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『篤姫』 アーカイブ

2008年01月06日

『篤姫』第1回「天命の子」

いよいよスタートしました『篤姫』。今回は視聴率がとれない幕末もので、途中で気分が萎えてしまうのではないかと心配ですが、他の先生方のブログ同様、とりあえず最後まで書き続けることを目標にしたいと思います(大丈夫かな)。なお、この『篤姫』関連でもっと詳しく知りたい方は歴史作家桐野先生のブログ「膏肓記」がおすすめです。

 史実でも原作でも篤姫(於一)のエピソードは少ないのでしょう。母お幸が懐妊し、怪しげな坊主が「その娘を江戸に連れてまいれ」などと言い出すし、1837年のモリソン号事件では、3歳のミニ於一1(永井穂花)がいきなりアメリカとの交渉の場に飛び出してくる始末。どうせならもう少しモリソン号事件にも時間を割いてほしかったんですけどね。でも、今和泉の浜辺を登場させながら、原作にあった兄忠冬が近所の子にいじめられているのに立ち向かった武勇伝くらいはドラマでも演じてほしかった気がします。
 さらに成長してミニ於一2(岩本千波)に。ここで百姓がご飯食べられないのを知り、いきなり「どうして私は食べられるのか」などと云って断食するし、郷士の西郷吉之助(隆盛)は自談判しているし、ずいぶん農民層の視点で描きすぎている気がしないでもありません。せっかくなら幼馴染の設定でミニ肝付尚五郎(小松帯刀)も出せばよかったのに……。
 それにしても初回は、メインのキャストを総出演させたような内容で、時代もすっ飛んでいき、もうヒロインの宮崎あおい於一まで成長しています。徳川家祥(家定)の堺雅人さんのバカ殿役はちょっとおかしかったです。『新選組!』ではインテリの山南敬介役だっただけに、このギャップが。
 あと、高校レベルの教科書では藩政改革をした傑物として紹介されていた調所広郷は、ずいぶんと悪人役で描かれていますね。あとで斉彬が藩主になることを考えれば仕方ないのかもしれませんが。その調所に於一が直接、今和泉家の窮状を訴えるというのもすごく変。しかも、調所は於一に琉球密貿易のことをばらしているし。藩の機密をいきなり訪ねてきた小娘に暴露しますか。どうしても主人公と絡ませたかったのかもしれませんが。
 史跡紀行ではいきなり鹿児島の鹿児島市と指宿市の2箇所を紹介していました。取材した鶴丸城跡、今和泉本邸跡、今和泉小学校の手水鉢など懐かしいです。しかし、初回でこんなに飛ばして大丈夫なのでしょうか? 鹿児島と江戸以外はあまり関連舞台が少ないだけに心配です。ということで第1回は鶴丸(鹿児島)城跡と城内にある黎明館のスタンプをUPします。日本の名城100でスタートしたスタンプラリー。鹿児島城もそのひとつですが、スタンプは黎明館に保管されています。

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はい、今回からはじまる篤姫関連写真・スタンプのコーナーの元ネタは、大河ドラマ『篤姫』の副読本となる下記の本です。ただし、場合によっては本で紹介しきれなかった写真やスタンプが登場することもありますので乞うご期待!

atsuhime.jpg 『天璋院篤姫と幕末を旅する』 B5版 128P 1000円 2007年11月発行。12月2刷。第13代将軍徳川家定の正室として薩摩の島津家から嫁ぎ、激動の幕末を徳川家とともに生きた天璋院篤姫49年の生涯。本書では生誕の地の鹿児島から江戸、さらに幕末の舞台となった下田・横浜・京都などへエリアを拡大。篤姫や関連人物ゆかりの史跡からグルメ・おみやげ・沿線の記念スタンプまで旅の情報も充実しています。当会員の久芳勝也画伯の絵地図も必見。

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 初回は19~21時の時間帯に特番が目白押しだっただけに、視聴率もちょっと心配。なお、このあとテレビ朝日でかつて大河ドラマにもなった海音寺潮五郎原作の『天と地と』(松岡昌宏主演)が放映され、続けて観ておりましたが、前回の大河ドラマ以下の内容にまたも居眠りしてしまいました。こちらのコメントは割愛させていただきます。

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2008年01月13日

『篤姫』第2回「桜島の誓い」

はい、日・月と上越・東北方面へ取材に出かけており、取材から帰ってきたあとさっそくビデオ観ました。実はビデオの調子が悪くてここのところ録画も満足にできませんでしたが、出かける前にビデオが修復しましたので、安心して取材に行けました。映像もしっかり撮れており何よりです。それにしても東京は寒い部屋の温度は7度しかなく、東北から帰ってきた実感が湧きません。

 さっそく本題。相変わらず情けない肝付尚五郎。於一(篤姫)の噛ませ犬ですか。於一が調所のところへ行ったあと、於一の父忠剛の謹慎が解けましたが、これに対して詫びを入れる西郷吉之助らに対し、於一の兄忠敬が西郷に対して挑み、於一がかばおうと飛び出したところを西郷が助ける。で、次の瞬間、西郷が忠敬の木刀を奪ってしまう。あれ、西郷って剣術がからきしダメじゃなかったの。後日、肝付尚五郎が剣の試合を挑むが大久保正助にあっさりとやられてしまう。それにしてもあの木刀、ジャンボ麩菓子みたいですな。
 まあ、今回は調所が薩摩藩の密貿易の責任をとって自害する設定がメイン。そこに於一を絡ませているところは前回よりもストーリーに丁寧さが見られました。斉彬が阿部正弘に密貿易を密告し、それによって調所が自害。さらに斉興の側室お由羅が斉彬の子女に対し呪詛していた疑惑が持ち上がり、お由羅騒動へ発展していきます。しかし、斉彬の高橋英樹さんは少々老けすぎ。いくら40歳とはいえ、もう少し若づくりしてくれよ~といった感じです。
 史跡紀行では鹿児島市の小松帯刀像と肝付本邸跡や小松家別邸などを紹介していました。肝付尚五郎は23歳で小松家の養子となり、のちに「天下の名宰相」といわれるまでになりますが、僕のほうは時間がなくて篤姫関連の取材だけで終えてしまいました。今回取り上げますのは、僕も撮影しました小松帯刀像。宝山ホールの前に建っており、当4階は鹿児島県立博物館の別館となっています。県立博物館はプラネタリウムを除き無料。こちらにはプラネタリウムや恐竜の化石などが展示されていて、スタンプもあります。本書のほうでは紹介できませんでしたので、スタンプをとくとご覧ください。

