童謡の里を訪ねて①~歴史の町・信州松代~ by 菊地 正浩
- 2012.10.23
- 地歴と旅(KK)
長野県長野市松代町は色々な歴史の舞台に登場する。武田信玄が上杉謙信と戦うための拠点として築かせた松代城。真田氏10代が城主として続き、城址は国の史跡に指定されている。
真田宝物館、真田家の菩提寺長国寺、真田邸。公武合体派の開国論者、佐久間象山の記念館、象山神社。川中島合戦の宝物を展示する天厩寺、記念館。
また、第二次世界大戦末期、軍部が本土決戦の拠点とし極秘に大本営、政府機関などを移すために、舞鶴山、皆神山、象山に地下壕を掘削した。地下壕は総延長5853mあり、そのうち500mが公開されている。何故童謡に詠われるような北信の長閑な松代だったのか。象山は硬い岩盤に加え、松代が地理地形に適した場所であったからである。
連合軍が千葉県九十九里から首都へ上陸すると考えて選定されたのは松代という地形と気象条件が大きかったといえる。山に囲まれ、発散、収斂、上昇、沈降を繰り返す気象条件は飛行機が低空飛行し極めて難しい。気流が発生し易く、戦闘機などが急降下して攻撃し難いからである。
そのような歴史の町が童謡の里でもある。
◇ ◇ 汽車ポッポ ◇ ◇
「 汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ
僕等を乗せて シュッポ シュッポ シュッポッポ
スピード スピード 窓の外 畑も とぶ とぶ 家もとぶ
走れ 走れ 走れ 鉄橋だ 鉄橋だ たのしいな 」
旧長野電鉄松代駅前には、草川信の「汽車ポッポ」の歌碑があり、訪れる人を楽しませている。作詞者は富原(ふはら)薫(静岡県御殿場市)で、地元の小学校に勤務する傍ら童謡の作詞をした。はじめは「兵隊さんの汽車」という題であった。御殿場駅から連日のように出征する兵隊さんの情景で、草川はそれを見事に曲として表わした。
郊外にある法泉寺。境内に入ると山上武夫作詞の「お猿のかごや」の歌碑がある。直筆の楽譜と詩の石碑があり、訪れる人も多い。
◇ ◇ お猿のかごや ◇ ◇
「 エッサ エッサ エッサホイサッサ お猿のかごやだホイサッサ
日暮れの山道 細い道 小田原提灯ぶらさげて
ソレヤットコ ドッコイ ホーイサッサ
ホーイホイホイ ホイサッサ 」
松代町西条295、法泉寺の玄関で歌碑のことを尋ねると、金髪の美女が応対に出てくれた。たどたどしい日本語で、山上武夫のことをよく知らないらしい。奥に入り聞いていたが、住職が出て見え歌碑まで案内してくれた。細い農道を尋ねた甲斐があった童謡の里である。
( 2012年10月23日寄稿 )
-
前の記事
三筋山での風車建設問題① いよいよ三筋山風車建設が動き出した by 森田 芳夫 2012.10.19
-
次の記事
これが東京下町、今なお残る昭和の世界・京島(墨田区)寸景 by 森田 芳夫 2012.10.31