旅ジャーナリスト会議 野﨑光生

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アート鑑賞を紀行文に!
  ~美術家 友成潔の作品を旅する~

旅ジャーナリスト会議 野﨑光生

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 旅とアート鑑賞

<旅先の風景>

 旅先で、移りゆく風景を眺めるのは情緒があって楽しいものだ。

 美しい景色だけではなく、見たこともないような不思議な光景に出会うなど、変化していく風景を見るのは旅の醍醐味である。

 

 前衛美術家 友成潔(ともなりきよし、1942年生)氏の作品は独創的で、時代とともに、あるいは時代を追い越しながら作風が変化していく。あたかも、それは旅先で風景や天気が変化するようであり、作品を見ていて、感動したり、驚いたり、作品のメッセージを考えさせられたりの連続で、見る者を飽きさせない。

 氏の作品の世界を楽しみながら旅してきた30年余りの道のりを、紀行文のように記録しようと思った。

 

左から「無明」「DOTT 赤」「DOTT 白」「吊体-布(青)1」)
ギャラリー碧「足利のモダン展」より

 

<友成作品との出会い>

 初めて友成氏の作品に出会った時に、それまでに見てきた作品にはない不思議な印象を受けた。形や色に加え、質感までもが新鮮だった。

 

「ブレイクスルー」(金彩二本足)(部分)

 

 そして、「いったいこの素材は何だろう?」とか、「作者は何を言おうとしているのだろう?」とかを考えながら、上から見たり下から見たり、触ってみたりして、答えを見つけようとした。

 すると、いろいろな解釈やら妄想やらが浮かんできて、創作の背景が深く広がっていくように感じられ、氏の作品に興味を持つようになった。

 

「ブレイクスルー」(金彩二本足)

 

<陶芸家として創作をスタート>

 氏はもともと陶芸家として創作活動を始めた。前衛的な作風で高く評価されている陶芸家グループ「走泥社(そうでいしゃ)」(京都市)に所属していたほどだから、その実力は技術、感性ともにお墨付きだ。

 

 当初は茶道などに用いる伝統的な陶器を制作していたが、徐々に斬新なデザインを取り入れて注目を集めるようになった。そして、土をベースにした立体作品へと展開。その後は平面の作品へと創作の対象を広げ、次々と新しいシリーズを誕生させてきた。

 見る側としては、作品一つひとつの独創性を楽しむだけではなく、作風が変化していく過程を見ていくのもまた興味深い。

 

 

友成作品の魅力とは

<独特な作風>

 今年5月に、現代アートを扱う「ギャラリー碧(へき)」(栃木県足利市)で、こんな光景を目にした。

 一見すると、オレンジ色のスポンジのような、握りこぶしほどの立体作品。数万円もするのだが、お客さんがさりげなく購入していった。

 これだけ個性的な作品を買えるのは、現代アートを深く理解し、確かな審美眼を持つ地元のコレクターに違いない。

「吊体-スポンジ」(2016年)

 

 外見も不思議でおもしろいのだが、制作の過程や作者の意図を知ると、より作品世界の深みにはまっていくようでワクワクしてくる。

 作り方だが、まず四角形のスポンジにオレンジ色の陶土を何度も何度もたっぷりと浸み込ませる。このスポンジの真ん中を紐で縛って吊るすと、両脇が重みによってダランと垂れ下がる。そして、その状態のまま窯の中で焼くと、スポンジは焼けてなくなり、硬くてとても軽い陶の作品ができ上がるのだ。

 その名は「吊体(つりたい)-スポンジ」。

 

色、形に加え独特の質感が

 

 陶芸は、粘土をこねたり、ひねったり、轆轤(ろくろ)を回して作り上げるのが普通だ。しかし、吊体は、素材を生かして、あまり手をかけず、重力という自然の摂理に任せた制作工程になっている。あくまでも「主役は素材の土であり、作家は演出者に過ぎない」ということになろうか。

 

 

<異質なものを創り出す>

 こうした作風について、足利市を拠点に活動する現代美術家の菊地武彦氏は「友成さんは、陶器をスポンジのような全く異質なものに変えてしまったところが素晴らしい。」と尊敬の念を持って評価する。

 高い技術と深い思索によって、「吊体-スポンジ」は、陶器という概念を壊してしまったのだ。それが友成作品の独創性ということであろう。

 