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2008年01月20日

『篤姫』第3回「薩摩分裂」

『篤姫』第2回は、初回より視聴率が高かったようで、まずまず順調な滑り出しの様子です。本書も売れますように。
 しかし、今回のストーリーはタイトルとかけ離れた内容でしたな。物語の構成自体は決して悪くないものですが。メインはお由羅騒動ですが、その血生臭い展開を避けるように、大久保正助(利通)の謹慎処分ばかりが中心になってしまいました。於一(篤姫)は下級武士と交流をもつ肝付尚五郎に頼んで大久保邸を訪問し、カツオをプレゼント。嗚呼、カツオの刺身のうまそうなこと。
 肝心の家督争いのほうはあっけなく収拾してしまった印象で、斉彬が藩主に就任します。そしてバカ殿であるはずの家祥(家定)が、意味深なことを斉彬に語り、ただの暗愚ではない印象を与えました。今後に注目です。
 斉彬が帰国してもまだ謹慎は解けない様子でしたが、大久保の髯が伸び、明治維新後の風貌が笑えました。今回も於一篤姫は酒と鯛をもって登場。さらに貧しい暮らしに自分のかんざしを勧めますが、大久保の母に「己の生き方に誇りをもっている」といわれ、出入り禁止を言い渡されます。誇りを傷つけたと思う篤姫に対し、母が「傷つけたと思うのは驕り」といいます。随分道徳的な感がしますが、下級武士と上級武士の母という視点での描き方が見事でした。それだけにタイトルは拍子抜けの感が否めませんが。
 史跡紀行では島津氏発祥の地・出水市を紹介。木之牟礼城跡、感応寺、米ノ津川、野間の関所跡、麓武家屋敷群など意表を突かれました。野間の関は『日本の街道ハンドブック』(三省堂)で原稿を書いたこともあるのですが、取材に行けるわけもなく、訪問したのは20年近く前の話でスタンプもありません。米ノ津川を渡る1両の肥薩おれんじ鉄道に哀愁を感じました。九州新幹線開業と同時にJRから分離されてしまった第3セクター。しかも土休日休みのところが多く、スタンプも押しづらい傾向にあります。ただし出水は新幹線の駅ができたので昔廃止されてしまった駅弁が復活した経緯もあって、昨年の京王百貨店の駅弁フェアで「かごんまくろ豚弁当」1050円を購入しました。京王百貨店の駅弁フェアは今年も22日(火)まで開催しておりますが、なかなか現地までは行けず、こういう機会しか写真が撮れません。今年も19日に駅弁を購入しましたが。

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2008年01月27日

『篤姫』第4回「名君怒る」

徹夜明けになってしまい、急な仕事も入ってきて48時間近くまもとに眠れなかったので、タイムリーでは観ずに、ビデオ録画にしてあとで観ることになりました。それにしても篤姫の視聴率が伸びる一方、やっぱりドラマのつくりが以前より丁寧になっているからでしょうか。とりあえず今のところは……。
 しかし、於一の言葉使いなんとかなりませんかね。「えーっ」「すごーい」とか時代に適さないと、一緒に観ておられた歴史作家で代々木ゼミナール人気講師の高木浩明先生が申しておりました。なんか於一って柳原可奈子のキャラがかぶりすぎてませんか。
 今回は斉彬が藩主就任したのに、忠教(のちの久光)一派は処罰されず、謹慎処分になっている大久保にも赦免がないので、不信に思う於一たち。そこで藩主とのお目どおりに対し、於一が斉彬にこのことを問いただします。脇にいた小松清猷がいい味出しています。結局、お由羅騒動の原因となったお由羅ですらお咎めがありませんでしたから、このあたりを強調したかったのでしょうか。だったら大久保だけでなく、お由羅や忠教の視点での動向も出してほしかった気がします。
 於一の問いに対し、「争いは争いを生むだけ」という斉彬。「信じれんのなら国を出てゆけ」と於一にいいますが、タイトルの「怒る」というニュアンスにはちょっと。僕はもっと斉彬の逆鱗に触れて、手討ち寸前になるところを期待していたのですが(これでは志村けんのバカ殿か)。
 ということでタイトルは毎度拍子抜けしてしまいますが、ドラマの構成はまずますです。ただ、今回は結構あまり知られていない人物が多いので、もう少し説明があったほうがいいと思うのですが。於一に一目惚れする忠教の子右近って、久光の次男久治ということが分かりましたが、これって脚色ですよね。

 史跡紀行では仙巌園(磯庭園)の反射炉跡と照国神社を紹介していました。磯庭園は市街からはずれた海沿いですが、ここはカゴシマシティビューの循環バスで行くのが便利です。鹿児島本線も海沿いを走っていますので、本当はここに駅があるとすごく便利なのですが。今回は磯庭園のスタンプと照国神社の探勝園にある斉彬・久光・忠義の像(左から順)をUPします。照国神社境内には照国文庫資料室もあり、100円で入館できますよ。

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2008年02月03日

『篤姫』第5回「日本一の男」

 うーん、不思議。苦戦すると予想していた『篤姫』が回を重ねるごとに視聴率があがっております。不倫や離婚騒動が当たり前の世の中だから、憧れているのでしょうか。ああいう生き方を。
 今回の物語はほとんど創作で、あだち充『タッチ』幕末版のようなラブコメノリでしたね。自由恋愛がほとんど許されない当時に当てはめたからこそよかったのかも。しかし、歴史ブログランキングで上位を争う桐野先生の『膏肓記』では、縁談相手となる島津忠教の次男右近では年齢が合わないと書かれています。たしかに於一より右近のほうが6歳年下では……。
 それにしても今回は古臭い青春ドラマでしたね。篤姫が桜島を望んで「私にとって日本一の男に嫁ぎたい」と肝付尚五郎に語り、それに奮起した尚五郎は熱血して剣術に励む。おおっ青臭い。そして於一の家を訪ね、尚五郎はついに父忠剛に「妻に欲しい」といいました。さらに、
「大切なのは日本一の男になれるかではなく、なってみせるという決意」
と熱弁。忠剛もこれに感激し、「縁談を断る」と申します。しかし、斉彬のところに登城すると、斉彬は養女にくれといいます。哀れ尚五郎……幼馴染とは結ばれず、この失恋をバネに立派な家老へと成長してゆくのでありました……では、ベタすぎます。

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 史跡紀行では今回登場したジョン万次郎の故郷・高知県土佐清水市を紹介していました。しまった! こう来たか。『天璋院篤姫と幕末を旅する』(一水社)ではノーマークの場所でした。土佐清水というと土佐くろしお鉄道の沿線からはずれたところで、中村駅からバスで行かなくてはならない場所なので、そう簡単に取材にも行けませんが。ということで5回目にしてとうとう写真もスタンプもナシになってしまいました。すいません。

