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スタンプ物語 アーカイブ

2007年01月02日

スタンプ物語1・東京駅

いよいよスタートしましたこのブログ。まだスタートしたばかりで会員からの投稿もありませんので、しばらくというか埋め草として管理人が執筆いたします。第2回は管理人のスタンプコレクションから現在、JR東京支社のお江戸をテーマにしたものを中心にしたスタンプの紹介です。2004年からはじまったスタンプのシリーズで、きちんとスタンプ台(左)も設置されており、山手線を中心に中央線・京浜東北線・常磐線など首都圏エリア77駅にあります。こういったスタンプに目を向ければ、ふだん何気なく乗り降りしている首都圏駅もまた別の楽しみが湧くというものです。スタンプの色は黒で統一されていますが、備え付けの朱肉ではインクが乾いていてきれいに押せないことも間々ありますので、スタンプの朱肉は持ち歩いたほうがいいかもしれません(管理人は強引に駅改札係員から朱肉を借りたこともありました)。なお、スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。
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やはり最初は日本の顔というべき東京駅でしょう。細かい駅の歴史は省略してスタンプの絵柄を考察します。東京駅といえば皇居で、スタンプの二重橋は皇居正門から宮城に至る濠に架かる正門石橋とその奥の正門鉄橋の総称ともいわれますが、厳密には奥の橋のこと指し、撮影ポイントとして知られます。
大正3年(1914)に東京駅が開業したとき、丸の内中央口から皇居まで新しく道幅60mの道路がつけられ、この道を進むと和田倉門があり、広大な皇居外苑に出ます。このスタンプの二重橋までは丸の内中央口から徒歩10分。東京メトロ千代田線の二重橋前・日比谷、有楽町線桜田門、次の有楽町のほうが目的地まで近かったりするのですが、やはり東京駅は皇居に向けて造られた駅ですので、当駅からの皇居散策をお楽しみください。皇居は徳川将軍15代の居城で、現在は西側の115万平方メートルに御所が置かれ、東地区の江戸城旧本丸、二の丸、三の丸、北の丸が公園として一般公開されています。
ところで東京駅には2007年1月現在、上記のスタンプしかないのが寂しい限りです。僕が学生の頃は「東京駅にはたくさんスタンプがある」と聞いており、かつては新幹線の乗車記念スタンプから他のスタンプなど、広大な東京駅構内を歩き回って集めた記憶があるのですが、故郷の押入れにお蔵入りとなっており出てきません。それにしても日本一の東京駅ですから、スタンプも数種類用意して各案内所に設置し、JR東海も独自のスタンプを設置してほしいものです。

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2007年01月03日

スタンプ物語2・有楽町駅

さて、旅じゃBLOGも開始3日目でなんと、旅行・観光(全般)のランキングが400近いブログから100位まで浮上しました。まさかランキングクリックが管理人ばかりでないとは思いますが、代表の森田氏などの投稿があると順位ももっとUPするに違いありません。本日も管理人の趣味にお付き合い願います。

東京駅の次は山手線内回りに沿って各駅停車で紹介します。本日は有楽町。
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この地名の由来は織田信長の弟長益(1547~1622)が江戸開府の際に、徳川家康からこの付近に土地を拝領したことから、号名の有楽斎(うらくさい)をとって明治時代に有楽町と付けられたそうです。ところでこの織田有楽斎、信長が横死した本能寺の変時に嫡男信忠とともに二条城に立て籠もったのですが、自分だけ自害せずに城を脱出。さらにその後の大坂冬の陣でも豊臣方として大坂城にいて、夏の陣前に城から出る(徳川のスパイ説・和平派説などあり)など、その運のよさと戦国の世におけるしぶとさは特筆できます。一等地の地名に残るほどですから。ちなみに昨日の東京駅の八重洲口は、家康の外交顧問や通訳として活躍したオランダ人ヤン・ヨーステン(日本名は耶楊子:やようす)が拝領した土地に由来しています。
ずいぶん脱線してしまいましたが、スタンプの歌舞伎座は銀座口から徒歩6~7分のところです。歌舞伎専用の劇場として明治22年(1889)に開設。その後、漏電による焼失、関東大震災などに見舞われながら大正14年(1925)に新築したのですが、こちらも昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失。現在の建物は戦後昭和25年(1950)に竣工したもので、先に焼失した第三期の建物のデザインを生かしています。しかし、この建物も老朽化・バリアフリーへの対応を理由に建替の方針が決定しており、この風格のある建物が見られるのもあとわずかといえるでしょう。
ちなみに有楽町には銀座口改札に古いスタンプ(右)が保管されており、係員に申し出ると押すことができます(2007年1月現在)。すでに消耗が激しく右のようにきれいに押せない(80年代に押印)のですが、こちらもいつ廃棄されるかわかりませんので、コレクターの方は急いだほうがいいかもしれません。ちなみにこちらのスタンプに描かれているのは山手線とマリオンと大黒様。なんで大黒様かなと思って調べたら、高額当選で有名な宝くじ売り場に祀られている大黒様(有楽町ロッタリープラザ)だったんですね。
いや宝くじには全然興味ないので(馬券には興味あるが)初耳でしたが、昭和62年(1987)4月のJR誕生と同時にできたと思われるスタンプも有楽町の特徴をよく表現しています。
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2007年01月04日

スタンプ物語3・新橋駅

本日は鉄道唱歌でおなじみ「汽笛一声」の新橋駅です。

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明治5年(1872)10月14日、新橋~横浜(現・桜木町)間に日本初の鉄道が正式開業し、以来10月14日は鉄道記念日となっています。まあ、ちょっと鉄道に詳しい方なら現在の新橋駅は大正3年(1914)に烏森駅から改称された駅で、旧新橋駅は国鉄の貨物駅となった汐留駅ということはご存知でしょう。その汐留駅も昭和61年(1986)に廃止され、跡地は国の史跡に指定。2003年には旧新橋駅停車場として、開業当時の駅舎が再現されています。鉄道歴史展示室として無料で入館(月曜休)できますので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか? 新橋駅汐留口から歩いて5分です(スタンプもあるよ)
またまた脱線してしまいましたが、本題のスタンプは浜離宮恩賜庭園。新橋駅汐留口から徒歩12分のところにあります。これぞ徳川将軍家ゆかりの庭園。承応3年(1654)、甲府藩主松平綱重(6代将軍家宣の父)が当地に別邸を建てたのが始まりで、将軍家宣の代に大幅な改修が行われたといいます。やはりここの魅力は東京湾の海水を引き入れた「汐入りの池」でしょう。御恥ずかしながら管理人はまだ行ったことないのですが、池にボラやセイゴ、ハゼなどが泳いでいるってなんか竜宮城の趣がありませんか(乙姫様はいませんが)。それに四季の花々や野鳥の宝庫としても知られ、水上バスの発着地にもなっています。浅草・両国およびお台場や葛西臨海公園などへはちょっとしたクルーズもおもしろいかもしれません。
新橋にはお江戸シリーズの他にも、鉄道唱歌の碑とSLのスタンプ(右)もあります。
鉄道唱歌は明治33年(1900)に大和田建樹の作詞で、駅前には鉄道唱歌の歌碑とSLのC58の動輪があります。さらに日比谷口のSL広場には、C11が静態保存されており、12時、15時、18時の1日3回汽笛が数秒間鳴るそうです(これもまだ聴いたことがないのです)。汽笛に耳をすませば、やはり新橋は「鉄道発祥の地」ということが実感できるのではないでしょうか。

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2007年01月05日

スタンプ物語4・浜松町駅

本日は浜松町。スタンプの色が赤になっていますが、たまたま駅に黒の朱肉がなかったのでしょう。赤とはいえ黒味を帯びています。どうしても黒で統一したい方は黒の朱肉を持参ください(ただし、他の色と混じってしまいますので、スタンプは押印後、きれいにインクをふきとりましょう)
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東京タワーの最寄駅が浜松町です。とはいえ北口から徒歩15分、約1kmありますので、東京メトロ日比谷線の神谷町駅か都営三田線御成門駅のほうが最寄といえますが……。
東京タワーといえば映画『ALWAYS三丁目の夕日』でもおなじみですが、昭和33年(1958)に竣工された高さ333mの集約電波塔です。昔は田舎の修学旅行で東京へ行くと、必ずとはとバスのツアーで立ち寄りました。ペナントや置物のカレンダーなど、ひと昔前のおみやげは懐かしいものです。タワーには高さ150mと大展望台と高さ250mの特別展望台がありますが、だいたい修学旅行では大展望台までしか登らせてくれません。特別展望台はさらに料金がかかってしまうからです。他にも蝋人形館やギネスワールドレコードミュージアム、トリックアートギャラリー、東京タワー水族館など楽しげな施設が目白押しです。ところでこの東京タワー、地上デジタル放送に対応した第2東京タワーの建設構想が持ち上がっており(候補地は墨田区押上)、2011年7月24日のアナログ放送終了とともにその使命をまっとうするものとみられています。その後も文化遺産として残されてゆく予定ですが、現役の東京タワーを楽しむのは今のうちでしょう。
東京タワーの東側にあるのが、徳川家の霊廟がある芝増上寺です。開山は明応4年(1393)で、慶長3年(1598)に現地に移転し、徳川家康および歴代将軍の手厚い保護を受けました。歴代将軍のうち2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂と6人が眠っています。ただし、墓所は通常非公開で、 4月上旬の御忌大会などの特別な日しか公開されません。毎年行きそびれていますので、今年こそは行こうと思っています。この増上寺、江戸時代には日光東照宮に劣らぬほどの絢爛さを誇ったといいますが、政教分離で境内の大半が芝公園となり、貴重な霊廟や五重塔なども戦災で失われてしまったそうです。それでもお江戸の華やかさを体感するにはおすすめのスポット。スタンプに描かれた大殿は昭和49年(1974)の再建ですが、その荘厳さを失っていません。
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2007年01月06日

