” 江戸時代に学べ! ” 塙代官所跡が教える「少子高齢化・子育て支援」対策  by 菊地 正浩

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 天明3年(1783)、浅間山の大爆発に端を発した「天明の大飢饉」は、東北一帯を荒廃させた。成層圏に達した火山灰で日照が減り、農作物被害、多数の餓死者、風評被害、暴動も発生したという。とりわけ、口減らしの姨捨(姨捨山伝説)、人減らしの口封じ(堕胎、新生児殺し)は人口減少を招き地域の活力を失わせた。

●天領塙(はなわ)の名代官寺西封元(てらにしたかもと)
 福島県東白川郡塙町は、東日本きっての美林「八(や)溝(みぞ)の杉」とコンニャクの町として知られる。八溝山系を脊梁とし中央を久慈川が東流し、今なお日本の原風景を残している。

美しい八溝山系と久慈川

  享保14年(1729)天領となり塙に陣屋が置かれた。寛政4年(1792)に、寺西封元が43歳で幕府に抜擢され塙代官として着任した。

 寺西の訓は近隣大名領にも行政上の範ともなり、天明の大飢饉により荒廃していた農村の復興を図り、東北一帯は活力を取り戻した。

 塙代官として22年間、後に桑折代官を務め79歳で没するまで名代官として手腕を振るい、その施策は現在にも通ずるとされる。
 

塙代官所跡

  

塙代官所跡

 ●「寺西八ヶ条」と「寺西十禁の制」を布達
 1、天はおそろし  天はすべてお見通しである(勧善懲悪)
 2、地は大切    耕地の管理をしなければならない
 3、父母は大事   父母への孝養をつくすこと
 4、子は不憫・可愛 子は平等に大事に育てること
 5、夫婦むつましく お互いを支え一生仲良く暮らすこと
 6、兄弟仲良く   兄弟は親密にして助け合うこと
 7、職分を出精   勤勉に働き生活では倹約を守ること
 8、諸人あいきょう 人とのつきあいは忍耐と愛嬌で

 ●人口増加策・子育て支援策
 農村復興のために公金を貸し付け、利息を養育費にあてた。子供の間引きや堕胎を戒め、妊婦の登録令(母子手帳)を定め、母子の健康を守り出産立会いの役人も置いた。

 育児奨励金により養育料(子ども手当ての米)を給付、他藩から幼児、女性を迎えて陣屋内に保母を雇って保育。嫁取り、婿取りの結婚資金を貸し付けた。

 産業振興策、公共事業を進め、我が国初の庶民公園「向ヶ丘公園」(しだれ桜は県指定天然記念物)、河川氾濫対策、土木工事、荒廃した田畑の復旧と年貢免除、助成金など多くの飢饉対策を実施、産業振興、景気浮揚を図った。

 現在の日本は、少子高齢化、人口減少、老人ホームなどへの姥捨て、長引く景気低迷などに直面しているが、江戸時代の寺西封元に見習うことも多くありそうだ。 

 

( 2012年7月9日 寄稿 )