~デジタルマップ全盛の時代に、手描きのアナログ地図を楽しむ~

旅ジャーナリスト会議 野﨑光生

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地図の楽しみ(前編)
  旅先で出会った絵地図
   ~デジタルマップ全盛の時代に、手描きのアナログ地図を楽しむ~

旅ジャーナリスト会議 野﨑光生

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旅ジャーナリスト会議 野﨑光生

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 絵地図に誘われる旅

 信州の旅先で見つけた絵地図に誘われ、旅程を変更した。

 高速道路を使うのをやめ、江戸時代に栄えた街道をたどり、峠を越えた。その絵地図は、すべて手描きで温かみがありながら、正確な位置情報も配慮されており、最良の旅先案内人となった。

 デジタルマップ全盛の時代ながら、こうしたアナログ地図を過去のものとせず、これからも旅の友であり続けてほしい。

 

 そうした思いが通じたのか、足利市で「手描きの地図で町を活性化しよう!」という若者たちのグループに出会い、「まだまだアナログ地図も捨てたものではない」と元気づけられた。

 

 今回は前編として「旅先で出会った絵地図」を、次回は後編として「まちづくりグループの手描き地図」をそれぞれ取り上げ、旅と地図の関係を探りながら紹介していきたい。

 

長野県内の絵地図

「杖突街道」「長野 松代」「馬籠」(現岐阜県中津川市)「南信州 伊那谷」

 

 

 地図に誘われる旅

 4年ほど前になるが、私は画聖「中村不折(ふせつ)(1866~1943年)」の足跡を訪ねようと、長野県伊那市高遠町(たかとおまち)を旅していた。

 

信州高遠美術館

 

 

 信州高遠美術館で不折ゆかりの展示を見た後、出口に向かう途中で受付のカウンターに置かれていた絵地図が目に止まった。

 それには「杖突街道(つえつきかいどう)」と書かれており、緑を中心とした鮮やかなデザインに惹かれ、絵葉書でも買うようなつもりで手に取った。

 袋から出して広げてみると、その世界にどんどんと引き込まれていく。高遠町から諏訪地方へ通じる杖突峠への見どころを、漫画風にしかも丁寧に観光スポットが描かれていて、旅情を強く感じさせる地図だった。

 

偶然出会った「杖突街道」の絵地図

 

 杖突峠は長野県伊那市と茅野市の間にあり、近世までは諏訪、甲府方面、伊那谷を経て木曽谷、東海地方を結ぶ交通の要衝として栄えた。江戸時代には参勤交代でも使われ、明治に入ると登山家で日本アルプスの名付け親でもあるウォルター・ウェストンが旅したことでも知られている。

 

 私は高速道路を利用して帰るつもりであったが、この地図に導かれて旧街道を帰路に選ぶことにした。その地図を見ていると、何か歴史に触れられるような、そして民俗学的な世界に飛び込めるような不思議な感覚が湧き、決して華やかではないが強い郷愁にいざなわれるように峠への旅が始まった。

 

 

 魅力的に描かれたポイントを巡る

 地図を見ていてまず目を引いたのが、庚申塚の大群だった。

 失礼ながらこんな寒村に、これほどの史跡があるのだろうか。あるとすれば当時はかなり栄えていたに違いない。実際の大きさは? 江戸の元号は書かれているのか?等々、妄想するように期待が広がって行く。

 

庚申塚がリアルに描かれている

 

 街道から路地に入り込んだ場所ではあったが、この絵地図の位置関係は非常にわかりやすく描かれていて、庚申塚を容易に見つけることができた。そして、そこには絵地図に描かれた通りの風景があった。少しオーバーに描かれているのかと思ったが、想像した通りの歴史と風格を感じさせる姿だ。

 違っていたのは、コンクリートで周辺を整備してあったことだが、これは歴史を後世に伝えようという地元の人たちの思いであろう。

 

今も大事に庚申塚が保存されていた

 

 

 そびえ立つ火の見やぐら

 次に探したのは、三差路に立つ火の見やぐら。

 珍しくも何ともないと言われそうだが、山に囲まれた狭隘な土地で、天を衝くようにそびえ立つ姿を想像していたら、実際に見たくなった。

 

