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旅じゃBLOG アーカイブ

2006年12月31日

新年旅じゃBLOGスタート

いよいよ2007年1月1日より旅ジャーリスト会議会員によるBLOGを開始いたします。
歴史・グルメ・温泉・鉄道などなど、毎週さまざまなジャンルからの話題を提供していきます。
会員および会員外の方々からの投稿お待ちしています。
一応目標は毎日更新。でも時々取材などで書けなかったりすることもあるので、そこはご了承ください。
てなわけでまずは管理人の紹介から。

管理人:ふみくん
愛知県生まれ。旅行と競馬と歴史と自然を愛するおやじ。
別に競馬予想のブログ shugoroの日記 も一応さぼらずに毎日更新している (でも全然当たらない) 。こちらのブログでは主に歴史を担当。大河ドラマの突っ込みなどをしようと考えている。将来的には会員による毎週の曜日担当制にしたいが、WEBに対する技術が立ち遅れているので、まだ複雑なコンテンツはまったく把握していない。メインは通称しんじ君がつくっている。文字担当としてこれからもご支援よろしくお願いします。
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2007年01月01日

元旦だからこそ「正月パス」

新年明けましておめでとうございます。
それではさっそく旅じゃBLOGの第1回は元旦に大変重宝する「正月パス」の紹介です。
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さっそく管理人はこのフリーきっぷを使って新年早々、東北の秋田と角館へ日帰り旅行(取材)をしてきました。JR東日本が毎年12月中旬~晦日まで発売し、使用できるのは翌年の元旦のみというきっぷですが、新幹線・特急・急行の自由席が乗り放題に加え、座席が4回まで指定できます。ねだんは普通車用12,000円、グリーン車用18,000円(ともにこども半額)。フリー区間はJR東日本エリア全線に加え、JR北海道中小国~函館間と第三セクターの青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道・北越急行・伊豆急行の全線が乗れてしまうすぐれものです。
似たような商品に土・日曜限定の「土・日きっぷ」18,000円(2日間有効)がありますが、こちらはフリー区間が南東北・信越エリアに限られています。その点、正月パスなら東北全域をカバーし、かつはるばる来たぜの函館まで行けるわけです。単純に東京から秋田まで秋田新幹線こまちの指定席を利用すると、片道17,150円なわけですから、片道の移動手段だけでも十分モトはとれてしまうのです。いつも管理人は「青春18」を使っているだけに新幹線の機動力にはビックリしました。元旦しか使えず、美術館・博物館・飲食店などの施設も年末年始休のところが多いなど、観光としてみればネックな部分もありますが、安く移動できる手段のきっぷとしておすすめです。来年は「青春18」と併用して函館へ行こうかなと考えています。
寝正月もいいけれど、正月早々アクティブに動くのも“三文の得”。

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2007年01月02日

スタンプ物語1・東京駅

いよいよスタートしましたこのブログ。まだスタートしたばかりで会員からの投稿もありませんので、しばらくというか埋め草として管理人が執筆いたします。第2回は管理人のスタンプコレクションから現在、JR東京支社のお江戸をテーマにしたものを中心にしたスタンプの紹介です。2004年からはじまったスタンプのシリーズで、きちんとスタンプ台(左)も設置されており、山手線を中心に中央線・京浜東北線・常磐線など首都圏エリア77駅にあります。こういったスタンプに目を向ければ、ふだん何気なく乗り降りしている首都圏駅もまた別の楽しみが湧くというものです。スタンプの色は黒で統一されていますが、備え付けの朱肉ではインクが乾いていてきれいに押せないことも間々ありますので、スタンプの朱肉は持ち歩いたほうがいいかもしれません(管理人は強引に駅改札係員から朱肉を借りたこともありました)。なお、スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。
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やはり最初は日本の顔というべき東京駅でしょう。細かい駅の歴史は省略してスタンプの絵柄を考察します。東京駅といえば皇居で、スタンプの二重橋は皇居正門から宮城に至る濠に架かる正門石橋とその奥の正門鉄橋の総称ともいわれますが、厳密には奥の橋のこと指し、撮影ポイントとして知られます。
大正3年(1914)に東京駅が開業したとき、丸の内中央口から皇居まで新しく道幅60mの道路がつけられ、この道を進むと和田倉門があり、広大な皇居外苑に出ます。このスタンプの二重橋までは丸の内中央口から徒歩10分。東京メトロ千代田線の二重橋前・日比谷、有楽町線桜田門、次の有楽町のほうが目的地まで近かったりするのですが、やはり東京駅は皇居に向けて造られた駅ですので、当駅からの皇居散策をお楽しみください。皇居は徳川将軍15代の居城で、現在は西側の115万平方メートルに御所が置かれ、東地区の江戸城旧本丸、二の丸、三の丸、北の丸が公園として一般公開されています。
ところで東京駅には2007年1月現在、上記のスタンプしかないのが寂しい限りです。僕が学生の頃は「東京駅にはたくさんスタンプがある」と聞いており、かつては新幹線の乗車記念スタンプから他のスタンプなど、広大な東京駅構内を歩き回って集めた記憶があるのですが、故郷の押入れにお蔵入りとなっており出てきません。それにしても日本一の東京駅ですから、スタンプも数種類用意して各案内所に設置し、JR東海も独自のスタンプを設置してほしいものです。

投稿者:管理人
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※旅じゃBLOGでは会員からの投稿およびそれ以外の読者からのご意見・質問をお待ちしています。デジカメ写真の投稿も大歓迎です。会員の方は直接書き込めるようにシステムを構築中ですが、なにぶんまだWEBコンテンツ技術が追いつきませんので、当分の間は管理人までメールで投稿お願いします(宛先は必ず明記してください。迷惑行為防止のため、コメントとトラックバックをいったん保留後公開いたします)

2007年01月03日

スタンプ物語2・有楽町駅

さて、旅じゃBLOGも開始3日目でなんと、旅行・観光(全般)のランキングが400近いブログから100位まで浮上しました。まさかランキングクリックが管理人ばかりでないとは思いますが、代表の森田氏などの投稿があると順位ももっとUPするに違いありません。本日も管理人の趣味にお付き合い願います。

東京駅の次は山手線内回りに沿って各駅停車で紹介します。本日は有楽町。
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この地名の由来は織田信長の弟長益(1547~1622)が江戸開府の際に、徳川家康からこの付近に土地を拝領したことから、号名の有楽斎(うらくさい)をとって明治時代に有楽町と付けられたそうです。ところでこの織田有楽斎、信長が横死した本能寺の変時に嫡男信忠とともに二条城に立て籠もったのですが、自分だけ自害せずに城を脱出。さらにその後の大坂冬の陣でも豊臣方として大坂城にいて、夏の陣前に城から出る(徳川のスパイ説・和平派説などあり)など、その運のよさと戦国の世におけるしぶとさは特筆できます。一等地の地名に残るほどですから。ちなみに昨日の東京駅の八重洲口は、家康の外交顧問や通訳として活躍したオランダ人ヤン・ヨーステン(日本名は耶楊子:やようす)が拝領した土地に由来しています。
ずいぶん脱線してしまいましたが、スタンプの歌舞伎座は銀座口から徒歩6~7分のところです。歌舞伎専用の劇場として明治22年(1889)に開設。その後、漏電による焼失、関東大震災などに見舞われながら大正14年(1925)に新築したのですが、こちらも昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失。現在の建物は戦後昭和25年(1950)に竣工したもので、先に焼失した第三期の建物のデザインを生かしています。しかし、この建物も老朽化・バリアフリーへの対応を理由に建替の方針が決定しており、この風格のある建物が見られるのもあとわずかといえるでしょう。
ちなみに有楽町には銀座口改札に古いスタンプ(右)が保管されており、係員に申し出ると押すことができます(2007年1月現在)。すでに消耗が激しく右のようにきれいに押せない(80年代に押印)のですが、こちらもいつ廃棄されるかわかりませんので、コレクターの方は急いだほうがいいかもしれません。ちなみにこちらのスタンプに描かれているのは山手線とマリオンと大黒様。なんで大黒様かなと思って調べたら、高額当選で有名な宝くじ売り場に祀られている大黒様(有楽町ロッタリープラザ)だったんですね。
いや宝くじには全然興味ないので(馬券には興味あるが)初耳でしたが、昭和62年(1987)4月のJR誕生と同時にできたと思われるスタンプも有楽町の特徴をよく表現しています。
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2007年01月04日

スタンプ物語3・新橋駅

本日は鉄道唱歌でおなじみ「汽笛一声」の新橋駅です。

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明治5年(1872)10月14日、新橋~横浜(現・桜木町)間に日本初の鉄道が正式開業し、以来10月14日は鉄道記念日となっています。まあ、ちょっと鉄道に詳しい方なら現在の新橋駅は大正3年(1914)に烏森駅から改称された駅で、旧新橋駅は国鉄の貨物駅となった汐留駅ということはご存知でしょう。その汐留駅も昭和61年(1986)に廃止され、跡地は国の史跡に指定。2003年には旧新橋駅停車場として、開業当時の駅舎が再現されています。鉄道歴史展示室として無料で入館(月曜休)できますので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか? 新橋駅汐留口から歩いて5分です(スタンプもあるよ)
またまた脱線してしまいましたが、本題のスタンプは浜離宮恩賜庭園。新橋駅汐留口から徒歩12分のところにあります。これぞ徳川将軍家ゆかりの庭園。承応3年(1654)、甲府藩主松平綱重(6代将軍家宣の父)が当地に別邸を建てたのが始まりで、将軍家宣の代に大幅な改修が行われたといいます。やはりここの魅力は東京湾の海水を引き入れた「汐入りの池」でしょう。御恥ずかしながら管理人はまだ行ったことないのですが、池にボラやセイゴ、ハゼなどが泳いでいるってなんか竜宮城の趣がありませんか(乙姫様はいませんが)。それに四季の花々や野鳥の宝庫としても知られ、水上バスの発着地にもなっています。浅草・両国およびお台場や葛西臨海公園などへはちょっとしたクルーズもおもしろいかもしれません。
新橋にはお江戸シリーズの他にも、鉄道唱歌の碑とSLのスタンプ(右)もあります。
鉄道唱歌は明治33年(1900)に大和田建樹の作詞で、駅前には鉄道唱歌の歌碑とSLのC58の動輪があります。さらに日比谷口のSL広場には、C11が静態保存されており、12時、15時、18時の1日3回汽笛が数秒間鳴るそうです(これもまだ聴いたことがないのです)。汽笛に耳をすませば、やはり新橋は「鉄道発祥の地」ということが実感できるのではないでしょうか。

投稿者:管理人
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2007年01月05日

スタンプ物語4・浜松町駅

本日は浜松町。スタンプの色が赤になっていますが、たまたま駅に黒の朱肉がなかったのでしょう。赤とはいえ黒味を帯びています。どうしても黒で統一したい方は黒の朱肉を持参ください(ただし、他の色と混じってしまいますので、スタンプは押印後、きれいにインクをふきとりましょう)
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東京タワーの最寄駅が浜松町です。とはいえ北口から徒歩15分、約1kmありますので、東京メトロ日比谷線の神谷町駅か都営三田線御成門駅のほうが最寄といえますが……。
東京タワーといえば映画『ALWAYS三丁目の夕日』でもおなじみですが、昭和33年(1958)に竣工された高さ333mの集約電波塔です。昔は田舎の修学旅行で東京へ行くと、必ずとはとバスのツアーで立ち寄りました。ペナントや置物のカレンダーなど、ひと昔前のおみやげは懐かしいものです。タワーには高さ150mと大展望台と高さ250mの特別展望台がありますが、だいたい修学旅行では大展望台までしか登らせてくれません。特別展望台はさらに料金がかかってしまうからです。他にも蝋人形館やギネスワールドレコードミュージアム、トリックアートギャラリー、東京タワー水族館など楽しげな施設が目白押しです。ところでこの東京タワー、地上デジタル放送に対応した第2東京タワーの建設構想が持ち上がっており(候補地は墨田区押上)、2011年7月24日のアナログ放送終了とともにその使命をまっとうするものとみられています。その後も文化遺産として残されてゆく予定ですが、現役の東京タワーを楽しむのは今のうちでしょう。
東京タワーの東側にあるのが、徳川家の霊廟がある芝増上寺です。開山は明応4年(1393)で、慶長3年(1598)に現地に移転し、徳川家康および歴代将軍の手厚い保護を受けました。歴代将軍のうち2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂と6人が眠っています。ただし、墓所は通常非公開で、 4月上旬の御忌大会などの特別な日しか公開されません。毎年行きそびれていますので、今年こそは行こうと思っています。この増上寺、江戸時代には日光東照宮に劣らぬほどの絢爛さを誇ったといいますが、政教分離で境内の大半が芝公園となり、貴重な霊廟や五重塔なども戦災で失われてしまったそうです。それでもお江戸の華やかさを体感するにはおすすめのスポット。スタンプに描かれた大殿は昭和49年(1974)の再建ですが、その荘厳さを失っていません。
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2007年01月06日

スタンプ物語5・田町駅

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田町といえば「勝海舟・西郷隆盛会談の碑」。昭和55年(1980)に設置された「わたしの旅スタンプ」の絵柄にもなりました。このときは勝海舟と西郷隆盛の顔が描かれていたのですが、これまた全然似てませんでした(笑)。碑のほうでは西郷隆盛が「南洲(なんしゅう)」となっていますが、これは西郷の称号です。坂本龍馬の取材時に訪れたことがありますので写真もUPしておきます。碑は芝浦口(西口)から徒歩2分の第一田町ビルの脇に建っています。この付近は江戸時代、薩摩藩邸があった場所でした。
慶応4年(1868)の正月3日、大坂から京都へ入ろうとした旧幕府軍と薩長軍が衝突。これが2年にわたって繰り広げらる戊辰戦争の始まりです。しかし、鳥羽・伏見の戦いでは、銃火器に勝る薩長の前に旧幕軍はあっけなく敗退。大坂城に戻った前将軍・徳川慶喜は6日夜に大坂城から脱出し、天保山沖に停泊中の開陽丸に乗船。12日には江戸へ帰還してしまいます。どうやら朝敵になるのを恐れて戦いを放棄してしまったのです。これに勢いづいた薩長軍は官軍として東海道・東山道・北陸道に別れて江戸に進軍。慶喜は上野の寛永寺に謹慎して恭順の意を示しましたが、あくまで武力討伐にこだわる官軍は江戸城総攻撃を3月15日と決めていました。旧幕府の陸軍総裁として全権を任された勝海舟は、幕臣山岡鉄舟を西郷の使者として派遣し、3月13・14日の両日、高輪の薩摩藩邸で西郷と会談、江戸無血開城が決定しました。江戸城は4月11日に明け渡され、官軍と交戦派の彰義隊が衝突した上野戦争を除けば、江戸の街は戦火から救われたのです。ところでこの会談、どうしても西郷隆盛と勝海舟ばかりクローズアップされてしまいますが、来年のNHK大河ドラマ主人公の13代将軍家定正室・篤姫(天璋院)や14代将軍家茂正室和宮(静寛院)なども暗躍していますし、江戸城開城を最後まで拒んだのは篤姫(天璋院)でした。このあたりのことはまた後日書きたいと思います。
平和裏にことが進み、戦火から救われた貴重な江戸の文化史跡でしたが、77年後の太平洋戦争の東京大空襲によって大半が灰燼に帰してしまいました。そういう意味で250年もの間、天下泰平の世を保った江戸社会を見直すべきだと思うのです。
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2007年01月07日

『風林火山』第1回「隻眼の男」

連載の「スタンプ物語」をお休みして、いよいよ2007年NHK大河ドラマ『風林火山』が始まりましたので、管理人が当ブログで主題とするドラマの突っ込みどころを描きたいと思います。
はじめこの『風林火山』の予告を見たとき、1年間大丈夫かなと思って心配していましたが、なかなかよい出来映えのスタートを切りました。オープニングの音楽と自然の風景を駆ける武田騎馬隊がうまくマッチしています(『功名が辻』に比べたら)。まあ、歴史を重視して木曽馬などの在来国産のポニーを使って再現しますとさまになりませんので、サラブレッドやアラブに騎乗するのは歴史ドラマの「お約束」といえるでしょう。登場する乗馬には中央や地方競馬を引退した競走馬もいることと思われますし……。
気になる物語の始まりは天文4年(1535)の万沢口合戦でした。井上靖の原作や『甲陽軍鑑』では、勘助が登場するのは、信玄が国主となる天文10年(1541)以降なので、6年前からの時代設定。それでも勘助はすでに50近くになっていますが、今回の内野聖陽演じる勘助はどうみても30代、片足は不自由といいながらも、かなりアクティブに演じられています。女っ気のない勘助にミツという思い人の設定も(*^ー゜)b グッジョブ!! これまで演じられてきた老人勘助のイメージを払拭する内野勘助に期待しましょう。
気になる勘助の出生地ですが、井上靖原作と『甲陽軍鑑』の説を採用し、三河牛窪(愛知県豊川市)となっていました。勘助の出生地は駿河国富士郡山本(静岡県富士宮市)と三河国八名郡賀茂(愛知県豊橋市)の2説が有力ですが、両説とも牛久保(牛窪)城主牧野家の家臣大林勘左衛門の養子となるところで他の史料と合致します。ドラマでも勘助が「大林勘助」を名乗ったのはそのためですが、歴史の史料では大林家に嫡子が生まれたため、養家を離れるのは大永7年(1527)のことなので、多少時代設定が変えられています。まあ、ドラマだから歴史を忠実に再現するよりいいかもしれません。
最後の史跡紀行紹介では、いきなり信玄の本拠躑躅ヶ崎館跡(武田神社)と信玄出生地の要害山城を取り上げていましたが、ドラマのストーリーからみても万沢口古戦場を取り上げてほしかった気がします。この万沢口(山梨県南部町)は駿河と甲斐の国境に近く、番所(関所)が置かれたところなのですが、意外にも古戦場を示す史跡は残っていません。NHKもそのあたりを考慮して取り上げなかったのかもしれませんが。

最後に昨年11月に管理人が制作しました大河ドラマ歴史紀行の副読本を紹介します。


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『風林火山をゆく』
(英知出版) B5判 980円 ISBN4-7542-5606-9
2006年11月発行。12月2刷。2007年度NHK大河ドラマ『風林火山』の主人公・山本勘助生誕の地から終焉の地・川中島古戦場まで勘助69年の生涯と足跡を追いかけ、その実像に迫った歴史紀行。勘助・信玄ゆかりの史跡からグルメ・おみやげ・沿線の記念スタンプまで旅の情報満載! 旅ジャーナリスト会議代表かつ伊那市ふるさと大使森田芳夫氏ご推奨の一冊です。

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2007年01月08日

スタンプ物語6・品川駅

大河ドラマコーナーのため、1日お休みしましたが、再びスタンプ物語ということで本日は品川駅です。

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品川は東海道の最初の宿駅で、スタンプには歌川広重の「東海道五十三次」が描かれています。すぐ近くに海があるように江戸時代は品川駅のあったところはまだ海でした。実際の旧宿場町は駅から徒歩10分ほどの八ツ山橋からで、京急北品川駅に近い八ツ山コミュニティー道路には、200mほどのミニ東海道が再現されています。散策コースとなっている旧東海道は何の変哲もない商店街ですが、注意して路上観察すると壁に浮世絵が描かれていたり、遊郭跡などの碑が建っていたりと、歴史的な重みが感じられます。そのまま京急に並行して続く旧東海道を歩けば、品川本陣跡・品川神社・品川寺(ほんせんじ)などの名所・旧跡があり、うなぎ(荒井家)や品川餅(木村家)などの江戸の味を楽しむことができます。品川寺まで来たら京急の青物横丁駅が近いので、帰りは京急で品川へ戻りましょう。
ところで品川駅には改札を出た駅事務室に、お江戸シリーズ以外のスタンプが11個も保管されており、希望者は押すことができます(2007年1月現在)。右のスタンプは汐留貨物駅が健在だった昭和60年(1985)7月に九州まで乗用車を貨車で運搬したカートレイン(のちに浜松町・恵比寿駅始発に変更)のものですが、今はなき汐留駅のスタンプが押せるのは貴重。この他にも開業111周年記念(1983)、EXPO85サイエンストレイン展示記念(1985)、お座敷列車運転記念(1986)など、国鉄時代の遺構を残す記念スタンプが数多く残されています。こういうメモリアルもののスタンプは、普通は一定期間しか設置されず、押せる機会も非常に少ないのですが、大事に保管しつづけてくれるのはファンにとって嬉しい限りですね。

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2007年01月09日

スタンプ物語7・大崎駅

東海道・京浜東北と並行して走っていた山手線も品川から田端までは正式な路線区間として走ります。本日は山手線内に入った最初の駅・大崎です。

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スタンプの絵柄は、お江戸の史跡からはずれて「新駅舎とお台場」。スタンプは駅の顔といいますので、たしかに近年急速に様変わりした駅舎と線区の様子を描くのもよいPRになるでしょう。
大崎駅の新駅舎完成は2003年。2002年12月に東京臨海高速鉄道りんかい線天王洲アイル~大崎間の全線開業で、JR埼京線との相互乗り入れを開始。スタンプの副題に「埼京線お台場まで直通」と書かれているのはそのためです。さらに2001年12月に開業した湘南新宿ラインも当初は大崎を通過していましたが、りんかい線開業に伴い全列車が停車するようになりました。元々大崎は山手線の保守整備をする東京総合車両センターが隣接していたため、当駅発着の山手線電車が多いことで知られ、山手線で内外とも大崎以遠へ行く方は「なんだ大崎止まりかよ」と見送ったり、あるいは大崎で次の電車を待つなんてこともありましたが、いまやターミナルの要所として生まれ変わり、乗降客数も埼京線・りんかい線開業前と比べると2005年度で倍近くまで増えています。
大崎は江戸期には天領や大名下屋敷があったところですが、工場群と駅前再開発で急速に変貌を遂げました。それでもお江戸の史跡は開発の狭間に残されています。新東口から山手通りを右へ進み、目黒川を渡って山手線ガードをくぐり、東海道本線と山手線にはさまれたところに、タクアン漬を考案したと伝わる沢庵和尚や江戸中期の国学者・歌人で知られる賀茂真淵が眠る東海寺大山墓地があります。駅から徒歩7~8分のところです。お茶漬けに欠かせないダイコンのタクアン漬けは元々備蓄食として以前からあったといわれますが、3代将軍家光が沢庵和尚の漬物をたいそうお気に入ったようで、和尚の没後、墓参りをした際に「沢庵漬けとせよ」と命じたことから、「タクアン漬け」といわれるようになったといいます(『守貞漫稿』)。

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2007年01月10日

スタンプ物語8・五反田駅

本日は管理人が山手線内では一番よく利用する五反田駅です。スタンプも再度、手持ちの朱肉での押し立てホヤホヤです。

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絵柄は東口にある愛の母子像と池田山公園です。待ち合わせ場所で知られる愛の母子像は、昭和49年(1974)、東京五反田ライオンズクラブによって建立されました。像自体は子どもが今にもずり落ちそうでおかしいのですが、五反田の顔として古い2つのスタンプにも描かれています。この古いスタンプのほうは東口みどりの窓口に保管されており、係員に申し出ると押すことができます(2007年1月現在)。でも、スタンプを出してもらっても、後ろに切符を買う人が並んでいれば、脇によけて押して切符購入は譲ってあげましょう。極力、業務の邪魔はしないよう、管理人からのお願いです。
江戸の面影を残すものとしては、東口から徒歩15分のところに池田山公園があります。寛文10年(1670)に備前岡山藩池田家の下屋敷として下賜されたところです。高低差を活かした池泉回遊式の庭園は四季折々の花が美しい区民憩いの場。開園時間(9~17時、ただし7・8月は~18時)を制限しているため、整備も行き届いています。また、薩摩島津家の大名下屋敷のあったところは島津山と呼ばれ、清泉女子大学内には本館として、コンドル設計の旧島津公爵邸が現存します。
五反田は目黒川の谷間の低地で、名の示すように田畑の規模を表す五反(一反は10a、300坪)の田に由来します。地名は旧大崎村の小字で、駅が開設された明治44年(1911)のときは一面農地だったといいます。昔から通っていた中原街道は、江戸虎ノ門から平塚中原(神奈川県平塚市)に至る東海道の脇道ですが、最初は江戸への最短として、江戸入り当初の徳川家康が利用し、幕府の鷹狩りにも使われていました。駅北側のは三代将軍家光が鷹狩りの折に命名した雉子神社も残っています。のち東海道が幹線として整備されると、中原街道も通行量が激減しましたが、大名行列を避けられるため、沿道の農産物を最速で江戸に供給する物資輸送の道として利用されたといいます。