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2008年02月10日

『篤姫』第6回「女の道」

 薩摩藩主斉彬が養女にと申し出たことで、ぽか~んとしている於一。なぜ気に入られたのか分からない様子です。肝心の尚五郎のほうは婚約を反古にされ嘆き悲しみ、西郷吉之助の祝言にも泥酔。しかし、於一が迷っていると同時に養育係の菊本(佐々木すみ江)の様子もおかしくなっています。
 於一が養女に選ばれた理由を尋ねに行く際に菊本は「女の道は一本道。道を引き返すは恥」と説きます。しかし、小説の中の話ですが、菊本の自害の理由はわけが分かりません。ドラマも原作に忠実に再現しているのですが、「本家の養女となる於一を身分の低い自分が育てた事実を消し去る」というのが、理解し難いのです。そんな華やかな舞台に立とうとするところで、自害すれば於一が悲しむばかりか、ノイローゼになってしまいます。どうもこのあたりは作者の史観で描いているため言及する気になれません。
 斉彬が於一を養女に選んだ理由のひとつで「母に似ている」といいますが、斉彬の母は周子(1792~1824)は弥姫(いよひめ)といい、鳥取藩主・池田治道の娘です。嫁入り道具に史書を大量に持ち込んだ話は史実のようです。しかし、斉興の寵愛は側室の由羅に移り、弥姫も早世したため、のちにお由羅騒動の悲劇を生むのです。
 あとジョン万次郎が国防のため、沿岸に砲台を築き、的確なビジョンを語っていました。これはなかなかかっこいいです。万次郎は世界一栄えている町をイギリスのロンドン、清の北京、日本の江戸と語っていますが、当時の江戸は人口も100万ほどいたのに、日本で絶滅したカワウソと共存できたすばらしき平和と環境保全のモデル都市だったのです。

『篤姫』をもっと詳しく知りたい方はコチラ

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 史跡紀行ではまた鹿児島市に戻り、西郷・大久保の生まれ育った鍛冶屋町と高見橋の大久保利通像や城山麓の西郷隆盛像を紹介していました。西郷隆盛像は第2回で紹介した小松帯刀像からほど近いところにありますが、身長5.257mもあってとにかく巨大です。大久保利通の像は鍛冶屋町に近い甲突川の高見橋の近くにあります。ともに像のスタンプもありますのでUPしますが、西郷のスタンプは鹿児島県立博物館、大久保のスタンプはJR鹿児島中央駅の鹿児島市観光案内所にあります。銅像のある場所にスタンプがあるわけではないので、押したい方は注意してください。

さて、今週は他の会員からの投稿が殺到しており、トップにUPされる時間は短いのですが、ぜひとも愛読よろしくお願いします。明日からは菊地正浩会員のルポを6日連続でUPしますので、お楽しみに。 

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2008年02月17日

『篤姫』第7回「父の涙」

 会員一部の方は伊豆へ研修に行かれたようですが、当日本の校了と重なってしまい、行けなかったばかりか、朝帰りでドラマをタイムリーで観れなかったため、こちらの更新も2日遅れになってしまいました。『篤姫』の視聴率も第5回をピークに下がりはじめているのが気になります。
 今回は於一と尚五郎のラブストーリー最終回でした。まったりと流れていた時代も一気に2年も進みましたね。しかし、菊本の自害は解せないと思っているのは、僕ばかりでなく桐野先生も申しております。やはり普通に歴史を知る人ならそう思うのも無理ありませんね。しかも菊本が亡霊になって枕元に出て、「姫様を見守る」と云っているし、『うしろの百太郎』ですかあなたは。
 あとは嫁入り物語のような話でしたな。娘を送り出す父親の心情という感じで、於一に逢うと涙が出てしまうため、つい避けてしまう忠剛。「友の証」として御守を交換する於一と尚五郎。その一方では黒船の来航が刻一刻と迫っています。しかし、あの黒船はおもちゃの模型みたいでチャチですな。

 史跡紀行では鹿児島県指宿市を紹介。しかし、指宿の砂蒸し温泉はじめ、山川港や異国船番所跡、知林ヶ島、今和泉郷など、市内各所を一度に紹介した感じでまとまりがありません。第一、同じ指宿市内でも今和泉と指宿、山川では結構離れています。ということで今回はJR薩摩今和泉駅と指宿駅のスタンプをUPします。薩摩今和泉駅はJR化後に無人化されたのですが、大河ドラマの舞台ということで篤姫観光ガイド案内所として観光ボランティアガイドが常備されるようになりました。有人駅時代に「わたしの旅スタンプ」の類似スタンプが設置されていたので、ぜひ記念スタンプも復活してほしいです。なお、指宿市内の駅では二月田・指宿・山川などにスタンプがあります。

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2008年02月24日

『篤姫』第8回「お姫様教育」

 旅じゃBLOGも菊地会員に助けられる形で、現在のところとりあえず3月2日までは連続して更新できます。新たに投稿される会員はUPが3月3日以降になることご了承ください。まあ1週間が過ぎるのは早いものですから、昨年は6月18日までモチベーションが保てたことが不思議なくらいです。結局、どこまで続けられるかは会員の皆様次第なんですが、関心のない方も多いようで……。
 
 本題に入ります。於一は斉彬不在のまま鶴丸城に入ったようですが、周囲の嘲りぶりがむごいようで、さすがの於一も翻弄されている様子です。またまた桐野先生の『膏肓記』を参考にさせていただきますが、大奥は江戸城だけのものと思っていたら、大名家や上級公家にもあったようです。「大奥=江戸城」の固定観念にとらわれないよう。
 時代背景的には嘉永6年(1853)のペリー来航ですが、篤姫がメインとはいえ、ペリーの久里浜上陸のエキストラがないのは不満。ちょうどこの時期にようやく大久保の謹慎がとけ、於一は小松家の姫お近を呼び寄せます。このときお近は於一のところへの届け物があればと、於一の母や肝付尚五郎のところにも寄っています。すばらしい性格ですな。ところでこのお近は、のちの小松帯脇となる肝付尚五郎の妻になるのですが、ドラマでは7歳年上の姉さん女房です。お近は史実では千賀といい、生年は不詳なのですが、兄の清猷が尚五郎より8歳年上なので、まあ7歳年上でも問題はないのですが、結婚するのが清猷が亡くなった安政2年(1855)なので、当時では27歳という珍しく晩婚になってしまいます。実際はもう少し尚五郎の年齢に近い気もしますが……。
 で、お近が持ってきた母の手紙となぜか渡される菊本が自害前に書いたという手紙。まあ、この手紙の内容からでも菊本の自害はムリがありますが、とにかく菊本の手紙を読んで変身する於一が不気味。一方、京都の近衛家から於一の養育係にもらい受けた幾島(松坂慶子)が鶴丸城に入り、さらなる教育が施される模様です。

 史跡紀行ではペリー来航の神奈川県横須賀市を紹介。ここはライターの古賀氏に取材してもらった箇所で、ペリー上陸記念碑や燈明堂、渡し舟などが出てきました。今回はペリー公園内の上陸記念碑とペリー像およびもうひとつのJR久里浜駅スタンプをUPします。この取材は慌しく月曜に出かけたため、ペリー記念館のスタンプは押せませんでした。残念。