 この異質な立体作品の特徴は、見ていると触りたくなることだ。実際に触れてみるとザラザラしていたり、温かみがあったりと、陶器には感じられない触感がある。さらに、持ち上げてみると、とても軽いことに驚く。その意外性も作品のメッセージのひとつに違いない。

 

こちらの「吊体-スポンジ」はツルツルとした触感で驚くほど軽い 

 

 

<独創的な表現を、高い技術が支える>

 「ブレイクスルー(BREAK THROUGH)」という作品。

 この言葉は、「進歩、前進、あるいは新しい考え方で障壁を突破する」といった意味である。友成氏はこの作品に「アートの閉塞感と自分自身の創作の壁をぶち破り、新しい展開を獲得したい!」との思いを込めた。2001年に初めて創られたが、その後も、大規模な災害に際し、「蔓延する閉塞感を打破しよう!」という強いメッセージを込めて制作している。

 

「ブレイクスルー」(2004年)(青磁金彩二本足)

 

 弾丸のような鋭い円錐が、障壁をぶち破っている。その形に加え、金色に輝く先端には勢いがある。独創的な表現によって強いメッセージを表現しているが、よく見ていくとその裏には高い技術が使われていることがわかってくる。

 

 透明感のある美しい青磁の色を出すことはもちろん難しいのだが、それに加えて磁器の表面に鮮やかな金色を出すのは至難の業だ。そのため試作を何度も重ね、瑠璃を塗った上に、金を塗ることで黄金色を出すことが可能になったのだという。

 そして、鋭い円錐の形は、なんと轆轤を使って精巧に作り上げている。個性的な形ながら、作品がバランスよく立っているのも技術があってこそである。

 

「 青磁 + 瑠璃 + 金 」で黄金色に

 

 

<創り続けることで完成度を上げる>

 このシリーズを創り続ける過程で、作品は色も形もシンプルかつシャープになっていき、全体のバランスもよくなって洗練され完成度が上がっていった。その効果もあってメッセージもより鋭く伝わってくるように感じる。

 最初にこの作品を見た時にはキノコのようにも感じ、異様な形で、どう理解したらよいのか戸惑った。しかし、込められたメッセージを知ると、いろいろと考えさせられ、同時に高い技術が使われていることを知り、色の美しさや形のおもしろさも見つめ直すことができた。

 

「ブレイクスルー」(2002年)
シリーズ初期の作品。徐々に完成度が上がっていく

 

 

<陶芸の技があってこそ!>

 奇抜とも言える立体作品だが、このような表現ができるのは、友成氏の独創的な発想だけではなく、それを表現できる技術があるからだ。

 

 例えば、陶芸家としての轆轤の技術は確かなもので、茶道用の茶碗を見るとよくわかる。「益子焼 塩釉」と共箱に書かれた作品は、実にシンプルで端正な形に作り上げられている。胴を支える高台も見事に仕上げてあり、畳の上に置くとずっしりと座り安定感があって微動だにしない。

 そのしっかりとした形の上に、渋い色が塗られ、見込みには楕円形の白い線が一筆で勢いよく引かれている。そして、表面は「塩釉」と呼ばれるガラス質の仕上げで光沢を帯びていて、静かながらも力強さが感じられる作品だ。

 

茶碗「益子焼 塩釉」

 

楕円形の白い線が勢いよく引かれている

 

 

<小品にも精巧な作り>

 一方、「藍釉」というぐい呑みは、形の整い方もさることながら、表面を鋭く削ったり、深いブルーの釉薬をかけたりして斬新なデザインをまとっている。小ぶりながら山椒のようにキレがある。抽象的な模様ながら、よく見ると「心」という字が浮かび上がる。

 

ぐい呑み「藍釉」 抽象的な模様には「心」の文字が

 

しっかりとした高台内には兜布(ときん)と呼ばれる突起が

 

 

 また、「いろは」の文字が金色で大きく描かれた皿は、その文字が器から飛び出しそうな勢いだ。しかし、触ってみると手練りの温かみがあり、弾力感すら感じられる。形や描かれた文字は動きがあるので不安定なのかと思ったが、置いてみるとこれまた実に座りのよい作品となっている。

 

「いろは」と書かれた皿

 

 どの作品も陶芸の確かな技術によって創られており、器としての実用性も備わっていて実に使いやすい。

 

 

