に人気だとか。僕としてはもうちょっとかっこいい武将を期待していたんですがね。

今回は慌しいため、こんなところで失礼しますが、他の先生方の批評も併せてお読みください。
桐野作人先生『膏肓記』
橋場日月先生『日次記(ひなみき)』

 史跡紀行では新潟県南魚沼市の樺沢城跡や上田衆の屋敷跡などを紹介していました。物語の舞台は越中・能登に移っていますが、戦いでの上田衆の活躍を紹介したかったのでしょうか。僕も昨年1月に雪中行軍で撮影に行ってきましたが、あまりにも雪深くて、城山へ行くのは断念しました。最寄はJR上越国際スキー場前駅ですが、無人駅のためスタンプがありません。今回は雪の樺沢城と上越国際スキー場駅、比較的近いJR石打駅のスタンプをUPします。

kabasawajoato.jpg joetsukokusaisukijomae.jpg ishiuchistamp.jpg

『天地人 直江兼続』(メディアボーイ)をまだ購入していない方は、ぜひこちらからご覧になって購入してくださいまし。

投稿者:管理人
【人気blogランキングへ】

2009年02月10日

コンピューター・グラフィックで見る「パノラマ伊那市」の冬の展望

cgina1.jpg

 日本で唯一、東西に3000m級のアルプスを仰ぎ、市街地の中央を川が流れる街、長野県伊那市はニ年前から観光宣伝の「冠言葉」を「パノラマ伊那市」と決定して市営の宿や観光パンフレットにこの「パノラマ」を冠して使用している。そして昨年できたばかりの伊那谷のパンフレットにも「山の展望がごちそうです」と表紙に書かれている。

 ここに謳われている「パノラマ」や「山の展望」が最も美しく見える季節が今、冬である。

cgina2.jpg

 この景色に魅せられ、一昨年の大晦日、伊豆半島から車を駆ってコンピューター画家・工藤省三さんが伊那市の西の丘を訪れた。横浜で建築設計に携わっていた工藤さんは西伊豆の史跡の町・松崎へ移住し、本格的に伊豆半島の海と里山の景観をコンピューターで絵画作品にすることに成功、その数はニ百点を越えた。その活躍ぶりはしばしば地元の新聞や中央の雑誌で取り上げられている。

 初めて伊那市を訪れ、純白の峰々が続く南アルプス連峰を見たとき、工藤さんは「これこそ神々が住むところ」と思ったという。その感慨をしたためた手紙とともに、できあがった作品が私に送られてきた。荘厳な雰囲気をたたえて左端に立つ山が仙丈ヶ岳(3030m)、右の扇を広げたような姿が間ノ岳(3198m)、さらに塩見岳(3052m)と雪をまとった山嶺が続く。写真ではなく、そして絵でもない、新しい手法の「絵画芸術」は伊那市の農業公園「みはらしファーム・いちご園受付」に常時展示されている。


投稿者:森田芳夫
【人気blogランキングへ】

2009年02月12日

トイレの守り神 明徳寺

meitokuji1.jpg

 修善寺から天城峠へ向う国道414号(下田街道)を走行すると、車窓からひんぱんに「トイレの神」「便所の神」という看板が目に飛び込んでくる。日本トイレ研究所のメンバーとしては、トイレの守り神と聞いては見過ごすわけにはいかない。注意深く案内板に従って狩野川沿いを行く。この付近は天城山に囲まれた谷あいの集落が、湯ヶ島温泉を中心に集まった温泉町である。修善寺温泉から月ヶ瀬温泉を通り湯ヶ島温泉の手前に嵯峨野温泉がある。そこが市山という集落である。嵯峨野温泉は大正末期の掘削で開けた温泉であるが、名称は付近の風景が京都の嵯峨野に似ているためといわれる。この市山にトイレの守り神「東司(便所)守護神、烏枢沙摩明王」が祀られている明徳寺がある。
 寺の由緒は室町時代、僧珠龍が当地に巡錫草庵を結び、その時の年号をとって明徳寺とした。応永29年(1422)卯月、古本尊聖観世音像の修理を記念して石段の上に槙を植えたが、今や樹齢約600年を誇るものである。元和元年(1615)僧聞国逸和和尚韮山真珠院より秋山忠益禅師を排請し開山となし曹洞宗に改宗今日に至る。