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2007年01月11日

スタンプ物語9・目黒駅

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うまく押せたスタンプのデータがなくて申し訳ないのですが、今回の目黒駅のスタンプは「爺々が茶屋」。歌川広重の「名所江戸百選」に描かれたものを再現しています。
目黒は江戸時代、将軍の鷹狩り場として知られ、また幕府の庇護を受けた目黒不動がありました。そして将軍が鷹狩や参詣の帰りに立ち寄る茶屋があり、3代将軍家光は百姓の彦次郎が営む茶屋を愛し、彦次郎に「爺、爺」と呼びかけたことから「爺々が茶屋(爺が茶屋ともいう)」という名がついたそうです。この茶屋に欠かせないのが落語噺に出てくる「目黒のサンマ」です。このあらすじを簡単に紹介すると、
「鷹狩で目黒に出かけた殿様が、腹が減ったところにサンマを焼く匂いが漂ってきたので、サンマを取り寄せてご飯のおかずにした。以来、殿様はサンマ中毒になり、家来にサンマを求めると、家臣たちは殿様の健康を気遣ってサンマを脂抜きのパサパサで出した。日本橋魚河岸で求めたサンマではあったが、これではうまいわけがない。殿様が『やっぱサンマは目黒(海から4kmほど離れた場所)に限る』というのがオチ」
この殿様のモデルが家光で、サンマを出したのが彦次郎といわれていますが、殿様は松江藩主松平出羽守という説もあります。「爺々が茶屋」のあった場所は目黒駅から15分ほど歩いた現在の目黒区三田2丁目の茶屋坂を登り切ったところに茶屋坂街かど公園があり、「茶屋坂と爺々が茶屋」の案内板が立っています。96年から始まった毎年秋に行われる「目黒さんま祭り」は、目黒駅から徒歩3分の誕生神社手前が会場。無料の焼きたてサンマが振る舞われ、寄席などのイベントもありますが、混雑必至で行列は1時間待ちになるそうです。
目黒には他にも甘藷先生で知られる青木昆陽(1698~1769)の墓がある目黒不動(正式には泰叡山瀧泉寺)や、隠れた人気スポットの目黒寄生虫館などもあり、散策が楽しめます。
最後に余談ですが目黒駅は目黒区になく、所在地は品川区上大崎にあります。山手線では他にも品川駅(港区高輪)にも見られます。代々木駅も旧千駄ヶ谷村だったのですが、こちらは区画整理で代々木一丁目となりました。
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2007年01月12日

スタンプ物語10・恵比寿駅

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縁起のよい駅名の恵比寿は、明治期に日本麦酒醸造会社(現・サッポロビール)が製造していたヱビスビールの商標からつけられた地名です。明治34年(1901)、ビール工場から出荷専用の貨物駅として開設し、旅客営業をはじめたのは明治39年(1906)。当初は下渋谷といいましたが、工場周辺を「ゑびす」と呼ぶようになり、昭和3年(1928)には駅周辺の地名も「恵比寿」に改められました。スタンプの恵比寿様の像は西口にあります。工場は昭和60年(1985)に都市化の開発に伴い、千葉県船橋市に移転。その跡地の再開発が91年からはじまり、94年にはサッポロビール(現・サッポロホールディングス)によって高さ40階(167m)の恵比寿ガーデンプレイスタワーが竣工されました。スタンプに描かれたガーデンプレイスまでは駅から動く歩道「スカイウォーク」で直結。サッポロビールの本社もここに置かれ、新鮮なビールが試飲(有料)できる恵比寿麦酒記念館も併設されているほか、38・39階には展望レストラン街が形成され、デートスポットとしても有名です。
今回のスタンプはお江戸ではないのですが、ガーデンプレイスとは反対側西口から徒歩10分のところに、江戸の大名13家が眠る祥雲寺(渋谷区広尾5丁目)があります。当墓地には筑前福岡藩祖黒田長政(1568~1623)の墓をはじめ、筑後久留米藩有馬家、丹波園部藩小出家、河内狭山藩北条家などの墓があり、戦国時代の医師として有名な曲直瀬道三(1507~1594)の墓もあります。
また西口から徒歩5分くらいのところに寛文4年(1664)から明治38年(1905)まで7基の庚申塔が建っています(恵比寿西2-11-7)。庚申信仰というのは60日ごとにある庚申の夜にうっかり寝てしまうとそのまま死んでしまうことがあると伝えられ、庚申の日は一晩中飲んだり食べたりしながら語り明かして眠らないように過ごし、その仲間を「庚申講」といいました。庚申講は平安期の清少納言『枕草子』にも登場するので、日本では古くから伝わっていたようですが、江戸期にはこれが民間に広まり盛んに行われていたようです。現在では廃れてしまいましたが、地方では親睦会に置き換えて庚申講を行っているところもあるようです。まあ東京でもこの伝統はしっかり受け継がれていますよね。学生時分は2か月に1回朝まで宴会なんて当たり前でしたから。もっとも社会人では翌日仕事にならない(もうその体力はない)のでやらなくなりましたが。

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2007年01月13日

スタンプ物語11・渋谷駅

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渋谷といえば、これまでの開業120周年(2005)スタンプのように必ずといっていいほど、忠犬ハチ公が描かれていましたが、お江戸シリーズということで東口徒歩5分の「金王八幡宮」です。江戸期には江戸八所八幡の一つとして崇敬を集めました。総漆塗りの現社殿は慶長17年(1612)、春日局が家光将軍決定の御礼として建立したといわれ、渋谷区最古の木造建築物。よく戦災から免れたものです。摩天楼のような高層ビルが建ち並ぶ喧騒の中に鎮座し、渋谷の街を見守り続けています。
渋谷の地名は、源頼朝の父義朝の腹心だった渋谷金王丸の姓に由来しています。ここに金王丸の一族渋谷氏の拠点・渋谷城がありました。神社自体は寛治6年(1092)、渋谷氏の祖河崎基家の創始でさらに500年以上前にさかのぼることになります。当初は元渋谷八幡宮といわれていましたが、金王丸の名声にちなみ現在の神社名になったそうです。
今回はこの渋谷金王丸にスポットを当ててみます。平治元年(1159)12月27日、平清盛に敗れた源義朝は、東国で再起をはかろうとして逃走。途中、義朝は家人の鎌田政家(正清)の舅にあたる尾張国野間(愛知県美浜町)の長田忠致を頼ることにしました。長田屋敷で新年を迎えて、出立しようとしていた正月3日、忠致は義朝をこのまま逃がすより、討ち取って平氏の恩賞に預かろうと画策。そこで武勇の誉れ高い義朝に朝風呂をすすめ、丸腰のところを3人の剛の者が襲うことにしたのです。しかし、入浴中の義朝には従者の金王丸が太刀を携えて控えていました。ところが用意周到に忠致は替えの服をそろえておらず、金王丸が服をとりに場を離れた隙に陰に潜んでいた長田の家来3名が湯殿に入り、義朝に襲いかかり、義朝は38歳で絶命したのです。服をとって湯殿に戻った金王丸は、たちまち3人を斬り伏せ、玄光法師とともに主君の仇を討とうとしたのですが、すでに長田父子は恩賞に預かるため、義朝の首を持って京都へ向かったあとでした。やむなく金王丸は野間を去り、義経の母常盤のもとを訪れて、義朝の最期を報告します。その後、義朝の菩提を弔うため、剃髪して僧侶となり諸国を行脚したといいますが、消息は不明で、全国に金王丸の墓が伝わっています。
また一説によれば、剃髪後は土佐坊昌俊と変名したといわれます。土佐坊は平家滅亡後の文治元年(1185)10月に頼朝の命を受け、京都の義経邸を襲撃し捕えられて斬られる人物です。もしこれが真実なら、前半生をみるとむしろ義経に親近感が湧きそうな気がしますが、敬愛する主君の子供同士が争うのをしのびなく、義経に討たれることを覚悟で志願したともとれます。『義経記(ぎけいき)』によれば、鞍馬で捕えられた土佐坊を義経は鎌倉へ返そうとしましたが、怖じることなく自ら死を願い出て斬られたといいます。
話が長くなってしまいましたが、渋谷駅のお江戸シリーズスタンプは、南口みどりの窓口内に設置されているのですが、他の国鉄時代のスタンプと開業120周年(2種)は(いずれもハチ公が描かれています)、保管されているので駅係員に申し出るしかありません(2007年1月現在)。混雑必至の渋谷駅ですが、それでも根気よく他の3つのスタンプもGETしましょう。

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2007年01月14日

『風林火山』第2回「さらば故郷」

第2回目で過去にさかのぼり、勘助の出生地は駿河富士郡山本村(静岡県富士宮市)であることが明らかになりました。まあ、山本という地名が残っているぶん、駿河説のほうがドラマにからみやすいですからね。ここで少年勘助(幼名源助)登場。すでに隻眼で片足が不自由になっています。勘助は疱瘡にかかる前は利発で美男だったと伝えられ、隻眼になる前に大林家に養子に入ったともいいます。このほうが勘助の不幸値をUPさせるのに効果的だったと思いますが。また隻眼になった原因として『名将言行録』ではイノシシに不覚をとったと記されています。ちょうど亥年なので、こちらの演出のほうがよかったようにも思えますが、ロケをするのも大変か? 野生のイノシシはかなり危険ですので。
さて、前回も書きましたが、勘助が牛窪(牛久保)の養家・大林家に戻ってくると、すでに実子勘兵衛が生まれており、もう元服して初陣までしています。しかも晩年に生まれた子なので、可愛がりすぎたのか軟弱な設定。しかも勘助が苦労してとった兜首(赤部下野守)は、実子勘兵衛の手柄に奪われる始末。哀れ勘助、せっかく気味の悪い生首を甲斐から三河まで運んだというのに……。
おまけに駿河に戻ってきたら、兄貞久は武田と内通している福島越前守に仕え、その内情を知る勘助は兄に襲撃され、「駿河を去れ」といわれます。ちょうどそのとき、武田家では勝千代(信玄)と次郎(信繁)が剣の試合をし、父信虎が次郎を寵愛しているのに、気づいた信玄はわざと負けてしまいます。このあたりは信玄と勘助、互いに不幸な者同士がいずれ共鳴する設定なのでしょうか。元服前の信玄が、信虎の名馬鬼鹿毛を所望し、信虎の怒りを買ったというのは『甲陽軍鑑』の話ですが、元々信玄びいきに書かれた書物ですので、信虎が信玄をどこまで疎んじていたかは疑問です。天文5年(1536)、信玄が元服するときも、室町幕府12代将軍足利義晴の「晴」の字をもらい、「晴信」と称していますし、正室に京都の公家(三条夫人)を迎えていますので、嫡子として扱われているのは事実ですから。
嗚呼、哀れ勘助、養家と実家から追われ、行き着く先は思い人ミツの葛笠村しかありません。でも、まだ頼れる場所があってよかったね勘助。この不幸設定、個人的には好きなのですが、あまり重いと他の視聴者がついて来れるかどうか。あの最悪だった『MUSASHI』のようにならないことを願うのみです。
今回の歴史紀行は静岡県富士宮市が紹介され、僕が昨年正月に訪れた山本勘助誕生地や、代信寺の勘助両親の木像を取り上げていました。それにしても勘助もうひとつの出生地の愛知県豊橋市や、勘助が養子時代を過ごした牛久保の愛知県豊川市は紹介されずに終わってしまうのでしょうか。勘助がお守りにしている摩利支天像は、愛知県豊川市の長谷寺に安置されており(現物は親指ほどの大きさしかありません)、当寺の念宗和尚とはずっと親交があった関係で勘助の墓もあるのですが。
このまま勘助の育った三河牛窪(愛知県豊川市)が史跡紀行から埋もれてしまうのも可哀想なので、僕の写真を掲げておきます。

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JR飯田線牛久保駅下車。
牛久保城跡(写真左)駅から徒歩2分。長谷寺・山本勘助の墓(写真中央)駅から徒歩8分。
他に今川義元の墓がある大聖寺も近い。あと豊川といえば豊川稲荷(写真右・豊川駅から徒歩5分)です。稲荷寿司もおいしいよ! 詳しくは管理人制作の『風林火山をゆく』(英知出版)を読んでね。

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2007年01月15日

スタンプ物語12・原宿駅

本日の原宿駅はスタンプのインクがなくてきれいに写っていません。すいません。再び押しに行こうと思っていたのですが、とうとう機会を得られないままになってしまったのです。

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絵柄は「木造駅舎と明治神宮」。原宿の駅舎は大正13年(1924)竣工で、都内では最古の木造駅舎です。都内の木造駅舎では、他に2番目に古い中央本線国立駅南口もあったのですが、こちらは連続立体交差事業で2006年10月に解体が始まり、12月までに撤去が完了しました。都内の変わりゆく風景――撮っておきたくても結局行けずじまいに終わったところもたくさんあります。ただ、原宿の場合は東側に聖地の明治神宮がありますので、都市開発も西側しかできず、今後も保存されてゆくでしょう。
東側に鬱蒼と茂る森が初詣で毎年最大の参詣客を誇る明治神宮です。本年度正月3が日は311万という目が回るほどの参拝客を集めました。これで29年連続トップだそうです。原宿の外回り線にある臨時ホームは、この正月の明治神宮参詣などに使われています。明治神宮の創建は大正9年(1920)で、明治天皇と昭憲皇太后が祀られています。ところで明治神宮の広大な境内(22万坪)を包む常緑樹や落葉樹の森は、太古の森を連想させますが、神宮ができる前は大半が農地や草地でした。江戸時代には加藤清正の下屋敷がありましたが、加藤家改易後は彦根藩井伊家の下屋敷となり、明治維新後に政府所管に移ったようです。大正4年(1915)から造林がはじまり、全国から約10万本の献木がなされました。こうして鎮守の杜として現在に至るわけです。この後世にも残る自然を創ったのは林学博士の本多静六で、他にも日比谷公園や大沼公園ほか国内の公園造成に多大な貢献をしています。まさに「国土づくりの神」といわれる方ですね。
原宿駅から代々木方面に向かうと天皇陛下専用のお召し列車の発着に使われる「宮廷ホーム」があり、その先に近代的な建物に囲まれて延命寺があります。すでに本堂や墓地の塀もコンクリートで、そこに押し付けられる形で庚申塔の石仏群が建っています。開発の波に呑まれながらも延宝8年(1680)や宝永7年(1710)などに造立された庚申塔だけが、江戸の生き証人になっているのです。

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2007年01月16日

スタンプ物語13・代々木駅

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山手線がいったん中央線と合流するのが代々木駅です。スタンプは「明治神宮北参道と近代ビル」。原宿に続いて明治神宮が描かれているのは、それだけ明治神宮が広い証でしょう。ちなみに当神宮には代々木口と呼ばれる西参道もあり、こちらは小田急線参宮橋が最寄になります。
北参道からだと明治神宮宝物殿に近く、こちらへ行かれる方は代々木下車が便利です。ただし、開館は土・日曜、祝日が中心で、平日は開館していないので注意。奈良正倉院の校倉造りを模した建物は大正10年(1921)に竣工され、2003年には東京都の歴史的建造物にも選定されていますので、一見だけでも価値はありますが。
もうひとつスタンプに描かれた近代ビルは2000年に竣工したNTTドコモ代々木ビルです。「近代ビル」とぼかしたのはビル名が長すぎるためでしょうか、あるいは使用許諾の問題があったのかもしれません。過去にスタンプに会社のロゴを入れて、後でその部分を削ったいわくつきのものがありましたから……。ニューヨークのエンパイアステートビルを思わせる当ビルは地上27階高さ240m。都内では東京都庁第一本庁舎に次ぐ2番目の高さを誇りますが、内部の大半は通信機器とサーバで埋め尽くされ、ドコモ傘下の携帯電話のメールやパケットデータの配信を行っています。よって強固なセキュリティシステムによってガードされ、部外者は立ち入りできません。
代々木は新宿との駅間が700mしかなく、新宿御苑にも近いのですが、こちらは隣駅の中央線千駄ヶ谷が最寄りとなるため、当駅でのお江戸史跡はこれ以上言及できないのも事実です。でも代々木といえば気になるのは、B級スポットとして有名な代々木会館です。代々木駅隣にありながら築50年以上になろうかという6階建のビルで、かつて『傷だらけの天使たち』(1974-1975)のドラマのロケにも使われたようですが、管理人も昔中国書専門の東豊書店に行ったとき、その魔窟ぶりに度肝を抜かれました。老朽化がひどく数年前から取り壊しが決まっていたようですが、テナント権利関係の複雑さから立ち退きが思うようにいかず、新築が遅れに遅れていたようです。昨年7月に行ったときは1階部分の『香蘭』はまだ営業していました。ラーメン250円、チャーハン350円のビックリ価格です。まさに『ALWAYS 三丁目の夕日』を思わせる古きよき昭和の雰囲気を味わえる聖地だったのですが、2007年1月現在でどうなっているのかわかりません。近々代々木に行く機会がありますので追信したいと思いますが。

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2007年01月17日

青春18きっぷで“スロートラベル”を楽しもう

本日は管理人以外の会員からの初投稿。記念すべき第一号は小関秀彦さんです。

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JRの格安切符の決定版「青春18きっぷ」が人気を集めております。一日2,300円でJRの普通列車が乗り放題となるため、格安旅行の定番アイテムとして“知る人ぞ知る”存在から徐々に一般層にも浸透してきました。旅行シーズンには同きっぷを題材とした刊行物も各社から出版され、レイルファンのみならず一般旅行者をも巻き込んだ静かなブームとなっています。旅好きが集まる本サイトをご覧の頂いている方の中にはご存じの方も多いかとは思いますが、ここでは本切符の利用方法をおさらいするとともに、その楽しみ方簡単にをご紹介します。
 青春18きっぷはそのネーミングから若者限定のイメージが強いのですが、年齢制限はなく大人も子供も利用可能(但し、ジパング倶楽部、学割などその他の割引との併用は不可)販売・利用可能期間は春・夏・冬の年3回となっており、販売価格は11,500円。1枚で5回使用することが出来、1回ずつスタンプが券面に押印されます。複数人数が同一行程で旅行する場合にも使用でき、その場合は人数分のスタンプが押印されます。
 片道71km以上、往復で141km以上乗車すればもとは取れるので、週末のちょっとした移動にも重宝します。また、ひたすら列車に乗り続けることを厭わなければ、高速バスをも遥かに凌駕する安価な移動が可能になるのです。

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 さて、この切符を語る上で欠かせない存在が、東京と大垣(岐阜県)を結ぶ夜行快速列車「ムーンライトながら」(写真)です。指定券(通常期510円)を事前に買い求める必要があるのですが(下り小田原以西は自由席の設定もあり)、充当されている車輌は特急用車輌でそれなりに快適に移動できるとあって大いに人気を集めています。下りの場合東京駅を23時43分発、大垣には5時55分に到着。本切符の有効期限は24時から翌日の24時までなので、日付の変わる横浜までは別途乗車券が必要になりますが、それでも3,000円ちょっとで東京から大阪まで行けるわけですから相当に激安です。列車では高速バスとは異なり通路を歩き回ることもできますし、もじ眠れなければ25分程度停車する浜松駅でコンビニに買い物に行くこともできます。
 さらに、「ムーンライトながら」から普通・快速を乗り継いでいけば大阪には8時、岡山には12時、福岡にも21時頃には到達できます(もちろん追加料金はかかりません)。どこかの温泉旅館のコマーシャルではありませんが、“乗れば乗るほど得をする”きっぷなのです。また、一部区間を特急で“ワープ”(この場合は特急券の他、乗車券も必要)したり、夜行快速列車で連泊するなどの裏技を駆使すれば、さらに面白い日程を組むこともできます。駅の中にはトイレや売店もあるので、気が向いた駅で途中下車を繰り返していけば国内旅行の面白さも再発見できるのではないでしょうか。
 ここ数年、あくせくした世相のアンチテーゼとして“スローライフ”なる概念が脚光を浴びていますが、青春18きっぷが人気を集めている要因にはコストパフォーマンスの良さに加え、効率最重視の新幹線で素早く移動するだけでは飽き足らない層が増えてきたこと(個人的には新幹線も大好きです。新幹線の魅力と楽しみ方についてはまたの機会に)も挙げられるあるのかもしれません。
 さて、最後に私のことを少しだけ書きます。父親の都合で引っ越しが多かった私は、何故かどこに行っても鉄道沿線に住むことになり、気が付けばどっぷり鉄道にはまっていきました。高校時代には故・宮脇俊三さん、種村直樹さんの本の影響を受け、日本の鉄道の全線完乗を志し、以来周遊券と青春18きっぷを利用した乗り鉄がライフワークとなりました。一度は全線完乗を果たしたものの、20代後半からしばらく海外の鉄道に浮気したこともあって、近年の新規開業区間には乗り残しが多くなり徐々にフラストレーションが溜まってきつつあります。そこで、今年は年末を目標に再び全線完乗を果たすことを目指すことにしました。もちろん乗るだけではなく写真と音も集めていこうと思ってます。その経過は随時本稿にてご紹介して参ります。今年は久しぶりに「18きっぷ」を利用することが多くなりそうです。

投稿者:小関秀彦
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2007年01月18日

新年早々

今年松の内に受け取った年賀状は約350通。外国人からのクリスマス・年賀カードが30通。
 旅ジャーナリスト会議のメンバーからの内容を拝見すると、新年早々旅へ出たり、編集作業や執筆活動に多忙の様子がよく分かる。

 会員の皆さんと同様、私も忙しく、1月早々ふるさと伊那市の市民大学講座へ講師として招かれ、12日にテーマ「ふるさとへの思い」を一時間半述べてきた。生徒は200人、まさしく私と同年代の人々。終わってから中高の同級生がヒョッコリ楽屋へ現れて、うろたえた。
「ふるさとへの思い」と言ういわば個人が感情のうちに秘めて、表現しにくいテーマを一般論として述べることはむずかしい。そのままテーマに沿って喋れば、自分の「ふるさとへの信仰告白」になってしまう。それじゃー誰も納得しないだろうと不安がいっぱいだった。
 話の流れとしては、①ふるさとという言葉の歴史と外国語での表現。②ふるさと感覚の目覚め。③私のふるさと、伊那市への思い雑感。④私にとっての未解決の問題(今の居住地を第二のふるさとと呼べるか、郷土を愛することは即国を愛することに通ずるのか)など。
 なお質疑応答の最後に、入笠山山頂に設置が提案されている風力発電30機について、私の意見を求める質問があった。三つの条件で「反対」と述べたとたん、会場のあちこちから拍手が湧きおこって、一瞬場の空気が引きしまったように感じられた。

 翌日の地元紙は「ふるさと大使森田さん 伊那のすばらしさ 市民大学講座で語る」という見出しで、大きく報じた。そして私の現在の経歴について触れ「現在は『旅ジャーナリスト会議』の代表を務める一方、観光評論家などとしても幅広く活動している」とあった。今年は当会が一般紙の活字に載る戦略を積極的に進めたいものだ。

 明日はクリスマスカードと一緒に送られてきた、私のことを写真付きで報じた12月21日付けの外国の新聞記事を紹介したい。どこの国のどんな新聞か――お楽しみに。

投稿者:森田芳夫
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2007年01月19日

私のことがオーストリア東チロル州の日刊紙(ドイツ語)に載りました。

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年が明けてもなお海外からのクリスマスや年賀カードが届いていますが、10日にオーストリア人メスナー氏から届いたカードに、私と家人のカラー写真入りの記事が載っている新聞が同封されていて、本当にビックリしました。
 昨年9月14日、インスブルックからパノラマ画家フィールキント氏のアルファロメオで遥々3時間、アルプスをトンネルで抜けて、東チロルのアイネート村へ行って来ました。そこで故ベラン画伯(1915-1999)の展覧会が開かれていたのです。ベラン画伯は20世紀を代表する山岳パノラマ画家で、生涯に約600点のパノラマ画をインスブルックで制作、アメリカのナショナルジオグラフィック誌からも制作を依頼されたほどの名声を馳せた人です。日本を舞台に、富士山、スキーの白馬、地図の街佐原などを描き、弟子のフィールキント氏は上高地、飛騨全域を描きました。
 1982年、私はオリジナル出版の『ベランのパノラマーアルプスとヒマラヤの世界』を企画、編集し、当時編集者として勤務していた実業之日本社から発行、この本は大英図書館や各国の大学からも注文がありました。

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 新聞は「東チロル時報」06年12月21日。見出しは「日本の出版人がベラン展へ」とあります。そして「展示企画者メスナー氏がこの著名な編集者の来訪を特に喜んだ」と報じています。会場は室内展示と戸外展示に分かれ、戸外展示の広場には石を並べた世界地図が広がり、写真はまさに日本の部分を指差している情景です。

さて、明日は旅ジャーナリスト会議の年誌『旅行主義』第4号の執筆テーマを何にするか、20日例会で検討する内容を巡って、欠席会員から寄せられた話題などを紹介しようと思います。

投稿者:森田芳夫
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2007年01月20日

年一回発行の会員誌『旅行主義』第4号、今年の執筆テーマはなに?

