『大河紀行荒川』のこと

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本日は伊佐会員からいただいた『けやき新聞』(ブックセンター滝山)の内容を掲載します。
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※写真は秩父鉄道上長瀞~親鼻間の荒川(親鼻)橋りょうを渡るSLパレオエクスプレス(新聞の内容とは関係ありません)
紀行作家・日本山岳会員 伊佐九三四郎
『大河紀行荒川―秩父山地から東京湾まで』のタイトルで一冊まとめたい、と思ってからずいぶん年月が経った。かつて『幻の人車鉄道』(河出書房新社)という本を書いたが、荒川も同様の大仕事なので、なかなか取りかかれずにいた。とくに奥秩父の名峰甲武信ヶ岳山頂直下の最初の一滴を、真の沢という谷を完登して手に掬ってから始める、とかたくなに決めていたので、余計スタートが遅れたのだった。
それが三年前の秋に実現し、若い岳友二人を誘って谷に入った。しかし、通ラズの難所で私がみごとに滑落し滝壷に落ちて敗退した。だが、うれしいことに二人に励まされて、翌年七十五歳の夏にリベンジ。やっと念願叶い完全遡行することができたのだった。その後は、源流域の自然や三峰神社、秩父御嶽普寛神社、猪狩山山頂の神事など山岳信仰の跡を訪ねて秩父盆地に入る。原始の地質を剥きだしにして「地球の窓」などと呼ばれる長瀞周辺では、繰り返された洪水の歴史の痕跡、たとえば高い岩肌に刻まれた「水」の文字からその水量の膨大さに驚かされる。関東平野の大扇状地に顔を出す扇項部の寄居では、戦国乱世にピリオドを打った鉢形城合戦の跡や埼玉県立川の博物館と下って、白鳥飛来地から熊谷に入る。
ここでは江戸時代の大土木工事で、それまで利根水系に入って江戸湾に注いでいた流れを、入間水系に付け変えた跡をみる。旧水路は元荒川にその名残をとどめていて、清流にしか棲めない貴種ムサシトミヨという魚もみた。下ってサクラソウの田島ヶ原から岩渕水門にでる。隅田川と荒川に二分される所だ。今荒川と呼ばれるのは旧荒川放水路。この人工の川は洪水対策で、明治から昭和にかけて掘削されたもので、工事の指揮をとった青山士という立派な土木技師にも光を当てたい。
ここまで歩いてみて思うことは多いのだが、河口までまだ点でしか捕えられず、切り口がなかなか見つからない。『幻の人車鉄道』の時のように大枠を決めておいて見切り発車し、踏査しているうちに全体像が浮かんでくる、という方法になるかもしれない。いずれにしても「足で書く最後の仕事」で、寿命と競争の心境といっていい。それでも焦らずにじっくりと行くしかない、と毎日思案をめぐらしている。
(けやき新聞/平成21年4月20日 第65号より)
伊佐九三四郎(いさ くみしろう)
一九三二年東京生まれ。早稲田大学卒。東久留米市在住。歴史と風土に根ざした人間の生活を求めて内外の山に登り旅する紀行作家。日本山岳会、旅ジャーナリスト会議会員。著書に『幻の人車鉄道』(河出書房新社)『奥多摩奥武蔵の山々』『奥多摩奥武蔵日帰り山あるき』『東京江戸を歩く』(実業之日本社)『キリマンジャロの石』(現代旅行研究所・絶版)他著書多数。
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緊急NEWS!
紀行作家の伊佐九三四郎会員25日(月)午前1~2時、NHKラジオ第一放送に出演します。
〔列島インタビュー〕タイトルは『幻の人車鉄道』です。
深夜便ですが、ぜひお聴き逃しのなきよう。