東司(便所)守護神、烏枢沙摩明王の由来
 元々はインドの火の神、密教に取り入れられ明王号を付された。不浄のものを浄化し清める徳を持つ神様で、仏教と同時に中国から伝来した。「下」のお世話にならないように、心を清浄になごやかに毎日の生活を過ごせるよう、多くの人が参詣に訪れる。便所に祀る札、身体につけるお守り、下着類を売っている。守護神は五百余年前より明王堂に安置お祀りされている。

meitokuji2.jpg ema.jpg

 以上ですが、観光地、山岳、災害時、の向上に協力している旅ジャーナリスト会議を代表して、トイレの守り神に参拝いたしました。


投稿者:菊地正浩
【人気blogランキングへ】

2009年02月14日

『おとなの鉄道地図帳』

にわあつしさんの「新幹線0系ひかり号運転士日記」として、旅じゃブログに出している「新幹線を運転する」から編集した文が掲載されました。

otonanotetsudochizucho1.jpg otonanotetsudochizucho2.jpg

『おとなの鉄道地図帳 昭和30年代の風景』(学習研究社)
2009年1月30日発行 AB判 119P ISBN978-4-0560-5418-7 

購入

nakami1.jpg

nakami2.jpg

にわあつしさんの「新幹線を運転する」の記事が紹介されたのは、『旅行読売』2007年8月号に引き続き二度目になりました。よかったですね。グ○コではありませんが、一粒で二度おいしい

【人気blogランキングへ】

2009年02月15日

『天地人』第7回「母の願い」

 七尾城攻めはどうでもよかったようなホームドラマでした。
 故郷の雲洞庵で蟄居生活を送る兼続。母が病身でありながら「会わす顔がない」と寺に籠もりぱなしです。今回びっくりしたのは、初登場のお船の最初の婿・直江信綱(山下真司)。えらく老けた役者をと思っていました信綱の年齢。僕はこれまでお船に嫁いだのだから30代とばかり思っていました。ところがウィキ情報によりますが、生年不詳なものの、大永7年(1527)に父景明に攻められ降伏。幼少の景孝に家督を譲ったとあります。このとき仮に1歳としても、お船(21歳)を娶るのは51歳となり、おそらく初婚ではないでしょう。景勝より30近く上ですし、しかも謙信よりも年上になってしまいます。総社長尾氏との結束を固める政略ともとれますが、どうも信綱の生年に疑問ありです。詳しく知っている方がいれば教えてくださいませ。
 一方、兼続の母は生没不詳で、史料に残っていないところを見ると、結構早くに亡くなってしまったのかもしれません。その母お藤が危篤となり、それでも行こうとしない兼続に和尚が怒り、兼続はかろうじて死に目には間に合いますが、母は兼続に言葉を発しようとする前に切れてしまいます。
 母の葬儀に従兄妹にあたるお船が出席し、その帰りに兼続が供をしますが、帰り道で紅葉の散るのを見て、母の言葉を思い出します。
「そなたはモミジになるのです」
 ここでお船とツーショット。「父景綱もモミジの如く散っていった」と云い、兼続は上杉のサムライの生きる道を見出し、「二度と泣きません」と決意。お船は「その言葉をもう少し早く父が聞いていたら」と後悔しますが、まぁドラマですから、ここまでして伏線をはりたいのでしょう。
 ここでもあのミニ与六(加藤清史郎)が回想で出てきましたね。このミニ与六さん、14日の南魚沼市雪まつりに呼ばれ、「わしはこんなとこ来とうはなかった!」と云われず、「わしはこんなとこ来てよかった!」と云われて大盛況だったようです。あの名演技が見たい方はこちら。しかし、老婆心ながら気になってしまうのは、ブラウン管での演技がすばらしければすばらしいほど、現実が虚像になってしまうのではないかと。ケンちゃんシリーズの宮脇君ではないですが、あの『篤姫』で理想の夫婦を演じた宮﨑あおいさんに早くも旦那の不倫疑惑の暗雲が立ち込めています。僕の場合は日記も実像もありのままの生き地獄演じていますが……。

