暮らしの風景

7月4日掲載記事に続く
 

 

車は一路マリンボン村へと向かった。この辺りは盆地なので、窓外には実り豊かな水田が広がる。しかし天候はあまり良くない。3月上旬と言えば、同じインドネシアに有りながら、観光で有名なバリ島は、もう雨季はほとんど終わっている。しかしスラウェシ島は、まだ雨季の真っ最中のようだ。来た時期が悪かったかなあ!

葬式の会場。大勢の人々が遠方から訪れる

葬式の会場。大勢の人々が遠方から訪れる

 

待合室の中ではコーヒーやクッキーが、まず最初に出される。やがて4~6時間が経つと、パッピオン・バイが振る舞われる

待合室の中ではコーヒーやクッキーが、まず最初に出される。やがて4~6時間が経つと、パッピオン・バイが振る舞われる

 

9時15分に宿泊中のホテル、ルタ・リゾートを出発し、11時25分にマリンボン村に到着した。葬儀会場となる場所は、故サレス・サスさんの家の近くの広場だ。そこには急ごしらえの小屋が、大小8棟も建っていた。地面に柱を次々と打ち、簡素な床を敷き、トタン屋根をかぶせただけの、四方吹き抜けの小屋だ。それらの小屋には、次から次へと弔問客が集まって来る。

 

「凄い人数だなあ! 」
と感嘆の声をあげた。そしてアンドリアノに尋ねた。
「この人たちは、皆タナ・トラジャの人々なの? 」
「いや、必ずしもそうではない。もちろんマカレやランテパオなど、近郊の町から来た人たちもいるけれど、他方マカッサル(同じスラウェシ島の南端の町)やマナド(スラウェシ島の北東端の町)から来た人たちもいる。更にはジャカルタやボルネオ、それにパプアなど、他の島々から来た人たちもいるんだ」

 

つまり遠い親戚もいれば、遺族の男性が出稼ぎ先で知り合った人たちもいる、という事なのだ。

 生き豚をガスバーナーで焦がす

生き豚をガスバーナーで焦がす

 

更に生き豚が運ばれて来た

更に生き豚が運ばれて来た

 

やがて生きた黒ブタを、竹ざおに縛り付け、二人一組の男性たちが、その竹ざおを肩に担いで、次から次へと、こっちに向かって歩いて来た。凄いブタの数だ。

 

「この葬儀場には、ワン・グループ60人から80人が、集まって来るんだ。恐らく全部で30グループ以上来ているはずだ」
とアンドリアノ。彼の言っている事が正しければ、この葬儀場には1800人以上の弔問客がいる事になる。なるほど、そのくらい居るかも知れない。
「ワン・グループがそれぞれ5~6頭のブタを用意してくれるんだ」
という事は、全部で少なくとも150頭のブタが集まった計算になる。ああ、そのくらい有りそうだ。これらのブタの半分は、今日ここで調理し、弔問客に振る舞われる。残り半分は遺族が食するそうだ。

 

別の場所では、すでに黒ブタをガスバーナーで焼いていた。最初から最後まで、ブタをガスバーナーで焼くのではなく、調理に入る前の焼きこがしである。そしてブタの腹を切り裂き、内臓を取り出していた。もちろん内臓も調理される。

 

ひとつ不思議に思った事がある。ブタの数の多さには驚いたが、水牛がそれ程多くはない。かつて21年前、この地方の葬儀に参列した時には、水牛の数の多さに圧倒されたものだった。きっと家柄の格の違いであろうか。

喪主のダリオ青年。この葬儀の為に1年間ジャカルタで働き、ついこの間タナ・トラジャに帰って来た。この葬儀の後には、1週間にわたり舞踊などの行事を主催する

喪主のダリオ青年。この葬儀の為に1年間ジャカルタで働き、ついこの間タナ・トラジャに帰って来た。この葬儀の後には、1週間にわたり舞踊などの行事を主催する

 

アンドリアノは故サレス・サスさんの孫、ダリオという青年を紹介してくれた。彼はアンドリアノの仕事仲間で、やはりタナ・トラジャのツアー・ガイドをしているという。

 

「よくいらして下さいました。僕の名はダリオです。僕の本職はツアー・ガイドなんですけど、祖母が亡くなってから1年間は、もっとカネになる仕事をしようと、ジャカルタに行って肉体労働に励んでいました」

 

ダリオさんは仲々、穏やかな物腰で話してくれた。彼は礼儀正しい人のようだ。

 

「あと4時間くらいで、パッ・ピオン・バイ (注3)が出て来ます。それまではクッキーとコーヒーで、お寛ぎ下さい」
とダリオさんが気づかってくれた。

 

8棟の小屋の中では、無数の弔問客がコーヒーを飲みのみ、クッキーを食べたべ、雑談に興じている。しかし騒ぐ人はなく、トラジャ族のマナーは良い、と感じた。

 

パッ・ピオン・バイが出されるまで、4時間も待つことは出来ず、僕はこの家をあとにし、別の場所へと観光に向かったが、後日タナ・トラジャの街なかのレストランで食べたパッ・ピオン・バイは実に旨かった! 竹筒の中で蒸し焼かれたブタ肉の旨みと、ココナッツの円やかな味が、実に程よく調和した絶妙な風味である。これこそタナ・トラジャの名物料理と言えよう。

トラジャの名物料理パッピオン・バイ。ホテル・ルタ・リゾートにて撮影。スッゴク旨かった

トラジャの名物料理パッピオン・バイ。ホテル・ルタ・リゾートにて撮影。スッゴク旨かった

 

今は亡きサレス・サスさんの遺体は、火葬される事はなく、そのまま土中に埋められるという。トラジャ族の葬儀では、遺体を火葬する事は有り得ない。

 

では彼らトラジャ族の宗教は、いったい何なのか? 実は国民の87パーセントがイスラム教徒というインドネシアにあって、トラジャ族の宗教はキリスト教である(プロテスタント60パーセント、カトリック35パーセント、その他5パーセント)。

 

しかしながら、彼らの生活を今なお支えているのは、前述のアニミズム(アルック・トドロ)である。アルック・トドロこそが、彼らの価値観の根底にあるのだ。それが葬式に表れ、お墓作りにも表れている。トラジャ族という民族は、神仏共存という国から、はるばるとやって来た僕にとっては、大変に親しみを感じる民族だ。

 

次回はトラジャ族の「お墓めぐり」を記したい。

 

(☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

(注3)パッ・ピオン・バイ (Pak Piong Bai )とは「ブタの竹筒焼き」の意味である。ブタ肉の切り身をココナッツの切り身と混ぜ、竹筒に入れ、焚き火で蒸し焼きにするという料理だ。バイBai とはトラジャ語で「ブタ」の意味である。これが公用語のインドネシア語だと、ブタのことはバビ Babi という。

 

( 2016年7月24日投稿 )

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