1年1回発行の会員総執筆の雑誌『旅行主義』は、今日的な「旅」をめぐる問題が何であるかを会員で検討し、そのテーマに即した内容や、旅、地域起しなどのルポ、紀行などを満載し、関係方面に幅広く配布しています。
 今年は6月3日(土)に予定されているセミナーと総会にあわせて発行日を決定していますが、今日開かれる1月の月例会でそのテーマが決まります。

 これについて、過日会員である伊佐九三四郎さんから葉書を頂きました。
 今南半球オーストラリアのコジオスコ山などへ登山に出かけているとのことですが、その内容をご紹介します。テーマは次の通りです。
 
①追跡・団塊の世代
②変わるか観光地
③どう変わる観光地
④追跡・団塊の世代ジュニア 
大きなとらえ方として
⑤旅はどう変わるか

 これらも大切な検討材料として今日検討され次号のテーマが決定されますが、『旅行主義』の各方面の反応は思わぬところから来ています。
 2号(2005年発行)の特集『市町村合併と観光』に寄稿した拙稿「『美濃』の馬籠に木曽節が流れる」が、馬籠(現岐阜県地籍・元長野県地籍)にある島崎藤村ゆかりの展示館「藤村記念館」の理事長の眼に留まり、昨年夏同様の主旨でいいからと執筆依頼がありました。
 それは同館発行の「藤村記念館だより」116号に1頁で掲載されました。私の主張の骨子は「観光パンフレットに見る行政の悪平等主義は、そう扱われた者が内側から壊して行くべき」というものです。

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 興味のある方にはコピーを差し上げますのでお申し出ください。

投稿者:森田芳夫
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2007年01月21日

『風林火山』第3回「摩利支天の妻」

森田代表の3日連続投稿などもあって、しばらく管理人はお休みさせていただきましたが、日曜は管理人担当ということで、『風林火山』第3回です。
今回は史実とはあまり関係なく、最後以外はまったりとした内容でした。勘助が思い人ミツのいる葛笠村に行くと、ミツが妊娠中。勘助の子が宿っています。一方、晴信(信玄)も父信虎に疎んじられ、放蕩三昧の日々を送ります。そして以前出会ったミツを侍女に所望しますが、原美濃守が葛笠村へ行くと、ミツのお腹はすでに大きく、晴信に召し出すのを断念。このあたりは信玄と由布姫、勘助の微妙な三角関係の伏線なのでしょうか。
しかし、まあ勘助、ミツと農耕して暮らしているうちに、箱庭で城の縄張り造っているものの、ミツに「こんなところで百姓している人ではない」と問いただすと、勘助は「そなたはワシの城じゃ」と思いっきり家庭に入っている。似合わね~。本当だったらミツが「ワタシを捨ててでも天下に名をお残しください」と言い、勘助は黙って去っていくほうが実像に近いのに。実際の勘助の子としては、晩年に原美濃守虎胤の姪か妹を娶り、三男一女がいたとされます(新城市黒田の山本家系図)。文化年間(1804~18)に成立した『甲斐国誌』には、天正3年(1575)の長篠の戦いで、勘助長男の勘蔵信供が討死したと記されており、年齢を推察すると、勘助に子ができたのは1550年代とみられます。まあ、それ以前にも子がいたかもしれませんが、信玄に仕官して知行をもらうまでは所帯をもつなど難しいことだったでしょう(今回はミツのヒモになっていますが)。
貧しくとも幸せな日々を送る勘助夫婦に新たなる魔の手が。信虎が鹿狩りに出かけた際、信虎が鹿を射ようとしたまさにその瞬間、タイミング悪くミツの物音に気づいて鹿は逃げてしまい、怒りのあまり信虎はその矢先をミツに向けて放つというところで次回に続きます。
歴史紀行は今回愛知県豊川市が紹介されていました。当ブログでは一週間前の第2回で紹介しており、まさに予測が的中したといえましょう。今回のような史実にない設定ですと、そのドラマの舞台とは関係のない土地を紹介せざるを得なくなるのが辛いところです。甲府市も何度かに分けて紹介されることでしょう。でも、もうひとつの生誕地で知られる愛知県豊橋市賀茂町は紹介されないのかな?
ということで管理人の写真から先に愛知県豊橋市賀茂町を紹介します。

kansukeseitanchi.jpg honganji.jpg kansukehakuto.jpg

JR飯田線豊川駅からタクシー。
豊橋市賀茂町字出口には山本勘助の生誕地の碑(左)があり、近くの菩提寺である本願寺(中央)には、勘助両親の墓も安置されています。またこの付近は勘助子孫の方が品種改良した勘助白桃(右)の産地でも知られ、甘くておいしいと評判。毎年夏場に出荷されます。クルマ以外のアクセスが不便なのですが、豊川市の地域文化広場(9~17時、月曜休)では、無料のレンタサイクルがあり、史跡散策の強い味方になってくれます。

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2007年01月22日

スタンプ物語14・新宿駅

6日ぶりになりますが、本日は会員からの投稿がなかったので、管理人の埋め草趣味にお付き合い願います。

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スタンプはお江戸シリーズでなく、明治18年(1885)3月1日に開業した新宿停車場が描かれています。JR山手線の前身である日本鉄道赤羽~品川間が開業したときに設けられた駅で、ずいぶんと殺風景ですが、当時は町はずれの角筈に設けられたため、利用客は少なく雨の日などは利用客0人だったこともあったようです。その後、甲武鉄道(現在のJR中央本線)が立川まで開業。その後も京王や小田急など私鉄の乗り入れが相次ぎ、一大ターミナルに変貌しました。2005年度の乗降客数はJRで約151万人で第1位。各社総合では約347万人で世界第1位を誇りますから、このスタンプは駅の歴史を語るうえでは貴重な史料といえるでしょう。
ただ、新宿はお江戸とも縁が深く、甲州街道の宿駅で栄えました。甲州街道は当初、日本橋から高井戸まで4里(約16km)あり、起点と宿場までの距離が長いため、多くの旅人が難儀していました。そこで元禄11年(1698)に設けられたのが内藤新宿です。信州高遠藩主の内藤氏の中屋敷(現在の新宿御苑)があったため、こう呼ばれました。新宿駅西口から出て新宿3丁目から四谷4丁目にかけての通りには、内藤家代々の墓所と都内最大の閻魔像で知られる太宗寺、奪衣婆で有名な正受院、江戸後期の戯作者・恋川春町の墓のある成覚寺、江戸三名鐘のひとつ「時の鐘」のある天竜寺など、見どころがたくさんあります。また約60年前から続く追分だんご本舗は、甲州街道と青梅街道が分岐する「追分」の名を残すだんごの店で、だんごを頬張れば往時の街道旅の雰囲気を味わうことができます。
新宿にはもうひとつ「都庁とあずさ号」のスタンプ(右)があります。1999年に新宿指導センターが独自に製作したもので、管内の山手線・中央線の駅に設置されたのですが、その後支社統一印設置のため、現在ではほとんどの駅で消滅しました。お辞儀している駅員は新宿地区のマスコット「しんちゃん」です。このスタンプは2007年1月現在、同じものが2カ所に保管されていますが、東口みどりの窓口は結構並ぶことになるので、おすすめは南口インフォメーションセンターのほう。きれいな受付嬢が応対してくれます。

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2007年01月23日

スタンプ物語15・新大久保駅

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新大久保駅のすぐ西側に皆中(かいちゅう)稲荷神社があります。この付近は徳川幕府の将軍警護を目的とした鉄砲組百人隊の屋敷があったところで、現在も「百人町」の地名が残っています。創祀は天文2年(1533)と古く、鉄砲組与力がこの稲荷神社にお参りをしたところ、射撃が百発百中となり、「皆中(みなあたる)の稲荷」と呼ばれるようになったといわれています。その後、射撃だけではなく「当たる」ものに御利益があるということで、現在は「ギャンブルの神様」として親しまれているそうで、馬券や宝くじを当てたい方は一度参拝するとよいかもしれません。この皆中稲荷神社で隔年の9月下旬に行われるのが、スタンプにも描かれている「鉄砲組百人隊」による出陣行列です。
昭和36年(1961)に江戸幕府鉄砲組百人隊保存会によって復活。甲冑に身をまとった鉄砲隊百人組が法螺貝の音とともに皆中稲荷神社から百人町を行進し、数箇所で実際に火薬を使った火縄銃の試射が行われます。現在は新宿区の無形民俗文化財に登録されており、すさまじい轟音はまさに迫力満点。本年度はこの儀式が行われる年ですので、ぜひお忘れなきように。
ところでこの鉄砲組百人隊屋敷は、時代考証家・名和弓雄氏の説によると、万が一、将軍が江戸城を追われた際に地下坑道で甲州へ抜ける退避路が設けられており、将軍警護のための要塞の役割を果たしたといわれます。皆中稲荷神社の拝殿にも抜け穴があり、江戸城の半蔵門から通じているといわれ、半蔵門といえば伊賀衆の頭領・服部半蔵に由来しています。鉄砲組百人隊というのは忍者で知られる伊賀・甲賀衆や、鉄砲の扱いに慣れていた雑賀衆および焔硝・弾丸の製造保管・配給を行った玉ぐすり方の青山組などで構成されていました。また、8代将軍吉宗が創設した幕府お抱えの忍び「お庭番衆」にも、吉宗の故郷・紀州から伴ってきた忍びのほかに、伊賀・甲賀衆がいたとされます。
江戸城は慶応4年(1868)に戊辰戦争で無血開城されたので、鉄砲組百人隊の出番はありませんでしたが、定期的に軍事演習があったことは確かで、その伝統は今も受け継がれています。
なお、新大久保駅周辺はコリアンタウンと呼ばれ、韓国料理の店がたくさん並んでおり、韓流ブームでも賑わいをみせています。また、中央線大久保駅とは、大久保通りで200mほどしか離れておらず、そのまま大久保まで歩いても5分とかかりません。スタンプコレクターの方はこちらにも立ち寄るといいでしょう。

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2007年01月24日

スタンプ物語16・高田馬場駅

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高田馬場の地名は、寛永13年(1636)に幕府によって造られた馬術の訓練場に由来しています。家康6男で越後高田藩主の松平忠輝の生母高田殿の庭園があったことから「高田」ととったとも、一帯が高台であったことから「高田」と呼ばれていたともいいます。実際に高田馬場があった場所は旧戸塚村で、現在の西早稲田3丁目あたりですから、駅からは1kmほど東にあり、明らかに東京メトロ東西線早稲田駅のほうが最寄となります。スタンプに描かれていますのは、毎年10月に行われる流鏑馬です。鎌倉期の狩装束に身を包んだ射手が、約200mの直線を馬で疾走しながら3つの的を射抜いていく馬術で、西早稲田2丁目にある穴八幡神社の境内を出発した馬場行列は午後2時頃、戸山公園内の会場で流鏑馬を披露します。外国人にも人気の高い日本伝統行事。新大久保の鉄砲演舞同様、要チェックです。
また江戸の史跡として近くには戸山公園もあります。園内にある箱根山は山手線内で一番高い44.6mの人造の小山で、寛文年間(1661~73)に尾張藩主徳川光友によって回遊庭園が造られました。起伏のある公園は憩いの場となっています。
高田馬場には1999年に新宿指導センターが独自に製作したスタンプ(右)も残っています。こちらに描かれているのは、早稲田大学と水稲荷神社境内に建つ堀部安兵衛武庸加功績跡の碑です。講談でもおなじみの「決闘高田馬場」です。元禄7年(1694)2月11日、御前試合で菅野六朗左衛門に負けた村上庄右衛門が、高田馬場で再決闘を申し込んだが、村上は菅野を騙し討ちにしようと、仲間を集め菅野は苦戦します。そこに菅野と叔父・甥の契りを結んだ中山安兵衛が助けに駆けつけて形勢逆転。不利になった村上らは逃げ出します。この安兵衛の武勇を聞いた赤穂藩士の堀部弥兵衛が娘婿に迎え、赤穂浪士の一人堀部安兵衛となるのです。

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2007年01月25日

スタンプ物語17・目白駅

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目白駅のスタンプは「目白ろまんすテーション」。2000年7月に完成した3代目駅舎です。開業は明治18年(1885)で、大正8年(1919)に改築され、全国初の橋上駅舎となりました。早稲田と同じ学生の街なのですが、こちらは学習院大学・川村学園女子大学と付属の小中高があり、女子学生であふれています。周辺は学校敷地が多いのですが、少し足を延ばして15分ほど歩けば、駅の西側におとめ山公園があります。おとめ山は「乙女山」でなく「御留山」と書き、江戸期は徳川家の狩猟地で一般の立ち入りが禁止されていました。敷地内の傾斜地から湧水が出ており、この清水を利用してホタルの養殖も行われ、毎年7月にはホタル鑑賞会も開催されます。まさに都心の秘境ですね。さらに道路を隔てた東側にも池があり、カルガモの親子の姿も見られます。公園を東西に分ける道路には「カルガモ横断注意」の標識までありますから微笑ましいですね。
反対に駅から目白通りを東へ500mほど歩くと都電荒川線が走っており、安産・子安で有名な鬼子母神がありますが、これは次のネタになってしまいますので、今回は割愛します。ちなみに目白の地名は江戸五街道守護の五色不動(目白・目赤・目青・目黄・目黒)のひとつ目白不動に由来しており、目白不動の金乗院は、この先の豊島区高田にあり、駅から歩くと25分ほどかかります。まあ目白通りにはバスも走っていますので、鬼子母神のバス停で降りれば近い(徒歩7分)ですが。

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2007年01月26日

スタンプ物語18・池袋駅

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池袋のスタンプは「鬼子母神とすすきみみずく」です。鬼子母神は昨日の目白駅からも近いのですが、池袋でも東口から明治通りを南下すれば徒歩10分程度です。このスタンプには池袋~雑司ヶ谷間をLRT(超低床式路面電車)で結ぶ構想への意図が込められているかもしれません。まだ未知数ですが、実現すれば鬼子母神へのアクセスもグッと便利になりますから。
本当は都電荒川線に鬼子母神前の停留場があり、そこからが至近なのですが、樹齢数百年のケヤキ並木の参道の先に法明寺鬼子母神堂があります。鬼子母神とはインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供(500人とも1000人ともいわれる)を産みました。しかし、性質は暴虐で近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。そこでお釈迦様が末の子を隠して、我が子を失う母の苦しみを悟らせ、仏教に帰依させたとのことです。
鬼子母神堂は永禄4年(1561)に山村丹右衛門が現在の目白台付近で鬼子母神像を掘り出し、東陽坊に祀ったのが始まりで、天正6年(1578)年に現在地に移ったといいます。現在の社殿は寛文4年(1664)の建立で、豪華な彫刻が施されており、東京都指定有形文化財に指定されています。境内に一軒ある駄菓子の『上川口屋』は江戸時代からの老舗で、毎年10月16~18日に行われる御会式大祭では『名所図会』にも描かれている郷土玩具すすきみみずくを買うこともできます。1800年頃、病の母を看病する久米という娘が、家が貧しいため薬も買えず、鬼子母神にお祈りを続けていたところ、ある夜、夢枕に突然蝶(鬼子母神)が現れ、「すすきみみずく」の作り方を教えてくれました。これを門前で売ってみたところ、飛ぶように売れて母親の薬も買えるようになり、母の病気も治ったという孝行物語です。
また、毎週日曜と縁日(8・18・28日)鬼子母神境内の大黒堂では、おせん団子も売られます。おせん団子は鬼子母神に千人の子供がいたことにあやかり、たくさんの子宝に恵まれるよにという願いに由来し、江戸期には鬼子母神参詣のお土産でも知られていました。おせん団子は近年復活したようです。
ところで池袋は現在でこそ新宿の次に乗降客数が多いのですが、明治28年(1895)に日本鉄道品川~赤羽間が開通したとき、何もない農村地帯だったため駅が設けられませんでした。明治35年(1902)にようやく信号所として開設し、その後、現在の山手線となる田端への支線を分岐する際に、当初予定されていた目白での分岐を、地形の問題や住民の反対で池袋に変更されたため、翌年に駅として昇格しました。しかし、その後も駅の東側に広大な巣鴨プリズンがあったため、思うように発展しませんでした。サンシャインシティや東武・西武の百貨店など派手な変貌を遂げるのは戦後のことです。
池袋にはそんな発展を記すような1985年9月30日の埼京線開業記念スタンプ(右)のほかに1988年3月13日の東北・高崎線の電車乗入記念スタンプ(2種類)が東口駅長室に保管されています(2007年1月現在)。もっとも駅長室までスタンプを押しに訪ねてくる客も稀のようなので、管理人が訪れたときは、ずいぶんと気持ちのよい応対に感激しましたが。

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2007年01月27日

スタンプ物語19・大塚駅

今週は結局管理人の執筆だけで終わってしまいました。会員の皆さん、例会で打ち合わせした件の約束を守り、皆で協力していきましょうよ。

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スタンプの絵柄は「駅舎と都電」です。山手線内では唯一都電荒川線に接続しており、大塚駅前停留所があります。また駅は高架にもかかわらず、北口と南口が改札で分断されており、通り抜けるには都電のホームを歩くしかありません。現在は自由通路の建設が進められているようですが。
この都電荒川線は三ノ輪橋~早稲田間12.2kmを走る路面電車です。かつては都内に縦横無尽に張り巡らされ、41系統最大総延長213kmにおよんだ交通網でしたが、モーターリゼーションと東京都交通局の経営悪化によって、1967年から1972年にかけて181kmの区間が廃止されました。都電荒川線は27系統と32系統を統合して、現在に至っています。当区間には30もの停留場が設けられ、下町や江戸の史跡散策には最適な路線です。料金は均一160円。1日乗車券は400円という格安で、3回乗ればモトがとれてしまうすぐれものです。のんびり散歩するなら都電に乗って移りゆく町の風景を楽しむのもいいかもしれません。沿線には荒川遊園地・飛鳥山公園・高岩寺(とげぬき地蔵)・雑司ヶ谷霊園・鬼子母神など見どころがたくさんあります。
大塚駅周辺の史跡としては、南口徒歩2分のところに天祖神社があります。大塚駅は文京区でなく豊島区にあり、現在は豊島区南大塚となっていますが、旧来は巣鴨と呼ばれていました。ここが旧巣鴨村の総鎮守でした。鎌倉期の元亨年間(1321~23)創建と伝わり、境内にある樹齢600年といわれる夫婦銀杏は太平洋戦争の際、空襲で焼け焦げになったのに、いつの間にか青々と葉をしげらせて生き返ったといいます。自然の生命力には感服しますね。また同じく南口から徒歩10分のところには東福寺があります。石段の参道には明治37年(1904)に建てられ道標の役割を果たした庚申塔や、付近に牧場があったことにちなむ「疫牛供養塔」も建っています。

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お詫びと訂正
事務局から送信しました2007年の1月例会報告で、新規会員の大谷氏がブルボンクリエイションの非常勤スタッフとなっていましたが、WEB制作およびPCメンテナンスの誤りで、大谷氏は現在アパレル会社通販部門に勤務しております。会員限定報告のほうで訂正いたしましたが、大谷氏には深くお詫び申し上げます。
あと『フリーきっぷガイド』2007年度版のブルボンクリエイションの問い合わせ住所も変わっています。詳しくは「会員限定報告」をご覧ください。

2007年01月28日

『風林火山』第4回「復讐の鬼」

いきなり衝撃的な信虎の乱行が描かれていましたね。勘助の思い人ミツに向かって矢を放ち、かろうじて摩利支天にお守りに当たって助かったものの、信虎は妊娠中のミツの腹を裂き……さすがに画面には写せませんが。この信虎の乱行は伝説の類なのですが、乱行で妊婦の腹を裂くというのは、豊臣秀吉の養子秀次や家康次男秀康の子松平忠直にも見られ、乱行に共通する行為ですが、もちろん一級史料には見られず、後世の創作と考えられます。
しかし、ミツの縁者関係を板垣信方が召し抱えるという設定にはちょっと無理が。そんな怨みをもつ人間を召し抱えれば、寝首をかかれる可能性が高くなるだけです。勘助なんかいきなり信方に斬りつけていますし。「無礼討ち」されてもおかしくないくらいです。結局、ミツに片思いしていた平蔵は甲斐を去り、勘助とミツの兄伝助と村人の太吉は勘助と一緒に武田家に仕えることになります。信玄の器量の大きさを強調したいような設定ですが、勘助は初対面では「青二才が」と怒って去っていきます。
勘助はその後、板垣に今川の間者として潜伏するように命じ、勘助はそのまま今川に情報を漏らし武田を滅ぼそうと画策します。この設定もすごく変。わざわざ寝返る人間を相手に送り込むでしょうか。それとも武田側も「埋伏の毒」で、勘助を逆利用しようとでもいうのでしょうか。
そして天文5年(1536)3月17日、駿河の当主今川氏輝と弟の彦五郎が急死。氏輝の弟にあたる正室寿桂尼の子で出家していた梅岳承芳(のちの今川義元)と、側室の子で出家していた玄広恵探との家督争いとなる花倉の乱へと発展していきます。まさかこの今川の内乱にまで勘助が首を突っ込む設定とは……ということは間接的に今川義元の人質であった松平竹千代(徳川家康)や織田信長あたりとも絡むのでしょうか。関西エリアの視聴率をとるには効果的ですが。
史跡紀行はいきなりとんで山梨県北杜市の山本勘助の子孫と伝わり、屋敷に勘助の墓がある山本勘助屋敷を紹介していました。これは勘助が信玄に正式に仕える天文12年(1543)以降に知行を与えられたと伝わる場所なのですが、ドラマではすでに勘助が仕官という形になっているので紹介したのでしょうか。うーんそれにしてもドラマとの関連性が薄い。この山本勘助屋敷墓は、勘助子孫の方の個人宅でこれまで一般にもほとんど知られていなかったのですが、昨年夏から公開されるようになったということです(墓参料100円必要)。最初訪れたとき、個人宅の所蔵品を拝観させてもらえるなんてビックリしましたが、そればかりか記念スタンプまで用意している力の入れようです。の勘助スタンプは家に伝わる肖像から起こしたもので、勘助が絵柄になったスタンプとしては全国唯一のものではないでしょうか(個人宅なので都合により墓参りできない場合もありますので予めご了承ください)。

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2007年01月29日

サヨウナラ鹿島鉄道

本年3月31日を以て、茨城県のローカル私鉄・鹿島鉄道が約83年間の歴史に幕を閉じることになりました。マイカーの爆発的普及、高校生の減少、貨物輸送の廃止などの様々な逆風にも堪え続けてきた同鉄道ですが、親会社の関東鉄道がつくばエクスプレスの開業によるバス事業の不振で同鉄道に対する支援を打ち切ったことが決定打となり、住民の存続運動も空しく昨年末、廃止が正式に決定したのです。
 私も廃止フィーバーの起こる前に一度ゆっくり乗車しておきたいと思い立ち、先週末鹿島鉄道の“乗り鉄”を楽しんで参りました。

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 同鉄道を訪れたのは約20年振りですが、鹿島鉄道石岡駅に至る跨線橋やホームの雰囲気は当時とほとんど変わっていません。さっそく土・日曜、休日のみ発売の「鹿島鉄道一日フリーきっぷ」(鹿島鉄道全線が乗り放題で1,100円)を入手。石岡と鉾田の片道運賃が1,080円なので、これはなかなかの“お値打ち切符”。乗車した車輌はKR500形という平成初期に製造された気動車。前回同線に訪れた際に乗車したのはキハ600であったので、本形式には初めての乗車ということになり気分も盛り上がります。ともすれば味気ない存在と思われがちなこの種の軽快気動車ですが、シートピッチも広く身体の大きい私にとっては快適な車輌です。また、大きな側窓からは車窓風景がじっくり味わえます。
 列車は石岡駅を出発後しばらく国道と併走。しばらくは郊外型量販店や分譲住宅が建ち並らぶ都市近郊の風情なのですが、常陸小川を過ぎると車窓は一変。田畑や雑木林が増えのんびりムードが溢れてきます。さらに、桃浦からは車内から霞ヶ浦が望めるなど、同鉄道の車窓風景はなかなかバラエティに富んでいます。霞ヶ浦が遠ざかってからは運転台横の立ち席スペースに陣取り、今度は前面風景を堪能。あっという間に55分の乗車時間は過ぎていきました。20年前は何気なく“斜め乗り”したので、これといった印象が残っていなかったのですが、今回は終始集中していたこともあってか、いつになく充実した旅行を満喫できました。

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 なお、鹿島鉄道にはKR500の他に、夕張鉄道(現存せず)出身のキハ714、元加越能鉄道加越線(現存せず)出身のキハ430(写真左)、元国鉄キハ07の改造車であるキハ600(写真右)など希少性の高い車輌が在籍していますが、残念ながらこれらの車輌も同鉄道とともに鬼籍に入ることが決定しました。 
 鹿島鉄道では現在記念硬券入場券やDVD、鹿島参宮鉄道時代の復刻懐中時計など“さよなら記念グッズ”を販売中です。詳しくは同鉄道ウェブサイト(http://www.katetsu.co.jp/)で。

投稿者:小関秀彦
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2007年01月30日

スタンプ物語20・巣鴨駅

うーん、夜半になるとレンタルサーバーの回線が集中するのか、つながりがものすごく悪い!

