南の島からの手紙① ~ マーシャルからグアムへ~  by 堀 冬樹

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マーシャル諸島共和国の切手(絵葉書) ☆左・太古の海図 右・国旗☆

 

2013年11月5日(火)に成田を発ってほぼ2週間が過ぎました。いま僕はグアムにいます。すでにマーシャル諸島共和国の訪問を終え、次はキリバス共和国です。さらにツバルへ行きます。キリバスもツバルも25年ぶりの訪問です。帰国は12月20日(金)の予定です。

 

10年ほど前までは、キリバスへは①マーシャル諸国共和国の首都、マジュロから行くルートと、②フィジー共和国の副都心ナンディーから行く方法の2通りありました。しかし今は前者がなくなり、後者しかありません。やむなく一度成田へ戻りフィジーのナンディーへ向かい、そこで乗り換えてさらに北上し、キリバスの首都タラワへ向かうしかありません。①であればたったの30分、②はマジュロ→グアム→成田→ナンディー→タラワとなり、少なくとも4日はかかります。

というわけで唯今11月17日(日)日本時間の夜8時22分です。再び成田へ戻るためグアムでの2泊3日滞在ですが、観光名所を回ったり泳いだりする時間はまったくありません。一日ホテルの部屋へこもり、マーシャル諸島で起きたいろいろのことを日記に書きとめることにしたのです。

 

海と漁夫(絵葉書)

 

マーシャル諸島のことを「日本から一番近い秘境だ」と言った人がいます。また最近では「その島はどこにあるの?」という人もいます。しかし地図をよく見ると多くの島々から成るこの国が日本の隣国であることに気づくはずです。太平洋でつながるお隣りの国と言えばフィリッピン、サイパンを思い浮かべる人が多いでしょうが、実はマーシャル諸島の領海の一部分、最北西端が日本の東京都南鳥島の南の沖合と隣りあっているのです。

 

東京からの直線距離は推定4,500キロ。2008~2009年頃にJALが羽田からチャーター便を年に2~3回 マーシャル諸島へ飛ばしていました。所要約5時間、乗客の大半はダイバーだったときいています。もうチャーター便はなくなりました。ダイビング・スポットには事欠かないのですが、島々には設備のよいホテルがなく、一般客には見所が少なかったからだと思われます。

 

首都マジュロから車で1時間、ローラ村の子供たち(絵葉書)

 

マーシャル諸島と言えば1945年、アメリカが水爆実験をし、付近を航行していた日本の第5福竜丸が被災し、乗組員の久保山愛吉さんが亡くなった、あのビキニ環礁がある国です。実は第二次世界大戦後の1946年から1058年までアメリカは合計64回もこの島々で核実験をやっているのです。そしてマーシャル諸島の人々は甚大な被害をうけました。日本だけが被爆国だ、と考えるのは大きな間違いです。今回僕はそのことをもっと知りたくて、マーシャル諸島行きを決めたのです。

 

水爆実験の歴史を伝える切手(絵葉書)

 

噂によると、これまではビキニ環礁(2010年世界遺産に登録)や、ロンゲラップ環礁へ日帰りで行けるツアーがあり、$3,000(約30万円)払うと、このツアーに参加できると聞いていました。しかし今はそのツアーはなく、どうしても行きたい人は飛行機をチャーターして行くしかありません。なんと200万円くらいかかるそうです。このことをこの国に来てから知りましたが、今回の旅費の全てをはたいても、とうてい無理です。

どうにか行けないものかと、途方に暮れていましたら、天の助けでしょうか、ひょんなことから、この国の国会議員、ケネス・ケディーさん(42歳)と知りあうことができ、彼からいろいろ話を聞くことができました。彼は僕のために1時間近く話をしてくれました。

さらにこの国の大統領、クリストファー・ロヤック氏と会うことができました。そして図々しくも、大統領と並んで記念写真も撮りました。

 

この手紙はあす成田空港へ立ち寄って、ナンディーへ飛び立つ前に投函します。次はキリバスあたりから手紙を出します。

 

南の島のほっつき歩き人の堀氏 いつもおつむにバンダナを!!

(文責・森田/堀さんはこの後どうしたのか、次の便りが待たれます。2013年12月1日)

( 2013年12月8日 寄稿 )