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2008年03月02日

『篤姫』第9回「篤姫誕生」

 幾島(松坂慶子)登場。広川よりきつい教育にさすがの於一も圧倒されている様子です。しかし、「口にしたことは守り通す」という姿勢いいですね。口先ばかりの人間が多い世の中ですから人間的にもすばらしいことです。その一方で於一の薩摩訛りを指摘しており、これが菊本自害の理由に強引に結びつけようとしているのがミエミエです。だったら最初からそのような出自の娘を養女にもらわなければすむことですから……。
 この幾島についてまたまた桐野先生のブログを参考にさせていただきますが、調べてみますと家定正室篤姫の御年寄(奥向きのすべてを取りしきる役)で、最初は「藤田」と名乗っていたそうです。元々は薩摩の出身で、斉彬の祖父にあたる島津斉宣の娘郁姫に仕え、京都の近衛忠煕に嫁いだ際に上京。嘉永3年(1850)に郁姫が亡くなると出家して「得浄院」と号していたそうです。しかし、ドラマを観てますと剃髪していない様子。また幾島は「こぶ」のあだ名で呼ばれてように史実では大きなこぶがあったそうです。
 そしていよいよ於一が本題の「篤姫」を名乗ることになります。これは11代将軍家斉に嫁いだ正室広大院(8代藩主島津重豪の娘)が「篤姫(とくひめ)」を名乗っていたことにちなんで「あつひめ」と名づけられたそうです。
 一方で13代将軍となる家祥が父家慶の死に際してネジをまけとか、雨の中花に水をやっていたりと馬鹿殿ぶりを強調していましたが、どうもこれってわざと演じているようにもみえてしまうんですね。それとも『三国志』の阿斗(劉禅)のようなキャラなのでしょうか。

 史跡紀行では再び鹿児島市内に戻って石橋記念公園の西田橋と鶴丸城跡を紹介していました。元々は甲突川に架かっていた石橋を移転・復元したのが石橋記念公園で、ここには西田橋のほか、高麗橋・玉江橋も架かっています。併設の記念館は無料で見学でき、スタンプもあります。最初に行ったときは休館日でしたが、最終日に再度訪れてスタンプをGETしましたのでUPします。

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 それにしても鶴丸城跡の大奥跡があの駐車場とはビックリしました。昨年の『風林火山』でも高遠城跡の勘助郭跡も駐車場になっていたし、観光開発と史跡保存のギャップを感じてしまいます。

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2008年03月09日

『篤姫』第10回「御台所への決心」

「お姫様教育」ならぬ将軍正室の「御台所教育」としてエスカレートしていきます。箸の使い方から三味線、鼓打ちなど相変わらず大変ですな。篤姫はまたも目に落書きしていますし。さすがの幾島も覚悟のない篤姫に困り果て、斉彬に真相を話すべきと云っております。
 ついに篤姫に真相を打ち明けると、篤姫は茫然自失。眠れない夜についに城から逃亡まで企ててしまいます。そこで斉彬に真相を問い質し、ようやく御台所になることを決意。「己の意志で江戸へ赴き、国を守りたい」と云っています。しかし、幕政破綻の一因として大奥の奢侈があったのではないですかな。そのあたりは江戸に行ったあとの篤姫を見ないと分かりませんが。
 そして相変わらず家祥の馬鹿殿ぶり。折しも黒船来航でてんやわんやで、老中の阿部雅弘は大名・幕臣から庶民にまで対策を求めたようです。家祥が採用した「酒でもてなして、火薬庫の所在を調べ、相手が眠ったところに火を放てばよい」という案のもとは、新吉原の遊女屋主人藤吉の献策がもとになっています。たしかこの案が成功した暁には「吉原一廓の門の通用を許してほしい」というものだったのですが……。あと庭でアヒルを追いかけてずっこける家祥。この話は創作のようですが。今回、初耳だったのは海防掛の深谷盛房(野村信次)。生年は1767年で没年は不詳だそうですが、一応、老年のため致仕する嘉永7年(1854)までは存在が確認できます。しかし、時代設定からみると当時87歳! 野村信次さん(63)でも若すぎたようです。
 
 史跡紀行では徳川斉昭の故郷・茨城県水戸市を紹介しました。何たる奇遇。実は昨日、梅の花を見に偕楽園へ行ってきたばかりなのです。今年は寒かったせいもあってか。梅の花はまだ八分咲きでしたが、ものすごい人だかりでした。偕楽園の徳川斉昭と七郎麿(のちの15代将軍慶喜)の像も見たばかり。今回はその偕楽園と水戸駅のスタンプをUPします。

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≪追伸≫
桐野先生が15日にようやく再放送で観れたそうです。相互リンクということで。先生のブログもどうぞ。

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2008年03月16日

『篤姫』第11回「七夕の再会」

 時代も話もデンデンムシのように進みませんね。
 まあ、本編の江戸に入ってしまうと話が急速に進みそうな気がしますが、あえて3月までは鹿児島で引っ張るようです。その前に篤姫にはもう一度だけ両親や幼馴染などに会わせてやりたいという制作側の配慮なのでしょうか。
 篤姫が御台所になる決心をし、輿入れの時期も近づいているので、今和泉家の両親にももう一度会わせてやろうという斉彬の配慮。ひょんなことからこれが肝付尚五郎に知られ、尚五郎は「江戸へ行かせてくれ」と言い出す。これがきっかけで篤姫と尚五郎が七夕の日に再会できましたとさ。めでたし、めでたし。といったところで特筆すべきところもなくなってきました。どうも江戸と鹿児島の二元中継が鹿児島に重きを置きすぎて、江戸の話が散漫になっているような気にがしてなりません。
 あと、ひとつ気になったのは、尚五郎が茶屋で食していたのは両棒(ぢゃんぼ)餅ではなかったかという点です。両棒餅は鹿児島の郷土菓子で、串が1本でなく2本刺さっているのが特徴です。ぢゃんぼとは鹿児島の訛りで上級武士が刀を2本脇に差していた姿だそうで、そこからつけられたそうです。餅の面積が広いので串を2本刺してバランスをとっているのでしょう。仙巌園(磯庭園)の名物です。

 史跡紀行では鹿児島県南さつま市坊津町を紹介していました。今回登場した星合香のルーツとなる香を伝えたのが、奈良時代に唐から戒律を伝えるためにやってきた鑑真ゆかりの地です。江戸時代には薩摩藩密貿易の地になっていたようですが、今回は坊津を紹介するために強引に香の話をもってきたような感じです。何もそこまでしなくてもと思ったのが正直な感想で、未踏の地ですので写真もスタンプもありません。今回はこれにて失礼させていただきます。
 前回、家祥がアヒルを追いかけるシーンを創作と書いてしまいましたが、桐野先生の御指摘でこれは史料にも見られる出来事で史実のようです。不勉強のため失礼致しました。詳しくはこちらをご覧ください。


