松川地熱発電所を考える「松川温泉と八幡平温泉郷」 by 菊地正浩
- 2014.08.20
- 地熱発電と温泉

○坂上田村麻呂伝説と地名伝承
岩手県岩手郡松尾村。田村麻呂の陸奥蝦夷征伐に纏わる伝説がある。しかし、田村麻呂は松尾の地に足を踏み入れていないと言われる。蝦夷征伐の歴代の武将達のうち、松尾に足跡を残したのは小野春風と坂上好蔭(田村麻呂の曾孫)の二人だけとされる。
田村麻呂と源義家の伝説は、八幡平としては縁の深い武将であると語り継がれてきた。しかし、まちがいなく証明できる史実はない。あくまでも伝説上の人物の域をでない。
村名はアイヌ語のマトウ(深山に行くところに清水のある地)の転訛説。一方、田村麻呂の蝦夷征伐に関する地名伝承として、松川は魔の住む魔地川、松尾は鬼の出る境の魔地尾、寄木は賊の集まる寄鬼、時森は賊の大将登鬼森、八幡平は征討軍の旗8本を立てて戦勝祈願をした地と言われる。(松尾村誌、西根郷土史物語)
○歴史ある松川温泉
岩手山につづく山塊の中腹、標高800mの地点にある山の湯。開湯269年という歴史を持つ。岩手山、八幡平の登山入口として登山、スキー、湯治に親しまれ、松楓荘は日本秘湯の会の宿。硫黄泉で、硫化水素ガス特有の臭いが特徴。


○いまなお大部分の鉱石が眠る松尾鉱山
国立公園八幡平東方茶臼岳の南麓標高900mの高地にある。当時東洋一の硫黄鉱山と称せられた。明治15年、大長根の森林地内で硫黄の大露頭が発見され、大正3年、松尾鉱業㈱として開山。昭和初期から戦争時の生産増、戦後の食糧増産による硫黄需要の増加で繁栄した。鉱害には精錬用燃料となる薪を国有林で乱伐し、自然精錬による煙害で森林破壊が進み、薪から石炭への燃料切り替え、風力釜による煙害除去、沈煙室の設置などが実施された。昭和33年頃から化学繊維業界の不況、重油脱硫による回収硫黄の影響をまともに受け、同49年に60年にわたる歴史の幕を閉じた。閉山後も強酸性水の坑内水による汚濁があり、北上川流域にとって多くの問題を残したまま、義務者不存在の休廃止鉱山となるに至った。年間5億円強の管理費用が必要な清流化対策事業は八幡平に雨と雪が降る限り永久につづくと言われている。
○日本最初の地熱発電「松川地熱発電所」
時の村長が松尾鉱業所時代に電気関係の仕事に携わった人で、蒸気で電気を起こす話を聞いたことがあると閃き、議会にかけたが冷笑された。しかし、7本のボーリングを打ち込み、内4本から良質の温泉が湧出、残り3本からは蒸気が噴出した。
昭和39年、日本重化学工業が鉱業技術院との共同研究で、1号蒸気井の掘削に成功。地熱蒸気は地下に潜在する断層周辺から採取され、日本で唯一の熱水を伴わない蒸気型の地熱地域とされる。同41年、日本最初の地熱発電所が完成。その後、生産井を8本に増加、閉山後の観光開発に取組み、同49年、八幡平温泉郷に温泉を供給して村財政のドル箱となった。
以上のように、松川温泉は自前の源泉であるが、八幡平温泉郷は松川熱発電所の冷却した熱水を引湯している。松川温泉での取材では湯量に変化はないという。しかし、生産井は追掘して現在10本になる。減衰に対する風評も多少あるらしいが、国策でやっているからと表面化していない。果して、真実はどうなのか?日本で最初の地熱発電所は約50年稼動していることも事実である。


( 2014年8月20日寄稿 )
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