「毛長川」巡検トラベル  ~ご神体は女性の長い髪の毛かそれとも?~  by 菊地 正浩

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新編武蔵風土寄稿によると、入間川は入間郡蕨山(1033m)、現在の飯能市名栗を発源とし、南東流して埼玉県大宮台地へと来る。この入間川本流を「毛長川」という。さいたま市南部から蕨市で東流、川口市鳩ヶ谷を流れ、草加市から綾瀬川と出会い、東京都足立区千住で隅田川(当時の利根川)と合流、石浜(浅草)を経て東京湾(当時の江戸湾)に至る。この間、約30kmで川幅が200mのところもあった。

日光御成街道鳩ヶ谷宿
日光御成街道鳩ヶ谷宿
長良川
長良川
日光御成街道鳩ヶ谷宿
日光御成街道鳩ヶ谷宿

毛長川とはアイヌ語で原野、荒野を流れる川の意とされ、鬼怒川は往古に毛野川と呼んだ。

毛無川(三重県津市、二毛作が出来ないほど氾濫した川)、毛無山、毛長山(ミヤンマーのメコン川水源チベット自治区)、水無川(伏流水)など全国にはアイヌ語と思われる山・川がある。

 

< 荒川・利根川の瀬替えにより消えた毛長川と残った毛長川 >

徳川幕府による瀬替えは、1594年(文禄3年)より着工、さいたま市指扇から二ツ宮の1500mに堤防を築き、土屋付近で毛長川を堰き止めて(土屋固堤)流れを南へと放流した。

毛長川は水源を失い、川底は長い年月を経て田畑へと変化した。

消えた毛長川の跡地が開発され、さいたま市、蕨市、川口市、戸田市など東京のベッドタウンとして発展した。

一方、日光御成街道の鳩ヶ谷から草加付近には毛長川、毛長神社、毛長橋として現存している。

毛長の里
毛長神社にある「毛長の里」の碑
毛長神社
毛長神社
毛長川
毛長川
水位
水位
毛長橋
毛長橋

 

< 毛長川のいわれ >

民俗資料編での伝承記録によると、遡ること仁徳天皇期(392年)で、大河毛野川が現れる。

「河のあたりに美しい姫神がおり、若者のプロポーズが絶えなかった。誰の誘いにも応じなかったのは、恥毛が伸びて止まらないという悩みがあった。恥ずかしさに耐え兼ねて河へ身を投げてしまった。驚いた村人が敬い毛長明神と尊敬、以来毛長川と呼ばれる」

一方、草加市新里村の毛長神社の碑には、「諸記録、伝承によると、素戔嗚尊の妹姫のものとも、村の長者の娘のものともいわれている。伝承は数説あって一様ではないが、女の長い髪であることは一致する。髪の毛をご神体とする神社は全国でも珍しい」とある。

果たして髪の毛なのか?恥毛なのか?

 

( 2017年2月17日 寄稿 )

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