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スタンプは「桜ととげぬき地蔵」。桜というのは駅北口から徒歩5分の染井霊園のサクラです。日本の国花である代表的なサクラ・染井吉野は、江戸末期から明治初期にかけてこの旧染井村で、造園師や植木職人によって育成されていた吉野桜(ヤマザクラ)が発祥です。のちの調査でヤマザクラとは別の品種とわかり、明治33年(1900)に『日本園芸雑誌』で「染井吉野」と命名されました。これが明治から戦後にかけて日本全国に植樹され、サクラの開花全線にもこの染井吉野が基準になっています。霊園内には約100本の染井吉野が植えられ、サクラの名所としても知られますが、墓地には『智恵子抄』の高村光太郎・智恵子夫妻や、明治の小説家・二葉亭四迷などの著名人も眠っています。また、近くの本妙寺には遠山金四郎一族、慈眼寺には芥川龍之介・谷崎潤一郎の墓もあり、お参りに来る人があとを絶ちません。
染井霊園のすぐ西に「とげぬき地蔵」で有名な高岩寺があります。扶岳太助が慶長元年(1596)に江戸神田湯島に創建し、明治24年(1891)に現在の巣鴨へ移ってきました。「とげぬき地蔵」の由来は、江戸の正徳年間(1711~16)に毛利家の女中が誤ってトゲを飲み込んだ際、地蔵の御影(肖像)を飲み込んだところ、トゲが抜けて外に出てきたそうで、以来、病気やけがの治療にきく地蔵ということで、多病のお年寄りが来るようになりました。この延命地蔵尊は秘仏のため非公開ですが、御影の札が1枚100円で売られており、お守りで身につけるもよし、細かくちぎって飲むもご利益があるといわれています。また、洗い観音と呼ばれる観音様は、自分の治癒したい部分を濡れタオルで拭くとご利益があります。昔はタワシでこすっていたのですが、磨耗が激しいため、初代観音様は2代目観音様の後ろの祠に納められています。
参道にあたる巣鴨地蔵通り商店街は、毎月4のつく(4・14・24日)は縁日となり、露店で賑わい、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる所以もそこにあります。高齢者向けの洋品や衣料品の店があるほか、甘味処・食事処・和菓子屋なども建ち並び、最近は若い女性にも人気があるようです。

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2007年01月31日

スタンプ物語21・駒込駅

本年度元旦から始まった旅じゃBLOGも1カ月を迎えました。管理人の負担がいっぱいでこのまま続くかどうかは、その他会員の投稿にかかっています。

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スタンプは「六義園とつつじ」です。六義園は南口から徒歩7分。徳川5代将軍綱吉の側用人・柳沢吉保が元禄8年(1695)に駒込の地を拝領し、7年がかりで下屋敷と「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。「六義園」という名称は、中国の古い漢詩集『毛詩』の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来しています。まさに吉保の文学的造詣の深さを象徴する庭園といえます。明治21年(1888)に、三菱創設者の岩崎弥太郎氏が購入し、昭和13年(1938)に東京市に寄贈されて一般公開されることになりました。昭和28年(1953)には国の名勝に指定されています。桜や紅葉など四季折々の風景が楽しめる庭園ですが、なかでもツツジは有名で、4月下旬~5月上旬はヤマツツジ・ドウダンツツジ・リュウキュウツツジなどさまざまなツツジに彩られ、「ツツジまつり」も行われます。
駒込といえばもうひとつ忘れていけないのが、北口徒歩10分ほどのところにある旧古河庭園です。こちらは京浜東北線上中里駅が最寄で、スタンプも上中里駅で紹介されていますので、詳細は割愛しますが、4月中旬~下旬はツツジが見頃です。
六義園や旧古河庭園に見られるツツジは、まさに駒込を代表する「花」といえますが、もうひとつツツジで見逃してはいけないのは駒込駅です。明治43年(1910)の駒込駅開業を記念して、近隣の植木屋さんによって植えられたもので、ホームに立つと線路沿いに彩られるツツジが乗客を和ませてくれます。

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2007年02月01日

スタンプ物語22・田端駅

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スタンプは「駅舎と新幹線」です。描かれている駅舎は改築前の北口ですが、現在、田端駅は駅舎の改築が進み、2008年秋に完成の予定です。駅舎が完成した際にスタンプの絵柄も変わるのでしょうか? 気になるところではあります。山手線は田端で再び京浜東北線と合流しますが、この京浜東北線と並行して東北・山形・秋田・上越・長野新幹線が走っています。新幹線の高架の下に田端車両基地と機関区があり、はやて・こまち・やまびこ・つばさ・とき・あさまなど各新幹線の車両が見られ、機関区にはEF81・EF66の電気機関車やその他の車両があるので、レイルファンには見逃せない場所です。
スタンプは鉄道中心の紹介となっていますが、付近には名所・旧跡もたくさんあります。田端は元々閑静な農村でしたが、上野に東京美術学校(現・東京芸術大学)ができると、小杉放庵(洋画)や板谷波山(陶芸)など若いアーティストたちが住むようになり、大正3年(1914)に小説家の芥川龍之介が転居してきたのを皮切りに、室生犀星・荻原朔太郎・菊池寛なども集まるようになり、文士村が形成されました。北口から徒歩1分のところに「田端文士村記念館」があり、各文士たちの旧居跡を記した散策マップが手に入りますので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。開館は10~17時、月曜と祝日の翌日が休館です。
この文士村エリアには赤紙仁王で知られる東覚寺があります。寛永18年(1641)に彫像された二体の金剛力士像があり、寺で分けられる2枚の赤紙(有料)を自分の治癒したい部分にそれぞれ貼るとご利益があるとされ、治った場合は草鞋を奉納します。他にも上野戦争のときに彰義隊が隠れたという洞窟がある田端八幡神社や、相模小田原藩大久保家と伊勢亀山藩石川家の菩提寺である大久寺、正岡子規の墓がある大竜寺など、由緒ある寺社も点在。画面だけで語り尽くせないのが田端なのです。
田端にはみどりの窓口(8~20時)に開業百周年のスタンプ(右)も設置されています(2007年1月現在)。明治29年(1896)開業で、百周年が平成8年ですから、すでに110周年を昨年迎えていますが、ただでさえ押す機会の少ない記念スタンプを、ファンのために残してくれているのは嬉しいことですね。

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2007年02月02日

スタンプ物語23・西日暮里駅

西日暮里は山手線内で最も新しくできた駅で、営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線の乗り換え駅として昭和46年(1971)4月20日に開設されました。そのため次の日暮里駅までは500mしかなく、隣駅のホームまで確認できます。

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スタンプに描かれているのは、安藤広重『江戸名所百景』のひとつ「日暮里諏訪の台」です。駅から西南に100mほど行くと諏訪神社があり、この付近の台地が「諏訪の台」と呼ばれていました。室町後期に名将太田道灌が江戸城を築いた際、当地に出張りの砦を築いたので「道灌山」とも呼ばれています。諏訪の台には谷中七福神の寺院があり、諏訪神社の西にある青雲寺は花見寺と言われ四季折々の花が咲く名所でした。『名所百景』では桜の下で眼下の街並みを望む風景が描かれています。また南にある浄光寺は雪見寺と言われ、古くから家光の鷹狩りの御膳所にもなっていました。
西日暮里にはもうひとつシャチハタ形式のスタンプ(右)も保管されており、改札係員に申し出れば押すこともできます(2007年1月現在)。こちらのスタンプに描かれている「富士見坂」は西日暮里と日暮里の中間にあり、数多くある富士見坂の中では、都内で唯一富士山が見える坂となっています。 澄んだ晴れの日がチャンスだそうですが、江戸期に比べ望める機会が減ってしまったのも、時代の移り変わりを感じさせます。

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2007年02月03日

スタンプ物語24・日暮里駅

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日暮里駅のスタンプは、国鉄時代の昭和55年(1980)に設置された「わたしの旅スタンプ」(右)と同じ「谷中七福神」です。現在のスタンプは七福神が描かれていますが、国鉄時代のものは日暮里駅最寄の「毘沙門天」が祀ってある天王寺が描かれています。ここで国鉄時代のスタンプを紹介したのは、日暮里駅には2007年1月現在、「わたしの旅スタンプ」も保管されており、北口係員に申し出れば押すことができるからです。管理人も2~3年前にメモ帳に押した記憶があるのですが、そのメモ帳が出てこなかったので、国鉄時代に押したものをUPしました。日付が昭和61年(1986)2月となっていますから20年前になります。スタンプは取替えなどあったとは思いますが、いまだに国鉄時代のデザインのものがあるというのが貴重です。
話がそれましたが本題に入ります。日暮里は昨日の西日暮里同様、諏訪の台にある「谷中七福神」の寺院で知られます。享保年間(1716~35)頃からは、暮れていく日のことを忘れるほど美しい「日暮らしの里」と呼ばれるようになり、現在の「日暮里」となりました。谷中七福神は東覚寺(福禄寿)・青雲寺(恵比寿)・修性院(布袋尊)・天王寺(毘沙門天)・長安寺(寿老人)・護国院(大黒天)・生池院弁天堂(弁財天)です。実際の七福神めぐりでは、弁天堂は上野、東覚寺は田端などきわめて広範囲になり、弁天堂から北上あるいは田端から南下が効率よい七福神めぐりとなります。七福神の描かれた色紙は1500円。それに各寺院で200円払うと御朱印を押してもらえます。まあ、広範囲とはいえ、実際に七福神を全部歩いて回っても2~3時間程度です。

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2007年02月04日

『風林火山』第5回「駿河大乱」

いよいよ今川家の内乱である花倉の乱です。勘助が乱に関わっていたのは完全な創作ですが、まさか兄貞久と刃を交え、兄が自害し介錯するという壮絶なシーンとなるとは……思ってもいませんでした。ちなみに貞久というのは、静岡県富士宮市の『吉野家系図』によると勘助祖父の名で、兄は先妻の菊一郎(のち貞継)と石松・藤七の三人がいたといい、愛知県豊橋市賀茂の伝承系図では、上に清七・清助の二人の兄がいたといいます。
勘助の策略で武田氏を討つというのは、梅岳承芳(今川義元)の軍師となる太原雪斎の策で、武田氏が福島越前守に加担しなかったため、肩透かしをくらった格好となりました。この流れをみると、これまで凡庸に描かれすぎた今川義元の実像もみえていいですね。本当は聡明な武将なのに、信長関係ではいつも貴族かぶれで、デブで短足の扱いでしたから。ちなみにこの乱で勘助と刃を交えた福島越前守の嫡男彦十郎はのちに北条氏の重臣となり、氏綱に気に入られて北条姓までもらう北条綱成です。『地黄八幡』の旗で無類の強さを見せたといいますが、このあたりもドラマにからんでくるとますます盛り上がりそうですね。
ここでようやく原作小説で最初に出てくるかませ犬・青木大膳が登場します。さすがに文庫1冊分の原作だけでは、1年分のドラマは辛いため、創作を交え引っ張っているわけですね。まあ、もっとも今回は顔見せ。この先、大膳と勘助がどうやって絡むのか楽しみですが……。
史跡紀行では静岡県藤枝市の花倉城や遍照寺などが紹介されていました。花倉城はJR藤枝駅からバスで行き、さらにバス停から徒歩1時間かかる大変不便な場所です。『風林火山』の小説では関連がなかったため、こちらはまだ取材しておりません。JR藤枝駅もJRになってからはまだ下車していません。よってスタンプも写真もナシです。すいません。

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2007年02月05日

ガンバレ銚子電鉄

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 本州最東端の銚子市内を走る銚子電気鉄道は、総延長わずか6.4kmのミニ鉄道です。大正生まれの古豪・デキ3形電気機関車を始め、現在数少なくなった吊掛車が走る鉄道として、レイルファンの人気は高く、気軽に“レトロムード”を楽しめることから、江ノ電、箱根登山鉄道、小湊鉄道などとともに旅行雑誌に取り上げられることが多く旅行業界での知名度も高い鉄道です。また、(電車牽引による)トロッコ列車の運転や、鉄道事業の赤字を副業のぬれ煎餅(当地の名物)販売でカバーするなど、同鉄道の取り組みは全国の鉄道事業者の注目を集めています。
 その銚子電鉄が俄に苦境に立たされています。前社長の不祥事により借金が膨らみ、車輌検査・線路整備などの資金にも事欠くなど、存続の危機を迎えています。しかしながら、今年に入って有志が立ち上がり“サポーターズクラブ”を結成。安全対策工事に係る費用を集めるため、サポート基金の募集を行い注目を集めております。さらに、 この問題を新聞報道で知ったプロ野球・千葉ロッテマリーンズの守護神(リリーフエース)小林雅英選手も協力を申し出、名誉サポーターとして支援に乗り出したことで、一般紙のみならずスポーツ新聞でも脚光を浴びています。
 筆者も先週末、応援を兼ねて行ってきました。

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 起点の銚子駅で全線が乗り降り自由の「弧廻手形」(620円)を入手。銚子と終点の外川の運賃が310円なので、単純往復だけではモトが取れないものの、その昭和的風情に浸りつつ途中下車を楽しみたい方には断然お得な切符です。さらに、同きっぷには「ぬれ煎餅」交換券、地球の丸く見える丘展望館割引券、銚子ポートタワー展望室割引券も付いており、観光客にも至れり尽くせりなのです。同鉄道の運行間隔は概ね30分間隔を保っており、時間の許す限り途中下車を楽しむことにしました。
 最初に乗車したデハ1001形は、営団(現東京メトロ)丸の内線方南町支線で活躍していた車輌(機器は同日比谷線の3000系のものに換装)で、96年に銚電入り。車齢が高いにも関わらず同線初の高性能車(昭和30年前後まで製造された吊掛車に対して使われる呼称)です。塗り替えられているので、外観上原車の面影はあまり残っておりませんが、室内には痕跡もそれなりに残っており、そんなところもなかなか楽しい車輌です。車内は立ち客(主に一般観光客)も出るほどの盛況振りで、銚子電鉄の人気を改めて実感しました。最初の駅・仲ノ町には車庫があるため、さっそく下車。入場券(硬券)を求め留置車を撮影。ここには鉄ちゃんもチラホラ。次に来た車輌は伊予鉄出身のデハ801形。モーター音、震動、古い車輌独特の臭いなどを堪能しつつ、観音駅で再度下車。ここは飯沼観音の最寄り駅であるとともに、同社直営の鯛焼店があることでも知られており、モダンな駅舎は同鉄道では異彩を放つ存在です。次の本銚子は本調子にかけて縁起の良さを売りにした記念切符も発売してます。笠上黒生は唯一の交換駅で、昔懐かしいタブレット交換が見られます。また、駅舎も昭和レトロそのもので、駅舎内は昭和20年代頃から時間が止まったかのよう。西海鹿島(にしあかじま)は難読駅名。君ヶ浜は壁のみのユニーク過ぎる駅舎で知られています。犬吠はスペイン風の駅舎で、同鉄道のグッズ売店、ぬれ煎餅店、電車レストランなどがあるほか、犬吠埼や地球の丸く見える丘展望館の最寄り駅にもなっています。筆者は終点外川から引き返し犬吠で下車。展望館、犬吠埼など一通り観光した後、犬吠埼温泉の京成ホテルへ。湯上がりに肌がトロリとする良質な塩泉で、露天風呂には源泉がふんだんに注がれています。黄昏時、紫に染まっていく海を見ながらの入浴は絶品でした。
 帰りもデハ801に乗車。乗客は終点まで誰もおらず、うなり声にも似た吊掛モーター音を心ゆくまで堪能でき、今回の小旅行の有終を飾りました。
 地域住民、レイルファン、観光客に愛され親しまれ続けている銚子電鉄。いつまでも元気に走り続けてほしいものだと改めて思いました。

銚子電鉄サポーターズのアドレス http://love.ap.teacup.com/cdksientai/

投稿者:小関秀彦(資料提供/塩見会員)
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2007年02月06日

「銚子電鉄」紀行へのコメント

昨日の小関さん投稿の「ガンバレ銚子電鉄」に旅ジャーナリスト会議代表およびブルーガイドパックで旅行出版界の頂点に君臨しましたカリスマ編集者森田芳夫氏から、大変長い長いコメントをいただきました。この貴重な投稿をコメント欄に埋もれさすわけにはいきません。ということで本日のブログは小関さんの投稿に寄せられた森田氏のコメントです。このアドバイスによって小関さんの文章はますます磨きがかかり、上達してゆくことでしょう(by 管理人)

わざわざ出かけたというだけあって、小関さんのリポートはとても温かい視点で書かれていて、暮れなずむ紫色の海を見ながら温泉入浴を楽しんだという終わりに近いくだりまで読み進んで、なぜかかジーンと来てしまいました。
 銚子電鉄の苦境は朝日新聞の千葉版に詳しく、他県に住んでいる人より県民である我々は頻度数多く情報を得ていると思います。でもなかなか出かけていかれないのはなぜだったろうかと、これを読みながら思わず自問自答をしてしまいました。

 今から35年ほど前、銚子電鉄を目指して外川まで編集仲間と乗りに行った事がありました。外川で泊ったところははっきり覚えていませんが、君ヶ浜の岩だらけの磯ににわか造りの見せもの小屋があり、電車の窓から暗がりの中にぼーっと明かりがついていていたこと、そしてそれがいかにも怪しげに見えたことが印象に残っています。今は何もないと思いますが――。あの頃はそんな違法の興行が平気で行われていたのでしょうね。
 翌日は私の嫌いな釣りをし、銚子の町へ戻って、利根川べりに近い市場へ行こうという友人を振り切って駅前のちっぽけな店で干物を買って帰りました。なにやら心貧しい旅だったようです。でもあの頃は、編集室を離れられるだけで、心豊かになったような感じていたのだと思われます。

さて、小関さんのリポートにない物ねだりをするとすれば、それは誰か駅員さんをつかまえて、支援に対する感想、過去の苦しかった思い出、これからのことなど、生の声、つまりインタヴューを聞かせてほしかったとも思いました。

いずれにせよ出かけていく行動力に敬服しました。次のブログが楽しみです。

投稿者:森田芳夫
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2007年02月07日

よっちゃんの体重ブログ第1弾

初めまして!初投稿させていただきます。ネット上では「日本秘湯に入る会」でのハンドルネームでもある「よっちゃん」と名乗らせてくださいまし。よろしくたのんます。

 突然ですが、私デブデブでゴザイマス。メタボリック対策が叫ばれる今日この頃、昨年からウェイトコントロールに励んでおります。が、食べるほうはなかなか抑えにくいので(駄目ジャン!)、とりあえず体力増強を目指し、私事ではございますが本年の目標として最低でも月に一回は山に登る事を決めました。今年は山登り、ハイキングに行く機会が多いと思いますので面白そうなところがあれば紹介したいと思います。

 もう2月になってしまいましたが、今年の登山第一号「高尾山」に先月登ってまいりました。東京に住んでいる方なら誰でも一度は足を運んだ山です。え、知らない? では以下を読んで行ってみて頂戴ね、

 新宿から京王電鉄の終点、高尾山口駅まで50分ほど。私の住まいがある府中からはわずか30分弱で着いてしまう実に気軽な山です。頂上の標高はなんとも中途半端な599.3m。ハイキング感覚で駅から全て歩いても1時間半ほどで頂上迄着いちゃいます。ヒール履きの彼女と来ても大丈夫。8合目まで日本一の勾配を誇るケーブルカーが運んでくれます。因みにリフトも併設されていて、下りに使うとスリル満点ですぞ。頂上まで舗装路のコースもあるので靴を選ばずに歩けます。

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 途中、山中にでんと構える社が関東の三大本山の一角を占める名刹「高尾山薬王院有喜寺」です。開山は奈良時代といわれています。本社前には右側に鼻の高い大天狗、そして左側には烏の嘴を持ったカラス天狗の像が立っています。高尾山の守り神に手を合わせていく人も見かけられます。薬王院を抜けると程なく頂上へ、なだらかな山なのでワイドな見晴らしは望めませんが新宿新都心から横浜方面までは一望できます。空気が澄んでいれば筑波山や房総半島まで見渡せます。

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 しかし、今の時期は緑も少なく参拝客も疎らです。何とか冬にも来て頂こうと考えたのでしょうか、毎年1月半ばから3月末まで、京王電鉄と高尾山の飲食店が共同で「高尾山の冬そばキャンペーン」を企画しています。駅で配布しているパンフ(写真左)には、名物とろろ蕎麦の美味そうな写真がズラリ、もちろん割引券も付いています。このイベントも今年で5周年、今月17日には臨時急行列車「高尾山冬そば号」まで運行する気合の入れようです。都営新宿線大島駅から高尾山口まで、天狗プレートを付けた急行列車が一気に走ります。予約無しで誰でも乗車できるので鉄チャンの方は是非お見逃しなく!高尾線内で乗車記念のオリジナルパスケースも配布されるようですぞ! 因みに私のお奨めはケーブルカー清滝駅正面、「高橋家」の冷たいとろろ蕎麦(写真右)、ざる蕎麦タイプではなく、温かい蕎麦用の器に冷たいツユがたっぷり注がれています。麺がのびないので喉越しも最高です。

 こんな感じで、京王線で楽々到着。ケーブルで登って頂上までハイキング、リフトで下って各店でとろろ蕎麦三昧、と言うのが冬の高尾山の楽しみ方ですねっ!ケーブルカー又はリフト乗車券とセットでお得な高尾山往復割引乗車券も京王線各駅で販売しています。 ツー訳で是非一度足を運んでみては如何でしょうか? あれれ? コレでは痩せません、残念!! (古っ!)、 次回はもう少し本格的なコースの紹介ですぅー。1月末の体重112.5Kg

投稿者:よっちゃん
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2007年02月08日

スタンプ物語25・鶯谷駅

3日続けて会員の投稿があり、アクセスもランキングもグッと上昇しましたが、本日は管理人の埋め草投稿です。山手線一周もゴールに近づいてきましたので、もうしばらくお付き合いください。

