始めての探鳥旅行 バーダーウオッチング  by 弘實和昭 

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我孫子野鳥を守る会が、この4年ほど台湾の野鳥観察ツアーを続けている。私の女房が会員で、このツアーに参加している。その旅行に私も連れて行ってくれるという。中国へは何度も行ったことがあるのだが、中国本土の厦門に接する金門島へ行きたかったのと、台湾島は3千m級の山が連なる高山の島、その山の中の阿里山に行けるのが魅力的に見えた。温泉にも泊まるという。旅行費が驚くほど安い。しかし、実は野鳥観察などやった経験がないのに、突然1週間もの探鳥旅行に参加するのである。

 

日本で見ることが出来る鳥の種類は650種類ほどという。台湾でも600種類を超える野鳥を見ることが出来るそうだ。この島の国土面積は日本の10分の1しかないのだから、台湾島がいかに野鳥密度が高いかが推測できる。私のような野鳥観察のビギナーでも、なんとか楽しめるということなのだろうと思った。

 

成田から台北市近くの桃園空港までは3時間半のフライト。到着するとすぐに、リスや水鳥が遊んでいる台北市内の公園で鳥観する。30人近い集団が、大きなカメラを持って鳥を取り囲み、カシャカシャと連写をする様はなかなかの迫力だ。「ゴイサギ、コサギ、マガモ、オオバン、アヒルもいる。」誰ともなく鳥の名前を呼びあう。これらの鳥は我孫子の手賀沼でもよく見かける鳥たちだ。まずは小手調べ。

 

小手調べが済むと、台北市内にある松山空港から飛行機で金門島へ向かった。私たちが乗る飛行機は、今年の2月4日に離陸に失敗し、高速道路を削って川に墜落したプロペラ機ATR72である。フランスとイタリアの合弁会社、ATR社が作っている約70人乗りの小さな飛行機で、これまで700機ほど生産されているらしい。これが結構揺れた。

金門島行きの飛行機

 

珍しい飛行機を経験し無事着陸した金門島は、戦争の島であるといえる。日本で関ヶ原の戦いが行われていた頃、中国では満州民族である清が漢民族を支配しつつあった。そのときに、漢人が最後まで抵抗をしたのがこの島なのだ。日本は戦国時代が終わり、戦に押し出された何万という日本人がアジアに散らばって行った時期で、その人たちの一部が倭銃隊という鉄砲隊を組織し漢人に協力、満州族と対決して最後まで戦った歴史の島なのである。

 

そして第二次世界大戦後の1949年には、人民解放軍2万の兵力が金門島に上陸する。彼らは3日での全島の占領を目指すが、元日本陸軍中将の根本博が指揮をした中華民国国軍がこれを撃退し、台湾の独立を守った。解放軍は市街戦のあと降伏し、戦闘は終わる。中華民国国軍が勝利した唯一の戦いと言われる戦が行われた島なのである。その後1958年には大陸と金門島の間で砲撃戦が始まり、1979年の米中国交樹立時に停止されるまで、なんと47万発の砲弾が金門島に打ち込まれた。それが今では、鳥の観察などの自然に触れる観光の島となっている。厦門からも沢山の観光客が来ている。平和の有難さが染み付いている島と言ってもいいだろう。

 

金門島の中心地金城に一泊して次の日は小金門島へ行く。この島は伊豆諸島の神津島とほぼ同じ大きさで、6千人ほどが住んでいる小さな島だ。小船を貸り切って乗り込み、強い風と波に揉まれること15分ほど。小型船特有の船旅で、荒波を楽しみながら渡り終える。

 

金門島は亜熱帯海洋性気候、風が強く吹く。気温は日本とほとんど変わらない。「ハッカチョウ、カササギ、シロガシラ」鳥を見ながら古民家の連なる小さな村の中へ入る。台湾とは異なる作りの民家がしっかりと残って村落になっている。華僑でひと稼ぎした客家の人たちがこの島に住みつき、結構な家を作ったとガイドブックに書いてある。まるでテーマパークのような農村だ。しかし、この素晴らしい家々に背を向けて、探鳥は続く。お寺のトイレで用を足し「あっヤツガシラ出ました。」次第にボルテージは上がっていく。

