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『風林火山』 アーカイブ

2007年01月07日

『風林火山』第1回「隻眼の男」

連載の「スタンプ物語」をお休みして、いよいよ2007年NHK大河ドラマ『風林火山』が始まりましたので、管理人が当ブログで主題とするドラマの突っ込みどころを描きたいと思います。
はじめこの『風林火山』の予告を見たとき、1年間大丈夫かなと思って心配していましたが、なかなかよい出来映えのスタートを切りました。オープニングの音楽と自然の風景を駆ける武田騎馬隊がうまくマッチしています(『功名が辻』に比べたら)。まあ、歴史を重視して木曽馬などの在来国産のポニーを使って再現しますとさまになりませんので、サラブレッドやアラブに騎乗するのは歴史ドラマの「お約束」といえるでしょう。登場する乗馬には中央や地方競馬を引退した競走馬もいることと思われますし……。
気になる物語の始まりは天文4年(1535)の万沢口合戦でした。井上靖の原作や『甲陽軍鑑』では、勘助が登場するのは、信玄が国主となる天文10年(1541)以降なので、6年前からの時代設定。それでも勘助はすでに50近くになっていますが、今回の内野聖陽演じる勘助はどうみても30代、片足は不自由といいながらも、かなりアクティブに演じられています。女っ気のない勘助にミツという思い人の設定も(*^ー゜)b グッジョブ!! これまで演じられてきた老人勘助のイメージを払拭する内野勘助に期待しましょう。
気になる勘助の出生地ですが、井上靖原作と『甲陽軍鑑』の説を採用し、三河牛窪(愛知県豊川市)となっていました。勘助の出生地は駿河国富士郡山本(静岡県富士宮市)と三河国八名郡賀茂(愛知県豊橋市)の2説が有力ですが、両説とも牛久保(牛窪)城主牧野家の家臣大林勘左衛門の養子となるところで他の史料と合致します。ドラマでも勘助が「大林勘助」を名乗ったのはそのためですが、歴史の史料では大林家に嫡子が生まれたため、養家を離れるのは大永7年(1527)のことなので、多少時代設定が変えられています。まあ、ドラマだから歴史を忠実に再現するよりいいかもしれません。
最後の史跡紀行紹介では、いきなり信玄の本拠躑躅ヶ崎館跡(武田神社)と信玄出生地の要害山城を取り上げていましたが、ドラマのストーリーからみても万沢口古戦場を取り上げてほしかった気がします。この万沢口(山梨県南部町)は駿河と甲斐の国境に近く、番所(関所)が置かれたところなのですが、意外にも古戦場を示す史跡は残っていません。NHKもそのあたりを考慮して取り上げなかったのかもしれませんが。

最後に昨年11月に管理人が制作しました大河ドラマ歴史紀行の副読本を紹介します。


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『風林火山をゆく』
(英知出版) B5判 980円 ISBN4-7542-5606-9
2006年11月発行。12月2刷。2007年度NHK大河ドラマ『風林火山』の主人公・山本勘助生誕の地から終焉の地・川中島古戦場まで勘助69年の生涯と足跡を追いかけ、その実像に迫った歴史紀行。勘助・信玄ゆかりの史跡からグルメ・おみやげ・沿線の記念スタンプまで旅の情報満載! 旅ジャーナリスト会議代表かつ伊那市ふるさと大使森田芳夫氏ご推奨の一冊です。

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2007年01月14日

『風林火山』第2回「さらば故郷」

第2回目で過去にさかのぼり、勘助の出生地は駿河富士郡山本村(静岡県富士宮市)であることが明らかになりました。まあ、山本という地名が残っているぶん、駿河説のほうがドラマにからみやすいですからね。ここで少年勘助(幼名源助)登場。すでに隻眼で片足が不自由になっています。勘助は疱瘡にかかる前は利発で美男だったと伝えられ、隻眼になる前に大林家に養子に入ったともいいます。このほうが勘助の不幸値をUPさせるのに効果的だったと思いますが。また隻眼になった原因として『名将言行録』ではイノシシに不覚をとったと記されています。ちょうど亥年なので、こちらの演出のほうがよかったようにも思えますが、ロケをするのも大変か? 野生のイノシシはかなり危険ですので。
さて、前回も書きましたが、勘助が牛窪(牛久保)の養家・大林家に戻ってくると、すでに実子勘兵衛が生まれており、もう元服して初陣までしています。しかも晩年に生まれた子なので、可愛がりすぎたのか軟弱な設定。しかも勘助が苦労してとった兜首(赤部下野守)は、実子勘兵衛の手柄に奪われる始末。哀れ勘助、せっかく気味の悪い生首を甲斐から三河まで運んだというのに……。
おまけに駿河に戻ってきたら、兄貞久は武田と内通している福島越前守に仕え、その内情を知る勘助は兄に襲撃され、「駿河を去れ」といわれます。ちょうどそのとき、武田家では勝千代(信玄)と次郎(信繁)が剣の試合をし、父信虎が次郎を寵愛しているのに、気づいた信玄はわざと負けてしまいます。このあたりは信玄と勘助、互いに不幸な者同士がいずれ共鳴する設定なのでしょうか。元服前の信玄が、信虎の名馬鬼鹿毛を所望し、信虎の怒りを買ったというのは『甲陽軍鑑』の話ですが、元々信玄びいきに書かれた書物ですので、信虎が信玄をどこまで疎んじていたかは疑問です。天文5年(1536)、信玄が元服するときも、室町幕府12代将軍足利義晴の「晴」の字をもらい、「晴信」と称していますし、正室に京都の公家(三条夫人)を迎えていますので、嫡子として扱われているのは事実ですから。
嗚呼、哀れ勘助、養家と実家から追われ、行き着く先は思い人ミツの葛笠村しかありません。でも、まだ頼れる場所があってよかったね勘助。この不幸設定、個人的には好きなのですが、あまり重いと他の視聴者がついて来れるかどうか。あの最悪だった『MUSASHI』のようにならないことを願うのみです。
今回の歴史紀行は静岡県富士宮市が紹介され、僕が昨年正月に訪れた山本勘助誕生地や、代信寺の勘助両親の木像を取り上げていました。それにしても勘助もうひとつの出生地の愛知県豊橋市や、勘助が養子時代を過ごした牛久保の愛知県豊川市は紹介されずに終わってしまうのでしょうか。勘助がお守りにしている摩利支天像は、愛知県豊川市の長谷寺に安置されており(現物は親指ほどの大きさしかありません)、当寺の念宗和尚とはずっと親交があった関係で勘助の墓もあるのですが。
このまま勘助の育った三河牛窪(愛知県豊川市)が史跡紀行から埋もれてしまうのも可哀想なので、僕の写真を掲げておきます。

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JR飯田線牛久保駅下車。
牛久保城跡(写真左)駅から徒歩2分。長谷寺・山本勘助の墓(写真中央)駅から徒歩8分。
他に今川義元の墓がある大聖寺も近い。あと豊川といえば豊川稲荷(写真右・豊川駅から徒歩5分)です。稲荷寿司もおいしいよ! 詳しくは管理人制作の『風林火山をゆく』(英知出版)を読んでね。

