『座敷わらし』伝承の地 金田一(きんだいち)温泉  by 菊地 正浩

NO IMAGE

 

岩手県北唯一の温泉で十和田湖
陸中海岸への中継基地
歴史、文化と座敷わらしの古い伝承があり
今でも湯治場の雰囲気を残す
                            

 岩手県二戸市(にのへし)金田一(きんだいち)は、戦国武士金田一氏の本拠地で、金田一城は淵川左岸段丘5~10mの縁辺に位置した。北国だが積雪も最大60cmをこえることは多くない。

 

馬仙峡の展望台より男神岩の右二戸市、左金田一温泉、中央を流れる馬淵川

  地名の由来は南部氏の祖、光行の第四子の四戸氏から出た、金田一氏に因むとされるが、金田一氏が金田一の地名に因んだのかもしれない。
 

  江戸から明治22年までの村名は「金田市村」で、金田市、野々上、釜沢の3か村と下斗米村の一部が合併して金田一村に、昭和47からは二戸市の大字となる。二戸の中心地から馬淵川に沿って行くと、名勝馬仙峡の「男神岩・女神岩」が出迎える。

 

展望台のトイレ

 

和式の貯留式(高齢者・障害者は無理)

 地名は金田一(きんだいち)が正しく、明治42年「きんたいち停車場」として開設、昭和62年「金田一温泉駅」(きんたいちおんせんえき)と改称し何故か訛らないのだ。取材によると、どうやら訛るのを嫌ったという単純なことらしい。

  金田一の名は多賀城の碑に去蝦夷国界四百廿里とあり、「これよりおくみなえぞの地にて、祖調三事をつかうまつり公家の民たりし者はひとりもあらで奥蝦夷といひしえみしなれけん」とある。我が国を代表する国語学者・言語学者でアイヌ語研究者でもある金田一京助ゆかりの地でもある。長男は国語学者で日本の童謡にも深い関わりをもつ金田一春彦である。

 

☆ 金田一温泉「侍の湯」 
 寛永3年(1626)の開湯、正徳2年(1712)に南部藩士の湯治場となり「侍の湯」と呼ばれた。

 口碑だがアイヌの族長アテイルが湯浴みをしたともいわれ、1000年以上の古い歴史をもつ、我が国でも珍しいラジウム温泉である。鉱泉志によると、金田一湯田温泉は塩類性95℃、水浜の田園の中に湧出とある。「三方皆高丘、西方の一面は卑き岸を以て馬淵川に沈す。薬師を祀れる小丘の傍に一溶舎ありて、其の噴水孔は、時々変易す、其の発見年代は寛文十年庚戌にして泉質最も疥癒に効験あり」。これによると寛文十年(1670)ということになる。

 

おっとりした先代の娘さんが女将の仙養館温めだが温まるラジウム温泉

 

 

温めだが温まるラジウム温泉

 ☆ 座敷わらし
 南北朝以来の温泉場で旧家と称する緑風荘に「座敷わらし」の伝承があり、金田一温泉郷が一つ売物にしている。座敷わらしとは旧家に住み、その家の運命に関係あると信じられている精霊で、5~6歳位の男の子が白装束をまとい、旧家の奥座敷に午前1~2時頃にかけて出ると言われる。
 

 岩手県中央より南では「座敷ぼっこ」、県北地方では「座敷わらし」と呼ぶ。この幼童怪談は柳田國
男の「遠野物語」以来特に有名になった。

 

( 2012年9月11日投稿 )