和紙の里探訪2

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●武蔵国(武州)和紙の里~東秩父村・小川町~
 東秩父村は外秩父山地の北東部。昭和31年(1956)8月1日、槻川村と大河原村が合併、村の8割が山林である。和紙製造は奈良時代より続いており、約1300年の歴史と伝統を有し小川和紙の発祥地とされている。当時の面影を今に伝える和紙の里として、手漉き和紙の見学や紙漉き体験ができる。小川町は昭和30年(1955)2月、旧小川町、八和田村、竹沢村、大河村が合併。翌年、寄居町と一部境界変更して今日に至っている。南西部は800m前後の山々が盛り上り、北東部は100~200mの丘陵地である。南部は槻川、左岸に支流の兜川が流れ合流点が町の中心地である。穴八幡古墳、行人塚古墳群などがあり歴史は古い。774年「正倉院文書」の図書寮解や、924年延喜式などの文献に紙を奉じた記録が残されている。紙漉きが産業として栄えるようになり、江戸元禄期の文化、文政時代には江戸から最も近い紙の産地として発展していった。
 現在、東秩父村と小川町では、手漉き和紙業者12名が「細川紙」の技術保持者として伝来の家業に励んでいる。機械漉き業者4社と併せ、伝統的な和紙生産に加え、後継者育成、日本文化の伝統を担う産地として取り組んでいる。
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江戸末期の細川紙紙漉き家屋
●小川和紙:細川紙
 小川和紙を代表するものに「細川紙」がある。古くは武蔵紙とも呼ばれ、小川付近に移住してきた高麗人の技術がもたらしたとも言われている。宝亀5年(774)光仁天皇の頃、図書寮解「諸国未進紙並筆事」の条に、「武蔵紙四百八十帖、筆五十管」と記録されており、この地の和紙が献上されていたことを物語っている。その後の経過を表わす文献は見当たらないが、東秩父村、小川町で約1300年もの間漉かれ作られ続けている良質の和紙である。原料には楮100%を使用した未晒し紙で、独特の技術によって上品、素朴で丈夫な紙である。この地を代表する細川紙は、淡黄色の明るい紙色と光沢を持ち、地合の締まった、毛羽立ちが生じにくく強靭で存在感のあることが特徴と言われ、多くの愛好家に親しまれている。
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 由来については確たる文献など見当たらない。紀伊の高野山麓にある紙漉き村、細川村で漉かれていた奉書紙が、徳川幕府の初め武蔵国小川に移されたとも言われる。江戸の紙問屋からは一番近い唯一の紙漉き生産地であり、小川和紙の一種として「細川紙」を珍重したと言われる。その純粋性と強靭さは昔のままの姿で漉き続けられており、全国的にも類例が少ないことから、昭和53年(1978)3月、国の重要無形文化財に指定された。
パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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