フィンランド紀行 <前編> 『ロバニエミ』への旅  by 大和 竜樹

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 2011年12月29日(木)、友人と二人中部国際空港から時差7時間遅れのフィンランドの首都ヘルシンキに向けて飛び立った。ヘルシンキでの乗り継ぎに1時間しかなくてひやひやしたが、ネットの情報によると乗り継ぎ客は把握しているので、大丈夫と書いてあり、無事ラップランドの州都ロバニエミに到着した。しかし、到着後に会った日本人から前回行った時においていかれた乗客達がいて係員に抗議していたという話を聞いた。

 翌日30日(金)、現地のツアーに参加した。英語ツアーオンリーである。まずはバスでトナカイ・ファームに出かける。もう10時過ぎているが、まだ日は昇らない。雪が積もったテントの中に入ると、サーメ人のシャーマン(?)がおもしろおかしく儀式の説明をしてくれる。まずは一人ずつナイフを首筋にあてられる。本来は首の後ろをナイフで切って、流れ出た血で森に自分達を認めてもらう意味があるようだ。次に額に炭を塗られた。こちらは本来は眉間に焼きごてを当てて、森に住むトナカイなどの角のある生き物に我々は兄弟であると認めてもらうためのようだ。その後トナカイのそりに乗ったら、最初勢いよく走りだしたので大変怖かったが、前を走っていたそりにすぐ追いついてトナカイが自分でスピードを調整し、私達はただ乗っているだけでコースを一周してくれた。

 次に「サンタクロース村」に向かう。ロバニエミはサンタクロースに会える町なのだ。1927年、サンタは北極でのトナカイの餌不足のためラップランドのコルヴァントゥントゥリというロシアとの国境近くにある山に引っ越してきたとわれている。ラップランドの州都であるロバニエミに世界中の子供達から手紙が届くようになり、1985年にオープンしたのがこの「サンタクロース村」である。2時間ほど滞在したが、3時ちょっとすぎには真っ暗だった。ちなみにこのころのロバニエミの日の出は11時ごろ、日の入りは13時半ごろである。

 おおみそか31日(土)雪の中、ロバニエミ教会に向かう。第二次世界大戦でロバニエミはナチス・ドイツによって徹底的に破壊された。ロバニエミ教会は1950年に再建された。教会の外には第二次世界大戦で戦死した兵士たちのモニュメントがある。死んで横たわる戦友をみつめているふたりの兵士像。戦死したのはほとんど25歳までの若者だったそうだ。

 「アルクティクム」という博物館に入った。北極圏に関する展示と、ラップランドの歴史を解説する博物館だ。

 「ラップランド」はノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアの北部にまたがっている地域であり、少数民族のサーメ人(推定10万人)が暮らしている。ラップランドとは「辺境」を意味する蔑称である。もともと自然を崇拝し、狩猟、遊牧を行う民族であったが、チェルノブイリ原発事故以降トナカイの数が激減し、放牧生活は難しくなってきている。

 夜、ロバニエミ駅に行く。21時8分発のヘルシンキ行き寝台列車「サンタクロースエキスプレス」に乗り込む。カードキーで出入りする個室だった。

寝台列車「サンタクロースエキスプレス」の車内

 2012年1月1日(日)8時36分にヘルシンキ駅に到着。なかなか快適で楽しい寝台列車の旅だった。ほとんど揺れないし、とっても静か。到着のちょっと前に枕元のスピーカーから到着を知らせるアナウンスが聞こえた。

 

( 2012年5月8日 寄稿 )