<立体作品への前兆>

 今になってこうした初期の陶芸作品を見返すと、伝統的な表現から煌びやかで斬新なデザインへと変化しており、その流れが後の立体作品につながることがわかる。

 つまり、突然の思い付きでオレンジ色の立体作品ができたわけではなく、陶芸の確かな技術があって、新たな作品への思索が続き、徐々に斬新な立体作品の誕生へとつながったわけだ。

 

 

作風の変化

<立体作品から平面作品へ>

 友成氏を知る多くの人たちは、陶芸作品から立体作品へと変化し、そのまま立体作品という範疇で制作が続くと思っていたに違いない。

 

 ところが、突如として立体から平面へと創作の対象を移してしまう。これにはファンも驚いたことだろう。しかし、出来上がった作品は期待を裏切ることなく、いや期待以上に完成度の高い作品となっていて、ファンはまたもや驚いたに違いない。平面の作家にはない、立体感が漂う作品でもあり、今までにない新たな境地を切り拓いてしまった。

 この変化で離れてしまったファンもいたかもしれないが、同時に多くの新たなファンも取り込むことができた。

 

 

<「立体 + 平面」の作品>

 平面の作品を見ると単に平らになったわけではなく、立体と平面を混合したような作品になっている。

 例えば、立体作品「吊体・布」と平面作品「吊体・布(青)1」という作品には、その特徴がはっきりと出ている。

 立体作品「吊体・布」は布にブルーの顔料を何度もたっぷりと染み込ませ、それを紐に吊るしてぶら下げる。するとそのまま自然の重力に任せて形ができ上がっていく。ここまでは先に登場した「吊体 スポンジ」とよく似ている。

 

「吊体・布」
布で作られた立体作品

 

 

 ところが、そこで終わらせずに、この立体作品「吊体・布」と同じような物体を、白く塗られたパネルに貼り付けた。それが「吊体-布 (青)1」という平面の作品だが、貼り付いたオブジェはパネルから盛り上がり、陰影の強さもあって立体感が強調されている。

 それを吊るしていた紐(線)は貼らず、また手によっても描いていない。大工さんが木材に直線を引くために用いる道具「墨壺」を使い、墨を含んだ糸をパネルの上で弾くことによって描いているのだ。

 

 なんとも手の込んだ描き方だが、この作品からも自分の手を極力使わずに、自然に任せようとの意図が見てとれる。作家が制作した痕跡を意図的に残さないようにしているということか。

 こうした制作工程によって、立体でも平面でもない「立体+平面」の混合作品の完成となった。

 

「吊体-布 (青)1」(2004年)
オブジェがパネルに貼られている

 

 

<解釈の多様性を演出>

 この作品を見た女性が、「まぁ きれいなブルーねぇ!」と感心していた。

 なるほど、立体や平面のおもしろさに目が向いてしまい、見落としてしまいがちだが、色使いまで作者が考えていることに気が付いた。

 友成氏が「立体も平面も関係ない。作るべきものを作るだけ。」と語っていた。それは、立体や平面などの形式は結果であり、見る人それぞれに解釈させる多様性などもっと高い次元で創作することの方が重要だという意味だろう。

 

 

<ユーモラスな表情>

 「DOTT-痕跡」という作品は、パネルに開いたたくさんの小さな穴から、虫のような物体がニョキニョキと顔を出している。とてもユーモラスで、見ていて飽きない作品だ。

 

 一つひとつのドット(痕跡)の大きさや形状が少しずつ異なるため、それぞれに表情があって、こちらに何かを語りかけてくるようだ。色も、パネルの白と物体の茶褐色が対照的で、コントラストが絶妙だ。

 

「DOTT-痕跡」(2007年)
サムホールほどの小作品ながら広がりを感じる

 

 

<素材にこだわる>

 細部をよく見ると、非常に丁寧に作られていることがわかる。

 まず作品の土台となる木製のパネルには、白のアクリル絵の具に胡粉を混ぜて10回も塗り重ねてあり、純白の表面には筆の跡がかすかに残っている。しかも、パネルが貼り付けてある額の底板まで白く塗られていて、額すべてが作品になっている。

 

 そして、そのパネルの表面に、ドリルによって一定間隔で小さな穴を開けている。さらに、その穴に「アクリル絵の具」と「焼いた赤土粘土の粉」を混ぜ合わせて作った「茶褐色の物体」を、一つひとつ丁寧に埋め込んでいるのだ。規則正しく開いた穴と、多様な形の茶褐色の物体がなんとも対照的で、緊張感の中にも安堵を感じさせる世界となっている。

 

それぞれの形が異なり表情が見てとれる

 