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2007年01月21日

『風林火山』第3回「摩利支天の妻」

森田代表の3日連続投稿などもあって、しばらく管理人はお休みさせていただきましたが、日曜は管理人担当ということで、『風林火山』第3回です。
今回は史実とはあまり関係なく、最後以外はまったりとした内容でした。勘助が思い人ミツのいる葛笠村に行くと、ミツが妊娠中。勘助の子が宿っています。一方、晴信(信玄)も父信虎に疎んじられ、放蕩三昧の日々を送ります。そして以前出会ったミツを侍女に所望しますが、原美濃守が葛笠村へ行くと、ミツのお腹はすでに大きく、晴信に召し出すのを断念。このあたりは信玄と由布姫、勘助の微妙な三角関係の伏線なのでしょうか。
しかし、まあ勘助、ミツと農耕して暮らしているうちに、箱庭で城の縄張り造っているものの、ミツに「こんなところで百姓している人ではない」と問いただすと、勘助は「そなたはワシの城じゃ」と思いっきり家庭に入っている。似合わね~。本当だったらミツが「ワタシを捨ててでも天下に名をお残しください」と言い、勘助は黙って去っていくほうが実像に近いのに。実際の勘助の子としては、晩年に原美濃守虎胤の姪か妹を娶り、三男一女がいたとされます(新城市黒田の山本家系図)。文化年間(1804~18)に成立した『甲斐国誌』には、天正3年(1575)の長篠の戦いで、勘助長男の勘蔵信供が討死したと記されており、年齢を推察すると、勘助に子ができたのは1550年代とみられます。まあ、それ以前にも子がいたかもしれませんが、信玄に仕官して知行をもらうまでは所帯をもつなど難しいことだったでしょう(今回はミツのヒモになっていますが)。
貧しくとも幸せな日々を送る勘助夫婦に新たなる魔の手が。信虎が鹿狩りに出かけた際、信虎が鹿を射ようとしたまさにその瞬間、タイミング悪くミツの物音に気づいて鹿は逃げてしまい、怒りのあまり信虎はその矢先をミツに向けて放つというところで次回に続きます。
歴史紀行は今回愛知県豊川市が紹介されていました。当ブログでは一週間前の第2回で紹介しており、まさに予測が的中したといえましょう。今回のような史実にない設定ですと、そのドラマの舞台とは関係のない土地を紹介せざるを得なくなるのが辛いところです。甲府市も何度かに分けて紹介されることでしょう。でも、もうひとつの生誕地で知られる愛知県豊橋市賀茂町は紹介されないのかな?
ということで管理人の写真から先に愛知県豊橋市賀茂町を紹介します。

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JR飯田線豊川駅からタクシー。
豊橋市賀茂町字出口には山本勘助の生誕地の碑(左)があり、近くの菩提寺である本願寺(中央)には、勘助両親の墓も安置されています。またこの付近は勘助子孫の方が品種改良した勘助白桃(右)の産地でも知られ、甘くておいしいと評判。毎年夏場に出荷されます。クルマ以外のアクセスが不便なのですが、豊川市の地域文化広場(9~17時、月曜休)では、無料のレンタサイクルがあり、史跡散策の強い味方になってくれます。

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2007年01月28日

『風林火山』第4回「復讐の鬼」

いきなり衝撃的な信虎の乱行が描かれていましたね。勘助の思い人ミツに向かって矢を放ち、かろうじて摩利支天にお守りに当たって助かったものの、信虎は妊娠中のミツの腹を裂き……さすがに画面には写せませんが。この信虎の乱行は伝説の類なのですが、乱行で妊婦の腹を裂くというのは、豊臣秀吉の養子秀次や家康次男秀康の子松平忠直にも見られ、乱行に共通する行為ですが、もちろん一級史料には見られず、後世の創作と考えられます。
しかし、ミツの縁者関係を板垣信方が召し抱えるという設定にはちょっと無理が。そんな怨みをもつ人間を召し抱えれば、寝首をかかれる可能性が高くなるだけです。勘助なんかいきなり信方に斬りつけていますし。「無礼討ち」されてもおかしくないくらいです。結局、ミツに片思いしていた平蔵は甲斐を去り、勘助とミツの兄伝助と村人の太吉は勘助と一緒に武田家に仕えることになります。信玄の器量の大きさを強調したいような設定ですが、勘助は初対面では「青二才が」と怒って去っていきます。
勘助はその後、板垣に今川の間者として潜伏するように命じ、勘助はそのまま今川に情報を漏らし武田を滅ぼそうと画策します。この設定もすごく変。わざわざ寝返る人間を相手に送り込むでしょうか。それとも武田側も「埋伏の毒」で、勘助を逆利用しようとでもいうのでしょうか。
そして天文5年(1536)3月17日、駿河の当主今川氏輝と弟の彦五郎が急死。氏輝の弟にあたる正室寿桂尼の子で出家していた梅岳承芳(のちの今川義元)と、側室の子で出家していた玄広恵探との家督争いとなる花倉の乱へと発展していきます。まさかこの今川の内乱にまで勘助が首を突っ込む設定とは……ということは間接的に今川義元の人質であった松平竹千代(徳川家康)や織田信長あたりとも絡むのでしょうか。関西エリアの視聴率をとるには効果的ですが。
史跡紀行はいきなりとんで山梨県北杜市の山本勘助の子孫と伝わり、屋敷に勘助の墓がある山本勘助屋敷を紹介していました。これは勘助が信玄に正式に仕える天文12年(1543)以降に知行を与えられたと伝わる場所なのですが、ドラマではすでに勘助が仕官という形になっているので紹介したのでしょうか。うーんそれにしてもドラマとの関連性が薄い。この山本勘助屋敷墓は、勘助子孫の方の個人宅でこれまで一般にもほとんど知られていなかったのですが、昨年夏から公開されるようになったということです(墓参料100円必要)。最初訪れたとき、個人宅の所蔵品を拝観させてもらえるなんてビックリしましたが、そればかりか記念スタンプまで用意している力の入れようです。の勘助スタンプは家に伝わる肖像から起こしたもので、勘助が絵柄になったスタンプとしては全国唯一のものではないでしょうか(個人宅なので都合により墓参りできない場合もありますので予めご了承ください)。

