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菊地正浩 アーカイブ

2007年05月02日

会員からの著書新刊1

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『「地圖」が語る日本の歴史』(暁印書館)
~大東亜戦争終結前後の測量・地図史秘話~  菊地 正浩著
ISBN978-4-87015-160-4 定価1890円(税込)

『地圖』に込められた、敗戦日本復興への想い。敗戦時の混乱の中にあって祖国日本の復興を念願し、生命を賭して貴重な地図原版と組織を護り抜いた、若き大本営情報参謀の実録。東京大空襲で奇跡的に助かり、父君はルソン島で戦死した著者が文字通り参謀の足跡を辿るとともに、秘蔵の史・資料を駆使して万感の思いで綴った、大東亜戦争終結前後の歴史的『地圖』秘話(元国土地理院長 金窪敏知)
   
我が国の近代地図史については、歩測による測量と天体観測により、日本の地図を作った「百万歩の男、伊能忠敬」抜きにしては語れない。
しかし、明治維新後は欧米の技術を導入して、日本の地図は勿論、大東亜共栄圏構想に基づき、支那・満州・朝鮮・東南アジア等々の外邦図を沢山作った、大日本帝国参謀本部陸地測量部を抜きにしては語れない。所謂、近代地図史の幕開けである。
 この陸地測量部の組織と測量・地図技術と地図原版(銅版)を、敗戦時の混乱の中にあって、祖国日本の復興を念願し生命を賭して護り抜いた若き大本営情報参謀がいた。
 この男の終戦時正式な肩書きは「大本営陸軍参謀、情報第二部、陸地測量部担当少佐、渡辺 正」である。
 陸地測量部を解体、内務省地理調査所への看板架け替えという離れ業によって、戦後GHQ(連合国軍総司令部)の接収から救ったのである。
 その時歴史を動かしたこれら一連の出来事がなければ、我が国の測量・地図技術は20年遅れたであろうと言われている。当然、現国土地理院も異なった歴史を辿ったことであろう。
 この陸地測量部から地理調査所を経て、国土地理院誕生までの数奇な運命を、戦後60年余秘匿されてきた史・資料を公開して、取材と現地調査により万感の想いで綴った実録である。
 第一は、昭和20年8月9日から10日にかけて開かれた御前会議において、天皇陛下のご聖断により戦争終結となる。この時から陸地測量部の組織存続と、明治以来営々と築いてきた測量・地図技術を、我が国復興のため遺そうと奔走した秘話である。
 それは、8月15日正午の玉音放送を挟み、わずか2週間の8月31日には陸地測量部を解体、9月1日に内務省地理調査所へと看板を架け替えてしまうというドラマである。
 第二は、9月23日から27日までの秘話である。
 GHQのマッカ-サ-司令官は、8月31日に厚木飛行場に到着して横浜入りするや直ちに指令を出した。「地図は全ての基本だ、それを確保せよ!」「松本地区に参謀本部の資産が色々とある。その中でも陸地測量部を点検・接収する」という内容であった。
 そして「視察団に随行する将校を一人だけ出すように」と要求があつた。この時渡辺参謀に白羽の矢が立ったのである。
 9月23日、日比谷のGHQ本部を出発した。フォ-ドの黒いセダンを先頭に、ジ-プ4台、計5台の車列であった。
 一行は9月27日に帰京するが、この間の出来事こそ日本の地図史で、その時歴史は動いたの一瞬に遭遇する。まさに渡辺参謀の苦渋と緊張の5日間の実録である。
 この時、地形図の原版(銅版)が救われたからこそ、戦後すかさず地理調査所(現国土地理院)が地形図等を発行し、我が国の復興に役立てたのである。
 筆者は旅ジャ-ナリストとして、戦後60余年経った昨年、同じ季節、同じ時間にあわせて、出来るだけ同じ行程を辿り、当時の渡辺参謀の心境を追体験した。
 以下、地図の統制時代の秘話を含め、主な目次を紹介する。続きを読むへ。

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出版社 暁印書館 http://akatsuki.site-up.com
〒112-0002東京都文京区小石川1-13-2
TEL03-3814-0853 FAX03-3814-0854
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投稿者:菊地正浩
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2007年07月24日

世界遺産登録をめざす銅山遺跡「蘇るか足尾銅山」1

本日より菊地正浩会員のレポートを3回に分けて連載します。

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 銅(どう)と言わず(あかがね)と言う、わたらせ渓谷鐡道に乗り、絹織物の街桐生を出てから、緑の渓谷と清流を友にしながら上流まで行くと銅の町がある。今この足尾銅山遺跡の町が熱くなろうとしている。

はじめに
平成18年(2006)3月20日、旧足尾町は合併し栃木県日光市足尾町としてスタートした。相前後して黒保根村が群馬県桐生市に、東村と大間々町がみどり市となった。すなわち行政が2県3市にまたがり、観光に依存する、わたらせ渓谷鐡道にも少なからぬ影響を及ぼすことになった。そもそも鉄道もさることながら銅山街道(あかがねかいどう)(現・国道122線)も、足尾銅山の鉱石を江戸・東京へと運ぶために開かれ、沿線も発展してきたのである。銅山遺跡を産業観光資源として生かし、世界遺産登録をめざそうとする足尾町、同時にわたらせ渓谷鐡道の存続を願う沿線住民の動きを追ってみたいと思う。

日本の鉱業と鉱害問題
日本列島は環太平洋火山地帯に位置し、火山や温泉と多くの金属鉱床が存在する。佐渡金山、石見銀山、生野銀山、足尾銅山、別子銅山等が開発され、一時期ジパング(Zipangu=黄金の意味でJapanの語源となった)と呼ばれるほど、金・銀・銅の輸出国であった。当然のことながら鉱毒、塵肺、森林破壊、河川被害等の鉱害問題が顕在化していった。

日本の近代化と公害問題
明治維新になってほとんど国有化されていた金属鉱山や炭鉱等が民間に払い下げられた。なかでも銅は国家なりとされ、生糸と並ぶ主要な輸出産業で、足尾、別子、小坂、日立は四大銅山といわれたが、一方で四大鉱毒事件を発生させた。足尾鉱毒事件と別子、小坂、日立煙害事件であり、当然大きな社会問題となった。とりわけ、日本の「公害の原点」と称される足尾鉱毒事件は、最大の鉱毒事件で、政府の対策にも拘わらず煙害による禿山が残された。この事件は、性格には産業排水によるものとは言えないが、日本の公害の原点と言われ、明治初期から中期にかけての水質汚染例といわれる。

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足尾銅山と鉱毒事件
足尾銅山は江戸時代(1810)に発見され、徳川幕府によって開発された。明治10年(1877)古河鉱業(株)(現古河機械金属(株))の所有となって再開発され、一時期国内はもとより東洋一と言われた銅山であった。この足尾町を上流として利根川に合流するのが渡良瀬川である。足尾銅山の採鉱廃棄物は附近の谷間や斜面等に放置されていたが、幾度かの洪水により流出、下流の各地域で農漁業と人の健康に被害を与えたという事件である。最初の被害は明治11年(1878)秋の洪水で、鮒、鰻等が死んで浮き上がり、河川に浸かった農民達の足の指又がただれるというものであった。以降数回の洪水を経て北関東一円に拡がり、なかでも栃木・茨城両県の被害が甚大で、農作物は枯死、魚類の捕獲禁止、妊婦の流産が続出したという。明治27年(1894)から明治31年(1898)、栃木・茨城両県の出生率は、全国平均比一割以上低く、死亡率は約1.6倍に達した。その他、銅精錬過程での亜硫酸ガスの放出と燃料用等に森林が伐採されたこと等で、附近の山々は禿山となり渡良瀬川源流の美しい松木渓谷は、日本のグランドキャニオンと言われるほど、緑のない岩山と化してしまったのである。