 

<創るという行為そのものが作品>

 この作品を初めて見た時、今までに見たこともない表現に驚きそして感動した。

 そして、よく見ていると動きがあっておもしろく感じ、さらに、「こうした表現を可能にする素材には何が使われているのか?」といったことにも興味が湧いてくる。そのあとには「いったい何を言おうとしているのだろうか?」と考えさせる作品である。

 

 絵の具の色をたくさん使ったり、重ねたりして描き込むことはせずに、胡粉という日本画の画材や、赤土粘土という陶芸の素材を使っているため、色も素材もシンプルである。手をあまり加えないというのは吊体の制作と同じ考え方で、素材に何かを言わせようとしているように思える。

 

 こうした作風は、素材を活かした「ミニマルアート」と呼ばれるアートジャンルに属するのだろうか。だとすれば、パネルに残されたドットは、作家の創作活動の痕跡ということになろう。

 ところで、友成氏は「この作品の欠点は、赤土粘土の素材が取れて落ちてしまうことだ。でも、額に入っているのでなくなることはない。」と語っていた。

 完成した後は例え素材が落ちても直すことはなく、「素材自体にすべて任せて演じてもらう」といった意味だろう。底板まで塗られている額の内部空間は、余白ならぬ「余空間」と捉えられる。

 もっとも、作り込みはしっかりしていて、素材が落ちることはまず考えられないが、「落ちそうで落ちない」微妙な雰囲気が出ていて緊張感がある。

 素材、表現、そして創作行為、それらのすべてが作品ということになろう。

 

 

作品と美術愛好家の出会い

<ギャラリストの役割>

こうした友成氏の作品だが、現代アートに詳しい人は別として、決してわかりやすいとは言えない。一般的にはすぐに理解したり、購入したりするというのは難しいのが現実だ。

そのため、評価される作品であっても、その情報を発信したり、説明したり、あるいは販売したりする役割が必要性になる。

つまり、作家と美術愛好家(アートファン)を結びつける「ギャラリスト」の存在が欠かせないのである。

 

「ギャラリスト」とは主に画廊のオーナーなどで、将来有望な若手作家や、質の高い作家を見出して育てながら、個展などを企画し、多くの愛好家に紹介する人たちのことだ。そのため、高い審美眼と経験が求められ、加えて多くの顧客を持っていることも重要だ。

 

現代アートを中心に扱う「ギャラリー碧」

 

 友成氏の場合は、ギャラリー碧(へき)(足利市)のオーナーである山川敏明氏がその役割を果たしている。

 山川氏は画廊を40年以上も経営しており、当地では最も古い画廊である。これまでに、長重之氏、下川勝氏、菊地武彦氏など、多くの現代美術家を地元で見出して、紹介し育ててきた。最近では菊地匠氏などの若手有望作家にも力を入れている。

 また、草間彌生や鉛筆画で知られる木下晋など内外で高く評価されている作家の企画展も開催し、一貫して現代アートを扱っており、中央のギャラリーからも注目されている。

 

 

<地方で活動する作家の評価>

 有望な作家を見出す際の基準として、山川氏は「地元で質の高い作品を創れる作家であれば、売れるか売れないかは関係ありません。そうした作家を見出して紹介するのが、地方の画廊の使命だと考えています。」とのこと。

 友成氏の作品の質の高さ、立体作品という希少性、そして創作への意欲を高く評価した結果として、作品を扱うようになったのだろう。

 

 こうしたギャラリストが紹介した作品であれば、愛好家としては興味深く見られるし、気に入れば安心して購入することもできる。

 友成氏は足利市に隣接する佐野市に登り窯を構えたのが縁で、ギャラリー碧が取り上げるに至った。

 

 本来こうした地元作家の発掘は、地方美術館が担うべきなのだろうが、財政的な問題もありあまり期待できないのが現状である。加えて、栃木県では益子焼の存在が大きすぎて、それ以外の陶芸作品や、ましてや陶芸から派生した立体作品は扱いにくいのかもしれない。

 

 

友成作品の人気の理由

<「足利のモダン展」で再び人気に!>

 ギャラリー碧では、これまでに友成氏の個展とグループ展をそれぞれ2回ずつ開催している。その度に多くの人たちが訪れにぎわった。

 

