両国回向院(えこういん)に信州善光寺ご本尊がお出まし  by 菊地 正浩

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平成25年4月27日~5月19日、東日本大震災の被災者に阿弥陀如来との結縁(けちえん)により、復興の光を届けるため、「復幸支援」と称する出開帳が開催されている。

善光寺出開帳チラシ

お賽銭などの収益金は震災被災地の復興に充てられる。

戦後では初めて開催し、信州善光寺本堂に安置されている、御本尊「一光三尊阿弥陀如来」をお迎えする。回向院には新しい念仏堂も竣工、本堂前には回向柱が建てられた。多くの参詣者が柱に触れて結縁し、御仏のお慈悲を受けている。

両国回向院の出開帳
回向柱

両国国技館・江戸東京博物館の前では、東北各県の観光協会が特産物の展示販売を行なっている。ゴールデンウイークには「両国にぎわい祭」、大相撲5月場所を控えてスカイツリーの見える両国が熱い。

国技館前の物産展

 

 

< 日本三大出開帳 >

本拠地の「居開帳」に対し、他へ出張するのが「出開帳」。普段は拝めない秘仏や神体の扉、「帳(とばり)」を開いて、一般の庶民や信者に拝観の機会を提供し結縁のチャンスとすること。成田山新勝寺、信州善光寺、嵯峨野の清涼寺が出開帳の日本三大寺院である。

成田山新勝寺はご本尊が不動明王。元禄16年(1703)、五代将軍綱吉の母桂昌院により実現した。現在の深川不動尊の誕生である。商売繁盛の不動尊として知られる。毎年、豆まきの季節になると、相撲の関取や有名人が豆まきをする光景が報道される。

深川八幡不動尊

 

 

京都市右京区嵯峨野にある浄土宗清涼寺。生き仏「嵯峨野の釈迦堂」で知られる。法然上人が24歳の時、人々を救う仏教を求めて、同寺の釈迦堂の前で7日間こもったという由緒ある寺。永延元年(989)奈良東大寺の僧、凋(ちょう)然(ねん)上人が宋から持ち返った釈迦如来を安置するため、発願によって建てられたことになったが、凋然の没した1016年、弟子の盛算により完成を見た。

信州善光寺は、ご本尊が一光三尊阿弥陀如来。創建以来約千四百年の歴史がある。ご本尊は、欽明天皇元年(552)、仏教伝来のおりに百済から日本へ伝えられた、日本最古の仏像と言われる。信濃国司の従者、本田善光が都へお連れし、皇極天皇元年(642)に現在地に祀り、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられた。

両国回向院出開帳は、元禄5年(1692)より始まり、江戸時代に大人気を博した。空前の賑わいをもたらした安永7年(1778)では、60日で1603万人の参詣があったと言われる。江戸は人口百万という、世界屈指の都市であり、日本全国でも4~5千万人なのに、いかに多くの参詣者で賑わった、というより大盛況であったかが判る。単純計算でも一日あたり267千人の参詣者である。一体どうやって人数を数えたのか?。

 

( 2013年5月12日 寄稿 )