19世紀のガイドブックをめぐる訴訟事件 by 森田 芳夫

NO IMAGE

 長らく定期購読をしている岩波書店発行の「図書」、2009年7月号を久々に読み返した。ブルーガイドを始めとする旅関連書籍の編集歴40年の私に日は、非常に興味深く、また見過ごすことのできない解説が今、目に留まり、ある訴訟事件を思い起こした。

schweiz1.jpg schweiz2.jpg
ベデカー『スイスSchweiz』表紙・ドイツ語版/1868年(明治元年)刊・改定11版

 表紙には1836年版『外国人のための新パリ案内』(18版)というガイドブックの「表紙」があしらわれ、表二に宮下志朗氏(フランス文学・書物の文化史)による解説がある。

 それによると、本書は1810年代に初版が出て、その成功に触発されて1827年に『真のパリ案内』なるものが発刊されたが、その内容は『新パリ案内』の窃盗品で構成されていた代物であった。そこで版元のモロンヴァル社は盗作の嫌疑で訴訟を起こし、罰金と偽版の押収という判決を得たという。以来「本扉の裏に手書きの署名が無い本は偽造である」と序文に書かれているという。

 これで思い出したのが『ベデカー・スイス』をめぐる訴訟事件である。

 19世紀の前半から中ごろにかけて、ドイツのベデカー(1801-59)やイギリスのマレー(1808-92)が発行した旅行案内書シリーズがシリーズ化した案内書の祖であることはよく知られている。

 前者のカール・ベデカーは1849年刊『ライン河の旅』(第6版)の序文でガイドブック(ハンドブック)刊行の意図を幾つか述べているが、その冒頭に「旅先で出費がかさむ案内人を雇うことなく、旅行者が本書に頼り、旅先で判断ができる「旅人の自主性」を身につけることを助成する」と述べている。

 ところで、手元にある『スイスSchweiz』の序文に10行ほどの「注」が設けられ、現地の案内人を訴えて勝訴した経緯が書かれている。

 その内容をかいつまんで紹介すると次のようである。

 N.N.というスイスの案内人が案内を依頼した旅行者に対し「『ベデカー』 はその本の中で推薦する宿から、40-50フランを取っている」と根拠の無い噂さを流していた。それを知ったベデカーは1856年9月N.N.を名誉毀損で訴えて勝訴し、そのことを10月21日、スイス国内の幾つかの新聞が「警告」として記事としたというものである。

 私もかつて手がけた案内書の文章や絵地図を模倣し、またはそっくり掲載した相手と何度と無く交渉をし、必ず相手が折れてきた経験をもっている。

 ひとつは著者や絵地図作家の権利を保持するためであり、もうひとつはそのまま放置しておくと、暗黙のうちに私が手がけた案内書が「模倣した」と受け取られ、立場がまったく逆になる恐れがあるからだった。

( 2012年5月22日 寄稿 )