東日本大震災と磐梯熱海温泉、これからの観光福島を探る③ トルヌス特別号から by 菊地 正浩
- 2012.07.11
- 地歴と旅(KK)

●熱海町の誕生いきさつ
磐梯山は天に達する磐(いわ)の梯(はしご)という意である。明治21年(1888)に大規模水蒸気爆発があり、磐梯式噴火として世界に知られた。
はじめは、大字中山、石筵、高玉、玉山の四大字で安積郡高川村であった。
昭和15年、熱海町に改称。同29年、丸守村と合併して今日の郡山市に至る。
●何故、東北に「熱海」なのか?
磐梯に伊豆地方の熱海、上伊豆島、下伊豆島などの地名があるのは、文治5年(1189)源頼朝の奥州征伐に起因する。この時、戦功のあった工藤祐経に安積郡の領地が与えられた。
祐経は伊豆国の東海岸地方に勢力を張った伊東氏の支流で、伊東氏は伊豆、駿河、相模の国守に任ぜられたり、平将門の天慶の乱で武功を立てたりした名門である。伊東市の地名は伊東氏によっている。やがて祐経は事件に巻き込まれ、曽我兄弟に討たれる仇討ちの話は広く知られている。
後年、伊東氏の子孫が入部して伊豆国にある神を安積の地へ移し、多くの神社を今に残し、温泉も熱海とするほか伊豆国にまつわる地名をつけたのである。「熱海」の語源は、海中に熱湯が湧出した静岡県熱海温泉に由来すると言えるのだ。
●温泉番付表で前頭を張る
「大日本温泉一覧」(明治29年版)の番付表によると、東前頭11枚目に「会津熱海の湯」としてランクされている。
因みに、大関は草津温泉、関脇塩原温泉、小結嶽温泉、前頭筆頭伊香保温泉となっている。
西大関は有馬温泉、関脇道後温泉、小結湯本温泉、前頭筆頭が伊豆熱海温泉、前頭11枚目に長崎県の温泉町温泉となっている。
東西の前頭に両熱海温泉がランクされている、以後も伊豆と磐梯の温泉は番付表に登場する。

現在の磐梯熱海温泉は、磐梯山と猪苗代湖、安達太良山の玄関口、五百川流域で昭和32年のボーリングにより新たに高温、豊富な湯を得たものである。
≪ トルヌス特別号(2012年6月16日発行)から 3/4回 ≫
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