スタンプ物語5・田町駅

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田町といえば「勝海舟・西郷隆盛会談の碑」。昭和55年(1980)に設置された「わたしの旅スタンプ」の絵柄にもなりました。このときは勝海舟と西郷隆盛の顔が描かれていたのですが、これまた全然似てませんでした(笑)。碑のほうでは西郷隆盛が「南洲(なんしゅう)」となっていますが、これは西郷の称号です。坂本龍馬の取材時に訪れたことがありますので写真もUPしておきます。碑は芝浦口(西口)から徒歩2分の第一田町ビルの脇に建っています。この付近は江戸時代、薩摩藩邸があった場所でした。
慶応4年(1868)の正月3日、大坂から京都へ入ろうとした旧幕府軍と薩長軍が衝突。これが2年にわたって繰り広げらる戊辰戦争の始まりです。しかし、鳥羽・伏見の戦いでは、銃火器に勝る薩長の前に旧幕軍はあっけなく敗退。大坂城に戻った前将軍・徳川慶喜は6日夜に大坂城から脱出し、天保山沖に停泊中の開陽丸に乗船。12日には江戸へ帰還してしまいます。どうやら朝敵になるのを恐れて戦いを放棄してしまったのです。これに勢いづいた薩長軍は官軍として東海道・東山道・北陸道に別れて江戸に進軍。慶喜は上野の寛永寺に謹慎して恭順の意を示しましたが、あくまで武力討伐にこだわる官軍は江戸城総攻撃を3月15日と決めていました。旧幕府の陸軍総裁として全権を任された勝海舟は、幕臣山岡鉄舟を西郷の使者として派遣し、3月13・14日の両日、高輪の薩摩藩邸で西郷と会談、江戸無血開城が決定しました。江戸城は4月11日に明け渡され、官軍と交戦派の彰義隊が衝突した上野戦争を除けば、江戸の街は戦火から救われたのです。ところでこの会談、どうしても西郷隆盛と勝海舟ばかりクローズアップされてしまいますが、来年のNHK大河ドラマ主人公の13代将軍家定正室・篤姫(天璋院)や14代将軍家茂正室和宮(静寛院)なども暗躍していますし、江戸城開城を最後まで拒んだのは篤姫(天璋院)でした。このあたりのことはまた後日書きたいと思います。
平和裏にことが進み、戦火から救われた貴重な江戸の文化史跡でしたが、77年後の太平洋戦争の東京大空襲によって大半が灰燼に帰してしまいました。そういう意味で250年もの間、天下泰平の世を保った江戸社会を見直すべきだと思うのです。
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2007年01月08日

スタンプ物語6・品川駅

大河ドラマコーナーのため、1日お休みしましたが、再びスタンプ物語ということで本日は品川駅です。

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品川は東海道の最初の宿駅で、スタンプには歌川広重の「東海道五十三次」が描かれています。すぐ近くに海があるように江戸時代は品川駅のあったところはまだ海でした。実際の旧宿場町は駅から徒歩10分ほどの八ツ山橋からで、京急北品川駅に近い八ツ山コミュニティー道路には、200mほどのミニ東海道が再現されています。散策コースとなっている旧東海道は何の変哲もない商店街ですが、注意して路上観察すると壁に浮世絵が描かれていたり、遊郭跡などの碑が建っていたりと、歴史的な重みが感じられます。そのまま京急に並行して続く旧東海道を歩けば、品川本陣跡・品川神社・品川寺(ほんせんじ)などの名所・旧跡があり、うなぎ(荒井家)や品川餅(木村家)などの江戸の味を楽しむことができます。品川寺まで来たら京急の青物横丁駅が近いので、帰りは京急で品川へ戻りましょう。
ところで品川駅には改札を出た駅事務室に、お江戸シリーズ以外のスタンプが11個も保管されており、希望者は押すことができます(2007年1月現在)。右のスタンプは汐留貨物駅が健在だった昭和60年(1985)7月に九州まで乗用車を貨車で運搬したカートレイン(のちに浜松町・恵比寿駅始発に変更)のものですが、今はなき汐留駅のスタンプが押せるのは貴重。この他にも開業111周年記念(1983)、EXPO85サイエンストレイン展示記念(1985)、お座敷列車運転記念(1986)など、国鉄時代の遺構を残す記念スタンプが数多く残されています。こういうメモリアルもののスタンプは、普通は一定期間しか設置されず、押せる機会も非常に少ないのですが、大事に保管しつづけてくれるのはファンにとって嬉しい限りですね。

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2007年01月09日

スタンプ物語7・大崎駅

東海道・京浜東北と並行して走っていた山手線も品川から田端までは正式な路線区間として走ります。本日は山手線内に入った最初の駅・大崎です。

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スタンプの絵柄は、お江戸の史跡からはずれて「新駅舎とお台場」。スタンプは駅の顔といいますので、たしかに近年急速に様変わりした駅舎と線区の様子を描くのもよいPRになるでしょう。
大崎駅の新駅舎完成は2003年。2002年12月に東京臨海高速鉄道りんかい線天王洲アイル~大崎間の全線開業で、JR埼京線との相互乗り入れを開始。スタンプの副題に「埼京線お台場まで直通」と書かれているのはそのためです。さらに2001年12月に開業した湘南新宿ラインも当初は大崎を通過していましたが、りんかい線開業に伴い全列車が停車するようになりました。元々大崎は山手線の保守整備をする東京総合車両センターが隣接していたため、当駅発着の山手線電車が多いことで知られ、山手線で内外とも大崎以遠へ行く方は「なんだ大崎止まりかよ」と見送ったり、あるいは大崎で次の電車を待つなんてこともありましたが、いまやターミナルの要所として生まれ変わり、乗降客数も埼京線・りんかい線開業前と比べると2005年度で倍近くまで増えています。
大崎は江戸期には天領や大名下屋敷があったところですが、工場群と駅前再開発で急速に変貌を遂げました。それでもお江戸の史跡は開発の狭間に残されています。新東口から山手通りを右へ進み、目黒川を渡って山手線ガードをくぐり、東海道本線と山手線にはさまれたところに、タクアン漬を考案したと伝わる沢庵和尚や江戸中期の国学者・歌人で知られる賀茂真淵が眠る東海寺大山墓地があります。駅から徒歩7~8分のところです。お茶漬けに欠かせないダイコンのタクアン漬けは元々備蓄食として以前からあったといわれますが、3代将軍家光が沢庵和尚の漬物をたいそうお気に入ったようで、和尚の没後、墓参りをした際に「沢庵漬けとせよ」と命じたことから、「タクアン漬け」といわれるようになったといいます(『守貞漫稿』)。

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2007年01月10日

スタンプ物語8・五反田駅

本日は管理人が山手線内では一番よく利用する五反田駅です。スタンプも再度、手持ちの朱肉での押し立てホヤホヤです。

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絵柄は東口にある愛の母子像と池田山公園です。待ち合わせ場所で知られる愛の母子像は、昭和49年(1974)、東京五反田ライオンズクラブによって建立されました。像自体は子どもが今にもずり落ちそうでおかしいのですが、五反田の顔として古い2つのスタンプにも描かれています。この古いスタンプのほうは東口みどりの窓口に保管されており、係員に申し出ると押すことができます(2007年1月現在)。でも、スタンプを出してもらっても、後ろに切符を買う人が並んでいれば、脇によけて押して切符購入は譲ってあげましょう。極力、業務の邪魔はしないよう、管理人からのお願いです。
江戸の面影を残すものとしては、東口から徒歩15分のところに池田山公園があります。寛文10年(1670)に備前岡山藩池田家の下屋敷として下賜されたところです。高低差を活かした池泉回遊式の庭園は四季折々の花が美しい区民憩いの場。開園時間(9~17時、ただし7・8月は~18時)を制限しているため、整備も行き届いています。また、薩摩島津家の大名下屋敷のあったところは島津山と呼ばれ、清泉女子大学内には本館として、コンドル設計の旧島津公爵邸が現存します。
五反田は目黒川の谷間の低地で、名の示すように田畑の規模を表す五反(一反は10a、300坪)の田に由来します。地名は旧大崎村の小字で、駅が開設された明治44年(1911)のときは一面農地だったといいます。昔から通っていた中原街道は、江戸虎ノ門から平塚中原(神奈川県平塚市)に至る東海道の脇道ですが、最初は江戸への最短として、江戸入り当初の徳川家康が利用し、幕府の鷹狩りにも使われていました。駅北側のは三代将軍家光が鷹狩りの折に命名した雉子神社も残っています。のち東海道が幹線として整備されると、中原街道も通行量が激減しましたが、大名行列を避けられるため、沿道の農産物を最速で江戸に供給する物資輸送の道として利用されたといいます。

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2007年01月11日

スタンプ物語9・目黒駅

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うまく押せたスタンプのデータがなくて申し訳ないのですが、今回の目黒駅のスタンプは「爺々が茶屋」。歌川広重の「名所江戸百選」に描かれたものを再現しています。
目黒は江戸時代、将軍の鷹狩り場として知られ、また幕府の庇護を受けた目黒不動がありました。そして将軍が鷹狩や参詣の帰りに立ち寄る茶屋があり、3代将軍家光は百姓の彦次郎が営む茶屋を愛し、彦次郎に「爺、爺」と呼びかけたことから「爺々が茶屋(爺が茶屋ともいう)」という名がついたそうです。この茶屋に欠かせないのが落語噺に出てくる「目黒のサンマ」です。このあらすじを簡単に紹介すると、
「鷹狩で目黒に出かけた殿様が、腹が減ったところにサンマを焼く匂いが漂ってきたので、サンマを取り寄せてご飯のおかずにした。以来、殿様はサンマ中毒になり、家来にサンマを求めると、家臣たちは殿様の健康を気遣ってサンマを脂抜きのパサパサで出した。日本橋魚河岸で求めたサンマではあったが、これではうまいわけがない。殿様が『やっぱサンマは目黒(海から4kmほど離れた場所)に限る』というのがオチ」
この殿様のモデルが家光で、サンマを出したのが彦次郎といわれていますが、殿様は松江藩主松平出羽守という説もあります。「爺々が茶屋」のあった場所は目黒駅から15分ほど歩いた現在の目黒区三田2丁目の茶屋坂を登り切ったところに茶屋坂街かど公園があり、「茶屋坂と爺々が茶屋」の案内板が立っています。96年から始まった毎年秋に行われる「目黒さんま祭り」は、目黒駅から徒歩3分の誕生神社手前が会場。無料の焼きたてサンマが振る舞われ、寄席などのイベントもありますが、混雑必至で行列は1時間待ちになるそうです。
目黒には他にも甘藷先生で知られる青木昆陽(1698~1769)の墓がある目黒不動(正式には泰叡山瀧泉寺)や、隠れた人気スポットの目黒寄生虫館などもあり、散策が楽しめます。
最後に余談ですが目黒駅は目黒区になく、所在地は品川区上大崎にあります。山手線では他にも品川駅(港区高輪)にも見られます。代々木駅も旧千駄ヶ谷村だったのですが、こちらは区画整理で代々木一丁目となりました。
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2007年01月12日