パート2につづく。

投稿者:菊地正浩
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2007年07月25日

世界遺産登録をめざす銅山遺跡「蘇るか足尾銅山」2

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復興に向けて
被害民は地元選出の田中正造代議士を中心に、鉱山の創業停止を求めたが聞き入れられず、明治33年(1900)、請願のため東京に向った約3,000人が警官隊や憲兵と衝突した事件や明治34年(1901)、田中代議士による明治天皇への直訴事件は有名である。このように足尾銅山は公害問題の原点として世に知られているが、日本の近代化に果たした貢献も大きなものがある。大正5年(1916)には、人口がピーク3万8千人を数え、宇都宮市に次ぐ繁栄をみせた。
銅山は昭和48年(1973)に閉山されたが、現在旧坑道の一部が銅山観光用の見学ルートとして残されており、トロッコ列車に乗って実際の坑道に入り、楽しみながら当時の状況を学ぶことができる。禿山となった松木渓谷のほうも砂防ダムの建設、治山、治水、植林事業等復興に向けての努力が今も続けられている。

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世界遺産への登録をめざして
石見銀山が近代化遺産として世界遺産登録された話題は耳新しい。足尾の近くでも群馬県富岡製糸場が名乗りをあげている。足尾町では3年前に地域住民が「全町地域博物館化構想」の、まちづくり策定委員会を立上げ、足尾銅山一帯を産業観光資源と位置づけ運動を開始した。しかし、所有の古河機械金属㈱は古河グループ発祥の地でありながら、積極的な関与はしなかったという。一方、数年前から民間主体で足尾銅山の歴史に前向きに取り組むグループが活動、その先駆けとなった「NPO法人足尾歴史館」(館長長井一雄 通洞駅から徒歩5分。入館料300円。月曜休館。足尾銅山の歴史が貴重な写真や史料から学べる、足尾で生れ育ったというスタッフがボランティアで館内を案内説明してくれる)や平成18年10月に発足した「足尾銅山の世界遺産登録を考える会」等、活動の輪が広がってきた。
これらの動きに古河機械金属㈱も前向きな姿勢を示し、世界遺産登録運動に一定の理解を示すこととなった。地域住民の熱意に応えることと、事業継続を両立させるという課題も少なくない。しかし、古河の姿勢が一歩前進したことは地道な地域住民の活動といえよう。全町地域博物館化構想を進める課題は山積で前途は容易ではない。

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だが、観光資源は豊富である。足尾銅山観光、足尾歴史館、足尾砂防ダム、銅親水公園、足尾環境学習センター、日本のグランドキャニオン松木渓谷、足尾銅山精錬所跡、日本で初期時の道路鉄橋古河橋(写真)、間藤水力発電所跡、鉱山長屋、加えて渡良瀬川沿線の自然観光資源、特別天然記念物日本カモシカ、温泉等々である。定番の観光旅行に飽きた方、一度は訪ねて産業遺産、環境、歴史、社会問題を考える旅をしてほしいし、それだけの価値を持っている所であるといえよう。

パート3につづく。

投稿者:菊地正浩
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2007年07月26日

世界遺産登録をめざす銅山遺跡「蘇るか足尾銅山」3

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わたらせ渓谷鐡道(通称わた渓)の存続を願って
足尾銅山を考えるとき交通アクセスを抜きには考えにくい。日光市からはバス路線とマイカーであるが、何といっても桐生市からの鉄道か銅山街道(現国道122号線)を利用したバス路線とマイカーである。問題のわたらせ渓谷鐡道について考えてみよう。群馬県桐生市桐生駅から栃木県日光市間藤駅を結ぶ44.1km全線非電化、単線でワンマン運転の気動車が17駅を結ぶ。足尾銅山から産出される鉱石輸送のため、明治44年(1911)に開業、国鉄、JRの時代を経て第三セクターとしての現在に至っている。そんな歴史を背負って銅山街道と清流を友に谷筋をさかのぼって走る。とくに初夏の新緑と秋の紅葉が渓谷美を引き立たせる。しかし、足尾から終点の間藤に近づくにつれて、足尾鉱毒公害の面影や禿山の続く異観に歴史の重さを肌で感じるようになる。このわたらせ渓谷鐡道については、旅ジャーナリスト会議のメンバーが執筆した『新・全国フリーきっぷガイド'07~'08』(人文社刊行)の中で見どころなどを含めて紹介しているのでご一読願いたい。しかし、ガイドブックは別にして、実情は問題点も多くこのままでは先行きの存続が危ういのではないかと思う。

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存続に向けて沿線地域住民の動き
平成18年10月23日危機感を持った沿線では「わたらせ渓谷鐡道市民協議会」を設立した。群馬・栃木両県、沿線市の行政関係者、わた渓経営陣、地域住民有志が集まり「市民、行政、鉄道事業者三者の役割を明らかにするとともに、わた渓を支える市民の輪の拡大とネットワーク化に努める」と定め、市民サイドからわた渓を生かした地域づくりに取り組むことを宣言したのである。地域毎に行われた取り組みを挙げてみると、わた渓の利用促進、自然を生かした駅周辺や地域の整備・保全、ゴミ・缶拾いと清掃、花苗・苗木植え、草とり・線路の土手整備、トロッコ列車に手を振ろう、足尾駅祭りの実行、イルミネーション点灯事業、わた渓存続署名運動等に取り組み地域住民が鉄道を残したいと立ち上がった。
しかし、実情は問題点も多くそう簡単ではないように感じられるのは筆者だけであろうか?鉄道の存続だけではない、沿線観光について本気で観光振興に取り組んでいるのであろうか。車やバス利用の観光をも含めた総合的な振興策が求められよう。例えば、駅の温泉がキャッチフレーズの水沼温泉センター(写真左)、神戸駅ホームに停車している列車レストラン清流(写真右)、トロッコ列車に乗り見学できる銅山観光等それなりの施設はあるが、食事となると決して二度とは利用しないであろう。「コンビニのおにぎりや弁当のほうがマシ」と思われることのないよう、勉強と工夫が必要であろう。

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おわりに
既述のとおり世界遺産登録をめざし、全町博物館化構想に取り組む、まちづくり策定委員会並びにNPO法人足尾歴史館等やボランティア、一方、わたらせ渓谷鐡道存続を願う、わたらせ渓谷鐡道市民協議会の活動、各々が動き出している。だが、足尾は日光市、わた渓は桐生市側の感は否めない。すでに栃木県と日光市の観光ガイド関係パンフには足尾の銅山観光が組み込まれPRされている。この現実を踏まえて冷静に考えてみよう。
そもそも足尾銅山の発展とともに、銅山街道ができ、わた渓ができ、沿線が発展してきたことはまぎれもない事実である。いわば桐生から足尾までの沿線観光は一体なのではないかと思う。日光市の足尾として世界遺産に登録され発展したとして、わた渓沿線は取り残されても良いとは考えにくい。ならば、いまこそ栃木・群馬県、日光市・桐生市・みどり市の2県3市の行政と地域住民・団体が協調して広域観光振興を推進していくべきであろう。合併による行政際間の風通しを良くした取り組みが、この沿線発展とわたらせ渓谷鉄道存続、そして足尾世界遺産登録への夢を実現させていくのではないだろうか。いや実現させてもらいたいし、鉄道も存続してもらいたいし、何度でも訪れるリピーターにもなりたいと思っている。
こう思えるのは筆者の老婆心からなのか? いや、旅ジャーナリストの立場からも今後の動向を注視していかなければならないと思うのである。おしまい

