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佐久市の鼻顔稲荷が伝えるもの

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 鼻顔を「はなずら」と読みます。千曲川の支流・湯川に面した崖に建つ稲荷神社で、 昭和初期まで舟運の湊としても、賑わっていました。この地方には懸崖造りが見られます。

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 鳥居は明治42年(1909)に生糸商の星野正三郎が鳥居(写真左)を寄進している。彼は日米生糸会社社長で埼玉県北部川越近郊に居を置いて活躍し、6回も渡米しています。霞ヶ関カントリー倶楽部の設立者にもなっています。ここも彼の絹商売のテリトリーだったわけです。
 ほぼ無人の境内には「繭」の額(写真右)が挙がっています。立派な繭に感謝するとともにみんなに見てもらいたかったのでしょう。鼻顔は「端、面」ではじの川に面した、の意と思われます。台地の端とは、浅間山の火山灰が厚く堆積した台地でいわゆる高燥な地です。明治以降、この台地は生糸の大生産地となります。

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桑の葉の額で、実際の3/10で描いています。他に「短歌」「北辰一刀流」などの「額」がいっぱいです。ここは「まつり広場」でした。沼沢地だった佐久平 も米作が盛んになり、生産があがり、文化も発展します。この自慢の「額」からは、そんな庶民の生活がしのばれます。

投稿者:伊藤建介
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2009年06月02日 00:50に投稿されたエントリーのページです。

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