スタンプ物語10・恵比寿駅

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縁起のよい駅名の恵比寿は、明治期に日本麦酒醸造会社(現・サッポロビール)が製造していたヱビスビールの商標からつけられた地名です。明治34年(1901)、ビール工場から出荷専用の貨物駅として開設し、旅客営業をはじめたのは明治39年(1906)。当初は下渋谷といいましたが、工場周辺を「ゑびす」と呼ぶようになり、昭和3年(1928)には駅周辺の地名も「恵比寿」に改められました。スタンプの恵比寿様の像は西口にあります。工場は昭和60年(1985)に都市化の開発に伴い、千葉県船橋市に移転。その跡地の再開発が91年からはじまり、94年にはサッポロビール(現・サッポロホールディングス)によって高さ40階(167m)の恵比寿ガーデンプレイスタワーが竣工されました。スタンプに描かれたガーデンプレイスまでは駅から動く歩道「スカイウォーク」で直結。サッポロビールの本社もここに置かれ、新鮮なビールが試飲(有料)できる恵比寿麦酒記念館も併設されているほか、38・39階には展望レストラン街が形成され、デートスポットとしても有名です。
今回のスタンプはお江戸ではないのですが、ガーデンプレイスとは反対側西口から徒歩10分のところに、江戸の大名13家が眠る祥雲寺(渋谷区広尾5丁目)があります。当墓地には筑前福岡藩祖黒田長政(1568~1623)の墓をはじめ、筑後久留米藩有馬家、丹波園部藩小出家、河内狭山藩北条家などの墓があり、戦国時代の医師として有名な曲直瀬道三(1507~1594)の墓もあります。
また西口から徒歩5分くらいのところに寛文4年(1664)から明治38年(1905)まで7基の庚申塔が建っています(恵比寿西2-11-7)。庚申信仰というのは60日ごとにある庚申の夜にうっかり寝てしまうとそのまま死んでしまうことがあると伝えられ、庚申の日は一晩中飲んだり食べたりしながら語り明かして眠らないように過ごし、その仲間を「庚申講」といいました。庚申講は平安期の清少納言『枕草子』にも登場するので、日本では古くから伝わっていたようですが、江戸期にはこれが民間に広まり盛んに行われていたようです。現在では廃れてしまいましたが、地方では親睦会に置き換えて庚申講を行っているところもあるようです。まあ東京でもこの伝統はしっかり受け継がれていますよね。学生時分は2か月に1回朝まで宴会なんて当たり前でしたから。もっとも社会人では翌日仕事にならない(もうその体力はない)のでやらなくなりましたが。

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2007年01月13日

スタンプ物語11・渋谷駅

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渋谷といえば、これまでの開業120周年(2005)スタンプのように必ずといっていいほど、忠犬ハチ公が描かれていましたが、お江戸シリーズということで東口徒歩5分の「金王八幡宮」です。江戸期には江戸八所八幡の一つとして崇敬を集めました。総漆塗りの現社殿は慶長17年(1612)、春日局が家光将軍決定の御礼として建立したといわれ、渋谷区最古の木造建築物。よく戦災から免れたものです。摩天楼のような高層ビルが建ち並ぶ喧騒の中に鎮座し、渋谷の街を見守り続けています。
渋谷の地名は、源頼朝の父義朝の腹心だった渋谷金王丸の姓に由来しています。ここに金王丸の一族渋谷氏の拠点・渋谷城がありました。神社自体は寛治6年(1092)、渋谷氏の祖河崎基家の創始でさらに500年以上前にさかのぼることになります。当初は元渋谷八幡宮といわれていましたが、金王丸の名声にちなみ現在の神社名になったそうです。
今回はこの渋谷金王丸にスポットを当ててみます。平治元年(1159)12月27日、平清盛に敗れた源義朝は、東国で再起をはかろうとして逃走。途中、義朝は家人の鎌田政家(正清)の舅にあたる尾張国野間(愛知県美浜町)の長田忠致を頼ることにしました。長田屋敷で新年を迎えて、出立しようとしていた正月3日、忠致は義朝をこのまま逃がすより、討ち取って平氏の恩賞に預かろうと画策。そこで武勇の誉れ高い義朝に朝風呂をすすめ、丸腰のところを3人の剛の者が襲うことにしたのです。しかし、入浴中の義朝には従者の金王丸が太刀を携えて控えていました。ところが用意周到に忠致は替えの服をそろえておらず、金王丸が服をとりに場を離れた隙に陰に潜んでいた長田の家来3名が湯殿に入り、義朝に襲いかかり、義朝は38歳で絶命したのです。服をとって湯殿に戻った金王丸は、たちまち3人を斬り伏せ、玄光法師とともに主君の仇を討とうとしたのですが、すでに長田父子は恩賞に預かるため、義朝の首を持って京都へ向かったあとでした。やむなく金王丸は野間を去り、義経の母常盤のもとを訪れて、義朝の最期を報告します。その後、義朝の菩提を弔うため、剃髪して僧侶となり諸国を行脚したといいますが、消息は不明で、全国に金王丸の墓が伝わっています。
また一説によれば、剃髪後は土佐坊昌俊と変名したといわれます。土佐坊は平家滅亡後の文治元年(1185)10月に頼朝の命を受け、京都の義経邸を襲撃し捕えられて斬られる人物です。もしこれが真実なら、前半生をみるとむしろ義経に親近感が湧きそうな気がしますが、敬愛する主君の子供同士が争うのをしのびなく、義経に討たれることを覚悟で志願したともとれます。『義経記(ぎけいき)』によれば、鞍馬で捕えられた土佐坊を義経は鎌倉へ返そうとしましたが、怖じることなく自ら死を願い出て斬られたといいます。
話が長くなってしまいましたが、渋谷駅のお江戸シリーズスタンプは、南口みどりの窓口内に設置されているのですが、他の国鉄時代のスタンプと開業120周年(2種)は(いずれもハチ公が描かれています)、保管されているので駅係員に申し出るしかありません(2007年1月現在)。混雑必至の渋谷駅ですが、それでも根気よく他の3つのスタンプもGETしましょう。

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2007年01月15日

スタンプ物語12・原宿駅

本日の原宿駅はスタンプのインクがなくてきれいに写っていません。すいません。再び押しに行こうと思っていたのですが、とうとう機会を得られないままになってしまったのです。

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絵柄は「木造駅舎と明治神宮」。原宿の駅舎は大正13年(1924)竣工で、都内では最古の木造駅舎です。都内の木造駅舎では、他に2番目に古い中央本線国立駅南口もあったのですが、こちらは連続立体交差事業で2006年10月に解体が始まり、12月までに撤去が完了しました。都内の変わりゆく風景――撮っておきたくても結局行けずじまいに終わったところもたくさんあります。ただ、原宿の場合は東側に聖地の明治神宮がありますので、都市開発も西側しかできず、今後も保存されてゆくでしょう。
東側に鬱蒼と茂る森が初詣で毎年最大の参詣客を誇る明治神宮です。本年度正月3が日は311万という目が回るほどの参拝客を集めました。これで29年連続トップだそうです。原宿の外回り線にある臨時ホームは、この正月の明治神宮参詣などに使われています。明治神宮の創建は大正9年(1920)で、明治天皇と昭憲皇太后が祀られています。ところで明治神宮の広大な境内(22万坪)を包む常緑樹や落葉樹の森は、太古の森を連想させますが、神宮ができる前は大半が農地や草地でした。江戸時代には加藤清正の下屋敷がありましたが、加藤家改易後は彦根藩井伊家の下屋敷となり、明治維新後に政府所管に移ったようです。大正4年(1915)から造林がはじまり、全国から約10万本の献木がなされました。こうして鎮守の杜として現在に至るわけです。この後世にも残る自然を創ったのは林学博士の本多静六で、他にも日比谷公園や大沼公園ほか国内の公園造成に多大な貢献をしています。まさに「国土づくりの神」といわれる方ですね。
原宿駅から代々木方面に向かうと天皇陛下専用のお召し列車の発着に使われる「宮廷ホーム」があり、その先に近代的な建物に囲まれて延命寺があります。すでに本堂や墓地の塀もコンクリートで、そこに押し付けられる形で庚申塔の石仏群が建っています。開発の波に呑まれながらも延宝8年(1680)や宝永7年(1710)などに造立された庚申塔だけが、江戸の生き証人になっているのです。

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2007年01月16日

スタンプ物語13・代々木駅

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山手線がいったん中央線と合流するのが代々木駅です。スタンプは「明治神宮北参道と近代ビル」。原宿に続いて明治神宮が描かれているのは、それだけ明治神宮が広い証でしょう。ちなみに当神宮には代々木口と呼ばれる西参道もあり、こちらは小田急線参宮橋が最寄になります。
北参道からだと明治神宮宝物殿に近く、こちらへ行かれる方は代々木下車が便利です。ただし、開館は土・日曜、祝日が中心で、平日は開館していないので注意。奈良正倉院の校倉造りを模した建物は大正10年(1921)に竣工され、2003年には東京都の歴史的建造物にも選定されていますので、一見だけでも価値はありますが。
もうひとつスタンプに描かれた近代ビルは2000年に竣工したNTTドコモ代々木ビルです。「近代ビル」とぼかしたのはビル名が長すぎるためでしょうか、あるいは使用許諾の問題があったのかもしれません。過去にスタンプに会社のロゴを入れて、後でその部分を削ったいわくつきのものがありましたから……。ニューヨークのエンパイアステートビルを思わせる当ビルは地上27階高さ240m。都内では東京都庁第一本庁舎に次ぐ2番目の高さを誇りますが、内部の大半は通信機器とサーバで埋め尽くされ、ドコモ傘下の携帯電話のメールやパケットデータの配信を行っています。よって強固なセキュリティシステムによってガードされ、部外者は立ち入りできません。
代々木は新宿との駅間が700mしかなく、新宿御苑にも近いのですが、こちらは隣駅の中央線千駄ヶ谷が最寄りとなるため、当駅でのお江戸史跡はこれ以上言及できないのも事実です。でも代々木といえば気になるのは、B級スポットとして有名な代々木会館です。代々木駅隣にありながら築50年以上になろうかという6階建のビルで、かつて『傷だらけの天使たち』(1974-1975)のドラマのロケにも使われたようですが、管理人も昔中国書専門の東豊書店に行ったとき、その魔窟ぶりに度肝を抜かれました。老朽化がひどく数年前から取り壊しが決まっていたようですが、テナント権利関係の複雑さから立ち退きが思うようにいかず、新築が遅れに遅れていたようです。昨年7月に行ったときは1階部分の『香蘭』はまだ営業していました。ラーメン250円、チャーハン350円のビックリ価格です。まさに『ALWAYS 三丁目の夕日』を思わせる古きよき昭和の雰囲気を味わえる聖地だったのですが、2007年1月現在でどうなっているのかわかりません。近々代々木に行く機会がありますので追信したいと思いますが。