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鶯谷のスタンプといえば駅名の通り「寛永寺とウグイス」です。このあたりは江戸期は寛永寺の寺領でした。寛永寺は寛永2年(1625)に天海の発願で建立。京都を守護する比叡山に対し、「東の比叡山」という意味から「東叡山」ともいわれました。承応3年(1654)に皇子が入山して以来、代々皇族が門主をつとめ、「輪王寺宮」と尊称されています。鶯谷の地名はこの輪王寺宮が「江戸のウグイスはなまっておる」と云って、京都からたくさんのウグイスを取り寄せて放ったのが由来です。現在では都市化が著しくウグイスの鳴き声などほとんど聞くことができませんが、朝の時間帯は駅ホームからウグイスの鳴き声を流しています。絶大な宗教的権威を誇った寛永寺でしたが、慶応4年(1868)の戊辰戦争では、彰義隊と官軍の戦場となり、根本中堂はじめ主要な堂宇は焼失。旧境内の敷地は現在の上野公園になっています。
鶯谷には2007年2月現在、旧スタンプ(右)も保管されており、南口改札係員に申し出れば押すことができます。こちらは寛永寺と駅南口から徒歩7分のところにある狂歌「おそれ入谷の鬼子母神」で知られる真源寺の朝顔市が描かれています。当寺は「下谷七福神」の福禄寿を祀っていることでも知られ、七福神も描かれています。他は元三島神社(寿老神)・英信寺(大黒天)・法昌寺(毘沙門天)・ 弁天院(弁才天) ・正宝院(恵比寿) ・寿永寺(布袋尊)です。こちらも日暮里の谷中七福神同様、色紙(2種類あり)を購入して、有料の御朱印を求めます。こちらの巡拝も徒歩1時間ほどですので、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

投稿者:管理人
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2007年02月09日

「鶯谷駅」へのコメント

昨日の「スタンプ物語25・鶯谷駅」に旅ジャーナリスト会議代表森田芳夫氏から、貴重なコメントをいただきました。この投稿はコメント欄に埋もれさすわけにはいきませんので、本日のブログは管理人の投稿に寄せられた森田氏のコメントです。

小出さんの鶯谷駅のスタンプと解説を拝見しました。
 多岐にわたる解説に興味ををそそられ楽しく読みました。そしてあの駅スタンプが「おそれ入谷の鬼子母神」の朝顔市がデザインされていることを初めて知りましたが、この鬼子母神の「鬼」の字は、正しくは「左上の斜めチョン」が抜けているのが正しいことをご存知でしょうか。

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 上の写真をご覧ください。鬼の字が変でしょう?
 これは拝借した現場写真ですが、日本の著名な鬼子母神はほとんどこの文字を使っていることに驚きます。

 市川市中山のある名刹「中山法華経寺」、都内雑司が谷にある「鬼子母神」もこの文字を当てています。
しかし辞書にはもちろん、PCにもこの字体がないのが何やら不気味です。

「鬼から『角(つの)』を消したからこうなった」と私に教えてくれたのは、妹の亭主である国立大学の名誉教授です。もつべきは物知りの親戚です。台東区教育委員会の案内板には下記のように書かれています。

「入谷鬼子母神(きしもじん)は、日蓮上人の尊像とともにここ眞源寺に祀られている。眞源寺は、万治二年(1659)日融上人により創建された。
 鬼子母神は、鬼神般闍迦(はんしか)の妻で、インド仏教上の女神のひとりである。性質凶暴で、子どもを奪い取っては食べてしまう悪神であった。釈迦は鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させ、改心させたという。以後、「小児の神」として児女を守る善神となり、安産・子育の守護神として信仰されるようになった。
 入谷鬼子母神では、子育の善神になったという由来からツノのない「鬼」の字を使っている。
 また、七月上旬、境内及び門前の道路沿いは「朝顔市」で賑わう。入谷名物となったのは明治に入ってからで、十数軒の植木屋が朝顔を造り鑑賞させたのがはじまりといわれている。当時この地は、入谷田圃といわれ、朝顔や蓮の栽培に適していた。
 大正初期、市街化により朝顔市は途絶えたが、昭和二十五年復活。以後、下町情緒豊かな初夏の行事として親しまれている」

 これは漢字というより、仏教界が勝手に記号化して、人々に読むことを強要しているデザインなんでしょうかね――。不思議なことがあるもんです。     

投稿者:森田芳夫
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以下は管理人の追伸です。コメント欄に写真がUPできなかったのでこちらに載せました。

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以前に行った雑司ヶ谷鬼子母神もたしかに鬼の左上部分がありませんね。さすがはカリスマ編集者です。案内板のほうも「鬼」の字があとで訂正されています(分かります?)。しかし、これって作字なので編集者泣かせではありますね。ひとつ勉強になりました。

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2007年02月10日

おもしろバス停1

本日はまたまた新しい会員からの写真投稿。旅ジャーナリスト会議事務局および写真家の小川金治氏です。「路線バスの旅を考える会」の代表でもある氏は、月の大半を全国の路線バスの取材に費やしていますが、今回のバス停はというと……。

katuma.jpg

「勝馬」は「かつま」と読みます。競馬専門紙にも同じ『勝馬(かちうま)』がありますが、馬券でゲンをかつぎたい人は、ぜひ一度訪れたいですね。では何処にあるのでしょう。答えは下の写真です。

shikanoshima.jpg

はい、分かりますか? 答えは福岡市東区の志賀島です。日本史を勉強された人ならご存知かと思いますが、天明4年(1784)に「漢委奴國王」の金印が出土した島です。後漢の光武帝が冊封の印として奴国に賜ったものといわれます。光武帝というとまだ三国時代の始まる前ですね。金印は現在、福岡市博物館に所蔵されています。

お勉強ついでにぜひ明日の馬券を当てたいですね。参考になりませんが管理人が予想していますこちらもごらんください。

写真投稿者:小川金治
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2007年02月11日

『風林火山』第6回「仕官への道」

花倉の乱のあと、武田家臣・前島昌勝が福島一族を匿い成敗されたのは史実にもあります。この功で勘助は梅岳承芳から還俗した今川義元に仕官しようとするが、その容姿が禍して適いません。しかも今川が武田と同盟したことで、武田への復讐もできなくなり、裏目裏目に出る勘助。一方、信玄(晴信)は義元の母・寿桂尼の仲立ちで三条夫人と婚姻が成立します。京都の公家との交流をもとうとするのは守護大名ならではですね。ところで信玄の婚姻はこれが初めてでなく、史実では13歳のとき上杉朝興の娘を娶り、翌年身籠ったまま亡くなっています。これが勘助の思い人ミツとオーバーラップさせているのかもしれません。
勘助が仕官先を悩んでいるときに、またも青木大膳登場。北条家臣にもかかわらず乱どりをしたため駆逐され、今川への仕官を勘助に頼んできます。しかし、さすがずる賢い勘助、庵原忠胤の家臣と青木を戦わせる隙に馬を奪って相模国(神奈川県)へと逃亡。この勘助との絡ませ方がいいですね~。勘助は北条氏康の武術指南・松田七郎左衛門を通じて仕官を試みるが、そこで北条を頼って落ち延びてきた因縁の福島彦十郎と鉢合わせ。果たして北条への仕官なるかというところで次回へ。
史跡紀行では神奈川県小田原市の小田原城と箱根町の早雲寺を紹介していました。小田原城は16年前に行ったきりで、まだそのときはカミヤキでの撮影でした。もう一回撮影に行こうと思っていても、なかなか行けない現状。義経の取材で石橋山などは行っていますが。

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ところでJR小田原駅前には、戦国大名北条氏の祖である北条早雲像が建っています。角に松明をつけた牛が脇に3頭いますが、これは早雲が明応4年(1495)に小田原城を攻略した際に、「火牛の計」を用いて勝利をおさめた由来からですが、この「火牛の計」というのは、『史記』にみられる斉国の田単の用いた奇計からの創作。同じく寿永2年(1183)の木曽義仲の倶利伽羅峠の戦いでもネタが使われています。田単の「火牛の計」は牛の尻尾に火をつけたのであり、角に火をつけたら牛は前に進まず後ずさりしてかえって味方を混乱に陥れかねません。それにしても3代目というのが地味なのか、北条氏康の銅像はありませんね。まあ今川義元の銅像もありませんが。ちなみに信玄像はJR甲府駅前、勝頼像はJR甲斐大和駅前に建っています。そういえば勘助の銅像も今のところ見ませんね。
あとおまけですがJR小田原駅には国鉄時代のスタンプ(右)も残っています(2007年1月現在)。消耗が激しいのでいつまであるか分かりませんが、改札窓口で申し出てください。

投稿者:管理人
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2007年02月12日

スタンプ物語26・上野駅

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「上野山下ステーション」というのは、明治16年(1883)に日本鉄道の駅として開業した当初の風景です。山下というのは西側にある上野の山のこと。正確にいえば山でなく台地なのですが、標高20mほどの高さのある上野恩賜公園は、パンダで有名な上野動物園をはじめ東京国立博物館・国立科学博物館・国立西洋美術館・東京都美術館・東京文化会館などの文化施設が点在。桜の名所としても知られ、春は花見の人出で賑わいます。
 上野といえば長らく「北の玄関口」として知られ、新幹線開業前は東北・上信越・北陸方面への列車が発着する駅でした。東北・上越新幹線開業後もその地位は揺らぎませんでしたが、91年に新幹線が東京駅まで延伸すると、その運行形態はガラリと一変。その後も山形・長野新幹線などの開業により、当駅始発の優等列車が激減したため、地上ホームも整理され、東北地方から集団就職で「金の卵」ともてはやされた若者を乗せて到着した18番線も1999年にその使命を終えました。石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』で唄われた「上野発の夜行列車」も激減しましたが、「北斗星」「あけぼの」「北陸」「能登」などが健在です。故郷が違っても故郷へ帰る旅情をかきたてられるのが上野駅なのです。
上野駅には中央改札内みどりの窓口にの新幹線とパンダと不忍池が描かれている逆三角形のスタンプのほか、「パンダの親子」「西郷隆盛と駅舎および寛永寺五重塔」が描かれた3つが設置されています(2007年1月現在)。こちらも見逃さないようにしましょう。

投稿者:管理人
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2007年02月13日

最後の活躍を続ける名鉄パノラマカー

 先日、所用で名古屋に赴く機会があり、久々に名鉄の乗り歩きを楽しんできました。我が国の民鉄では第3位の営業距離を誇る名鉄は、車輌の形式数がとても多いことでも知られており(吊掛車も残存していた20年前頃に比べるとかなり整理されてきたとはいえ)、バラエティに富んだ車輌群はレイルファンを魅了してやみません。

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 今回の旅行では2日間名鉄全線が乗り放題となる「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」(3,800円)を利用して、空港特急ミュースカイ(今回初乗車)、10年ぶりとなる瀬戸線乗車、駅内での車輌撮影など丸2日間、名鉄電車と沿線名所をじっくり堪能してきましたが、なかでも特に一番印象深かったのは不朽の名車「パノラマカー」(7000形)でした。特別料金なしで見晴らし抜群の前面展望席に自由に乗れるのは全国はもとより世界でも例がなく、今なお人気の高い車輌です。これまで幾度となく乗っているのですが、何度乗っても飽きないすばらしい電車です。
 1961年にデビューしたパノラマカーの最大の特徴は運転台を2階に上げ、1階部は客席とした構造で、その斬新さはレイルファンのみならず、一般客にも強烈なインパクトを与えました。さらに、横方向に連続した大型の側窓からも、“パノラマカー”の名に恥じぬ眺望が楽しめます。登場翌年には栄えあるブルーリボン賞(鉄道友の会会員による選定)を受賞、その後長らく名鉄のシンボル的存在として君臨してきました(小田急ロマンスカーの初の前面展望車輌3100形はこの翌年の登場)。また、ダークグリーン系の塗色が主流だった名鉄の中で、現在に至るまで標準色となるスカーレット(赤)を初採用したほか、ミュージックフォン(音楽警笛)の搭載など、様々な意味において名鉄電車の礎となっています。運行開始当初は、優等列車中心の運用であったものの、徐々に普通列車やローカル線区への進出も開始。名鉄内でのオールラウンドプレイヤーの地位を確立していくことになります。
 長らく若さの衰えなかったパノラマカーも、車齢が40年を超えた頃から廃車が始まり徐々に数を減らしています。名鉄では2010年までの全廃を決定しており、乗車機会も今後急速に少なくなりそうです。

投稿者:小関秀彦
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2007年02月14日

恋人岬へ

本日何の日? St. Valentine's Dayでしたね。最近は義理人情もない時代なので、管理人などまったく無縁の世界。Give me a chocolate! 愛をくれ!なんて夢も浪漫もない話をしていてもしょうがないので、今回は連載をお休みして、こんなお話を。

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昔、おみやげでもらいました静岡県伊豆市土肥町にあります恋人岬の定期券と片道切符です。実はこの恋人岬の創造者は当会員の伊本俊二氏です。昨年12月10日のセミナー「町おこし、地域づくりの新しい知恵~恋人岬はこうして出来た」で同氏が講演をしてくれましたが、この恋人岬ができたのは昭和58年(1983)。当時、観光の目玉がなかった土肥町の観光の集客策として伊本氏が古い伝承をもとに考案。その後、愛の鐘などがつくられました。愛の鐘を3回鳴らすと恋愛が成就するといわれており、いろいろとロマンティックなおみやげが売られています。本日はたいそう賑わいをみせたことでしょう。人間、夢も希望も失い、歩みを止めると急速に老けていきますので、「青春18きっぷ」ではないけれど、いつまでも青春の心をもっていたいものですね。
ちなみにUPした定期券の期限は切れていますが、裏面にはしっかり期間の延長手続きができ、再発行もできる旨が書いてあります。いやフォローも見事!

他に管理人のコレクションから出てきたものも紹介します。

kofukuyuki.jpg koijiyuki.jpg

は昭和62年(1987)2月1日限りで廃止された国鉄広尾線の愛国から幸福行きのきっぷと、幸福駅の入場券です。幸福駅はもともと無人駅ですが、駅前にみやげ物があり入場券などが発売されています。広尾線廃止後も幸福駅は残されており、今もなお縁起きっぷが売られています。この「愛の国から幸福へ」は昭和48年(1973)NHKの紀行番組『新日本紀行』が火付け役となり、いわゆる縁起ものの走りとなった駅です。存続が決まった帯広のばんえい競馬とセットで仕掛けるのも手かと思いますが。

はのと鉄道(旧国鉄能登線)の松波から恋路ゆきのきっぷです。こちらも昭和50年(1975)にブームになり、たくさんのカップルを招聘してきましたが、2005年4月1日の能登線廃止に伴い廃駅となりました。恋路海岸と幸せの鐘などは残っているわけですが、駅の行方が気になります。きっぷなどは幸福駅同様、観光商品として残されていると思いますが……。

投稿者:管理人
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2007年02月15日

博多慕情 小料理「由美」

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 先日、博多に行って来ました。
冬の志賀島、春の陽気の能古島で、気温の差に戸惑いました。
博多は、学生時代を過ごした第二の古里です。中州の夜景を眺めていると過ぎ去りし日々が蘇り、ある店を思い出しました。中州から天神まで、金曜日の夜は多くの人々で賑わっています。懐かしい屋台も観光客で満席でした。国体道路から小路に少し入った所にある店は、小料理「由美」。見覚えのあるのれんを潜りドアを明けると、懐かしい顔のママが客席に座って、ラジオから流れるシャンソンに耳を傾けていました。突然現れた僕の姿に、戸惑いと驚きの表情でいました。
 
 「ママ、お久しぶりです。」
 「アラー、小川君じゃなかねー。」
 「すっかりご無沙汰をしてしまって。30年振りです。」
 
 僕は学生時代、西日本新聞社社会部でアルバイト(坊や)をしていました。夕方の5時から11時までで、朝刊の原稿を電話で受けたりするのが仕事でした。その直ぐ側にある社会部御用達の店が「由美」でした。
 事件があると「由美」に電話をします。社会部の記者が必ず捕まりました。僕も良く通い、青春の悩みや失恋の相談をしていました。満州育ちで気丈なママは、変な客には「あんたの来るとこじゃなかよ、帰りんしゃい。」と追い返す。
当時、清川にアパートを借りて住んでいました。西日本新聞社には歩いて通える距離で、下駄履きで歩いていました。ある夜、「由美」のカウンターで飲んでいたら、突然入って来たオカマに股間を握られました。驚いた僕は、咄嗟に肘でその腕を打ちました。当時博多には、筑豊の炭坑夫上がりのガッチリとした体型のオカマがいたのです。絣の着物を着て、頭には赤いリボン、赤い鼻緒の下駄で夜の春吉界隈を彷徨っていました。
 「あんたの来るとこじゃなかー、帰りんしゃい。」とママの一声。
オカマは捨て台詞を吐いて出て行きました。それからです。酔ってアパートへの帰路、後ろから下駄の音が付いて来ます。背中に寒い物を感じ、走って逃げました。真夜中の春吉に、下駄のカタカタと云う二重奏が響き渡りました。

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 穏やかな博多の母の顔を見ながら、焼酎のお湯割飲み干しました。口の中に苦い物が残ったようでした。
           
本当に怖かった。

投稿者:小川金治
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2007年02月16日

スタンプ物語27・御徒町駅

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スタンプの「湯島天神」は御徒町北口から西へ徒歩8分のところにあります。ご存知学問の神様である菅原道真公をまつる天満宮で、受験シーズンには神頼みの受験生で賑わいます。創建は雄略天皇2年(458年)と古く、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社でしたが、正平10年(1355)に菅原道真を勧請して合祀。徳川家康が江戸に入ってからは徳川家の崇敬も受けました。現在の社殿は老朽化に伴い1995年に再建されたばかりです。以前の社殿は明治18年(1885)改築のものだったので、これまた撮りそびれました。昔行ったような記憶もあるのですが……。あと湯島天満宮は梅の名所としても知られ、毎年2月上旬~3月上旬は梅まつりが行われ、本年度も3月8日まで開催しています。野点や白梅太鼓、期間限定の記念品販売ほか、宝物殿が3月4日まで特別割引で拝観できます。

御徒町の地名は江戸期に江戸城や将軍を警護する下級武士、つまり騎乗が許可されない御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来しています。現在はこの地名は残っていませんが、御徒町といえばJR御徒町からJR上野駅に向かう山手線線路の西側にあるアメヤ横丁(通称:アメ横)が有名で、とくに年末の正月用生鮮食品の買出しは風物詩といえるほどの賑わいをみせます。管理人も晦日にわざわざ参加してきました。

投稿者:管理人
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2007年02月17日

スイスのパノラマカーに乗りました

小関さんのレポートで、名鉄のパノラマカーが2010年でお仕舞いになると知り、本当に残念です。
 パノラマカーはスイスでは人気上昇中。その証拠に、ゴールデンパス(カードのことではありません。観光列車路線の愛称です)の先頭車両のパノラマカー(MOB社)の運転席下の展望座席が10年前私が乗ったときは4席だったのに、HPで見ると今は8席に増えています。

swiss-panoramacar1.jpg

 1997年7月31日、私は念願のこのシートに座り、ツヴァイジンメンからレマン湖畔のモントルーまで1時間45分を過ごし、夏のスイスの田園風景を手に取るよう眺めることができました。このシートは日本のエージェントを通して2カ月ほど前に座席予約をしたため、取れたと思われます。
 この4席は偶然私の家内を含む日本人4人で占められてしまったのです。関西から来たと思われる赤ん坊を連れた若い夫婦でしたが、特に話をすることなく過ごしました。この人たちもかなり早く予約を入れたのでしょう。

swiss-panoramacar2.jpg

 この先頭車両は写真で見るとおりサロンカーですが、先端の展望シートは右奥、ボードで遮られてた先にあります。左奥にある座席の入り口から次々金髪の乗客が覗きにきては「Ohoo!」と言っては引っ込んでいきました。
 沿線はスイスでも牧場が比較的多い地域で、特に峻険な山岳景観があるわけではなく、いわばロマンチック、それだけに退屈ともいえます。当時の記録に「喉が渇いたので後ろのサロン席へ行き、日本人の新婚カップルと思われる若い二人にしばしパノラマ席を譲る」と書いてありました。
 名鉄も4年後にまったく新しいパノラマカーを導入してほしいと思います。
 でも一番ほしいのは中央線、大糸線、飯田線、高山線ですね。それが最も手っ取り早い乗客増戦略でしょう。

投稿者:森田芳夫
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2007年02月18日

『風林火山』第7回「晴信初陣」

北条氏康との接触はあっけなく終わってしまいましたね。関東一円に勢力を拡大した3代目北条氏康が臆病だったというエピソードは、少年時代に鉄砲の音に驚き、それを恥じて自害しようとしたという話があります。意外なことですが初めて知りました。しかし、またも仕官がかないません。不思議なのは今川も北条も仕官を全面拒否するわけでなく、「間者として放つ」と云っているところです。これで勘助はドラマ上では武田・今川・北条の三重スパイになっていますから。まさか今度は上杉にも仕官を求めるのでしょうか?
武蔵・上野を経由して信濃に入り、真田郷で懐かしい葛笠村の平蔵に出会います。ここで真田幸隆登場。妻の忍芽というのは架空の人物ですが、いかにも真田忍びのくノ一といった雰囲気の名ですね。幸隆の正室は河原隆正の娘で、信綱・昌輝・昌幸の三人の子を産んでいます。まだまだ先の話になりますが。のちに真田幸隆は信玄に領地を追われ、勘助の推挙で信玄に仕えたといいますから、今回の対面はこの伏線でしょう。
一方、信玄(晴信)はいよいよ佐久海の口城攻めで初陣となります。正室三条夫人が間に入ってももはや修復できない信虎・信玄の親子関係、今回のストーリーは『巧名が辻』に比べてもいい展開になっています。ただ、関西に無縁なので向こうの視聴率が心配……。
史跡紀行では真田の郷を紹介していました。以前は真田町だったのですが、2006年3月に上田市に編入されました。真田郷は真田発祥の地として知られゆかりの史跡が点在していますが、上田市ということで強引に上田城までひっぱりました。上田城は子の昌幸の代からなのですが。
上田城は二度ほど行ったことがあるのですが、デジタルで撮影しておらず、真田郷はまだ未踏の地。ということで今回は写真がないので、上田駅のスタンプを紹介します。

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上田駅といっても、JR(長野新幹線)・しなの鉄道(旧信越本線)・上田電鉄(旧上田交通)の3つの会社にそれぞれ駅改札がありますので、同じ上田城のデザインでも3カ所にスタンプがあり、しなの鉄道と上田電鉄の駅は改札係員に申し出れば押すことができます(しなの鉄道・上田電鉄は2種類あり)。このように鉄道会社が複数ある駅は、会社ごとにスタンプがつくられている場合もありますので、ひとつ押しただけで満足せず、面倒でもそれぞれの駅係員に尋ねてみたほうがよいのです。

投稿者:管理人
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2007年02月19日

スイス鉄道の雄・RhB(レイティッシュ鉄道)