投稿者:菊地正浩
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2007年10月15日

北アルプス白馬山麓にミニSLが走る1

2カ月ぶりに菊地正浩会員から投稿いただきました。2回に分けてUPします。

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白馬村にニュ-スポット誕生
 信州白馬村八方尾根スキ-場のふもと、和田野の森の一角に、本格的なミニ鉄道とHO(ハーフオ-)ゲ-ジの壮大なパノラマが楽しめる、白馬ミニトレインパ-クが誕生した。

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 平成19年10月6日、大自然が息づく4000坪の敷地に、わずか6棟のコテ-ジとレストラン、浴場が点在する贅沢な宿「ログコテ-ジ・エポック」で、ミニ鉄道のオ-プンを記念して「第一回白馬ミニ鉄道フェスティバル」が行われた。
 長野県、白馬村、白馬村観光局、長野電鉄などが後援、初日にはフアンや子ども連れの家族が多数訪れ、680名がミニ蒸気機関車や新幹線に乗って楽しんだ。

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 このイベントには、信州ミニ鉄道倶楽部の会員たちが多数参加、自慢のSLなどを持ち込んで走らせ競い合った。ミニトレインパ-クはエポックのオ-ナ-、大谷真由巳の父齋藤建夫氏が私財を投じて作ったもので、総延長350mの常設デュアル線路、5mの鉄道橋やミニ鉄道が20台待機できるトラバ-サ、車輌を修理する機関区を完備した。また、自らもO、Sボ-ルドウインモ-ガルパワ-(大西部開拓時代、アメリカ大地を疾走した機関車で、特徴は前に突き出したカウャッチャ-、黒煙を吹き上げる大きなダイアモンドスタック型の煙突、特徴的な大きなヘッドライトで西部劇に登場する当時の機関車)と安全性を誇る最新の7.5インチ蒸気機関車(車体縮尺1/8、大人20人を乗車した車輌を牽引可能)、5.0ンチ電気機関車(車体縮尺1/8、4)は、森林鉄道で木材搬送用に活躍した初期型電気機関車「テキ100」、という3台を所有。これらの車輌基地専用ハウスを建設するなどの懲りようである。来年の第二回フェスティバル開催までには、総延長700mにまで増設、将来は1㎞走行という日本屈指のミニ鉄道施設をめざすとしている。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年10月16日

北アルプス白馬山麓にミニSLが走る2

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 同時に開館した鉄道模型館「HOゲ-ジハウス」は八角形のモダンな建物で、山、川、駅都市や田園風景まで作り込まれ、総延長211m、全7路線のパノラマである。新幹線や蒸気機関車など全17車輌あり、「コイン運転」が楽しめたり、自由に速さを調節しながら運転可能な「貸切ル-ム」もある。ファン自身が所有している自慢のHOゲ-ジ車輌を持ってきて走らせる「持ち込み運転」も可能にしている。鉄道模型が配置してあるテ-ブル下のトンネルを潜れば、パノラマの中心からも楽しむことができるという国内でも珍しいレイアウトとなっている。
 スキ-、登山ハイキング、パラグライダ-、ラフティング、釣、花、温泉、蕎麦など長期滞在型観光にはこと欠かない白馬村であるが、子ども連れはもちろん、ミニ鉄道フアン、鉄ちゃん&鉄子の注目を集めそうなニュ-スポットとなろう。エポックのオ-ナ-シェフ大谷敏彦氏は永年第一ホテルで修業し、白馬の地元食材を生かした料理に腕を振るっている。コテ-ジは6棟、いずれもログハウスだが、中は和風、テキサス風などと趣向を凝らし設備も万全である。自慢の貸風呂棟めぐみの湯は、浴槽に天然石と桧を使用した四角風呂と、天然まごめ石の丸風呂、和洋2つある。白馬山麓から湧き出るミネラル豊富な地下水に炭酸ガスを溶け込ませた炭酸温水が楽しめ、スキ-で冷えた体や登山ハイキング、アウトドアスポ-ツでの疲れを癒してくれる、白馬の温泉とはまた別な味わいがある。

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 長野冬季オリンピック以降白馬村も観光客の減少を余儀なくされているが、このような新しい視点に立った観光スポットができることは歓迎されよう。今後とも長野県も白馬村でも観光振興のため後援していくとのことであるが、何分にも一晩に70㎝~1mも降るという豪雪地帯である。冬場の対策も含め関係各方面の知恵と協力も必要であろう。
 来年の「第二回白馬ミニ鉄道フェスティバル」が盛大に開催されるよう、旅ジャ-ナリストとしても関心を持ち見守っていく必要があると思う。
おしまい

ログコテ-ジ エポック 白馬ミニトレインパ-ク 
〒399-9301
長野県北安曇郡白馬村八方4617-1
TEL0261-72-8233
www.epoch-hakuba.com

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2007年10月30日

「鉄道博物館」THE RAILWAY MUSEUM

御料車や蒸気機関車など36両の実物車両
集められた鉄道アイテムはなんと58万点!

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 鉄道の日(10月14日)にオープン、JR大宮駅から埼玉新都市交通ニュ-シャトルで一つ目の、鉄道博物館駅(旧大成駅)で下車して改札を出るともうそこが入口である。旧「交通博物館」から移設した、D51が出迎えてくれる。

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 館内は「エントランス」「コレクション」「ラ-ニング」「パ-ク」という5ゾ-ンと「ノ-スウイング」から構成されており、エントランスゾ-ンとノ-スウイングの間を「ミニシャトル」がアクセスしてくれて人気の一つとなっている。車両の展示だけでなく、日本の鉄道歴史年表、数々のコレクション、鉄道の原理や仕組み、シュミレ-ション体験など訪れる者を飽きさせない。

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 日本最大のHOゲ-ジ模型鉄道ジオラマは、解説付きでゆったりと見られるナレ-ション付である。総延長1400mにおよぶ線路を、山手線、埼京線などの在来線から、寝台特急カシオペア、SL、伊豆急踊り子号、新幹線のぞみ、こまち等々が駅のホ-ムを次々に発車していく。朝の始発、昼間から夕景、夜景の走りと一日の移り変わりが楽しめる。

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 疲れたら小休止、昔懐かしいレストラン「日本食堂」がある。メニュ-も思いでのカレ-、ハヤシライス、カツサンドなどで売り切れてしまうことがしばしばらしい。ミュ-ジアムショップに立ち寄れば、肩のぶつかるほどの盛況で、ミニチュアや様々なグッズが処狭しと陳列されている。鉄ちゃん、鉄子ならずとも大人も子どもも一日中楽しめる博物館である。
「Teppa倶楽部」(てっぱクラブ)という会員組織づくりも進められており、年間フリ-パスやその他の特典を設けている。新しい鉄ちゃん、鉄子の誕生をみるであろう。

DATA  開館10~18時
      休館火曜日・年末年始(除特別開館日)
      入館料 大人1000円 小中高生500円 小児200円
          団体・障害者割引制度有
      問合せ TEL 048-651-0088
          http;//www.railway-museum.jp/

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2007年11月12日

東伊豆町(稲取)の風力発電1

富士箱根伊豆国立公園内の観光地、東伊豆町で、クリーンな新エネルギー導入か、自然環境、植生、生態系の維持、騒音・低周波公害から守れるか。行政と事業者VS風車問題を考える住民の会が、是か非かで揺れている。

観光地におけるウインドファーム(風車牧場)の是非を問う
 10月16日(火)、旅ジャーナリスト会議有志メンバーは実情を調査するため稲取に行き、現地視察と取材を行った。結果、筆者は観光立国を宣言した我が国が、貴重な観光資源を失うことになりかねない、即ち、自然景観・植生・生態系等の連鎖的崩壊かつ、観光に携わる地域住民の人的被害を勘案すれば、東伊豆町でのウインドファーム(風車牧場)は似合わないと思う。以下、いくつかの問題を提起して考察しその是非を問いたい。