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2007年01月22日

スタンプ物語14・新宿駅

6日ぶりになりますが、本日は会員からの投稿がなかったので、管理人の埋め草趣味にお付き合い願います。

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スタンプはお江戸シリーズでなく、明治18年(1885)3月1日に開業した新宿停車場が描かれています。JR山手線の前身である日本鉄道赤羽~品川間が開業したときに設けられた駅で、ずいぶんと殺風景ですが、当時は町はずれの角筈に設けられたため、利用客は少なく雨の日などは利用客0人だったこともあったようです。その後、甲武鉄道(現在のJR中央本線)が立川まで開業。その後も京王や小田急など私鉄の乗り入れが相次ぎ、一大ターミナルに変貌しました。2005年度の乗降客数はJRで約151万人で第1位。各社総合では約347万人で世界第1位を誇りますから、このスタンプは駅の歴史を語るうえでは貴重な史料といえるでしょう。
ただ、新宿はお江戸とも縁が深く、甲州街道の宿駅で栄えました。甲州街道は当初、日本橋から高井戸まで4里(約16km)あり、起点と宿場までの距離が長いため、多くの旅人が難儀していました。そこで元禄11年(1698)に設けられたのが内藤新宿です。信州高遠藩主の内藤氏の中屋敷(現在の新宿御苑)があったため、こう呼ばれました。新宿駅西口から出て新宿3丁目から四谷4丁目にかけての通りには、内藤家代々の墓所と都内最大の閻魔像で知られる太宗寺、奪衣婆で有名な正受院、江戸後期の戯作者・恋川春町の墓のある成覚寺、江戸三名鐘のひとつ「時の鐘」のある天竜寺など、見どころがたくさんあります。また約60年前から続く追分だんご本舗は、甲州街道と青梅街道が分岐する「追分」の名を残すだんごの店で、だんごを頬張れば往時の街道旅の雰囲気を味わうことができます。
新宿にはもうひとつ「都庁とあずさ号」のスタンプ(右)があります。1999年に新宿指導センターが独自に製作したもので、管内の山手線・中央線の駅に設置されたのですが、その後支社統一印設置のため、現在ではほとんどの駅で消滅しました。お辞儀している駅員は新宿地区のマスコット「しんちゃん」です。このスタンプは2007年1月現在、同じものが2カ所に保管されていますが、東口みどりの窓口は結構並ぶことになるので、おすすめは南口インフォメーションセンターのほう。きれいな受付嬢が応対してくれます。

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2007年01月23日

スタンプ物語15・新大久保駅

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新大久保駅のすぐ西側に皆中(かいちゅう)稲荷神社があります。この付近は徳川幕府の将軍警護を目的とした鉄砲組百人隊の屋敷があったところで、現在も「百人町」の地名が残っています。創祀は天文2年(1533)と古く、鉄砲組与力がこの稲荷神社にお参りをしたところ、射撃が百発百中となり、「皆中(みなあたる)の稲荷」と呼ばれるようになったといわれています。その後、射撃だけではなく「当たる」ものに御利益があるということで、現在は「ギャンブルの神様」として親しまれているそうで、馬券や宝くじを当てたい方は一度参拝するとよいかもしれません。この皆中稲荷神社で隔年の9月下旬に行われるのが、スタンプにも描かれている「鉄砲組百人隊」による出陣行列です。
昭和36年(1961)に江戸幕府鉄砲組百人隊保存会によって復活。甲冑に身をまとった鉄砲隊百人組が法螺貝の音とともに皆中稲荷神社から百人町を行進し、数箇所で実際に火薬を使った火縄銃の試射が行われます。現在は新宿区の無形民俗文化財に登録されており、すさまじい轟音はまさに迫力満点。本年度はこの儀式が行われる年ですので、ぜひお忘れなきように。
ところでこの鉄砲組百人隊屋敷は、時代考証家・名和弓雄氏の説によると、万が一、将軍が江戸城を追われた際に地下坑道で甲州へ抜ける退避路が設けられており、将軍警護のための要塞の役割を果たしたといわれます。皆中稲荷神社の拝殿にも抜け穴があり、江戸城の半蔵門から通じているといわれ、半蔵門といえば伊賀衆の頭領・服部半蔵に由来しています。鉄砲組百人隊というのは忍者で知られる伊賀・甲賀衆や、鉄砲の扱いに慣れていた雑賀衆および焔硝・弾丸の製造保管・配給を行った玉ぐすり方の青山組などで構成されていました。また、8代将軍吉宗が創設した幕府お抱えの忍び「お庭番衆」にも、吉宗の故郷・紀州から伴ってきた忍びのほかに、伊賀・甲賀衆がいたとされます。
江戸城は慶応4年(1868)に戊辰戦争で無血開城されたので、鉄砲組百人隊の出番はありませんでしたが、定期的に軍事演習があったことは確かで、その伝統は今も受け継がれています。
なお、新大久保駅周辺はコリアンタウンと呼ばれ、韓国料理の店がたくさん並んでおり、韓流ブームでも賑わいをみせています。また、中央線大久保駅とは、大久保通りで200mほどしか離れておらず、そのまま大久保まで歩いても5分とかかりません。スタンプコレクターの方はこちらにも立ち寄るといいでしょう。

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2007年01月24日

スタンプ物語16・高田馬場駅

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高田馬場の地名は、寛永13年(1636)に幕府によって造られた馬術の訓練場に由来しています。家康6男で越後高田藩主の松平忠輝の生母高田殿の庭園があったことから「高田」ととったとも、一帯が高台であったことから「高田」と呼ばれていたともいいます。実際に高田馬場があった場所は旧戸塚村で、現在の西早稲田3丁目あたりですから、駅からは1kmほど東にあり、明らかに東京メトロ東西線早稲田駅のほうが最寄となります。スタンプに描かれていますのは、毎年10月に行われる流鏑馬です。鎌倉期の狩装束に身を包んだ射手が、約200mの直線を馬で疾走しながら3つの的を射抜いていく馬術で、西早稲田2丁目にある穴八幡神社の境内を出発した馬場行列は午後2時頃、戸山公園内の会場で流鏑馬を披露します。外国人にも人気の高い日本伝統行事。新大久保の鉄砲演舞同様、要チェックです。
また江戸の史跡として近くには戸山公園もあります。園内にある箱根山は山手線内で一番高い44.6mの人造の小山で、寛文年間(1661~73)に尾張藩主徳川光友によって回遊庭園が造られました。起伏のある公園は憩いの場となっています。
高田馬場には1999年に新宿指導センターが独自に製作したスタンプ(右)も残っています。こちらに描かれているのは、早稲田大学と水稲荷神社境内に建つ堀部安兵衛武庸加功績跡の碑です。講談でもおなじみの「決闘高田馬場」です。元禄7年(1694)2月11日、御前試合で菅野六朗左衛門に負けた村上庄右衛門が、高田馬場で再決闘を申し込んだが、村上は菅野を騙し討ちにしようと、仲間を集め菅野は苦戦します。そこに菅野と叔父・甥の契りを結んだ中山安兵衛が助けに駆けつけて形勢逆転。不利になった村上らは逃げ出します。この安兵衛の武勇を聞いた赤穂藩士の堀部弥兵衛が娘婿に迎え、赤穂浪士の一人堀部安兵衛となるのです。

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2007年01月25日

スタンプ物語17・目白駅

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目白駅のスタンプは「目白ろまんすテーション」。2000年7月に完成した3代目駅舎です。開業は明治18年(1885)で、大正8年(1919)に改築され、全国初の橋上駅舎となりました。早稲田と同じ学生の街なのですが、こちらは学習院大学・川村学園女子大学と付属の小中高があり、女子学生であふれています。周辺は学校敷地が多いのですが、少し足を延ばして15分ほど歩けば、駅の西側におとめ山公園があります。おとめ山は「乙女山」でなく「御留山」と書き、江戸期は徳川家の狩猟地で一般の立ち入りが禁止されていました。敷地内の傾斜地から湧水が出ており、この清水を利用してホタルの養殖も行われ、毎年7月にはホタル鑑賞会も開催されます。まさに都心の秘境ですね。さらに道路を隔てた東側にも池があり、カルガモの親子の姿も見られます。公園を東西に分ける道路には「カルガモ横断注意」の標識までありますから微笑ましいですね。
反対に駅から目白通りを東へ500mほど歩くと都電荒川線が走っており、安産・子安で有名な鬼子母神がありますが、これは次のネタになってしまいますので、今回は割愛します。ちなみに目白の地名は江戸五街道守護の五色不動(目白・目赤・目青・目黄・目黒)のひとつ目白不動に由来しており、目白不動の金乗院は、この先の豊島区高田にあり、駅から歩くと25分ほどかかります。まあ目白通りにはバスも走っていますので、鬼子母神のバス停で降りれば近い(徒歩7分)ですが。

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2007年01月26日

スタンプ物語18・池袋駅

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池袋のスタンプは「鬼子母神とすすきみみずく」です。鬼子母神は昨日の目白駅からも近いのですが、池袋でも東口から明治通りを南下すれば徒歩10分程度です。このスタンプには池袋~雑司ヶ谷間をLRT(超低床式路面電車)で結ぶ構想への意図が込められているかもしれません。まだ未知数ですが、実現すれば鬼子母神へのアクセスもグッと便利になりますから。
本当は都電荒川線に鬼子母神前の停留場があり、そこからが至近なのですが、樹齢数百年のケヤキ並木の参道の先に法明寺鬼子母神堂があります。鬼子母神とはインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供(500人とも1000人ともいわれる)を産みました。しかし、性質は暴虐で近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。そこでお釈迦様が末の子を隠して、我が子を失う母の苦しみを悟らせ、仏教に帰依させたとのことです。
鬼子母神堂は永禄4年(1561)に山村丹右衛門が現在の目白台付近で鬼子母神像を掘り出し、東陽坊に祀ったのが始まりで、天正6年(1578)年に現在地に移ったといいます。現在の社殿は寛文4年(1664)の建立で、豪華な彫刻が施されており、東京都指定有形文化財に指定されています。境内に一軒ある駄菓子の『上川口屋』は江戸時代からの老舗で、毎年10月16~18日に行われる御会式大祭では『名所図会』にも描かれている郷土玩具すすきみみずくを買うこともできます。1800年頃、病の母を看病する久米という娘が、家が貧しいため薬も買えず、鬼子母神にお祈りを続けていたところ、ある夜、夢枕に突然蝶(鬼子母神)が現れ、「すすきみみずく」の作り方を教えてくれました。これを門前で売ってみたところ、飛ぶように売れて母親の薬も買えるようになり、母の病気も治ったという孝行物語です。
また、毎週日曜と縁日(8・18・28日)鬼子母神境内の大黒堂では、おせん団子も売られます。おせん団子は鬼子母神に千人の子供がいたことにあやかり、たくさんの子宝に恵まれるよにという願いに由来し、江戸期には鬼子母神参詣のお土産でも知られていました。おせん団子は近年復活したようです。
ところで池袋は現在でこそ新宿の次に乗降客数が多いのですが、明治28年(1895)に日本鉄道品川~赤羽間が開通したとき、何もない農村地帯だったため駅が設けられませんでした。明治35年(1902)にようやく信号所として開設し、その後、現在の山手線となる田端への支線を分岐する際に、当初予定されていた目白での分岐を、地形の問題や住民の反対で池袋に変更されたため、翌年に駅として昇格しました。しかし、その後も駅の東側に広大な巣鴨プリズンがあったため、思うように発展しませんでした。サンシャインシティや東武・西武の百貨店など派手な変貌を遂げるのは戦後のことです。
池袋にはそんな発展を記すような1985年9月30日の埼京線開業記念スタンプ(右)のほかに1988年3月13日の東北・高崎線の電車乗入記念スタンプ(2種類)が東口駅長室に保管されています(2007年1月現在)。もっとも駅長室までスタンプを押しに訪ねてくる客も稀のようなので、管理人が訪れたときは、ずいぶんと気持ちのよい応対に感激しましたが。

