東日本大震災と磐梯熱海温泉、これからの観光福島を探る④ トルヌス特別号から  by 菊地 正浩

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●五百川と温泉のいわれ
 資料によれば「久安年中(1145—1155)に皇子様とある過失により都より東の方五百番目の川の畔に流罪に処せられ給う。警護の司人皇子様を都より遠く流し給はんことを哀れみ、道筋の川々僅小溝をも其の数に数入れ記しつつ下り給ひ、遂に安積安達の界なる高倉の里に来り、漸く五百の数に達したり。よって其の時より此の川を五百川と稱するに至る。」

 時を経て、「室町時代初期の建武(1334—1336)の頃、京の公家の娘「萩姫」の夢枕に立った不動明王が都から東北方面に行き五百本目の川岸に霊泉があると告げられた」とある。姫は不治の病をこの地で湯治し、全快して帰ったと伝えられている。

●磐梯熱海の姥捨山(姨棄山)は地獄沢と仏峰

 

地獄沢から姨捨山(仏峰)を望む

 
姨捨山伝説は主に東北から信州地方に残る昔話の一つ。

 姨捨・伯母捨・姨棄は能の一つ、三番目物。中秋の名月の夜、信濃国姨捨山に老女が現れ、姨捨山の伝説を語り舞を舞う。「関寺小町」「檜垣」とともに「三老女」と言われる。

 長野県千曲市、別名姨捨山は古来、田毎の月で知られて観月の名所である。

 その他、全国には同様の民話、伝説があり、磐梯熱海もその一つであるが、村田さんのように明確な場所を知っている人は僅かとなってしまった。大切な観光資源の一つなので行政、観光関係はぜひ伝承して欲しい。

●旅を終えて
 郡山市街と異なり比較的地盤も良いので、磐梯熱海温泉は今回の地震でも直接的な被害はなかった。

 「会津磐梯山は宝の山よ」と歌われているが、五百川、石筵川などの清流に恵まれた温暖な土地である。

 村史を見ても往古より冬の農閑作業は楽なものが多い。同じ郡山市でも阿武隈川東側とは異なる。

 豊かな水で田畑は潤い山菜などにも恵まれた。また、良質な温泉の湧出により東北の熱海として発展した。

 バブルが弾け高齢化と過疎化が進み、加えて放射能という予期せぬ事態に直面している。温泉街も復旧・復興のために訪れる人達で凌いでいるようだが、あくまでも当面のことである。復興後、人・金が去ったあとのことが重要であろう。

 幸いにも温泉は良質で豊富な湯量を誇り、自然観光資源、歴史的事象、伝統的行事などがある。これらの資源を生かして将来像を描き、どう取り組むか正念場を迎えようしているように思えた。

 昨今、自然再生エネルギーと言われる風力発電、地熱発電の話題も出ている。

 エコという名のもとに、磐梯朝日国立公園という大自然を破壊するようなことがあってはならない。会津地方を含めた広域での自然保護が磐梯熱海にも求められるのかも知れない。

 

≪ トルヌス特別号(2012年6月16日発行)から 4/4回 最終回 ≫