左の枠内に火の見やぐらが描かれている

 

 

 そこに行ってみると、思った通りの姿で、小高い場所から集落を見下ろすように、その火の見やぐらが堂々と立っていた。そして、土蔵や木造の家並みの中で、金属製の塔は異質な雰囲気があり、存在感が際立っていた。

 この地図の絵は、特徴をよく捉えて写真以上に想像した映像に近く表現してある。

 

追分に立つ火の見やぐら

 

 

 家並みを探して

 地図の中に、集落の小高い所に佇む江戸時代風の家を見つけ、その景色を写真に収めたいと思った。

 ところが、なかなか見つからず、田んぼの間の細い道を通り、地元の人たちに地図を見せながら探したのだが、この景色を見つけることができない。

 地図が描かれてから十数年が経過しており、なくなってしまったのか、あるいは見つからなかっただけなのか、残念ながら諦めることにした。

 

のどかな集落の風景

 

 

 街道沿いならではの気さくな人々

 しかし、一緒に探してくれた地元の人たちは、とても気さくに接してくれてありがたかった。

 真冬にいきなり訪ねてきた旅人に戸惑いもあっただろうが、「わざわざこの風景を見に来てくれたの?」などと会話が弾んで心が温まった。そして、地元の人は何とも思っていなかった風景が、実は地域の魅力だと認識してくれて、誇りすら感じてくれたような笑顔になったのが印象的だった。

 

 

 この絵地図の魅力とは

 この絵地図は見ているだけでも、ワクワクとしてきて楽しいのだが、いざ一緒に旅に出てみると、とても使いやすい。旅の楽しさの演出効果と実用性を兼ね備えた地図なのである。

 

 通常なら、楽しい地図はデフォルメ(歪曲)されて実用性に欠けるし、正確な地図は色気がなく魅力に欠けてしまう。この地図はそれらの課題を克服し、演出効果と実用性の両面性を兼ね備えている。

 なぜそのような表現ができるのか? 地図をじっくりと見てみると、三つの理由が思い浮かんだ。

 

「箱根登山バスの旅」「箱根登山鉄道の旅」「江ノ電の旅」

 

一つ目は、絵の温かさにある。

 絵はもちろんだが文字までもが、すべて手で描かれている。独特な書き文字に、図は直線だけでは表せない曲線による微妙な表現、そして派手にならない程度のカラフルな色合いの絶妙な組み合わせによって表現されている。

 

 二つ目は、地図の中にうまく組み込まれた的確な観光情報だ。

 観光スポットの今の情報だけではなく、歴史的な背景も盛り込んで、旅人に必要な情報がギュギュっと集約されて書き込まれている。この地図の所々に出没する「鼻が大きなキャラクターたち」の表情も、それぞれスポットの特徴をよく伝えている。

 それらの膨大な情報が、全体のレイアウトを考えた上で、地図の余白(山の部分など)も利用しながら、巧妙な構図で組み込まれている。

 

 三つ目は、道路や観光ポイントが正確に描かれていること。

 平面的ではなく、ところどころデフォルメ(歪曲)され、パノラマのように俯瞰した地図である。しかし、要所は実体を正確に再現し、旅人がその場所に迷わず行けるように示されているのだ。

 

折りじわがあり畳みやすく、丈夫な紙で表面にはコーティング

 

 

 魅力の背景にある作家の技量

 もちろん、そのような地図は誰にでも描けるわけではない。

 これを描いた絵地図作家の久芳勝也(くばかつや)さんとは、どんな人なのだろうか?

