手漉き和紙の里(5)消えた小幡・秋畑紙  by 菊地 正浩

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 群馬県甘楽郡甘楽町は県南西部、烏川の支流鏑川中流域南岸にある町で、町名は古代からの群名をあてた。朝鮮半島からの渡来人が定住した土地で、「韓(から)」が語源と伝えられている。
 昭和30年(1955)、甘楽郡小幡町と秋畑村が合併。昭和34年(1959)に新屋村と福島町の一部を合併して甘楽町となった。中世(12~16世紀)から豪族小幡氏の勢力下で、南西部にある国峰城址はその名残りである。元和元年(1615)からは織田信長の次男信雄が小幡藩城主となり以後七代信富まで約150年統治した。今でも崇福寺の旧境内に織田家七代の墓がある。
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 小幡と秋畑は御荷鉾山地の山あい集落で、鏑川の支流雄川(おがわ)という清流に恵まれている。ここが手漉き和紙の里であった。楮と三椏を原料とし、ネリの黄蜀葵(とろろあおい)のことをオホレン、タモ、ネバシ等と呼んでいたという。文献によると美濃紙系である理由は、大字善慶寺加藤氏に嫁いできた人が、美濃国武儀郡上牧出身で美濃紙の紙漉き技法を心得ており伝播したという。
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かつての紙漉き民家
 現在、小幡も秋畑も和紙の痕跡は見られず、わずかに三椏や楮の植えられた畑地を目にする程度である。当時の道具や資料は歴史民俗資料館(旧甘楽社小幡組繭倉庫0274-74-5957月休館)に集められ展示されている。
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武家屋敷や中小路(写真左)と喰い違い郭(写真右)
 秋畑は蕎麦の里と言われる長閑な集落だが、小幡はさすがに城下町としての名残りが多く見られる。石垣で築かれた多くの武家屋敷をはじめとする文化遺産があり、町をあげての保存、整備、観光振興に取り組んでいる。富岡製糸場が世界遺産登録候補となっているが、旧甘楽社小幡組繭倉庫も絹産業遺産群のリストに加えられている。
 余談になるが、旧甘楽社は製糸業に携わり、例えば桐生市黒保根町水沼(わたらせ渓谷鉄道水沼駅至近)にある、旧水沼製糸場は旧甘楽社水沼組といって、多くの女工が働いていた(文献資料は隣接の歴史民俗資料館0277-96-3125/月曜休館)。

( 2009年3月28日 寄稿 )