大阪を感じ取る大阪街歩き  by 弘實和昭

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旅行者にとって大阪は面白い街なのだろうか。何度も訪れた街ではあるが、なぜか記憶が薄く、わざわざ観光などで来る街ではないとも思っていた。これまでは、大阪万博に始まり、大阪城や法善寺横丁、ユニバーサルスタジオなど、訪れた記憶がそれなりに残っている。しかし「なるほど大阪だね。」という感動や驚きが思い出せない。そこで今回の旅行では、大阪を歩き「ここには大阪を感じる。」と言える場所を少なからず発見したいと思っていた。

東京に住んでいる人が「大阪に着いた。」と最初に思うのは、地下鉄のエスカレーターに乗った時だろう。東京とは反対で、左側を開けておき右側に乗る。このヨーロッパで始まったと思える習慣を、大阪は独自で受け入れたようで、「東京とは違うのだ。」という大阪人の気構えが見えて楽しくなる。

チョウ有名な戎橋(えびすばし)のグリコ
チョウ有名な戎橋(えびすばし)のグリコ

 

土曜日の大阪ミナミ道頓堀界隈に行く。南海なんば駅から戎橋筋商店街を通り抜け戎橋まで、この橋を渡ると通りの名前が心斎橋筋商店街に変わる。阪神タイガーズが優勝すると、お世辞にも綺麗とは言えないこの緑色の道頓堀川にファンが飛び込む有名な川である。神風特攻隊のような悲痛な感じもするが、大阪人の心意気が溶け込んで凝縮してしまったような川にも見えてくる。

この道頓堀川に並行して南に道頓堀商店街と北に宋右衛門町商店街がある。日本中で衰退し消滅し続ける「商店街」だが、ここは例外のようだ。めちゃくちゃ人がいる。グリコの看板を背景に、女の子たちが棒の先に携帯電話を付けて自分で記念写真を撮っていたり、大きな声で仲間を集めている男の子などもいる。ここは、東京渋谷のセンター街よりもはるかに騒々しく、数少なくなった狂騒の町だ。

道頓堀川を下る「とんぼりリバークルーズ」に乗船した。爆買いをする中国人であふれるドン・キホーテの前が船着き場だ。乗船客も国際色豊かである。船から見えるのは、密集して立つ商業ビルにオープンテラスのレストラン、居酒屋の暖簾と赤ちょうちん、そして人々の狂騒。
道頓堀を「とんぼり」と略称する人も多いようで、とにかく大阪の人は言葉を略すのが好きなようなのだ。「大阪ではセブンイレブンはセブイレ、マクドナルドはマグドンと言うのです。」クルーズのペルー人ガイドに教わった。

次に新世界にある通天閣へ行く。明治36年に博覧会の会場として使われた跡地を利用し、大阪の新名所というふれこみで新世界は誕生した。東京の浅草のような街だが、何もないところに遊園地やいくつもの劇場が作られ、歓楽街として整備された。「パリとニューヨーク、欧米を代表する二大都市の風景を模倣しながら、最新の文化や風俗を輸入・融合させる試みを行った。」とガイドブックに書いてある。その街のシンボルがパリのエッフェル塔をまねて作った展望台通天閣であった。

地下鉄堺筋線の恵美須町で降りて商店街を通り、通天閣まで歩く。両側の店の半分はシャッターが下りている。全国どこにでもある衰退し続ける商店街だ。

シャッター通り商店街 キン肉マンも手持ち無沙汰
シャッター通り商店街 キン肉マンも手持ち無沙汰

 

「大阪見物でがっかりする筆頭が通天閣ですわ。」とタクシーの運転手が言った。高さが100mの展望台である。25階程度のビルの屋上の高さで、確かに今や珍しくない高さである。初代目通天閣は戦争で解体され、今あるのは二代目。東京タワーを設計した内藤多仲がこの二代目を設計していて、どことなく似通ったデザインである。10年ほど前に大規模改修が行われ、スカイツリーのように制震構造に改造された。

通天閣の展望台へ上るのには、結構時間がかかる。まずエレベーターで地下に下り、切符を購入する。そして展望台に上るエレベーターにまた乗るのだが、その都度列を作らされ、意図的と思いたくなるほど待たされる。ここで、大阪人の商売根性がむき出しになる。嫌らしいほど至る所で金をとろうとするのだ。まず家族や友人グループごとに強制的に写真を撮り、1枚1000円で売りつけようとする。列の両側は、様々なゲームや自動販売機が置かれ、子供たちの好奇心を誘う。変わったものに、あみだくじのゲーム機があった。コインを入れるとパチンコのようにことこと落ちて、受けるポケットの違いで幸不幸が判断されるという単純なゲーム機である。この台に入れるコインは何円のものでも良く、最後の1円玉までも吸い取ってしまおうとする大阪商人の真骨頂を思わせるゲーム機なのである。