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2007年02月04日

『風林火山』第5回「駿河大乱」

いよいよ今川家の内乱である花倉の乱です。勘助が乱に関わっていたのは完全な創作ですが、まさか兄貞久と刃を交え、兄が自害し介錯するという壮絶なシーンとなるとは……思ってもいませんでした。ちなみに貞久というのは、静岡県富士宮市の『吉野家系図』によると勘助祖父の名で、兄は先妻の菊一郎(のち貞継)と石松・藤七の三人がいたといい、愛知県豊橋市賀茂の伝承系図では、上に清七・清助の二人の兄がいたといいます。
勘助の策略で武田氏を討つというのは、梅岳承芳(今川義元)の軍師となる太原雪斎の策で、武田氏が福島越前守に加担しなかったため、肩透かしをくらった格好となりました。この流れをみると、これまで凡庸に描かれすぎた今川義元の実像もみえていいですね。本当は聡明な武将なのに、信長関係ではいつも貴族かぶれで、デブで短足の扱いでしたから。ちなみにこの乱で勘助と刃を交えた福島越前守の嫡男彦十郎はのちに北条氏の重臣となり、氏綱に気に入られて北条姓までもらう北条綱成です。『地黄八幡』の旗で無類の強さを見せたといいますが、このあたりもドラマにからんでくるとますます盛り上がりそうですね。
ここでようやく原作小説で最初に出てくるかませ犬・青木大膳が登場します。さすがに文庫1冊分の原作だけでは、1年分のドラマは辛いため、創作を交え引っ張っているわけですね。まあ、もっとも今回は顔見せ。この先、大膳と勘助がどうやって絡むのか楽しみですが……。
史跡紀行では静岡県藤枝市の花倉城や遍照寺などが紹介されていました。花倉城はJR藤枝駅からバスで行き、さらにバス停から徒歩1時間かかる大変不便な場所です。『風林火山』の小説では関連がなかったため、こちらはまだ取材しておりません。JR藤枝駅もJRになってからはまだ下車していません。よってスタンプも写真もナシです。すいません。

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2007年02月11日

『風林火山』第6回「仕官への道」

花倉の乱のあと、武田家臣・前島昌勝が福島一族を匿い成敗されたのは史実にもあります。この功で勘助は梅岳承芳から還俗した今川義元に仕官しようとするが、その容姿が禍して適いません。しかも今川が武田と同盟したことで、武田への復讐もできなくなり、裏目裏目に出る勘助。一方、信玄(晴信)は義元の母・寿桂尼の仲立ちで三条夫人と婚姻が成立します。京都の公家との交流をもとうとするのは守護大名ならではですね。ところで信玄の婚姻はこれが初めてでなく、史実では13歳のとき上杉朝興の娘を娶り、翌年身籠ったまま亡くなっています。これが勘助の思い人ミツとオーバーラップさせているのかもしれません。
勘助が仕官先を悩んでいるときに、またも青木大膳登場。北条家臣にもかかわらず乱どりをしたため駆逐され、今川への仕官を勘助に頼んできます。しかし、さすがずる賢い勘助、庵原忠胤の家臣と青木を戦わせる隙に馬を奪って相模国(神奈川県)へと逃亡。この勘助との絡ませ方がいいですね~。勘助は北条氏康の武術指南・松田七郎左衛門を通じて仕官を試みるが、そこで北条を頼って落ち延びてきた因縁の福島彦十郎と鉢合わせ。果たして北条への仕官なるかというところで次回へ。
史跡紀行では神奈川県小田原市の小田原城と箱根町の早雲寺を紹介していました。小田原城は16年前に行ったきりで、まだそのときはカミヤキでの撮影でした。もう一回撮影に行こうと思っていても、なかなか行けない現状。義経の取材で石橋山などは行っていますが。

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ところでJR小田原駅前には、戦国大名北条氏の祖である北条早雲像が建っています。角に松明をつけた牛が脇に3頭いますが、これは早雲が明応4年(1495)に小田原城を攻略した際に、「火牛の計」を用いて勝利をおさめた由来からですが、この「火牛の計」というのは、『史記』にみられる斉国の田単の用いた奇計からの創作。同じく寿永2年(1183)の木曽義仲の倶利伽羅峠の戦いでもネタが使われています。田単の「火牛の計」は牛の尻尾に火をつけたのであり、角に火をつけたら牛は前に進まず後ずさりしてかえって味方を混乱に陥れかねません。それにしても3代目というのが地味なのか、北条氏康の銅像はありませんね。まあ今川義元の銅像もありませんが。ちなみに信玄像はJR甲府駅前、勝頼像はJR甲斐大和駅前に建っています。そういえば勘助の銅像も今のところ見ませんね。
あとおまけですがJR小田原駅には国鉄時代のスタンプ(右)も残っています(2007年1月現在)。消耗が激しいのでいつまであるか分かりませんが、改札窓口で申し出てください。

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2007年02月18日

『風林火山』第7回「晴信初陣」

北条氏康との接触はあっけなく終わってしまいましたね。関東一円に勢力を拡大した3代目北条氏康が臆病だったというエピソードは、少年時代に鉄砲の音に驚き、それを恥じて自害しようとしたという話があります。意外なことですが初めて知りました。しかし、またも仕官がかないません。不思議なのは今川も北条も仕官を全面拒否するわけでなく、「間者として放つ」と云っているところです。これで勘助はドラマ上では武田・今川・北条の三重スパイになっていますから。まさか今度は上杉にも仕官を求めるのでしょうか?
武蔵・上野を経由して信濃に入り、真田郷で懐かしい葛笠村の平蔵に出会います。ここで真田幸隆登場。妻の忍芽というのは架空の人物ですが、いかにも真田忍びのくノ一といった雰囲気の名ですね。幸隆の正室は河原隆正の娘で、信綱・昌輝・昌幸の三人の子を産んでいます。まだまだ先の話になりますが。のちに真田幸隆は信玄に領地を追われ、勘助の推挙で信玄に仕えたといいますから、今回の対面はこの伏線でしょう。
一方、信玄(晴信)はいよいよ佐久海の口城攻めで初陣となります。正室三条夫人が間に入ってももはや修復できない信虎・信玄の親子関係、今回のストーリーは『巧名が辻』に比べてもいい展開になっています。ただ、関西に無縁なので向こうの視聴率が心配……。
史跡紀行では真田の郷を紹介していました。以前は真田町だったのですが、2006年3月に上田市に編入されました。真田郷は真田発祥の地として知られゆかりの史跡が点在していますが、上田市ということで強引に上田城までひっぱりました。上田城は子の昌幸の代からなのですが。
上田城は二度ほど行ったことがあるのですが、デジタルで撮影しておらず、真田郷はまだ未踏の地。ということで今回は写真がないので、上田駅のスタンプを紹介します。

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上田駅といっても、JR(長野新幹線)・しなの鉄道(旧信越本線)・上田電鉄(旧上田交通)の3つの会社にそれぞれ駅改札がありますので、同じ上田城のデザインでも3カ所にスタンプがあり、しなの鉄道と上田電鉄の駅は改札係員に申し出れば押すことができます(しなの鉄道・上田電鉄は2種類あり)。このように鉄道会社が複数ある駅は、会社ごとにスタンプがつくられている場合もありますので、ひとつ押しただけで満足せず、面倒でもそれぞれの駅係員に尋ねてみたほうがよいのです。