あと、他の先生方の批評も併せてお読みください。
橋場日月先生『日次記(ひなみき)』
桐野作人先生『膏肓記』

 史跡紀行ではほとんど舞台に出てこなかった石川県七尾市の七尾城跡や石動山城跡などが紹介されました。こちらも未訪ですがデザイナーの上田氏が撮影に行きましたので、今回は上田氏提供の七尾城とJR七尾駅のスタンプをUPします。

nanaojo1.jpg nanaoekistamp.jpg nanaojo2.jpg

『天地人 直江兼続』(メディアボーイ)をまだ購入していない方は、ぜひこちらからご覧になって購入してくださいまし。

投稿者:管理人
【人気blogランキングへ】

2009年02月17日

横浜 ホテルニューグランド日本で初めての料理

chicken-curry.jpg

横浜の「ホテル・ニューグランド」は、横浜港正面のいわば日本の玄関に立つ来日者専用のホテルでした。当然、フランス料理もこのホテルが発信元です。
カジュアル料理に、1925年初代シェフのサリーワイル発明の「シュリンプドリア」。
戦後接収中の米軍向けに「スパゲティナポリタン」「プリンアラモード」そして「チキンカレー」(写真上)がこのホテル発祥です。いわば元祖ですが、宣伝もせず味を守っています。これが老舗です。
その4種類をいただいてきました。当然お腹いっぱいで、夢心地!
すべてに味が濃厚で、しっかりした作り方。「ほんもの」です。

doria.jpg

「ドリア」はチーズが味がしっかり、ごはんはべたつかず。海老は新鮮。

spaghetti.jpg

「ナポリタン」しっかり茹でてしかもトマトの濃厚な味。

puddingalamode.jpg

「プリンアラモード」大げさなアメリカ人向けに飾り、固めのプリン、アイスは清里・清泉寮のソフトクリームより濃厚でさっぱり。日本初のうさぎちゃんのリンゴもここから全国へ。


ああ、よかった。


投稿者:伊藤建介
【人気blogランキングへ】

2009年02月19日

伊豆爪木崎の水仙まつり1

tsumekizaki09.jpg rokkakuchujosetsuri1.jpg rokkakuchujosetsuri2.jpg

 伊豆半島南端、下田湾東方の須崎半島南端の岬端。白亜の爪木崎灯台に立つと、地球が円いと感じる眺望、伊豆七島をも目前にできる。周辺の海岸は海食崖となり、爪木島、田浦島などは岩礁を持ち、六角柱状節理を伴う安山岩が海食により露出する俵磯海岸は県の天然記念物。

ikenodan-suisen-aroe.jpg nosuisengunseichihi.jpg

 黒潮に囲まれた爪木崎の池の段と呼ばれる草原一帯に、冬季は野生の水仙が咲き誇る、その数300万輪という景勝地である。

suisenmaturipamph.jpg suisenshop.jpg

suisen.jpg tsumekizakinanohana.jpg

 今年も新春の先陣を切るかのように水仙まつりで賑わった。白い絨毯を敷き詰めたように可憐な薄黄色の花は甘い香りを放ち、アロエの紅色をした花がほど良くマッチしている。負けじと黄色い菜の花が一面に咲く風景は、一足早い春を満喫できる。

oldpublictoilet1.jpg oldpublictoilet2.jpg newpublictoilet.jpg

 前回訪れた時に気になったのが、海岸にある小さくて汚い公衆トイレ(写真左・中央)であったが、それがなんと綺麗な公衆トイレが新設(写真右)されている。観光地トイレの向上に取り組む筆者としては、誠に喜ばしい限りである。今後はメンテナンスにも充分気を配り、綺麗な観光地トイレとして維持してほしいものである。

