世界遺産登録をめざす銅山遺跡「蘇るか足尾銅山」2

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復興に向けて
被害民は地元選出の田中正造代議士を中心に、鉱山の創業停止を求めたが聞き入れられず、明治33年(1900)、請願のため東京に向った約3,000人が警官隊や憲兵と衝突した事件や明治34年(1901)、田中代議士による明治天皇への直訴事件は有名である。このように足尾銅山は公害問題の原点として世に知られているが、日本の近代化に果たした貢献も大きなものがある。大正5年(1916)には、人口がピーク3万8千人を数え、宇都宮市に次ぐ繁栄をみせた。
銅山は昭和48年(1973)に閉山されたが、現在旧坑道の一部が銅山観光用の見学ルートとして残されており、トロッコ列車に乗って実際の坑道に入り、楽しみながら当時の状況を学ぶことができる。禿山となった松木渓谷のほうも砂防ダムの建設、治山、治水、植林事業等復興に向けての努力が今も続けられている。
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世界遺産への登録をめざして
石見銀山が近代化遺産として世界遺産登録された話題は耳新しい。足尾の近くでも群馬県富岡製糸場が名乗りをあげている。足尾町では3年前に地域住民が「全町地域博物館化構想」の、まちづくり策定委員会を立上げ、足尾銅山一帯を産業観光資源と位置づけ運動を開始した。しかし、所有の古河機械金属㈱は古河グループ発祥の地でありながら、積極的な関与はしなかったという。一方、数年前から民間主体で足尾銅山の歴史に前向きに取り組むグループが活動、その先駆けとなった「NPO法人足尾歴史館」(館長長井一雄 通洞駅から徒歩5分。入館料300円。月曜休館。足尾銅山の歴史が貴重な写真や史料から学べる、足尾で生れ育ったというスタッフがボランティアで館内を案内説明してくれる)や平成18年10月に発足した「足尾銅山の世界遺産登録を考える会」等、活動の輪が広がってきた。
これらの動きに古河機械金属㈱も前向きな姿勢を示し、世界遺産登録運動に一定の理解を示すこととなった。地域住民の熱意に応えることと、事業継続を両立させるという課題も少なくない。しかし、古河の姿勢が一歩前進したことは地道な地域住民の活動といえよう。全町地域博物館化構想を進める課題は山積で前途は容易ではない。
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だが、観光資源は豊富である。足尾銅山観光、足尾歴史館、足尾砂防ダム、銅親水公園、足尾環境学習センター、日本のグランドキャニオン松木渓谷、足尾銅山精錬所跡、日本で初期時の道路鉄橋古河橋(写真)、間藤水力発電所跡、鉱山長屋、加えて渡良瀬川沿線の自然観光資源、特別天然記念物日本カモシカ、温泉等々である。定番の観光旅行に飽きた方、一度は訪ねて産業遺産、環境、歴史、社会問題を考える旅をしてほしいし、それだけの価値を持っている所であるといえよう。
パート3につづく。
投稿者:菊地正浩
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