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2007年02月25日

『風林火山』第8回「奇襲! 海ノ口」

いやーおもしろいですね『風林火山』。1月もずっと視聴率20%以上キープしていますし、やはり戦国ものは業績がいいですね。88年のNHK大河『武田信玄』は最高視聴率49.2%、平均39.2%という金字塔を打ち立てただけにその影響もあるのでしょうか。さて、今回の海ノ口城の攻防戦、勘助がなんと海ノ口城に入って、武田軍と戦う設定になっています。それにしても城壁に泥を塗って火攻めを防いだり、地中に水甕を埋めて水の波紋で、水の手を切る武田の戦法を見破るなど、兵法がところどころに出ていて見応えがあります。
海ノ口城で使われた城、どこかで見たなと思ったら、やはり長野県千曲市の荒砥城跡でした。館、兵舎、門、櫓などを当時の史料をもとに復元し、史跡公園として整備されています(入場料300円)。勘助が上っていた井楼櫓などはそのまま見学できますので、勘助ファンはぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。しなの鉄道戸倉駅から徒歩20分のところです。
話がそれましたが、冬の降雪を待って信虎が引き上げ、初陣だった晴信が殿をつとめることになります。晴信はわずか300の手勢で奇襲して平賀源心を討ち取り、城を陥落させます。平賀源心は剛胆七十人力といわれた猛将だったようで、ここは史実ですが、勘助ともあろう者が晴信の夜襲を見抜けなかったのでしょうか。最初の防戦が見事だっただけにかえって腑抜けた展開になってしまいました。それにしても平賀源心の娘の美瑠姫は、勘助にいきなり話しかけたり、落城後も自害しようとして止められ生き延びるところを見ると、このあとの伏線がありそうですね。さて、海ノ城を視察する晴信めがけて、平蔵が矢を放つところで次回に続きますが、次回「勘助討たれる」って、話が終わっちゃうじゃないの?
史跡紀行は海ノ口城を紹介していました。南牧村の中心となるJR小海線佐久海ノ口駅が最寄で、ここから徒歩20分。小海線で佐久海ノ口を過ぎ、千曲川を隔てた右手の山が海ノ口城です。ちなみに佐久海ノ口駅は標高1039mでJRでは7番目に高い駅。現在は無人駅です。管理人が最初に小海線に乗ったときはまだ駅員がいて、「DISCOVER≫→JAPAN」のスタンプもあったのですが。ただ、今回のエリアは未撮影なので、写真や現役スタンプなどがありません。これにて失礼します。

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2007年03月04日

『風林火山』第9回「勘助討たれる」

2日遅れてしまいましたが、ようやく仕事がひと段落つき家に帰って明け方に見ました。今回は勘助よりも信玄中心の回でしたね。いきなり平蔵が放つ矢を受け止める勘助。本当に隻眼か? 普通あんなことできません。さらに二度目も晴信に向かって矢を放ちますが、板垣に気づかれ勘助は捕らわれの身に。そして晴信は「偽軍師、山本勘助を討ち取った」といいながら、勘助を助けます。今回のタイトルは結局これがいいたかっただけのことでしょうか?
で、いきなり話は4年もとんで晴信と三条夫人の間には太郎(義信)が生まれています。そして晴信の妹禰々は諏訪頼重のもとへ輿入れ。で、ここでようやく由布姫登場します。そして諏訪に訪れた父信虎が頼重の娘由布姫を見初め、側室に差し出すように命じますが、時代設定からいうと由布姫(勝頼の母諏訪御料人)はまだ10~11歳。子役でなく、いきなり柴本幸(加藤あいのほうがよかった)が出てくるのも無理があるし、信虎はロリコン趣味か! どうも暴君に描かれすぎる信虎とイヤミな晴信の親子関係はいただけませんな。しかも晴信を駿河に追放しようとし、晴信は信虎への謀叛を画策する。嗚呼、勘助出番がない。信虎追放劇にどう絡ませてくるのでしょうか? あと噛ませ犬の青木大膳は? 続きが気になります。
史跡紀行ではいきなり諏訪氏と由布姫の故郷の紹介で、長野県茅野市・諏訪市・下諏訪町・岡谷市を一気に紹介しました。これって僕が制作した『風林火山をゆく』(英知出版)の「勝頼の母・由布姫の里」とまったく同じじゃん。何もいきなり全部紹介しなくても、もっと小出しで紹介すればいいのに。
ということで諏訪湖畔にある中央本線の茅野・上諏訪・下諏訪・岡谷の各駅にスタンプがあります。茅野はこれ以外にもスタンプが2つありますので、史跡めぐりのついでにぜひ押しに行きましょう。ちなみに中央本線の上諏訪~下諏訪間は左手に諏訪湖が望めます。

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2007年03月11日

『風林火山』第10回「晴信謀反」

またまた遅れてしまいまして申し訳ありません。13日の明け方にようやく観ました。寝るのを惜しんで……。ああ、早くタイムリーで観られるような生活に戻りたい。
今回も勘助ほとんど出番がありません。前回で晴信に情けをかけられたのが屈辱のようで、古寺にこもって酒びたりとグレています。若い内野勘助だからサマになりますが、史実の老人勘助では目も当てられません。一方、信虎と晴信の対立は激化し、ともに駿河に追放しようと今川義元のもとに使者を送ります。晴信の側近、板垣は飯富昌虎・甘利虎泰にも晴信に加担することをすすめますが、甘利の「あまりにも無常」というセリフはオヤジギャグだったのでしょうか?
天文10年(1541)、武田信虎は諏訪氏、北信濃の村上義清と組んで真田郷の海野一族を攻めます。幸隆が敗れて上野(群馬県)へ落ち延びるときになって勘助登場。すでに幸隆には源太郎という子がいますが、これは時代設定からいっても昌幸でなく、信綱です。昌幸はまだ生まれていません。幸隆が世話になる長野業正、中央舞台からはずれているので知名度はイマイチですが、光栄の「信長の野望嵐世記」では信長よりも能力数値が高く設定されています。これは弘治3年(1557)に武田信玄が6度にわたって上野に侵攻したけど業正に撃退されている史実があり、結局、信玄も業正存命中は攻略できなかったからです。もちろんこの頃、幸隆は業正のもとを離れて信玄に属していますが、この長野業正をクローズアップしてくれるとドラマ的にはもっとおもしろくなると思います。
そして今川義元は大原雪斎の進言で晴信に加担することを決意。ここで信虎を迎える使者として勘助に白羽の矢が立つわけです。

史跡紀行では、なぜか今回の物語とは関係のない山梨県韮崎市の宗泉院と武田勝頼の新府城跡を紹介していました。宗泉院は勘助の供養塔といわれる石祠がある寺ですが、アクセスが大変。山の中腹にあり、クルマで行ったのですが果てしなく山道を通りました。クルマで行ってもかなり時間がかかったことを実感させられるわけですから、バス停で降りて歩くと30分以上はかかります。このドラマがなければ無縁の地だったでしょう。ということで今回は宗泉院方面へ行くバスが出る韮崎駅のスタンプを紹介します。

nirasakistamp.jpg

韮崎駅は八王子支社印の「瑞牆山と増富温泉」のスタンプがあったのですが、摩滅か盗難か何かで現在はありません。古いキャンペーンの「しんせんやまなし」のミニスタンプだけが保管されています。かなり状態も悪いのですが、スタンプの平和観音は駅裏手の観音山に建つ高さ18.3mの像で、駅ホームからでも観音様を見ることができます。なお、武田勝頼の新府城跡は韮崎よりも隣の無人駅・新府が最寄です(徒歩15分)。

