地歴と旅(KK)

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童謡の里を訪ねて③ 日本のフォスターとも呼ばれた中山晋平  by 菊地 正浩

  • 2013.03.26

作曲家・中山晋平は明治20年(1887)、長野県下高井郡新野村(現中野市新野)で生まれた。新野はなだらかな丘陵地に広がる集落で、北に高社山、西には千曲川が大きく蛇行して流れている。 春は菜の花が咲く畑、せせらぎの音高く流れる小川、秋は黄金色に輝く田圃、たわわに果実を実らせる果樹園、日本の原風景が広がるこの地こそ中山の故郷である中野市である。ここに立って見ると、この地が「童謡の里」であることがよく理解できる。   中山晋平記念館 記念館は生誕100年を記念して、昭和62年7月に生家の隣りに建てられた。 正面ゲートにはカリヨンが配され、中山晋平メロディが流れる。     […]

童謡の里を訪ねて②~斑山(はんざん)(高野辰之)ゆかりの地  by 菊地 正浩記

  • 2013.02.10

  高野辰之は国語、国文学者であり、数多い童謡の名曲の作詞者として知られ号を斑山と称した。明治42年(1909)には、文部省の小学校唱歌教科書編纂委員に委嘱された。作詞委員として「尋常小学校唱歌」(全6冊)の作成に携わり、作曲者の岡野貞一とのコンビで、今に残る名唱歌を世に出した。 一年生用「日の丸の旗」~白地に紅く日の丸染めて~。 二年生用「紅葉」~秋の夕日に照る山紅葉~。 三年生用「春が来た」~春が来た春が来たどこに来た~。 四年生用「春の小川」~春の小川はさらさらいくよ~ 六年生用「故郷」~うさぎおいし~「朧月夜」~菜の花畠に~。 などで、今でも唄われ続けている名曲ばかりである。 […]

これが東京下町、今なお残る昭和の世界・京島(墨田区)寸景  by 森田 芳夫

  • 2012.10.31

 京成曳舟駅から話題のスカイツリーを背にして明治通りを10分ほど歩くと、突如右手に古い住宅群が現れる。地籍でいえば墨田区京島三丁目である。この民家群は更に南側へ続き、東武亀戸線の線路を境とする京島二丁目へと延びている。  1945年3月の東京大空襲の折、風向きが幸いして奇跡的に焼け残ったこの地域は、複雑に曲がりくねった細い路地と、大正、昭和期に建てられて古い木造家屋と長屋で構成されている。  木造家屋が密集しているこの地域へ足を踏み入れた人は、誰でも「まだ東京にこのような昭和の町が残っていたのか」と郷愁を禁じえないだろう。  初めてこの街を訪れたとき、私はICUへ招かれて日本文化を教えるテッド […]

童謡の里を訪ねて①~歴史の町・信州松代~  by 菊地 正浩

  • 2012.10.23

   長野県長野市松代町は色々な歴史の舞台に登場する。武田信玄が上杉謙信と戦うための拠点として築かせた松代城。真田氏10代が城主として続き、城址は国の史跡に指定されている。  真田宝物館、真田家の菩提寺長国寺、真田邸。公武合体派の開国論者、佐久間象山の記念館、象山神社。川中島合戦の宝物を展示する天厩寺、記念館。  また、第二次世界大戦末期、軍部が本土決戦の拠点とし極秘に大本営、政府機関などを移すために、舞鶴山、皆神山、象山に地下壕を掘削した。地下壕は総延長5853mあり、そのうち500mが公開されている。何故童謡に詠われるような北信の長閑な松代だったのか。象山は硬い岩盤に加え、松代が […]

手漉き和紙の里~米沢の蚕卵紙  by 菊地 正浩

  • 2012.10.13

   山形県米沢市は県南東部に位置。東部は奥羽山脈、南部から西部にかけては吾妻連峰に属する山岳地帯。北部中央に米沢盆地に含まれる平坦地が開けている。  南部山岳地帯を発源とする梓川、羽黒川、松川、大樽川、小樽川などの諸河川が北部平野部を潤す。   「さみだれを あつめて早し 最上川」   (芭蕉)   ~折からの五月雨の雨量を集めて、最上川は満々とみなぎり、 本流となって流れ下っていることよ~    最上川の源流から米沢盆地を流れる情景をしばしの間眺めていたのであろう。  米沢は伊達・蒲生時代を経て、慶長年間(1596~1615)に入り、会津1 […]

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