中国の古い町並みを訪ねる①川底下村 by 弘実 和昭

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< 川底下村(せんていかそん)は、北イタリア山岳都市にそっくりの村 >

 
 最初に北京旅行をする人は、まずはともあれ万里の長城と故宮(紫禁城)に行くことになります。そして、何度か北京へ行き、北京をペキンと読まずにベイジンと発音するようになった北京通の方の観光には、北イタリア山岳都市にそっくりの川底下村がお勧めです。

北イタリア山岳都市にそっくりの川底下村

 現在、北京市はここを観光拠点として整備しようとしているようです。10年ほど前には日本の新聞でも紹介されました。当時訪ねてみると、小さな山のおおむね南面に、石やレンガを積んだ住宅がびっしり張りついていました。人が住んでいる気配はあまりありません。
 
 ●川底下村意味は
 この村の名前、山の上にあるのになぜ川底なのだろう。誰でも疑問がわきますが、実は元々は爨底下村と書いていました。しかし、殆どの人が爨(日本語で「かまど」という意味)の字を読めなかったために、文化大革命で川の文字に簡略化したとか、文字の国中国らしいエピソードです。
 
 この村の創設は古く、明の時代に北方異民族の侵攻から北京を防衛する目的で建設した屯田兵の村でした。山西省から移住させられた韓一族の末裔が作り上げ、今でも住んでいるとか、中国では、昔から村ごとの強制移住が多かったことを教えてくれます。
 
 今はわずかしか人がいません。残っている彼らの生活基盤は、わずかな農業です。その農業を含めての観光が頼りとなっていくのは仕方ないようです。民宿や家族料理の食堂経営が収入の大部分です。
 
  ●華北地方の代表的な伝統的家屋建築
 建物は四合院という中庭を四方長屋が取り囲む形式の、中国の華北地方の代表的な伝統的家屋建築です。韓国でおなじみの床暖房オンドルの寝室があって、その他の部屋は土間、椅子とテーブルの生活が基本のライフスタイルです。北京の家の壁はレンガを積むのが普通ですが、ここでは、壁の多くを近くでとれる石を積み上げ、その上に漆喰を塗って仕上げています。レンガを作るより石が簡単に手に入ったためで、まるでイタリアの山岳都市のような風景が出現しています。

建物の壁の多くが近くでとれる石を積み上げ、漆喰を塗って作られている

 訪れた当時は、裕福だったと思える農家の壁に、文化大革命のスローガンが殴り書きされていたり、玄関に綺麗に描かれていたはずの壁画の上にも、しっかりと落書きがあり、革命のエネルギーと始末の悪さを感じさせました。

 偶然入ってみた農家の老人と会話ができました。この人、今取ったばかりのリスの皮を剥ぎ取って天日で乾燥させている最中でした。日本軍がこの辺まで攻めて来たそうで、その怖かった話をガイドに向かって話してくれ、その後こちらをじろりと見つめます。戸惑ってしまいました。


 
 村は作られて600年近くも経過しています。日本の室町時代頃にあたりますが、現代までの歴史をしっかりと蓄えている小さな村は実に魅力的です。日本国内に、応仁の乱以前に作られ、そのまま残っている集落など聞いたことがありません。東南アジア建築の影響を色濃く持っている日本の家は、木造であることもあり、さまざまな理由で建て替えまでの期間が短い。そのため、現存する古い建物や町並みは、せいぜい江戸時代のものが残っている程度です。京都などは幕末の騒動で火がつけられ、明治になって建て替えられた家が多く、まだ140年ほどしか経っていない街並みなのです。日本人がヨーロッパの街に憧れを持つ理由に、古い建物を見学できることが挙げられますが、中国にも古い街並みは実に多くあります。とても全部は見られませんが、北京郊外、江南地区、内陸の歴史的地区などの古い町は、まずは見学したいものです。
 
 北京からは90Km。私が行ったのは10年ほど前、一日5千円ほどで交渉できた貸切タクシーを飛ばして片道3時間ほどかかりました。万里の長城八達嶺が70kmですから、それよりちょっとだけ遠いですね。
 
 

( 2012年6月25日 寄稿 )