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地形図でウィンドファーム建設予定地を見る。○印は浅間山、天目山、三筋山、大峰山(国土地理院発行:5万分の1) 

○東伊豆町とは
 静岡県賀茂郡東伊豆町、伊豆半島の東岸、相模湾に臨む町。北は伊東市に接し、昭和34年(1959)5月3日、稲取町と城東(きとう)村が合併、現在人口1万4745人。眼前に大島が望める漁業の町で、伊豆半島最大の漁港といわれた稲取港をはじめ、大川、北川(ほっかわ)、白田(しらだ)の各港があって、半島随一の漁獲量を誇る。後背地は天城山へと連なる山岳地帯で、ミカン、山菜、ワサビ等の名産地として知られる。
 もともと豊かな資源に恵まれた土地であったが、大川、北川、熱川、片瀬、白田、稲取の各地に温泉が湧出、昭和36年(1961)には伊豆急行が開通し、レジャーブームに乗って新興温泉町へと変貌していった。明治19年(1886)大日本帝国陸地測量部発行の地形図、昭和22年(1947)内務省地理調査所発行の地形図、いずれを見てもこの地域での温泉地図記号の表記されている所は、片瀬のみ1カ所である。国土地理院発行の最新の地形図を見ると十数カ所におよび、いかに戦後になって温泉観光地へと変貌してきたかが判る。海岸線一帯は磯釣、船釣、山岳地帯は狩猟やミカン、オレンジ、イチゴ、山菜、ワサビ、熱川バナナ園、ワニ園、ゴルフ場と観光資源も揃い別荘地も点在している。
 江戸時代には伊豆の各地で採石が行われ、稲取などからも江戸、大坂城修復用の石が運ばれた。白田では江戸中期から硫黄を採掘、公害訴訟も起こった。隣接には河津桜で有名な河津温泉郷から天城路へと続き、東伊豆町はこれらの玄関口ともなっている。

misujiyama1.jpg三筋山

○東伊豆町における風力発電計画とは
 既設の浅間(せんげん)山(516m)3基、19年度完成をめざし建設中の通称天目山(箒木〈ほうき〉山1023mの手前天目地区約5~600m)10基、風況調査を実施し補助金採択がされた三筋(みすじ)山(821m)と大峰(おおみね)山(491m)に25基。計画通り完成すれば合計38基、高さ100mの巨大風車が伊豆半島の観光地に出現することになる。我が国の国立公園内観光地に、これほどのウインドファーム(風車牧場)は他に類例を見ない。当然のことながら色々な影響が考えられよう。この建設の是非をめぐって行政・事業者側と風車問題を考える住民の会が対立し揺れているのである。

パート2につづく
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2007年11月13日

東伊豆町(稲取)の風力発電2

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○建設地域の環境と現況
 富士箱根国立公園内の観光地で、箱根仙石原をはるかに凌ぐ大草原には、県文化財指定の細野湿原が拡がる。背後には天城高原をひかえ、眼前には伊豆七島の眺望が広がる一大パノラマの絶景地である。標高821mの三筋山はパラグライダーの聖地とも言われる。細野湿原には兎や鼠などが棲息している。この湿原をめぐり動植物の生態系が維持されており、例えば我が国の保護鳥、オオタカが各地から飛来して兎や鼠を獲りながら、ある程度の集団に集結すると台湾へと飛び立って行く基地にもなっているという。
 三筋山から下方へはスコリア層(岩滓〈がんさい〉といって玄武岩質の黒っぽい色をした軽石)があって、雨水を浸透させ長い時間をかけて地表に湧出させるという熊口水源を有し、麓の住民は永年にわたりこの良水を利用生活している。また、水源を守るために植林などをして手厚く保護してきた。こうした微妙な自然のバランス上に細野湿原はあり、永年、人・動物・植生に好影響を与えてきたのである。実際にこの水を飲むとまろやかで美味しいし、コーヒーを沸かすと一味も二味も違った。また、東伊豆町だけではなく、分水嶺である三筋山の尾根、反対側は河津町であり、河津温泉郷や天城の観光地でも他人事とは言えない地域なのである。

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画像提供:EyesPic

○巨大風車建設により考えられる影響
 自然環境破壊、とくにこの地域の観光資源に大きな影響を与えることは必然であろう。尾根が削られ、森林が伐採されて6m幅の道路が新設されるし、スコリア層の熊口水源や樹木の伐採、草原の破壊などは動植物に与える影響は大きいと考えられる。分水嶺である三筋山に巨大風車を林立させれば、単に自然景観を壊すのみならず自然のバランスを崩し、水源・湿原を枯れさせて洪水の危険すら予想される。当然兎や鼠も棲息できまい。ということはオオタカも集結して台湾へと飛び立って行けなくなる。植生、生態系の維持ができなくなると予想されるのである。また、着工中の天目山にいたっては、天城高原万二郎岳の山続きでシヲヌタの池・モリアオガエルの生息地として有名な場所の近くでもある。人体への影響も当然発生する。人家や別荘地も近くて予想される騒音のほか低周波の被害が考えられる。
 これまでにも、全国各地で建設された風車による人体への被害は、公害訴訟として争われているところもある。単なる騒音だけでなく、頭痛や耳鳴り不眠などの健康被害が報告されている。水源が汚染されたり、枯渇したりするようなことになれば、日常生活にも影響が出るし、自然環境・景観の破壊は地元のみならず、伊豆半島全体の観光に影響をおよぼさないとは言い切れまい。巨大建造物である風車は耐用年数が17年とも試算されている。17年が長いか短いか、20年後くらいには巨大なゴミとして誰が、何時、何処の負担で撤去するのか、放置されていることはないであろうか、いまだ明確にはなっていないようである。そして一度破壊された自然環境と景観は、撤去したとしても復元できないことは明白である。

パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年11月14日

東伊豆町(稲取)の風力発電3

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○まとめ
 伊豆半島に限らず観光地への風力発電、とくに多数林立するウインドファーム(風車牧場)建設は慎重であって欲しい。すでに南伊豆町にも1基設置されているが、景勝地石廊崎にも計画されているという。南アルプスの眺望できる長野県伊那市では、市長の勇断により反対を表明された。このたびの伊豆半島ではどうしたのであろうか。町長自らが建設を推進しているという。地元の人が反対するのは当然のこととして、静岡県観光協会、東伊豆町、北川、熱川、片瀬、稲取温泉観光協会、自然保護や野鳥関係などはどのように考えているのであろうか。また、行政・事業者・地元住民は勿論、経済産業省(資源エネルギー庁)、観光の国土交通省、自然保護や騒音の環境省、公害問題の厚生労働省などや産業界など各界有識者、学識経験者によるシンポジウムを開催して、目に見える是非論の展開をするべきではなかろうか。そのうえでの建設推進・反対論と言えるのではないだろうか。
 旅ジャーナリストからすれば観光資源を護り、観光振興を図る立場にある。ましてや我が国は観光立国を宣言して、2010年には外国人観光客1000万人招致を国策としている。このため観光庁の新設まで検討しているという。今や流れは、持てる自然観光資源をいかに護っていくか、各地では世界遺産登録をめざしている時代である。クリーンな新エネルギー推進という錦の御旗を掲げ、観光振興に反し伊豆の宝を未来に残すことができなくなる恐れがあるので、筆者としては反対の立場をとらざるを得ないであろう。独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(通称NEDO)は新エネルギー導入促進事業2007により、いろいろな導入の手伝いをしている。もとより筆者とてなんでも反対するわけではない。地球温暖化対策に基く新エネルギー風力発電の意味するところは充分承知している。その上でなおかつ国立公園伊豆半島でよいのですか、と是非を問いたいのである。オオタカよこれからも東伊豆に集結し、台湾に飛び続けろ。こう願うのは筆者だけであろうか。
おしまい