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2008年03月23日

『篤姫』第12回「さらば桜島」

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 鹿児島編最終回です。篤姫が輿入するため、別れの宴ということで島津4家や他の武家などと別れの宴を行います。しかし、実の父母に対しても言葉づかいや態度に関してビシビシいう幾島、たまりませんな~。嗚呼、篤姫とうとう泣いちゃったよ。このあたり実に人間臭さが出ていていいじゃないですか。
 これに対し、無様と怒る幾島に対して、斉彬は父母と直接面会させる配慮をとります。ウチの母なんか実家がすぐ近くでしたから、いつでも会える反面、僕の場合は休みに出かける楽しみもなかったわけですが、一生故郷に戻れないというのはそれはそれで時代の悲劇といえましょう。
 今回は今和泉島津家の総出演で兄の忠冬、忠敬まで登場。父の忠剛は今回病で斃れてしまうのですが、翌年には亡くなってしまいます。忠冬も安政6年(1859)に亡くなり、長生きできたのは忠敬(1892年没)だけなんですね。
 最後に篤姫は船で大坂へ向かう前に桜島の見える場所に立ち寄り、桜島に別れを告げ、「薩摩を思って泣くのは最後」と戒めます。宮尾登美子の小説では都井岬を経て、国東~下関~丸亀と海路を大坂に向かう設定になっていますが、実際はJR鹿児島本線~山陽本線のルートに近い陸路で向かったようです。しかし、次回はもう江戸。道中での話や京都での話はすっ飛ばしてしまうんですね。
 
 史跡紀行ではタイトルの通り鹿児島市の桜島を取り上げました。現在は鹿児島市に編入されましたが、桜島フェリーで渡る島の西半分は桜島町でした。桜島へは桜島桟橋から頻繁にフェリーが出ており、10分で対岸を結んでいます。この桜島フェリー実に短い船旅ですが、船内では立ち食いうどんも味わえます。なぜか船にのるとこういううどんが食したくなるものですね。フェリーのスタンプ第18桜島丸しかないようで、押せるかどうかは運不運もありそうです。対岸の桜島は温泉や恐竜公園、ビジターセンターなどがあって楽しめます。

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 そういえば先週月曜の『新ヤッターマン』の第10話は「タイガードラマーアツヒメだコロン!」で、時事ネタを話題にしていたようですね。桐野先生のブログのコメント欄で知ったのですが、全然気づかずに見過ごしてしまいました。

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2008年03月30日

『篤姫』第13回「江戸の母君」

 ここんところバタバタしており、ビデオを録画したものの1週間ほど観れずじまいでした。更新もままならぬ状況でしたが、菊地・伊藤・丹羽会員の協力もあり、ストックだけはありましたので更新だけはとりあえず維持できました。
 翌日のニュースにもありましたが、『篤姫』の視聴率は視聴率20%以上をずっと維持し続けており、人気の秘密については、「家族愛」が注目されています。まあ、僕も最初は幕末だし、失敗するだろうと思っていましたが、今回のドラマは随分とストーリーの作り方が丁寧な気がします。本の売上げにも反映するとよいのですが。

 前置きが長くなってしまいましたが本題に入ります。海路でいきなり船酔いの篤姫。僕も大阪~志布志の「さんふらわ」でやられました。史実では陸路だったのですが。京都で近衛忠煕の養女となり、江戸へ向かいます。江戸までの道中はいかにあっさりでした。このあたりで2~3話引っ張ってほしかったのですが。京都では忠煕にライチを贈っていましたね。ライチは「茘枝」と書き、桐野先生の『膏肓記』によると、中国や琉球ばかりでなく、鹿児島の佐多や山川の薬園で栽培されていたようです。あと江戸の母君は京都で西陣織、江戸の薩摩藩邸ではお菓子を篤姫に贈っていましたが、江戸に着いてからなかなか会ってもらえず、おまけに御簾ごしでの面会。御台の話は早合点だといい、篤姫を驚かせます。斉彬の正室の英姫は「ひさひめ」と紹介されましたが、「ふさひめ」とも読むようです。のちに恒姫と改めますが、斉彬死後、落飾して栄樹院となってから、あとを追うように2カ月で亡くなってしまうようです。
 一方、江戸行を希望していた尚五郎は、その役を西郷に取って代わられ悔しがります。そして小松清猷のもとを訪ねますが、清猷のほうも琉球に行くことになることを話し、尚五郎は自分を恥じて泣きます。清猷は琉球で亡くなってしまうのですが。

 史跡紀行では京都の近衛邸跡や錦小路薩摩藩邸跡、京都御苑などを紹介していました。京都御苑は以前取材したことがあるのですが、近衛邸や薩摩藩邸跡などは行けずじまいです。ということで今回はUPできるような写真もスタンプもありませんので、割愛させていただきます。

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2008年04月06日

『篤姫』第14回「父の願い」

更新が1日遅れとなりましたが、ようやく追いつきました。第13回と2回分を一気に観て書きましたので合わせてお読みください。
 今回の将軍宣下で家祥がついに家定となりました。家定という人物がほとんどクローズアップされてこなかったので、なかなか興味深いです。家定の生母本寿院登場。この本寿院は12代将軍家慶の側室で、出自は幕臣・跡部正賢。家定の乳母であった歌橋も登場。家定は母を描くといってアヒルを描いているし、宮崎あおいのアフラックのCMを意識しているのでしょうか。あれ、NHKは広告はいけないのでは? それにしても家定公、ずいぶんと絵画が上手なようで。実際には前回にも煎り豆が出てきましたが、菓子づくりが得意だったようです。ムリに荷が重い将軍職を継がなければ、この人ももう少し長生きできたのではないでしょうか。
 江戸では水戸斉昭と井伊直弼の攘夷と開国での対立が出てきましたね。でも、あの両者の対立の原因となったとされる近江牛の話は出てこないのでしょうか。斉昭が近江牛を欲しがり、直弼が殺生が嫌いと断るあの話。「食い物の恨みは怖い」といいますから。
 あと江戸藩邸には島津虎寿丸がいましたね。斉彬の5男で篤姫が見とれていましたね。この虎寿丸、安政元年(1854)に7歳で亡くなってしまうそうで、これで斉彬の男子はすべて早世で、忠教(のちの久光)の子茂久(のちの忠義)が養子となりますが。
 今回は先に実父忠剛が亡くなります。遺言では死を秘匿したようですが、斉彬に知らされて篤姫は号泣します。江戸入りしたため葬儀にも行けないというのは悲しいことですな。

 史跡紀行では井伊直弼の故郷・滋賀県彦根市の彦根城などを紹介していました。彦根城にはまだ行ったことがなく、JR彦根駅も現在のスタンプが出てこないので、今回も写真・スタンプは割愛します。

 あといつものことですが、リンクしている桐野先生の『膏肓記』も、ぜひお読みください。


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2008年04月13日

『篤姫』第15回「姫、出陣」

 先週のドラマはビデオをとり忘れてしまい、19日の再放送でようやく観ました。ずっとこの日だけ歯抜けになっていて申し訳ありません。
 篤姫と実の姉弟のようにしていた斉彬の嫡男・虎寿丸が亡くなってしまいましたね。なかなかいい味を出していた子役だっただけにもう少しドラマで引っ張って欲しかった気がします。その心労からか斉彬まで斃れて床についてしまいます。
 江戸でも薩摩でも再びお由羅の呪詛によるものという騒動が再燃。お由羅を成敗しようとし、一触即発の危機に瀕します。これを解決するのが、薩摩の黄門様こと篤姫様ということで、隠居した斉興とお由羅のいる高輪の屋敷へ赴き、ずけずけと「呪詛の噂がたっております」とストレートな問い質し。あり得ない、絶対あり得ない。なぜあり得ないということは桐野先生の『膏肓記』にゆずりますが、どうも大河ドラマというのは主人公を無理矢理絡ませてしまうのがお約束のようです。
 結局、このあと斉彬も快方に向かうのですが、どうもお由羅の個性が活かしきれていない気が……。今回はそれほど特筆すべきこともないのでここまでにいたします。
 
