大相撲よもやま話1  by 菊地正浩

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 筆者は戦前、相撲の町両国で生まれ育ち、ファンの一人を自認しています。近年いそいろなスキャンダルでちょっと寂しくなった大相撲界の立ち直りを願いつつ、筆者が幼少の頃より温めてきた歴史の一端を披露し、若い方々に参考としていただきたいと思います。

 

 

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大相撲発祥地1
 富岡八幡宮は江東区の東京メトロ門前仲町駅至近にあります。筆者が子どもの頃は、通称深川の八幡様と言って、8月15日の深川祭りを楽しみにしたものです。深川祭りとは江戸三大祭(山王日枝神社6月15日、神田明神5月15日)の一つで、お神輿の見事さを見ようと全国から多くの観光客が押しかけます。この富岡八幡宮の境内が「江戸勧進相撲発祥の地」なのです。

 

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 境内には「横綱力士碑」(歴史資料の江東区指定文化財)が建立されています(写真上段)。この碑は江戸時代最後の横綱、第十二代陣幕久五郎(写真下段)が中心となって、明治33年(1900)に建てられました。横綱の顕彰と相撲の歴史を伝えるため、初代の横綱明石志賀之助の名前から刻まれ、重さ約5500貫(約20t)もある堂々たる石碑です。

 
 
 撲は古くから庶民に親しまれ、江戸時代には幕府公認の勧進相撲(寺社修復などを目的に行われた)へと発展しました。大阪、京都、江戸で興行しましたが、幕府が初めて江戸での勧進相撲を始めたのは、貞享元年(1684)でこの富岡八幡宮の境内でした。その後、明和年間(1764~71)には春秋二場所のうち、一場所がここで開催され、享和元年(1801)までに本場所31回の興行が行われました。横綱だけでは可哀想と考えたのでしょうか? 昭和50年(1975)8月に「大関力士碑」(写真下)が建立されました。横綱になった大関と取り組みには入らなかった看板大関を除く、歴代の実力大関たちです。
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( 2012年7月23日 寄稿 )