「煩悩を払う懺悔の旅」高野山  by 弘實 和昭 

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大学の同窓生5名で、世界遺産に登録された高野山へ行った。弘法大師空海の開いた真言宗の本山、今年は開創1200年目にあたる。標高900mの霊山で、夏は涼しい。私はこの小旅行を「65年間の煩悩を払う懺悔の旅」と称することにした。

山に入ったのは8月初めの猛暑日。東京駅から新大阪までは新幹線「ひかり」に乗る。65歳から入れる「JR大人の休日倶楽部」で、3割引きの切符を購入した。往復切符を買って19,040円。正規運賃より8,200円も安い。この倶楽部では新幹線「のぞみ」は対象外で乗車することが出来ない。乗車時間が30分ほど長くなるのだが、これは安価の代償と考え、仕方がないと諦める。

隣の席には、白人の4人家族が座っていた。よく見ると、車内に同じような白人の家族が3組もいる。「ひかり」に外国人家族が多いのは、ジャパンレールパスというJRグループが共同で出している外国人旅行者専用の経済的なチケットを利用しているためである。

日本への旅行者は、入国管理法により15日もしくは90日間の「短期滞在」の資格を取る必要がある。観光目的の滞在を申請し、パスポートにスタンプかシールを押してもらえた者だけが、これを購入できるのである。

この切符、JRグループ各線とJRバス各社のローカル線や宮島フェリーなども乗車ができる便利なものである。7日間38,880円14日間62,950円21日間81,870円と日本全国を廻ろうとする旅行者にはかなりお得な切符だ。ヨーロッパを鉄道で旅する時のユーレイルパスの日本版である。グリーン車や寝台車、東北新幹線や北陸新幹線のグランクラスなどには追加料金を払うことで乗車できる。しかし、このパスでは東海新幹線「のぞみ」山陽新幹線「みずほ」には乗車できない。乗るためには乗車券と特急券を改めて全額払う必要があるのだ。JRの一方的な事情であろうが、観光客にとってはとても不思議な仕組みとなってしまっている。

父親は、大きなリックサックに分厚いガイドブックを握りしめている。男も女も大人も子供も揃ってショートパンツにTシャツのいで立ちである。熱い夏には歩きやすい服装と思うが、日本人やアジアの人ではあまりショートパンツ姿で旅行することがない。風俗や習慣の違いとはいえ、人間は多くの「こだわり」を持って生きているのだと改めて考えさせられてしまった。

新大阪から難波駅まで地下鉄で移動。南海電鉄の特急「こうや」で極楽橋駅まで行き、そこからケーブルカーで高野山駅まで、1時間半ほどで到着する。

駅から宿までは南海りんかんバスに乗る。始発「高野山駅前」から「女人堂」の手前まで、この道は幅5mほどの細い道で、車のすれ違いにも苦労するりんかんバス専用道路である。一般車両はもちろん歩行者も通行できない。山間を縫うように走り、車窓からの眺めはすばらしい。日本鹿の親子と、餌をついばむ雌の雉に出会った。

今回の宿舎は、奥の院の参道の入り口、一の橋に面した清浄心院の宿坊である。京都の塔頭を思わせる小さくて繊細なアプローチ、お庭もすばらしい。靴を脱いで庫裡に上がり、お坊さんに挨拶。古い襖絵を見ながら宿泊の手続きをする。

宿泊客は30人ほどなのだが、なんと日本人は私達だけだ。他は欧米の白人。団体客ではく、全員がそれぞれの家族旅行である。この宿坊では、宿泊客のほとんどが白人で、多くはインターネットで申し込んでくるとの話であった。

朝、食事の前にお勤めがある。強制的なものではなく、興味のある人が参加してよい。和太鼓の音に導かれ本堂へ行く。しばらくして広間が白人のお客で埋め尽くされた。みな興味深々、じっとお経を聞き、修行僧の儀式の動きや鳴り物に釘づけとなっている。約30分ほど、正座を崩さずに終えた方もいて驚かされる。日本人の私たちは椅子席に座ってこの奇妙な光景に見入っていた。

お勤めが終わると、お坊さんが「Morning work was the end.Next breakfast・・・.」英語で話す。2004年に世界遺産に指定されて、欧米の白人が急に増えたそうだ。宿坊は日本の文化が凝縮しているといってよく、ここで1日でも過ごせば、古い習慣や生活様式が体験できる。数少なくなった貴重な場所である。

清浄心院の入り口 表札が英語だ
清浄心院の入り口 表札が英語だ

 

一方で、今話題の中国人や韓国人旅行者がいない。仏教の本家本元は中国であり、遣唐使がそれを運んできた。密教も空海が長安より運んできた教えである。韓国もまた、仏の教えを日本に伝えた。彼らとしては、後輩たる日本の仏教を見たいという衝動が湧いてこないのかもしれない。

宿坊の台所 荒神様がありお釜も昔のまま使われている
宿坊の台所 荒神様がありお釜も昔のまま使われている

 

奥の院の参道は、樹齢500年を超える杉林の中を曲がりくねって御廟へと続く。石畳の歩道で、かつて大阪の市電に使っていた御影石の舗石を運んできて敷きならべたと言う石道だ。両側には町石という五輪塔の形をした石づくりの卒塔婆や、石灯篭が並び道を守っている。その後ろに戦国大名家のお墓、大きな五輪塔が石の鳥居を前に置き立ち並んでいる。

その綺麗な石畳の道を、四国八十八ヶ所を回ったお遍路さんが巡礼を終え、最後のお礼参りやって来ていた。

お遍路さんのお礼参り
お遍路さんのお礼参り

 

それに交じって、欧米の観光客が生真面目に歩いている。一神教であるクリスチャンの世界に生きている人達にとって、密教の神々との出会いは恐ろしいものであろうと推測できる。しかし、厳粛に包まれたこの霊山の森の中に入ってしまえば、すべてのことが真っ白になり、静かにその霊気を感じ取ろうとしているかのようだ。

この人は何を感じ取ろうとしているのだろうか
この人は何を感じ取ろうとしているのだろうか

 

無明橋を渡り空海が即身成仏した御廟の前に立った。前に来た時も、同じところに立っていた。その時は夜で、真っ暗な参道には光はなく、懐中電灯なしでは歩けなかった。しかし、この御廟の前だけは沢山のろうそくによって異様に明るく光っていた。その中で10人以上の人が般若心経を一心不乱に読経している。寝袋にくるまって寝ている人もいる。案内してくれた人は、「東北など遠いところから来て、3日3晩読経して帰る人もいます。御廟の前では、般若心経の読経が途絶えることがありません。」と言っていた。それは35年ほど昔のこと。今は読経する人も少なくなり、夜は誰もいなくなって静まりかえっていた。近代化という時代の波が、日本人をこの山から引き離しているのかもしれない。

高野山は、とても楽しく新鮮で穏やかな気持にさせてくれます。空海の森が、一時のやすらぎを与えてくれたのは事実です。しかし結局、煩悩も払えず懺悔もしないまま旅が終わってしまったようで、でもこれは仕方がないことかもしれません。

 

 

( 2015年10月4日寄稿 )