parkingticket.jpg

2月21日につづく

投稿者:菊地正浩
【人気blogランキングへ】

2009年02月21日

伊豆爪木崎の水仙まつり2

kaze-rotenburo.jpg

kaze1.jpg kaze2.jpg

●秘湯の宿 爪木崎 風(姉妹館は東京浅草にある助六の宿 貞千代)
 旅ジャーナリスト会議と縁が深い宿で、日本秘湯を守る会の宿でもある。風に泊まってのお勧めは、何といっても屋上にある展望露天風呂からの眺めである。眼下に見える白亜の爪木崎灯台、遠く海のかなたは伊豆七島、朝風呂は日の出、夕風呂は日の入りと両方が見られるすばらしい露天風呂である。

kaze-dinner.jpg kaze-breakfast.jpg
『風』の夕食(左)と朝食(右)

 部屋の落ち着いた雰囲気と、朝夕の海の幸によるもてなしも良いが、もっとすばらしいものを紹介しよう。風のトイレは広さ、設備、メンテナンスとも観光地トイレとして一級品。トイレの良し悪しは宿の質を決める。興味をお持ちの方どうか一度屋上の露天風呂とトイレに入ってみては如何だろうか。

kaze-toilet.jpg 『風』のトイレ

問合せTEL0558-22-2777

秘湯の宿 爪木崎 風のホームページhttp://yadokaze.com/

追伸----昭和30年(1955)下田町が稲生沢(いのうざわ)、稲梓(いなづさ)、浜崎、朝日、白浜の5村と合併、46年に下田市となった。現在、南伊豆町、河津町、松崎町との合併をめぐり揺れている。
松崎の水門問題、稲取、河津、南伊豆などに絡む風力発電問題。旅ジャーナリストとしてもこの春合併の行方から目が離せない。

投稿者:菊地正浩
【人気blogランキングへ】

2009年02月22日

『天地人』第8回「謙信の遺言」

24日になってようやく録画をみることができ、25日にUPします。
 謙信が柴田勝家を大将とする信長麾下の軍を破った手取川の合戦。予算がかけられなかったのか、あっさりと終わってしまいましたね。雨が降っていたため、鉄砲が使えず大敗したということになっていますが、雨の増水の割には濁らない川なんですね。おまけに秀吉は軍令違反で長浜で謹慎中かと思えば、安土城で信長の機嫌とっていますし。
 上田庄の雲洞庵で世俗を断ち切っていた兼続はようやく謹慎が解け、春日山城へ戻ることになり、弟の与七(のちの大国実頼)も従うことになります。兼続が景勝のもとへ戻ってくると、あれ景勝が笑ってしまいました。たしか景勝って生涯で一度(サルが自分の真似をしたとき)しか笑わなかったのですが、さすがにドラマでこれをやると暗くなると思ったのでしょうか。
 その後、お船の方の婿となった直江信綱にも面会。お船の侍女かよ(あき竹城)がいい味出していました。この人米沢出身で米沢市観光親善大使になっていますね。やがて謙信と面会。謙信は「信長と戦うのは己の欲にあらず、足利幕府を再興するため」の大義名分をふりかざし、兼続が敵と戦い殺すことを悩むのを、「そなたこそがわしの真の遺志を継ぐ」と謙信に云われ、前回、「もう泣きません」と云った兼続がもう泣いています。でも、兼続は毘沙門にはなれないでしょうね。
 そして謙信は毘沙門堂で倒れます。史実では厠で倒れたのですが、厠というのが脚本家の美意識にあわなかったようで……。今回はこのへんにしておいて、次回以降、当日更新をめざします。