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2007年01月27日

スタンプ物語19・大塚駅

今週は結局管理人の執筆だけで終わってしまいました。会員の皆さん、例会で打ち合わせした件の約束を守り、皆で協力していきましょうよ。

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スタンプの絵柄は「駅舎と都電」です。山手線内では唯一都電荒川線に接続しており、大塚駅前停留所があります。また駅は高架にもかかわらず、北口と南口が改札で分断されており、通り抜けるには都電のホームを歩くしかありません。現在は自由通路の建設が進められているようですが。
この都電荒川線は三ノ輪橋~早稲田間12.2kmを走る路面電車です。かつては都内に縦横無尽に張り巡らされ、41系統最大総延長213kmにおよんだ交通網でしたが、モーターリゼーションと東京都交通局の経営悪化によって、1967年から1972年にかけて181kmの区間が廃止されました。都電荒川線は27系統と32系統を統合して、現在に至っています。当区間には30もの停留場が設けられ、下町や江戸の史跡散策には最適な路線です。料金は均一160円。1日乗車券は400円という格安で、3回乗ればモトがとれてしまうすぐれものです。のんびり散歩するなら都電に乗って移りゆく町の風景を楽しむのもいいかもしれません。沿線には荒川遊園地・飛鳥山公園・高岩寺(とげぬき地蔵)・雑司ヶ谷霊園・鬼子母神など見どころがたくさんあります。
大塚駅周辺の史跡としては、南口徒歩2分のところに天祖神社があります。大塚駅は文京区でなく豊島区にあり、現在は豊島区南大塚となっていますが、旧来は巣鴨と呼ばれていました。ここが旧巣鴨村の総鎮守でした。鎌倉期の元亨年間(1321~23)創建と伝わり、境内にある樹齢600年といわれる夫婦銀杏は太平洋戦争の際、空襲で焼け焦げになったのに、いつの間にか青々と葉をしげらせて生き返ったといいます。自然の生命力には感服しますね。また同じく南口から徒歩10分のところには東福寺があります。石段の参道には明治37年(1904)に建てられ道標の役割を果たした庚申塔や、付近に牧場があったことにちなむ「疫牛供養塔」も建っています。

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お詫びと訂正
事務局から送信しました2007年の1月例会報告で、新規会員の大谷氏がブルボンクリエイションの非常勤スタッフとなっていましたが、WEB制作およびPCメンテナンスの誤りで、大谷氏は現在アパレル会社通販部門に勤務しております。会員限定報告のほうで訂正いたしましたが、大谷氏には深くお詫び申し上げます。
あと『フリーきっぷガイド』2007年度版のブルボンクリエイションの問い合わせ住所も変わっています。詳しくは「会員限定報告」をご覧ください。

2007年01月30日

スタンプ物語20・巣鴨駅

うーん、夜半になるとレンタルサーバーの回線が集中するのか、つながりがものすごく悪い!

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スタンプは「桜ととげぬき地蔵」。桜というのは駅北口から徒歩5分の染井霊園のサクラです。日本の国花である代表的なサクラ・染井吉野は、江戸末期から明治初期にかけてこの旧染井村で、造園師や植木職人によって育成されていた吉野桜(ヤマザクラ)が発祥です。のちの調査でヤマザクラとは別の品種とわかり、明治33年(1900)に『日本園芸雑誌』で「染井吉野」と命名されました。これが明治から戦後にかけて日本全国に植樹され、サクラの開花全線にもこの染井吉野が基準になっています。霊園内には約100本の染井吉野が植えられ、サクラの名所としても知られますが、墓地には『智恵子抄』の高村光太郎・智恵子夫妻や、明治の小説家・二葉亭四迷などの著名人も眠っています。また、近くの本妙寺には遠山金四郎一族、慈眼寺には芥川龍之介・谷崎潤一郎の墓もあり、お参りに来る人があとを絶ちません。
染井霊園のすぐ西に「とげぬき地蔵」で有名な高岩寺があります。扶岳太助が慶長元年(1596)に江戸神田湯島に創建し、明治24年(1891)に現在の巣鴨へ移ってきました。「とげぬき地蔵」の由来は、江戸の正徳年間(1711~16)に毛利家の女中が誤ってトゲを飲み込んだ際、地蔵の御影(肖像)を飲み込んだところ、トゲが抜けて外に出てきたそうで、以来、病気やけがの治療にきく地蔵ということで、多病のお年寄りが来るようになりました。この延命地蔵尊は秘仏のため非公開ですが、御影の札が1枚100円で売られており、お守りで身につけるもよし、細かくちぎって飲むもご利益があるといわれています。また、洗い観音と呼ばれる観音様は、自分の治癒したい部分を濡れタオルで拭くとご利益があります。昔はタワシでこすっていたのですが、磨耗が激しいため、初代観音様は2代目観音様の後ろの祠に納められています。
参道にあたる巣鴨地蔵通り商店街は、毎月4のつく(4・14・24日)は縁日となり、露店で賑わい、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる所以もそこにあります。高齢者向けの洋品や衣料品の店があるほか、甘味処・食事処・和菓子屋なども建ち並び、最近は若い女性にも人気があるようです。

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2007年01月31日

スタンプ物語21・駒込駅

本年度元旦から始まった旅じゃBLOGも1カ月を迎えました。管理人の負担がいっぱいでこのまま続くかどうかは、その他会員の投稿にかかっています。

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スタンプは「六義園とつつじ」です。六義園は南口から徒歩7分。徳川5代将軍綱吉の側用人・柳沢吉保が元禄8年(1695)に駒込の地を拝領し、7年がかりで下屋敷と「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。「六義園」という名称は、中国の古い漢詩集『毛詩』の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来しています。まさに吉保の文学的造詣の深さを象徴する庭園といえます。明治21年(1888)に、三菱創設者の岩崎弥太郎氏が購入し、昭和13年(1938)に東京市に寄贈されて一般公開されることになりました。昭和28年(1953)には国の名勝に指定されています。桜や紅葉など四季折々の風景が楽しめる庭園ですが、なかでもツツジは有名で、4月下旬~5月上旬はヤマツツジ・ドウダンツツジ・リュウキュウツツジなどさまざまなツツジに彩られ、「ツツジまつり」も行われます。
駒込といえばもうひとつ忘れていけないのが、北口徒歩10分ほどのところにある旧古河庭園です。こちらは京浜東北線上中里駅が最寄で、スタンプも上中里駅で紹介されていますので、詳細は割愛しますが、4月中旬~下旬はツツジが見頃です。
六義園や旧古河庭園に見られるツツジは、まさに駒込を代表する「花」といえますが、もうひとつツツジで見逃してはいけないのは駒込駅です。明治43年(1910)の駒込駅開業を記念して、近隣の植木屋さんによって植えられたもので、ホームに立つと線路沿いに彩られるツツジが乗客を和ませてくれます。

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2007年02月01日

スタンプ物語22・田端駅

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スタンプは「駅舎と新幹線」です。描かれている駅舎は改築前の北口ですが、現在、田端駅は駅舎の改築が進み、2008年秋に完成の予定です。駅舎が完成した際にスタンプの絵柄も変わるのでしょうか? 気になるところではあります。山手線は田端で再び京浜東北線と合流しますが、この京浜東北線と並行して東北・山形・秋田・上越・長野新幹線が走っています。新幹線の高架の下に田端車両基地と機関区があり、はやて・こまち・やまびこ・つばさ・とき・あさまなど各新幹線の車両が見られ、機関区にはEF81・EF66の電気機関車やその他の車両があるので、レイルファンには見逃せない場所です。
スタンプは鉄道中心の紹介となっていますが、付近には名所・旧跡もたくさんあります。田端は元々閑静な農村でしたが、上野に東京美術学校(現・東京芸術大学)ができると、小杉放庵(洋画)や板谷波山(陶芸)など若いアーティストたちが住むようになり、大正3年(1914)に小説家の芥川龍之介が転居してきたのを皮切りに、室生犀星・荻原朔太郎・菊池寛なども集まるようになり、文士村が形成されました。北口から徒歩1分のところに「田端文士村記念館」があり、各文士たちの旧居跡を記した散策マップが手に入りますので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。開館は10~17時、月曜と祝日の翌日が休館です。
この文士村エリアには赤紙仁王で知られる東覚寺があります。寛永18年(1641)に彫像された二体の金剛力士像があり、寺で分けられる2枚の赤紙(有料)を自分の治癒したい部分にそれぞれ貼るとご利益があるとされ、治った場合は草鞋を奉納します。他にも上野戦争のときに彰義隊が隠れたという洞窟がある田端八幡神社や、相模小田原藩大久保家と伊勢亀山藩石川家の菩提寺である大久寺、正岡子規の墓がある大竜寺など、由緒ある寺社も点在。画面だけで語り尽くせないのが田端なのです。
田端にはみどりの窓口(8~20時)に開業百周年のスタンプ(右)も設置されています(2007年1月現在)。明治29年(1896)開業で、百周年が平成8年ですから、すでに110周年を昨年迎えていますが、ただでさえ押す機会の少ない記念スタンプを、ファンのために残してくれているのは嬉しいことですね。

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2007年02月02日

スタンプ物語23・西日暮里駅

西日暮里は山手線内で最も新しくできた駅で、営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線の乗り換え駅として昭和46年(1971)4月20日に開設されました。そのため次の日暮里駅までは500mしかなく、隣駅のホームまで確認できます。