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波崎ウィンドファーム(株) 平成16年3月竣工 12基 高さ:64.5m プロペラ直径62m ドイツ製
茨城県神栖9基・波崎20基・千葉県銚子29基。犬吠埼を中心に、利根川をはさんで約60基のウィンドファームは日本一の規模を誇る。
写真左は波崎、写真中央は銚子港、写真右は九十九里屏風ヶ浦の景勝地

コラム  風力発電について
 1990年代から地球温暖化問題に伴って各国で風力発電の導入が盛んになった。ドイツ、スペイン、アメリカ、インド、デンマークなどを中心に6000万kwを超えている。いまや世界の風力発電設備は原発60基分にも相当するといわれている。クリーンエネルギーに対する意識とヨーロッパという地理的条件にもより、導入が盛んであったが自然環境保護や騒音などの人的公害を重視して、現在の設置基準は厳しく制限されたものとなっている。日本でも、1990年代後半から急速に増え、2006年6月現在での設備要領は120万kwを超え、ジャンボジェット機の翼幅と同程度の直径60mを超える巨大風車が、1000基以上も回っていることになる。風車にも種類があるが、大型発電用には水平軸のプロペラ型である。このような風車を風の強い場所に集中的に設置することからウインドファーム(風車牧場)と呼ばれる。導入以来全国各地でいろいろ問題も発生していることは事実である。我が国は山岳丘陵地が多く、陸上での風車設置の適地が限られているので、今後は3万㎞を超えるといわれる長い海岸線の沿岸を利用して、洋上風力発電を展開することが予想されている(日本国際地図学会シンポジウムより)。

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2007年11月15日

中仙道武州蕨(わらび)宿「宿場まつり」1

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24年前蕨宿中仙道の活性化を目的に始まった「宿場まつり」は、年々盛大になり今年は約10万人の人出で賑わった。同時に中仙道六十九次宿場の「宿場会議」も開催され、記念として荒川では往時を偲び木造船による「戸田の渡し」を復活、訪れた観光客の人気を得た。

○はじめに
 蕨市とは、埼玉県南部に位置し荒川左岸の沖積低地。市名の由来は平安時代の初め、第51代平城(へいぜい)天皇の孫で六歌仙の一人、伊勢物語の主人公と言われた在原業平(ありわらのなりひら)が武蔵野に来たとき、日も暮れて道に迷った際、立ち上る白い煙に人家を見つけて泊めてもらった。寒さ凌ぎに一晩中稲藁の火で暖をとってくれたと言う。未だ里の名がないところから、これからは「藁火の里」とせよと名付けたと言う。
時代を経て室町時代の中頃、渋川義鏡が関東に下向し城主となったが、藁火城では城に火の字がつくのは良くないと考えた。そこで先祖の地、上毛渋川郷蕨山の地名と、この附近一帯に生える「さわらび」から「蕨城」と名付けたとされる。
わらび、ぜんまい、左巻きと言って春の山菜として知られる。平地ではあるが小高く日当りの良いところに群生し、古代からわらび粉等にしても食して来た。古くはアイヌ民族の長が帯びている短刀の柄に、わらびの紋様がほどこされており、この短刀を「わらび手刀」と称している。

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 昭和34年(1959)4月1日、蕨町が単独で市制施行した。我が国で面積がもっとも小さく、現在の人口約7万人は人口密度日本一としても知られている。毎年1月に全国で行われる成人式は成年式として蕨が始めた発祥地であり、現在でも成年式としている。また、地図上では長野県伊那市と同緯度の、北緯35度49分であることは知る人ぞ知るである。地勢は平坦で江戸時代には中仙道第二の宿場町となり、本陣2、脇本陣1、旅籠23が整えられ、旅人で賑わう一方、物資の集散地として栄えた。江戸後期の文政8年(1825)塚越村の高橋新五郎が高橋機という織機を考案、木綿織物の生産を広め、昭和35年(1960)錦織物の双子縞が開発されてから。昭和初期まで織物の町として発展した。現在でも8月の七夕まつりは「機まつり」と称しており、近郊からも見物客で賑わう。

パート2につづく
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2007年11月16日

中仙道武州蕨(わらび)宿「宿場まつり」2

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●盛大になる宿場まつり
 11月3日文化の日、往時の名残が見られる旧中仙道では恒例となった「中仙道武州蕨宿宿場まつり」が盛大に行われた。地元や近郊の見物客約10万人とも言われる人々でごった返した。年々趣向を凝らしてきたが、今年は第21回中仙道宿場会議蕨宿大会も同時開催され、132年ぶりに木造船「戸田の渡し」も復活し好評を博した。
「戸田の渡し」とは、江戸時代荒川には防衛上橋は架けられず、人も馬も木造船を利用し渡っていた。明治8年(1875)5月になって戸田橋ができてから、戸田の渡しはなくなった。今回、中仙道宿場会議の蕨宿開催を記念して、木曾街道六十九次に描かれている蕨宿の錦絵「戸田の渡し」を再現したのである。その他本陣跡と歴史民俗資料館を中心とした各会場では、色々なイベントが花を添えた。蕨南町太鼓の会、須賀町鼓笛隊、南小学校・第二中学校吹奏楽部、ミス宿場小町、織姫道中パレ-ド、サンバパレ-ド、子どもたちによる中仙道六十九次パレ-ド等々盛りだくさんのイベント、アトラクション満載の1日を楽しんだ。

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●おわりに
 来年は25回記念になり、地元の実行委員会を中心に色々なアイデアで盛り上げてくれるであろう。かくいう筆者も蕨ロ-タリ-クラブという奉仕団体の一員として安心・安全まちづくり防犯パトロ-ルのミニパトカ-と警察の白バイにも協力してもらい、子どもたちに乗ってもらい、ポラロイドカメラで記念撮影、その場で写真をプレゼントして大変喜ばれた。一方姉妹提携の群馬県片品村からは産地の農産物などを持ち込み即売、その他の団体でも様々なバザ-やフリ-マ-ケットで好評だった。
 だが、課題も感じられる。旧中仙道という狭い道路で歩行者天国を実施しての行事であるが、まつりとなると相も変らぬたこ焼き、焼きそばなど定番の屋台が所狭しと出店し興を副いでいる。往時を偲ぶ折角の「中仙道蕨宿宿場まつり」が、どこのまつりにでもある屋台がはびこっては先行きが思いやられる。今のうちに対策を立てこれぞ「宿場まつり」だといわれるようなものにしないと、リピ-タ-が減少し衰退していかないであろうか。このような危惧を抱くのは筆者一人であろうか?

