クロマツのある風景ー市川市(1) by 森田 芳夫
- 2012.05.24
- 景観・暮らしを柱とする新しい観光地の在り方(MR)
江戸川をはさんで東京にもっとも近い千葉県の街、市川は、関東大震災や東京大空襲以来、都内から多くの文人、作家、実業家がこの町に移り住み、近郊住宅地として開けてきた。
私はこの町に住んで40年、我が家から歩いて5分くらいのところに永井荷風終焉の家があり、北には幸田露伴が晩年を2年間過ごした家が徒歩圏内にある。故東山魁夷画伯の旧宅も20分くらいの東の丘の上にあり、生前歩いてお伺いしたことがある。
JR市川駅と本八幡駅の北側に広がる住宅地には迷路のよう路地がたくさんあり、路地の奥には古風な門を構え、土塀をめぐらした昭和初期を彷彿とさせる邸宅が今なお数多く見受けられる。ほとんどの屋敷内には見事なクロマツが聳え、うるおいのある住宅景観を作りだしている。
市川の旧市街地は砂州の上にあり、江戸時代からマツの植樹が継承されてきた。昭和45年に制定された市川市の市木が「クロマツ」であり、都内から総武線に乗り江戸川の鉄橋を渡ってすぐ、左の車窓から点在するクロマツの姿をご覧になった方も多いだろう。
全国にはクロマツを市の木に指定している市町村は60を超すと言われているが、市川市は保存すべき巨木を指定し、特定の大きさ以上の木には害虫駆除作業を行うなど保存に配慮を示している。しかしクロマツの約三分の二は個人の敷地であり、公共用地に少ないところから、近年大規模な植樹は行われていないという。
いずれにせよゆっくり住宅地を歩くと、クロマツと住み方が一体となってかもしだす風景があちこちに見うけられ、誰でも気に入る景色が一つや二つ見つかるに違いない。
私はこのクロマツのある風景で「まちおこし」ができるのではないかと、ひそかに思いを巡らせている。
それは次回で…。
( 2012年5月24日 寄稿 )
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