小金門の村での写真隊

 

どこの島だろうが、島には人間が営むことに必要な水は少ない。そのため、雨水が貯まる湿地は大事にされる。さらには人工的に水溜りを作る。そして、もちろんそこには鳥が集まってくる。「クロツラヘラサギ、セイタカシギ」知らなかった水鳥たちが目の前にいる。

 

「カワセミ、います。」「ヒメヤマセミ、フォバーリングしてる。」「アオショウビン、出ました。」幸せの青い鳥とは昔からよく言われているが、美しい青い鳥を目の前にすると、だれしもが幸せな気分にさせられる。きれいな鳥は、人間の心を洗ってくれるようだ。

 

さて、金門島から台中へ飛行機で移動。バスに乗り替え、阿里山への登り口嘉義市へ行く。

 

海から山へあっという間に移動できるのは、日本や台湾など高山を持つ島国の特徴である。この高さの変化が、流れの早い川を作り、豊かな自然を育んでいる。世界中で、こんなに素晴らしい環境は日本と台湾にしか存在しないと言っていい。

 

目の前に玉山がある。かつて日本人が新高山(3952)と呼んだこの山は富士山(3776)より高い。その周辺には3500mを超える山々が連なり、日本アルプスの山々を超えている。

 

阿里山森林鉄道に乗った。軌道の狭いトロッコ列車で、明治時代に日本の藤田組が台湾紅檜を切り出して運ぶために作った72㎞の鉄道だ。インドのダージリン鉄道、チリのアンデス山鉄道と合わせて世界三大登山鉄道と言う。これが今、立派な木造の駅舎を作り、すばらしい観光スポットになっている。

 

気候は日本を1か月ほど先取りしている。3月は丁度花が咲く季節で、台湾の人たちが桜やつつじなど沢山の花を愛でにこの鉄道で山を登ってくる。花が咲けば鳥も集まる。「カンムリメチドリ、桜の蜜を食べてます。」
ハイキング用に作られた散策路を歩く。「カヤノボリ、いました。」「ゴシキドリ!!」

阿里山森林鉄道の駅

 

野鳥の観察が大好きな人を「バーダー」と呼ぶそうだ。野鳥が豊富な台湾には、このバーダーも沢山いる。出会った台湾の野鳥観察隊は、迷彩服に身を包み、迷彩布で包んだ巨大なレンズを抱えて、ポイントに陣取っていた。この人たちに混じって、我々も負けずに鳥を観察する。「出ました、アリサンヒタキ。」「クロウタドリ、いました。」
中国人バーダーが、撮った小鳥の写真を見せてくれた。とても珍しい台湾の固有種だそうで、言葉などは通じないのだが、その自慢したい気持ちは痛いほど伝わってくる。突然に日台友好が実現してしまった。

 

今回の旅行の参加者は、平均年齢が70歳ほどらしい。私は65歳なのだが、「あなたが今回の旅行の最年少者です。」と言われた。

 

この鳥を観察している人たちを見ながら、ふと考えた。この人たちの元気は実に素晴らしい。山道を登り、散策路を歩き、歩き過ぎに音を上げない。この時のための体力を十分に備えている。日頃から運動を欠かさないのだろう。目も良い。実に健康的なのだ。さらに、鳥を見つけると即座に鳥の名前が言える。頭脳が冴えている。老人のボケを感じさせない。しかし、それ以上に感じられるのは、この人たちの感性の豊かさである。鳥や花や自然の風景、これらを見て本当に美しいと感じ取れるうらやましいほどに豊かな心である。

 

「私はこの人たちに少しでも近づけるのだろうか。」と思った。そして、なにか晴れ晴れとしてこの旅を終えることが出来たのである。

 
 

( 2015年6月23日寄稿 )