 最近では「足利のモダン展」(2021年4月29日~5月9日)と題して、地元作家との三人展が開かれた。コロナ禍の影響で、しばらくの間、企画展を開催できず画廊の客数は伸び悩んでいた。しかし、この企画展では事前の予想を上回りたくさんのお客さんがやって来て、地元作家の作品を鑑賞して楽しんだ。中でも、友成氏の作品が数多く売れたのも特徴的だった。

 昔からのファンに加え、30代の購入者が多かったことも目を引いた。

「DOTT 赤」(2007年)

「DOTT 白」(2007年)

焼いた赤土粘土、胡粉やアクリル絵の具がそれぞれ塗られている

 

<時代を読む先進性>

 今回の企画展で、友成氏の作品の人気が高かった理由として、主に三つ考えられる。

 

 一つ目は、少し大げさな言い方かもしれないが、時代が友成氏の作品に追い付いたように思う。今までにない新しい表現を考え出し、時代へのメッセージを発信してきたが、作品があまりにも斬新すぎて十分に理解されていなかった面がある。

 1997年に現代アートで知られるギャラリー「アートフォーラム谷中(東京都台東区)」で「-吊体-」という個展を開いた。これはたくさんの大きな「吊体」を、ワイヤーで天井からぶら下げる独特の展示内容だった。今の時代に開催されれば、その時よりも大きな反響を呼んだに違いない。あれから24年が経ち、今回の企画展では吊体が人気を集めたのだ。

 単なるオブジェではなく、寿司を乗せると魯山人どころではない斬新な器となり、実用性も高いのには驚いた。

「アートフォーラム谷中」での個展「-吊体-」のリーフレット

土の塊が舞っているようにも見える

 

 

 これまでは古くからの友成ファンの購入が中心だったが、今回の企画展では30代の若手アートファンの購入が目立ったことも特徴的な出来事だった。

 東京からUターンしてきたウェブ・デザイナーやグラフィック・デザイナー、そして建築家などで、鋭い感性が求められる職業の若者たちである。そうした時代の先端を行く若者が、10年以上も前に創られた作品を選んでコレクションに加えた。これは友成作品が時代の先を行っていることの証であろう。

 

 

<好みに合った作品を選べる>

 二つ目は、作風の異なる作品がたくさんあることで、好みに合った作品を見つけやすいということだ。

 新しいシリーズが数年おきに誕生してきたが、現在は多くのシリーズが揃っていて、多種多様な作品の中から、愛好家が好みに合ったタイプの作品を選ぶことができる。

 例えば、作品の描き方が気に入って購入するケースもあれば、素材が気に入って購入するケースもある。

 

 ここで紹介した作品以外にも、立体作品では「落体」、平面作品では「相対-陰陽」、漆や墨を使った「無明(むみょう)」など多くのシリーズがあり、バリエーションが豊かだ。

 「相対-陰陽」や「無明」は漆や墨、胡粉などが使われ、表面は磨き込まれており触ってみると正面も側面もツルツルしていて、意外性をそれこそ肌で感じることができるのだ。

 

「無明(むみょう)」(2009年)
胡粉と墨が使われ、表面はツルツルに仕上げられている

 

 

<ギャラリストの果たした役割>

 三つ目は、ギャラリー碧がこれまでに個展を何度も開いたほか、常設でも展示を続け、山川氏が多くの顧客に繰り返し説明してきたことである。

 作品と顧客との接点が増え、作家や作品の情報も提供されてきた。その結果、友成作品が広く知られ理解されるようになり、徐々にファンが増えてコレクションされていった。

 

 その他にも、この企画展で氏の作品の人気が高かった理由としては、二次的な要因もあげられる。

 足利市には美術館と画廊が15も集積していて北関東最多であるなど、アートを愛する土壌があること、画廊などを回る「アートリンクinあしかが」や若手作家の作品を町中の古民家に展示する「あしかがアートクロス」といったイベントの開催時期と重なったことが追い風となったこと、などである。

 

 いずれにしても、「足利モダン展」で友成作品が広く支持されたことは、長い制作活動に対する一つの評価が形となって現れたと言える。

 

「相対-陰陽 朱・墨」(2018年)
漆芸のように磨かれ、側面までツルツルしている

 

 

<緊張感のある斬新な作品が生まれた背景>

 友成氏の作品には、平々凡々とした日々を送る作家の作品には見られない緊張感がある。

 これは逆境を経験し、その苦しい時期に創作について思索を繰り返したことが作品に反映されているのだと思う。

 