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スタンプに描かれているのは、安藤広重『江戸名所百景』のひとつ「日暮里諏訪の台」です。駅から西南に100mほど行くと諏訪神社があり、この付近の台地が「諏訪の台」と呼ばれていました。室町後期に名将太田道灌が江戸城を築いた際、当地に出張りの砦を築いたので「道灌山」とも呼ばれています。諏訪の台には谷中七福神の寺院があり、諏訪神社の西にある青雲寺は花見寺と言われ四季折々の花が咲く名所でした。『名所百景』では桜の下で眼下の街並みを望む風景が描かれています。また南にある浄光寺は雪見寺と言われ、古くから家光の鷹狩りの御膳所にもなっていました。
西日暮里にはもうひとつシャチハタ形式のスタンプ(右)も保管されており、改札係員に申し出れば押すこともできます(2007年1月現在)。こちらのスタンプに描かれている「富士見坂」は西日暮里と日暮里の中間にあり、数多くある富士見坂の中では、都内で唯一富士山が見える坂となっています。 澄んだ晴れの日がチャンスだそうですが、江戸期に比べ望める機会が減ってしまったのも、時代の移り変わりを感じさせます。

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2007年02月03日

スタンプ物語24・日暮里駅

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日暮里駅のスタンプは、国鉄時代の昭和55年(1980)に設置された「わたしの旅スタンプ」(右)と同じ「谷中七福神」です。現在のスタンプは七福神が描かれていますが、国鉄時代のものは日暮里駅最寄の「毘沙門天」が祀ってある天王寺が描かれています。ここで国鉄時代のスタンプを紹介したのは、日暮里駅には2007年1月現在、「わたしの旅スタンプ」も保管されており、北口係員に申し出れば押すことができるからです。管理人も2~3年前にメモ帳に押した記憶があるのですが、そのメモ帳が出てこなかったので、国鉄時代に押したものをUPしました。日付が昭和61年(1986)2月となっていますから20年前になります。スタンプは取替えなどあったとは思いますが、いまだに国鉄時代のデザインのものがあるというのが貴重です。
話がそれましたが本題に入ります。日暮里は昨日の西日暮里同様、諏訪の台にある「谷中七福神」の寺院で知られます。享保年間(1716~35)頃からは、暮れていく日のことを忘れるほど美しい「日暮らしの里」と呼ばれるようになり、現在の「日暮里」となりました。谷中七福神は東覚寺(福禄寿)・青雲寺(恵比寿)・修性院(布袋尊)・天王寺(毘沙門天)・長安寺(寿老人)・護国院(大黒天)・生池院弁天堂(弁財天)です。実際の七福神めぐりでは、弁天堂は上野、東覚寺は田端などきわめて広範囲になり、弁天堂から北上あるいは田端から南下が効率よい七福神めぐりとなります。七福神の描かれた色紙は1500円。それに各寺院で200円払うと御朱印を押してもらえます。まあ、広範囲とはいえ、実際に七福神を全部歩いて回っても2~3時間程度です。

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2007年02月08日

スタンプ物語25・鶯谷駅

3日続けて会員の投稿があり、アクセスもランキングもグッと上昇しましたが、本日は管理人の埋め草投稿です。山手線一周もゴールに近づいてきましたので、もうしばらくお付き合いください。

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鶯谷のスタンプといえば駅名の通り「寛永寺とウグイス」です。このあたりは江戸期は寛永寺の寺領でした。寛永寺は寛永2年(1625)に天海の発願で建立。京都を守護する比叡山に対し、「東の比叡山」という意味から「東叡山」ともいわれました。承応3年(1654)に皇子が入山して以来、代々皇族が門主をつとめ、「輪王寺宮」と尊称されています。鶯谷の地名はこの輪王寺宮が「江戸のウグイスはなまっておる」と云って、京都からたくさんのウグイスを取り寄せて放ったのが由来です。現在では都市化が著しくウグイスの鳴き声などほとんど聞くことができませんが、朝の時間帯は駅ホームからウグイスの鳴き声を流しています。絶大な宗教的権威を誇った寛永寺でしたが、慶応4年(1868)の戊辰戦争では、彰義隊と官軍の戦場となり、根本中堂はじめ主要な堂宇は焼失。旧境内の敷地は現在の上野公園になっています。
鶯谷には2007年2月現在、旧スタンプ(右)も保管されており、南口改札係員に申し出れば押すことができます。こちらは寛永寺と駅南口から徒歩7分のところにある狂歌「おそれ入谷の鬼子母神」で知られる真源寺の朝顔市が描かれています。当寺は「下谷七福神」の福禄寿を祀っていることでも知られ、七福神も描かれています。他は元三島神社(寿老神)・英信寺(大黒天)・法昌寺(毘沙門天)・ 弁天院(弁才天) ・正宝院(恵比寿) ・寿永寺(布袋尊)です。こちらも日暮里の谷中七福神同様、色紙(2種類あり)を購入して、有料の御朱印を求めます。こちらの巡拝も徒歩1時間ほどですので、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

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2007年02月12日

スタンプ物語26・上野駅

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「上野山下ステーション」というのは、明治16年(1883)に日本鉄道の駅として開業した当初の風景です。山下というのは西側にある上野の山のこと。正確にいえば山でなく台地なのですが、標高20mほどの高さのある上野恩賜公園は、パンダで有名な上野動物園をはじめ東京国立博物館・国立科学博物館・国立西洋美術館・東京都美術館・東京文化会館などの文化施設が点在。桜の名所としても知られ、春は花見の人出で賑わいます。
 上野といえば長らく「北の玄関口」として知られ、新幹線開業前は東北・上信越・北陸方面への列車が発着する駅でした。東北・上越新幹線開業後もその地位は揺らぎませんでしたが、91年に新幹線が東京駅まで延伸すると、その運行形態はガラリと一変。その後も山形・長野新幹線などの開業により、当駅始発の優等列車が激減したため、地上ホームも整理され、東北地方から集団就職で「金の卵」ともてはやされた若者を乗せて到着した18番線も1999年にその使命を終えました。石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』で唄われた「上野発の夜行列車」も激減しましたが、「北斗星」「あけぼの」「北陸」「能登」などが健在です。故郷が違っても故郷へ帰る旅情をかきたてられるのが上野駅なのです。
上野駅には中央改札内みどりの窓口にの新幹線とパンダと不忍池が描かれている逆三角形のスタンプのほか、「パンダの親子」「西郷隆盛と駅舎および寛永寺五重塔」が描かれた3つが設置されています(2007年1月現在)。こちらも見逃さないようにしましょう。

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2007年02月16日

スタンプ物語27・御徒町駅

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スタンプの「湯島天神」は御徒町北口から西へ徒歩8分のところにあります。ご存知学問の神様である菅原道真公をまつる天満宮で、受験シーズンには神頼みの受験生で賑わいます。創建は雄略天皇2年(458年)と古く、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社でしたが、正平10年(1355)に菅原道真を勧請して合祀。徳川家康が江戸に入ってからは徳川家の崇敬も受けました。現在の社殿は老朽化に伴い1995年に再建されたばかりです。以前の社殿は明治18年(1885)改築のものだったので、これまた撮りそびれました。昔行ったような記憶もあるのですが……。あと湯島天満宮は梅の名所としても知られ、毎年2月上旬~3月上旬は梅まつりが行われ、本年度も3月8日まで開催しています。野点や白梅太鼓、期間限定の記念品販売ほか、宝物殿が3月4日まで特別割引で拝観できます。

御徒町の地名は江戸期に江戸城や将軍を警護する下級武士、つまり騎乗が許可されない御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来しています。現在はこの地名は残っていませんが、御徒町といえばJR御徒町からJR上野駅に向かう山手線線路の西側にあるアメヤ横丁(通称:アメ横)が有名で、とくに年末の正月用生鮮食品の買出しは風物詩といえるほどの賑わいをみせます。管理人も晦日にわざわざ参加してきました。

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2007年02月20日

スタンプ物語28・秋葉原駅

会員の投稿がちらほら見られるようになり、埋め草連載もかなり飛び飛びになってきました。さすがに毎日書くのはしんどいのでありがたいことです。なお、まとめて連続で読みたい方は旅じゃBLOGの「スタンプ物語」のカテゴリーからお入りください。もちろん各投稿者の文章も個別で見られます。

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今回の秋葉原はスタンプの内容が変わった珍しい例です。ご存知の通り、長い間親しまれてきた交通博物館は、老朽化とバリアフリー対策などもあって2006年5月14日をもって惜しまれつつ閉館となりました。の旧スタンプは2005年に交通博物館へ行った際に博物館のスタンプとともに押した記憶があるのですが、そのメモ帳がとうとう出てきませんでした。真剣に掃除でもすれば出てくるかもしれませんが、とうとう本日がきてしまったのです。よってまだ古いスタンプが掲載されているスタンプ台からその画像を起こしました。ご了承ください。
秋葉原の交通博物館は昭和11年(1936)4月25日に万世橋駅跡を利用して開館。その後、70年にわたってたくさんのレイルファンが訪れました。日曜だけオープンする資料室には、貴重な本がたくさんあり、僕も卒論や本の編集のときにお世話になった記憶があります。研究者と思われる人がたくさんいて、異様な雰囲気でしたが、コピーサービスがないのが非常に残念でした。あとゲームで人気になった運転シミュレーション「電車でGO」のはしりでもありますし、鉄道だけでなく交通全般の展示物があるのが魅力でした。本年10月14日には埼玉県さいたま市に鉄道博物館が開館予定ですが、交通全般でなく鉄道に限定されてしまうのが残念でなりません。鉄道以外の展示物は公開予定がなく、専門博物館からの依頼があれば貸し出すことも検討しているとのことですが、公開される可能性は極めて低く、このまま宝の持ち腐れになってしまうのではないかと心配です。
前置きが長くなりましたが、秋葉原のスタンプは昨年の「万世橋とITの街」に生まれ変わりました。と同時に2005年のつくばエクスプレスとヨドバシAkibaなどの開業に伴い駅自体も大変貌を遂げ、駅ビルに入っていたアキハバラデパートも昨年末をもって閉館されました。駅周辺には電気街が広がり、パソコン部品などがヨドバシカメラなどもよりも安く買えるので管理人もしばし訪れます。まあ、『電車男』の流行もあったのちは元祖オタクたちも遠のく傾向にありますが、それでもメイド喫茶やいわゆるアキバ系アイドルなどで賑わっています。
この秋葉原、明治2年(1869)暮れに、明治天皇の勅命で現在のJR秋葉原駅構内の地に神社を勧請。江戸時代に火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていた神仏混淆の秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々が「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火災時に緩衝地となるよう空き地とされていた社域を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことに由来しています。その後、明治21年に日本鉄道延長に伴い移転し、秋葉神社となりました。
駅名は正式には「あきはばら」なのですが、神社は「あきば」、さらに下町訛りや略称なども「あきば」と呼ばれることから、現在でも「あきばはら」と混同している人が多いようです。

