江戸・東京を支え・守った閘門(こうもん)(2)  by 菊地 正浩記

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治山・治水は国づくりの柱と言われてきた。徳川家康による江戸開府にはじまり、世界一の都市「首都東京」の繁栄に至るまで、水との戦いが続けられてきた。いや、現在も異常気象と思われる「線状降水」による河川の氾濫・洪水と戦っている。 江戸・東京を守り、船運の河港としても栄え、経済発展に寄与してきた日本の閘門。中でも関東の閘門なしには江戸・東京の発展はなかった。

 

○扇橋閘門

1976年(昭和51年)、東京都江東区猿江1丁目5―18、荒川と隅田川に挟まれた墨田区、江東区、江戸川区にまたがる地域の水上交通。管理は東京都江東治水事務所。

江東区三角地帯を東西に流れる小名木川のほぼ中央に位置。

鋼製単葉ローラーゲート。ミニパナマ運河と云われ、長さ11m、高さ前扉5.9m、後扉7.3m。船舶の長さは90m以下、幅員8m以下などとなっている。パナマ運河と同じロックゲートで、二つの水門に挟まれた閘室で水路の水位を人工的に調節し、小名木川と旧中川の高低差約2mという水位の異なる河川を通行可能とした。

小名木川は江戸時代、市川行徳から塩を運ぶために開削された人工水路である。

東京ウォーターウェィズ(乗合)で体験クルーズができる。

扇橋閘門
扇橋閘門
扇橋閘門
扇橋閘門
扇橋閘門
扇橋閘門

 

○江戸川水閘門

太古、江戸川区は海底であった。土地の隆起により江戸川デルタとなったのも縄文時代のころで、人の住みはじめは1500年前、弥生時代と推定されている。

江戸時代、大部分が幕府直轄領となり、農村地帯として米や野菜の供給地であった。

また、河口の葛西浦では白魚漁も盛んであった。

1871年(明治4年)、東京府に属し 1943年(昭和18年)3月、東京都江戸川区東篠崎町と千葉県市川市河原の間に水閘門が完成した。

旧江戸川河口から9.3km地点。地盤沈下のため1970~1972年に改修工事。

一般には江戸川水門、または篠崎水門という。上流には江戸川本川の江戸川放水路の分岐点がある。水閘門の上から釣りをすると、海からの魚(シーバス・スズキ)と江戸川からの魚(似鯉)の両方が釣れる。

なお、江戸川上流部には利根川との分岐点に関宿水閘門がある。

江戸川水閘門
江戸川水閘門
江戸川水閘門
江戸川水閘門
江戸川水閘門
江戸川水閘門

 

○関宿水閘門

千葉県北西端に位置。1897年(昭和30年)7月、旧関宿町と木間ケ瀬・二川の両村が合体して成立。概ね平坦だが、中央部に台地、利根川沿いは低平な沖積低地、江戸川沿岸は狭い谷田が点在。

近世、利根川・江戸川船運の要衝として栄え、旅客、貨物の要衝地となった。

1927年(昭和2年)、茨城県五霞山王地先、江戸川の流東頭部に建設された水門と閘門を併設した施設。利根川から分流する大型可動堰8連で利根川改修のシンボル的存在。利根川と江戸川の分岐点、流路付け替えのための水閘門。水門は8門のゲートをディーゼルエンジンで昇降させ、閘門は船舶の航行時に上下の門を開閉し水量調節している。

それ以前の1783年(天明3年)、浅間山噴火を機に、火山灰や泥流で利根川の川底が上昇し、洪水が頻繁に起こるようになった。そこで、江戸の洪水を防ぐため、江戸川流東部に1822年(文政5年)、「棒出し」という両岸から突き出した一対の土手を作った。人工的に川幅を狭め、両岸を石粋や杭で固め、江戸川に流入する水量を抑制して水害を守る。関所も棒出しの上に移して、船運のチェックを行った。目的は首都を守ることにあった。

平成15年土木遺産となる。

関宿水閘門
関宿水閘門
関宿水閘門
関宿水閘門
関宿水閘門
関宿水閘門
関宿水閘門
関宿水閘門

 

○横利根閘門

香取市は千葉県の中北端に位置。1951年(昭和26年)3月、旧佐原町と香取町、香西村、東大戸村が合体して佐原市となり、1955年(昭和30年)2月、津宮、新島、大倉、瑞穂の4村を編入した。

2006年(平成18年)3月27日、佐原市、小見川町、山田町、栗源町が合併して香取市となった。

市域の南半分は両総台地北縁のなだらかな丘陵地。北部の利根、常陸利根両川の沿岸には日本水郷とも称される肥沃な沖積低地が開ける。

東部の香取には鹿島神宮(茨城県)とともに、我が国有数の古社、香取神宮がある。

江戸時代、利根川船運の河港として重要視されるようになった。地図の伊能忠敬旧宅、記念館、国選定の重要伝統的建造物群保存地区でもある。

1921年(大正10年)、レンガ造り複式閘門。利根川と横利根川の合流部。茨城県稲敷市と千葉県香取市の県境、大小8枚の鋼鉄製門扉、長さ90.9m、幅10.9m、深さ2.6m。利根川は明治の初め頃には現在の横利根川筋から北利根川、常陸利根川を流れていた。

1900年(明治33年)から改修工事により現在の利根川筋へ流れが移された。

水郷のシンボルで、2006年(平成18年)、日本の歴史公園100選に選定。

国重要文化財。西洋庭園や水辺広場がある。

横利根閘門
横利根閘門
横利根閘門
横利根閘門
横利根閘門
横利根閘門

 

( 2016年5月15日投稿 )