 氏は陶芸家として活動していた時期には、デザイン性の高い陶器の人気が高く、個展では完売という状況も珍しくなかった。

 抽象的な作品に移行してからも、東京の百貨店や著名なギャラリーで個展を開いてきた。しかし、抽象作品となると、一部の専門家やコレクターは高く評価しても、独創的な作品がゆえに一般受けすることは難しく、経済的にも精神的にも追い込まれる時期があったと聞く。

 そうした厳しい状況があったからこそ、深い思索と創作を繰り返すことができ、研ぎ澄まされた作品が誕生したのではないか。

 具体的には、素材や創作工程で極力手を加えず、素材を自然の力に任せながら完成させようという、禅の思想にも通じるような世界観や創作観が生まれたのだろう。

 現代において、友成氏のような気骨のある作家は稀有であり、作品には緊張感と気迫を感じる。

 

 

<美術家とは>

 氏の創作活動の特徴は、陶芸から立体作品へと独自の作風を確立し、その上でさらに平面の作品へと対象を広げたことである。

 作風は変化しながらも、陶芸の技術や素材を使うなどの一貫性が感じられ、作品の上に新たな作品を繰り返し積み上げてきたように思う。

 一貫性は創作方法だけではなく、どの作品にも「何かを加えたり引いたりすることのできない完成度の高さがあること」だ。

 

 平面の作品には、平面しか作らない作家には表現できない、立体造形の独創性が随所に見られる。つまり平面とは言うものの、絵画とは全く違う平面作品なのである。

 例えば、「DOTT-投影」という作品だが、額の中には何も描かれていない。しかし、ガラスの内側にぼんやりと塗られたボンド(接着剤)が、日光やLEDに照らされると、額の底板に水滴のような影となって浮かび上がる。小さな世界に宇宙観を表現した空間造形とも言うべき作品だ。

 

「DOTT-投影」(2006年) 
強い光が当たると水滴が浮かび上がる

 

 

 友成氏は言う。「常に新しい表現を創り出そうとして、考えながら制作してきた。美術家を山登りに例えるならば、みんな同じ頂点を目指している登山家だ。しかし、どこからどのように登るかは人それぞれだ。私は常に新しい登り方を考え、実践してきた。美術家の評価は、今までにはない、人の真似ではない、新しい表現で作品を創り続けられるか否かで決まる。」と。

 

 「なぜ作風を変化させるのか? 新しい表現を次々に産み出すのか? なぜ不思議で斬新な作品を創り続けるのか?」と長年、疑問に思っていた。

 しかし、この話を伺い、ようやくその答えを聞くことができたようで、溜飲が下がった一瞬だった。

 

 氏が新たな作品を考え出す時は、思索を繰り返した結果としてひらめくのだろう。しかし、単なる思い付きではなく、それまでの作風の変化や経験、技術そして創作意欲に裏打ちされて、見たこともないような作品が誕生する。

 

 

これからの展開

<「旅をするアート作品」に!>

 作品の持つ力からすれば、友成作品は内外でもっと高く評価されてしかるべきだ。作家の考え方にも作品にも、評価されるべき要素が十二分にある。

 

 氏は地元作家として身近な存在であり、作品を購入できるのもありがたいことなので、有名になって手が届かなくなるのもファンとしては寂しいことである。

 しかし、こうした作家の作品を広く知ってもらいたいというのが正直な気持ちだ。

 

 「旅をしないワイン」という人気の高いワインがある。その地独自のワインで上質ながら生産量が少なく、そこへ行かないと飲めないワインである。

 友成作品は足利市周辺を中心にコレクターが多いが、この地にとどまらず「旅をするアート作品」になって海外まで広がって行ってほしい。

 

「相対-陰」(2018年)

 

 

<新たな創作への旅>

 最近の友成氏は傘寿を迎え、「これまで創作を続けてきて、自分には才能がないことがわかったし、体力も衰えてきたので、もう作品は作らない。」と語っていた。

 

 しかし、これまで緊張感をもって意欲的に走り続けてきた友成氏が、肩の力を抜いて作品を創ったなら、どのような新作ができ上がるのか? ぜひそれを見てみたい。

 創作の旅はもう終わったと言いたいのかもしれないが、我々友成ファンにとっては次の旅を期待してやまない。

 そして、これからの創作の道のりも、紀行文として書き続けたい。

 

 

 

 

取材協力、資料・写真提供:友成潔氏

取材協力:菊地武彦氏

取材・撮影協力、資料提供:ギャラリー碧(山川敏明氏)