あと、他の先生方の批評も併せてお読みください。
橋場日月先生『日次記(ひなみき)』
かわい先生『豊泉堂雑記』

 かわい先生のほうにはなぜかトラックバックが貼れなくなってしまいました。どちらのネット環境に問題があるのでしょうか。

 史跡紀行で石川県白山市の手取川古戦場、松任城跡、松任金剣宮などが紹介されました。松任は昔は松任市だったのですが、市町村合併で白山市に変わりました。昔は松任に行ったとき、松任駅に名物あんころ餅の立売がいたことが記憶に残っています。しかし、手取川古戦場は残念ながら未訪なので、新刊『データで見る最強の戦国武将ファイル』(洋泉社)に掲載した外川先生の写真をお借りしました。本書では外川先生ほか、かわい先生、四條たか子先生、清水昇先生といった歴史作家・研究家の重鎮たちが寄稿していますので、ぜひお買い求めください。
 手取川はJR北陸本線小舞子駅が最寄ですが、この駅は無人駅のためスタンプがありません。スタンプに手取川が描かれた隣の美川駅のスタンプをUPします。
 今回はなんとか急場をしのぎましたが、たぶん、今後写真やスタンプなしの回が出てくることと思います。

tedorigawakosenjo.jpg mikawaekistamp.jpg


『天地人 直江兼続』(メディアボーイ)をまだ購入していない方は、ぜひこちらからご覧になって購入してくださいまし。

投稿者:管理人
【人気blogランキングへ】

2009年02月23日

富士山

mt-fuji1.jpg

 いま、富士山は雪化粧ののりが一番綺麗な時期ですね。白い雪がキリッと、宝永山から横一線に襟を着け、大変美しい顔をしています。澄んだ青空に聳える姿を見ると、まるで心が洗われるようです。

mt-fuji3.jpg mt-fuji4.jpg

 こんな日には、富士川の土手では、この美しい富士山と新幹線を撮影しようと、多くの鉄道ファンの方が朝早くからカメラを構えています。春一番が吹いた快晴の日に、雄大に聳えていた富士山の姿、四景です。

mt-fuji2.jpg

投稿者:にわあつし
【人気blogランキングへ】

2009年02月25日

春は光から養老渓谷・粟又の滝(養老の滝)とごりやくの湯

shinning-waterfall1.jpg

 房総半島のど真ん中に位置する養老渓谷は、滝と温泉で古くから多くのフアンがいる。近年、いくつもの滝から発生する「マイナスイオン」が、人間の細胞を活性化させて、自然治癒力を高めると注目されている。ハイキングでマイナスイオンたっぷりの空気を吸い、温泉に入れば色々な効能が得られるというので人気を集めているのだ。

waterfall-entrance.jpg shinning-waterfall3.jpg

 数ある滝の中でも渓谷の上流に、全長100mもあり房総一を誇る粟又の滝(養老の滝)がある。滝壺まで下りて流れに沿いながら滝巡りを楽しめる。新緑や紅葉も良いが、光り輝く早春の滝も実に綺麗である。

goriyakunoyu1.jpg goriyakunoyu2.jpg

 しばし、ハイキングを楽しむと気分も安らぎ、ごりやくがあったのかどうか「ごりやくの湯」にも入れる。別に欲しい物が手に入るわけでもない。物より貴重な感謝の気持が芽生えるという「ごりやく」があるのだそうである。

yorokeikokueki.jpg

 何かと話題のいすみ鉄道(大原~上総中野間)は、上総中野駅で小港鉄道と接続し、房総半島を横断しているが、その最初の駅が養老渓谷駅である。最近、「足湯」が新設され電車の待ち時間に利用する客が増えているらしい。新緑も待ち遠しいが、春は光とともにもうそこまで来ている。

ashiyu1.jpg ashiyu2.jpg

投稿者:菊地正浩
【人気blogランキングへ】

2009年02月27日

ドライブ好きの10万キロ達成!

maycar1.jpg

mycar2.jpg

自慢というか、やはり自慢でしょう。愛車が3年半で10万キロとなりました。
嬉しくて、ついつい第三京浜に止めて記念写真をパチリ。
夜の8時過ぎだったので、周囲が暗くてトリップメーターが映りにくい!
速度計の下に表示が出ています。