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2007年02月21日

スタンプ物語29・神田駅

1月2日からはじまりました山手線各駅停車の「スタンプ物語」もついに最後の神田駅となり、無事に一周して戻ってきました。

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神田ということで毎年5月15日近くの土曜に行われる神田明神の神田祭の御輿が描かれていますが、神田明神の最寄は当駅ではなく中央線の御茶ノ水駅です。ホームにもその旨が表記されています。神田明神は天平2年(730)に創建。承平5年(935)に反乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社近くに葬られ、延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされました。江戸築城に際して現在地に遷座してからは江戸総鎮守として尊崇されています。
神田祭は日本三大祭りのひとつに数えられ、山車が将軍上覧のために江戸城中に入ったといいますが、路面電車の開通で山車の運行に支障をきたすようになり、さらに関東大震災で山車の大半が焼失したため、現在は御輿に替わっています。大祭は隔年で行われますが本年度はその年にあたり、艶麗で古風な行列の神幸祭、御輿宮入、太鼓フェスティバルなどが盛大に行われます。
神田にはもうひとつ神田明神随神門とSLが描かれた国鉄時代のスタンプ(右)も北口改札窓口に保管されており、係員に申し出れば押すことができます(2007年2月現在)。SLは北口から比較的近い万世橋の旧交通博物館をさしているものと思われますが、交通博物館なき現在、このスタンプも風前の灯火といえるかもしれません。
しかし、神田であれば東側に北辰一刀流の千葉周作の道場・玄武館跡や吉田松陰が刑場の露と消えた伝馬町の牢屋敷跡などの史跡があるのですが、駅名にこだわるあまり御茶ノ水駅最寄の神田明神をスタンプに描いたのは明らかにミスキャストといえるでしょう。

長い間、埋め草にお付き合い願いましてありがとうございました。スタンプ物語の連載はとりあえずここでいったん終了します。今後は不定期になりますが、お江戸77駅の残り(まだ全駅未押)や、都営地下鉄のスタンプなどを紹介していきたいと思います。結構大変な連載でしたが、ひとついえるのはやはりスタンプもきちんとデータにして保存しておかないと、宝の持ち腐れとなり、秋葉原駅の旧スタンプのように急に出てこない事態も発生します。あといつも打ち合わせなどで何気なく使っているJRや地下鉄も、ちょっとスタンプに目をやれば気分転換にもなります。
もちろん今後もスタンプは集めていきますし、紹介したスタンプでも失敗しているものはいつの日か押し直したいと思います。ただ、スタンプも寿命がありますので、このシリーズのスタンプがいつまで続くかは分かりません。いきなり全部取り替えになることだってあるからです。まだ残っている旧スタンプも含め、全駅制覇するのはずっとずっと先の話になりそうです。

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2007年02月27日

スタンプは景気の証? 設置駅が増えたJR

昨日の小関さんの投稿でJR発足もはや20年。国鉄からJRに生まれ変わったことに対する論は、ここではじめると1日かかっても終わらないため、スタンプの観点から言及させていただきます。僕が高校のとき国鉄伊勢線(現・伊勢鉄道)に乗った際、ローカル線廃止反対を訴える津市の市会議員からいろいろ質問されたことがありました。このときは「近鉄でなくなぜ国鉄に乗ったのか」とか「国鉄分割民営化に対してどう思うか」などと聞かれ、後者に対しては「民営になって利益優先になってしまうと、公共のサービス性が低下するのが心配」と答え、市会議員は「私も同じ意見です」と云っていました。まあ、当時の高校のクソガキの考えることですから、ただ単に「駅スタンプがなくなってしまうのは困る」ということがいいたかったのです。当時、名古屋の私鉄名鉄にはスタンプなどなく、こういうサービスがなくなってしまうことを危惧していたのです。

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ところで国鉄スタンプの歴史は古く、最初は昭和6年(1931)に福井駅に設置されたのがはじまりといわれ、その後の設置駅は不明ですが、日付入りのスタンプがかなり高い確率で設置されていたようです。日本統治時代の台湾・樺太・朝鮮の鉄道駅にもスタンプがありました。戦後、国鉄が増収策として初めて全国的に統一したスタンプではじめたのが、昭和45年(1970)の「ディスカバージャパン」(左)で、このとき国鉄約1400駅にスタンプ台とともに設置され、弘済出版社(現・交通新聞社)からスタンプ帖が発売されて爆発的なブームを呼びます。その後、昭和52年(1977)に「一枚のキップから」、翌年には「いい日旅立ち」のキャンペーンがありましたが、残念ながら国鉄末期の赤字財政のため、設置駅は激減しました。ただし、古いキャンペーンのスタンプをそのまま残している駅もたくさんありました。
国鉄最後のキャンペーンが昭和55年(1980)にはじまった「わたしの旅スタンプ」(右)です。これはスタンプを丸・四角・五角・六角の4種の形と黒・赤・紫の3色を組み合わせて12種類に分類したもので約740駅に設置。スタンプブームの最盛期を迎え、よく夜行列車などで数分止まる駅などは、スタンプを押しに設置箇所へ駆け込む光景がみられました。このキャンペーンはその後の駅無人化や新規設置などで増減がありましたが、JR化後もそのまま踏襲されました。しかし、90年代に入るとJRも支社ごとに独自のスタンプをつくりましたので、設置駅の掲載されたスタンプ帖は消滅。スタンプへの興味も次第に薄れていきました。スタンプ帖もこのとき売上げが激減し、キヨスクからも消えてしまったようです。

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ところが僕の意に反して、JR化後はスタンプ設置駅が減るどころか、かえって増える傾向にあります。先の「スタンプ物語」でも書きましたが、山手線全駅にスタンプが設置されたのはJRになってからのことですし、他の支社でも委託駅以外は、小さな駅でも設置されるようになりました。のJR北陸本線加賀笠間駅も国鉄時代にはなかった駅で、僕がJR西日本の金沢支社にスタンプ設置を投書したところ、「どうも貴重なご意見をありがとうございました」と直接お電話がかかってきて驚いたものです。その後、スタンプがすぐに設置され、20年近くなりますが状態よく保管されています。同じようにJR東日本では東京・八王子支社は有人駅全駅、大宮・高崎・新潟・長野・水戸支社も主要駅に設置されています。またJR東海でも静岡支社、JR西日本でも京都・神戸・岡山支社などは設置駅が増えています。
ただ、残念なことに東海道新幹線というドル箱をかかえているJR東海は、新幹線の駅から乗車記念のスタンプが消滅。名古屋支社もシリーズ(右)のスタンプ設置駅が激減しています。とくにあれだけスタンプ設置駅の多かった高山本線は設置駅が鵜沼・美濃太田・下呂・高山・飛騨古川という激減ぶり。駅の無人化で消滅は仕方ないにしても、白川口・飛騨萩原・飛騨小坂という主要駅は未だ「わたしの旅スタンプ」の使いまわしで、飛騨金山・久々野にいたっては盗難のためスタンプがなく、新しいものをつくる予定もないようです。昔の高山本線であればシリーズ以外でも、地元の観光協会などが町のPRにとスタンプをつくってくれたものですが、このあたりは鉄道離れがすすんでしまった影響なのかもしれません。
ところでこの設置駅ネタは、スタンプファンの方がつくっているサイトが詳しいです。これを見るとJRだけでなく、私鉄でも東武・小田急・都営・東京メトロなどスタンプに力を入れている会社もあって喜ばしい限りです。ただし、盗難や状態悪化防止のため、JRを含め駅員保管が主流。恥かしがらずにスタンプ押印の旨を申し出ましょう。

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2007年03月06日

スタンプ物語30・御茶ノ水駅

2月21日の神田駅でいったん終了しましたスタンプ物語ですが、不定期で再開します。山手線の次は中央線、ただし東京支社のお江戸シリーズスタンプのあるのは西荻窪までですので、あらかじめご了承ください。

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先の山手線で東京駅神田駅の解説は終わっていますので、中央線は御茶ノ水駅からになります。スタンプは「湯島聖堂とニコライ堂」。状態はあまりよくないのですが、国鉄時代の「わたしの旅スタンプ」(右)も同じ内容で、まだ残っています。湯島聖堂は元禄初期に5代将軍綱吉によって建てられた孔子廟がはじまりで、のちに幕府官立の昌平坂学問所に改められました。ここの大成殿は2006年のテレビドラマ『西遊記』のロケにも使われたようで、中国の雰囲気が楽しめる空間です。
ニコライ堂は日本ハリストス正教会の本部で、様式はビザンティン式のドーム型屋根が特徴。明治24年(1891)にコンドルの設計で竣工しました。その後、大正12年の関東大震災で上部が倒壊しましたが昭和4年(1929)に復興。昭和58年(1983)には国の重要文化財に指定されています。両者とも聖橋口から至近ですので、ぜひ見学されてはいかがでしょうか。

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御茶ノ水駅は御茶ノ水橋口にあるスタンプ台にはスタンプがなく、改札係員が保管していますが、なぜそうしているのかというと、全部でスタンプが4つもあるからです。駅にあった朱肉は赤なのですが、上の2つのスタンプは手持ちの朱肉で本来の黒色で押しました。お江戸シリーズは黒で統一だし、わたしの旅スタンプは「史跡や建物、文化財が特色の駅」のジャンル(黒色の四角)だからです。
他の2つは期間限定ラリー印では2004年の「関東の駅100選」のもの。は誰か分かります? 大久保彦左衛門(1560~1639)です。本名は忠教(ただたか)。『三河物語』の著者でも有名ですが、「天下の御意見番」として講談などでも活躍。御茶ノ水橋口から徒歩2分、明大通り沿いの杏雲堂病院敷地内に屋敷跡の碑が建っています。

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2007年03月16日

スタンプ物語31・水道橋駅

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えーお久しぶりです。仕事がつまってしばらく代理に書かせていましたが、本日は管理人です。久々にスタンプ物語です。
今回は水道橋ということでスタンプは「小石川後楽園」。観光ガイドなどでは次の飯田橋が最寄になっていたりもしますが、水道橋駅西口から徒歩10分程度で、飯田橋とさほど変わりません。ただし、スタンプは東口みどりの窓口前にあるからややこしい。東に伸びる中央線は東口・西口タイプの駅がありますが、これってホームの端と端なわけですから、出口が違うと徒歩の所要時間も5分くらい変わってしまいます。
話はそれましたが、後楽園は寛永6年(1629)に初代水戸藩主・頼房が築き、2代目の光圀(水戸黄門)が改修して完成させた回遊式泉水庭園です。7万㎡以上の広大な園内に四季折々の花が咲き、日本各地と中国の名勝を模した岩や橋などもあります。入園300円。9~17時。無休。
ってガイドブックの受け売りみたく書いてしまいましたが、ヤキソバのおいしい後楽園WINSはよく行ったくせに、肝心の庭園には一度も行く機会がなかったので、いまいち実感が湧かないのです。お江戸の由緒ある名勝なのにです。どうしても後楽園というとWINS・ドーム・ドームホテル・ラクーアに目がいってしまうのです。そういえば来年の大河ドラマはお江戸を中心にした『篤姫』でしたね。ガイドブックライターより、フィールドワークの大切さをこの頃実感しています。
でも『旅行主義』第3号にも書いたけど、後楽園WINSのヤキソバはおいしいよ!