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2007年03月18日

『風林火山』第11回「信虎追放」

はい、ようやく21日夜に観ることができました。信虎追放劇、よく描かれています。晴信の弟信繁は本当にできた弟ですね。本来ならあそこで権力争いが起こるのに……。信長と信行しかり、伊達政宗と小十郎しかり。秀吉と秀長の関係のように兄を補佐していくのですね。役者も晴信以上にいい味出しています。さて、駿河に行った信虎、ここでかつて臣従させた大井宗芸(信達)に出会います。大井夫人の父にあたる人です。そして今川義元、大原雪斎、大井宗芸らとともに歌の読み合わせをし、最後に義元が「晴れて心に戻る甲斐なし」と。これは信虎のことを指しているのですが、それに気づいていない信虎、「晴信をよろしく頼みます」と云っています。
さて、駿河から甲斐への帰途、甲斐国境ではかつて自分の名を与えた腹心までもが叛き、茫然自失。そこに勘助と噛ませ犬青木大膳などが迎えにきます。帰り道で勘助の殺気に気づいた信虎はいきなり勘助に斬りかかり、馬上での一騎討ち。勘助は信虎を殺すのでなく、刃を交えたことで思い人ミツを殺された復讐の念が晴れたのでしょう。勘助に代わって信虎に斬りつけた青木大膳を止めます。信虎はこの後、剃髪しますが義元が桶狭間で討たれるまでは駿河にいたようで、その後放浪してのちに軍師として九鬼嘉隆(のちの九鬼水軍の大将)を志摩より追放する活躍を見せます。でも、結局甲斐に帰国はかないませんが。

史跡紀行では万沢宿のある南部町と信虎の墓がある甲府市の大泉寺を紹介していました。万沢宿はJR身延線沿いの十島駅が最寄でちょうど身延沿線が甲斐と駿河を結ぶ街道がありました。十島は身延線で山梨県に入った最初の駅です。久しく身延線も乗っていないので実感が湧きませんが……。大泉寺のほうは直接は行かなかったのですが、制作した『風林火山をゆく』(英知出版)では紹介しています。ただ、甲府駅からバスで15分、さらに徒歩15分かかります。今回はスタンプや写真がありませんのでこれにて失礼します。

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2007年03月25日

『風林火山』第12回「勘助仕官」

ひと段落つきやっとタイムリーで見ることができました。
今回からようやく井上靖の小説原題に入るわけで、よくもまあここまでうまく引っ張ったものです。噛ませ犬・青木大膳とのやりとりも小説とは違うものになっており、大膳も板垣も勘助の謀略を見抜いていた設定です。しかし、大膳が竹槍のように尖った竹の切り先を踏み抜いたのは、勘助が偶然見つけたものでしょうね。そうしないと辻褄が合わなくなりますし……。原作を1年分に引き伸ばしたため、すでに勘助と板垣信方、武田晴信との対面を果たしているわけで、このあと勘助がどう晴信に仕官するのかが脚本家の腕の見せどころであったわけです。少々強引な結びが気にはなりましたが、まあ晴れて勘助が晴信に仕官するわけです。勘助は一度駿河富士の庵原忠胤のところへ挨拶に行ったあと、帰りに下部温泉。ああうらやましい。勘助仕官の年齢は史実だと51歳ですが、ドラマでは42歳になっていました。これは夏川純の年齢サバ読みか。でも42歳くらいにしないと内野勘助では無理がありましょう。
あと美童・春日源五郎(高坂弾正)登場。晴信と衆道の関係にあり、ラブレターまで後世に遺した人です。しかし、あれでは晴信と源五郎でなく、勘助と源五郎の危ない関係になってしまうぞ。そして勘助いきなり厚遇。200貫もらい、しかも晴信の一字をもらって山本勘助晴幸となります。「信」の字なら分かるのですが、将軍義晴の「晴」の字を与えることはあり得ない話。でも小説がそうなっているのですから仕方ないでしょう。出る杭の如く勘助、家臣団のイジメに……甘利虎泰が家臣との剣術の試合を仕組もうとし、勘助は真剣勝負しか受けないと断ると、晴信が刀を勘助に渡し、鬼美濃と恐れられる原虎胤が対決を申し出る。しかし、厚遇したかと思えばいきなり家臣のイジメの和に入っている晴信。信虎とのやりとりのときもそうでしたが、ずいぶんイヤミな性格にしていますね。
史跡紀行では信玄の隠し湯で知られる下部温泉と隠し金山の湯之奥金山、身延山久遠寺を紹介。身延山久遠寺は武田氏の崇敬を受けたといいますが、善光寺ほど知られていないんですよね。下部温泉は15年くらい前に行ったきりで、写真もスタンプもありません。実は「青春18」で来週行こうと考えていたのですが、間に合いませんでした。

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2007年04月01日

『風林火山』第13回「招かれざる男」

取材に出かけておりましてすっかり更新が遅れましたが、ビデオを見たのは明け方4時過ぎになっていました。
前回に引き続き猛将・原美濃守虎胤との対決です。しかし、勘助、実力では勝てないと悟り、策を弄して船上での対決を望みます。まさか『甲陽軍鑑』にも記された塚原卜伝の無手勝流をパクって、小島に置き去りにするのかと思えば違いました。しかも脚の不自由なはずの勘助が義経並みの八艘跳びならぬ大ジャンプをしているかと思えば、船底に穴をあけて原美濃守に戦わずして勝ってしまう。
その頃、晴信に二人目の男子・次郎(信親)が生まれますが、疱瘡にかかって失明。ちょうどその頃、勘助が三条夫人に出会いますが第一印象悪し。しかも「武田家に災いをもたらす」と晴信に語ります。まあ、歴史の史実として三条夫人の嫡子義信が自害したので、勘助の推した諏訪御料人(由布姫)の子四郎勝頼が武田家を継いで、結果的に武田氏は滅亡するわけですが、こんな40年先の結果を暗示するなんて三条夫人は予言者か細木数子ですか。第一、義信自害は勘助亡きあとの話ですし、そのあとの遺言で頭領代理なんて変な地位を与えて、家臣団の統率をとれなくしたのは晴信さん、あなたですよ。ここまでのちの歴史の結果を結びつけてしまうとちょっと気味悪いです。
一方、上野に逃れていた真田幸隆ですが、ここで「信長の野望嵐世記」で高評価されている長野業政登場。なんかイメージと違うな……。この年代では業政は50歳過ぎているわけですから。この長野業政が関東管領上杉家の支援でいよいよ佐久に侵攻するわけです。長野業政と勘助の軍略合戦が見られるとおもしろいのですが期待できそうもありません。諏訪頼重のほうは勝手に佐久に侵出しているし。またまた慌しい展開になってきました。
史跡紀行では、甲斐五山の法泉寺・能成寺・東光寺・長禅寺・円光院を紹介していました。実は先週の予告通り前日3月31日に下部温泉へ取材に行ったのですが、残念ながら甲府での滞在は1時間もなく、駅前の「甲州ほうとう小作」でほうとうを食したにとどまりました。写真はカレーほうとうです。ほうとうは作るのも、食べるのも時間がかかるので1時間くらいはみておきましょう。