 史跡紀行は東京都目黒区の目黒不動尊(泰叡山瀧泉寺)を紹介していました。西郷隆盛が斉彬の快方を祈願したところだそうで、これも上記桐野先生のブログが詳しいです。あと地理的な関係ではかわい先生のブログ『豊泉堂雑記』もどうぞ。なんか今回は後追いとなってしまったこともあって、先生方のブログリンクに走ってしまいましたが、目黒不動尊もすぐ近くのくせに御恥ずかしながら行ったことがないのです。罪滅ぼしに目黒駅のスタンプをUPします。あと懐かしい「スタンプ物語9・目黒駅」でもUPしましたが、前回のものと見比べてみてください。印影に失敗したところは持参の朱肉で押し直しもしているのです。

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2008年04月20日

『篤姫』第16回「波乱の花見」

 タイトルと内容があっていないぞ~。もう東京では花見の季節は終わり、せめてもう1~2週間前に放映されたほうがよかったのではないでしょうか。
 今回は水戸斉昭が島津斉彬の薩摩藩邸を訪れるという史実から篤姫と斉昭を絡ませたようです。斉昭に会う前に編纂した『大日本史』を読み、斉昭に対し攘夷のことを問い質す篤姫。あり得ない話ですが、そのまま斉昭は怒るどころから笑って、「大奥を束ねるのは篤姫」と御台になることを承認します。だからどこが波乱なんでしょう? それにしても今回は裏で斉彬の正室英姫が篤姫に『大日本史』をすすめていたのは意外でした。冷え切った夫婦間を暖める美談。離婚が当たり前になっているご時世だからこそ視聴率を集めるのかもしれませんな。
 家定公のお菓子クッキングでは煎餅を焼いていました。ここまでやるなら毎回、いろいろなお菓子を出してほしいものです。今回は煎餅の焼き具合で御台を迎えるかどうか決める家定。斉昭を嫌いながらも「煎餅が香ばしい」という本寿院。これで篤姫の輿入れは決まりましたと。
 もっともっと詳しく知りたい方はこちらのブログをどうそ。

 史跡紀行では小石川後楽園と丸紅本社に敷地内にある一橋邸跡を紹介していました。今回初登場した徳川15代将軍慶喜は、小石川の上屋敷で生まれています。小石川後楽園はJR水道橋駅のスタンプでも紹介されていますが、僕は恥ずかしながら後楽園自体はまだ一度も行ったことがないのです。サクラの季節などは絶景なのでしょうね。ということで今回は森村彩さんが撮影したサクラの後楽園をお楽しみください。あと懐かしい「スタンプ物語31・水道橋駅」にも関連記事が載っています。

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2008年04月27日

『篤姫』第17回「予期せぬ縁組」

 安政2年(1855)の出来事として尚五郎が江戸へ上洛。西郷は篤姫婚礼の仕度品の調整でてんわやんわといったところでしょうか。篤姫と尚五郎の久々の対面も上洛して3カ月後で、この間に琉球にいた小松清猷が急死。尚五郎は急遽、故郷に帰って清猷の妹千賀と縁組して、小松家を継ぐことになります。しかし、清猷は29歳まで妻帯していなかったんですね。千賀も当時では珍しく晩婚ですし。
 尚五郎が故郷に帰る途中の10月2日に安政大地震が発生。死者は4000人とも1万人ともいわれますが、水戸藩では斉昭腹心の戸田忠太夫、藤田東湖が亡くなるという悲劇に見舞われます。もっとすごいのはこの年は11月4日、東海地方でM8.4、11月5日に南海地方でM8.4と三大地震が起こったほか、伊賀や飛越地方にも大規模な地震が発生しており、この地震の総死者数は1万をゆうに超えたでしょう。いや地震は本当に怖いです。阪神淡路大震災で都市機能が停止したように、東京も直下型地震がきたら壊滅しかねませんから……。
 あと話から脱線しますが、今回も何気なく家定クッキングのカステラ登場。斉彬に試食させていましたが、どうせならちゃんと焼き方からきちんとやってほしかったですね。

 史跡紀行では薩摩藩邸の芝屋敷と渋谷屋敷を紹介していました。桐野先生「さつま人国誌」によれば薩摩藩は江戸の桜田・芝・高輪・田町・白金・渋谷の6カ所に屋敷があったそうです。渋谷屋敷は嘉永5年(1852)に購入したのですが、芝・高輪が海岸に近いこともあって、異国との戦いに備えた避難用だったそうです。篤姫は芝屋敷にいたのですが、地震で倒壊したため渋谷屋敷に移ってきたのです。薩摩藩渋谷別邸跡は渋谷区郷土博物館の向かいにありますが、この郷土博物館にはスタンプがありません。なので今回は田町駅と渋谷駅のスタンプをUPします。渋谷のスタンプの金王八幡宮は源義朝の家臣渋谷金王丸を祀る神社で、渋谷の地名の由来にもなっています。このあたりには渋谷城が築かれたこともあって、義朝の側室であった常盤御前(義経の母)が植えたと伝わる常盤松がありました。渋谷別邸の碑はその常盤松を偲んで薩摩藩士によって建てられたのです。

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2008年05月04日

『篤姫』第18回「斉彬の密命」

風邪で寝込んでしまい、序盤10分ほど見過ごしましたが、本日の批評を書かせていただきます。
肝付尚五郎が帰郷し、小松家の跡を継ぐべく、清猷の妹お近に縁組を申し出ますが、お近は7歳年上を理由に断ろうとします。この7歳年上説の疑問は桐野先生のブログを参照させていただきましたが、時代考証家の原口泉氏の持説によるもので、可能性としてはあり得ないわけではないのですが、出典が分かりません。たしかに29歳まで嫁がないというのは珍しいですしね。まあ、お近が尚五郎に想いを寄せているのですが、尚五郎が篤姫を慕っていたというのはドラマだけのお約束ということで。
 今回のメインはやはり斉彬の密命ということで、「将軍家定を支える」「世継ぎを生む」「次の公方を慶喜に決める」など重大な使命が課されます。ただ、家定はこのとき30過ぎ。他の側室にも子ができなかったことを考えると、もはや篤姫は大奥での発言力を高めるための輿入となってしまい、あまりにも可哀想なことになってしまいます。せめて短い夫婦生活は円満に描いてほしいものですが。結局、慶喜を将軍を推すどころか、慶喜嫌いになってしまう篤姫。このあたりは大奥に感化されてしまったのか、あるいは嫌いになる事件でもあったのか、ドラマでの描き方が気になります。
 最後に大奥年寄の滝山(稲森いずみ)が登場。これから波乱となる大奥の序曲といったところでしょうか。
 ところで今回は家定のお菓子クッキングが出てこなかったのでしょうか。「ハリス様から牛乳の献上です」なんて差し出され、「角が生えるから嫌じゃ」なんてギャグをもうけてほしかったのですが。

