これが東京下町、今なお残る昭和の世界・京島(墨田区)寸景  by 森田 芳夫

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 京成曳舟駅から話題のスカイツリーを背にして明治通りを10分ほど歩くと、突如右手に古い住宅群が現れる。地籍でいえば墨田区京島三丁目である。この民家群は更に南側へ続き、東武亀戸線の線路を境とする京島二丁目へと延びている。

スカイツリーの南東にある京島二、三丁目 「すみだ観光ガイドマップ」

 1945年3月の東京大空襲の折、風向きが幸いして奇跡的に焼け残ったこの地域は、複雑に曲がりくねった細い路地と、大正、昭和期に建てられて古い木造家屋と長屋で構成されている。

 木造家屋が密集しているこの地域へ足を踏み入れた人は、誰でも「まだ東京にこのような昭和の町が残っていたのか」と郷愁を禁じえないだろう。

路地の端に立つ物干し棹

 初めてこの街を訪れたとき、私はICUへ招かれて日本文化を教えるテッド・ファウラー講師(カリフォルニア大学アーバイン校人文学部教授・東洋学部長)と街中にある食堂で偶然出会った。各国からの留学生10人余を引率して街歩きを始めるところであった。

学生を引率するファウラ-教授とボランティア ガイドの藤井正明さん

 教授を紹介してくださったのは商店街「キラキラ橘商店街」で薬局を営む藤井正昭氏である。土地っ子である氏は路地の案内役など、京島地区街づくり協議会元会長として今なお活躍している。

キラキラ橘商店街にある 「おやすみ処 橘館」

 京島を歩くのことは自分の方向感覚を試しているようなものである。土地感に強いと自負する私でも、道に迷ってもと来た町角へしばしば戻ってしまう。何より路地が曲がりくねっていて先が見通せない上に、目標とする角の家を包み込む暮らしの雰囲気が、なんとなく同じように感じられるのがその一因である。

 

 三宅理一慶応大学大学院教授(建築史、地域計画)は京島について次のように記している。「いまはなくなりつつある古き昭和の世界がタイムスリップしたかのように残り、良い意味での平均的な日本人像が写し込まれている」。

あちこちに残る古い長屋

 9月30日の朝早く、藤井氏から「今日、午後からテッドさんがまたお見えになります。一緒に歩きませんか」と電話があった。

 テッドさんはICUで留学生を含む200人を超す教室で日本文化の講座を持っていると語ってくれた。ここをたびたび訪れる理由は、おそらく明治以降の小説や文芸作品に描かれた東京下町の庶民の暮らしを多少とも実感できるからであろう。

緑豊かな庭木は路地に潤いを与えている

 なお街歩きにはモデルコース入りの詳細マップ『kyojima 2,3chome roji-komi map 2011 京島』(定価200円)が便利。

 路地地図の裏はカラー写真入りの情報面。京島を特徴づける「長屋」の所在地、NHK「小さな旅」に登場した路地など30に近い路地の解説、江戸時代からある水路を埋めた曲がりくねった道、食事処ほか、歩くためのヒントがふんだんに載っている。

 浅草から吾妻橋を渡ったすぐ右の角にある「吾妻橋観光案内所」(アサヒビール前)、または京島の前記商店街にある藤井氏が経営する「山田薬局」で手に入る。

 

 ( 2012年10月31日 寄稿 )