童謡の里を訪ねて④  武田信玄が布陣した茶臼山   by 菊地 正浩

NO IMAGE

 

長野県長野市篠ノ井は長野市の南部に位置。JR篠ノ井駅で信越本線と篠ノ井線が分岐し、交通の要衝として発展した。

茶臼山は篠ノ井駅の北西約3km、信越本線の車窓からも近く見える。永禄4年(1561)、千曲川の対岸、妻女山にこもる上杉謙信との決戦を前に、信玄軍一万八千余が布陣したところである。犀川から千曲川沿岸の川中島平が一望出来る景勝地である。同時に地滑り地帯としても知られ、ところどころに防災施設がある。

眼下に川中島平が一望できる

 

この傾斜地を利用して自然植物園と動物園、恐竜公園、冒険の森などがあり、県内外からの観光客も訪れる。

茶臼山の時間で閉鎖するトイレと閉鎖後の仮設トイレ
茶臼山の時間で閉鎖するトイレと閉鎖後の仮設トイレ

 

 

童謡の森付近の時間で閉鎖されたトイレと仮設トイレ
童謡の森付近の時間で閉鎖されたトイレと仮設トイレ

 

< 童謡の森 >

海沼実作曲の「あの子はだあれ」の他、長野市出身の4人の童謡作詞・作曲家の歌碑が立ち並ぶ。草川信作曲の「どこかで春が」、「みどりのそよ風」や作詞家坂口淳、山上武夫である。「あの子はだあれ」の原作は「泣く子はだあれ」で、作詞は細川雄太郎である。

原作は

「泣く子はだアれ誰でしょね、なんなんなつめの花の下、お人形さんとあそんでる、可愛いミーちゃんじゃないでしょか

そして

「あの子はだあれ——-略——-かわいい美代ちゃんじゃないでしょか」

となる。

2番

「となりのユーちゃんじゃないでしょか」「けんちゃんじゃないでしょか」

と変更される。このユーちゃんとは作詞した細川雄太郎のことと思われている。

海沼実の「あの子はだあれ」

 

 

草川信の「どこかで春が」

 

< 細川雄太郎が作詞した、なつめの里公園 >

細川の故郷は滋賀県蒲生郡日野町木津の国道307号線沿いであるが、作詞したのは群馬県薮塚本町の「なつめの里公園」である。

藪塚本町は渡良瀬川の大間々扇状地中央部の町。明治22年(1889)、6村が合併して町となった。町名は中心集落であった藪塚村と本町村の合成である。中世まで赤土が覆う雑木林や荒地であったが、足尾銅山の開発による赤銅(あかがね)街道の発達や藪塚温泉により開発が進んだ。温泉は歴史も古く、天智天皇時代の発見とされる。元弘3年(1333)、新田義貞が鎌倉を攻めた時、傷ついた士卒を湯治させたという。

温泉街の入口にあるなつめの里公園が作詞の場所とされている。

なつめの里公園入口にある歌碑

 

温泉神社
日本一の一本足かかし「かかまる」があるトイレ
汚いボットントイレ

 

( 2013年5月4日 寄稿 )