 史跡紀行ではちょこっと出てきた静岡県下田市の玉泉寺を紹介していました。玉泉寺にはハリス記念館のほかに牛乳の碑、屠殺木、ディアナ号遭難者の墓所などがあります。すごく気になったのは屠殺木と呼ばれる仏手柑の木の跡。領事館員の食糧のため、この幹に牛をくくりつけて殺したそうで、たしかにこれまで牛馬を喰らう風習のなかった村人は面くらったことでしょう。今回は玉泉寺とハリス記念館のスタンプをUPします。

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2008年05月11日

『篤姫』第19回「大奥入城」

 篤姫いよいよ大奥入りです。
 起きるときも指示があるまで起きれない、食事中にも髪を結うなど大奥のしきたりに戸惑う様子。魚はひと口食べただけで新しいものに取り替えていたようです。そのしきたりに従わないのがいかにも篤姫といったところでしょうか。
 本寿院や側室のお志賀の方(鶴田真由)とも第一印象はよく、まだ確執は出てこない様子。滝山と幾島の争いはすでに始まっていましたが。家定唯一のお志賀の方は生没が不詳ですが、家定よりもひとまわり年上だったといわれます。家定死後は落飾して豊倹院となりますが、それにしても没年も不詳とは本当にひっそりと亡くなられたのでしょう。
 肝付改め小松尚五郎は新婚で平和な日々を「のうのうと過ごすので死んでる気分」と云っていましたが、これは『三国志』の劉備の「脾肉の嘆」といったところでしょうか。暇な田舎暮らしが合わないのでしょう。
 あと桐野先生のブログにもありましたが、「駿河の下田」は明らかに脚本家のケアレスミス。伊豆の人が聞いたら怒りそうです。『風林火山』のときにも年号違いがありましたが、NHKというのは校閲部とかしっかりしていたのではないでしょうか。まあ最近はどこもかしこも人員削減の傾向は見られますが。
 最後に篤姫と将軍家定の初対面となりました。ミカンを投げたり、かくれんぼしたり、病弱とはいわれていますが、ずいぶんと元気な将軍様ですね。

史跡紀行では皇居東御苑や大手門などを紹介していました。皇居東御苑はスタンプもありますが、今回は未訪のため割愛させていただきます。

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2008年05月18日

『篤姫』第20回「婚礼の夜」

18日取材に出掛けておりましたので、1日遅れのUPとなります。
 今回のストーリーは「将軍家定はうつけか否か」のような展開で流れていきました。まあ、たしかに家定にとってあのような婚礼儀式は三度目だから疲れるのでしょう。篤姫の江戸入りが嘉永6年(1853)で、婚礼が安政3年(1856)12月18日ですから、江戸にきて3年。随分と長くかかった嫁入りでした。
 大奥で重要となる床入りですが、屏風ごしに待上臈と茶坊主(女)が控えており、寝所での会話などを報告する義務があるため、プライバシーなどありません。家定は「面白い話をしろ」といい、篤姫がハリスなど政治がらみの話をすると嫌がります。昔話を命じた篤姫は一言話してすぐに寝入ってしまいますが、これを報告された本寿院はダウン。その後、篤姫の寝所へのお渡りがなくなってしまいます。このあたりの史料は桐野先生の『膏肓記』が詳しいのでこちらをどうぞ。
 で、篤姫は家定の本性を見極めるため、家定と一緒にアヒルを追いかけ、危うく池に落ちそうになるところを家定に救われる。この一件で家定は暗愚でないことを悟ります。しかし、これでは話としておもしろくありません。家定が暗愚か聡明か見極めるなら、もう少し家定の行為に付き合うべきでしょう。一緒にお菓子をつくったり、かくれんぼしたりするとか。

 史跡紀行では鹿児島県日置市日吉町吉利の小松帯刀ゆかりの史跡を紹介していました。帯刀像のある清浄寺、お仮屋敷、鬼丸神社、園林寺跡などを紹介していました。鹿児島と水戸は廃仏毀釈が盛んだったようですが、その爪痕が残っていましたね。なお、日置市は2005年5月に広域合併で誕生した市で、今回紹介された吉利は旧日吉町にあたります。かつては伊集院~枕崎を結ぶ鹿児島交通南薩線がありましたが、昭和58年(1983)の豪雨災害のため、翌年3月に廃止となってしまいました。もちろん未訪の地ですので写真やスタンプは割愛させていただきます。

婚礼や床入など大奥の話題が多くなってきましたが、大奥の職制やしくみを知るには下記の本をおすすめします。

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『大奥』(清水昇・川口素生 共著/新紀元社)
A5判 1995円 ISBN978-4‐7753‐0595‐9

2007年12月発行。おなじみ歴史作家で著作を多数出している清水・川口両先生による大作です。本書は①大奥とは、②大奥と将軍をめぐる陰謀、③大奥の歴史、④徳川将軍家の妻妾や生母などの資料編と4部構成にし、1・2章を清水氏、3・4章を川口氏が執筆しました。江戸時代の大奥全般について詳しく紹介し、まさに「大奥大事典」と呼ぶにふさわしい一冊です。

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2008年05月25日

『篤姫』第21回「妻の戦」

 篤姫へ二度目のお渡りがみられないため、本寿院・歌橋・滝山・幾島の四つ巴の密談。大奥での髪型おすべらかし・根取り下げ・おまた返しなど出てきましたね。家定の興味をひいてもらおうと、篤姫を人形のようにいじくりまくり、生け花のようにかんざしを頭にさす。「重い、首が折れる、減らしてくれ」は宮崎あおいがやっているからよりリアリティを感じますな。あの髪型からして首の細い彼女は、何時見ても首が折れそうで心配ですから。
 結局、篤姫の懇願で将軍家定はお渡りすることになります。うつけなのか否かを問い質す篤姫。今回の物語は家定にしろ、お志賀にしろ、滝山にしろなかなか実体をつかませないですね。家定は「わしには子はできんぞ」「もつ気もない」と云っていますが、このあたりは家定が性的不能なのか気になるところですが、このあたりは桐野先生のブログで史料とともに解説されていますので、ぜひそちらをお読みください。
 篤姫は側室のお志賀の方を呼び寄せ、公方のことを聞くと、お志賀は「純粋に好き」といい、篤姫はそのことを将軍に問い質す。愛情と嫉妬の愛憎劇のはじまり--お志賀の方は独占欲が強かったとされていますが、このあたりはドラマでどう描かれるのでしょうか。

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 史跡紀行では、小江戸の埼玉県川越市を紹介していました。川越は当社制作の『天璋院篤姫と幕末を旅する』(四條たか子著/一水社)でも詳しく紹介されていますので、ぜひお買い求めのうえお読みください。川越は昨年10月30日に初めて本格的に取材しました。このときテレビで出てきた氷川神社・喜多院なども訪れましたし、なぜか鹿児島とも縁が深いサツマイモも紹介されていましたね。時の鐘をはじめ、蔵造りの町並み、駄菓子屋横丁など江戸を思わせる町は散策におすすめです。

