長野電鉄屋代線「最後」の日 ――路線継続の道はなかったのか―― by 多賀 泰彦
- 2012.05.05
- 鉄道の旅(YM/TG)
雨の中、しなの鉄道屋代駅からみる長野電鉄屋代線のホームは鉄道ファンでいっぱいだった。
「記念」のグッズや記念キップを買う人、ホームに入ってくる電車の車両をカメラで撮影する人、2012年3月31日限りで廃線となる鉄道を惜しんで集まった人たちだった。この3月31日には須坂行きの臨時列車も運行され、筆者も12時50分発の臨時に乗り込んだ。満員状態の車内からみる車窓風景はどこかのどかで、乗客も車窓の外を食い入るように見ている。
屋代線は、しなの鉄道が、JRよりさらに昔、国鉄線時代に上野駅から屋代線に乗り入れ、急行「志賀」が運行されていた。筆者も利用し湯田中駅まで乗り、志賀高原に行った覚えがある。この日も、しなの鉄道は、1編成の車両の塗色をJR時代の湘南色に戻した169系電車で、軽井沢駅から屋代駅までを急行「志賀」として走らせた。
かつては急行「志賀」として乗り入れていただけに、第三セクターしなの鉄道が、せめて長野電鉄屋代線の観光地である松代駅まで乗り入れを考えられなかったのかと惜しむ。松代などの地元では、長野市中心部との間で、次世代型電車システムLRT導入の要望もあるようだが、第三セクターしなの鉄道は地元のためにある鉄道であるはずだ。しなの鉄道自体が経営的に苦しいとはいえ、公共鉄道の役割を失ったわけではない、今後とも廃線になった屋代線と、しなの鉄道との連携も行政は一考すべきである。
途中で下車した松代駅のキップ売り場では、利用客、鉄道ファンがずらりと並び、キップを老駅員が一人で扱っている姿に目が潤んだ。駅の外には記帳のノートも置かれ、筆を取る人も多かった。ともあれ採算だけにとらわれず、廃線された鉄道線の再利用がうまくまとまることに多いに期待したい。
( 2012年5月5日 寄稿 )
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