 森田先生のゴールデンパス旅行記を受け、スイスの私鉄RhB・レイティッシュ鉄道をご紹介します。RhBは私鉄王国スイスの中にあって最も規模が大きく、沿線にはダヴォス、サンモリッツなど国際的保養都市を有し、さらに「氷河急行」(FO・BVZと共同運行)「ベルニナ急行」などの人気の列車を有することから、レイルファンのみならず観光客にも人気の高い鉄道です。日本の旅行会社もこの2列車をツアーに組み込むことが多く、筆者が4年前にRhBを乗り歩いた際にも日本人ツアー客と乗り合わせることが多かったことが思い起こされます(さすがにローカル列車は地元民が多かったのですが)。
 RhBはスイス東部のグラウビュンデン州に主要4路線を有し、総延長は約415km。軌間は1000mmで、スイス国鉄(軌間1435mm)と比べると車輌もやや小振りな印象です。車輌は電気機関車が牽引も客車列車が主流(一部電車もあり)で、普通列車は終着駅での機関車の交換作業を省略するため、制御客車と呼ばれる車輌を連結しプッシュプル方式で運行しています。
 さて、「氷河急行」はサンモリッツ・ダヴォス・クールとマッターホルンの表玄関ツェルマットを約8時間かけて結ぶ列車で、その名の通り(最近は地球温暖化の影響からか後退はしているものの)車内から雪を戴いた山並みや青みがかった氷河の風景が楽しめることで知られています。また、牧草地の黄緑の斜面が延々と広がる様子もいかにもスイスという趣きです。さらに、スイス鉄道屈指の撮影ポイントであるランドヴァッサー橋の絶景も楽しめます。乗車するなら絶対に1等のパノラマ客車がお勧めなのですが、ハイシーズン(6~9月頃)は予約は困難を極めます(2等車でも、もちろん風景は十二分に楽しめますが)。また、この列車の食堂車で絶景を肴に味わうワイン(勾配対策のため底面が斜めになった特注ワイングラスが使われています)は最高の一語に尽きます。
 もう一つの人気列車「ベルニナ急行」は、クール・ラントクワルト・サンモリッツとティラノ(イタリア)を約2時間半~4時間で結ぶ列車で、こちらも氷河急行に負けず劣らずすばらしい風景が楽しめる列車です。車窓からは4000m級の山並みや氷河などに加え、青白く光るビアンコ湖など息を飲むほどの美しい風景が連続します。また、最大高低差が1800mを超えることから植生の変化が目まぐるしく、沿線の建物も(特にイタリア語圏に入ると)大きく変化していく様子が見て取れまったく退屈しません。
 一方、クールからアローサを結ぶアローサ線も他の路線と比べれば若干地味なイメージも無きにしもの感はありますが、それを補って余りある派な塗装の車輌が彩りを添えています。レイルファン的にはクール出発直後の併用軌道区間(路面電車のように道路上を走行する区間)が大きな見所ですが、沿線のシャレー風の駅舎や、鬱蒼とした森林もスイス気分を盛り上げます。
 ところで(異論もあるかもしれませんが)、RhBの東の幹線エンガディン線の沿線風景はどこか日本に似ているような気がします。畑地、小川、田舎道、小集落、木製の古い橋など日本的箱庭風景が続き、強い郷愁を感じたことがありました。
 RhBの沿線にはどこも整備されたハイキングコースが数多くあり、山歩きがお好きな方にもぜひ訪れることをお勧めします。

レイティッシュ鉄道の公式ホームページ http://www.rhb.ch/

投稿者:小関秀彦
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2007年02月20日

スタンプ物語28・秋葉原駅

会員の投稿がちらほら見られるようになり、埋め草連載もかなり飛び飛びになってきました。さすがに毎日書くのはしんどいのでありがたいことです。なお、まとめて連続で読みたい方は旅じゃBLOGの「スタンプ物語」のカテゴリーからお入りください。もちろん各投稿者の文章も個別で見られます。

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今回の秋葉原はスタンプの内容が変わった珍しい例です。ご存知の通り、長い間親しまれてきた交通博物館は、老朽化とバリアフリー対策などもあって2006年5月14日をもって惜しまれつつ閉館となりました。の旧スタンプは2005年に交通博物館へ行った際に博物館のスタンプとともに押した記憶があるのですが、そのメモ帳がとうとう出てきませんでした。真剣に掃除でもすれば出てくるかもしれませんが、とうとう本日がきてしまったのです。よってまだ古いスタンプが掲載されているスタンプ台からその画像を起こしました。ご了承ください。
秋葉原の交通博物館は昭和11年(1936)4月25日に万世橋駅跡を利用して開館。その後、70年にわたってたくさんのレイルファンが訪れました。日曜だけオープンする資料室には、貴重な本がたくさんあり、僕も卒論や本の編集のときにお世話になった記憶があります。研究者と思われる人がたくさんいて、異様な雰囲気でしたが、コピーサービスがないのが非常に残念でした。あとゲームで人気になった運転シミュレーション「電車でGO」のはしりでもありますし、鉄道だけでなく交通全般の展示物があるのが魅力でした。本年10月14日には埼玉県さいたま市に鉄道博物館が開館予定ですが、交通全般でなく鉄道に限定されてしまうのが残念でなりません。鉄道以外の展示物は公開予定がなく、専門博物館からの依頼があれば貸し出すことも検討しているとのことですが、公開される可能性は極めて低く、このまま宝の持ち腐れになってしまうのではないかと心配です。
前置きが長くなりましたが、秋葉原のスタンプは昨年の「万世橋とITの街」に生まれ変わりました。と同時に2005年のつくばエクスプレスとヨドバシAkibaなどの開業に伴い駅自体も大変貌を遂げ、駅ビルに入っていたアキハバラデパートも昨年末をもって閉館されました。駅周辺には電気街が広がり、パソコン部品などがヨドバシカメラなどもよりも安く買えるので管理人もしばし訪れます。まあ、『電車男』の流行もあったのちは元祖オタクたちも遠のく傾向にありますが、それでもメイド喫茶やいわゆるアキバ系アイドルなどで賑わっています。
この秋葉原、明治2年(1869)暮れに、明治天皇の勅命で現在のJR秋葉原駅構内の地に神社を勧請。江戸時代に火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていた神仏混淆の秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々が「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火災時に緩衝地となるよう空き地とされていた社域を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことに由来しています。その後、明治21年に日本鉄道延長に伴い移転し、秋葉神社となりました。
駅名は正式には「あきはばら」なのですが、神社は「あきば」、さらに下町訛りや略称なども「あきば」と呼ばれることから、現在でも「あきばはら」と混同している人が多いようです。

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2007年02月21日

スタンプ物語29・神田駅

1月2日からはじまりました山手線各駅停車の「スタンプ物語」もついに最後の神田駅となり、無事に一周して戻ってきました。

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神田ということで毎年5月15日近くの土曜に行われる神田明神の神田祭の御輿が描かれていますが、神田明神の最寄は当駅ではなく中央線の御茶ノ水駅です。ホームにもその旨が表記されています。神田明神は天平2年(730)に創建。承平5年(935)に反乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社近くに葬られ、延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされました。江戸築城に際して現在地に遷座してからは江戸総鎮守として尊崇されています。
神田祭は日本三大祭りのひとつに数えられ、山車が将軍上覧のために江戸城中に入ったといいますが、路面電車の開通で山車の運行に支障をきたすようになり、さらに関東大震災で山車の大半が焼失したため、現在は御輿に替わっています。大祭は隔年で行われますが本年度はその年にあたり、艶麗で古風な行列の神幸祭、御輿宮入、太鼓フェスティバルなどが盛大に行われます。
神田にはもうひとつ神田明神随神門とSLが描かれた国鉄時代のスタンプ(右)も北口改札窓口に保管されており、係員に申し出れば押すことができます(2007年2月現在)。SLは北口から比較的近い万世橋の旧交通博物館をさしているものと思われますが、交通博物館なき現在、このスタンプも風前の灯火といえるかもしれません。
しかし、神田であれば東側に北辰一刀流の千葉周作の道場・玄武館跡や吉田松陰が刑場の露と消えた伝馬町の牢屋敷跡などの史跡があるのですが、駅名にこだわるあまり御茶ノ水駅最寄の神田明神をスタンプに描いたのは明らかにミスキャストといえるでしょう。

長い間、埋め草にお付き合い願いましてありがとうございました。スタンプ物語の連載はとりあえずここでいったん終了します。今後は不定期になりますが、お江戸77駅の残り(まだ全駅未押)や、都営地下鉄のスタンプなどを紹介していきたいと思います。結構大変な連載でしたが、ひとついえるのはやはりスタンプもきちんとデータにして保存しておかないと、宝の持ち腐れとなり、秋葉原駅の旧スタンプのように急に出てこない事態も発生します。あといつも打ち合わせなどで何気なく使っているJRや地下鉄も、ちょっとスタンプに目をやれば気分転換にもなります。
もちろん今後もスタンプは集めていきますし、紹介したスタンプでも失敗しているものはいつの日か押し直したいと思います。ただ、スタンプも寿命がありますので、このシリーズのスタンプがいつまで続くかは分かりません。いきなり全部取り替えになることだってあるからです。まだ残っている旧スタンプも含め、全駅制覇するのはずっとずっと先の話になりそうです。

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2007年02月22日

スガキヤの野望と挫折

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小関さんも一時期ナゴヤに住んでいたそうですが、子どものときに体験した味覚は、トラウマとなって一生を左右してしまうといわれます。管理人も高校卒業まではナゴヤで暮らしていましたので、その味に支配され、とくに帰省した折には無償に食したくなるものです。そんな新シリーズ「不思議の国ナゴヤ」では、あの独特のB級グルメを不定期で紹介します。
第一号はスガキヤ。ナゴヤに本社をもつラーメンや甘味を扱う店で、向こうの国ではインスタントラーメンも売っています。東京圏の人に「スガキヤ」といっても知らない人のほうが多いようですが……。かつて90年代後半までスガキヤは関東や甲信越地方にも進出していましたが、需要が見込めないことから次々と閉店してしまいました。昔、川越で食したときは「うーん、この味」と満足していたものです。ところが2005年に再度「Sugakiya 高田馬場店」をオープンしたときは何度か行きました。しかし、客入りは芳しくなかったため、2006年9月30日をもって閉鎖撤退となりました。なかなか関東の人には受け入れられ難い味覚です。
スガキヤが関東で苦戦してしまうのは、コスト面の問題があります。さすがに高田馬場店はやや割高に設定されていましたが、それでも一杯1000円のラーメンが当たり前の時代ですから、テナント料を考えると経営が難しいのです。ナゴヤでは主にユニーやジャスコ、バローなど大型のショッピングセンター内に店舗があり、ハンバーガーのセットよりも遥かに安いので、学生や主婦憩いの場として賑わいます。高田馬場店の失敗は客層もありますが、カウンター席中心でくつろぐ場がなかったことです。
育ち盛りの若い頃は2杯注文も当たり前、なかには3杯食した人もいるように、ラーメンの価格は現在でも280円と安価に設定されており、写真のタマゴとチャーシューが入った特製でも390円です。最近は『日高屋』やもっと安いびっくりラーメン180円もありますが、安さと味の比ではスガキヤに優るものはないのです。
基本は和風のトンコツ系の白湯スープですが、九州のトンコツとは異なり、魚系のダシがきいています。よく「ヘビを使っている」という都市伝説がありましたが、ヘビなど使ったらあんなに安価で提供できるはずがありません。たしかに全国津々浦々のラーメンを食べ歩いた現在では安っぽい感(とくにあのハムのようなチャーシュー)は否めませんが、こづかいも限られている貧しい学生時代には何度お世話になり、空腹を満たしてくれたことでしょう。東京ではマクドナルドなどのファーストフードが憩いの場に使われていますが、ナゴヤではスガキヤだったのです。こうして書いているだけでも、別腹がうずき出し、もし近くに店があるなら入ってしまうあの味。隠し味に麻薬を使っているなんてガセもありましたね。

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2007年02月23日

スイス旅・絶景のラントヴァッサー橋撮影と「ベルニナ急行」乗車の知恵

 小関さんのブログ、スイス鉄道の雄・RhB(レーティッシュ鉄道)」の紹介は要領よく、興味をそそります。確かにグリンデルヴァルトやツェルマットを卒業したスイス・ファンが次に目指すエリアは、当然ここグラウビュンデン州しかないでしょう。
 私自身昨年9月に、またこの鉄道を利用し、ダヴォスへ行って紅葉に彩られた山歩きをしてきました。かつてクール駅から南下してエンガディンの村々へ何年も通いましたが、そのたびに厳しい地形と格闘して敷設されたレーティッシュ鉄道の車窓から、思いもかけない山岳展望の旅を楽しんだものです。

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 さて小関さんが触れていたスイス鉄道屈指の絶景と言われるラントヴァッサー橋は列車の窓から誰でも楽に撮影できますが、それには知恵が必要です。
 目もくらむような谷にかけられたこの石橋は高さ65m、しかも半径100mの円弧を描きながら、列車はオーバーハングした岩壁をこじあけたトンネルへ突入します。写真は8年程前に私が車窓から撮影にしたものですが、クールからはできりるだけ最後尾の車両、しかも進行方向右側に席をとることをお勧めします。
 ちなみにこのトンネルは1902(明治35)年に組み立て櫓無しに完成したと「スイス百科事典」(フィリズーアの項)にでています。ついでに、線路を支える石柱間のアーチ幅は各20mが五つ、岸壁に懸かった片アーチが一つだそうです。他に橋を仰ぎ見るように撮影できる場所が谷の下にあるようですから、よく調べてから次のフィリズーア駅で下車するのもいいでしょう。

 もう一つ、小関さんが推奨していた人気列車「ベル二ナ急行」に私も乗りましたが、そのとき目にした気の毒な光景を忘れることができません。それはある夏、ザンクト・モーリッツ駅から満員で発車した列車が終点のイタリア、チラナ駅へ着いたときのことです。改札口に入国審査をする窓口があリ、そこで何人かの乗客が大声を上げていました。どうやらそれはパスポートを忘れて乗ってきてしまった人々が、ホームから出ることが許されないことに対する抗議の叫びのようでした。町の小さな店で本場のスパゲッティを食べて駅へ戻って聞いたところによると、彼らは折り返しの列車でスイスへ戻ったとのことです。スイスは今なおEUに加盟していませんので出入りにはパスポート必携です。お忘れなく。

投稿者:森田芳夫
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2007年02月24日

新宿東口の馬水槽

新宿東口のスタジオアルタへ向かう広場に「馬水槽」といわれる建造物が静かに建っています。

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この石造物は、東京上水道育ての親と呼ばれる中島鋭司博士が明治34年(1901)から欧米諸国を視察した際に、ロンドン水槽協会から東京市に寄贈されたもので、現在では世界に3つしかない貴重なものだそうです。赤大理石製で上部は馬、下部は犬・猫、裏面が人間用です。当時の交通機関は馬が中心でしたので、馬用はライオンの口から水が出ており一番デラックス。「馬水槽」と呼ばれていました。明治39年(1906)に新宿民衆駅完成を記念して現地に移転。一般公募で「みんなの泉」と改称されました。人間と動物が共用する水飲み場という意味が含まれています。近年まで水が出ていたのですが、現在は水が止められ、周囲の工事中で立ち入り禁止になっています(外からの撮影は可能)。
あれだけ人が行き来する新宿で、あまり関心をもたれることもないのですが、ぜひ新宿へ行ったら見ておきましょう。新宿区の有形文化財にも指定されています。

投稿者:管理人
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2007年02月25日

『風林火山』第8回「奇襲! 海ノ口」

いやーおもしろいですね『風林火山』。1月もずっと視聴率20%以上キープしていますし、やはり戦国ものは業績がいいですね。88年のNHK大河『武田信玄』は最高視聴率49.2%、平均39.2%という金字塔を打ち立てただけにその影響もあるのでしょうか。さて、今回の海ノ口城の攻防戦、勘助がなんと海ノ口城に入って、武田軍と戦う設定になっています。それにしても城壁に泥を塗って火攻めを防いだり、地中に水甕を埋めて水の波紋で、水の手を切る武田の戦法を見破るなど、兵法がところどころに出ていて見応えがあります。
海ノ口城で使われた城、どこかで見たなと思ったら、やはり長野県千曲市の荒砥城跡でした。館、兵舎、門、櫓などを当時の史料をもとに復元し、史跡公園として整備されています(入場料300円)。勘助が上っていた井楼櫓などはそのまま見学できますので、勘助ファンはぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。しなの鉄道戸倉駅から徒歩20分のところです。
話がそれましたが、冬の降雪を待って信虎が引き上げ、初陣だった晴信が殿をつとめることになります。晴信はわずか300の手勢で奇襲して平賀源心を討ち取り、城を陥落させます。平賀源心は剛胆七十人力といわれた猛将だったようで、ここは史実ですが、勘助ともあろう者が晴信の夜襲を見抜けなかったのでしょうか。最初の防戦が見事だっただけにかえって腑抜けた展開になってしまいました。それにしても平賀源心の娘の美瑠姫は、勘助にいきなり話しかけたり、落城後も自害しようとして止められ生き延びるところを見ると、このあとの伏線がありそうですね。さて、海ノ城を視察する晴信めがけて、平蔵が矢を放つところで次回に続きますが、次回「勘助討たれる」って、話が終わっちゃうじゃないの?
史跡紀行は海ノ口城を紹介していました。南牧村の中心となるJR小海線佐久海ノ口駅が最寄で、ここから徒歩20分。小海線で佐久海ノ口を過ぎ、千曲川を隔てた右手の山が海ノ口城です。ちなみに佐久海ノ口駅は標高1039mでJRでは7番目に高い駅。現在は無人駅です。管理人が最初に小海線に乗ったときはまだ駅員がいて、「DISCOVER≫→JAPAN」のスタンプもあったのですが。ただ、今回のエリアは未撮影なので、写真や現役スタンプなどがありません。これにて失礼します。

投稿者:管理人
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2007年02月26日

発足20年を迎えるJRグループ各社

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1987年4月、公共企業体・日本国有鉄道の分割民営化により旅客6社、貨物1社の新生JRグループが誕生(国鉄バスは8社に分割)、この4月に発足20年の節目を迎えます。
 70年代中頃より相次ぐ運賃値上げ、続発するストライキにより国鉄不信は国民の間に広がり、マスコミも連日のように国鉄バッシングを続けていました。そんななか、当時の中曽根内閣は行政改革の目玉として国鉄解体を断行。発足前夜には民放全局もさよなら国鉄特番を組み、高揚した雰囲気の中で国鉄は最後の日を迎えたのでした(余談ですが、筆者は国鉄最後日に開業した新駅・仙石線東矢本駅で地元仙台のさとう宗幸が駅周辺の様子をリポートしていたのが印象深く思い出されます)。分割民営化が果たして鉄道復権に繋がるか疑問視されていたなか、当時高校生(のレイルファン)だった筆者にとっても、不安と期待の入り交じるスタートであったことが昨日のように思い出されます。
 その後しばらくの間は、車輌も駅も国鉄時代と何ら変わることなく(車体側面には大きな白いJRのステッカーが貼付されましたが、塗色はそのままなのであまり代わりばえしませんでした)、当時筆者が住んでいた仙台地区でも、ほとんど民営化を実感することはありませんでした。
※首都圏ではJR化直後に車内アナウンスでプロ野球速報を車掌がアナウンスするサービスが開始されたり、それまでの「国電」に変わる名称として「E電」が採用されたりと(まったく定着しませんでしたが)、多少変化の兆しは見えていたようですが。
 しかし、数年で状況は一変しました。新型車両の導入、ダイヤ改良、斬新な車輌の導入や積極的な設備投資によるスピードアップ、さらにはアイドルを多用したイメージ戦略などにより、90年代初頭にはJR各社は大学生の就職人気企業の上位にランクインするようにまでなり、新生JRは見事に鉄道離れに歯止めをかけることに成功したのでした。
 その後20年間、本州3社では消費税転嫁を除いて1度の運賃値上げもなく、特定地方交通線の廃止・第3セクター転換が終了した後は、JR線として廃止された路線もほとんどなく(可部線、上砂川支線、深名線など数えるほどです)、JR各社の経営は現在安定した状況にあります。これは、ひとえに各社のたゆまざる努力(関連事業の解禁など様々な追い風もありましたが)が身を結んだ結果と言えるのではないでしょうか。
 今後も我が国の都市間・地域輸送の要として、JR各社にはますます頑張ってほしいものです。
 さて、JR各社では現在JR発足20周年を記念して、今春の「青春18きっぷ」を8,000円(通常11,500円)で販売中です。発売は3月31日まで、有効期間は4月10日までとなっております。1回あたり僅か1,600円でJRの普通・快速列車が乗り放題となり、普段以上にお得です。筆者もさっそく1冊購入しました。

投稿者:小関秀彦
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2007年02月27日

スタンプは景気の証? 設置駅が増えたJR

昨日の小関さんの投稿でJR発足もはや20年。国鉄からJRに生まれ変わったことに対する論は、ここではじめると1日かかっても終わらないため、スタンプの観点から言及させていただきます。僕が高校のとき国鉄伊勢線(現・伊勢鉄道)に乗った際、ローカル線廃止反対を訴える津市の市会議員からいろいろ質問されたことがありました。このときは「近鉄でなくなぜ国鉄に乗ったのか」とか「国鉄分割民営化に対してどう思うか」などと聞かれ、後者に対しては「民営になって利益優先になってしまうと、公共のサービス性が低下するのが心配」と答え、市会議員は「私も同じ意見です」と云っていました。まあ、当時の高校のクソガキの考えることですから、ただ単に「駅スタンプがなくなってしまうのは困る」ということがいいたかったのです。当時、名古屋の私鉄名鉄にはスタンプなどなく、こういうサービスがなくなってしまうことを危惧していたのです。

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ところで国鉄スタンプの歴史は古く、最初は昭和6年(1931)に福井駅に設置されたのがはじまりといわれ、その後の設置駅は不明ですが、日付入りのスタンプがかなり高い確率で設置されていたようです。日本統治時代の台湾・樺太・朝鮮の鉄道駅にもスタンプがありました。戦後、国鉄が増収策として初めて全国的に統一したスタンプではじめたのが、昭和45年(1970)の「ディスカバージャパン」(左)で、このとき国鉄約1400駅にスタンプ台とともに設置され、弘済出版社(現・交通新聞社)からスタンプ帖が発売されて爆発的なブームを呼びます。その後、昭和52年(1977)に「一枚のキップから」、翌年には「いい日旅立ち」のキャンペーンがありましたが、残念ながら国鉄末期の赤字財政のため、設置駅は激減しました。ただし、古いキャンペーンのスタンプをそのまま残している駅もたくさんありました。
国鉄最後のキャンペーンが昭和55年(1980)にはじまった「わたしの旅スタンプ」(右)です。これはスタンプを丸・四角・五角・六角の4種の形と黒・赤・紫の3色を組み合わせて12種類に分類したもので約740駅に設置。スタンプブームの最盛期を迎え、よく夜行列車などで数分止まる駅などは、スタンプを押しに設置箇所へ駆け込む光景がみられました。このキャンペーンはその後の駅無人化や新規設置などで増減がありましたが、JR化後もそのまま踏襲されました。しかし、90年代に入るとJRも支社ごとに独自のスタンプをつくりましたので、設置駅の掲載されたスタンプ帖は消滅。スタンプへの興味も次第に薄れていきました。スタンプ帖もこのとき売上げが激減し、キヨスクからも消えてしまったようです。

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ところが僕の意に反して、JR化後はスタンプ設置駅が減るどころか、かえって増える傾向にあります。先の「スタンプ物語」でも書きましたが、山手線全駅にスタンプが設置されたのはJRになってからのことですし、他の支社でも委託駅以外は、小さな駅でも設置されるようになりました。のJR北陸本線加賀笠間駅も国鉄時代にはなかった駅で、僕がJR西日本の金沢支社にスタンプ設置を投書したところ、「どうも貴重なご意見をありがとうございました」と直接お電話がかかってきて驚いたものです。その後、スタンプがすぐに設置され、20年近くなりますが状態よく保管されています。同じようにJR東日本では東京・八王子支社は有人駅全駅、大宮・高崎・新潟・長野・水戸支社も主要駅に設置されています。またJR東海でも静岡支社、JR西日本でも京都・神戸・岡山支社などは設置駅が増えています。
ただ、残念なことに東海道新幹線というドル箱をかかえているJR東海は、新幹線の駅から乗車記念のスタンプが消滅。名古屋支社もシリーズ(右)のスタンプ設置駅が激減しています。とくにあれだけスタンプ設置駅の多かった高山本線は設置駅が鵜沼・美濃太田・下呂・高山・飛騨古川という激減ぶり。駅の無人化で消滅は仕方ないにしても、白川口・飛騨萩原・飛騨小坂という主要駅は未だ「わたしの旅スタンプ」の使いまわしで、飛騨金山・久々野にいたっては盗難のためスタンプがなく、新しいものをつくる予定もないようです。昔の高山本線であればシリーズ以外でも、地元の観光協会などが町のPRにとスタンプをつくってくれたものですが、このあたりは鉄道離れがすすんでしまった影響なのかもしれません。
ところでこの設置駅ネタは、スタンプファンの方がつくっているサイトが詳しいです。これを見るとJRだけでなく、私鉄でも東武・小田急・都営・東京メトロなどスタンプに力を入れている会社もあって喜ばしい限りです。ただし、盗難や状態悪化防止のため、JRを含め駅員保管が主流。恥かしがらずにスタンプ押印の旨を申し出ましょう。