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2008年06月01日

『篤姫』第22回「将軍の秘密」

はい、ほぼ週遅れでUPします。当日は総会があってこちらの報告を先にUPしまして、その後のハードスケジュールにて更新が遅れてしまいましたm( )m。
 今回の注目どころは公方(家定)は本当にうつけかどうか、そして英明だが自信過剰の一橋慶喜の二者がメイン。一橋慶喜に関しては桐野先生の『膏肓記』が詳しいです。その間に備後福山藩主の老中阿部正弘(草刈正雄)が亡くなってしまいました。あまりにもあっけない死でしたね。
 さて、今回の「将軍の秘密」ということで、うつけのふりをしていたが実は英明だったということになり、それはあまりにも過大評価ではと物議を醸しています。たしかにこれでは信長ですね。それにしても家定公がここまで国政を考えているなどとはちょっとびっくりの展開でした。
 家定曰く「阿部が挙国一致の政事をしていたので、幕政は阿部に任せておけばよかった。将軍はお飾りでよかったが、阿部が亡くなったのでうつけのままでおられなくなった」などと申していますが、後継には自信過剰の慶喜は好かぬ様子です。でも、そのうつけの理由が馬鹿らしい。家慶の子で唯一生き残ったのは家定だけで、他の子は早世。ここには大奥の陰謀で毒をもられてみな亡くなったとされています。そして家定も毒をもられ、もう身体がボロボロといっていますが、随分活発に城内を駆け回る姿からそれはないかと。それにもし毒をもられているのなら脳には影響は出ていないのでしょうか。一説には脳性麻痺といわれているのに……。
「わしを残したところで何もならない。天に分からせてやりたかったのじゃ」
と駄々こねる公方様。信長公の不良時代は少年期のことですが、30過ぎたおっさんがやることですか!
 まあ、若くして未亡人となってしまう篤姫様が可哀想だからこういう設定にしたのでしょう。母性愛で救おうとする篤姫に対し、「わしは誰も信じぬ」という家定。さて二人の夫婦愛はどうなりますことやら。

 史跡紀行では阿部正弘の故郷、備後福山(広島県福山市)の福山城を紹介していました。ここは以前、宮本武蔵の取材の際、原稿を書いたことはあるのですが、予算がとれず現地取材はできませんでした。ただ福山駅のスタンプはありますのでそれをUPしたいと思います。福山には競馬場もあるので一度は行ってみたいものですが、西日本エリアは東京からだと動きづらいです。せめて名古屋・京都・大阪ぐらいに拠点がないと。

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2008年06月08日

『篤姫』第23回「器くらべ」

 今週もドタバタ劇が続き、またもや更新が遅れてしまいました。
 水戸斉昭が老中阿部正弘の死後、開国派の堀田正睦とは合わず、幕政から退任することになり、斉昭嫌いの大奥は大喜び。一方の家定は篤姫に徐々に心を開きはじめ、五目並べをやるようになります。
 で、今回のテーマは篤姫が将軍候補の一橋慶喜と慶福(のちの家茂)の両者に会って、どちらがふさわしいか品定めすることになります。自信過剰で本心を見せない慶喜。続いて慶福(松田翔太)が初登場。桐野先生の『膏肓記』にもありましたが、どうみても史実の年齢が合わないです。この当時慶福はまだ12歳。故松田優作のサラブレッドがいくら若づくりしてもムリがありましょう。そういえば2002年の大河『利家とまつ』でも、12歳のまつを松嶋菜々子が演じていましたが、あれもムリがありましたな。もう少し子役で引っ張らせてよかったのに。
 菓子好きだったという史実にちなんでか、慶福が菓子をもらうシーンありました。しかも生菓子が傷んでいることを即座に嗅ぎ分ける慶福。「毒見はいらん」と立派な応対をして篤姫に気に入られます。それにしても「菓子」という共通点でいけば、むしろ将軍家定と話が合いそうな気もしますが。
 結局、一橋慶喜を将軍に推すために御台となった篤姫ですが、大奥に感化されて慶喜嫌いになったというより、自分で見極めたという形をとりたかったのでしょう。しかし、島津斉彬の企てが本寿院にばれ、次回では比較的良好だった嫁姑の戦争が勃発しそうな雰囲気です。

 史跡紀行では鹿児島県錦江町・南大隅町の大隅半島佐多岬や佐多旧薬園などを紹介していました。ここでは茘枝(レイシ)の栽培も行われていたようです。茘枝というのは広東語でいうライチのこと。その昔、唐の楊貴妃が好んで食べた「幻の果実」といわれ、僕が小さい頃は一度しか口にしませんでしたが、今や珍しくもなくなったようです。今回は未訪の地のため写真・スタンプは割愛させていただきます。

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2008年06月15日

『篤姫』第24回「許すまじ、篤姫」

篤姫と家定、五目並べでいい雰囲気になっていますね。囲碁をやっていた於一と尚五郎とのような関係になりつつあるのでしょうか。ここでハリスが将軍との謁見を望み、しかも立って面会するといいます。「郷に入って郷に従わない」ハリスに対し、篤姫はハリスの背丈を調べ、畳を積み上げて家定が上座にいるように仕掛けます。ここで斉彬の密命を受けた幾島がハリスとの謁見の際に、慶喜を傍らに置くことをすすめ、篤姫が家定に請うとOK。反面、お渡りがなくなり存在価値のなくなったお志賀は、ひたすら千羽鶴を折り続けています……もう少しドロドロ感が出てもよさそうなものですが。
 ハリスとの謁見で家定はついうつけのクセが出てしまったとのことですが、将軍らしい応対であったともいえましょう。ハリスの日記では家定は脳性麻痺の症状があったと書いていますが、どちらが本当なのかは知る由もありません。一方、慶喜を傍らに置かせたことに対し、怒り狂って倒れてしまう本寿院。相変わらず慶喜と滝山は本心を見せず不気味といったところでしょうか。しかも、ハリスとの謁見においてますます慶喜嫌いになる家定。どうしたものでしょうか。
 史跡紀行では今回、一橋擁立派として登場した松平慶永(春獄)の故郷である福井市を紹介していました。テレビに出てきた福井城跡や福井神社、養浩館などは未訪の地ですが、福井駅はスタンプを押していますので、古いスタンプをUPします。右は国鉄の「わたしの旅スタンプ」時代のものでしたが、2008年3~4月にかけてJR西日本エリアではスタンプが一新されました。現在のものは「北の庄城址 越前六十八万石 永平寺歴史ロマンあふれる駅」というシャチハタ形式のものです。さすがに新しいスタンプは間に合わないので古いものでご勘弁ください。

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あとよろしければこちらもどうぞ。

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2008年06月22日

『篤姫』第25回「母の愛憎」

 大河ドラマもいよいよ前半を終え、折り返し点に来ました。しかし、中だるみになり視聴率も苦戦し