おしまい
投稿者:菊地正浩
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2007年11月26日

観光地トイレの向上について1

毎年11月10日はトイレの日である。(いいトイレ)トイレのない人は世界で26億人いるという。今年インドで開催されたワールド・トイレ大会では45カ国が参加、国際社会のテーマとして2015年までに、トイレのない人半減の13億人を目標とした。我が国では11月9日、第23回全国トイレシンポジウムが開催されたが、そのなかから観光地トイレの整備について考察してみる。

●はじめに
 平成18年12月13日、観光立国推進基本法(昭和38年の観光基本法を前面改正)が与野党一致で成立、今年1月1日より施行された。その目的や基本理念はさておき、我が国は平成19年6月29日の閣議決定を受けて観光立国を宣言した。策定された観光立国推進基本計画における基本的な目標は平成22年(2010)までに、
一、外国人旅行客を733万人から1000万人(現在世界一位はフランスの7600万人で日本は32位)。
二、日本人の海外への旅行者1753万人を2000万人。
三、国内における観光旅行消費額24.4兆円を30兆円。
四、日本人国内旅行宿泊数年間2.77泊を4泊。
五、我が国における国際会議開催168件(平成17年)を252件(平成23年)
 とした。この動きを受けて国土交通省、環境省、総務省等国の機関に加え各地方自治体が中心となって、観光振興策に乗り出した。また、新たに観光庁を創設することも検討されている。
 日本トイレ協会ではこれまでに、公共・公衆トイレ、学校トイレ、災害時トイレ等とともに、早くから観光地トイレ、山岳トイレの向上をテーマに取り組んできた。今回、観光立国宣言で観光振興の盛り上がり機運を受け、あらためて観光地トイレの向上について、シンポジウムで活発な議論が交わされた。そこで、このテーマについて旅ジャーナリストの立場から、その内容の一部を紹介するとともに、私見を混ぜ提言し関係者の忌憚のないご意見を拝聴したいと思う。

●これからの観光地トイレ
 観光地のイメージはトイレの良し悪しによって左右されると言っても過言ではない。観光地における適切なトイレの整備と管理は観光地としての必然的な課題といえ、単に排泄という問題に限らず、今や地球温暖化や節水対策、衛生問題などへの配慮が必要で、かつユニバーサルデザインやバリアフリー、メンテナンスへの配慮について欠くことは許されない状況になっている。これまでの観光地は「観光資源として何があるか」が叫ばれてきたが、これからは「観光地として何ができるか」ということの、情報提供が必要であり、観光コースとしての活動の中で最も重要な補完施設がトイレであることは論を待たない。安心・安全な観光拠点の整備を図る第一歩としても、最近の好事例を紹介しながら考察してみたい。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年11月27日

観光地トイレの向上について2

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●都市型観光地トイレの起爆剤となるか--情報の町秋葉原に有料トイレ「オアシス@akiba」誕生(全国より350件応募の中から区内在勤女性が命名)
 東京都千代田区は皇居を中心として、東京駅、有楽町周辺から日比谷公園、国会議事堂、靖国神社、神保町古書街、近年著しく変貌した秋葉原などを抱える典型的な都市型観光地といえる。千代田区内には30カ所にのぼる公衆トイレがあるが、メンテナンスやランニングコスト、それにもまして破壊などによる汚れ、破損が絶えず「暗い・臭い・汚い・怖い・壊れている」の5Kそのものである。千代田区まちづくり推進部では、首都東京の顔としてのイメージアップを図るため抜本的な見直しをして、平成15年に調査を開始「公衆トイレに関する検討協議会」を設置、提言を受けてモデル有料トイレの設置に踏み切った。平成18年12月16日オープン。美しいユニバーサルデザインの先端を行くトイレ、もちろん障害者、子供、乳児、オストメイト、着替え、化粧と万全な設備を整えている。また、無料のインターネット検索ができるパソコンを設置、文字通り情報の発信地秋葉原の駅前に相応しい憩いの場である。スタッフが常駐し安心・安全・綺麗を売物に公衆トイレのイメージを一新、隣りには喫煙スペースも備えている。利用料一人一回100円(小学生以下・身障者無料)、7時~22時とし年中無休。この約1年間の利用者数は7万5000人、1日当たり約200人だが、最近の利用者数は倍増している。筆者の取材時もテレビ取材の時で放映後の反響もあって増えているらしい。

●今後の展開
 千代田区の分析では概ね好評を得ているとしながらも、意見として「利用料100円の価値はある」「とても綺麗」「着替える時に便利」「支払にスイカが使えて便利」などといった肯定的な意見が多い一方、「公衆トイレが何故有料なのだ」「用を足すのに100円は高すぎる」「税金の無駄」「喫煙コーナーはいらない」等の否定的な意見もある。しかし、着実に常連が増えてきており、定着しつつあると考えている。ただ男女別利用者の問題、即ち男8割、女2割をどう考えるか、やはり女性はトイレはタダが良いと思っているのであろうか、今後の推移を見守りたい。

●有料トイレへのアレルギー
 我が国ではトイレは「タダ」という意識が定着している。もつとも江戸時代から戦後しばらくの間、農作物の肥やしにするため便所の汲み取りは、金を払い引き取っていた時代があったほどである。チップ制は当り前のヨーロッパとは異なる。千代田区内にしても公共施設、JRや地下鉄、オフィスビル、大手デパートや商業施設等トイレはタダで利用でき、しかも綺麗で快適なトイレがほとんどである。果して都市型観光地、この千代田区に限らず東京をはじめ札幌、仙台、名古屋、京都、大阪、福岡などに波及できるか? トイレはタダという我が国で果たして定着するだろうか? 今後の動向が注目される。

パート3につづく
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2007年11月28日

観光地トイレの向上について3

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●他地区のトイレ状況
 都市型観光地で外国人観光客の多い典型的な例を紹介しよう。「浅草」である。ご承知のように仲見世から浅草寺にいたるまでのトイレ事情は、外国人ならずとも観光客泣かせと言わざるを得ない。案内板やパンフレットにトイレの位置は表示されている。でも、あればいいというものではない。設備といえば到底外国人観光客の満足のいくものではない。
 旅ジャーナリスト会議のメンバーで通訳ガイドをしているSさんの話では、仲見世を観光中トイレに入っても、あわてて飛び出してくる。そして近くのホテルへ駆け込み用を足すのだそうである。日本トイレ協会でも観光地トイレの調査を行った際、筆者も実際に浅草を調査してみたが、これでは当然だと思った。観光立国宣言、外国人観光客1000万人誘致どころではない。ほかに「上野」なども同じような状況と言える。

●国立公園での有料チップ制の現状
 我が国の国立公園は29か所208万6790ha、国土面積の5.52%ある。最近は世界自然遺産登録をめざすところが増加している。世界自然遺産というのは観光振興の観点はない。むしろ尚一層の保護の徹底が必要とされる。しかし、この趣旨が理解されずに我が国では観光振興の道具にされているという。そして世界遺産ブームとなり多くの観光客が大量かつ、季節によっては大変な混雑でピーク時対策に追われている。これは本来避けるべき事態なのである。このような意見は当然のことながら環境省や国土交通省にもある。
 一方、観光立国宣言により観光振興、観光客誘致を推進する国土交通省の観光関係部局や経済産業省などとは意見を異にする。また、国定公園56カ所、都道府県立自然公園309カ所ともなると、地方自治体の管轄となる。今年は自然公園法制定50周年、国立公園法制定から76年目を迎えており、富士山をはじめとする山岳、国立公園でのトイレ対策は喫緊の課題と言えよう。

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上高地の有料トイレ

●上高地、尾瀬にみる有料チップ制の成功例
 山岳トイレ補助金(山岳環境等浄化、安全対策緊急事業費補助)により、環境保全型トイレを整備した山小屋においては、トイレのチップ制導入や有料化を実施している。公衆トイレについては、チップ制導入箇所は少なく、成功例は上高地と尾瀬であり、それ以外は概ね赤字となっている。上高地はバスの駐車場側(マイカーは乗り入れ禁止)にある公衆トイレで、スタッフが協力金を徴収している。協力依頼金は一人一回100円。この一カ所の協力金で公園内の各所のトイレ管理、メンテナンスに充当しているのである。
 しかし、マイカー乗り入れ禁止により70万人の観光客が35万人と半減、収入も半減した。尾瀬でも60万人から33万人に半減しているという。さらにチップは硬貨であるため、集金する銀行員が背負って下山するなどの問題も抱えている。多くの観光客は「トイレはタダ」という観念を持ちつつも、上高地や尾瀬のようなところでは環境保護意識の高まりからか、チップ制は定着しているものと思われる。いずれにしろ受益者負担と行政サービスの配分について多くの課題を抱えているのである。