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なお、今週末の4月6~8日が2007年度の「信玄公祭り」です。7日(土)には内野聖陽・市川亀治郎氏のトークショーも行われるそうですから、大河ファンは要チェックです。「青春18」もまだ使えますのでチャンス! 詳しくはhttp://www.yamanashi-kankou.jp/shingen/schedule.htmlへ。

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2007年04月08日

『風林火山』第14回「孫子の旗」

今週はビデオを撮り損ね、14日(土)の再放送でようやく観ることができました。
真田幸隆が関東管領の助太刀を得て、佐久侵攻で長野業政と勘助の戦いを見られると思いきや、諏訪頼重が晴信との盟約を破って勝手に迎え撃ち、和睦するという拍子抜けの展開。真田の出番っていったい……。勘助は諏訪攻めのため、諏訪一族の高遠頼継と結ぼうと画策。教来石景政(馬場信房)と高遠に出かけることになります。その前に勘助が晴信と一緒に今度は湯村温泉に入っている。ここで孫子の目をとく勘助に対し、晴信が「ばーか」の一言。うう、くだらない。
とくに今回は話が飛びすぎる印象の回でした。信玄堤の工事をはじめるときに、なぜかここで春日源五郎が登場するし、三条夫人は「お前様の中に左様に非道な物が有ったとは」などどアホなことを言い出すし……。そして諏訪湖の御神渡りで勘助と由布姫が初めて出会い、勘助の第一印象が「あの娘の命は絶たねばならない」とは唐突すぎ。で、最後にあの有名な孫子の「風林火山」の旗が武田氏の軍旗となる。うーん、すごいまとまり悪いです。
最後の史跡紀行では甲州市塩山の菅田天神社と雲峰寺を紹介。風林火山の旗がらみだったのですが、こちらも物語の舞台とは関係なく、強引さがぬぐえません。信玄堤の場面があったので、山梨県甲斐市の信玄堤か諏訪湖の御神渡りを紹介すればよかったのですが、御神渡りは季節が違うので紹介しなかったのでしょうか? それとも今年は暖冬で見られなかったからなのでしょうか?

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ということで今回は塩山駅のスタンプを紹介します。左のスタンプは国鉄時代の「わたしの旅スタンプ」のものですが、消耗が激しく廃棄寸前のところまで来ています。右は八王子支社の小型印で状態もいいです。塩山駅や山梨県内の中央線の駅には、現在風林火山のスタンプラリーの印も置いてあります。ぜひこの期間中に集めてみてはいかがでしょうか。

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2007年04月15日

『風林火山』第15回「諏訪攻め」

先日、第14回「孫子の旗」もUPしましたのであわせてお読みください。
武田氏と諏訪氏が政略結婚で同盟を結んでいたのに、諏訪氏が盟約を破ったというのは、晴信が父信虎追放後に、諏訪氏が小笠原・村上・木曽と連合し、甲斐に侵攻した瀬沢の戦いがモデルになっているものと思われます。もっともこの戦いは『甲陽軍鑑』以外に記述がなく、一部の史家に否定されていますが……。いずれにせよドラマでも先に盟約を破ったのは諏訪であり、なのに三条夫人が義理の妹の嫁ぎ先を攻めるのはおかしいと非難するのは明らかに変な話です。
ひとつ感心した点は原作の小説で諏訪氏の居城は高島城になっているのに対し、ドラマでは史実の上原城が拠点となっていることです。教来石景政は諏訪の家臣矢崎家に間者として入り、諏訪の西方衆を籠絡させ、いよいよ諏訪攻めになります。しかし、肝心の高遠頼継のほうは諏訪攻めに参加せず、戦の駆け引きが巧みに描かれています。でも、兵力差がいかんともしがたいのに、わざわざ諏訪が討って出る理由がわかりません。実際の上原城へ行けば分かりますが、標高978mの金毘羅山の山頂にあり、居館は麓にありました。いざ戦いになれば籠城できるようになっており、なかなか要害堅固です。しかもわざわざ戦わずして拠城を捨てて桑原城へ移るでしょうか? 妹の嫁ぎ先を攻めるのは道徳に反するというNHKの変な指導でもあるのでしょうか、このへんの描き方は妙に不自然さがぬぐえません。史実では上原城を攻められて落城、桑原城に拠って最後の抵抗を試みたのですから。それにしても勘助を「醜い悪鬼」とののしる由布姫の柴本幸は違和感が未だにとれません。見慣れてくるとよいのですが……。
史跡紀行では伊那市高遠町を紹介。今は場所しか断定できない高遠城跡の勘助郭や諏訪御料人(由布姫)の墓がある建福寺が登場しました。それにしても撮影した時期は冬場だったようですが、本来の高遠の目玉は春のサクラ。映像を他の業者に借りるなりして季節的にも春の高遠を紹介してほしかったです。僕も本制作で高遠を取材したのが秋でしたので、春のサクラは高遠町観光協会から借りました。なお、代表の森田芳夫氏は伊那市ふるさと大使でもあり、この取材でも大変お世話になっています。

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2007年04月22日

『風林火山』第16回「運命の出会い」

信玄に降伏した諏訪頼重はそのまま甲府へ送られ、東光寺で自害を命じられます。小説では能の舞台で謀殺されるのですが、それも生かして頼重と彌々が手を取り合うシーンになっています。それにしても薄幸の役を演じると、桜井幸子さんの表情が映えますね。しかし、頼重が自害に際して新参者の勘助に遺児寅王丸のことを託すのはどうみても変です。頼重の弟で大祝を継いだ頼高もこのあと自害させられていますが、史実ではまだ15歳の少年。このへんもドラマで描いてほしかった気がします。
さて、頼重自害後、桑原城にいた諏訪の残党討伐となり、平蔵が捕えられます。これも小説では高島城なのですが、小説と史実を織り交ぜたつくりになっています。由布姫は結局、「生き地獄だからこそ見たい、死ぬのはいや」と自害をためらっている間に、勘助が登場。最初は殺すつもりでいた勘助ですが、かつての思い人ミツとオーバーラップして殺せません。でも、最後のシーンで「お逃げくだされ」はないでしょ。逃げたって行き着くあてもなければ山賊の餌食か餓死ですよ。
史跡紀行では長野県諏訪市の頼重院(らいじゅういん)と、由布姫と勘助が出会った桑原城を紹介していました。やっとドラマに合わせた舞台紹介といってよいでしょう。両者とも取材で訪れた場所なのでスタンプはありませんが写真をUPしておきます。

