童謡の里を訪ねて②~斑山(はんざん)(高野辰之)ゆかりの地 by 菊地 正浩記
- 2013.02.10
- 地歴と旅(KK)
高野辰之は国語、国文学者であり、数多い童謡の名曲の作詞者として知られ号を斑山と称した。明治42年(1909)には、文部省の小学校唱歌教科書編纂委員に委嘱された。作詞委員として「尋常小学校唱歌」(全6冊)の作成に携わり、作曲者の岡野貞一とのコンビで、今に残る名唱歌を世に出した。
一年生用「日の丸の旗」~白地に紅く日の丸染めて~。
二年生用「紅葉」~秋の夕日に照る山紅葉~。
三年生用「春が来た」~春が来た春が来たどこに来た~。
四年生用「春の小川」~春の小川はさらさらいくよ~
六年生用「故郷」~うさぎおいし~「朧月夜」~菜の花畠に~。
などで、今でも唄われ続けている名曲ばかりである。
☆ 高野辰之記念館 ☆
長野県下水内郡永江村(現中野市)に生まれた。かつて高野が学び、教鞭をとった永江小学校・永田尋常小学校の後身の永田小学校跡地に記念館がある。様々な資料により生涯の研究成果を辿り、故郷の風景を唄った有名な唱歌の数々が聞ける。
☆ 高野辰之が過ごした永眠の地「野沢温泉」・「おぼろ月夜の館」 ☆
「菜の花畠に入日薄れ、見わたす山の端、霞ふかし
春風そよ吹く空を見れば、夕月かかりてにおい淡し」
昭和9年、野沢温泉の麻釜近くの廃屋を求め改装して「対雲山荘」と名付けた。
昭和18年(1943)に隠居してここに移り、大好きな温泉にたっぷりと浸って毎日を過ごした。晩年は悠々自適の生活を送り、昭和22年(1947)、71歳ここ対雲山荘で永眠する。子息の高野正巳氏により東京代々木の「斑山文庫」をこの地に移し、「おぼろ月夜の館」とした。
☆ 野沢温泉 ☆
長い歴史を持つ野沢温泉の起源は聖武天皇(724~49)のころ、僧行基によって発見された。江戸初期に飯山藩主松平氏によって一般にも開放された。自然湧出源泉が30余もあり、熱湯が溢れ出ている。点在する13の外湯は、村の共有財産として湯仲間制度により管理し無料で一般に提供している。
生まれたての湯には豊かな香りと滑らかな肌触り、癒しの効果がある。
2006年にORP(酸化還元電位)分析が行なわれ、日本でも屈指の還元作用の強い温泉であることが判明。入浴後の計測で、約90%の人に抗老化のアンチエイジング効果と、本来の肌の状態に戻すナチュラルバランス効果があることが判った。
まさに自然湧出源泉が本来の温泉の姿で、野沢温泉が人気のある証といえる。
( 2013年2月10日 寄稿 )
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