パート4につづく
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2007年11月29日

観光地トイレの向上について4

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秩父鉄道三峰口駅前の無料トイレ

●その他の観光地トイレ
 都市よりもローカルになればなるほどトイレを探すことが大変になる。自然観光地になればなるほどトイレの整備が進んでいないし、ピーク時対策、男女比対策も進んでいない。もちろん、和式のトイレが多く、車椅子用のトイレもない。施設管理者は利用者がどのようにトイレを使っているか把握しているのだろうか? 手の力だけで便器に乗り移れない人もいるのである。ひと昔前と格段に身長、体重も増え体格が良くなったことも考慮しているのであろうか。サービス産業としての宿泊施設で寝床とトイレは完璧でなくてはならない。だから今までの既成概念を取り除き、物事の基準を自分に置かず、関係者の意識の統一化を図ることが重要である。
 観光振興策について聞かれることがある。筆者は必ず「トイレ」のことを提案する。そのくらい満足な観光地は少ないと言える。行政も観光協会や観光関係の方々も、皆一様に頷くがそれから先一歩も進んだためしがないといっても過言でない。観光客誘致策として不可欠な一つにトイレ問題が重要ことは判るが、対策は進まないのは何故か、筆者はトイレは行政のやることと思っているところが多いことを指摘しておきたい。トイレはタダ、しかも鉄道や行政がやってくれるものと勘違いしている観光地の人たちが多い。観光振興策の一環としてトイレ問題に地域ぐるみで取り組んでいるところもある。いくつかの好事例を紹介してみたい。

京都東山観光マップ
 大規模な観光地のトイレ対策として、観光トイレマップを作成して提供している。この取り組みの趣旨に賛同する会員から協力金を集め、観光リーフレットなどのほか、地域で統一されたトイレ利用可能を示す表示を行う点や、民間協力による事例である。
千葉県銚子市トイレマップ
「どなたでもご自由に」をキャッチフレーズとして、トイレの所在地リストと場所を表示した地図を置いて配布している。ホテル、スタンド、お寺、ラーメン、寿司、市場、観光施設等々で参加54カ所にのぼる。
福島県会津若松市
 アネッサクラブ(商店街の姉さま)。地元商店街が一体となって取り組んでいる「4つのどうぞ」①お茶をどうぞ、②お荷物をどうぞ、③椅子をどうぞ、④トイレをどうぞ、である。トイレについては個人商店も含め既存施設の活用を図りサービスしている。
宮城県気仙沼市
 1995年第14回全国トイレシンポジウム開催市。早くから行政と地域住民一体となった取り組み。市役所職員、商店主、会社員、主婦などのボランティアにより公衆トイレの清掃、メンテナンスを行っている。
群馬県
 ぐんまビジタートイレ認証制度(認証マーク)。①清潔、②安心・安全、③誰でもみつけやすい、④誰でも使いやすい、⑤まちにあったものを。県内約600カ所の公衆・公共トイレを調査し、平成18年度末で約100カ所を認定した。
富山県
 富山県快適トイレ推進プラン。「いつでも、どこでも、だれでも、安心して、快適に」利用できる。「環境に配慮した」トイレの推進。富山県トイレマップの作成。「環日本海トイレフォーラム」の活動。「トイレガイドマップ」の作成。
新潟県
 観光客へのトイレをどうぞというメッセージ。「まちなか、みちなか、どこでもトイレ事業」
熊本県
 「商店街がUD事業でトイレの提供」中心市街地6商店街がトイレを無料で提供。(私たちはお手伝いします)トイレが使えますシールを店頭に掲示。

パート5につづく
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2007年11月30日

観光地トイレの向上について5

●長野県伊那市に注目
 平成18年3月、伊那市、高遠町、長谷村が合併して新しい伊那市が誕生した。同時に中央アルプスの山腹を貫いて権兵衛トンネルが開通した。これによりJR中央線、飯田線、中央高速道、長野自動車道、甲州街道、三州街道、中山道を利用した広域観光エリアが形成された。中央アルプス、南アルプスに抱かれた、伊那路が新しい観光地として脚光を浴びようとしている。さらに飯田市、伊那市、富士見町、大鹿村は南アルプスの世界自然遺産登録をめざし、すでに協議会も設置して推進を図っている。
 恵まれた自然環境を生かしながら、産業と観光振興を図る取り組みが行われているが、観光資源としては充分過ぎるくらい持っていると言っても過言でない。あとは観光立国の一翼を担うアイデア、仕かけ、取り組みなどが期待される。その一環として筆者は昨年「観光地トイレの整備と充実」に関する提案を行った。関係者も関心を持って前向きに検討している。幸い地元には立派なモデルケースがある。
「かんてんぱぱガーデン」のトイレである。南アルプスの景観を眺めてのヘルシーで美味しいかんてん料理も良いが、このガーデンのトイレはユニバーサルデザイン、メンテナンス、数ともに申し分ないと思う。きっとリピーターも多いことであろう。春には高遠城址公園の桜が有名で、多くの観光客で賑わうがトイレ対策もさぞ苦労していることであろう。今後、伊那市が南アルプスの世界自然遺産登録をめざす上からも、総合的な観光地トイレの向上にどう取り組んでいくか注目していきたい。

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長野県伊那市、中央構造線分杭峠の磁場ゼロ地、浄化槽式有料エコトイレ

●観光地トイレの今後と対策
 前述のごとく観光地といっても東京のような都市型や上高地・尾瀬といった国立公園型では大きく異なる。なかでも、国立公園や自然遺産地域での維持管理やコスト負担のあり方が大きな課題となっている。このため有料チップ制や指定管理者精度の導入等が模索されている。また、地球温暖化やCO2削減は、トイレの分野においても処理レベルの維持を図りつつ、省エネ化や節水化が進められている。
 世界では今や6㍑便器は当たり前の時代であるが、日本では依然として10~13㍑便器を使用している。1回に流す水の量が世界に比べて倍であり、いくら水の豊富な日本だといっても、世界からは無駄遣いと言われている。「受益者負担の原則」がある一方、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」第五条には、「清潔の保持は市町村固有の業務」が定められている。今こそ、誰がどのようにして負担すべきなのかが問われている。

●観光地トイレの印象は観光地全体の印象に影響する
 いわゆる「暗い、臭い、汚い、怖い、壊れている」の5Kが印象の悪いトイレであり、かつ外国人観光客ならずとも、近年は洋式、水洗、乙姫と広さが求められている。観光地トイレに関するアンケート調査によっても、①清潔、②メンテナンスが良い、③ユニバーサルデザイン対応済。であり、悪いトイレは①不潔・臭気、②便器の数が少ない、ピーク時対策がとられてない、③メンテナンスが悪い(トイレットペーパーが無いなど)である。印象の良いトイレにするためには設置者の悩みもある。①メンテナンス②落書き、いたずら、破壊、③利用者マナー、④維持費の財源、などがあげられる。

パート6につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年12月01日

観光地トイレの向上について6

●解決策は
一、 これまで述べてきたように観光客誘致には地域ぐるみの取り組みが必要であり、行政や観光施設、業者などだけが携われば良いというものではない。事例で紹介したように、地元商店街や市民団体、ボランテアなどによる協力体制が必要で、これに取り組んでいる観光地のトイレは良い印象を受けている。
二、落書防止や破壊防止等に安心・安全街づくりとして地域ぐるみで取り組んでいる。
三、ピーク時対策や男女比対策にも取り組んでいる。
四、様々なトイレのタイプ(処理方法)にも積極的に取り組んでいる。例えば、浄化槽方式、浄化循環式、コンポスト処理(バイオトイレ)、焼却式、土壌処理、汲み取り、また災害時トイレで活躍する仮設トイレなどである。
五、重要な財源であるが現在のところ我が国では、環境省、国土交通省、経済産業省、財務省、総務省それぞれが縦割りで、各々トイレの重要性は認識しつつもその域を出てはいない。大幅な予算化にはほど遠い。
 したがって各々の観光地で好事例を参考にしながらも、地域にあった方法を知恵を出しあわなければ解決しないし、トイレの向上は図れない。自分たちの問題として資金を出したり、スポンサーを得るか、有料チップ制を導入するか、商店や個人までもトイレを提供するか(改装や増設資金の補助を行政に働きかける)、広告トイレの導入を図る、また山岳地では登山客に排泄物を持ち帰って貰う、等々である。

