『風林火山』第29回「逆襲! 武田軍」

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原稿締切や引っ越し作業などがあって、遅ればせながら今回も菊地会員の投稿のあとでUPしました(;^_^)
いきなり最初の突っ込みどころは前回早春となっていた上田原の戦いが、今回は史実にもとづいて2月になっていることです。おいおい時代が遡っているじゃないの。しっかりしてくれよ校閲部さんよ。
で、結局上田原合戦の続きがあるわけでなく、あっさり終了。たしか晴信ってこの戦いで負傷して湯村温泉で湯治しているはず。どうせなら内野勘助が「殿、疲労した身体と心には温泉が一番でございます」なんて助言し、空海の如く法力で温泉を掘り当てるなんてしたらおもしろかったのに。
この敗戦で諏訪西方衆が蜂起し、小笠原長時も塩尻峠に出陣します。このとき小山田信有が妻とした美瑠姫が子を出産。だからやはりあの信茂なのか? 時代設定が合わないけど。
今回は塩尻峠の戦いで、諏訪法性の旗がカギとなりました。板垣が晴信に頼んで書いたこの旗が、諏訪明神のご加護とされ、西方衆が寝返ってきたのです。炎天下での戦いにだらけきった長時の陣へ奇襲攻撃をかけ大勝。トンボが板垣の亡霊となって出てきました。なぜ今頃になって泣き喚く晴信??? ところで板垣演じた千葉真一さんが、先週、俳優業を引退する記者会見を行いました。味のある俳優だっただけに残念です。
史跡紀行では塩尻峠の戦いの舞台となった長野県岡谷市・塩尻市を紹介していました。戦死者を葬った銅塚・首塚は、中央本線みどり湖下車のようです。昭和58年(1983)に中央本線の岡谷~塩尻を短絡する塩嶺ルートにある駅で、現在は本線ですがここが完成する前は、伊藤大八という地元の代議士が強引に中央本線を辰野回りにしてしまったわけで、現在は辰野支線の辰野~塩尻間は非常に乗りにくい閑散区間となっています。
実は『風林火山をゆく』(英知出版)制作の際、このエリアはページの都合と重要度の低さから割愛してしまったのですが、他のブログを参照すると、塩尻駅から徒歩20分のところに勘助子育ての乳松(平出一里塚)があるそうです。これはNHKでも紹介されませんでしたが、伝説によると戦場で泣いていた赤ん坊を山本勘助が拾い、平出一里塚の松に根方に隠すと、松葉のしずくを飲んでいたといいます。ところがこの伝説地の看板は割られて横たわっているそうで、抹殺されてしまった伝説地の感が否めません。今回は塩尻駅のスタンプです。
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投稿者:管理人
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