投稿者:管理人
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2007年02月28日

マウンテンの遭難

当会には山登りの達人・伊佐九三四郎先生やアルプスの王者・森田芳夫代表など、登山にゆかりのある方が多いのが特徴ですが、両者も管理人もまだ制覇していない山が、名古屋の最高峰といわれるマウンテンです。

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もちろんこれは山の名でなく、名古屋市昭和区にある喫茶店なのですが、写真のメロンスパ(左)や和風パフェ(右)など、度肝を抜くメニューがいっぱいで、しかもその量は半端でないのです(和風パフェのバックに写っているネクタイの長さと比較してみてください)。最寄は地下鉄鶴舞線いりなか駅か名城線八事日赤駅で、いりなか駅から向かうといきなり坂を登り、登山がはじまっていることを実感させられます。最近は雑誌などで紹介されている影響もあって、地元よりも全国から登山者が集まっているようで、昼間の時間帯だと1時間以上待ちになることもあるそうです。
さて、マウンテン用語でマウンテンへ行くことを登山。完食することを登頂。食べ残したり体調を崩したりすることを遭難といいます。さらに高さ30㎝はあろうかというカキ氷はまさに氷山。どうやって食べても氷がテーブルの上に落ちる雪崩は防げません。これは友人が行ったときにもらった写真ですが、メロンスパの完食(登頂)に成功したそうです。しかし、まだまだこんなものは序の口。いちごスパや甘口抹茶小倉スパ、ピカンテピラフ激辛など未知のメニューがあふれています。一度行くと再びチャレンジ精神を駆り立てられるのがマウンテンなのです。みなさんもぜひ一度チャレンジ(登山)してみてはいかがでしょうか?くれぐれも体調にはお気をつけください。時には引き返す勇気も必要です。

なお、マウンテンは2006年11月6日より改装工事に入り休業中。2007年春にリニューアルオープン予定です。詳しくは公式ブログマウンテンの友などをご覧ください。

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2007年03月01日

腰を抜かす大あんまき

ナゴヤ国はあんこ文化。残念ながら管理人は“あんこ”がそれほど得意でなかったので、おやつに出されると兄か友達にあげてしまうことが多かったものです。でもナゴヤ人は自然と“あんこ”の味に親しんでいますので、ドラ焼きの小型バージョンの千なりや、きよめ餅のようにあんこを使ったオヤツが非常に多いのです。東京に出てから気づいたのですが、“あんこ”をありがたくいただくのは、やはりナゴヤ国人だけだということが分かりました。“今川焼き”の店に人が並んでるのなんて見たことないし、ナゴヤ国では“大判焼き”とか“太鼓焼き”と呼びます。
関東の若い人たちに聞くと、あんこの苦手な人は多いようです。チョコは食べてもあんこは苦手、豆が口の中で潰れる感触がダメなんだとか? 管理人は子どもの頃あの見た目がダメでした。
今から30年くらい前になるかと思いますが、CBCラジオ(中部日本放送)では夕方4時くらいからの帯ラジオ(月~金)に、中田ダイマル&ラケットのしゃべくる『みんなの歌謡曲』というCM番組がありました(1967年1月9日~1980年10月3日)。
CM番組って何ぞや?
軽妙なしゃべくりがそのまま、店舗や商品のCMになっているんです。そして、ところどころで時代錯誤的な懐メロが流れるという……。中京地区のお店ばかりが取り上げられるので、ローカル番組であったと思います。

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印象に残っているのが、愛知県知立市にある藤田屋「大あんまき」。「おおあんまきころんころん……」というフレーズが耳から離れない。藤田屋名物、“自動大あん巻焼機”というメカからころんころん……と転がり出てくる様を思い浮かべます。
http://mikawacity.com/mikawa/spot/spotkako/200003/
http://www.rurubu.com/sight/sightDetail.asp?BookID=A3303080

清水義範氏の『笑説大名古屋辞典』(学研)で、はじめて本物を見たのですが、薄く細長いカステラで餡を巻いたもので、とにかくでかい。しかもそれを小さな子どもがおやつにほお張っている光景は腰を抜かしそうになります。そういう僕も2006年9月、豊橋駅ではじめて実物に遭遇。撮影用に購入しましたが、チーズ入りのほうに食指。これで160円(黒と白餡は140円)ですから、なかなか喰い甲斐があります。いまでさえ、抵抗なくなんとか食べられるようになりましたが、子どもの頃に実物を見たら確実に卒倒していたでしょう。いえ、これは“あんこ”が苦手だった僕の話です。
そういえば僕が2~3歳の頃、母と一緒に歩いていると、遠くから近所の高齢になるおばあちゃんがとぼとぼ歩いてきて、ニコニコ顔で大きなおまんじゅうを僕にくれました。しかし、あんこがダメな僕はどうしても素直に喜べず目を白黒させていました。もちろんそのおばあちゃんは数年後に他界。あのときのご厚意を受け止められなかったことが心残りとなりました。とにかくナゴヤ国へ行くなら、この大あんまきはマスターしておいたほうがいいかもしれません。それほど餡はお茶菓子に出されることが多いのです。
「餡・餡・餡とっても大好きドラえもん」って、もしかしたらナゴヤ人かもしれません。“あんこ”ネタはまだまだ続きます。あーお茶が欲しくなってきました。

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2007年03月02日

放送禁止です

沖縄県那覇市と豊見城市にまたがる干潟。漫湖です。

manko1.jpg manko2.jpg

昔、某男性誌の仕事で変わった地名や名所を集めてほしいということで、沖縄の自衛隊にいる友人に撮ってきてもらいました。漫湖と書きますが湖でなく、河口に近い汽水域です。1999年にラムサール条約の登録湿地となり、国指定漫湖鳥獣保護区にも指定されています。
風物詩として小中学生らによる写生大会があり、「漫湖で写生大会が行われました」と報じられると、知らない人はびっくりしてしまいますね。しかし、この漫湖、近年は生活排水の影響で水質悪化が危惧されています。みんなできれいにしましょう。

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2007年03月03日

武豊騎手を招く武豊町

愛知県の知多半島に武豊(たけとよ)町があり、JR武豊線の終着駅にもなっています。

taketoyo1.jpg taketoyo2.jpg

いまやJRAのトップジョッキーである武豊(たけゆたか)騎手の出自とは関係のない土地ですが、たまたま名前が同じだったことが縁で、町に二度も招かれており、一日町長を務めたこともあります。ナゴヤ人のとくに年配の競馬オヤジは、未だに武豊騎手を「タケトヨ」と呼んでいます。でも、武豊騎手も中京競馬場へ遠征に来ると緊張します。というのはナゴヤではバカ・アホのことを「たわけ」といい、人気馬で来ないときは「たわけ~タケ何やっとんだ」「タケトヨのたわけ~」などなじられるからです。とくに「タケ」と「タワケ」の発音が近いので、武豊騎手も落ち着かないですよね。
JR武豊線は東海道本線全通より早い明治19年(1886)開通ですが、19.3kmの未電化単線です。昔はボロボロのキハ35形が走っていましたが、近年は新型車両のキハ75形が投入され、名古屋直通の快速列車の設定もあって便利になりました。しかし、残念なことに武豊駅のスタンプは現在ありません。いつまでもローカル線の地位に甘んじている線でないことは確かですが、やはり増客策として武豊騎手の等身大看板を置いて記念撮影ができたり、武豊騎手のスタンプ(盗まれるので駅員保管)をつくったりすれば、馬券の縁起かつぎにもなりましょうに。

では明日の弥生賞は武豊騎手のアドマイヤオーラが来るでしょうか? 予想はこちらをお楽しみください。

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2007年03月04日

『風林火山』第9回「勘助討たれる」

2日遅れてしまいましたが、ようやく仕事がひと段落つき家に帰って明け方に見ました。今回は勘助よりも信玄中心の回でしたね。いきなり平蔵が放つ矢を受け止める勘助。本当に隻眼か? 普通あんなことできません。さらに二度目も晴信に向かって矢を放ちますが、板垣に気づかれ勘助は捕らわれの身に。そして晴信は「偽軍師、山本勘助を討ち取った」といいながら、勘助を助けます。今回のタイトルは結局これがいいたかっただけのことでしょうか?
で、いきなり話は4年もとんで晴信と三条夫人の間には太郎(義信)が生まれています。そして晴信の妹禰々は諏訪頼重のもとへ輿入れ。で、ここでようやく由布姫登場します。そして諏訪に訪れた父信虎が頼重の娘由布姫を見初め、側室に差し出すように命じますが、時代設定からいうと由布姫(勝頼の母諏訪御料人)はまだ10~11歳。子役でなく、いきなり柴本幸(加藤あいのほうがよかった)が出てくるのも無理があるし、信虎はロリコン趣味か! どうも暴君に描かれすぎる信虎とイヤミな晴信の親子関係はいただけませんな。しかも晴信を駿河に追放しようとし、晴信は信虎への謀叛を画策する。嗚呼、勘助出番がない。信虎追放劇にどう絡ませてくるのでしょうか? あと噛ませ犬の青木大膳は? 続きが気になります。
史跡紀行ではいきなり諏訪氏と由布姫の故郷の紹介で、長野県茅野市・諏訪市・下諏訪町・岡谷市を一気に紹介しました。これって僕が制作した『風林火山をゆく』(英知出版)の「勝頼の母・由布姫の里」とまったく同じじゃん。何もいきなり全部紹介しなくても、もっと小出しで紹介すればいいのに。
ということで諏訪湖畔にある中央本線の茅野・上諏訪・下諏訪・岡谷の各駅にスタンプがあります。茅野はこれ以外にもスタンプが2つありますので、史跡めぐりのついでにぜひ押しに行きましょう。ちなみに中央本線の上諏訪~下諏訪間は左手に諏訪湖が望めます。

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2007年03月05日

気味悪がられる小倉トースト

すいません、録画した『風林火山』第9回のビデオをまだ見ていないので先行します。

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先日もあんこネタを書きましたが、ナゴヤ人のあんこ好きで、究極ともいえるのが写真の小倉トーストです。

最近は関東でもまれに見られるようになりましたが、ナゴヤのコンビニ定番の菓子パンは“小倉&ネオ”。コッペパンの真ん中に切れ目を入れ、小倉餡とマーガリンを挟んだものです。アンパンや食パンにマーガリンを塗ったりするのは、当たり前のように好まれるのに、どうもこの組み合わせがナゴヤ以外の人に気味悪がられるらしい。そういうあんこが苦手な管理人もオヤツでこれを出されると困りました。いえ、ナゴヤ出身の友人は大好物ですが。

また、小倉デニッシュも名古屋人大好きな菓子パンのひとつ。そもそもその元となるのは、名古屋の喫茶店における“小倉トースト”というメニューなんです。文字通り、焼きたての分厚いトーストにマーガリンと小倉餡を乗せただけ。コメダコーヒーでも360円で味わえます。見た目は抵抗ありますが、ナゴヤ人は姿形よりも中身の味を重視。食べると止まらなくなり、結構お腹がふくれます。誰でも簡単にできるメニューなので、騙されたと思ってぜひお試しを。ただカロリーは高めなので食べ過ぎないようにしましょう。

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2007年03月06日

スタンプ物語30・御茶ノ水駅

2月21日の神田駅でいったん終了しましたスタンプ物語ですが、不定期で再開します。山手線の次は中央線、ただし東京支社のお江戸シリーズスタンプのあるのは西荻窪までですので、あらかじめご了承ください。

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先の山手線で東京駅神田駅の解説は終わっていますので、中央線は御茶ノ水駅からになります。スタンプは「湯島聖堂とニコライ堂」。状態はあまりよくないのですが、国鉄時代の「わたしの旅スタンプ」(右)も同じ内容で、まだ残っています。湯島聖堂は元禄初期に5代将軍綱吉によって建てられた孔子廟がはじまりで、のちに幕府官立の昌平坂学問所に改められました。ここの大成殿は2006年のテレビドラマ『西遊記』のロケにも使われたようで、中国の雰囲気が楽しめる空間です。
ニコライ堂は日本ハリストス正教会の本部で、様式はビザンティン式のドーム型屋根が特徴。明治24年(1891)にコンドルの設計で竣工しました。その後、大正12年の関東大震災で上部が倒壊しましたが昭和4年(1929)に復興。昭和58年(1983)には国の重要文化財に指定されています。両者とも聖橋口から至近ですので、ぜひ見学されてはいかがでしょうか。

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御茶ノ水駅は御茶ノ水橋口にあるスタンプ台にはスタンプがなく、改札係員が保管していますが、なぜそうしているのかというと、全部でスタンプが4つもあるからです。駅にあった朱肉は赤なのですが、上の2つのスタンプは手持ちの朱肉で本来の黒色で押しました。お江戸シリーズは黒で統一だし、わたしの旅スタンプは「史跡や建物、文化財が特色の駅」のジャンル(黒色の四角)だからです。
他の2つは期間限定ラリー印では2004年の「関東の駅100選」のもの。は誰か分かります? 大久保彦左衛門(1560~1639)です。本名は忠教(ただたか)。『三河物語』の著者でも有名ですが、「天下の御意見番」として講談などでも活躍。御茶ノ水橋口から徒歩2分、明大通り沿いの杏雲堂病院敷地内に屋敷跡の碑が建っています。

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2007年03月07日

みやげの判断に迷う外郎

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ナゴヤのおみやげで有名なのは外郎(ういろう)ですが、2大メーカーは大須ういろと青柳ういろうです。ややこしいのすが大須は「ういろ」で、青柳は「ういろう」なのです。ナゴヤではテレビやラジオで嫌というほど聴かされるのが、両社のCMです。

『大須ういろ・ないろの歌』(午後3時の時報とともにラジオで流れる)

わーい、3時だ!大須ういろの時間だ。
ボンボンボーンと時計が三つ
坊やオヤツを食べました
とろーりとろけて、とーろりーんーこー
二つの赤い堤灯の
大須ういろとないろーでーすー♪

『青柳ういろうの歌』

悔しかったら言ってみな
白・黒・抹茶・あずき・コーヒー・ゆず・さくら
七つの味を残らずポィ、ポポポィのポィポィポィ
あおやーぎういろうー食べちゃったーぁ♪

(新バージョン)
ポポポィのポィ、お口へポィ
白・黒・抹茶・上がり・コーヒー・ゆず・さくら
七つの味を残らずポィ、ポポポィのポィポィポィ
あおやーぎういろうー食べちゃったーぁ♪

上がり→あずき→上がり と一度変わって戻っています。

ところで青柳の7つ味ですが、現在はコーヒーとゆず味はつくっていないそうです。このCM、しばし忍者の合言葉の暗号のようにナゴヤ国で使われ、「白・黒・抹茶」といわれたら、すぐに「上がり・コーヒー・ゆず・さくら」と答えなければ、ナゴヤ人でないことがばれてしまいますし、知らなければナゴヤ人として認めてもらえません。ところが僕の世代では「上がり」が「あずき」になっていて、ナゴヤ人の間でしばし論争になります。

ナゴヤ国へ帰省してみやげを何にするかで迷うのが、このういろです。「みやげには重いもんがええ」というのはナゴヤ人の発想ですが、このモチモチとした食感は、食べなれていない関東や九州の人には合わないみたいです。また、箱型のものを買ってしまうと、ファミリーならいいのですが、一人で封を切ると一度に全部は食べられず、冷蔵庫に入れても日がたつとカチンカチンになってしまうのがネックです。最近は一口サイズも売られていますが、これとて好き嫌いのギャップがあるので購入には戸惑います。

ちなみに餡が苦手だった僕は子どもの頃から大好きだったのですが、餡が好きな兄は子どもの頃はあまり好きではなかったようです。でも、ナゴヤ人はCMソングのすりこみによって、だんだんと食いたくなるように育てられてゆくのです。

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2007年03月08日

政令指定都市になる浜松の秘境

2005年8月16日、本土で一番人口の少ない(約200人)愛知県の富山村(2005年11月27日、豊根村に編入)を訪れました。ここは長野・静岡と県境を接する奥三河の山村です。

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最寄はJR飯田線大嵐駅ですが、この駅は天竜川をはさんだ静岡県にあります。元は水窪町だったのですが、こちらはひと足早く2005年7月1日に浜松市に編入されていました。浜松市は2007年2月末現在で人口約82万。4月1日には静岡市のあとを追うように政令指定都市になります。

ozore2.jpg tomiyamakanban.jpg

それにしてもこの秘境駅一帯が政令指定都市しかも浜松市天竜区になろうとは、誰が想像したでしょうか? しかも浜松市は岐阜県高山市に次ぐ広さなのです。
ところで県庁所在地の静岡市と浜松市の対抗意識はすごい。静岡市は大井川鐵道井川線の終点井川が市内というのに驚かされましたが、2003年4月に清水市を編入した際は、当時一番広い市だったのです(現在は5番目)。人口が70万を超えたので2005年4月に政令指定都市に移行しましたが、その後、浜松市が2市8町1村を呑み込んだため、人口も面積も浜松市に抜かれたのです。その後も静岡市は蒲原町・由比町と合併協議をし、2006年3月31日に蒲原町を編入しました。由比町が合併しなかったため飛び地になっています。たぶんこの先も静岡市は、再び浜松市を抜こうとして焼津市や由比町・岡部町を狙ってくるでしょう。浜松も浜名湖の西に残った湖西市・新居町を呑むかもしれません。
話がそれましたが、2005年7月1日~11月26日まで浜松市は、日本一のミニ村の富山村の玄関口だったのです。写真左の立派な駅舎は、1997年に富山村の出資で建てられました。村内のレポートは次回に続きます。

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2007年03月09日

今が最高、雪山の展望

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 例年の通り、今年もまた2月末に雪をまとった日本アルプスの眺めをたっぷりと堪能してきた。
 写真はふるさと伊那市の天竜川の西側、海抜700mの丘から見た、南アルプス仙丈ヶ岳(3033m)の優雅な姿である。どっしりと張り出した支稜と、深く刻まれた山襞のディテールが見とれるのは、雪をまとった冬、晴天の午後2時頃から日没頃まで。
 右奥に真っ白に見える峰は日本第二の高さを誇る北岳からの連峰、間の岳(3189m)である。桜で有名な高遠は左に長く伸びた尾根の付根のあたりにある。
 「南アルプスの女王」の別称があるこの山の全貌は、山梨側からは見ることができず、伊那谷でもここ伊那市の西の丘からだけである。
 この丘をさらに200mほど上がると、温泉がある人気の農業公園「みはらしファーム」へ達し、そこからは北岳など2峰を除く南アルプスの三千米級の名峰、赤石岳など7座が望める。
 写真撮影、スケッチ、自然から受け取る心の癒しなど目的は何でもかまわない、天気予報を熟視して、今出かけることをお勧めしたい(撮影2月26日午後2時半)。

投稿者:森田芳夫
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2007年03月10日

明日の名鉄杯ファンファーレに注目

2月13日の小関さんの投稿に対するコメントでも書かせていただきましたが、ナゴヤのJRA中京競馬場のパノラマステーションに7000系パノラマカー3両が保存・展示されています。

panoramasta1.jpg panoramasta2.jpg

展示車両は2002年3月28日を最後に引退し、岡崎の名鉄舞木検査場で整備されたあと、8月23日から一般公開されています。中間車は売店を改装のうえ、『ビュッフェ パノラマ』として、ドリンク・軽食などを販売。競馬開催日および場外発売日の9時~16時30分に営業しています。この時間帯は車内も解放され、2階運転台も見学でき、子どもは運転席に入れてもらえるサービスも行っています(ただし雨天中止)

chukyorace.jpg

さて、明日(11日)の中京競馬場のメインレース(11R)は名鉄杯(1000万下・芝2000m)です。前にも書きましたが、通常のファンファーレではなく、冠スポンサーである名鉄パノラマカーのミュージックホーンのメロディが演奏されます。ここで、

「どーけーよ、どーけーよ、ころすぞー」

と唄った貴方はナゴヤ人です。発走は15時25分。フジテレビ「スーパー競馬」でも中継されますので、ぜひ耳をすませてください。中京競馬場へ行く方は、このパノラマカーの中に入ってシートに座るとゲンがかつげるかもしれませんよ。で、肝心の予想はこちらをお楽しみください。

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2007年03月11日

『風林火山』第10回「晴信謀反」

またまた遅れてしまいまして申し訳ありません。13日の明け方にようやく観ました。寝るのを惜しんで……。ああ、早くタイムリーで観られるような生活に戻りたい。
今回も勘助ほとんど出番がありません。前回で晴信に情けをかけられたのが屈辱のようで、古寺にこもって酒びたりとグレています。若い内野勘助だからサマになりますが、史実の老人勘助では目も当てられません。一方、信虎と晴信の対立は激化し、ともに駿河に追放しようと今川義元のもとに使者を送ります。晴信の側近、板垣は飯富昌虎・甘利虎泰にも晴信に加担することをすすめますが、甘利の「あまりにも無常」というセリフはオヤジギャグだったのでしょうか?
天文10年(1541)、武田信虎は諏訪氏、北信濃の村上義清と組んで真田郷の海野一族を攻めます。幸隆が敗れて上野(群馬県)へ落ち延びるときになって勘助登場。すでに幸隆には源太郎という子がいますが、これは時代設定からいっても昌幸でなく、信綱です。昌幸はまだ生まれていません。幸隆が世話になる長野業正、中央舞台からはずれているので知名度はイマイチですが、光栄の「信長の野望嵐世記」では信長よりも能力数値が高く設定されています。これは弘治3年(1557)に武田信玄が6度にわたって上野に侵攻したけど業正に撃退されている史実があり、結局、信玄も業正存命中は攻略できなかったからです。もちろんこの頃、幸隆は業正のもとを離れて信玄に属していますが、この長野業正をクローズアップしてくれるとドラマ的にはもっとおもしろくなると思います。
そして今川義元は大原雪斎の進言で晴信に加担することを決意。ここで信虎を迎える使者として勘助に白羽の矢が立つわけです。

史跡紀行では、なぜか今回の物語とは関係のない山梨県韮崎市の宗泉院と武田勝頼の新府城跡を紹介していました。宗泉院は勘助の供養塔といわれる石祠がある寺ですが、アクセスが大変。山の中腹にあり、クルマで行ったのですが果てしなく山道を通りました。クルマで行ってもかなり時間がかかったことを実感させられるわけですから、バス停で降りて歩くと30分以上はかかります。このドラマがなければ無縁の地だったでしょう。ということで今回は宗泉院方面へ行くバスが出る韮崎駅のスタンプを紹介します。

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韮崎駅は八王子支社印の「瑞牆山と増富温泉」のスタンプがあったのですが、摩滅か盗難か何かで現在はありません。古いキャンペーンの「しんせんやまなし」のミニスタンプだけが保管されています。かなり状態も悪いのですが、スタンプの平和観音は駅裏手の観音山に建つ高さ18.3mの像で、駅ホームからでも観音様を見ることができます。なお、武田勝頼の新府城跡は韮崎よりも隣の無人駅・新府が最寄です(徒歩15分)。

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2007年03月12日

よっちゃんの体重ブログ第2弾(その1)

すいません管理人バタバタのため、またもビデオ録画の『風林火山』を消化することができず、久々の投稿よっちゃんの体重ブログを先に掲げさせていただきます。なお、今回は写真と文章が豊富なため、2日に分けてUPします。明日も続きをご覧ください。

御無沙汰しております。2月末に何とか一山登ってまいりました。今回は中央本線からアクセスの良い山を御紹介しましょう。

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 中央本線梁川~鳥沢間の南麗にそびえる倉岳山です。駅からのアクセスが良い、富士山が近くに見える等で人気があると聞きました。が、平日の正午、梁川駅に降りるのは私と地元のお婆さんだけ、、、 倉岳山は990M、梁川駅から山頂を経て鳥沢駅まで回るコースの所要時間は4時間ほど。約10Kmの道のりです。梁川駅から登山口までは舗装路を歩きます。冬の雪中トレッキングに人気の山だそうだが、今年は暖冬です。梅は満開、ボケまで咲いていました。春の香りを楽しみながら程なく登山口へ。北斜面でも残雪は無く暖かな日差しの中の山行です。沢筋の苔むしたルートは歩き辛いものの趣があって良い、爽やかな沢の音と小鳥の囀りしか聞こえず、静かなハイクが楽しめます。