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靖国神社のトイレ(狭い和式で高齢になった遺族会には気の毒)

●おわりに
 観光地でのトイレ問題がクローズアップされた原点は、19世紀末、エッフェル塔の完成にあわせたパリ万博と言われる。フランスは国の威信をかけてトイレの改善を図り、世界に先駆けて下水道処理を行った。我が国でも1970年の大阪万博、その後の沖縄、つくば、大阪花博、愛知万博と続き多くの外国人観光客受け入れを機に、ユニバーサルデザイン化とメンテナンスの向上が図られてきた。この流れは都市型観光地を中心としてトイレの改善が急ピッチで進み、世界でも有数のトイレ先進国となっている。
 背景には日本人の綺麗好きもさることながら、電力事情、豊富な水資源、良質なトイレットペーパー、メーカーによる設備の研究開発、などがあげられる。一方で地方の観光地トイレの問題は、観光立国を宣言し、2010年に外国人観光客1000万人誘致や、国内では団塊の世代による旅行の増加見込みに対して、やや立ち遅れていることは否めない。早急に観光地トイレの充実を図るべき時にきていると思われる。
 地方から東京への修学旅行といえば、本郷、上野界隈の旅館であったが、今の子どもたちは洋式で水洗、乙姫でなければ用を足せないから、ディズニーランド周辺のホテルや設備の整ったホテルに宿泊するのだという。逆に本郷の旅館では多少の改善をして、低料金と日本の風情を求める外国人観光客に人気があるという。いずれにしても観光立国宣言は観光地トイレの整備抜きには考え難い。時間も限られている、早急に官民一体となった取り組みが期待されるところである。

おしまい
投稿者:菊地正浩
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2007年12月03日

「はんなり」Hannari Geisha Modern

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京都の歴史と文化の象徴、花街。伝統文化の継承に魂を注ぐ芸妓と舞妓、これを支える多くの人々。「おもてなしの心」と美の世界を追求する日本の伝統文化が、ハリウッドから日本へ逆輸入され反響を呼んでいる。

●「はんなり」とは
京都で華やかさを表わす「はななり」という言葉から「はんなり」というタイトルにしたという。およそ1200年前に、都が「京都」に置かれた。以来様々な文化を創造し、今なお多くの伝統文化が世界に発信されている。昔、北野天満宮(京都市上京区、祭神は菅原道真)へ参詣に訪れた人々を、お茶で「おもてなし」したことから始まったとされる。お茶屋は、やがて酒席のおもてなしへと変わり、花街が形成されていった。京都の花街とは、先斗町(ぽんとちょう)、祇園東(ぎおんひがし)、祇園甲部(ぎおんこうぶ)、宮川町(みやがわちょう)、上七軒(かみしちけん)、島原(しまばら)の6カ所にあり、今も昔ながらの街並みや文化が息づいている。この花街のシンボル的存在が、芸妓と舞妓さんたちなのである。職人達の匠の技で作られた、着物、帯、扇子、小物類等々、最高級の伝統工芸品で身を包み、約300年以上経った今でも、日夜修業を積み重ね、美しい舞等の伝統芸能や作法、言葉づかいを「心の美」として演じ発信している。

●「はんなり」の意味するところ
 我が国は観光立国を宣言、2010年には外国人観光客1000万人招致を目標としている。緑豊かな自然観光資源と、数多くの歴史と伝統文化を発信し、広く世界からの観光客招致をめざすことにしたのである。その意味でも京都の歴史と文化は、我が国の観光資源として貴重なものと言えよう。なかでも、花街文化は春の都おどりをはじめ、四季を通しての景観と華やかさがあり、外国人観光客ならずとも、日本人でも一度は触れてみたい世界といえよう。これまでも多くの人達が取材すべくカメラを持ち込もうとして来たが、「一見のお客さんお断り」と同様、やんわりとその扉を閉められてきた。これまで「フジヤマ・ゲイシャ」に関するマスコミ報道や映画はかなりあったが、決して本当の姿が描写され紹介されていたわけではない。花街としてはむしろ沈黙を守ってきたのである。
 先頃話題を呼んだ中国人女優による「さゆり」などは、典型的な誤った芸妓像といえよう。今回の製作者であり監督曰く「本物の芸妓、舞妓は常に芸事に精進し、はっと息をのむほどに美しく、まさに生きる芸術である。日本女性独特の凛とした中に、薫る、思いやりある優しい心遣い、その美しさを支える伝統芸能や伝統工芸の匠の技が一体となっている」、と語っている。この「はんなり」こそ芸妓・舞妓の美の世界を追及する貴重なドキュメンタリーと言えるであろう。2006年9月に行われたジェトロ主催のシャパン・パビリオンでの出展で絶賛され、2008年春から全米で上映されることになった。これに先だち11月23日六本木ヒルズ49で上映記念イベント、特別試写会が行われた。これから順次全国各地で紹介されていく。全米で上映のあかつきには、大きな反響を呼ぶことであろう。

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●製作者・監督のプロフィール
 曾原三友起、サクラプロダクションUSA代表で今回プロデュ-サ-、監督、脚本の三役をこなす。ロサンゼルス在住、SAG米国俳優組合に所属。宮崎県都城市出身、幼少の頃よりバレエ、ダンスを学びミュ-ジカル俳優をめざしていたが、18歳の時に膝の怪我で断念。日本のイベント会社、局アナウンサ-、FM、DJなど経験、1999年に渡米。現在、制作プロダクション及び劇団を主宰しながらハリウッド映画制作現場などに於いて、日本文化のアドバイス、コ-ディネ-ト、映画やイベント、舞台のプロデュ-ス、脚本、演出などを手掛け、二児の母でもあるス-パ-ウ-マン。今回、ハリウッドの日本人女性監督として、日本に帰り自らが芸妓を体験、その強い熱意についに花街も動かされた。そして、京都の全花街が協力するという世界初の快挙を成し遂げ、この貴重なドキュメンタリ-映画は作られたのである。そして、見る者に感動を与え、伝統文化継承に一石を投じることとなろう。

日本での上映  12月2日(日)~14日(金)
        渋谷アップリンクX(03-6825-5503)
        当日券1500円 学生1200円 シニア1000円
        前売り1200円 和服での来場者当日券1000円
        他、京都シネマ、宮崎キネマ、都城ウエルネス交流プラザ他
        問合せ http://www.hannari.info

投稿者:菊地正浩
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2008年02月11日

水上バスで東京散歩1

~隅田川から東京ベイエリアへ~

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江戸の昔、武蔵の国から下総の国へと渡ったことから名付けられた両国橋。忠臣蔵の赤穂浪士たちが、深川の吉良邸から芝高輪の泉岳寺へ行くのに渡った永代橋。下町の歴史と文化が薫る隅田川を水上バスで潜り、お台場海浜公園を巡るゆらり旅である。

●はじめに
 昔は「綺麗な川」を意味するアイヌ語のアラペツとか、あばれ川とか呼ばれていたが、この荒川も現在の隅田川の位置を流れていた。たび重なる洪水により大規模