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北緯35°41′27″ 東経138°27′40″

日本列島の最北端北海道稚内市と最南端鹿児島県佐多岬の二点を結ぶ円で囲んだ中央が、日本の最東端南鳥島と最西端与那国島との中心の経線と交差する地点。

日本列島のへそ

日本列島のへそ

モモの畑と甲斐の山々

モモの畑と甲斐の山々

モモの畑と甲斐の山々

モモの畑と甲斐の山々

 

○へそと言われる地はフォッサマグナ地帯でまさに日本列島の東・西日本の境目。

 

フォッサマグナとは大地溝帯(日本列島が作られた時に出来た溝)で、新潟県の糸魚川~静岡にいたる構造線西側の境目である。東側の境目は新潟県柏崎~千葉構造線である。フォッサマグナはヨーロッパとアメリカの境目でもある。

 

フォッサマグナ地帯の東西両側には日本列島の基盤をなす最古の地質が関東山地及び赤石山脈としてある。新しい地層がほぼ帯状に平行に分布している赤石山地及び関東山地が、もとは一連のもので西日本外帯の帯状構造によるからである。

糸魚川~静岡構造線

糸魚川~静岡構造線

糸魚川~静岡構造線

糸魚川~静岡構造線

糸魚川~静岡構造線

糸魚川~静岡構造線

糸魚川~静岡構造線

糸魚川~静岡構造線

中央構造線(長野県安康)

中央構造線(長野県安康)

中央構造線(長野県安康)

中央構造線(長野県安康)

東西の判る構造線

東西の判る構造線

東西の判る構造線

東西の判る構造線

伊那の中央構造線

伊那の中央構造線

中央構造線伊那

中央構造線伊那

分杭峠

分杭峠

 

○韮崎市とは、山梨県北西部の中心都市、戦国時代の武田氏発祥地であり、同時に武田勝頼が最後まで織田、徳川と戦った新府城があったところで古社寺や遺跡が多い。

 

江戸期に甲州街道宿場街として栄え、富士川水運の拠点となった。現在でも峡北地帯の交通の中心地で穀倉地帯である。

 

1892年(明治25年)中央本線開通とともに一時活気を失うが、1919年(大正8年)バス運行により活気が出る。

 

1957年(昭和29年)10月、北巨馬郡韮崎町と穂坂、藤井、中田、穴山、丹野、清哲、神山、旭、大草、竜岡の10村が合併して市制施行。

 

市名は八ヶ岳泥流の裾野丘陵である七里が岩の台地がニラの葉のように突き出た所、又はニラが群生する突端のこととされている。

 

北東部は秩父多摩国立公園に指定されており、北は八ヶ岳中信高原国定公園、西は南アルプス国立公園に指定されている景勝地。

 

釜無川をはさんで南アルプスなどの山々に囲まれ、山麓の山裾の丘陵地は畑地が多く、モモやブドウなどの栽培が盛んである。

 

市中心は釜無川と塩川との合流点に位置し、古くは甲州街道、佐久往還、駿信往還の分岐点として発達し、富士川水運の終点でもあった。

 

また、街道の重要な傳馬宿で信州、甲斐、駿河の物資の交換や発送、更に盆地と八ヶ岳山地の流通センターの役割を果たして賑わった。

 

○日本列島へその地は武田氏が滅び徳川氏が天下統一の足掛かりを掴んだ地。

新府城跡①

新府城跡

新府城跡

新府城跡

新府城本丸

新府城本丸

新府城跡(新府中韮崎城)は1582年(天正9年)武田勝頼が真田昌幸に命じて築城した平山城。中央構造線・フォッサマグナ地帯の高遠城(現長野県伊那市)から甲府に戻った勝頼は、八ヶ岳火山の泥流による七里が岩の上で、地形を活かしている。織田、徳川の甲斐侵攻により、自ら火を放って滅びた。織田が亡んだ後徳川家康が修復して本陣とし、北条を滅ぼし天下統一の足掛かり掴んだ城として知られる。

 

( 2015年9月27日寄稿 )

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