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写真左はテレビにも出てきた頼重の墓と、頼重の怨念で7つに割れてしまったという大岩です。隣接して新田次郎の歌碑も建っており、「陽炎や頼重の無念ゆらゆらと」と記されています。写真右は悪天候で申し訳ないのですが、桑原城二の丸跡から望む諏訪湖です。標高981mの尾根や斜面などを利用して造られた山城で途中には首塚なども残っています。

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2007年04月29日

『風林火山』第17回「姫の涙」

タイムリーではありませんが、すぐに録画を観れたので、わずかな時間のトップ画面になりますがUPします。
第17回の始まりは由布姫に諏訪の家を捨てて逃げろという勘助。そして晴信は飯富虎昌に太郎(義信)の傅役を申し付けます。義信と虎昌が謀叛を企てたとして自害させられるのは勘助亡きあとの話ですが、新しい勘助の仇敵役でもつくろうというのでしょうか? ここで弟源四郎(のちの山県昌景)登場。いい伝えでは身長が130~140㎝のチビちゃんだったといいますが、ずいぶん背の高い役者を選びましたな。
晴信が由布姫を側室に所望しようという噂はたちまち広がり、その一方で夫が自害に追い込まれた禰々さんはうつろな表情で気がふれてしまいます。しかも三条夫人に向かって「そなたは子をなすだけの腹じゃ」って図星をついているし……。しかし、案の定、由布姫一行、山賊に襲われ、ピンチに登場のヒーロー山本勘助。一方でヒサのほうは暴徒に辱めを受けているし、このギャップはいったい何? で、勘助は盗賊を仕向けたとウソをつき(まあタイミングよすぎですから)、その偽りに泣く由布姫でした。
その頃、晴信と結んで諏訪頼重を滅ぼした高遠頼継が、領地の配分に不満をもち叛旗をひるがえします。ここで晴信は頼重の遺児虎王を禰々さんから引き離して出陣。現在の長野県茅野市の安国寺門前で合戦が行われました。坊主頭で目立った高遠蓮峰軒、最期のシーンもなく戦死ですか。あっけない。
そして勘助に連れ戻された由布姫は幽閉。「そなたの信じる神など無用」と麻利支天の像を捨て、「人の世は生き地獄」と嘆きます。うーん暗いよ~由布姫。

史跡紀行では安国寺門前合戦の場所を取り上げるかと思えば、いきなり関係のない勘助築城の小諸城のある長野県小諸市を取り上げていました。勘助が馬場信房と普請をするのは、もうちょっとあとの話ですが。小諸は勘助取材で二度訪れています。でも「青春18」だと第三セクターのしなの鉄道は利用できないので、いつも小海線経由になってしまうんですよね。明るいうちなら景色がよくていいけど、いつも日が暮れる時間になってしまい、小海線の2時間は小諸で食糧買っておかないとひもじいのです。ということで今回は小諸駅のスタンプ(左)を紹介。JRも小海線があるのに何故かJRのスタンプはないんですよね。ただし駅前の観光案内所にはスタンプが2個(中央と右)あります。駅のスタンプを押したら必ず観光案内所にも寄りましょう。時折、駅の古いスタンプが置いてあることも……。さらに懐古園に足を延ばせば、徴古館や藤村記念館でもスタンプがGETできます。

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2007年05月06日

『風林火山』第18回「生か死か」

すいません、GW明けは蜂の巣をつつくような慌しさで、すっかり更新が遅れました。7日のアクセス数がものすごいありましたが、本当に申し訳ないです。
はい、今回の『風林火山』へ行きます。前半のすばらしさから変わってなんだか妙なストーリーになってきました。晴信が諏訪の由布姫を側室におきたいのは、由布姫が類稀な美貌の持ち主だったからで、ドラマでは父信虎も側室に所望しているように、まあこの親にしてこの子ありでしょう。その助平心にもいちいち理屈をつける晴信。家臣たちが反対するなか、勘助だけは稚児(わこ)は生まれれば諏訪の名跡を継げると賛成。由布姫を説得しますが、なかなか首をタテに振りません。
このあとの展開がすごく不自然。家臣の甘利が由布姫に自害をすすめ、勘助が駆けつけますが、由布姫は「彼は私に討たれにきた」と云ってるし、なアホな……。おまけに今度は三条夫人が来るが、イヤミを云って泣きながら去ってゆく。由布姫はまた「身を切られにまいった。私だけ無傷でいられない」と、晴信の側室になることを決意する。すごい変な展開です。以前の映画の三条夫人は大変嫉妬深く、しかも京都の公家の出なので、諏訪程度の姫など屁とも思っていないのが実像なのに、池脇千鶴にそれを演じる器量がないのかどうかわかりませんが……。あと内野勘助も軍師特有の非情さに欠けすぎています。諏訪の遺児寅王丸は、史実では消息不明になっていますが、あえてドラマに脚色するなら、寅王丸は晴信の叔父にあたるとはいえ、父の仇であることに変わりはないのですから、あとあと憂いを残すことは明らか。で、タイミングよく妹の禰々さんが亡くなってしまうのですから、勘助が入れ知恵をして寅王丸を殺害し、「諏訪の名代は晴信と由布姫様の子が継ぐ」としたほうが、おさまりがいいのです。
どうもそのあたりがNHK特有の愛だのなんだのと道徳っぽくするから、妙に人間臭い勘助になってしまい、非情な軍師像が描けなくなってしまうのです。軍師とは『三国志』の諸葛亮孔明のように人の感情に左右されてはならないものなのです。
史跡紀行ではなぜ今頃?の信玄堤を紹介していました。僕も昨年の夏、撮影に行ったのですが、JR中央本線竜王駅から徒歩20分はかかったでしょうか? あまりの炎天下の中だったので、もう少しで熱中症にかかるところでした。