 

 まずは経歴を見てみよう。

 久芳さんは1943年生まれの九州男児、名門の福岡県立修猷館高校では山岳部に所属、その後、早稲田大学に進み地理を専攻し、漫画研究会に所属していた。

 社会人となり漫画サンデーに勤務していた時に、実業之日本社に誘われた。そして、旅行ガイドの地図を描くことになるのだが、その「ブルーガイドパック」は旅行案内書として最大数の読者を獲得することとなったのである。1,000点以上の絵地図を描き続け、海外シリーズ「パックワールド」18冊までも担当した。

 

ブルーガイドパック16「信州」

 

 こうした実績が注目され、ガイドブックとは別に青森から九州まで全国の主要観光地を、大判の折りたたみ絵地図で描くことになった。冒頭に紹介した「杖突街道」はそのほんの一部というわけだ。

 

「ここから東北」「奥入瀬渓流」

 

 

 技術に加え熱意と行動力が生んだ独創性

 久芳さんが技術の高いだけの作家であれば、これほどまでの成果をあげることはできなかったはずだ。

 技術に加え、現場主義と熱意に裏付けされた独創性が作品にはある。

 つまり、それまでの地図にはない、飛行機から見て描いたような俯瞰性、見るものを惹きつけるおもしろさや楽しさ、的確で詳細な情報をすべて圧縮して閉じ込めた濃縮された絵地図なのである。

 

「ブルーガイドパック」の中の絵地図

 

 

 現場主義の取材

 「ブルーガイドパック」の編集者として、久芳さんと長年行動を共にした森田芳夫さんは、地図制作の取材風景をこう振り返った。

 

 観光地の事前調査はもちろんのこと、取材先ではスケッチや主要地点のメモ、現地の人との対話を重視していました。

 取材先では「数日いただけでこの土地の何がわかる」と揶揄された時も毅然とした態度で接していました。久芳さんは「どんな山村にも、漁村にも、例え『ここには何もありません』という人が住んでいるところでも、必ず『土地の力』というべきものがある。」とよく言っていました。

 つまり、彼が描きたかったのは「土地の力」であり、それは変わりようのない地形、森や動物など自然そのもの、今住む人の暮らしと先人の暮らし、それらはその土地にしかない、価値あるものとして、絵と文字で表現したいとする意欲に促され描いていたはずです。温かい目で土地を見る人でなければ、土地の力を見抜くことはできないでしょう。

 

 このように、技術の上に熱意と行動力が、独創性のある絵地図を誕生させたということである。

 

絵地図の中の久芳さん(左)と編集者の森田さん

 

 

 アナログ地図は、単なる旅の道具ではない

 地図は旅の道具だと思われがちだ。しかし、使い道はそれだけではない。

 旅をする動機になったり、地図を見るだけで、あたかも旅をしたような気分になったりする。かつて、鉄道好きが分厚い時刻表を見ながら、空想の旅をしたように。

 

 久芳さんの絵地図は見れば見るほど味が出てきて引き込まれていく。見ているだけでも楽しいが、使ってみると、見る楽しみと実用性が相乗効果のように広がっていく。

 まさに、「旅の演出家」とでも言うべき存在だ。

 

「らんの里 堂ヶ島」「日本三景 天橋立・宮津」

 

 

 晴れを待って

 久芳さんは旅ジャーナリスト会議のメンバーで、汽車が描かれたこのブログのロゴ「旅じゃcom」も氏の作品だ。素晴らしい絵地図を描くことで知られていたが、私は一度しかお話を伺ったことがなかった。

 その久芳さんの絵地図に旅先で偶然出会い、思いがけず充実した旅をさせていただいた。

 

 間もなく久芳さんの三回忌を迎える。もっとお話を聞いておけばよかったと後悔しているが、残された絵地図には様々なメッセージが込められているようだ。

 コロナ禍が収束したら、久芳さんの絵地図の中から次の旅先を選んで、久芳ワールドを旅したい。

 

絵地図の中で語る久芳さん

 

 そう言えば、杖突街道の旅では、途中から雪が舞い始め、峠では前が見えないほどの大雪となった。しかし、しばらく待っていると、うそのように雪はやみ、雲の間から光が差し、久芳さんの絵地図のような諏訪盆地を鮮やかに映し出した。

 

絵地図「杖突街道」に描かれた諏訪盆地

 

雪がやみ、雲の間から光が差した諏訪盆地

 

 久芳勝也氏は令和元年7月27日、惜しまれながら逝去されました。同年11月には大勢の中に囲まれ「偲ぶ会」が行われました。会場には生前の力作が多数展示され思い出話に花が咲きました。改めてご冥福をお祈りします。