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2007年03月22日

スタンプ物語32・飯田橋駅

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スタンプは飯田橋西口にある牛込橋です。ここでもスタンプ設置箇所は東口となり、水道橋同様、東西逆転現象が起きています。
牛込橋は、寛永13年(1636)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(ただてる)によって江戸城外郭門の一つ牛込見附門とともに建設された橋で、現在の早稲田通りに架かっています。この陸橋は1996年3月架け替えられたもので、長さ46m、幅15.75mあります。これに橋のたもとの構造部分との陸橋に続く堤上の道(橋台)を合わせると、長さは100m近くにもなり、橋の親柱の上には隅櫓風の装飾が施されています。この橋を東へ行くと神楽坂があり、界隈は商店街で賑わいます。また、大正時代は花街でしたが、その面影が裏路地に残されています。
一方の駅名にもなっている飯田橋は東口。首都高や四角形の歩道橋があって交通量の多いところです。由来は天正18年(1590)、徳川家康が関東に入封したとき、周辺案内したのがは飯田喜兵衛という住人でした。喜兵衛の丁寧な案内に家康は気に入り、視察後、名主に任じてし喜兵衛にちなんで飯田町とするよう命じたといいます。
なお、明治27年(1894)の甲武鉄道鉄道開業時は橋の西側に牛込駅があり、東に飯田町駅がありました。昭和3年(1928)の複々線化工事にともない、至近距離だった両駅を統合して飯田橋駅ができたのです。

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2007年03月28日

スタンプ物語33・市ヶ谷駅

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あまり同じネタばかりでも飽きられる(というか会員の皆さんが投稿しないと意味ないのですが)ので、本日はスタンプ物語です。市ヶ谷といえば旅ジャーナリスト会議の総会セミナーがしばし行われる「アルカディア市ヶ谷(私学会館)」の最寄です。管理人も総会ついでにスタンプを押してきました。なお、本年度の創立5周年記念総会・セミナーも6月3日(日)15時30分より「アルカディア市ヶ谷」で行われます。詳しい内容は後述しますが、今回のセミナー講師は山形県寒河江市に在住の「観光カリスマ」の工藤順一会員を予定しております。ぜひセミナー参加と一緒にスタンプも押されてはいかがでしょうか。
話がそれましたが、市ヶ谷は「谷」がつくように坂の多いところで、時々大日本印刷に原稿を届けに行くときはひーこら、ひーこらと坂を登り、いい運動になります。JRと都営の駅名は「市ヶ谷」なのに、東京メトロは「市ケ谷」と非常にややこしく、さらに住所表記では市谷と「ヶ」の字が抜けてしまうのです。ということでやたら縁がある駅なのですが、肝心のスタンプの絵柄になっている市谷亀ヶ岡八幡宮は、駅から外濠に架かる市ヶ谷橋を渡ってすぐなのですが、いつも素通りしていたのです。
江戸城を築いた太田道灌が文明年間(1469~87)に鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請して創建した由緒ある神社で、参道の石段を少し登ります。本殿前の銅鳥居は、文化元年(1804)に鋳物師西村和泉政平によって造られました。他にも太田道灌が所持していたという軍配団扇が保管され、ともに新宿区の指定文化財になっています。近くには三島由紀夫が割腹自殺した陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地、印刷局記念館、いろいろと話題になる靖国神社などもあります。
さて、総会当日は準備でバタバタしてこういう見どころに立ち寄る時間もないのですが、本年度の総会に参加される会員以外の方は早めに市ヶ谷へ来て、周辺の散策をお楽しみください。午後からでも十分に楽しめますが、くれぐれも開始時間に遅れないように……。

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2007年04月21日

スタンプ物語34・四ツ谷駅

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久々のスタンプ物語になります。中央線の快速停車駅・四ツ谷は、JR駅名では大きい「ツ」を用いますが、しばしば小さい「ッ」と混同することもあり、住居表示では「四谷」となります。西は赤坂口、東は麹町口・四ッ谷口とありますが、スタンプは四ッ谷口の改札外にあります。
印影はなんとも欲張りで3つのスポットが描かれています。一つ目の迎賓館は駅から徒歩7分のところにあり、明治42年(1909)に東宮御所として建てられた洋風建築物。外国からの賓客に対し、宿泊その他の接遇を行うために設けられた国の施設です。毎年夏季に抽選による参観も行われていたのですが、2006年1月から2008年3月までは改修工事中参観は実施していません。
二つ目の聖イグナチオ教会は駅から徒歩5分。上智大学の構内にあるカトリック・イエズス会の教会です。大規模な聖堂で、儀式などがあっても一般に開放されているようです。
三つ目の四谷見附橋は、四ツ谷駅ホーム中ほどからみえる赤煉瓦の壁と薄緑色の力強い鋼鉄製のアーチが上の橋を支えており、この上が新宿通りになっています。大正2年(1913)に竣工したこの橋は、老朽化と新宿通りの交通量増加に伴い、1987年から架替工事が開始され、1991年に新しい橋となりました。古い橋は長池公園(八王子市別所2丁目)の池上に移設されています。幅員はかつての2倍となり、橋の親柱に付いている橋灯などに往時をしのぶことができます。

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2007年05月08日

スタンプ物語35・信濃町駅

更新が遅れてしまった空白の4日間(5月7~10日)。さて、どう埋め草をするかということで、まずは8日から埋めてみました。4月21日以来のスタンプ物語、本日は信濃町駅です。

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ところで四ツ谷のあと何故、すぐに続かなかったは分かります? ここでクイズです。

①スタンプ物語は実は結構調べるのが面倒なので管理人が怠慢した?
②ウケが悪いので自粛した
③信濃町駅のスタンプが出てこなかった

はい、分かります? 答えはです。スタンプ帖に押した記憶はあっても、そのスタンプ帖が出てこず、すぐにデータ化していないとこうなります。押印日は2006年11月18日、約半年前でこれですから、データ整理は記憶のあるうちにやっておかねばなりません。

戯言はさておき本題に入ります。スタンプの印影は当駅から徒歩5分の聖徳記念絵画館。大正15年(1926)に竣工された花崗岩の建物で、明治神宮外苑入口の青山通りからイチョウの並木が絵画館を中心に植えられており、遠近法が用いられて絵画館が遠方にあるように見えます。館内には明治天皇の業績を描いた絵画が展示。入館500円。9~17時。無休です。でも見学もいいですが、神宮球場の野球観戦の帰り道で観られるライトアップされた姿も目を引きますよ。

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2007年05月09日

スタンプ物語36・千駄ヶ谷駅

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遅れてきた埋め草第2弾は千駄ヶ谷駅です。お江戸シリーズのスタンプは徒歩5分の新宿御苑。 江戸時代は内藤家の江戸屋敷があった場所で、明治5年(1872)に農業振興のため内藤新宿試験場となり、明治39年(1906)に現在の名に改められます。もっともこの頃は宮内庁が管理しており、一般には開放されていませんでした。国民公園となるのは戦後の昭和24年(1949)からです。
広さ58.3ha、周囲3.5kmという広大な庭園で、東京地下鉄丸の内線新宿御苑駅のほうにも新宿門があります。見どころは皇族関係者が休みをとった旧洋館御休所や約2300種の熱帯・亜熱帯植物を栽培する温室ですが、残念ながら温室のほうは2007年5月より2011年まで建て替えのため、長期休館となっています。旧温室はもう見れないわけで、こういうチャンスを逃してしまうのは本当に残念なことです。
そして千駄ヶ谷には改札内に旧国鉄のわたしの旅スタンプ台があり、わたしの旅スタンプに類似したスタンプ(右)もあります。しかし、消耗が激しくいくら頑張って押してみても、印影がきれいに出ないのが難点。こちらはわたしの旅スタンプ「国立競技場と御苑の駅」と同じで、レジャー・スポーツが特色の駅の名残りです(ただし元は赤の六角形)。
さて、中央線はこのあと代々木新宿と続きますが、こちらは山手線のところで紹介していますので、駅名をクリックしてご覧ください。したがって大久保駅へと続きます。

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2007年05月10日

スタンプ物語37・大久保駅

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代々木・新宿は山手線で紹介しましたので、千駄ヶ谷の次は大久保になります。

大久保のスタンプは「新宿高層ビル街と富士山」。新宿西口から副都心にかけては都庁をはじめとする高層ビル群が美しく見え、天気がよい日には富士山も見えます。しかし、とくにそれ以外は言及できなかったのは、東300mのところには新大久保駅があり、その間に新大久保のスタンプで紹介した「皆中神社」があるからです。特色がどうしても新大久保と同じになってしまうのは仕方のないことでしょう。
JRには奥羽本線と山陽本線には同名の「大久保駅」があるため、乗車券等には中央線を表す「(中)大久保」と表示されるようです。

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2007年06月16日

スタンプ物語38・東中野駅

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1カ月ぶりになりますが、スタンプ物語です。本日は管理人の最寄駅東中野です。スタンプは「中央線と桜」。西の山手通りにかかる桜川橋の先の線路沿いに桜並木があり、土手には菜の花も咲いています。都区内の中央線では市ケ谷~飯田橋間と並ぶ桜の名所で知られ、シーズンは撮影者でも賑わいをみせています。現在、環状道路の工事が延々と続いており、桜並木は当初道路整備で伐採される予定でしたが、当面は現状のままで維持されることになりました。

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そして東中野には古いスタンプも2007年6月15日現在で残っており、西口の改札係員に申し出れば押すことができます。スタンプに描かれているのは神田川と氷川神社。神田川は反対側の東口から近く、こちらも春先は川沿いの桜並木が見事です。氷川神社は西口から南下して徒歩5分。長元3年(1030)、源頼信が平忠常征討の際、武蔵国大宮氷川神社より勧請したもので、旧中野村の総鎮守となりました。9月中旬の土・日曜には例大祭が行われ、各町会から御輿や山車が出て盛り上がります。境内には屋台がたくさん出て、あの雰囲気でB級グルメを味わうのも楽しみのひとつです。

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