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2007年05月13日

『風林火山』第19回「呪いの笛」

月曜早々バタバタしており、にわあつしさんの投稿を先にUPさせていただきましたが、14日23時過ぎにようやくこちらを書くに至ります。
NHKというのはどうしてああも道徳的なつくりにするのでしょうか? 池脇千鶴が演じる三条夫人の気持ち悪いほどいい子ぶりぶり。勘助だけが異常なほど由布姫の護衛に徹し、警戒心がまったくの的外れで無礼者扱い。あのかっこいい内野勘助が浮かばれません。その三条夫人が側室に対して嫉妬もせず(あなたは京都三条家の由緒ある家柄でしょうか、田舎大名で助平亭主を誉めてどうする?)、しかも笛まで渡している。しかも「笛が不得手」というオヤジギャグならぬオバサンギャグ。やめてくれ~。以前ドラマか映画で見た『風林火山』で、三条夫人が由布姫に菓子を渡し、うすら笑いをして「毒なぞ入っておらんぞえ」といったほうがずっと味があります。
で、夜に由布姫は笛を吹き、三条夫人はひとり寂しく床で寝付けず。まあ、睦事で寝付けないのなら分かりますが、それをNHKでやるのは無理なんでしょうが。で、「呪いの笛」って意味わかんね~。三条家が「笛と装束の家」という史実から結びつけたようですが……。
史跡紀行では僕が第3回で取り上げました愛知県豊橋市賀茂町をようやく紹介していました。僕が1年以上前からお世話になりました本願寺も取り上げていただき、ようやく苦労が報われました。で、せっかく『風林火山をゆく』(英知出版)で大々的に取り上げたというのに、版元が倒産してしまうし……。あと、STATION STAMP情報によりますと、勘助が青年時代を過ごした牛久保城最寄りのJR飯田線牛久保駅にも勘助スタンプができたようです。僕が行ったときはまだありませんでしたが……。

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2007年05月20日

『風林火山』第20回「軍師誕生」

新潟に取材に行っていたため更新がすっかり遅れてしまいました。
だが、さすがに会員の協力が得られないと、このブログの運営維持が難しくなっていることも事実です。個人でそこまで責任は負えません。

物語は晴信に叛旗をひるがえした大井貞隆の長窪城(長野県長和町)攻めからはじまります。勘助は長窪城にいる相木・芦田の両名を調略し、大井貞隆は相木に騙され、城はあっけなく陥落。長窪にいた平蔵とヒサ親子は抵抗し、勘助が殺そうとするが、教来石景政がこれを止めて逃がしてしまいます。同じく望月城も甘利によって落とされ、勘助は晴れて軍師になります。
それはともかく、またも三条夫人と由布姫の気持ちの悪いやりとり。三条夫人は「悪しき心を信じようとしない」という天使のように描いており、孕んだお腹をさすって由布姫に「子を産みなされ」という。と思えば由布姫は「太郎(義信)さまにもしものことがあれば家督は……」などとまたも予言めいたことを云っています。第一、この時点で妊娠中の三条夫人の腹の子が男か女か分からないし、由布姫だって男子を産むとは限りません。ダメ、絶対におかしい。しかも由布姫は勘助に「そなたなら子を預けてよい」などとおかしなことを云い出す始末。勘助と由布姫が共謀して武田を滅ぼすために勝頼を産もうとでもいうのでしょうか? この設定は淀君と石田三成あるいは大野治長の間にできた豊臣秀頼と同じ設定で、これは『功名が辻』でやっているので二番煎じですよ。

そしていよいよライバル村上義清登場。なかなかインパクトのある登場シーンだっただけに、この役者さんをうまく生かしてほしいですね。北条氏康と今川義元は……関係ないとはいえ、物語から完全に消えています。

で、またまた不自然な設定。今度は三条夫人と由布姫が、諏訪頼重の自害した東光寺へ行き、由布姫が意味ありげな甘酒を三条夫人にすすめるところで物語はつづく。

史跡紀行では、村上義清の故郷である長野県坂城町を紹介。葛尾城や釈迦堂などを取り上げていました。坂城町はしなの鉄道坂城駅下車。JR時代にスタンプを押した記憶があるのですが、今回は坂城に取材に行っていないため、写真もスタンプもありません。あしからず。

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2007年05月27日

『風林火山』第21回「消えた姫」

すいません、日曜は管理人担当の連載ですので、吉野会員の3回連続投稿を途切れさせてしまいました。でも、28日零時過ぎてから書いていますので、吉野会員のほうを先にUPしているんですがね。

はい、前回の続き。由布姫が諏訪の甘酒を三条夫人にすすめ、ぶりぶりぶりっこの本性を剥がそうとしますが、三条夫人はあっさり飲もうとし、それを侍女の萩野が飲んでしまう。以前の『風林火山』と立場が逆転しています。まあなんという性格の悪いヒロインでしょう。これには勘助も家臣から総スカン喰らっています。
このあと由布姫は甲斐から故郷の諏訪へ戻され、さらに小坂観音院へ移されます。ここでかつての『風林火山』でも有名な衝撃シーン。由布姫が輿から逃亡し、身代わりとなった侍女が自害するというストーリー。そのまま勘助ボロボロになって追いかけて、サザエさんみたく裸足でかけて霜焼けになって動けなくなっている由布姫が発見されます。
このあたりは僕がよく愛読しています橋場先生の日次記(ひなみき)にも詳しいのですが、原作は勝頼を産んだあとのシーンなのに、順番が入れ替わっている! しかも勘助は由布姫と駆け落ちしようと言い出す始末。ところが由布姫の心はすでに晴信に奪われてしまっているわけです。でもこの比喩の描写は橋場先生のブログのほうが傑作なので、今後はこちらと併せて読むとより楽しめますよ。
だからそんなに勘助と由布姫のラブを描きたいのなら、いっそのこと『史記』の呂不韋と始皇帝や、春申君と幽王のように自分が仕込んで、「天下人の稚児」としなされ。いや軍師というのはそのぐらいの非情さがないとつとまりません。

史跡紀行では小笠原長時の本拠である長野県松本市が紹介されました。長時の居城であった林城は松本市街の東の山城で、現在の国宝松本城は元は深志城といい、信玄が信濃攻略の拠点とした城です。勘助も縄張りをしたと伝えられていますが、現在の城は天正年間に家康から秀吉に鞍替えした石川数正の頃に原型がつくられたものです。まあそれはともかく、松本城は訪問していますのでスタンプとともにUPできます。

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2007年06月03日

『風林火山』第22回「三国激突」

ようやく録画ビデオが観れて5日にUPします。
今回はまず由布姫がオメデタ。これまでの鬼の形相から打って変わって仏顔になっています。橋場先生曰くツンデレというものです。ツンデレが分からない人は調べてみてね。
で、ずっと忘れ去られていた今川義元と北条氏康登場。今川の軍師・太原雪斎が晴信のもとを訪れ、北条攻めの援軍を求め、小山田信有が北条と武田の同盟を献策しますが、勘助は今川と北条の和睦を提案。雪斎は北条攻めを嫌っているという設定です。それにしても小山田信有という人物は3代続いて同じ名だからややこしい。ドラマに登場するのは二代目出羽守の信有で、三代目信有の弟にあたるのが、最後に勝頼を裏切る信茂となるわけです。
静岡県富士市の善得寺が出てきましたが、ここはのちの天文23年(1554)の甲相駿三国同盟で武田・北条・今川が同盟を結ぶ重要な地です。この時点の天文14年では今川と武田が同盟を結んでいますが、今川と北条を和睦させ、北条が占領した富士・駿東の2郡を今川に返還することでことをおさめることになります。
さて、次回は勘助が北条の援軍として参戦し、厳島、桶狭間と並ぶ三大夜戦のひとつ河越城の戦いに登場。これはなかなかワクワクしますなあ~。
史跡紀行では山梨県都留市の勝山