地球一周、経線でも緯線でも4万キロですから、地球を2.5周回ったことになり、使ったハイオクガスは12,000リッター。愛車は排ガスからCO2を還元し、空気中のO3からO2をエキゾーストから噴き出すとのこと。使いすぎたガスを少しは薄めてくれたかと思いつつです。

mycar3.jpg

深夜、信州に到着して、翌朝は車体が凍っていました。


投稿者:伊藤建介
【人気blogランキングへ】

2009年02月28日

手漉き和紙の里(3)~修善寺紙(色好紙=伊呂与志紙)

syuzenji.jpg syuzenjihondo.jpg

 静岡県伊豆市修善寺、旧伊豆国(いつのくに)(豆州)修善寺は伊豆半島北部狩野川中流域に位置し、地名は古刹修禅寺(源頼家が幽閉された寺)による。大同年間(平城朝806~810)に弘法大師(空海)が修禅寺を開いた。弘法大師は鉄、銅製の棒状仏具をもって温泉を発見、「独鈷(とっこ)の湯」といわれる河原の共同浴場として有名になった。付近一帯は修善寺温泉街として開けた。昭和31年(1956)下狩野村、34年(1959)北狩野村を編入、2004平成の大合併で土肥町、天城湯ヶ島町、中伊豆町と合併して伊豆市となる。室町時代から修善寺と呼ぶようになり、寺の名前とは異なるようになった。

washihassyonohi.jpg kamiyawashikobo.jpg

 温泉街を流れる桂川上流沿いに紙谷地区がある。「紙の谷」という地名のとおり紙漉きの里である(修善寺和紙発祥の碑があり、修善寺紙を再現する会が修善寺紙・紙谷和紙工房を開設して活動している)。
 室町中期の文安元年(1444後花園朝・足利義政)の出版物で現代の百科事典ともいえる「下学習」によると、修善寺紙は坂東豆州紙名也、色薄紅也とあるのが最古の確実な文献とされる。『平家物語』の流布本に修善寺紙の記述があるところから平安時代とする説もある。しかし、弘法大師(空海)が修禅寺を開いたことを考えると、この頃紙漉き技術が伝播されたと考えても不思議ではないと思う(筆者の考察)。

syuzenwashipamphlet.jpg syuzenji-mitsumata.jpg

 修善寺紙の「漉染め」は紅花と天然朱で色を出していたが、江戸中期には赤木(あかぎ)(リンボク)に変更して朱系が主流になった。和紙を使った代表的な古文書が伊豆修善寺郷土資料館に展示されている。「徳川家康壺形黒印状・慶長3年3月4日付」である。(伊豆市指定文化財)徳川家公方紙を漉かせるため、紙谷地区の三須文左衛門を紙漉きの頭と認め、原料である楮(こうぞ)、三椏(みつまた)(写真右)、雁皮(がんぴ)等のこの地における独占権を与えた。同時に紙漉きには立野(たつの)、修善寺地区に手伝いを命じて良いとしたお墨付きである。明治から大正時代には障子紙に使われた実用紙の立野半紙が有名であったが、いずれも洋紙に押されて廃れた。
 幕府は全国的に和紙生産を奨励したが、ここの資料館には和紙に描かれた、当地のお宝地図が古文書と共に保存、展示されている。
○安政の大洪水による修善寺村の流失田畑の絵圖(安政6年7月25日)
   年貢の減免願い用に添付された貴重な村絵図
○伊豆国全圖(寛政5年、伊勢、伊豆、駿河の三国で作成)
 伊能忠敬は沿岸を測量し伊豆半島全図を作成しているが、本図は主に内陸各地を表わし、しかも逆さ地図(南伊豆が上で通常の地図とは天地が逆に描かれている)で貴重なお宝。
○荒地調圖(慶應2年)
○豆州温泉案内(明治30年5月5日、東京市京橋区右田商店発行)
いずれも和紙を使用した歴史の証人「地圖」のお宝が展示されている。

syuzenjimuseum.jpg syuzenjimuseumticket.jpg

修善寺郷土資料館 静岡県伊豆市修善寺838-1

●伊豆箱根鉄道修善寺駅からバスで約8分、修善寺総合会館下車徒歩1分。入館300円。9~16時。木曜休。TEL0558-72-1934

投稿者:菊地正浩
【人気blogランキングへ】

About 2009年02月

2009年02月にブログ「旅じゃ.com」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年01月です。

次のアーカイブは2009年03月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。