画聖が紡ぐ旅先の出会い ~長野県伊那市高遠町へ~  by 野﨑 光生

 

<信州への旅>

長野県伊那市高遠町(いなしたかとおまち)を訪ねた。

高遠町は江戸時代に4代将軍家綱を支えた保科正之が、高遠藩主を勤めていた歴史ある町で、現在は高遠城址のタカトオコヒガン桜でも全国的に知られている。

この町を旅したのは、以前から中村不折(なかむらふせつ)(1866~1943年)の足跡をたどりたいと思っていたからである。計画性もなく出かけたのだが、不折の作品を軸に、地元の人たちの心温まるもてなしを受けるありがたい旅となった。

桜の季節の高遠城址

桜の季節の高遠城址

 

<中村不折とは>

中村不折は、明治から昭和にかけて活躍した洋画家であり書家である。洋画は東京国立近代美術館などに所蔵されているほか、夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵、新宿「中村屋」や清酒「日本盛」のロゴを書いたことでも知られている。

不折は江戸に生まれたが、明治維新の混乱を避け、母の郷里である高遠に一家で移り、幼少期から青年期をこの町で過ごした。そのため、今も高遠町周辺には不折の作品が数多く残されており、地域の人たちがそれらを大切に保存している。

「不折画虎渓三笑図」(伊那市立高遠町歴史博物館蔵)

「不折画虎渓三笑図」             (伊那市立高遠町歴史博物館蔵)

 

 

<旅先の出会い>

私は以前、仕事で何度も高遠町を訪ねており、いつしか不折の作品や人となりに魅かれていった。そして、いずれ仕事ではなくプライベートで氏の足跡を訪ねたいと思っていたが、その夢がようやく叶ったというわけだ。

さて、自宅から車で4時間ほどかけて高遠町に到着し、まずは、信州高遠美術館と伊那市立高遠町歴史博物館(以下:歴史博物館)に足を運んだ。ところが、不折の作品はほとんど展示されていなかったのである。それもそのはずで、昨年(平成28年)は不折生誕150年の記念すべき年で、各種の企画展が行われ、会期を終えて作品は収蔵庫に戻されていたのだった。

万事休す。しかし諦めきれず、歴史博物館の窓口で相談したところ、長野県立高遠高等学校の生徒さんが作った「お散歩気分で学ぶ町」というパンフレットをいただいた。これは高遠周辺に残る不折の作品を案内したものである。その冒頭に、北原さんという収集家の方が掲載されており、歴史博物館にお願いしてこの方を紹介していただいた。

伊那市立高遠町歴史博物館の全景

伊那市立高遠町歴史博物館の全景

 

<郷土の誇り>

早速、北原さん宅に伺ったところ、不折の作品を虫干し中とのことで、快く数十点もの作品を見せてくださった。しばし、美術館さながらの垂涎の作品を間近に拝見させていただいた。

興味深かったのは、北原さんが広く美術品を収集するのではなく、郷土出身の画家にこだわっていることだった。つまり不折は地元の人にとって誇りであり、それに十分値する地域の宝なのである。そのことを地縁のない私は大変羨ましく感じた。突然の訪問にも関わらず、北原さんの造詣深い美術談義や採れたての信州りんごなど、最高のもてなしをしていただいた。

「王義之とガチョウ」(北原氏蔵)

「王義之とガチョウ」(北原氏蔵)

 

<看板は身近な作品>

さて、北原さん宅を出て、歴史博物館にお礼の電話を入れたところ、学芸員の林さんから「調査研究のためであれば、収蔵庫の作品を見られるように手配してみる」との、ありがたいお話をいただいた。

そこで歴史博物館に戻ると、収蔵庫で不折の作品を見せてもらえることになった。

早速見せていただいたのは、不折が揮毫した「北原薬局」と堂々とした字で書かれた大きな看板(縦875×横幅2,625ミリ)である。不折は洋画や書などの芸術品だけでなく、町内にある商店の看板も数多く手掛けており、それによって地元の人々は不折を身近な芸術家として感じていたのである。

不折が揮毫した「マルニ北原薬局」の看板(伊那市立高遠町歴史博物館蔵)

不折が揮毫した「マルニ北原薬局」の看板(伊那市立高遠町歴史博物館蔵)

 

<生活の中の書>

一方で、不折の生活の一端を垣間見る書簡も保存されていた。

不折は後年、東京で活躍するのだが、本名は「中村鈼太郎」といい、「中村不折」という名前では郵便が届かないことがしばしばあったようだ。そこで、高遠町長宛に改名を依頼する手紙を出していた。その内容も興味深いのだが、さすがに高名な書家だけあって「書」自体も美しく、手紙を超えて美術品そのものであると感銘した。

不折の手紙は美術品そのもの(伊那市立高遠町歴史博物館蔵)

不折の手紙は美術品そのもの(伊那市立高遠町歴史博物館蔵)

 

<生誕150年>

ところで、平成28年は不折生誕150年にあたり、さまざまなイベントが伊那市内外で開催された。

歴史博物館での「己を広げ 己を高め」は、不折の歩みや心情を鑑賞できる質の高い企画展。また興味深いのは、長野県伊那文化会館で開催された、普段見ることのできない個人のコレクションを一堂に展示した「私たちのコレクション展」である。そして伊那市創造館での「中村不折の挿絵と商業美術」など、地元ならではの企画展が多数開催された。

また、不折ゆかりの台東区立書道博物館(東京)でも、「中村不折 生誕150年記念展」が2期にわたり開催され、不折の作品や親交のあった夏目漱石の書簡などが展示された。

しかし、残念なことに私はこうした情報を事前に知らなかった。自身のアンテナの低さもさることながら、はたして全国の不折ファンに、情報が十分に伝わっていたのだろうか?とも感じてしまったのである。

 

<地域資源で観光振興>

さて、旅先での夜は、地元に住むかつての仕事仲間と談笑したのだが、皆一様に不折を誇りに思っていた。しかし、私が遠路、不折を目的に訪ねてきたことには驚いていたようだ。これは、不折という地域資源が全国ブランドであるにもかかわらず、それほどまでとは思いもよらなかったということだろう。

地域資源を見つめ直して再評価し、地域内外の潜在的な需要を掘り起こす。そして、それらをつないでいくことで、初めて地域がにぎわう観光が生まれるのである。つまり、不折という地域資源を客観的に再評価し、全国いや世界に潜む不折への興味や関心を掘り起こす。そして、それらを情報発信によってつないでいくことで、この町の宝が光を放つことになる。観光は「放たれる光を見ること」である。

 

<感謝の旅>

私は、旅の究極の楽しみは、その地での人々とのふれあいだと思っている。

画聖「中村不折」が、縦糸と横糸で織りなすように、旅先での出会いを紡いでくれたように感じた。不折をはじめ多くの人たちに、感謝の気持ちでいっぱいになった信州伊那市高遠町への旅であった。

 

 

伊那市立高遠町歴史博物館

http://www.city.ina.nagano.jp/shisetsu/library_museum/rekishihakubutsukan/riyoannai/hakubutsukan_tenji.html

 

信州高遠美術館

http://www.city.ina.nagano.jp/shisetsu/library_museum/takato_museum/museum_annai/museum_gaiyo.html

 

( 2017年1月30日 寄稿 )

 

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