手漉き和紙の里(12)~陸奥紙(みちのくし)・上川崎和紙~  by 菊地 正浩

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阿武隈川の清流と和紙の里
 福島県岩代国安達郡安達町(あだちまち)上川崎村(現・二本松市)は千年の歴史を伝承する和紙の里である。西部は安達太良(あだたら)連峰の裾野にあたる丘陵部で、東に向って低くなっていき阿武隈川に至る。この東端が上川崎和紙発祥地で、ここから小澤、下川崎、沼袋各村へと広まり、二本松藩の用紙を献納していった。
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智恵子大橋から和紙の里を望む
 文献によると後冷泉(ごれいぜい)天皇の御宇(ぎょう)(康平年中1058)、漉き場は本村川之端栗船渡し場の畔で、冬に安達太良おろしと呼ばれる強い風の吹く時に行われたと言われる。冬は川が最も澄んで、楮も虫がつかないからである。この渡し場は平成4年まで渡し舟で利用されていたが、現在は公園となり東和と安達を結ぶ智恵子大橋が架けられた。
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二本松市歴史資料館 記念スタンプとチケット
 昭和30年(1955)油井(ゆい)、上川崎、渋川の3村、同32年松川町の一部を編入、同35年に安達町が誕生した。2005平成の大合併で二本松市、安達町、岩代町、東和町が合併して現在に至る。安達町の中心である二本柳地区は奥州街道の宿場町で交通の要衝地。昔は安達牧の名で知られ、馬に関する地名が多く残っている(陣馬、鍛冶屋など)。
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手漉き和紙の農家と製品
●上川崎紙のルーツ陸奥紙とはどういう紙だったのか?
万葉集七、陸奥安達郡にあだちの真弓(まゆみ)。古今和歌集に安達真弓と出てくる。
色々な説があるが、檀紙(だんし)であったという説が有力である。檀紙とは、壇(まゆみ)の樹皮で作られた上質紙である。壇は「真弓」とも書き、古来より弓を作る材料である。安達太良山周辺には真弓が多く自生し、楮の栽培も多く行われ阿武隈川の清流とが陸奥紙との深い関係を築いたと言われる。
 明治7年(1874)には、山口県、高知県に次いで磐前(いわさき)県は全国第三位の生産量を誇っていた。明治9年(1876)になり、磐前県は福島県と若松県(会津)の3県が合併して現在の福島県の姿になった。
●「あだたら」と「あだち」
 安達太良山(1700m)はあだたら、安達町はあだち、と山と町名で呼び方が異なる。何故か、町名は古代の荘園にちなんだものと言われる。また、安達の出身である高村智恵子(旧長沼智恵子、高村光太郎と結婚)の里でもある。「智恵子抄」で有名な光太郎の作品には、「阿多多羅山」という万葉集から引用したとされる題名がつけられている。とにかく山の名前と地名の呼び方を変えていることには変わりがない。
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智恵子の生家 記念スタンプ
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智恵子記念館
 安達には智恵子の生家である米屋であり清酒旅霞の家と、智恵子記念館に展示されている数々の作品を拝観するため訪れる観光客が多い。(0243-22-6151水休み400円)
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●二本松市和紙伝承館(0243-61-3200)
 これまで上川崎の集落には手漉き和紙の伝統を守るため、安斉由一氏をはじめ技術を伝承する人々が頑張ってきた。しかし、多くは高齢となり後継者も儘ならず対策を迫られた。平成13年(2001)、道の駅「安達智恵子の里」がオープンするのに伴い、安達町和紙伝承館を開設した。伝承館では上川崎の伝統を引き継いでいこうと、紙漉き体験コーナーや数々の展示品、和紙製品の販売などを行っている。二本松市への観光で道の駅に立寄った人々を楽しませるとともに、紙漉き和紙の伝統を継承していこうとしている。

( 2009年7月2日 寄稿)