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 すっかり汗ばんだ頃、いいタイミングでベンチがあります。最後の水場です。飲めませんと書いてありますが飲んじゃいます!旨いです。一服してから沢とお別れし、一気に尾根まで上ります。尾根に着くと立野峠とありました。南に下ると秋山方面、頂上へは右折します。標識も有り迷うことは無いです。尾根筋の南側は広葉樹が葉を落として展望が望めます。北斜面は杉林で鬱蒼としています。左右で全く違うのでちょっと面白いです。管轄が違うのか? それとも北斜面の方が杉の植林に適しているのかもしれません。

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 倉岳山は尖った山なので標高800Mを越すと登りがきつくなります。赤土の急斜面は滑りやすいので注意して上ります。息が上がる頃、急に前が開けて頂上に着きました。北方の景色が見事です。鳥沢周辺、中央高速道、扇山、百蔵山、岩殿山も見えます。南西方面は道志の山々の先に富士山がバッチリ!?と言いたい所ですが、春の霞に隠され輪郭がぼんやりとしているだけでした。因みに頂上には丸太椅子が二組しか有りません。敷物持参がお勧めです(明日につづく)

投稿者:よっちゃん
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2007年03月13日

よっちゃんの体重ブログ第2弾(その2)

さて、昨日に引き続きよっちゃんの体重ブログです。果たして痩せられますかどうか……。

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遅いランチを食べてから高畑山方面へ下ります。下りも急斜面なので滑りやすいです。ウエイト100Kgオーバーがコケるとダメージが大きいので注意しながら下ります。20分ほどで穴路峠へ、峠から尾根沿いに上ると高畑山方面、右が鳥沢へ下ります。倉岳山、高畑山の縦走コースが人気のようですが、今日は時間不足なので鳥沢へ下ることにします。 この峠、ちょっと変わっています。十字路の場合、普通は尾根道がメインで左右から接続する感じですが、穴路峠は南北の峠道が尾根道をスパッと切り取ったような感じで道幅広く切通してあります。端の方の「峠道文化の森」看板にその訳が載っていました。穴路峠は村と村を結ぶ要所だったようです。しかし変わった名前の峠です。調べてみたところ諸説あるものの、アナジあるいはアナシとは北西風のことで、寒い時期に秋山から鳥沢へ向かう際、南北に切通してあるこの峠を超える際厳しい季節風が吹きつける事から付いた名前らしいとの事でした。秋山と甲州街道を結び、古くからの人、文化の交流がしのばれます。この辺りの山は炭焼きが盛んで運んでいたようです。今でこそ寂しい峠で一人佇めば、今にも行商に行く村人が背負子を担いで現れてきそうな感じがしました。

 峠からは比較的緩やかな道ですが、所々崩落が進みえらく道幅が狭いので緊張します。一人で落ちたら山伏になって暮らすしかありません。日も陰り薄暗くなって来ました。先を急ぎます。 沢筋に出てからはまるで河原のような石がゴロゴロ、疲れた足には堪えます。鳥沢から登り梁川へ下る方がコースとしては良さそうです。どうりですれ違う人ばかりだと思った、、、 途中、高畑山分岐があり、角に石仏が奉られてます。鳥沢から上った場合、右折すれば高畑山経由で穴路峠に行けます。

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 穴路峠から1時間。足も辛くなるころ、ようやくエメラルドグリーンが映える小篠貯水池を通り抜けます。登山道はここまでで、集落入り口に赤い鳥居の山の神神社があり、ここも梅が綺麗です。小篠集落の中をゆるやかに下って行き、後ろを振り返れば夕日に映える高畑山(右)と倉岳山(左)が見送ってくれます。虹吹橋で桂川を渡り甲州街道に出れば鳥沢駅まで10分ほどです。駅に着いたときはとっぷり日が暮れてしまいました。休憩込みで梁川駅から鳥沢駅までの所要時間は5時間半でした。

 春の息吹を感じるのは多分4月中頃でしょう、山桜も所々植わっていそうです。山里文化交流の道を歩きに出かけませんか? 2月末の体重113Kg(減ってないぢゃん!!)

投稿者:よっちゃん
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2007年03月14日

『名古屋テレビ塔~なごやんと天守閣と、時々、ひよこ』

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タイトルに深い意味はありません。二匹目のドジョウと言いたかっただけです。

地上にそびえ立つ名古屋テレビ塔は、昭和29年(1954)完成。東京タワーなんて昭和33年(1958)ですがな。そうだ名古屋はえらいのだ。

名古屋名物の白餡饅頭といえば、敷島製パン(東京ではパスコの名で進出)の“なごやん”松河屋老舗の葵の御紋の入った“天守閣”もございます。天守閣は1個74円でバラ売もしています。鹿児島出身の友人がこれが好物で、おみやげにいつも要求されました。食べたことない人に「どんな味?」と聞かれたら、「ひよこと同じ」と答えておきましょう。“ひよこ”って本当は福岡のお菓子なんですけどね。

この“ひよこ”をたぬきに置き換え、以前は「ロバ製菓」が“ぽんぽこ”という白餡饅頭を製造してましたが……、倒産。今はその工場を別の会社が引き継いで、“ぽんぽこおやじ”という白餡饅頭(笑)を作ってます。

カタチはどうあれ、まあ、いいです。白餡饅頭バンザイ!

投稿者:管理人代理
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2007年03月15日

ナゴヤの喫茶店はすごい!

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何がすごいかって?オマケが大好きな民族なのだ。ということは、そうです!

コーヒーを注文すれば朝食が付いてきます。厚切りトースト、ゆでたまご、サラダ等々。こんなのはまあ普通。和定食やうどんまで付いてくるお店だってあるんだよ。もっとも、モーニングサービスは一般にAM11:00まで。今度証拠写真撮ってくるね。
通常の営業時間には、写真のようにおつまみがついてきます。バターピーナッツ、これは定番で、個包装になった豆菓子やカップケーキ、マドレーヌなんてのも。かつてはアイスクリームという喫茶もありました。なんか腹を壊しそうですが……。

知らない人はびっくりします、「注文してないんだけど?」それでなくてもコーヒー1杯の値段は安いほうだと思います。

あと、都心じゃなくて住宅街の中にもけっこう喫茶店があるんです。周囲が田んぼだっておかまいなし。作業服のおじさん、おばさんが一服していたり、地域文化に密着してます。朝の勤めが早い人のために午前5時30分ぐらいから営業している喫茶店だってあります。
日曜の朝などはスエット姿のおじさんが新聞を広げていたり、マンガや週刊誌も充実してます。
実際、マンガを読むために通っている人もいるくらいで、ナゴヤ人はちょっとしたポケットマネーで、くつろげる空間を貸し切り状態にしてしまう。
心の贅沢というやつですね。

投稿者:管理人代理
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2007年03月16日

スタンプ物語31・水道橋駅

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えーお久しぶりです。仕事がつまってしばらく代理に書かせていましたが、本日は管理人です。久々にスタンプ物語です。
今回は水道橋ということでスタンプは「小石川後楽園」。観光ガイドなどでは次の飯田橋が最寄になっていたりもしますが、水道橋駅西口から徒歩10分程度で、飯田橋とさほど変わりません。ただし、スタンプは東口みどりの窓口前にあるからややこしい。東に伸びる中央線は東口・西口タイプの駅がありますが、これってホームの端と端なわけですから、出口が違うと徒歩の所要時間も5分くらい変わってしまいます。
話はそれましたが、後楽園は寛永6年(1629)に初代水戸藩主・頼房が築き、2代目の光圀(水戸黄門)が改修して完成させた回遊式泉水庭園です。7万㎡以上の広大な園内に四季折々の花が咲き、日本各地と中国の名勝を模した岩や橋などもあります。入園300円。9~17時。無休。
ってガイドブックの受け売りみたく書いてしまいましたが、ヤキソバのおいしい後楽園WINSはよく行ったくせに、肝心の庭園には一度も行く機会がなかったので、いまいち実感が湧かないのです。お江戸の由緒ある名勝なのにです。どうしても後楽園というとWINS・ドーム・ドームホテル・ラクーアに目がいってしまうのです。そういえば来年の大河ドラマはお江戸を中心にした『篤姫』でしたね。ガイドブックライターより、フィールドワークの大切さをこの頃実感しています。
でも『旅行主義』第3号にも書いたけど、後楽園WINSのヤキソバはおいしいよ!

投稿者:管理人
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2007年03月17日

岩手競馬が大ピンチなんです!

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先に管理人のブログでも書かせていただきましたが、16日、岩手競馬再建のため、盛岡・奥州両市に対して297億円を融資する県からの補正予算案が、岩手県議会で否決されたのです。これに対し、増田岩手県知事は、本年度での岩手県競馬の廃止を示唆しており、3月24~27日の水沢開催をもって岩手競馬が終了する可能性が出てきました。ばんえいのときはまだ時間があったので、ソフトバンクの支援も得られて存続が決まったのですが、あと1週間足らずで廃止では民間支援による存続を図るための時間的猶予もありません。

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幸い水沢競馬には2004年9月16日に「青春18」で行ったことがあるのですが、結局、新しくなった盛岡競馬場(OROパーク)は行かずして廃止をみることになってしまうかもしれません。この競馬場は競馬バブルの真っ只中だった1996年に約404億円をかけて建設されました。芝コースも設置されたすばらしさは特筆できますが、この建設はあまりにも無計画だったといわざるを得ません。そしてこの約404億円という投資をドブに捨てようというのです。
具体的な救い道は競馬存続派の奥州(水沢)市長がいることで、水沢の単独開催に移行し、新盛岡のほうはJRAへの売却の方向へもっていったほうがいいかもしれません。JRAとてフトコロが厳しいのは分かりますが、まだ盛岡ひとつ救う手立てはあるでしょう。

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しょせん非力な管理人では、せいぜい少ないおこづかいから馬券を買ってあげることくらいしかできないのですが、もしこれを読まれた方、ぜひ3月24~27日の水沢開催へ行くことをおすすめします。今なら「青春18」が使えますし、もうこのまま岩手のお馬さんに会えなくなってしまうかもしれないからです。水沢競馬場にはおいしいものもたくさんあります。そのひとつが「多満川食堂」のいもの子汁(写真左)です。温まりますよ~。他にも僕は苦手ですがモツ煮(写真右)も評判です。
他にも競馬場内に茅葺の復元民家や馬車なども展示してあり、近代的なグッズショップもあります。しかし、ソフトバンクの本をみても明らかなように、これらの魅力や周辺観光地のPRが欠けすぎではないかと疑問に思うこともあります。
この場を借りて申し上げます。幸い当会にはブルーガイドパックで国内版最大の部数をしかけた代表森田芳夫氏はじめ、旅行業界の重鎮たちがそろっています。岩手県および岩手競馬組合に関係する皆さんがもしこれを読んでいたら、ぜひ当会にご相談ください。少しでも客を呼べるアイデアが出せると考えています。

投稿者:管理人
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2007年03月18日

『風林火山』第11回「信虎追放」

はい、ようやく21日夜に観ることができました。信虎追放劇、よく描かれています。晴信の弟信繁は本当にできた弟ですね。本来ならあそこで権力争いが起こるのに……。信長と信行しかり、伊達政宗と小十郎しかり。秀吉と秀長の関係のように兄を補佐していくのですね。役者も晴信以上にいい味出しています。さて、駿河に行った信虎、ここでかつて臣従させた大井宗芸(信達)に出会います。大井夫人の父にあたる人です。そして今川義元、大原雪斎、大井宗芸らとともに歌の読み合わせをし、最後に義元が「晴れて心に戻る甲斐なし」と。これは信虎のことを指しているのですが、それに気づいていない信虎、「晴信をよろしく頼みます」と云っています。
さて、駿河から甲斐への帰途、甲斐国境ではかつて自分の名を与えた腹心までもが叛き、茫然自失。そこに勘助と噛ませ犬青木大膳などが迎えにきます。帰り道で勘助の殺気に気づいた信虎はいきなり勘助に斬りかかり、馬上での一騎討ち。勘助は信虎を殺すのでなく、刃を交えたことで思い人ミツを殺された復讐の念が晴れたのでしょう。勘助に代わって信虎に斬りつけた青木大膳を止めます。信虎はこの後、剃髪しますが義元が桶狭間で討たれるまでは駿河にいたようで、その後放浪してのちに軍師として九鬼嘉隆(のちの九鬼水軍の大将)を志摩より追放する活躍を見せます。でも、結局甲斐に帰国はかないませんが。

史跡紀行では万沢宿のある南部町と信虎の墓がある甲府市の大泉寺を紹介していました。万沢宿はJR身延線沿いの十島駅が最寄でちょうど身延沿線が甲斐と駿河を結ぶ街道がありました。十島は身延線で山梨県に入った最初の駅です。久しく身延線も乗っていないので実感が湧きませんが……。大泉寺のほうは直接は行かなかったのですが、制作した『風林火山をゆく』(英知出版)では紹介しています。ただ、甲府駅からバスで15分、さらに徒歩15分かかります。今回はスタンプや写真がありませんのでこれにて失礼します。

投稿者:管理人
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2007年03月19日

よっちゃんの体重ブログ第3弾

すいません。またまた管理人『風林火山』のビデオ観れず。今週もよっちゃんからの投稿を先にUPします。

まいどですー。先日、国道16号沿いのバイク屋まで修理に出向いたのですが、そのまま預かりになってしまい、電車帰宅となり、奇しくも東武野田線に乗ってまいりました。かなり昔、iモードも無い時代。船橋から小山方面まで急用があったときに路線図だけ見て野田線が早そうだと乗り込み、とんでもなく時間が掛かって参った事がありました。ゴウンゴウンと唸る動力音、運河、梅郷などストレートかつローカルな駅名、単線区間も多くやたら長ーい停車時間、時間を気にしつつ車窓から綺麗な夕景を見ていた(要するに建物少なく雑木林、原っぱばかりということか?)記憶が蘇ります。

 さて、バイク屋から20分ほど梅郷駅まで歩きます。16号線は大型トラックばかりでうるさいので横道へそれます。さすが梅郷と言うだけあって彼方此方雑木林に混じって梅の木が良い香りを出しています。原っぱでは三角ベースで手打ちをしている少年達、最近見かけない光景だけに唸ってしまいます。うーん。ビバ!ローカル!! 少年捕まえて道尋ねます。「ばいごう駅ってどっち?」「ばいごうってなに?」「駅のことだよ」「え??うめさとだよおじさん」「へ??う・め・さ・と?」 おぢさんじゃないっ!と心の中で叫びつつ、初めて正しい駅名を知る41歳なのでした。

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 この付近の印象は15年前と余り変わっていない感じです。勿論ベットタウンとして開発も進み建売住宅の密集しているところもありますが、まだまだ遊び場の多そうな、いい感じの田舎風景が残っていました。 電車の音が近くに聞こえてきます。車両も8000系(左上)に変わり、もう唸り音はしていません。県道を渡り梅郷駅に着きます。いよいよ複線化されるのでしょうか、駅舎も新たに建築中(左下)です。「生まれ変わる梅郷」とのキャッチフレーズで駅前のタワーマンションも建築が進んでいます。今後はこの辺りもどんどん変わっていきそうです。スレート葺の旧駅舎(右下)も間もなく無くなります。郷愁を誘う部分も残してほしいと思いつつ電車に乗り込みました。

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 普段縁の無い会社線を利用するとついキョロキョロしてしまいます。向いの婆さんが孫とせんべい食べてます。グリーン系の車内色がくすんでいい感じで鄙びてます。夕方でも乗客数少なめです。勿論各駅停車一筋です。失礼ではありますが、東武野田線、シビレます! 利根川運河を過ぎ、初石を過ぎ、流山おおたかの森駅でつくばエキスプレスに乗り換えます。つくば線開業に合わせた新駅で降り、乗り換えると突然都心に戻ってきたかのような錯覚に陥ります。それほど野田線はホノボノとしていて心落ち着きます。次回バイク回収の際は遠回りして満喫しようと思います。都心から余り離れなくても旅気分は味わえるものですなぁー、

 ところで帰ってきてから、ふと思いました。梅郷、近くに無かったな、、、ちょっと調べてみました。 梅郷駅は、明治44年(1911)5月9日開設、明治22年(1889)市制町村制が施行され、旧山崎村、桜台村、今上村、花井新田、択根新田の5ヵ村が合併して新村を設置し、村名を「梅の五弁」になぞらえて、「その花の香ばしく後に堅実に実を結ぶ」を佳名とし梅郷村が出来、駅名の由来となったそうです。ガーン!周辺の梅は関係ないぢゃん!でも、駅に因んで後から植えたのかもね。 15日の体重112Kg(変らんのぅー)

投稿者:よっちゃん
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2007年03月20日

岩手競馬再開への長期戦略はありそうです。

先日の管理人の投稿に対し、代表の森田芳夫氏から貴重なご意見をいただきました。

私は競馬を見たこともないし、馬券も見たことがありません。
 しかし、「馬」そのものには、愛着を感じています。水沢が本気になって競馬レースを再建したければ、まず「馬」を町興しの核に据えて、市民を巻き込み、全国の「馬好きの首都」となるよう努力を重ねるほかありません。

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そのための施策を羅列します。
①日本の品評会と名馬コンクールの例年開催。
②馬肉料理の開発し、「馬肉料理の町」(そのネーミングを公募)を宣言。(岩手、長野、熊本は明治政府の法令に背いて馬刺しを食べてきた)
③タクシーはあってもいいが、市民の足を基本的に「馬車」にする。
④乗馬学校、貸し馬、魅力的な専用乗馬ルートの開設。
⑤馬と触れ合うユニークな動物園の開園。
⑥子馬の飼育施設、日本と世界の競走名馬の引退後の養老施設を作り、公開する。
⑦馬にちなんだお土産グッズの開発(馬皮製品、使い古した馬蹄のオーナメント、馬の毛で作るハンドバック、木彫りの馬、崇高な感じの絵馬など--)。
⑧全国絵馬コンクールの開催とその応募作品展示会を長期に開催。
⑨馬にちなんだ芸術作品コンクール(詩歌、メロディー、小説、絵画、彫刻)の開催。
⑩市立馬専門医科大学の開校。
⑪馬の歴史資料博物館を作る。
最後に「水沢競馬」をめざす。

まだまだ他にも考えられます。

・このほか国際交流として実効が期待される二つ。
■姉妹都市としてスイス随一の馬の町セニレジェ(ジュラ州・人口2千人、馬数千頭)と姉妹都市の締結。ノウハウを学び、日本の馬の文化を伝達する。
■信頼できるエージェントを通し、「ウイーンの乗馬学校」から毎年馬を運び、エレガントな馬の舞踏ショウを開く(かつて東京へジャンボジェットで2頭が運ばれて大人気を博したことがある)。ウイーン少年合唱団の演奏会と同時開催できればなお結構。

時間はかかるかも知れないが、どれかは市長の決断ですぐ始められるはずです。ご一考ください。市民の賛同もえられるはずです。

投稿者:森田芳夫
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2007年03月21日

元祖味噌カツ

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ナゴヤの赤味噌文化の代名詞といえるのが味噌カツです。ナゴヤの食堂には必ずといっていいほど置いてあり、何も知らない東京人が食堂に入ってカツ定食を頼もうものなら「味噌にしますか、ソースにしますか」と聞かれ、びっくりさせられます。まだ店の人が聞いてくるだけマシなのですが、いきなり味噌がかけられたトンカツが登場したとき、「このソース甘いよ。腐っているんじゃないの」と宣った輩がいたそうです。その後どうなったかわかりませんがナンマンダブ……半殺しにされていなければよいのですが。
ところで現在、矢場とんなどで出てくるわらじトンカツはむしろ亜流で、本家の味噌カツは土手焼きの煮汁(赤味噌・砂糖・みりんなどで調味)に串カツをつけて食べたのが始まりと言われます。土手焼きは牛モツ・牛スジ・こんにゃく・ゆで卵・大根などを煮込む味噌おでんの王道ですが、この土手煮の味噌鍋にどぼんとカツを食べるのです。名古屋競馬場や笠松競馬場、岐阜県海津市のお千代保稲荷などでも食べられます。競馬場の味噌カツは店の人が煮汁につけ、皿にキャベツを添えて出されますが、お千代保稲荷の味噌カツは1本80円で、自分で味噌煮鍋にぶっこんで食べられます(当然二度漬けは禁止!)。脇にキャベツが置いてあり、自由に食べられるこのアバウトさは、お千代保稲荷ならではでしょう。
ナゴヤの子どもはこれをオヤツに出されると大喜び。しかもコロモが薄いので10本、20本なんて軽々食べられてしまうところが怖い。ナゴヤ出身のママさんはお千代保稲荷に行ったとき、子どもたちが味噌カツをせがむので、「10本までよ!」と釘をさしたとか。栄養が偏るといけませんからキャベツと一緒に食べましょう。

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投稿者:管理人
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2007年03月22日

スタンプ物語32・飯田橋駅

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スタンプは飯田橋西口にある牛込橋です。ここでもスタンプ設置箇所は東口となり、水道橋同様、東西逆転現象が起きています。
牛込橋は、寛永13年(1636)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(ただてる)によって江戸城外郭門の一つ牛込見附門とともに建設された橋で、現在の早稲田通りに架かっています。この陸橋は1996年3月架け替えられたもので、長さ46m、幅15.75mあります。これに橋のたもとの構造部分との陸橋に続く堤上の道(橋台)を合わせると、長さは100m近くにもなり、橋の親柱の上には隅櫓風の装飾が施されています。この橋を東へ行くと神楽坂があり、界隈は商店街で賑わいます。また、大正時代は花街でしたが、その面影が裏路地に残されています。
一方の駅名にもなっている飯田橋は東口。首都高や四角形の歩道橋があって交通量の多いところです。由来は天正18年(1590)、徳川家康が関東に入封したとき、周辺案内したのがは飯田喜兵衛という住人でした。喜兵衛の丁寧な案内に家康は気に入り、視察後、名主に任じてし喜兵衛にちなんで飯田町とするよう命じたといいます。
なお、明治27年(1894)の甲武鉄道鉄道開業時は橋の西側に牛込駅があり、東に飯田町駅がありました。昭和3年(1928)の複々線化工事にともない、至近距離だった両駅を統合して飯田橋駅ができたのです。

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2007年03月23日

ひと足早いですが

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昨年の板橋区加賀公園のサクラです。毎年、この時期はやたら忙しく、ようやく写真撮りに行けると思えば曇ってた……。今年はもう少しサクラの写真撮りたいです。会員の皆様のサクラだよりお待ちしています。

投稿者:管理人
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2007年03月24日

ナマズは美味

ナゴヤ国の隣にある岐阜県海津市(旧平田町)のおちょぼさん(お千代保稲荷)は、伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷です。参道はいろいろな雑貨屋さんが並んでいて大変おもしろいのですが、なかでも名物は川魚料理です。コイやウナギなども食べられますが、やはり一番のおすすめはナマズの蒲焼です。

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ナマズ料理の店はたくさんありますが、上にかに道楽ならぬザリガニとナマズが飾ってある『稲金』へ行きました。入口にはナマズの生簀があります。

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ナマズというと、グロテスクな姿から抵抗を覚える方もいるかもしれませんが、身は淡白でとてもおいしく、甘露ダレの蒲焼はとっても美味。お店によっては時価となっているところもありますが、僕が行った『稲金』のナマズ蒲焼定食は1800円でした。ウナギよりも高いです。
でも、ナマズを食べるのは埼玉県吉川市をはじめ、内陸では結構川魚料理がありますね。埼玉の店はナマズの天ぷらが多かったのですが、吉川の『魚竹』ではナマズの蒲焼が食べられます。ただし焼くのに1時間かかるので要予約だそうです。ということで今回はナゴヤ国まで出向かなくても、埼玉県でも食べられます。ぜひナマズ料理を一度お試しください。

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