上ると展望台には神様がたくさんいる。大黒様、恵比寿様、観音様、そして有名なビリケンさんといて、現代の曼荼羅のようにも見える。大阪商人を守る神々なのだろうか。そして、この神々の表情がみごとに現代アートなのである。美大や芸術家村に行くとよく見かける彫刻や画が、いたるところにふんだんに置いてあって結構楽しませる。

足の裏を撫でると幸運が訪れるという神様 ビリケンさん
足の裏を撫でると幸運が訪れるという神様 ビリケンさん

 

通天閣を出て、串揚げ店などのB級グルメ飲食街を通り抜け、動物園の横を通ってあべのハルカスまで歩くことにした。概ね15分ほどである。

あべのハルカスは、近畿日本鉄道が建てた現在日本で最も高い超高層ビルである。大阪阿部野橋駅にあり、JR西日本天王寺駅、市営地下鉄、阪堺電気軌道などの電車に乗り替えるターミナルビルで、かつては近鉄の本社もあった。地上60階建て、高さは300m。設計全般を竹中工務店が行い、外観はアメリカ大使館を設計したシーザー・ペリがデザインしている。

このビルの中に、近鉄百貨店、マリオット都ホテルが入っていて、オフィス、銀行、証券、レストラン街、美術館などもある。特徴的なのは、中間階に大阪大谷大学、四天王寺大学、大阪芸術大学、阪南大学が100坪から300坪程度のサテライトキャンパスを持っていて、ハルカス大学が開催されていることだ。その他には、クリニック、保育園となんでも入っている。超複合ビルなのである。

さっそく展望台ハルカス300に上った。ぐるりと大阪湾と大阪平野が広がっている。北は六甲山系や丹波高地、西に神戸や淡路島、東が生駒山系、南方には関西国際空港や紀伊山地、さらに空気が澄んでいればはるかに四国の山々や小豆島などの瀬戸内海の島々なども一望できるという。真下に通天閣がとても低く見え、大阪城が豆粒のように小さく見えるのが印象的だ。

大阪の新しい観光スポットあべのハルカス
大阪の新しい観光スポットあべのハルカス

 

この後、原幸司が設計した積水ハウスの梅田スカイビル空中庭園にも上った。大阪の超高層ビルは展望台が主役のようで、市民に開放されたビルとして活躍している。

 

最後は大阪城だ。さてさて、このお城のどこが大阪的なのだろうか。

大坂城の天守は現在までに三度造営されている。もともとは浄土真宗の石山本願寺があったところに、豊臣秀吉が贅の限りを尽くして築城したのが初代大阪城。大阪の発展もこの時から始まった。しかし秀吉の城はわずか30年後の大坂夏の陣で焼失する。徳川家は、豊臣家の怨霊を押しつぶそうと、秀吉の城の上全体に10メートルほど盛り土を行い、より高く石垣を積んだので、豊臣大坂城の遺構は完全に地中に埋もれてしまった。その上に、秀吉の城とは全く違う江戸城を真似た城を作る。これは大阪を直轄地とした徳川幕府の権威を示すもので、天守の大きさも秀吉のものより大きいものであった。

明治維新で徳川の大阪城は廃城となり、城郭の中に陸軍工廠が作られた。それもあって太平洋戦争の空襲で標的となり、城も燃えてしまう。

戦後、大阪の市民は寄付を募り、壊れた城の建て替えをした。その建て替えで、大阪城を大阪市民の手に取り返したかったのであろうか、彼らは徳川の天守の石垣の上に秀吉の城を再現したのである。天守閣再建の心意気が、その後の大阪発展の原動力ともなったと言えるのかもしれない。

大河ドラマの真田幸村も中国人とツーショット
大河ドラマの真田幸村も中国人とツーショット

 

この大阪城へ、中国から観光客が押し寄せている。ボランティアガイドによると、客の80%が中国人なのだそうだ。この中国人旅行者が日本で最も見てみたい建築物となると、それはお寺や神社ではなく、やはりお城の天守閣のようである。確かに、破風を幾重にも積み上げた威風堂々たる天守閣は、権威的、象徴的で最も日本を代表する建築物と見えてしまうのかもしれない。

ここまで、東京とはだいぶ違う大阪を見て歩いた。やはり大阪、日本の民間企業の発祥の地であり、日本の商業の中心であった街。歩き回ってみると結構楽しめるのがよくわかった旅行となりました。

 

 

( 2015年9月18日寄稿 )